今日から、日記を書くっす。
駄文 の日記群
暖かい一日だった。沈丁花に菜の花の香りが加わった。やっぱ、早春から初夏にかけてが一番好きだ、私は。
まあ、秋もいいけどね。
久々に図書館で本を借りたのだが、奇妙な現象に出くわしている。手に取ったとき、「やけに汚れた本だなー」と思ったほかは、とりたたて特徴はなかった。
通勤途上の電車の中で読み出して気づいたのだが、「何か挟まってんなー、何だろ、あれ、何も挟まってないや」という事を何度か繰り返した。その後、ふと、短い毛(2日程ヒゲを剃らなかったときに、毛抜きで引っこ抜いたくらいの)がページ番号のあたりで乾燥して「押し毛」となっているのを発見した。何気なく取り去り、「何だろ、床屋ででも読んだんかいな」と思ったが、よく観察すると、なんと、毎ページ毎ページ(ほとんど450ページ分全部)、ページ番号のあたり(本の下隅)に引っ付いているのだ、押し毛が。
いったい何なんだ。気色悪い。
ちなみにその本は杉並区の中央図書館で借りたもので、船戸与一という人の『蟹喰い猿フーガ』という本だ。
何かご存じの方、いらっしゃいましたら、メールください。(「いるわきゃねーよ」ってか?)
やはり、私に日記は似合わないようだ。「週記」くらいが関の山だろうか。
カウンタを相変わらず作成しているのだが、ものの本に従ってカウンタの本体(らしきもの)は一応サーバにのっかった。しかし、そのプログラムを呼び出すと、(懐かしき)syntax errorという文字が表示される。まあ、サーバにプログラムであることが認識されただけでも進歩といえるでしょう。
今日はソフトボール部の練習試合だった。帰宅途上の近所の本屋で、以前発刊された文庫本を買った。消費税が5%になったため、本屋でも1円玉が必要になったことを知った。
この世の中に「絶対」なんてものは無いと、常々思っている私なのですが、「絶対」に「限りなく近い」と思っていることがあります。それは、「モヤシはヒゲ根を取ったほうがうまい。」ということです。
最近、NHK「今日の料理」がお気に入りなのです。その番組中、松居直美とお茶目な女の先生がお勧めするように、試しにモヤシの根を30分ほどかけて取り去り、炒め物にしました。「(確かに)違う。」
ああいった単純作業が苦ではないので、時間がある限りは根っこをとる事にしている私だとさ。
そして、いまでも、「根っことり」は続いている。
保護者会も終わり、「ほっと一息」といった感じであります。たまには更新しようかなーと思い、更新してみました。学校の近くにラジコンのお店ができたようです。授業に必要なモーターを探しに行きましたが、目当てのモーターは見つかりませんでした。しかし、田宮模型の「ラジコンガイドブック」をゲットしました(十数年ぶり:税込み840円)。今は、田宮模型もエンジンRCカーを扱っているのですね。ラジコン好きにはプレイステーションの「マイクロマシーンズ」がおすすめです。ファミコン(青)ディスクシステムの「レースもの」の「F1グランプリ(だっけ?)」を彷彿とさせる、素晴らしいゲーム(洋モノらしい)です。
プレステの「G GENERATION」に、はまっている。
「R4」も良い。
因縁の1999年まで、残すところ20数時間となった。年賀状も書き終わり、煮魚を食っている。
謹賀新年。新年にあたり、予言をする。
DHA・オリゴ糖・キシリトールに続き、今年あたりは「食物連鎖低位の食品(生物?)」が流行ると見た。(どっちかって言うと、「無農薬野菜」の後継ぎにあたるのでしょうが。)
マスメディアがだんだんと、食物連鎖における化学物質の生体濃縮を取り上げるようになっていき、めざとい食品会社が食物連鎖低位の(ダイオキシンやPCB等を比較的含まない)生物を原料とした食品を売り出すに違いない。
それは1月5日朝の出来事でした。
年末に買った新しいオーディオシステム(以下「キカイ」)で、ゴンチチでも聴こうと再生したところ・・・「音が出ん」。そういえば、目覚まし代わりにセットしたはずのタイマーも作動した記憶がない(出勤日でなくて良かった)。「キカイ」は涼しい顔してトラック1の再生時間をカウントしております。
「???。」
確かに設置場所は変えたものの、ケーブルの接続には念には念を入れたはずなのに・・・。
昨日の晩はヘッドホンで聴けたのになーと思い、もう一度ヘッドホンを使おうと思い手に取る・・・
何と、ヘッドホンのプラグが単なる円筒になっているではありませんか!
プラグの先端がもげ、「キカイ」内部に残ってるんかい!!!
--覗いてみる--
見慣れない「楊枝の頭」的物体が御成遊ばしていらっしゃいました。うーむ、侮る無かれ「オー○ィオテクニカ」(まあ、元々ミニプラグのヘッドホンなのですが、実家に帰った際に、添付品の標準プラグへの変換アダプターを鹵獲し、初めて使ってみたのです)。引っ越し当初に買ったラジオペンチを持ち出してみるも、太り気味のため、届かず。マイナスドライバーを2本使って挟みだそうとするも、力足りず。
「しゃーない、学校へ行ってピンセットを取ってくるのもめんどくさいし、細身のラジオペンチを買いに行くかー。この先、パソコンでも自作するときに必要になるかも知れないし。それにうまく(?)いけば、「東京トホホ会」に投稿できるかも知れないしなー。(今思えば、パソコンネタではありませんが、そのときは結構本気で考えました)」
比較用にラジオペンチをジャンパーのポケットに忍ばせ買い物へ。(この辺は「トホホ」的ではない)105円ショップ「ダイソー」に行きました。ノーマルペンチは存在しました。毛抜きもあったのですが、ジャックに入れるには太りすぎのような気がしました。「大丸ピーコック」には、思いっきり同じ形のラジオペンチがありました。(たしか、手持ちのものは西友で買ったのです。)第一家電にはラジオペンチはあったものの、「激やせ」ではなく、手持ちペンチの8割程度の太さでした。また、2500円(ボリすぎ)だったので、2分ほど手持ちのペンチと見比べた後、買うのを止めました。「ここで購入し、そして使えなければ、間違いなく投稿できるな(文壇デビュー)」と思いましたが。青梅街道へ出て、自転車屋を探すも見あたらず、金物屋は営業しておらず、学校近くにオープンした「ラジコン屋」も思い浮かんだものの、営業しているか分からないため、足を運ぶ気にはなれず(歩くにも、帰宅してチャリンコに乗り換えるにも大変)。文房具屋や居酒屋を覗き(半分がたフィクション)、とりあえず、毛抜きでもゲットしようかなーと「ダイソー」へ向かったところ、「ピンセット(先が曲がっているタイプ)」が陳列されていたのです。
「安物っぽくて、力が加えられそうにないなー」と思いましたが、「まあ、100円だからいいか」と。
結果からいうと、何とか引っこ抜けました、「楊枝的物体」。
コツはなるべくピンセットの先端近くを持ち、加えた力がピンセットの弾性変形に使われないようにすることでしょう。まあ、今世紀中(あと700日強)にそんな事態(楊枝的物体)に遭遇するヒトは、世界で18人くらいだとは思いますが。
最近、野球(ソフトボール)はシーズンオフなので、日曜日には家にいることが多い。暖かいときは、しょっちゅう(と、いうか9割5分)練習試合や公式戦を引率し(そして、帰りがけにもう一人の顧問の先生(21歳年上)や卒業生であるところのコーチ(どちらも、かなり酒に強い)、対戦相手の先生(飲む先生の学校へ練習試合に行くことが多い)などと酒を飲んでいる事が多かったりし)ているので、「サザエさん」など、ろくに見る機会が無いのだ。
そんなわけで冬になると、30分間に枠が縮小された「笑点」、復活した「ちびまるこちゃん」に続き、いつの間にかビールを飲みつつ「サザエさん」を鑑賞することが多い。と、ここまで10分ほど執筆・推敲している間に、「サザエさん」は終了してしまった。
「サザエさん」を見ていて思うのは、最近やたら声優が変わるということだ。カツオ君の声が変わったのは昨年のことだったように記憶しているが、そこから立て続けに声優が代わった気がする。
「サザエさん」と言えば、使いまわしの背景・使いまわしのお隣さん(数年ローテ)・時々変わる「ミカワヤ」さんのお兄さん(一発屋)・20年前から変わらない、台詞及び状況説明のテロップ(今思えば時代を先取りしていたのかも知れない)などが特徴であるような気がしていた。が、声優の変化はほとんどなかった気がする。気のせいか?また、新しい友人たちが現れている気がするが、もしかするとその友達たちも使いまわしなのだろうか?「磯野家の謎」・「続磯野家の謎」に続く、「日曜18時半の謎」が出てもいいタイミングの気がする。
更に謎であるのは、「なぜ、これ程までに「磯野家」の変化が気になるのだろう、私は。」ということである。
疲れたので、終わる。続きがあるかも知れないが、無い可能性が高い、過去の日記の文章のように。
私が、私に対して(不安に)思うのは、「なぜ私は「サザエさん」に不変を求めたのだろうか?」ということである。
年寄りは言う「昔は良かった」と。
私は「そんな言葉、吐くまい」と思いながら、十数年生きてきた。しかし、言葉にはしないものの、私の心の中に過去を懐かしむ気持ちが生まれつつあり、それが「磯野家(及び、その雰囲気)の変化への過剰な反応」として表出したのではないかと自己分析している。
現存のTV番組のなかで、私における通算視聴時間が最も長いのは「サザエさん」であるし。
今朝見た、--正確には今朝起きる間際に見ていた--夢はかなり妙な夢だった。
青梅線のとある駅から程近い宴会場だった。その会場(自宅の2階)を提供してくれたのは、大学の後輩として親しくなった松坂大輔クンだった。大学時代の同窓会を久々に開くことになり、20畳ほどの会場には、だんだんと人が集まりつつあった。
(中略)
「なんだか最近、よく見るんだよねー、大学時代の夢。(笑)」
「それも、4年のときの夢で、「この授業を落としたら、卒業できない」ていうパン教の授業が行われる朝、気が付けば8時過ぎ、どう頑張っても遅刻は免れない状況でさー、なおかつ学校へ行くための荷物がまとまらないし、どうしよう・・・・って。」
(中略)
これが新しい「ウメッシュ」かー(ごくごくごく・・・、こんなもの一気したら酔っぱらうなー)。
と、ここで目が覚めた。
「青梅線のとある駅」のルックスは「新小金井街道と中央線の立体交差上の駅」という感じだった、今思えば。駅名は未だ分からない。夢のなかで夢について語っているのが不思議だが、他の同級生が「よお、久しぶり!」という友達に、私は「この前会ったばかりだな。(笑)」と会話を交わしたのもかなり不思議だ。その友達とは、夢の世界ではちょっと(夢の世界で1ヶ月)前に再会していたのだ。実際の世界では、この数年間会っても喋ってもいないのだが。
最後に飲んだ「ウメッシュ」は、レギュラー缶とロング缶の中間の容器に入った、従来品の2倍の度数をもつ新製品だった。一気飲みした後に目が覚めたのであった。
今日は始業式だった。担任を持つようになって3年目。やはり緊張した。明日は入学式。前方よーし。
新学期は忙しい。やっとこさ、洗濯済みのワイシャツにアイロンをかけた。アイロンがけはわりと好きだ。村上春樹の影響が微妙にあるのかも知れないとも思う。
が、スパゲティを茹でるのは別段好きというわけではない。あいらぶ「ごはん」。
賞味期限を4か月と3日過ぎたコンニャクを冷蔵庫野菜室(野菜用深トレイ)の左隅に再発見したので、炒めてみた。そして食らっているが、特に支障はない。
理科的な見地からすると、コンニャクのような傷みにくい食品ほど、賞味期限が曖昧でいい気がする。まあ、スナック菓子なんかは「賞味期限・・年・・月」とか書いてあるし、ビールは「・・月・・旬製造」、牛乳の類は必ず「品質保持期限・・月・・日」とか書いてあるから、それなりに「理科的見地」はグローバル?であるらしい。が、コンニャクの賞味期限が「・・月・・日」てのは、ピンと来ない。
安くて不味い輸入ビールが廃れ、発泡酒がそこそこ売れているのは自然な流れのような気がする。ビールは生鮮品だ。
先ほど、このページを眺めていた。「今日は特に日記のネタも無いなー」と思っていた。
「たまには流しの掃除でもするか」と、ボーっと生ゴミ受け兼下水管内の気体逆流防止器具を洗っていた。ら、手が滑って落とした。ところ、その下にあった箸に接触し、その片割れが「すとん」と排水孔内に消えていった。「この箸の片割れは、私がこのアパートを去ったあとにも存在し続けるのだろう」と思った。
日本酒の一部を冷蔵庫に入れて売っている(ただし、仕入れ直後から冷蔵しているのかどうかは分からぬ)割とよく行く酒屋に行った。レジの横に二毛猫(白黒)が載っていた、置物のように。この猫が床を徘徊しているところは今までも目撃していた。
無駄な(あたかも注意されたがっているかのような)自己主張をする生徒を思い出した。
ここのところ、ちょっと気がかりなコトがある。それは、「メンバーズカード」に関わる問題である。厳密に言うと、「お買いあげ毎にスタンプを押印します。ウン十個でウン百円のお買い物ができます。」という類のカードのことである。
日曜日、白衣と冬物のスーツをクリーニングに出した。通い付けのクリーニング屋発行の「5月31日まで有効」の2割引チケットを使用していないことに気づいたからだ。そして無事2割引で白衣・スーツをクリーニングに出した。それらは本日仕上がりだったのだが、私はそのことを忘れてしまった。恐らく明日回収することだろう。
今日行こうが、明日行こうが、どちらの場合でも問題になるのだが、そのクリーニング店には私にとって苦渋の選択を迫ってくる店なのだ。なぜなら、「仕上がり当日及び翌日にお引き取りくださったお客様には、カードにスタンプを押印します。」というシステムの店であるからだ。
数ヶ月前までは、「当日及び翌日にお引き取りくださったお客様には、チケットをお渡しします。」というシステムだった。チケットを何枚か集めれば、金券として使えるというものだ。これは楽だった。きちんと引き取りに行けば、勝手に向こうがチケットを押しつけてくる。そして勝手にチケットは貯まっていく。
しかし現在は前述のシステム(スタンプ制)になっているのだ。未だに私はポケットにメンバーズカードを忍ばせたまま、店員さんの「カードはお持ちですか?」の声を待ち続けている、その店で。
久々に、ゴキブリに遭遇した。
食器を洗おうと、電灯をつけた。しばらくし、視野の隅にある黒い影に気づいた。蠅叩きもないし、スリッパも届かなそうな隙間だったので、輪ゴムを手に取り、狙いを定めて放った。見事的中した。
私が幼かりし(小学生の)頃、輪ゴムで蠅を狙撃するコトに熱中した時期があった。炬燵の縁にマッチ箱を並べて端から倒していったり、網戸に御座す蠅に対して、蠅叩きを用わず、輪ゴムによりその息の根を止めることに執心した時期があった。
そんな怪しい記憶がドワッと蘇った。そんな世界に浸り続ければ、神戸の「少年A」の先輩になれたかも知れない、と思った。現在のところ、私はそれなりに普通のヒトであるらしい。
瀕死のゴキブリは、私の手にした懐紙から逃げおおせた。しかし、冷蔵庫の端から転落し、冷蔵庫の背面にある「蒸発皿」に落っこちた。じきに昇天なさるであろう。
最近、よく蚊に食われる、特に就寝中。
私の住んでる部屋は、網戸がないのである。窓を閉め切ってクーラー点けりゃ網戸はいらないのだが、クーラーを点けるほどでも無い陽気のトキは、クーラーの冷気よりも自然な風に包まれたくなるのが人情(というか、まともな生物)というものであろう。
夜中に窓を開けているときは、扉一枚隔てた(強烈に狭い)台所の換気扇は点けないでおく。窓の隙間から蚊を吸引しないように。まあ、窓を閉めたら閉めたで、床と壁の隙間から風が入ってくることは知ってるのですが、って欠陥住宅?
今夜は、窓を閉め切り換気扇を点けてみようと思うのでした。
しかし、結局5mmほど窓を開け、右腕1カ所を蚊に刺されたのでした。
明日も保護者会なのでした。
今日はお勤め先の「創立記念日」なのでした。授業もなく、ソフトボール部もお休みにしました。
そんなわけで、一昨日出したクリーニングを引き取りに行き、更にズボン(今はパンツというべきか?)でも買いに行こうかなと思っているのでした。ズボンを買いに行くと毎回気になることがあります。それは、「丈はどれくらいにしますか?」という、店員さんの打診です。自分で丈を決める方が気楽なのだが、場合によっては試着室の外に店員さんが張り付いていて、試着室のカーテンを開けたときには、手にまち針を持っていることがある。
「ちょっと長めがいいですかね?」とか言われることがあるが、そうすると私の頭の中では「この人の頭の中の「長め」とはどれくらいの長さを指すのだ?」と常に疑問が持ち上がってくる。ジーンズ屋やスーツ屋の若いヒトならまだしも、「わたしゃ、長年この西友荻窪店に勤めてるのよ、どりゃ。」というようなお年を召されたカタの場合は特に、「この年齢のヒトビトの思うところの「長め」というのはどのくらい?」とか、疑問に思ってしまう。
大学時代、せっかく買ったリーバイスの501の丈が、妙に短くなってしまったことがあった。「長め」と言ったら本当に長くなってしまい、再び丈を詰め直した白い501(最近は履く機会がない)もあった。チナミに、ここに書いた2つのデキゴトはどちらも「タローズハウス南長崎店」での出来事でした。結局、そのズボンを履くか履かないかは、その「丈」が「しっくりくるかどうか」によるところが大きいと思うのでした。
それから、床屋の「モミアゲはどうしますか?」も、困る。
今日のちょっとした疑問。何故、裁判長の椅子の背もたれは異様にデカいのだろうか?
「恐怖の大王」とは何か、地域振興券・盗聴法案・国旗国歌法案など、絞りかねている今日この頃です。
そこで一首。
試験前 教科書持って 帰宅する ビール飲みだし 問題できず
(8:56記す)
しかし、ホントにしっかり晴れたものです。洗濯機を回しながら、試験問題を作成しております。
最近参加するようになった、ソフトボールの「東京都教員クラブ」の練習試合が予定されていたのですが、雨のため昨日20時過ぎに中止が決定したのです。昨日はしっかりと昼に十一番(学校近くの中華料理屋:お昼にラーメン等を出前してくれる)のチャーハン大盛り、夜にはビールを飲み、大丸ピーコックの「(変にスジっぽい)カツオの叩き」と「エビイカ天丼」を食べたのでした。
デビュー戦に備えて、体づくりとまではいかないまでも、炭水化物をバッチリ摂ってスタミナ不足にならないようにしたのに・・・。
本日の朝食として更にチャーハンを摂取する予定もあったのですが、止めときました。トマトとヨーグルトを食べ、茶を飲みながら試験問題を作成しております、現在。
(12:26記す)
疲れたので、そばを茹でて食べた。ダイコンが眠っていたので「おろしそば」にした。しかし、それは激辛だった。食うのに疲れてしまった。私は今までは1/2カット大根は葉っぱ側を買っていたのだが、その選択は正しかったようだ。大根の先端はおろして食うものではない。
(17:16記す)
何故かポテトチップを食いつつビールを飲んだり、3時間くらい昼寝をしたりして、本日は50点分強くらいしか問題を作成できなかった。木曜日の試験なので、今ひとつ気合いが乗らない。ダビスタ風に言うならば「単走・馬なり」という感じだ。
天文学的には7月9日だが、気分的には7月8日な、今。
ガッコのセンセイの話題に、ちょろっと私のこのページが現れたので、更新しなきゃなと思い、書く。
帰宅途中、喉が渇いたので「きりり(レモン)」を買った、つもりが「キリンレモン」が出てきてびっくりした、さっき(実話)。
以上。
キリンレモンは昨日も相変わらずだった。
「サイエンスアイ」を見ている。私は、科学を教える立場にあるのだが、ここ数年科学は行き詰まっている気がする。サイエンスアイでの話題はそれなりに面白いとも思うが、「科学のための科学」を扱っているだけの気がする。
幼かりし頃のNHKの番組と言えば、「ウルトラアイ」と相場が決まっていた?が、どんな内容だったのかはほとんど覚えていない。たまたま1970年代のウルトラアイのビデオが数本、うちの学校にあったので見たことがある。なかなか面白いものだった。
だからといって、ウルトラアイが優れていて、サイエンスアイが優れていないということは無いだろう。優れている内容だったから、ビデオに保存してあるのだろう。
何にしても、サイエンスアイてのは、変な番組だ。ミョーに大学の教官が出てくる。予算の獲得とかそのへんの力関係にかなり影響を与えるのでは無かろうか。つくっているヒト達は、みんなメガネをかけてそうな気がする。ピチカートファイブの主題歌も怪しげだ。NHKのヒトビトが「私はそれなりに流行を知っているんだ」と言いたいのかとも思う。
なんだかよく分からない文章だ。
最近NHKの受信料を払うのがアホらしいと思うことが多い、この不況もあるし。よほど、「特命リサーチ200X」のほうが面白い。
単に、ウルトラアイを見ることによって得られた、「新鮮な驚き」に対する郷愁があるのは確かだろうが。
今日は初っ端から、大変な一日である。「一日であった」と書かないのは、これから何かあるかも知れないからだ。
3時頃、夢の中でも吐き気を催していた。2時頃にも気分が悪くて目が覚めたのだが、水を飲んでごまかして寝た後なのだった。目を覚まし「しゃーねーな」と思い「おえっ」と吐いた。
前の晩はシメサバと(ワカメの)メカブを食べたのだった、もちろんつまみとして。サバに当たった可能性が高いのかも知れない。が、メカブが汚染されていたとしたら、困る。未だ、半分くらい残っているのだ。その後はそれなりに寝た。
起きて朝ご飯を食べ終え歯を磨いていたところ、手にしていた陶器製のカップが滑った。「やべっ」と思い手を伸ばしたところ、一瞬前に割れたカップの縁に、左手の人差し指を突っ込んでしまった。ちょっと流血沙汰。
幸いながら、本日のうちに試験の採点は終了した。明日までかかるセンセイもいることだろう。明日は答案返却日だけど。
メカブは大丈夫だった。あれ以来、シメサバは買っていない。手を伸ばしたことはあるが。
本日、職場の季節行事である「職員検診」の結果が帰ってきた。尿酸値は年毎に、着々と上昇している。とうとう「9.3」だそうだ。やばいんじゃないかと思わないことも無い。そんなわけで忠告「タンパク質と野菜を多めに摂るように」に従い、「パストラミ(何語?)ビーフ」と「キュウリ・ダイコンおろし・ワカメの酢の物」を食っているのだった。まあ、キュウリもダイコンもハムも、在庫処分という意味がありますが。ハムは賞味期限を8日越えており、キュウリは確か1週間ほど前に買ったものを放りっぱなしだったし、ダイコンは下手すると3週間近く前に買ったものであるような気がする。
料理(というほどでもないが)をつくっていると、食欲が失せてくるような気がするのは何故なのだろうか。
「7月24日までに書いておけ」といわれた「調査書」の原稿、未だ半分しか終わっていない。
ソフトボール部における夏休み前半の練習が終わった。やっぱり練習すれば練習するだけ、上手になるものなのだと思った。
この数日、正確には8月1日(日)・4日(水)の2回、食べ物にアタッた。1日の「嘔吐ゲン」は昨年に買ったまま放っておいたインスタント冷やし中華のスープであったようだ。ただ、いっしょに食したキュウリも怪しい気がした。4日はトマト・トマトジュース・牛乳・オレンジジュースを二日酔い明けの朝食として飲んだときに起こったのだった。そんなわけで4日の夜、冷蔵庫の除菌を敢行した、消毒用アルコールで。
酒以外のアルコールを初めて買ったのだった。
精密検査?に行ってきた。尿酸値は採血を行っただけだが、ちょっと丁寧に胃のレントゲンを撮ってきた。そのときの会話の一部。
看護婦さん(以下看):「朝食は摂ってませんね?」
私:「はい」
看:「昨日はお酒は飲みましたか」
私:「はい」
看:「どれくらいですか?」
私:(ホントは1.9リットルほどビールを飲んだんだよね、500ml缶1本と350ml缶4本。キチンと数えながら飲んだから間違いない。だけど、正確に答えてしまうのも、相手を驚かせ怒らせてしまうかも知れないなあ。:以上恐らく2秒弱の間に考えたこと)「はあ、ビールをちょっと。」
看:「そうですか。」
ということで、受診はつつがなく終了した。結果の届く3週間後が楽しみだ。
テレビを見ていたら、クワガタハンターの話題を扱っていた。何でも、奄美大島あたりまで出かけて、クワガタを捕ってくるそうな。私は以前、6年ほど茨城に住んでいた。クワガタを捕まえて遊ぶこともあったが、ミヤマクワガタやオオクワガタを捕まえて売ると、結構なお金がもらえるという「うわさ」があった。私が捕まえられるのは、せいぜいコクワガタかノコギリクワガタあたりで、オオクワガタなどお目にかかったことはなかった。
最近、「クワガタブーム?」の話題をよく見る。オオクワガタなどは数百万から一千万円もするものもあるらしい。まあ、この世は自由経済社会であるので、需要と供給の関係で価格はいくらでもつり上がるものであると思う。結局、世の中のほとんどの部分はお金に関わってくるのだなあと思う。
プレステの「エースコンバット3」は面白い。このシリーズは最初から購入しているが、「3」の最初の印象は「何だかムービーが多くて、うざったいなあ。」というものだった。ので、あまりプレイせずに放っておいた。ここのところ、割と暇だったので何となくプレイを再開したところ、「なかなか、面白いなあ。」と認識を改めた。飛行機操縦時の操作性や画面とかは、さすがに今までのシリーズで最も良い。加えて、後ろに流れているストーリーもなかなか良くできている。小学生がその内容を理解できるかどうかは疑問が残るが、単なる「戦争ゲーム」に終わらず、殺し合い(私も体験したこと無いけど)の虚しさを伝えようとする気概が感じられる。まあ、自分の飛行機は相手の飛行機を百数十機くらい打ち落とすから、少なくともそれくらいのバーチャル殺人はしていて、なおかつその痛みが感じられないのは今までのシリーズと同じですが。そして、私も数百機撃墜したわけだし、偉そうなことは言えないが。
しかし、何でここへ来て「戦争の準備をしている」かのような法律が次々に成立するのであろうか?戦争をすると儲かるヒトが居るのは確かだろうが、自分は兵器産業に関わっているわけでもないので、戦争はいらないなあと思うのだった。
「エースコンバット3」、一昨日終了す、というか一通りのシナリオを閲覧した。エンディングでは「お疲れ様でした。さあ、君は自分の人生を頑張りなさい。」と言われた。そんな感じのメッセージを伝えるゲームがだんだん増えている気がする。私が遊んだことがあるテレビゲームの中では、今回が一番強烈だったように思う。「どーんなヒトが作ってんのかなー?」なんて、思ってしまった。
「きりり」レモンは相変わらず買えない。もう10本近く「キリンレモン」を買った。
まだ、尿酸値の結果を書いていなかった。「9.7」だった。検査前日の1.9リットルが効いたらしいことを、後になって知る。ビールは尿酸の素(プリン体というらしい)を多く含んでいるそうな。来年の定期検診の前日に飲むのは焼酎にしておくことを心に誓った私だった。
明日から、職場の学園祭である。ここ4年ほど、学園祭の担当教員に名を連ねている。が、飽きることはない気がする。お祭りはよい。
今日、生まれて初めて「ワイシャツ」6つをクリーニングに出した。
スーツその他はクリーニングに出すしかない(と思っている)が、シャツは洗濯機で洗ってアイロンをかければ何とかなるので、今まではずーっと自分でアイロンがけを行っていた。1枚あたり190円だそうな。妥当な値段だとしか言いようがない。
ずーっと昔、中学生の頃、クリーニング屋から帰ってきたワイシャツの仕上がりが余り良くなかった印象(変な中学生!)から、ワイシャツは「自分でプレス」をモットーに生きてきた。なんちゅーモットーだ?。洗濯(襟は風呂場でもみ洗い)には2分くらいかかるし、アイロンがけには10分弱かかる。と、1枚あたり10分は時間をかけていることになるだろう。クリーニング代はワイシャツ6枚で1140円。自分でワイシャツ6枚を洗濯・整形するのも約1時間。学生時代にやった「つぼ八」のバイトは時給1000円だった。そんなことから考えても、ホントに妥当だと思う。
なぁんて計算をしてみるが、自分の正業の時給は計算したことがない。時給の面で言えば空しくなりそうだから。「やりがい」という面があるので良いのです、はい。
キンモクセイが香りだした。確かに、平年よりは遅い気がする。
靴の中のゴキブリを生きたまま奥へ押し込めた。気分のいいものではない。
帰宅途上気づいた、「お月さまがきれいだなー」と。そこでチャリンコ上で(さらに)気づいたのは、「お日さま・お月さま・お星さま」とはいうが、「お地さま」とか言わないなあ、と。「母なる大地」とか言う(歌う)ことがあるが、「地球さま」という表現に遭遇したことはない。空は「おそら」というが、海は「おうみ」と言わない気がする。
で?
今日、おもろいなあ(不謹慎かも知れないが)と思ったのは、「地下鉄サリン事件の被害者の妹であるところの千葉に住まう女子大生の『オウムに拉致された』という証言は狂言だった。」というニュースだ。「オウムに拉致された女子大生がいる」という報道があった直後、オウムのヒトビトが「私たちは関係ない」と記者会見したのを覚えている。私は(報道関係のヒトビトと同じく?)「なーに言ってんだ!」と思った。しかし、オウムはその点においては嘘をついていなかったのだ。
思いこみは恐ろしい。
今日面白かったことの一つに、「私のこのページは有害かも知れない」という判断が下されたというコトがあります。最近、お勤め先のコンピューター環境が著しく改善されたので、生徒の使用を前提として「フィルタリングソフト」を導入しつつあるのです。そんでもって、この日記群は全面的に表示されなかったのです。こうやって、文章を記していること自体が、何かいけないコトをしているような・・・。
小、中学校時代の同級生の結婚式の二次会に行った。ここ10年前後会わなかったヒトビトと出会い、様々な記憶が蘇った。その頃はそれなりに様々な苦労があったのだなあと、思った。思い出さされた。思い出させた。
歳をとったなあと思うと同時に、若かりし頃の緊張感?を思い出した。ということは、やはり歳をとったということに他ならない。
今まで見たこともない現象に遭遇した。石鹸が立ったのだ。
「茶柱」程度なら数十回見たことがあるし、卵を立てたことも数回あるが、石鹸が立っているのは初めて見た。ツルッと手から滑った石鹸が、ユニットバスの洗面台の縁に「トッ」と当たったと思ったら、止まっていた。しかも、しっかり短辺を底辺として。さらに、シャワーの湯を当てても倒れなかった。
何故かは分からぬが、ちょっと感動したのだった。
電子機器について、新年になって気づいたことが2つあった。
1つめは、ケータイ電話のアンテナが減った(電波の状況が悪化した)ということで、2つめはパソコンから一部音が出なくなったということだ。
1つめの問題については、J-PHONEのページに書き込みをしたところ、いつの間にか画期的に状況が改善された、3時間程度で。たまたまかも知れないし、何らかの手だてを講じてくれたのかも知れない。調べようがないので分からないけど。
2つめの問題は自分に非があった。「ポスペ」の猫を幾ら撫でても、「シャカシャカ」といわないので、「すわ、2000年問題か?」と思ったのだが、よくよく調べてみると、いつの間にか「サウンド」の設定が「OFF」になっていたのだった。
思いこみは恐ろしいものだと、改めて思った。
ノストラダムスも、Y2Kも起こらなかった現在、私は何に怯えていけばいいのだろう!なんて思わないでもないような気がしないでもない、かもな。
年末からTV(正確にはモニター)の調子が悪く、無事に2000年を迎えたので、テレビを買った。しかし7日まで届かないので、もっぱらラジオを聴いて過ごす年始なのだった。
TVはtelevisionの略だというのは周知の事実(?)だが、それは「tele(研究社英和中辞典(正確にはジャストシステムのドクターマウス)曰く > 「遠い」の意)のvisionを出すキカイ」という意味だというのは分かる。で、ふと疑問に思ったのは「telephone」という言葉の由来だ。試しに「phone」だけ調べると、「電話」関係の意味しかでてこない。大体「電話」は離れたところでしか使えないではないか。「フォン」のほんとの意味は何なのだ?(洒落である、一応。)
まあ、もっと巨大な辞典で調べれば分かるのであろうが、あいにく手元には「ドクターマウス」しかいない。チナミにこのソフトは結構使える。データベースソフト「五郎」は使おうとすら思ったこともないが、この「辞書引きソフト」は使えると思う、私は。
暇なので料理くらいしかするコトが無く、今日は「アサリの酒蒸し」を作ることにした。「アサリの酒蒸し」なんて「料理」と言えないかも知れないが。
「crazy salt:クレイジーソルト」は何かにつけ「使える」調味料入り塩だ。大学時代の友人に教わったものである。結構、愛用者に出会うことも多い。
でもって、本題は何かというと、本日使った油が「アヤしかった」ということなのだ。一人暮らしを始めた2年ちょい前に購入した本「non-noセンスアップパスタ料理」に従って「ガーリックオイル」を作ったのは、やはり2年ちょい前のことだ。その本曰く「3ヶ月はもちます」ということだが、優にその8倍以上の年月を経ているのだ。
最初の頃はやたらと「ペペロンチーノ」とか、日本固有のスパゲティ「ナポリタン」を作成し、その「ガーリックオイル」を消費したのだが、根が日本生まれ・日本育ちなもので、到底消費しきれなかった。大体、1リットル作ったのが間違いのモトなのは、その最初の3ヶ月で気づきはしたのですけどね。
1回目の冬にはオリーブ油も凝固することを知りました。この2回目の冬の今日、気がつけば油の中に謎の「コロニー」が生じていたのです(直径1mm程度、百数十個くらい)。容器は密封できるものを使用しているつもりなので、「嫌気性」の生物なのでしょうか?「ボツリヌス菌」で無いことを祈りつつ。
NHK「手話ニュース」の「イカしたモミアゲのおじさん」の名前が「丸山さん」だということがわかった。
「ようこそ先輩」って、結構好きな番組であります。まあ、NHKの番組だから、かなり予定調和的であるけれども、教育というものの原点を見られる気がするので。
本日で、カウンタ稼働1周年なのですな。
ここ数日、「Free BSD」とやらを、ガッコの半御用済みパソコン「PC-9821Ap2」で修行しているのであります。日々進歩している気がして楽しいっす。結局今のカウンタは、感謝しつつリムネットの既製品を使っているのですが、もう少し修行して、このページもイカしたものにしたいなあと思うだけ思っていたりして。
最近、だんだんとパソコンを購入するセンセイが周囲に増えてきて、嬉しがって自分のメールアドレスを教えたりするのです。そして、私のアドレス「ariori」の由来を尋ねられることもあったりします。
このリムネットに入会するときは、自分の名前とかで入会しようとしたように記憶していますが、リムネットの「東京第2ドメイン(kt)」ではそれらのアカウントの人たちがいたらしく、取得できなかったのでした。
「あり」「をり」とは「ラ行変格活用」の動詞であり、高校時代「ありをりはべりいまそが(か)り」と教え込まれたヤツらの一部であるはずです。
何故「ラ変」か?
大学時代に私が錯乱しかけた(していた)とき、「自分はなぜ存在するのか?」とかなり真剣に考えました。たどり着いたのは「自分がここに在ること自体が重要なのだ!」というコト。
「そうか、「ラ変」の動詞は最も意味がある動詞たちなのだー!」と勝手に思った気がします。
私は買ってはいませんが、五木寛之の『人生の目的』という本の広告には
この「生きる」「生きつづけている」というところに、私は人間の最大の意味を感じるのだ。-本文より
なんてあったりする。
で?
約2週間後に卒業する(予定の)ヒトビトの卒業文集が出来上がり(といっても勝手に出来上がったわけで無い、もちろん)、半分ほど読破した。友達礼賛の文章が多い。チナミに、「礼賛」は「れいさん」だと思っていた、さっきまで。「らいさん」だと生まれて初めて知った、「ATOK」と「ドクターマウス」のおかげで。
高校3年間てのは、私にとってはかなり重要な友人達を得られた時期であると思う。まあ、誰でもそうなのでありましょうが。
多分、卒業文集ができて一番真面目に読んでいるのは、書いた本人ではなくそのヒトビトに関わった教員達なのであろうと、センセエになり初めて卒業生を送り出す立場になって思った(気づいた?)。
自分が小・中学生のときは卒業文集の原稿を書いたような気もするが、しばらく読んでいない。
確か先週、ベイダー倒した。
数ヶ月前に何となく買ったKRAFT社の「ブルーチーズ」は、最初カビ臭さ?が気になったが、慣れはじめた今は旨味が強すぎるように感じる。納豆のほうがうまい、というか何回でも食える。
無事卒業式も終わり、私の身体の細胞の2割方が「真っ白な灰」となっているような気がしますが、日記を書けるくらいに恢復しました。
「男は人前では泣いてはいけない」と何となく思っているので、人前でモロに泣いた記憶があるのは数回です。
その1:小6のときの爺さんの葬儀(このときになんだか「泣くこと」の恥ずかしさを感じた気がする)
その2:1992年大学3年春休みの「伸歩会(歩いて旅するサークル)」の合宿最終日前日(その前数ヶ月壊れかけていて、そのとき何故か「真っ白な灰」となってしまい、その後数ヶ月壊れていた。恢復中に錯乱気味で迎えた中学校教育実習では評価「C」を頂いた。)
その3:昨年の夏、ソフトボール部の3年生の引退時(不覚にも久々に泣いてしまった)
そして今回の卒業式なのです。
素晴らしい「送辞」「答辞」を聞くうちにこの3年間の様々なことが思い出され泣けてきたのですが、涙も収まりかけ「蛍の光」を歌っている途中に、昨年の春死んでしまった高校の同級生を不意に思いだし、「(自分たちが高校を卒業した)11年前にいた、あいつはもう居ないのだ。」と再確認し、ついでに泣いてしまったのであります。私の涙自体は外から見れば、どの滴も変わらなく見えるでありましょうが、卒業生のみなさんや保護者の方々や、死んだセリザワにも悪い気がしたので告白しておきます、なんとなく。
かすみ草と球状星団は似ている。
1年4ヶ月程かかったが、「マイクロマシーンズ」で一通り優勝した、昨日。「グランツーリスモ2」は一回だけ起動したが、やはりピンと来ない。
そんな私が明日あたりに買わなければいけないものは、牛乳・ビール・焼き海苔・豆腐・油揚げ・レトルトカレー・野菜いろいろ、てなとこだろうか。
20日前の卒業式に際して頂いた花々は微かに生きながらえている。水だけで20日も生きているなんてスゲーもんだと思う。まあ、「水切り」したってのもあるでしょうが。
どういう状態が「生」であり、どういう状態が「死」か?あるいは、生も死も一続きかも知れないとも思うし、「脳」死とはなんぞや?とか言ったりしはじめると、話はどんどん複雑になっていくのでありますが、とりあえず「水切り」なんて技は「花を活ける」という作業に触れなきゃ知らないことでありましょう。
ここ数年、「生け花」とか「盆栽」、「剪定」てのは何なのかなあと思っているところもあったりします。盆栽、剪定はまだしも、「生け花」ってのはかなり「バブル」な道楽なのでしょう。
しかし、もらった花束は、可能な限り生かしておきたいと思い、その手段としてはバアさんあたりに教わったような気もする「水切り」がかなり有効であるコトも事実であります。
大リーグの試合を見ながらビールを飲むなんて、アメリカのオッさんになったような気がして嬉しい。正確にはメジャーリーグらしいが、「巨人の星」だ何だかんだの刷り込みにより、「大リーグ」の方がピンとくるのであった。ソーサもその他のヒト達も、打った後に滑ってコケていた。ホームベース近辺の土の質が本場アメリカとは違うのかも知れない。
その中継を見ていて思うのは「いったいあいつら何なんだ?」ということだ。「あいつら」とはフラッシュを焚いてるヒト達だ。サッカー場や野球場や陸上競技場、あるいはゴルフ場でフラッシュを焚くヒトビトも然り。彼らに対して思うのは、「ちゃんとカメラの設定をしておけよ、バーカ。集中している(ハズの)プレイヤーに失礼だろうが。」というコトだ。まあ、フラッシュで影響される場面はほとんど無いのかも知れないが。
勝手にフラッシュが点灯するコンパクトカメラで遙か彼方の「サミーソーサ」を写真を撮って何になるのか知らないが、「馬鹿か?」と思ってしまう。フラッシュなんて、数メートル先を明るくするためのものだろうに。まあ、馬鹿がいっぱい居れば、他の馬鹿のフラッシュの反射光が、馬鹿な自分のカメラに捕らえられるかも知れないから、馬鹿が集まれば少し効果があるのかも知れないが、そんなこと、馬鹿な彼らは知る由もあるまい。
今、バッターボックスの土の質についての話があった。2回の攻撃が終了したようだ。
しかし、見知らぬ他人を馬鹿呼ばわりしている自分が、無駄な作業をしている「馬鹿」なのかも知れません。
4月8日は大変疲れたので、4月9日にノートパソコンを衝動買い?した。その日は高体連のソフトボール部会の総会があり、その後、他のガッコのセンセイ方と昼間からビールを飲んだのだが、是非とも浪費をしたかったので、2次会?には参加せず、ヨドバシカメラに出向き、レッツノートを買ったのであった。
最初はVAIOに狙いをつけたのだが、あいにく品切れであった。次に目に付いたレッツノートはレジ後ろのラックにたくさん並んでいたのを確認した上で、「このパソコンがほしいんですけど・・・」と店内巡回のヒトに打診してみた。
カードで買おうとしたのだが、人物チェック?にミョーに時間がかかった。酔っぱらいだったから、時間感覚は定かではないが、数分間かかったような気がする。
カードは「サクッ」と使えるところに格好良さというか存在意義があると思うのだが、ちょっと印象が悪かった。DCカードもヨドバシカメラも、印象悪いぞ。ヒトのカードの番号を電話で伝えるなっツーの。
と、ここまで書いて、だんだん頭に来た(というか、不安に感じて来た)ので、DCカードとヨドバシカメラに苦情メールを送ってやろうと思った。
最近、水虫が凄まじいコトになっている。そんなに、カビを飼っておこうという気はないのだが、この冬にかなり増殖した。ここ2、3年指のすき間が裂けてしまうことがあったりしたが、現在は指先などに留まらず、土踏まずまでもが侵蝕されている。
「病は気から」が信条?である私としては、気合いで水虫を撃退したいのだが、なかなかそうもいかないようだ。とりあえず、普段の履き物を靴からサンダルにしてみた。本当は裸足がいいような気もするが、理科室を裸足で歩くのは余りにも危険であるし、地震でも起こった場合を考えると、とてもそんなことはできない。
以前、小学生だか中学生の頃、アトピー性皮膚炎だかなんだか知らないが、頭皮に何かが住み着き、しばらく塗り薬を使用していた頃がある。いつの間にか、というか親に薬を塗ってもらい続けた結果、その湿疹?は消失したし、今回もそのうち改善されるかなあと思っている。ただし今回は薬には頼らないつもりなのだ。
しかし、サンダルに替えても「そこはかとなく香る」ってのはちょっとイヤだ、自分の足(に棲む輩達の仕業)ながら。
いよいよ日常生活に支障を来すようになってきた「水虫」。具体的には、「ピリッ」と裂け「イテッ」と思う機会が増してきたくらいなのですけど。茶に足を浸すという「お茶療法」を始めて2日目の今日。
帰宅し風呂に入った後、ビールを飲みながら新聞を読みつつ、洗面器の粉茶に足を浸した。そしてかれこれ2時間弱。足が茶漬けになっている。
東急ストア阿佐ヶ谷店には安い粉茶がなかったので、40g500円の「手軽にカテキン」という名の粉末を購入した。もちろん飲用である。
「緑茶」は「緑茶」で良いじゃないかと思う、ある程度自然科学を勉強した私なのであった。
宗教と詐欺の境界は何処?
ヒトは何らかの宗教-例えば国家-の信者に過ぎないのではないか?
私はその宗教に守られた教師という職業のもと、勝手に喋る。
宗教と詐欺の境界は無い。
正気と狂気の境界は無い。
存在するのは自分の意識。
ソフトボール部の試合も雨天順延となり、昨日までの高1移動教室の疲れを癒せた日曜日でした。
移動教室最終日である昨日から、肩の筋肉痛を覚えていたのです。「何故かなー、運動といえばチャリンコに乗っただけだし・・・。」と考えていたのですが、思い出しました。大縄跳びをしたのです。
考えれば、「一昨日、縄跳びの縄を回して筋肉痛になった」なんてヒトは、世の中に数人いれば多い方でしょう。もしかすると、私だけかも知れない。
大縄跳びは楽しい。それほど難しくなく、何となく連帯感が生じるし。
「モナザイト」が何かと言うよりも、「モナザイト報道」のあり方が疑問に感じられる今日、帰宅途上に道路の白線を外れないようにチャリンコに乗っていたら、辞世の句を思いついた。
出たかった びっくり日本新記録
今日はかなり真面目に休日を過ごしている。
厚手の布団を一応干した後、押入にしまった。洗濯をして、物干しにつるした。テレビ・ビデオ・オーディオの載ったラックを組み直した。そのうち購入するであろう『PS2』の置き場所確保のためである。その後、フローリングの拭き掃除をした。おっそろしく、タンパク質の小片が落ちていた。「小片」とは白癬菌の餌食となり、私の本体から別れを告げた元皮膚達である。洗濯して乾かしてあったシャツにアイロンをかけた。選挙の投票に行った。そして日記を更新している。
「プレイステーション2」、買おうか、買うまいか迷っている今日この頃なのである。まあ、いつかは買うに違いないのですが、今買っても遊ぶヒマがないのが分かっているので。
今年も硫酸バリウム入りうんこが流れない。あんなに金属を飲んで良いのだろうか?と思う。明日は終業式らしい。
初めて2000円札を手にした。「松屋」阿佐ヶ谷店でGetした、両替で。
改めて「何のために作られたのだろう?」と思った。
「チキン定食」が無くなって久しい。「牛カルビ定食」は一度食ったが、油っぽすぎる気がした。が、慣れてしまえば何とかなるかも知れない、「ドクターペッパー」のように。
学校で「地学」を教えており、天体望遠鏡を是非ともゲットしなければッ、何故なら現有の望遠鏡は「チョー古い」且つ「昨年の引っ越しに伴って、架台行方不明(というか、捨ててしまった気が・・・)」だからだ!
拙者は「アキバ」の「望遠鏡ショップ」で参考書籍を購入後、いつの間にやら出現した万世橋横の「Laox」に侵入!。そこで見たのが「ネットワークウォークマンNW-E3」!!!。疲れたので、文体を元に戻す。
メディア(フラッシュメモリー)内蔵型の「MP3」ではなく、「ATRAC3」プレーヤーを見たのだった。ちょうど、MDも持ってないし「買うならコレかな」と。ただ問題なのは、私が普段から音楽漬けでなくても構わないヒトであることなのですな。酒浸りだけど。
ペルーのフジモリ大統領、人相が悪くなったような気がした。
自分の人相の変化はよく分からないが、一昨日、昨日と久々に実家に帰ったときに、たまたま目にした「幼い頃」の写真に比べると確実に老けている。自分のことなので『相』が悪くなったのかどうかは判別できない。悪くなっていないつもり。
「教育改革国民会議(誰それ?)」言うところの「奉仕活動」が強制されたら、その活動は「奉仕」とは言えないだろう。
と、ここまで書いたものの『岩波国語辞典』で調べたら、「奉仕:(1) 国家・社会や目上の者などのために、私心を捨てて力を尽くすこと。「勤労―」」ということらしい。今までは「奉仕=ボランティア」と漠然と思っていたが、辞書が正し(?)ければ、「奉仕」は「volunteer」ではなく、「走狗」となることであるらしい。
てなことで、「なんとか会議」の言いたいことはさらにハッキリした。
私に言わせれば、単なる戦中世代のノスタルジアに過ぎない。
チナミに、私は10年近く前に教員免許を取得したが、「ボランティア活動」が必須となる前で良かったと心底思っている。今思えば、教育実習の担当教諭にも存分に迷惑をかけたし。
本日は文化祭の初日である。時計では土曜日だが、金曜深夜に記している。文化祭てのはいいですなぁ。非日常。
前回の日記には「ましてや、ボランティア活動など・・・。」と続くところを省略している。ボランティアとは「何ぞや?」という気もするのですな。家族や友人と仲良く暮らし、職場のヒトビトや近所のヒトビトとも良好な関係を築いているヒトが、ボランティアをするなら良いような気がするのだが、現実はどうなのだろうか? とりあえず、私は身近な人と仲良く過ごしたいと思いながら日々生きている。そういった優しさが繋がっていけば、世界中幸福になるはずだ。理想論だけど。
もちろん私は「モノゴゴロ」ついてから募金をしていない。「『見知らぬ困っているヒト』を助けようと企画している見知らぬヒト」の手下たち(駅前で声を枯らしている、お疲れさま。)にお金を渡すという行為はしない。無視無視。声を枯らしている彼らには悪いが、どうしても「エネルギーの浪費」という気がする。青春だねぇ。貧困に陥っている国には何らかの原因があるはずだと思うので、ジャパンマネー(?)によってその国に暮らすヒトビトを助ける、ってのは対症療法に過ぎないと思う。例えば「ユニクロ」の服を着ることや、エビの天ぷらを食うこと自体が搾取に当たっているのかも知れないし。
国内においても「助け合い運動」とかあったりするけど、私から奪い取った税金を回せばいいだけだと思う。
てことで、夜が明ければ2日間の浪費活動が始まるのですな。
ソフトボールネタ?が続くのですが、誰か私のユニフォーム知りませんか?盗まれたのです、昨年。
約1年間「犯人」を泳がせていたのですが、全然見つからないため、あえて全世界への公開捜査に乗り出すのです、今日。
紺色(メッシュ)のユニフォームに赤い布(文字部分)が白い糸の刺繍で縫いつけられています。右胸と背中に「13」と番号があり、左胸にはチームのマーク(TとCをかたどっているように見える)、半袖の左袖口に「TOKYO」の文字(これは赤い糸で刺繍)。
「東京都教員クラブ」で初めて使用した翌朝、洗濯して干しておいたところ、夕方にはハンガーと洗濯ばさみだけ残ってたのであります。悲しかった。
何かご存じでしたら、連絡お願いします。チナミに、「押し毛」問題も未解決です。情報お寄せください。
よっぱらててれびにゅーすおみると、からみたくなてきて、こまります。
今日は妙にいろいろあったッスよ。
- 今日の午前中、フトこのページを見てみれば、カウンタは「1001」を示していた。祝1000カウント。と、言ってもその種は自分が蒔いていたとも言えるのですけどもね。学校で教えている「情報」の一部で「ほめぱげ」づくりをしているので、その「見本」の一部にこのページへのリンクがひっそりと佇んでいるのも一因でしょう。
- 昨年卒業したオシエゴ(浪人生)がやってきた。まぁ、頑張ってくれ。
- 車に轢かれかけた。チャリンコに乗っていたこっちは、信号を守っていたし、ライトもつけていたのであるが、丁字路(南阿佐ヶ谷駅前)で車にはねられそうになった。その一瞬のうちに「怪我して学校休む自分」が思い浮かんだ。幸い、自分も向こうもブレーキを踏み、轢かれ損なった。「事故り」懐かしいねぇ。
- 昨年卒業したオシエゴ(この氷河期に就職できたヒト)とすれ違った。向こうは歩き、こっちはチャリンコ。私も向こうもすれ違った後に気づき、それぞれ振り向きざまに10m以上離れて「ちわっ」と挨拶、夜だってのに。付近にいたヒトは何事かと思ったことだろう。
これらのデキゴトの途中にもう一つ何かあった気がしたが、忘れた。
水虫は大分改善された。皮膚が裂ける気配は全くない。何が良かったのでしょうか?
まあ、今現在も烏龍茶パック(烏龍茶はサントリーのコト)の出涸らしに足を浸しながら執筆(打鍵)しているのですが。でも、効いたのかどうかはよく分かりません。本当は、片一方の足だけ「茶漬け」にして、もう一方の足は素のまま置いておけば良かったのですが、私もそこまで科学的(実験マニア)ではないのです、残念ながら。サンダル履きが良かったのかも知れません。しかし、片足だけサンダルにしたわけではないので、これも定かではありません。
また、要因の一つとして考えられるのが、足を化学洗剤から遠ざけたということです。ワイシャツを洗う際、以前はバスタブの湯に溶かした粉末化学洗剤に浸して置いてそれらを足で踏みつけつつ、その襟元どうしをごしごし摩擦していたのですが、その際に使用する洗剤も固形石鹸に変更しました。てことで、結局原因は分からないのですな。
今度は痔をどうにかしたい。直腸癌だったら困るけど。チナミに、職員検診の(癌細胞検出用)検便はここ3年くらいやってますので、もし私がガンだった場合は訴訟を起こしたいと思っています。更にチナミに、痛風の発病はまだです。痛風についても結構調べたのですが、尿酸値の「危険値」ってのは「尿酸の水への溶解度」から算出されているらしいのですナ。水と血液は根本的に違うと思うので、とことん薬を飲まずに行こうと思っている次第であります。一生涯薬を買い続けて飲み続けるなんて、性に合わない。
話は戻りますが、茶ってのはそれなりに値段通りの味となる気がします、ただし私が購入する「ウン百グラム数百円」の範囲において。水出しの茶は「茶」の飲みごたえが今ひとつ無いような気がします。
買って来ちゃいました、まずはケース・マザーボード・CPU・OS(windows2000)を。
どうも私の場合、この時期(年末)はシゴトが無くなり、ヒマになってきて散財する傾向があるようであります。一昨年はオーディオシステム・昨年はテレビを購入しましたし。チナミに「シゴトが無い」ってのは「部活動(私の場合はソフトボール部)の指導すら無い」という意味であります。さらにチナミに私のお勤め先のセンセイと生徒達は、その所属している部活動によっては年中無休であることもあるようです。凄い。
ソフトボールは野球から派生したスポーツであり、野球はシーズンオフだから、ソフトボールも完全に休むのです。・・・・・・と、私は解釈している。寒いとボールが硬くて痛いんですよね。硬式のソフトボールならそれほど変わらないのかも知れませんが、ゴムボールは捕球感が違います。硬式のソフトボールってのは、大学や実業団やオリンピックとかで使う革張りの硬い球であり、高校以下や「草ソフト」はゴム製の(軟式?)ソフトボールを使うのですね。ソフトボールは複雑な生い立ちを持っているスポーツでありますが、やってみると結構面白いスポーツだと思います。少なくとも、軟式野球よりはボールの動きからキビキビしていて面白いでしょう。
そんな私は『ソフィーの世界』を読了していないことを気に病んでいる。
今日初めて遭遇したのは、「新聞の誤字」である。「私の汗で政界工作とは」という見出しの写真付きの記事@朝日新聞東京本社発行2001年2月7日朝刊14版第1面。
その本文には、
<前略>KSD会員(五九)は、『自民党がたかってKSDを食い物にした。腹立たしい。会費が余っているなら、保証を充実したり福利厚生に回したりしてほしい』と話した。
って書いてある。私は、「保証」ではなくて「保障」が正しいのではないかと思った。
そして、ついでに記事の内容について考えてみた。誤字がなければ、私はここまで真面目に読まなかったケド。
で、「企業経営者が(KSDに)保障を求める」ってのがなんだかピンと来ない。業を起こすってコトはそのリスクを負うってコトだと思うし。そして「KSD会員」ってことは中小企業経営者の皆さんってコトで、もしかすると異国からの労働力の恩恵に与った人がいるかもしれないけど、そんな世渡り上手はデモには加わらないでしょうなってコト。
「(うまい)汁は吸え吸え、あるならば」って感じでしょうか?
誤字で思い出すのは今は亡き『Oh!PC』であります。
好むと好まざるとに関わらず、役人や議員(あるいは教員)ってのは何らかの形で関わらざるを得ない、世話にならざるを得ない、というより賃金を払ってやらざるを得ない存在である。また、ある種の企業-銀行やゼネコンなど-もそうであろう。
そんな私が信じられない、関わりなくない存在は「証券会社」である。株でもうけたいなら、ヒト(顧客)のカネを使って手数料を取るよりも、自前のカネで株券をあつかった方が利益がデカいはずだろうに、なんでそんな商売が成り立つのか未だに分からない。すんげー胡散臭い。株価がいくら下がろうと、私には関係ないと思う、今のところ。そして、株価に一喜一憂するようなヒトになるつもりはない。ゴルフをせず、タバコを吸わないヒトであろうとするくらいに。
勤務先(高校)の修学旅行が行われている。「花の巴里」でございまする。私は九州の修学旅行がいいと思ったし、学校の会議でも主張し続けたつもりだったが、決まったものはしょうがない。「アタックチャンス」「その狙い目は?」「パリ挑戦権獲得!」「その人物の名は!?」で私の頭の中では「エールフランスで行くパリの旅」ってことで、パリといえば「アタック25」だったのだが、アタック25の商品はいつの間にかパリからアメリカになったのね。
私が胡散臭いと思うのは「自民党の若手議員」というヤツだ。それに輪をかけて胡散臭いのが「『そいつら』に期待する(したい)」と宣う輩だ。そんな「センセイ(ほめ言葉?)」や「ヤカラ」って本当にいるのかしら?
自民党に存在していること自体が「老人の証」である気がするし、そんな老人(利権依存者)に期待するくらいだったら、他の政党に投票するコトのほうが法律上は健康的な気がする。
「政党名でも個人名でも大丈夫」っていう選挙の方式が通っちゃったのはしょうがない。選挙監理委員(見たこと無いッス)がんばれよ、とナ。
CPUはクソ速くなりHDDはとてもとても使い切れない昨今だがレトロなメディアである新聞ですらとても読み切れないコトもありそんなパソコンのメカニカルな部分の技術開発をしているヒトってのは無力感に囚われやしないだろうかと心配。
高校の卒業式。とりあえず涙をこらえた。泣き癖がついてもまずいし。
今朝、ガスが出なかった。「おなら」ではなく「都市(13A)」のほう。
家賃を払い忘れていたからかと最初は思ったが、東京ガスに電話したところ「そういう操作はしていない」とのことだった。まあ当たり前である、東京ガスには契約通りの支払いをしているし。
結局のところ「メーターの電池が切れた」とのことだった。ホントかどうかは分からないけどね。家賃の滞納(昨日「フドーサンヤ」から電話で知らされた)という契約違反をした以上、これからはその不動産屋(杉山商事@阿佐ヶ谷)に強い態度で臨めなくなってしまったのがチョット残念。今日は奮発?して2ヶ月分振り込んでおいた。滞納したという事実は変わらないけど、謝意の表出として。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言うが、何となく春ってのは良いですね。中学卒業式代休の春風の中、運動(部活の指導)をし、帰宅後にビールを飲んでも寒さを感じないこともあるし。
今年になって、やっとソフトボールの下投げ(ウインドミル投法)のコントロールがついてきた気がします。苦節6年(長げー)。
結局のところ、投げる先を見続けるということが重要であるようです。まあ、このことはごく初歩の入門書にも書いてあるんですけどね。ただ、体が「ド真っ正面」を向きっぱなしではあんまりいいタマは投げられないことも確かなような気がします。結局、ソフトボールのピッチングも、他のスポーツや勉強や教員業務と同様、「気合いと訓練」なのでしょう。
数週間ぶりの完全な休日、今朝新聞の1面を見て驚いた。地震があったらしい。
大きな見方をすれば、地球上で地震の起こらない日はないと言えるのだが、死者が出るような大地震が国内で起こっていたとは知らなんだ。でも、そんなニュースを知らなくても、充分この世で生きていけるのですね。
気がつけば、ミールも無事(ヒトが死んだという話を聞かない、という次元)に落っこちていたし、このページの更新も全世界の60億人が知らぬ間続いているし、核戦争も多分起こっていないし。
で、むやみに進化した経済学者の立場から言わせれば、「株安」=「悪」なのかも知れないが、賃金を「もらえている」立場の私にすれば、デフレは歓迎すべき現象である。
科学もむやみに進んだ結果、反省を始めているように思えるし、経済学者なんて、いらないんじゃない?と思う私なのだった。株安によって影響を受けるのは、世の中の風潮に流されて就業した「虚業」に携わるヒトビトであろうし。
何故、オトナのオッサンは「ヒゲ」を剃り、「ネクタイ」を締めるのだろう。それは一種の化粧ではないのだろうか。
「ルーズソックス」も「ガングロ」も、はたまた身近なおばさんの「臭う化粧」も、本質的には「ヒゲ剃り」と何ら変わらないのではないか?
サントリー、サッポロと、立て続けにダイレクトメールが送られてきた。「もれなくもらえるキャンペーン」である。
最近はもっぱらサントリーのモルツを飲んでいる。普段は500mlの通称「ロング缶」を半ダース単位で購入しているのだが、現在のように「シールを集めるモード」に入ると350mlの缶ビールを買うようになる。サッポロのシールを120枚集めるともらえる「ソフトクーラーバッグ」も良さそうだが、品揃えの豊かなサントリーに惹かれているのである。現在のところ、43枚集まった。
このDMが送られたヒトビトのリストって、高値で売れそうな気がする。薬のキャンペーンとかで使えそうだ。「『液キャベ』についてくるシールを20枚集めると、もれなく『電車内でも使える携帯エチケット袋』を差し上げます」とか。あるいは、保険会社で「今なら『アル中特約』キャンペーン中です」なんて。
チナミに私はここ数年で「クスリ嫌い」に転向した。風邪薬や解熱剤なんかもほとんど飲まないし、「飲む前に飲む」とか、「二日酔いにこの1本」とかいう類のクスリって飲んだことない。「呑む前に飲む」なんて、性に合わない。
アルコールという毒の前に、更にクスリという毒を飲むなんてこたぁ。
青梅市の「ナガブチ」は「長渕」では無く、「長淵」だそうです。私が数年来愛用している「ニュータイプ東京区分地図(昭文社刊)」などの地図においては、青梅市のナガブチは長渕と記されてますけど。
何故そんな話題なのか?それはかの有名?な「生徒指導要録」作成の際に、青梅市の地名ナガブチ(ナガフチ、あるいは別の読みかも知れないけど)が「長渕」なのか「長淵」なのかが疑問として持ち上がったからであります。 あんまり期待しなかったのですが、青梅市のホームページの送信フォームに書き込んでみたのです、数日前。で、本日返事を頂いたのであります。以下部分的に引用します。
From: "青梅市役所市民相談係"
Subject: ナガブチの表記についてナガブチの正式な表記は「長淵」です。
平成13年4月13日
青梅市秘書広報課市民相談係
ってことでした。青梅を、またチョット好きになった。そして、世の中の地図よりも「ぽすたるガイド」のほうが正確なことを知りました。
コイズミジュンイチロウというヒトが、ジユウミンシュ党の一番ウエの存在になりそうであるらしい(かなり伝聞)が、「地滑り的」という表現を多々眼に、耳にする。愛読しているアサヒシンブンで。
地学的にいうならば「地滑り」というのは、人為的に作られ力学的に不安定である地形で起こる現象であろう。
新聞記者的使用法では「気がつきゃ起こっちゃった」ってことを指す形容動詞なのだろうか?「地滑り的に」ってのもいい加減な表現だ。
まあ、「ルックスと発言力が注目されるヒト(コイズミジュンイチロウ)はペンしか持たない者(アサヒシンブンの記者の思いこみ)より強し」ってことでありましょうか?
私が不安に思うのは、マスコミがジユウミンシュトウ内部の動静を「いちいち」報道することにより、小学生をはじめとするワカモノが「自民党=政府」と思ってしまうのではないか?ということである。まあ、マスコミのヒトってのは世の中に「何か」を広く主張したいからギョーカイに就業するのでありましょうし、特に目くじらをたてるわけでもありませんが。
基本的に自民党内部の派閥間の抗争なんてどうでも良い。とりあえず、毎度毎度選挙権を行使するだけである。
愛車(ただしチャリンコ)のシフトレバーが破損した。「カリフォルニアロード」っていう名前もかなり古風ではある。ためしに宮田自転車のページを見てみたが、生産中止のようであった。そりゃそうかも知れない、私は18年くらい乗ってるもの。当時のライバル車種としては無く子も黙るブリジストンの「ロードマン」てのがあった。実はこの「ロードマン」て名前が思い出せなかったので、「ブリジストン・ドロップハンドル」って検索かけたら引っかかってきたのだったりする。
我が愛車はシフトレバーが「カチカチ」いうタイプの「はしり」だったのですね。それ以前はシフトレバーは「カチカチ」言わずに、金属製のレバーだったのであります。その「初代?カチカチ」は、一昨日停車時に転けたとき、欠けてしまったのであります。まあ、劣化するわな、18年も経てば。
お勤め先の、「ルックスが堅気には見えない、体育科である(かなりすごい)ハンド部顧問のセンセイ」から教えてもらった3階建ての100円ショップ@中野に行ってみた。ソフト部で使う予定の「メガホン」がほしかったので。
その3階には新品のプラスチックが大量に積んであり、呼吸困難に陥りそうな感覚を覚えた。最近ご無沙汰している「オヤジ満載の通勤電車」とも、馴染んで?しまった「換気を2時間ほど怠った女子校の教室」とも違う息苦しさを感じた。
と、いうこと?で鯖の塩焼き(西友阿佐ヶ谷店にて100円で購入)を食っている。世の中の火災原因の大半は「放火」と「タバコの火の不始末」だそうだが、天ぷら油の火災ってのもかなりの割合を占めるそうである。鯖ではなく(コンピュータの)サーバーってのも火災原因になるそうだ。近年は光によるデータの送受信も存在する関係で、サーバーにゴキブリなどの虫が入り込むことによる火災ってのも報告されていると聞いた。
今日は鯖から炎が出なかった。その煙の立ち具合からコンロに流れるガス量の微調整を行い、「鯖あぶら」の発火点?以下に魚焼き網を制御することに成功したのだ。「東京に原発を(広瀬隆著)」って本を改めて読んだりしたので、気分は原子力技術者であった。
またガンガン雨が降ってきた。
中間試験問題を作らなければいけないのだが、筆が進まない。ネタとして、本日作成したメールを引用してみる。
Date: Sat, 19 May 2001 19:18:36 +0900 Subject: 防火管理者講習感想(財)東京防災指導協会 曰く:
> ○○○○様
>
> お便りありがとうございます。
> 具体的のどのようなことか、教えていただきたく存じます。
> よろしく、お願いいたします。
>
>
> (財)東京防災指導協会 ◎◎<中略>
> ----- Original Message -----
> From: ○○○○
> Sent: Monday, May 14, 2001 10:27 PM
>
>
> > あんたらは誰なんですか?
> >
> > そんなシゴトをしていて恥ずかしくはないのですか?
>長い引用済みません。
○○と申す者です。私は今年2月、「甲種防火管理者講習」を受けました。
受講申し込みの際、消防署のヒトに
「講習にかかる費用はいくらですか?」と尋ねました。
私の印象では「講習は無料ですが、資料(テキストだったかも知れません)代
がかかります。」と言いづらそうに答えてもらった記憶があります。
本当に火災を無くしたいのなら、防火管理者講習で使用するテキストは
無料で配布するべきだと思うのです。
私たちが納めた税金が消防や警察に使われているのは承知しています、
そして、消防や警察の方が日々努力されていることも承知しております。
その一部を回し、法令(でしょうか?詳しくないので良く知りませんが)で定めた
「防火管理者」の育成も税金から賄うわけにはいかないのですか?
テキスト代5100円は高すぎると思います。上記のメール(わけ分からんメールですみませんでした)に解答くださった方は
直接金銭の授受に関係されているわけでは無いでしょうけど。防火管理者なんて、不要なのかも知れません。
講習は非常に眠たいものでした。
財団法人ってのは「お役人の再就職先」という印象がありますもので、
言いたいことは言っておくほうがいいかと思い、お便りしました。以上です。
ってことで、「人の振り見て我が振り直」そうと思った私がいるというコトを全世界?に無闇に発信するのだった。
電気の無駄遣いですねぇ。
昨晩、据わりの悪いいすに座りながら飲酒していたら、うたた寝すると共に転倒し、右手中指の爪が微妙に剥がれて流血すると共に、肘の下を擦りむいてしまった。また現在、首の後ろ側にもすこし違和感があったりする。まあ、キーボードを打つ分にはそれほど支障はないので、ダラダラと試験問題を作っている。
J-PHONEの無料メールは面白い。自分宛のメールをJ-PHONEに転送すれば、メールチェックするためにパソコンの前に座る必要が無くなるのである。それはそれで良いような気もするが、なんつーかメールに追われて生きているような感じになってしまう気もする。ま、家でダイアルアップを無駄に繰り返すよりは良いのだろう。
私の持っているプリンタはPICTY180というhp(ヒューレットパッカード)が作ってNECに卸しているものなのだが、今日までWindows2000には対応していないのだと何となく思っていた。が、ドライバがあることを今日知った。Windows2000は安定していて良い。一太郎・エクセルを使用しながらメディアプレーヤー7.0でCDを流している状態でこの文章を書いているのだが、固まる素振りすら見せない。安定しているというのは良いことだ。
ってコトで、試験問題の作成も終わった。まあ5時間も(酒を飲まずに)パソコンの前に座ってれば、それくらいはできるのでありましょう。SETI@Homeの36ユニットめの作業が終了したようでもあり、リムネットに繋ぎますかね。
革命に加担してきた。ただし、残念ながら「共産主義革命」ではなく、あの胡散臭い「IT革命」ってやつ。杉並区の行っている「IT講習会」ってののボランティア講師として。
自分でもちょっと悪いなって思っているのは確かです。何がかというと、自分の職場のセンセ方を放っておいて、3時間も見知らぬオッサンやオバサンの相手をしたコトを。ま、もちろん勤務時間外(17:15~20:45)にその講習の手伝いに行ったわけですから、私の勝手なのですけどね。
「とりあえず、IT革命なるものの実態を見てやろう」という純粋な好奇心から、講師として参加してみたのでした。
Subject: Re: 防火管理者講習感想
Date: Mon, 21 May 2001 14:26:45 +0900○○○○様
貴重なご意見ありがとうございました。
テキスト代の無料化については、受益者負担の原則から、当面困難です。
しかし、乙種防火管理者講習のテキストについては、本年度からスリム化し、
テキスト代も、約半額になりました。甲種についても、引き続き検討中です。
講師陣についても、より一層の充実強化に努めて参ります。
当協会は、「人と金は削減する。ただし、都民サービスは低下させない。」を
目標に、業務の改善に鋭意努力しているところでございます。
今後とも、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。
(財)東京防災指導協会 ◎◎
「受益者」って誰のこと?私に言わせりゃあんたらでしょ!
ってメールを送っても、私と見知らぬ「◎◎さん」では主張の交わる点が少なそうなので、止めた。でも、なんとなく好感を持ったことも確かであります。メールの返事が返ってくるだけでもスゴイと思いますし。これからも防災指導協会の監視?を続けようと思ったのでした。
12年前には二日酔いになったら2週間くらいは酒を飲みづらかった気がするのだが、現在では「二日酔いダイエット」を挙行した翌日でも酒を飲めたりする。自分自身に感心する。
そんなコトを改めて思ったり、練習試合が雨天中止になったり、中間試験の採点が終わったり、国技が相変わらず茶番で笑えたり、そんな場に出るコイズミってヒトもなんだかなぁ。と、そんな日だった。
最近思ったコトがある。世の中で一番虚しい職業は「佐渡トキ保護センター職員」かも知れない、と。
本日は高校2年の校外学習の引率で上野動物園などの上野公園周辺を散策してきた。上野動物園には様々な籠があったが、大型の鳥類の籠ではしみじみとした悲しさを感じた。特に雨に打たれる「モモイロペリカン」なんかは。
そんな籠・壁、幼かりし頃は気づきもしなかった。ランラン・カンカンを見るために並んだ記憶くらいしかない。コドモには子供の、オトナには大人の動物園鑑賞法(動物園の存在意義)があると思った。少なくとも私自身については。
病気は医者が創り、世論は報道が創り、明日はヒトが創る。
最近ワタシはテレビゲームをしない。プレステ2の「機動戦士ガンダム」とかも春先に買ったのだが、数時間しか遊んでない。ヒトが一生のうちにコントローラーを持っていい時間を使い果たしたのかも知れないが、「コントロールパッド操作許容量の上限」があるってのは聞いたことがない。
ゲームは現実からの逃避ですよね。広い意味ではトランプ・麻雀・パチンコなども現実からの逃避だ。まあ、読書も逃避だし、ビデオ鑑賞も逃避だけど。
ってことは、そんな最近のワタシは結構健康に人生を送っているのかもなぁなんて、思った。まあ、日記を全世界に発信するコト(このページの更新という作業)や日を跨いで飲酒したりすることの不健全さはさておき。
メールマガジンに100万人ってのも面白いハナシです。国民の1%に直接訴えかけられるってのはスゴイ、そして恐ろしいことだ。「俺ャ購読なんてしねー」と思った私である、今のところ(弱気)。新聞なんて、どんどん廃れていくでしょうね。ワタシが死ぬ頃、新聞は無くなりはしないものの、凄まじく衰退していることでしょう。
で、話題は変わるのだが、本日帰宅したところ25歳であると宣う知り合いが胃の内容物を吐瀉したトコロ(土壌)に、いきなり植物が存在していた。そうかー「じ○○○」センセの2年前の肥料が効いたのだなぁ、と思った。嘘。本日植えられた植物のようだ。滅茶苦茶「内輪ネタの暴露ネタ(時効)」ッスね。
「『現在の私』が嫌いなNHK」の3チャンネルを見ている。題名からクサい。『にんげん広場21いのち「働く喜びって何ですか」世代を越えた対話3時間生放送』だってさ。まあ、新聞のテレビ欄にあった「そのクサい題名」に興味を覚えてチャンネルを合わせたので、けなしていること自体が自己矛盾なのですけどね。
よく小学校時代に見たNHK教育(15分番組)の記憶「3チャンネルは何となく偉い」ってのが効いているのかも知れない。道徳とか理科ではよく見たッス。多分、担任の先生がその科目が苦手だったのだろうと気がついたのは大学の頃だ。
総合的な学習についても、NHK教育で「対応番組」をつくるらしい。そんな状況だったら止めましょうよ、「総合学習」。
テレビ東京の「美の巨人たち」とかいう番組で聞いたフレーズは、異様に私のココロに突き刺さった。確か1・2年前だ。
インタビューで「どうしたら、(有名な)画家になれるのですか?」と聞かれた画家(誰だか忘れた)は「画家になる方法はない。ただ『描き続けた』ものが画家になるのだ」というヤツだ。カッコ良すぎるけど、真実であると思う。多分どんな職業においても。
一日86.4k秒(十進法)も生きていると、結構楽しいこともあったりする。今日も、結構愉快な出来事があった気がする、「今日の(この)ページの更新のネタに使えるな」というコトが。そして、悉く忘れ去っている。「ことごとく」は「悉く」と表記されるのですね。
で、結局普遍的な話題を。
今の高校生徒って、やたらとプリクラを撮りますよね。このブームは既に5年以上経過しているのです、恐らく。もう「ブーム」ではなく、女子高校生活の一部のようです。気がつけば、教室の床や廊下にプリクラ殻(がら)が落ちている。チナミに「プリクラ殻」とは私が命名した(そして私の心の中でだけしか用いていない)、プリクラの台紙(台プラスチック)のことです。
なんで、あんなに自分たちの姿を記録に残したがるのだろう?と疑問に思いました、1996年当初。しかし、私自身も中学頃に始まるのです、プリント癖。高校・大学時代の7年間に私が撮影した写真の量は、他の23年間の撮影した、撮影された写真の量を遙かに超えています。
これは私の仮説なのですが、「自分の存在があやふやに思えるとき、つまり人生に悩んでいるとき、ヒトは自分や友人の姿をカタチに残したがる」のではないかと。
これは「私的(わたしてき)に」かなり深い話題ですので、気が向いたら関連ネタを書くこととし、本日はこれにて終了。
写真を意図的に撮らなくなったのは、大学4年頃からです。記憶は写真などによって意図的に残すものではなく、無意識的に形成されるものであると気づいたからです。
本当に重要なことは本人が望まずとも、勝手に心に凍みていくものである気がします。ま、昔の写真を見るってのも、面白いことは確かですが。
で、私は「学級通信」ってのを作らないことを信条にしているのです。
茨城から東京へ転校した、小学4年生の時に担任をしてくれたK先生(男:多分20代だったハズ)は若くて熱心なセンセイでした。やたらと学級通信を発行し、休みの日には生徒や親を連れて郊外の公園へ行ったり、クラスのお楽しみ会などではアコースティックギターを弾いて、みんなで歌を歌ったり。
小学校を卒業した後に知ったのですが、結局その先生は家業(教会だというウワサを聞きました)を継ぐために教師を辞めたということでした。私たちが小学校を卒業して数年後のことらしいです。
今にして思えば、カタチに残るものを作らざるを得ない心的状況だったのカナ?と。
ヒトは設計図であるDNAがあれば、生物としてこの世に生まれられるのでしょうが、ヒトが「ヒトらしいヒト」であるためには愛(教育)というものが必要なのだと思います。最も重要なものは親の愛でしょう。その補助として学校という存在、教師という職業がある。愛の一部であるはずの教育は、モノを残す必要は無く記憶にさえ残れば良いのだ。
なんて思うので、「学級通信」は書かないのです。
ノリスケさんの声が変わっていたコトに気づいた。
じゃ、何で私はこんな作業(homepage作成)を続けているのか?私自身も謎に思っています。極論すれば「神の要請」かしら。
海の向こう(古風な表現だ)ではイチローが凄まじく活躍している。彼は1塁にたどりつくまでに4秒かからないと聞いた。
で、日本の阿佐ヶ谷。生徒の計測によると、私はソフトボールの塁間(60feets=18.29m)を3.01秒で走ったそうな。正確にはバッターボックスでバットにボールを当てた(バントした)瞬間から、1塁を踏むまで。とりあえず少なくともソフトボール部員である女子高校生徒達には勝った(当たり前?)。
で、比較してみた。私とイチローの足の速さを。野球の塁間は90feets(=27.43m)だそうな、今日知ったッス。ということは、私がバントをしてダッシュし、そのトップスピードを持続すれば、メジャーリーガーの平均(4秒台半ば)には達するのであろう。
しかし、メジャーリーグで毎度毎度バントだけをするわけにもいかないでしょうから、右のバッターボックスでフルスイングするならば余計に時間がかかりますな。てコトで、足の速さについてもまだまだ精進が必要であることを認識した、って当たり前?
暑いッスね。現在私のいる部屋は摂氏30度を超えており、私は私自身を強制空冷しながらこの文章を書いているのであります。部屋の中の空気自体を冷却しているわけではありません。わかりやすく言うと、クーラーは使っていません。扇風機の風を浴びながら、ビールを浴びつつあり、打鍵しながら、ソフトボール大会の要項をパソコンFAX経由で送信しているのでありました。
この暑さは完全に梅雨明けの暑さですね。梅雨前線も東京の北に移動しているし。東京付近は「モンスーン気候区」から「亜熱帯気候区」に移行しつつあるのかしら?でも、とりあえずは「23区?」なんてね(寒む!)。梅雨前線は今後南下するのでしょうか?
こんなに梅雨の中休み(そしてこのクソ暑い日々)が続いた年は記憶にありません。それは以前の梅雨時に「飲んだくれ」すぎていたためなのかも知れませんし、今現在「飲んだくれ」ているからそう感じているだけなのかも知れませんケドね。
そんな感じで、21世紀最初の夏は始まるようでありました。
山下達郎ってヒト、割と好きです。
自分で発見して好きになった歌手・演奏家って言うと、L⇔Rとゴンチチくらいしか思いつかない。後は「巷でウワサ」のCDを買ってみたというパターンだ。ヤマタツってのは、昔から耳にしていたが、私の心に刺さったのは「さよなら夏の日(by最初の教育実習でお世話になった中村享史(たかし)センセのカラオケat渋谷のカラオケボックス、その日は最初の教育実習の最終日)」であった。で、その後愛聴。
山下達郎ってヒトのクサいラブソングはそれなりに良いですが、私の人生とはあんまり関係ないッス、ホントに。私が好きなのは「オヤジというほどには歳をとっていないヒトの心象」を描いた胡散臭い歌たちです。新しめでは「セールスマンズ・ロンリネス」など。
私が一番好きなのは「蒼氓」って歌です。東ミキヒトが出てたジャックスカードのCMのBGMで流れていたヤツ。本当に悲しいヒトは涙など流さず、「悲しい」という感情も持たないのかも知れません。そんな意味ではヌルい楽曲ですけど。
大体、音楽ってもの自体が人生の余興的な存在であると思います。山下達郎というヒトは、そんなコトは承知の上で「こうなったら歌を通して自己主張してやろう(生き続ける意味を探そう)」と、彼流のサッパリとしたメロディーと特徴的な歌声を発しているのでありましょう。
「歴史にifは無い」とかいうフレーズを聞いたことがあるが、もし私が以下のフレーズを聞かなければ、もう少し「歴史学」という学問に興味を持ち続けられたかも知れないと、最近改めて感じた。
そのフレーズとは「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す。奢れる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。威き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。」ってヤツ。中学3年の時に国語の時間に暗唱させられた(させていただきました、川北肇センセによって)。
そうか、歴史は突き詰めるところ「盛者必衰」か!と妙に気分が楽になり、その後歴史という分野を軽んじたオガワ少年でありました。大体、そのフレーズを書いたヒトって誰だったかは覚えてなかったりして。でも、数百年経っても暗唱されるってコトは重要な意味を持っているのでありましょう。
「日暮らし、キーボードに向か」っているわけでは無いので、この文章は「久しく留ま」るコトは無かろう。なんて「徒然なるままに」「ココロに浮かぶ泡沫」を披露するオガワ青年?でした。
コイズミとかいうヒトが結構遠くへ出かけて、何かを喋っているようだ。
「京都議定書」がナンボのモノか知らんが、二酸化炭素の削減を議論するよりは、兵器(もちろん「核」を含むが、「地雷」とか「銃」とか「火薬」とか「ミサイル」とか「ミサイル向けミサイル」とかそういったモノ全般)の生産縮小を真っ先に考える方が、このホシに生きる生物として重要なのではないかと思うのでありました。
結局、当たり障りのない話題なのでしょう、「二酸化炭素削減」とかは。そんなものをあえて拒否するアメリカというクニは、自己主張があって日本よりはましである気がする。もしかすると、「京都議定書」をスケープゴートにしようという、日米首脳間の密約があったりして。深読みのしすぎか?
以前作成したメールを引用してみる。またも「文字数」稼ぎ。
Date: Mon, 01 Dec 1997 20:31:26 +0900
To: khccop3@mail.joho-kyoto.or.jp
Subject: 一つの提言疑問を感じました。
それは、NHK7時のニュース「京都会議」の会場に
「南アルプスの天然水」の500mlPETボトルが
そこかしこに置いてあったからです。「ミニPETボトルは不燃ゴミを増やすだけです、
使用をやめましょう」と言ってる人々もいるのに。「ちょっと、おかしいんじゃないの」と思わざるを得ません。
確かに、コスト的には楽なのかも知れないませんが。
(また、意見を述べる先が違うかのかも知れませんが。)いかりや長介さんではありませんが、
「駄目だこりゃ」って気がします。以上、失礼いたしました。
返事なんか期待しませんでしたが、言いたいことは言っておく方が良いと思ったので、こんなメールを送った私でした、もう4年近く前なのですね。
もちろん返事は来ませんでした。
結局、上記のハードディスクはスキャンディスクやレジストリエディタが働くことによって、元の動作に戻った気がする。原因は熱暴走による起動停止という気がしないでもない。
最近パソコンの新たな使い道を開発した。と言ってもそれは昔から知っていた使用法であり、私が実行しなかっただけだったりするけど。それは「音楽の記録メディアとして」です。
10年くらい前レンタル屋でCDを借りてくると、それに見合うカセットテープを買う必要があった。あるいはあらかじめ40~90分(4・6分刻み)のテープを数本ずつ常備していた。今は借りてきた(シングル)CDをWAVE形式で取り込み、それを再生している。1000円払ってシングルCDを買うよりは、レンタルで聞く方が楽だ。気に入ったアルバムはレンタルよりも買う方が手間がかからない。3000円前後をポンと使えるようになるなんて、子供の頃は思いもしなかった。アタリマエ?
自分で稼ぐようになったら、思う存分プラモデルを買おうと思っていた記憶があるのだが、実行してない。プレステ2もほとんど使ってないし。
今の小学生は「大人になったら、思う存分『遊技王』を買うぞ!」とか思ってるのかしら?
PC-9821Xa10/C12のハードディスク1.2GBはやはり駄目らしい。
1学期も終わり、一息つけたトコロであります。ま、部活動の指導はあるものの、授業やほかのオシゴトがある平常時よりは、お気楽な日々が待っているのです。練習後の昼ビールもおいしいですしね。
でも、うちのガッコの一部のヒトビトにとっては、これからが正念場なのかもしれない。「インターハイ」ってやつが控えてますから。
と、そんなわけで、学校で日々使用していた履き物(サンダル)を持ち帰って洗った。サンダルのくせに「臭う」ってのが気にくわないので。裸足でプラスチック製のサンダルを履き続けると、てきめんに香ってきますね、私の場合は。かといって、学校内で草鞋(わらじ)を履くのも不気味だし、結局靴下を履いた状態でナイキのサンダルを愛用しているのであった。
今後は athlete's foot ユーザーとでも自称すれば、多少はかっこいいかも知れない。
左足首を捻挫した。
ピッチングマシンの球をポコポコ打てたので、いい気になって校庭の壁に向かってピッチング練習をしていた。そして、投げ損なって逸れた球を追ったとき、ゴム製の(ダブル)ベースを変なカタチで踏んづけた。そしてとりあえず前回り受け身。
左くるぶし外側の前方が見事に腫れている。
今年も私は焦げている。冬場になると色白になるということは、メラニン?の生成にはそれなりの(生化学的)コストがかかるということなのであろう。
31度4分の部屋でも、扇風機の風に当たっていれば、楽勝で過ごせる。何事も慣れなのでしょう。
なーんとなく「鳥人間コンテスト」を見てしまう、今年も。人力プロペラ機よりは、単純に滑空する方に興味を覚える。幼い頃から見ている番組の気がした。今年で25回目らしい。ちょこっと参加してみたい気がしたが、参加してない。
「アメリカ横断ウルトラクイズ」や「高校生クイズ」も参加してみたい気がした番組であった。「出られるようになったら、ぜってー出てやる」と。しかし、出場できる年頃になったものの、部活やサークル活動やオシゴトを真面目にやっていると、参加する機会はないのだった。というよりも、部活動やサークル活動やアルバイトやお勉強やオシゴトの方が重要だったのですな。
それで良いのだよ、オガワ君。
プッシュ回線をダイアル回線に戻すには工事費として2000円かかるというコトを本日知った。でもまあ、半年で元が取れる(プッシュ回線利用料は390円/月)ので工事を依頼した。逆に言うと、この4年間で1万円以上を無駄にしていたのでありますな。
テレビの地上波放送が「デジタル化する」というコトが話題になっているような、でもあんまり関係ないような現在だが、電話に関して言えば、未だにプッシュ回線使用者は月に390円を余分に払わないといけないというのは不思議だ。まあ、NTT(東西)のページを見れば分かるのだが、プッシュ回線の「売り」ってのは「過去の遺物・残滓(ざんし)」であり、私自身もプッシュ回線の御利益に与った記憶は全くない。だったら申し込まなければ良かったのにね。
夏休み前半の部活動も終わり、一番お気楽な季節が訪れている。やっとそれなりの休みがやってきたのである。暦の上では「秋」だそうだが、こんなに秋らしい秋は記憶にない。暑けりゃ暑いで文句を言うし、涼しけりゃ涼しいでどこかが気になる私だった。カレンダーに縛られているなぁと思ったりする。梅雨もほとんど記憶にないし、最近は妙に涼しい。その理由として私が立てた仮説?があるのだ。
22世紀(次世紀)からやってきた「ドラえもん」と、練馬区に住んでいるらしい「のび太」くん。そのイタズラ(時間を止めた?)によって、私(達)の数十日間が間引きされたのではないか、というのがその説だ。
この辺の話を詳しく書くと「未来警察ウラシマン」あたりに検挙されそうな気がするので、この程度の記述にとどめておこう。
もっと真面目な話を書こう。
フソーシャというトコロの教科書自体を良く知らない(というよりも、ヒトの作ってきた歴史およびその周辺にあんまり興味を覚えられない)私ではあるが、東京都教育委員会ってのも傀儡の集合であり、その会議の結果も茶番であるなぁ。と、思った。
バッサリ扶桑社の教科書を切り捨ててしまえば、それなりにかっこいいというか、フツウである気がするのであるが、中途半端に過ぎるであろう。ま、世の中の戦前教育礼賛老人に数パーセントの理解を示したのでありましょうケド。教育委員会ってのが注目されるってコトで、面白い世の中になってきたのかも知れない。教育委員会なんてものの存在は、「教職教養」の受験勉強で初めて知りました、私は。
近年は理不尽な理由で死するヒト(例えば、二軒お隣の手持ちの金が少ない生活力薄弱な兄さんに殺されてしまう幼子たちのようなヒトびと)が多い気がする。でも、理不尽な死亡理由の筆頭といえば交通事故死、特に被害者だという話も忘れてはならないのであろう。自分に原因があるであろう「ムボー運転者」を含め、年間一万人を越えるヒトがこの日本で死んでいるらしい。約一万人に一人の割合である。通り魔や毒物混入や飛行機事故よりも確率的には高いはずだ。
そんなコト言う私が最も死にかけたのも、クルマ・バイクがらみであるのは確かだったりして。
今日、特にオチは無い。
NTTから合計3通メールが来た。
本日のメールでは
1 ご利用開始日 (工事日) 平成13年8月23日
てなことでありました。最近勉強したので、また横文字省略形の語彙が増えた(ような気がする)。例えば、PPPoEとか。
本日は「終戦記念日」とかいう日らしい。「小泉さんカッコイー」とオバハンが従順するのも止めはしないし、「シンタローは男だぜ」とオッサンが賞賛するのも個人の勝手であろうが、それはコイズミや石原というヒトをはじめとするクニ(?)に対する戦いを放棄したことになるだろう。
戦いを止めてしまうと、最終的には巨大な戦い(裏切りとか、戦争とか)が襲ってくるのだ。この終戦記念日、日々私は戦っていこうと思い直した。別に私は好戦的なイキモノではないつもりだ。ただ、「本当に言いたいことは言う」ようにしているつもりである。
世界に対しても、国家に対しても、自治体に対しても、職場の同僚に対しても、家族に対しても、通っている学校に対しても、友人に対しても、世界中のヒトビトが言いたいことを言えるようになれば、世界はもっと住みやすくなると思うのだ。
共産党系・組合系のヒトビトの悪癖として、「我々」という言葉を多用するというものがあると思う。
教師の悪癖として、自分自身を「センセイ」と「のたまう」ものがあると思う。
「私」はそんな喋り方をしないように心がけているつもりだ。
ADSLモデムとスプリッタが本日午前中に届く予定なのだったのだが、12時23分現在届いていない。
台風が夜に来るらしいので、午後の部活動をお休みにしてしまった。雨の中登校して、外で行う競技であるソフトボールの練習をするというのがピンと来なかったし、練習終了時には風雨も強まっているであろうと考えられたし。
昨日買った「ノルウェイの森」を昨晩から改めて読んでいたのだが、それも読み終わってしまい、読書にも飽きたので気分転換に日記を書くのであった。腹も減ってきたのだが、買い物にも出かけられない。
家で「届くのが分かっているもの」を待つというと、小学校の頃の学研の『学習』と『科学』を思い出す。
住処の通信インフラは整ったのであるが、毎月のコストも増えた。そんなわけで、NTTに頼んでいたプッシュ回線と、PC-VANのころに何となく入会し、ポスペ用として契約し続けていたBIGLOBEを解約しようかと思っている。キャッチホン2は本日解約されたハズだ。
それらで月に1000円くらい浮くのです。というコトは本気?になれば2ヶ月に一度「養老乃瀧武蔵小金井店」に行って、吐くほど養老ビールを飲めたのに、と。
何のこっちゃ。
以前から思っていたのだが、美人のメイクアップアーティストってのを見たことがない。その理由がさっき分かった。自身の顔の造作が良くない(と思っている)から、装飾に興味を覚えた為なのだ。なんてなコトをボーっとテレビを見ていて考えた。
夏休みももうじき終わりのようだ。私自身にもオシゴト先から出ている夏休みの宿題があるのだが、未だやっていない。部活動の指導や担当する夏期講習も無く、本日は暇であった。午の刻まで眠り「笑っていいとも」を眺めつつ朝日新聞を読み日清の冷凍カレーうどんを作って食い洗濯をしつつ寝っ転がって読書をしボーっとテレビを見ていた。気の乗らない宿題は切羽詰まらないと着手できないのですな、幼い頃から。
リンクの色使いを変更し、ページを多少見やすくしてみた。そんな私はプロジェクトXが嫌いなの「だった」。その理由は前述(今年6月5日)の通りなの「だった」。
何で外務省のヒトビト(ま、一部であるのでしょう、と祈ります)はあれだけ税金を無駄に使えるのだろうか、と考えてみた。あいつらは、ヒトにペコペコされることはあるものの、ヒトに感謝され、その微笑みに触れる機会が少ない人生を送ってしまったのではないかと思ったりした。だから、どんどん荒んでいった。落ちるところまで落ちていったのであろう。「罪を罪と認識できて良かったんじゃない?」と祝辞を送る。
ヒトは「『人の役に立った』と自己満足したい」が為に生きているのではないかと思っている。そんな私は、リアルタイムにその感覚が味わえそうな職業として「教師」を選んだわけだ。
「情けは人のためならず」というコトワザがある。「情け」なんて恩着せがましい気がする。「愛は人のためならず」だったらすこしは妥当な表現である気がする。
「アメリカは銃(武器)によって発展した国だから、その繁栄の結果としてテロを誘発する」のではないかと最近思う。戦い続けたツケがここへ来て反動(テロ)として現れているのであろう。「日本はメチャメチャ素晴らしい国である」という認識は無いが、私が生まれた国であり、仕方なく此処に生きている。かといって、別の場所で生きようと思ったりしたこともない。
アメリカのヒトの多くがテロリストに対して「戦おう」と思うことは仕方ないのかも知れないが、それの軍隊を支援すると公言する日本という国はどうなっていくのだろう?この国がイスラム原理主義者のテロルの標的になることは間違いないであろう。では、憲法九条に従って・・・と言っても、警察予備隊を作ろうかどうしようか?という現場にいたわけでもないですし。私は知らぬ間に米軍基地のある国に生まれたわけだし、問題は複雑で目を逸らしたくなってしまう。
「(日本の)若者は刹那主義的に過ぎる」という近年の指摘もあるが、あれは私に言わせれば「片腹痛い」。日本と云うクニについては政治家自ら刹那主義(国債・支援の乱発)に走っているではないか。「とりあえず」私は存在する。
私が生きてきた日々を10倍すること昔、「フランス革命」というのがあったらしい。
今世紀中には「地球革命」というのが起こるのではないかと思う。アメリカや日本を代表とする国々が「搾取者」として断罪され、「人類は皆兄弟(姉妹)」という思想が地球を覆う日が来るのではないかと。もちろんその革命の扉を叩いたのは「ビンラディン」。
共産主義とも違うのではないかと思う。そこに指導者(搾取者)は不要であろうから。
国という概念、国境線の存在は徐々に薄れ、やたらな利益を追求することが「罪」と認識される世界。今現在はカネになるシゴト(例えば麻薬の製造)も、その革命後の世界ではの倫理的に許されないであろうし、利潤を追求しようにもそれらのシゴトに対する規制が無いため、「莫大なカネ稼ぎ」が成立し得なくなっているような世界。あるいは貨幣も「過去の遺物」と化しているカモ。
そしてその世界は、ヒトが生物として成り立たなくなっていくようなセカイ。医学の発達による後押しもあって。
自然科学的な話題を。
掃除は水洗いと水拭きに限りますね。一人暮らしを始めた頃、掃除機も買ったには買ったのですが、私が買ったものはクソうるさかったのであります。筐体は小型ながら「ハイパワー」というコピーに惹かれ、何となく購入してしまったものです。確かにハイパワーなのです。スイッチを入れると、モータが回転し始めるため、その小型筐体を保持している手首が捻られます。もし私が精霊飛蝗(ショウリョウバッタ)だったなら、腕が肩からもげてしまうくらいの勢いです。でも、まあバッタならば少なくとも腕は3本残るでしょう。ラッキー。
ってコトで、部屋とかの掃除は古典的に雑巾を水で湿らせ、拭いてから雑巾を水洗いするっていうスタイルでここ数年過ごしてます。直接の水洗いで楽なのは綿埃が引っかかるタイプの物体です。網戸・クーラーの埃よけ・扇風機の羽根とその保護ケースなどがおすすめ。私は換気扇のフィルターも石鹸を用いて水洗いしますが、油分が多くて少し厄介であります。まあ、私の住みかには網戸は装備されておらず、クーラー(エアコン)も冬場・夏場とも、ここ2年くらい使っていないのですけど。
と云うわけで、今日は扇風機の羽とフードを水洗いして収納したのでした。
私は幽霊の存在を信じないのであるが、同じくその存在を信じていないのが「罪のない市民」てヤツである。まして、アメリカのヒトビトが自分たちを称して言うとしたら、片腹痛きこと此の上ない。
アメリカ合衆国にしても、日本にしても、西ヨーロッパの国々にしても、基本的に他の国に棲むヒトビトに対して搾取を行うことにより、かろうじて生きていることを忘れてはならないハズだ。私のこの電力消費(パソコン使用・ページ作成等)も恐ろしくエネルギーを必要としているのだ。その源は石油かも知れないし、天然ガスかも知れないし、ウランの核分裂かも知れない。産油国・産ガス国・産ウラン国から「日本¥EN」でむしり取ったそれらのエネルギー資源を原料として、富津や東海村や福島県や新潟県柏崎あたりから送られてくる電力で私は生きながらえている。これを搾取といわずして何と言おうか?国外においては、間接的に危険な労働を強いているわけであろう。また国内においても、特に原発近辺のヒトビトの生活を脅かしつつ、私は東京でぬくぬくと暮らしている(同意の上の搾取?)ワケだし。
例えば「オウム真理教」。彼らは「罪のない市民」を殺したのだろうか?ああいった邪教を含め、私は特に宗教に関心を持たない。が、それらに入信することにより、ココロの平穏を保てるヒトがいることは事実であろう。そんな日本というクニの一部に所属している以上、日本に住むヒトは、「(ごくかすかに)オウムを生む環境を生んだ」という罪を被らざるを得ないのではないかと考える。「霞ヶ関」を狙ったってのは、オウムのヒトビトが何かを主張したかったのであろうよ。
イスラム過激派が世界貿易センタービルを狙ったってのも熟慮の上なのでありましょう。それを忘れてはならないと思うのだった。そして、日本をテロが襲った場合、それに巻き込まれて死んだとしても、甘んじて受けるしかないであろうと思う私であった。生き延びる努力はするでしょうけど。
とりあえず書いておくのだが、先週の12日金曜日午後1時頃、杉並において以下の特徴を持ったヒトが徘徊しているという情報がお勤め先(私立の中・高等学校)に入った。情報の出どころは「区役所」と聞いた記憶があるが、定かではない。
男
目出し帽
色白
身長172~3cm
刃物を持っている (以下略)
この情報は午後1時半頃、お勤め先近くの区立小学校にも流れたそうだ。そこの校長先生は「その情報が届いたときには1年生を帰宅させてたし、『注意しろ』ったって注意しようがないよ・・・」とぼやいていた、その日の午後4時過ぎに。
ってコトで、かなり集中してマスコミの情報を確認し続けている私だが、そういった報道は未だに無い。その日12日金曜日、確かにヘリコプターが飛びまわっていたが、積極的に住民に注意を呼びかける放送とかは無かったようだ。
で、考えられるのは「デマ」あるいは「意図的な情報の隠蔽」である。前者の方がありがちな気がするが、後者の方も捨てがたい。マスコミは「110番通報(あるいは警察無線?)」を傍受しているという話も聞くし、前者の方が可能性が高いかとは思うけれど、世の中には意図・政治的な「秘密」も多いだろうし。
そんなこんなで、ヒトからの伝聞よりは新聞・テレビを信頼している自分を再確認した。山本リンダの云うトコロの「噂を信じちゃいけないョ」ってコトか?「新聞だから正確だろう」と思っているわけではないし、テレビなんか「やらせ」の巣窟であろうと思ってはいる自分だが、出どころのはっきりしない噂話にも気をつけようと思うのだった。
私はカップヌードルと数え年が同じであることを本日再確認した。学年では1コ上であるのでチョット先輩風吹かしてやろうと思う。何のこっちゃ?
嫌い嫌いと言いながら見てしまうNHK。そしてその「プロジェクトX」では「N清食品」の「Cップヌードル」を扱っていた。1行前に正式名称を書いてるから伏せ字にする必要無しスか?
初めて日清食品のページを訪れてみたが、レスポンスが悪かった。やっぱり「親方日の丸の放送協会」のチカラは偉大なのだと思った。そんな私も影響されたひとりである。受信料払ってるんだから、カップヌードル割引券でもよこしやがれ!でも炭疽菌はノーサンキュー!!アメリカ合衆国の植民地の増加反対!アフガニスタンのパレスチナ化反対!兵器市場の拡大、大大大反対!!!
テレビを聞いていると、引っかかる場合がある。例えば、「この少年は、(中略)父親を殺した疑いです。」とか。
「少年」は「疑い」を「持たれて」いるというのが正しい表現なのではないかと思うのだがねぇ。「少年」=「疑い」なんすか? 「マスコミ」=「疑うべき存在」ってなら心から同意するのですけれども。まあ、メイルカを立てるほどのことでもないかな?。スイマセン、「目クジラ」でしたね。
原稿を書くヒトも、それを読むヒトも、もうすこしニホンゴを勉強した方が良いと思ったりしないこともない。
そんな理科狂士であるトコロの私は、二重否定は近いうちに消え去るだろうと思っていたりしないこともない。
日本は平和だ、今のところ。
炭疽菌恐れるあなたは喫煙者
そんな川柳作りしアル中
コイズミってヒトはよく分からない。ま、ジュンイチロウ氏も私に分かってもらうために首相になったわけではないのは承知しているが。
結局、彼には何らかの刷り込みがあるのであろう。「自衛隊は○、郵政省は×、ゼネコンは×」ってな感じで。恥ずかしながら告白すると、私はコイズミってヒトは割と好きだった、総理大臣になる前は。マイハートワズブレイキング。
愛しの彼、ルックスは良いし、省庁(郵政省)の改革を唱えるヒトだったし、小渕ってヒトよりは信頼できそうな気がしたのは事実だ。
カリスマ性ってのはどうやって生まれるのか。
今の日本に於いては「テレビ映りがよい(=ルックスがいい)」っていことが重要なのでしょう。コネ(クション)の次に。
燃料気化爆弾ってヤツの「資料映像」?を見たのは数日前だが、恐ろしさを感ずると共に見入ってしまう自分に気づいた。この感覚は原爆実験の映像でも感じたことがある。そこに見られるのは「強烈なチカラ」。そんなものを開発してしまうヒトという生物のアホらしさに感動する。
原爆・水爆開発は「自然科学の延長」という気がするが、燃料気化爆弾ってのは最初から人を殺そうと企んでいるのであろう。劣化ウラン弾ってのも醜悪だ。まあ、その標的となる戦車という存在も醜悪であるけれども。
「燃料気化爆弾」なんてモノを考え出せるなんて、凄まじいエネルギーであると思う。そんな負のエネルギーを(結果的に)持った「開発者」と友達でなくて、そんなヒトがいるアメリカに生まれなくて良かった、ええホントに。
原爆だって凄まじく憎むべき存在だが、開発すること自体には、「自然を知ろうとする無邪気さ(=自然科学者的本能)」が存在した気がする。で、その破壊力を高めようとするヒトビト(軍人)がいるということに驚嘆する。生物としては真っ当ではないだろう。そんな生物「ヒト」はセルフメンテナンスという意味で戦争を行うのでしょうな。軍隊・包丁・子殺し必要論。60億という人口が異常?そう、異常なのでしょう。
ま、数でいえば土の中を始め、いたるトコロに住んでいる細菌たちの方が偉いのカモも知れない。私の腹の中と云わず、口の中でも胃の名の中でも皮膚表面でも、細菌同士が生存競争を繰り広げているのでありましょう、兆を超える彼らは。
そして白癬菌は私を悩ませる。
『どっちの料理ショー』を見ている。
金八センセイは見ない、コッパズカシくなるのでネ。「そんなドラマ作るくらいだったら、教員でも目指せば良かったじゃん」なんて、口が裂けても言う。「ポマード」ご用意ください。東京地方、口裂け男に注意。
「鮭児」ってのはここ数年聞きますが、よく考えてみると性ホルモン等の働きに何らかの異常があったサケなのかも知れないと気づきました。「酒チャーハン」間違い「裂けチャーハン」でもなく「鮭チャーハン対カキごはん」だそうだ。ご存じない方に説明すると、「鮭児」ってのは特殊な鮭だそうだ。
『プロジェクトX』は1年後には存在しないだろうが、『どっちの料理ショー』も2年後には消滅しているコトだろうよ。相変わらず無責任な予言でした。
鮭チャーハン勝った。
「『教育基本法』を見直し」って話は根強くあり、ここのところ進展?があったらしいが、最終的には『日本国憲法』の改正を目論んでいるのだろうってコトは、容易に予測される。
誰が文部大臣であるとかは恐らく関係ないのだ。辛酸を舐めてゲットした大臣のポストであるので、その一時的な権力を与えてくれた「腐りかけたジジイ」どもに圧力をかけられただけだろう。私が文部大臣だったなら、そんな圧力は断固拒否するけどね。ま、残念なことにしばらく大臣になる予定はないのだけれども。
私は『日本国憲法』の全文を一通り読んだ、何度か。その理念は素晴らしいと思った。『教育基本法』全文を読破した記憶は無いが、その文章の一部(前文だったかしら?)は「もっともだ」と納得した記憶がある。そういった意味では、私は「生粋の戦後世代」であり、「個性」を尊ぶヒトであるのかも知れない。で、それなりの「普遍性」も持ち合わせているつもりでもある。いつまでもラブ&ピース。お父さん、お母さん、ありがとう。
少なくとも、これまでに私が記してきた文章(これら日記)は「首相コイズミジュンイチロウ」の言動よりは筋が通っているはずだ。
で、高速道路に50年間カネをつぎ込もうとする老人タチは、結局のトコロ『教育基本法』は改正できず、ましてや『教育勅語』の復権もできず、彼らの嗜好に沿わない『日本国憲法』のもと、戦争を起こせないまま、「(憧れの)戦犯」になれずに逝去されるのです。ご愁傷様。
冬休みに入ってから今日まで、覚醒中(俗にいう昼間)に空腹を感じたことが無かったことに気づいた。ま、それなりに肥えるわなぁ、という気がする。
本日も暇だったので、昨日に引き続きキョーザイ(サンガッキ最初のジュギョウ用のpuzzle)を作ろうとしたのだが、その前にCD-RWドライブのファームウェアの更新を行ってみることにした。ああいった機器(CDドライブの類)にファームウェアがついてるってのは今日初めて知ったのである。セブンイレブンで昼飯と共に購入した愛読書『週刊アスキー』を読んでて。
で、そのアップデートにうまい具合に時間がかかったのである。いい暇つぶしだった。何時から始めたのかは記憶にないが、2時間は軽く費やしたような気がする。
ま、今のスキルがあるからその程度で終わるのであり、6年前の私だったら皆目検討つかない状況だった気がする。今回の作業(win2kが走っているCUSL2上のIDEデバイスの転送モードを変更したい場合は、デバイスマネージャやCUSL2のBIOSをいじるのではなく、マザーボード付属のCDROMでインストールした「Intel Ultra ATA Storage Driver」を操作する必要があるというコト)も苦労しただけに忘れないだろう。
私のパソコン能力は着実に向上しているのであろうが、客観視してみると「下り螺旋エスカレーター(ウィンテル社謹製)を中途半端に上り続けているヒト」とも言えるだろう。
パソコンは便利ではあるがテレビよりも使いづらい、テレビにファームウェアは無いし。ファームウェアを含めたドライバ類を更新(アップデート)しなければいけないというパソマニア(この語は私だけが使っているのかと思い、商標?に登録しようかと思ったが、googleで81件も引っかかってきたので止める)心理がこの不便を生んだのだろう。
「これマジ!?」って番組を、初めて意図的に見てみた。新聞のテレビ欄にあった、「スクープ アポロ11号の月面着陸は嘘だった!?決定的衝撃映像」という宣伝文が目に入ったからだ。面白かった。
話は変わるようで続くのだが、難解な詩を歌いながらヒットした歌手っていうと、私がまず思い浮かべ、よく聞いているのはスピッツである。また、大御所としては泣く子も黙る井上陽水というヒトも存在する。が、忘れてはならないのは現在も活動しているらしい「たま」というグループなのである。
私が持っているアルバムは「まちあわせ」っていうメジャーデビュー初期のベスト版1枚のみなのだが、何度聞いても何を主題とした歌詞なのかが判明しない曲がある。まあ、作者も明確な意図を持って作成した曲でないのかも知れないし、とんでもなく深遠なテーマを扱っているのかも知れない。判らないッス。最近何度か聞き直したのだが、やはり判らない部分が多い。
そんななかで「この歌詞は面白い」と思ったのは最もヒットした「さよなら人類」であろう。そのサビ部分を勝手に引用する。
今日 人類がはじめて 木星についたよ
ピテカントロプスになる日も 近づいたんだよ
ピテカントロプスってのは「ジャワ原人」ともいわれる、約100万年前の霊長類の一種(現代人の祖先?)を指すのですが、詩的にはシナントロプス(北京原人)やアウストラロピテクスよりもリズムにうまく収まったから用いられたのだと思います。簡単に言っちまえばこの『さよなら人類』は「環境問題」を扱った歌なのでしょうが、宇宙開発の不毛さと絡めているところが秀逸だと思いました。私たちは地に足を据えて生きるしかないのでしょう。宇宙を想像することは許されるけれども。
そんな私のコンピュータ上ではSETI@Homeの107ユニットめを演算中である。時々英語のメールが届くのですよね、「合衆国政府に宇宙開発関連の予算を増やすよう訴えましょう」っていうのが。最近は「冥王星への探査機を将来飛ばさせることに成功した!」とか伝えてきました。
「ひげ剃りの際、ヒゲは十分に湿らせてあれば、石鹸があろうが無かろうが、剃り心地には大した違いはない。」
電気かみそりが何となく嫌いで、「うえっとしぇいびんぐ」派の私なのだが、近年は加齢のためだろうか、朝っぱらに石鹸使ってヒゲ剃ると、午前中は肌がパサパサしていた、外見からも。
本日、シェイビングフォーム(多分7・8年前に惜別した)とか、石鹸とかを用いずに髭剃りしてみたのだが、石鹸を使うよりは快適であることに気づいた。刃物による肌荒れは気にならなかった。ケミカルな肌荒れ(石鹸による皮膚の溶解)が無い分だけ快適でありました。
死んだクジラって食べちゃいけないの?
指紋認識って、指先怪我したらどうなるの?
杉並区は「マイバッグ」推進してるけど、ゴミ袋にも使えるレジ袋に5円払うほうが、都指定のゴミ袋買うより楽じゃない?
ヒトという生物は物事に境界線を引くために生きているのかも知れない。なんて最近考える。
例えば、動物と植物の境界線。それを生物学者が議論するのは一向に構わないのだが、結局のところその境界なんてのは科学が発達すればするほど曖昧になっているのでは無かろうか? 「気ちがい」って言葉はあんまり使わない方が良いらしいが、私自身は幼い頃に比べるとそういった精神状態に陥るヒトに対して理解を深めたように思う。というよりも、「正気」と「狂気」の境目は存在しないコトに気づいた、と言うべきか?
ブッシュというヒトを代表とするアメリカ合衆国というクニ、狂っているのか、正常なのか?この地上で何故か殺し合う生物の筆頭はヒトであろう。アメリカも日本も、せっせと武器を作っては、その消費地を探している。生物の最も重要な使命は「存在すること」である気がするのだが。
ブッシュ君たちはどういった基準で北朝鮮・イラン・イラクを仮想敵にしたのだろうか?どうやって境界線を引いたの?と思った。
文明や経済の仕組みを系統樹化してみると、結構面白いのではないかと思うのだが、どうなんでしょう?生物の系統樹ってのは必ず理科の資料集に存在するが、人口を考慮に入れた文明(とその社会システム:原始共産制とか資本主義制とか)の系統樹って作ってみたら面白いような気がする。
バレンタインさんの業績は知らないし、地球が回転していることも自覚できないのだが、そこはかとなく虚しいような今日は、ちょっと前の出来事を記したりする。
「阿佐ヶ谷」のイントネーション(抑揚)は↓↑↓↓、同じく「南阿佐ヶ谷」は↓↑↑・↑↑↓↓、また「苺」は↓↑↑が正しいと思う私です。東京近辺?は「苺」を↑↓↓と発声するヒトも多いけどね。
で、2日前、パソコン周辺機器の偵察in新宿の帰り道、地下鉄丸の内線の車内から最寄り駅のホームへ降り立ち数歩、ふと違和感を覚えたんッス。何故なら、ホームにいたであろう駅員さんは「南阿佐ヶ谷」の最初の「minami」のイントネーションを↑↓↓としていたから。
「minami」を↑↓↓と発音したら、「三波」しかないでしょう。私の脳は「三波阿佐ヶ谷」と認識したのですな。
♪あー、明日の今頃はー、僕は宿の中ぁー
ってことで、高校2年の修学旅行の引率前日。
明日は早起きせねばならない。部活動の引率でも4時台に起きる必要って、まず生じない。「起きなきゃ」って思うと、目覚ましが鳴る前に何度も起きたりしちゃうんですよね。明晰夢ってヤツにも遭遇しやすい。
「へーえ、珍しいんだ。」って感じ。何がかって?それは「明晰夢」という存在。
さっきgoogleで「明晰夢」を検索したらば、1400件しか引っかかってこなかった。コトバ自体は聞いたことがあったが、改めてその定義を確認したことはなかった。「明晰夢」ってのは「『これは夢だ』と自覚しながら見る夢」のことらしい。
あたしゃしょっちゅう見る。
「『あ、これは夢だ、起きなきゃ』と思って起きる朝。でも、その身支度中にやっぱり今も夢の中だなぁ...、と気づく」なんてな夢を。
何でそんなこと書いてるかというと、現在『特命リサーチ200XII』でそんなハナシを扱っているからなのですな。竹中直人って面白いですよね。形態模写絡みのフリートークがオモロイ。
ワタシは(霊的?な)金縛りとか、お化け・幽霊って信じませんね。特に「夜中(就寝中)に出会った、見た!」ってヤツは。結構ワタシは「明晰金縛り」に遭遇します。幽霊の夢は現在の住みかに移動してから何度か見ましたね。起きてから「あれは夢だったんだなぁ」と思いました。
「ワタシ、霊感強いんですよ。」なんてヒトがいると、あたしゃココロの中で「そうですか、頑張ってね。」とエールを送り、その場を荒立てずに流してしまう。
夢を見ながら「これは夢だ」と思うヒトが「10人に1人(特命リサーチのリサーチ結果)しかいない」ってのもホントかしら?と思ったりする。「明晰夢」を見るコツ?ワタシは知りませんね。ふと気づけば、夢を見ている自分の存在に気づいてました。
沈丁花薫り 春感ず
パソコンって何時の間にやら調子が悪くなりますよね。そんなわけで昨日はルータのファームウェアのアップデートを行ったのです。ネット接続の調子が戻りました。
本日のソフトボールでは3打数1安打、レフトの守備でのエラーもなかった。まずまずの結果であります。ま、唯一の安打は相手一塁手のエラーと言えなくもないのですが、足元への鋭い当たりだったので安打ってコトにしておきましょう。あんな方角へ自分の打球が飛んだのは初めてだったので、自分でもビビッタ。恐らく芯で捉えていたのでしょう、気がつけば一塁手の足元を抜いてましたので。
私が野球をやってる上での強みは、特に実績・自信がないということなのですな。中学・高校時代に野球をしていたわけではないので、現在ソフトボールをしていても「何だオレは!こんなにも動けなくなったのか!」っていうふうに落胆することが無いのです。齢参拾を超えても徐々に進歩しているような気がするので楽しいのでアリマス。
定期試験の問題作成は面倒くさい。
私が問題作成にアタマを悩ます、その瞬間にも愛国心?のため命を捨てるヒト、そしてそのとばっちりを受けるヒトがイスラエル近辺ではいるようである。
また、この瞬間にも「発展途上国」ならずとも餓死するヒトもいるはずである。世界は広い。日本のマスコミの報道を見てその全てを把握している気になってはいけない。とりあえず、身の回りのヒトビトと仲良く暮らしたいと思う私なのであった。
同時多発テロから半年経ったらしい。「アメ公(あえて記す)」の一部が自社商品(兵器)の消費拡大を喜んでいるだけだ。と「ジャップ」である私は見ている。
ま、このクニ日本でも、フランスでも、イギリスでも、私が名前を聞いたこと無いクニでも、そういった消費拡大の喜びを感じているヒトはいるのであろう。「やったー、私が作っている兵器が使われてるョ。これから忙しそうだ。給料も上がるカモ、うふふ。」ってなヒトが。結局、「世の中はカネ」なのでしょうか?「愛」は何処?
もしかして「ヒトの殺し合い」=「地球への愛」?
阿佐ヶ谷の東急ストアにしろ、西友にしろ、大丸ピーコックにしろ、ミョーに買い物袋をくれると思っていたのです。「そんなにサービスしてくれなくても良いのに。そんなにサービスしたくなるほど、私は男前なのか?ふふ、儂も罪作りな男よ。」なんて。
今日、閉店間際の東急ストア(何故東急ストアを使う頻度が高いのかといえば、大学時代に大変に世話になったヨッパライの先輩が東急百貨店に勤めているからなのである)でこう聞かれた。「袋は二重にしますか?」と。
別に私が男前だからポリ袋を余計に貰えたのではなく、持ち運びの袋を二重にしたいという要望を持つ客が多かったから、それらのスーパーは袋を多めに配布していたらしいことを知った。そういえば、他の人が貰っているポリ袋も基本的に多めだったような気もする。
たまには多少笑える話を書かねばと思い、記してみた。
苦節4年半、とうとう解放された。新聞屋さんから貰った洗濯用洗剤から。
この地へ越して最初の数ヶ月、とりあえず新聞を色々替えてみた。大体3ヶ月ごとに朝日・読売・毎日あたりを購読した。日経はそんなに勧誘に来なかったし、産経についてはあんまり良い印象も持ってなかったから、購読したいとは思わなかった。豊島区の実家?では東京新聞が de facto standard だった。何で、『東京新聞』だったんだろうか?今までも何度か謎には思ったが、その理由をとことん突き詰めて訊ねたことはなかったですねぇ。ま、安いですけどね。
その新聞放浪旅の結果、貢ぎ物としての洗剤を多量に頂いてしまい、一時期は布団を敷いたり食事をするスペースにも難儀した時代もありました。なんて嘘。
で、ここ2年と4ヶ月は、意図的にアサヒシンブンを購読しているのですな。あの「変なニイさん達」がやってくる新規の契約?もしないから、洗剤も収集できない。んな訳で、やっと前回の洗濯でそれらの洗剤を使い切りました。
本日の洗濯では、自らの意志で購入した洗剤を初めて使うことができたのです。洗剤(石鹸)も、買うとなると色々悩みますね。阿佐ヶ谷は「パールセンター」のマツキヨで、5分くらいかけて選んだ洗剤を使用し始めました。
で、最近気になるのは、新聞会社・新聞販売店の収支についてです。3000円チョイで毎日読み物が届けられるってのは、読者のこちらとしてはありがたいのですが、配達している「マジメな兄さん姉さん達」は過労状態ではないのか?とか。この新聞購読も「搾取」なのかしら?ま、どんな場面(ワタシの生業?も含む)であれ、金銭の授受が存在する時点で何らかの搾取が生じているのだろうねぇ、なんて最近の私は考えるのだった。
春分の日(Vernal Equinox Day) を過ぎた。地学(天文学)的には「太陽が春分点を通過した日を過ぎた」というトコロか。今年の春は暖かい。
「暑さ寒さも彼岸まで」という諺があるが、その英訳を今日知った。Neither heat nor cold lasts beyond the equinox. だってさ。このコトワザは誰が言い出したのかと疑問に思い、少しネット上を漁ってみたが、分からなかった。日本(京都か江戸?)あたりで使用され始めたのだとしたら、そんな例文が『研究社英和中辞典』に載っている時点で、日本における英語って学問の閉塞状況を示しているのではないかと思った。このクニの英語教育が「無闇矢鱈に英語化したニホンゴを覚えさせようとする机上の学問」であることを示す好材料となろうて。
じゃ、何で equinox なんて単語を知っているのかといえば、それは今は亡きL⇔Rの歌の題名にあったからだったする。で、暦の上でも新年を迎えたわけだし、焼酎を「お湯割り」から「ロック」にしよっかな、と冷凍庫を覗いたところ、数ヶ月放っておいた氷が昇華し、見事な自形の結晶が冷凍庫内の氷ストッカー近辺で形成されていた。結晶って美しいですよね、少なくとも「Neither heat nor …」って文字列よりは格段に。
明日は始業式である。今日は入学式であった。
朝7時少し前、フジテレビ「めざましテレビ」の占いで「山羊座」は「日記を書く」と「ラッキー」ということだった。そんなわけで日記を更新している。
「星座占い(12・13星座とも)」にしても、「血液型占い」にしても、「バイオリズム」にしても、「動物占い」にしても、基本的に信じないスね、現在の私は。てコトは、小学校・中学校・高校時代くらいまでのワタシは、結構それらの占いを気にしていた?
そうかも知れませぬ。私の「個性的 --生徒に言わせれば『変』とか、他の(私が思うに怪しい)センセ曰く『怪しい』とも表現される-- ?」な性格・言動は「(血液型の)AB型は『二重人格』である。」という雑誌(例えば小学館の『小学云年生』)の付録における表記を素直に信じたためであるような気もする。
「風水」ってのは何なのでしょうかねぇ?あるいは「仏滅」とか「大安」とか。「丙午<ひのえうま>」の出典?は知らないけど、その年に生まれるヒトが少ないことは知ってる。
そんなわけで、無理矢理日記を書いたら、妙に括弧<かっこ>が多くなった気がするのでした。熱い4月であります。扇風機を出そうかと思った。
ふと思った。「有事」ってのは戦争を起こしたい日本国籍のヒトが捏造(偽装)するコトは、とても簡単なのではないか、と。
税金の私物化を「無かったこと」にしようとしている公僕、私物化することに麻痺している公僕、私物化していることに気づかない公僕は腐るほど存在するのであろう。であるから、「無いこと・起こらないこと」をあたかも「起こりつつある脅威」のように偽装することは、やる気になれば結構簡単なのではないかと思った。ただし相当本気で。
偽装牛肉・偽装鶏肉よりも遙かに厭ですなぁ、「偽装不審船」なんて。
最近自分がオッサンになったのだか何だか、あんまり働きすぎは良く無いなぁと思っている。何で学校ってシステムは「出勤簿(働いた日に印鑑を押す帳簿)」ってものを重要視するのであろうか?
学生時代は意図的に教育絡みのアルバイトをしなかった自分である、教員になるつもりであったので。
大学1年の時には新宿はヒルトンホテル裏の妙なビアガーデン、大学2年次は「つぼ八 新宿中央口店」、大学3年次は「ゲームファンタジア サンシャイン店」あたりでバイトしたのでありますが、必ずタイムカードってのがありましたね。まあ、時給というコトで給料が計算されている職場だったからそうなるのでありましょうが。
私の出勤簿、この4月に入ってからは「はんこ」の途切れることがないのでありますな。毎日労働。今日はブカツの引率で6時起きだった。結局この今も降り続く雨のため、試合は順延となったのでした。10時過ぎには帰宅し、久々にダラダラ昼寝しました。ここ数週間の労働を時給に換算してみると、恐らく給料の手取りは1000円/時を下るのであります、私の場合は。大学のアルバイト時代と大差ないか、あるいは少し安く働いているようであります。ま、私の学生時代は「バブル期」だったこともあるかも知れませぬケド。(でも、かなり真面目にバイトでは働いた。つぼ八では、他のヒトがくっちゃべってる間にもフロアを回った記憶がある。ゲームファンタジアは一番面白かった。いろんな同僚?(大学生)やゲーセンに通う変なヒトビト(お客さん)にも出会えたし。)
まあ、今の世の中でシゴトがあるだけでも幸せだっつーことも自覚しているのでありますがね。でも、結構搾取されていると感じないことも無い。
「靖国神社」でまず思い出すのは、私のバヤイは「白い不気味なハトたち」である。ま、土鳩<ドバト>が好むべき鳥であるという認識は更々無いのであるが、あれだけアルビノ?のハトが揃っているのは、相当に気持ちの悪い光景であった。私は「灰色いハトはどうなってるのだろうか」という疑問を感じずにはいられなかった。神社の職員?に葬られたフツーのハトの慰霊碑なんかもあったりするのかしら?と、その時考えたような気もする。
戦犯と呼ばれるヒトビトなどが祀られていることを知ってから、怖いもの見たさ?でその境内に侵入したのだった。その訪問は高校から大学くらいの時期だった記憶があるのだが、誰と靖国神社に行ったのか、あるいは自分一人で訪れたのか、記憶に残っていない。
何か気の利いた文章を記そうと思うが、打っては消し、消しては打ち、それなりの読み物を作成しようとするものの、それも叶わず、2日前の日記を推敲してみたりした、だけではつまらないなぁと思った、と記す。
今日は凄まじく良い日だった。昨年末からの目標としてきた「文大杉並高校ソフトボール部都大会出場」が達成されたので。ソフト部顧問となってから、今日が一番嬉しかった。自分の高校時代における合唱部の活動に匹敵するくらいの喜びが得られた。
試合後はもう一人の顧問のセンセと祝杯をあげた。帰路のバスに乗っても喜びを反芻していた。電車に乗ったトキ、ふと思った。私は何を思ったのか?
非常に教員臭いというか、胡散臭い話?になるのであるが、「私や部員達がソフトボールという競技をしている間に、世の中ではどれくらいのヒトが餓死したのだろうなぁ?」なんて思ったのであります、嘘じゃないすよ。スポーツをできるということ自体、非常に幸福なのでしょう。それを忘れてはならないのだなぁ、とか思ったりした。そんな喜ばしい今日のこの日。
くだらなすぎるような、でもそれなりに笑えるようなハナシ、こんなページを訪れてくれるあなたに贈るッスよ。
午後7時過ぎ、普段よりは早めに職場を退出した。作りかけの試験問題と教科書・ノートその他を持って。
世の常・人の常でありましょうか?やらなければいけないコト(試験問題作成)をさておき、CD屋と書店を巡ったのでした。
買ってきたCD(3枚中の1枚)を再生しつつ、飲酒しつつ、買ってきた『週刊アスキー』を読んでいた。
最初のページから真面目に読み進み、「福田有宵先生の誕生月占い」にたどり着いた。
そのページには5/7→13と書いてあった。
???今日は5月16日???なのに。
何故に型落ちの週刊誌が書店に置いてあったのだろうか?
私の見る限り、『週刊アスキー』はこの1冊しか見あたらなかったノダ。
私が『週刊アスキー』を買う理由の1つは『カオスだもんね!』を読むためであったりする。その型落ちの雑誌が扱ってた「大谷石採掘跡地見学」、私の幼かりし頃の記憶を蘇らせてくれた。あの空間に気が向いたら行ってみようかと思わないことも無いが、多分行かないだろうね。ただ、小学生の私が夏休み恒例だった父方の親戚旅行で「大谷石採掘跡地」を訪れたときの印象は未だに私の中に残っている。「大谷石」ってのを卒論で扱ったのも、その時の強烈な印象が(実験材料である石の選定に)影響を及ぼしているのであろうと思います。
私がただ何となく(良く言い換えると「自身の命の存続を意識せずに」)生きてい(られ)る間にも、知り合いに子供が産まれたり、顔とナマエを知っているヒトが死んだりした、らしい。
そんなアタシゃ「自分が生きている」というコトを認識できること自体が、相当に幸福なのではないかと思ったりした。
例えば、噂に聞く「下水管内に住まう子供達」。あるいは、私が想像するところの「何となく兵器を作り続ける労働者」の存在に比較すれば。
しかし、こんな作業(この腐れ日記執筆)自体が不健康であることも疑う余地はない。
テレビのある居酒屋、普段は野球中継が多いのだが、ここ10日ほどはサッカー中継が多い。この10日で100軒の居酒屋を巡った観察結果である。もちろん「100軒」は嘘である。2軒くらいである。
そのサッカー中継を見ながら、社会科(地理歴史科・公民科)のセンセイに聞いてみた。「アイルランド」は「北アイルランド」なのか「南アイルランド(「アイルランド」なるクニ)」なのか、あるいは「アイルランド連合チーム」なのか?と。私も分からなかったし、そのセンセも分からなかった。互いに知っているのはその地域(特に北アイルランド)が相当血にまみれた地域であるらしいという現実である。
さっきネット上で調べてみたところ、W杯出場の「アイルランド」は「アイルランド」というクニの代表チームであることが分かった。人口170万人(我が杉並区の3.4倍!)の「北アイルランド」はしっかり「北アイルランド」で欧州予選に参加していたようだ。そして予選敗退。
次回以降のW杯にニッポンというクニが本戦出場を果たすための秘策を考えたヨ、私たちヨッパライ教員は。
例えば「ねづ共和国」なる仮想国を立ち上げ(?)、アジアに参加チームを増やす。イングランドもウェールズもスコットランドも北アイルランドも「大英帝国:The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国):俗にいうUK」の一部に過ぎないのであります。アジア地区も、やたらにチームを増やせば、参加枠が増加するかも知れず、日本が本戦に出やすくなるかも知れない。
どうですかねぇ?このアイディア。
私の内なる何かが「ゴーヤチャンプルー」を作らせたもうた。
数年前に「ソーミンチャンプルー(素麺の炒め物)」も1度だけ何となく作ったことがある。沖縄料理屋で食べたものを再現しようと作ってみたのだが、不味くは無かったものの、全然別の食べ物が出来上がった。
で、その印象的だった「ソーミンチャンプルー」を出してくれた荻窪の『番小屋』という店(このページに頻出する酔っぱらいのソフト部顧問に連れて行ってもらった、3回くらいだったかしら?)を、最近お気に入りのGoogleで検索してみたところ、その「ソーミンチャンプルー」はその店の十八番、あるいは命、キモであるらしいことをネット上で知るのであった。私はそのソーミンチャンプルーを再現しようとしたらしい。そりゃ、一発で再現できるわけゃ無いすわなぁ。
結局、それ以来「ソーミンチャンプルー」は作ろうとしていない。素麺を茹でてから炒めるって時点で面倒くさいのですな。
で、本日初めて作ってみた「ゴーヤチャンプルー」なのですが、美味いのか不味いのか分からないのでした。ま、食えますけどね、普通に。何故「ゴーヤチャンプルー」かというと、東急ストア阿佐ヶ谷店に「ニガウリ」が陳列されていたからだったりする。あんまりニガウリを見た記憶は無いですなぁ、あの店で。最初は出来合いの「お総菜」とか「刺身」(そして言わずもがなのビール)などを買って帰るつもりだったのだが、久々に料理っぽいものを作る気になったのでした。
自分で作った料理って、不思議なくらいに美味いのか不味いのか分からないコトが多い。息をするが如く、自らの生命を繋ぐために餌として料理を作成しているからかなぁとも考える。
私が自分で作って食えなかったタベモノは、今までのトコロ1つだけある。それはタイマーを設定し忘れ、間違って「保温」のまま一晩放置してしまった、研いだばかりの米粒達である。あれだけは食えなかった。ゴメンナサイ。合掌。
その米粒達、今にして思えばとりあえず保存しておき、お粥として再生できたかもなぁ、とも考えたりする。というか、5日前に日記を書いていて気づいた。
その暖かいものの、糊化していない澱粉達を口にしたとき、その食感に強烈な衝撃を受け、そのままゴミ箱(正確にはスーパーのポリ袋)に彼ら?を葬ってしまったのだった。
久々にドーブツを葬った。カラス(の死体)に初めて触った。
午後1時過ぎ、校庭で行われているソフト部の練習に参加すべく、中央線高架横である学校の敷地を歩いていた。「上空に妙にカラスが多いなぁ」と気になった。(全国的に有名な「文大杉並の」)ソフトテニス部室前を通り過ぎようとしたとき、その部員が「カラスが死んでます」と。彼女ら曰く、「自分たちが見たわけではないけど、カラスが(校舎の)壁に激突して死んだらしいです」とのことだった。
確かに校舎脇に仰向けになったカラスが寝ていた。
カラスって、変に「おっかけっこ」している場合がありますよね。あれはカラス界の「(弱いもの)いじめ」なんじゃねーかなぁと思っていた。追っかけ方と逃げ方が尋常じゃないもの。でも、もしかすると、カラス界にも「ジョナサン・リビングストン」が居るのかもしれないなぁ、荻窪には。とか思ってた私だったりする。
何で彼(彼女かもしれないけど)は壁にぶつからにゃならなかったのだろうか?
流れた練習試合・上がる雨・遅々として進まぬ試験問題作成・そしてこのような逃避。
未承諾広告※って何なのだ?
お役所のすることは下らなさすぎ!
そして、私の腹は下りすぎ!
それは毎晩酒を飲み過ぎるから!
現在の私のこのページのトップのカウンタは三々五々<さんさんごご>を表示しているらしい、わらえる。ホント、三々五々といった感じで、しみじみ増えているのですよね、このカウンタ。現在では1日平均で4カウントくらい増えていってるのです。結構なペースだと思います。
で、「誰が見に来ているんだろう?」と6月末からアクセスログをとっているのですね。それをボーっと眺めるのも面白いものです。
で、まだ全然答案の採点を始めていない、気合い不足の私なのでした。三々五々?、答案をかたづけていきましょうかね。
私にとっては便利でした。何がかって?それは、粗大ゴミのネット申し込み。
私はネット中毒であり、役所とかNTTとかへの事務的な連絡はメールの方が記録が残って安心に思うヒトなのだ。電話しながらメモ取るってのは、必要ならば行うけども、結構面倒くさい。
杉並区では粗大ゴミの受付をネットのフォーム上で行うことができることを知った、昨日。
私にとっては都合がいいけど、「インターネット」という「邪教」に染まっていないヒトは、「わたしの便利帳」とかを見て、直接役所に電話をかけるしかないのでありましょう。「ネッ中症(ネット中毒症)」の私は、全然使えなくなった折り畳みベッドを「粗大ゴミ」に生まれ変わらせる?べく、休日である昨日に杉並区の「粗大ゴミ申し込みフォーム」に書き込んでみたのさ。
「フォームに書き込んでも、その返答が来るのは平日(月曜日)です。」って書いてあった気がするバリバリ休日の昨日、
杉並区粗大ごみ受付センター曰く:
Subject: 粗大ごみ収集のお知らせ
Date: Sun, 21 Jul 2002 11:04:27 +0900
○○○○ 様
粗大ごみの収集申込を下記のとおり受付しました。
(以下略)
ってなメールがバッチリ届いたのです。
休日出勤?
そうかー、そっちがその気なら、こっちだって本気になって大量に出しちゃうよぉ、粗大ゴミ。
って単なる契約違反?
そして、向こうも迷惑スか?
服装とかって、フシギですよね。
ワタシも結構オッサンになった(長いものには巻かれるようになった)らしく、改まった場所ではスーツ着るなり、ネクタイ締めるなりしてしまうのでありました。ま、夏休み中の部活動とかのための出勤では無精髭に半袖・短パンでチャリ通勤するんだけど。
その、「情報科」の講習、今日で3日目だった。
1日目は煉瓦色のコットンのパンツにカフェオレ色のシャツ、適当なネクタイを締めてった、靴はプレーントゥの茶色い革靴、ベルトも同系色。2日目は黄色いオックスフォード地のボタンダウンシャツ、ノーネクタイ、グレーのグレンチェックのスラックスだった。黒のローファーと革ベルト。本日3日目は、紺色のコットンパンツに緑がかった辛子色のポロシャツ、モカシン風の薄茶の靴と同色のベルト。
明日は綿のパンツに裾を出したポロシャツの予定。
Gパンとか、短パンを経て、最終日には「全裸」を予定してるんですけど、どうですかねぇ?
ワケ分からん。
その1:蟻
9時に始まり、16時半に終わる講習、昼食場所の確保が多少面倒くさかった。
うちの学校から今回の研修に来ているのは私1人である。同僚のセンセがいれば、その人と食事に行ったでしょう。研修に参加している他の学校の先生には、多少顔見知りもいたことはいた。自分が高校時代に教わった先生とか、他校のソフトボール部顧問の先生とか。食事時間の微妙な駆け引きって結構面倒くさい。数名でつるんでいったとき、誘われないと悲しむヒトがいたり。
基本的に1人でいることを全然厭わない私である。水道橋駅近辺の食べ物屋を巡った、数日間。
その日、講義の開始が10時45分開始だった事もあり、朝食が多少遅めだった。JR阿佐ヶ谷駅に付随しているJR系のコンビニでおにぎりを2つ買っておいた。水道橋駅近辺を散策した際、発見した公園でそのおにぎりを食べようと思っていた。
そして、その日の午後の講義も終わったとき。「蟻さん、どこへ行ったのでしょうねぇ?」「そうだねぇ」私の席の後ろからその会話が聞こえてきた。
私の脛、アリンコが引っ付いていた。気づいたのは午後の講義の1コマめだった。公園での昼食の際、同僚の食事を調達すべく、探索活動に勤しむ蟻たちがいた。私の毛脛をガンガン登坂してくる。「なにもないっつーの!」と、足を振り回したり、アリンコを潰さぬよう、軽く手で叩き落としたりしつつおにぎりを食べたっけ。間違って?おにぎりの具「うなぎ」を落としてしまった。そこにやってきたクロヤマアリの行動を観察するも、私はファーブルほどの暇も無く、観察も適度に切り上げ講習会場の地下ホールに戻ったのだった。
そうか、彼はこの地、餌もなく我が家からも遠く離れたこのカーペットの上で殉死するのだなぁ。
その2:スニーカー
スラックスに運動靴はどうかねぇ?先生。
その3:サイクル
四・五十代のオッサンは、周波数の単位を「ヘルツ Hz」と云わず、「サイクル cycle」と云うことを確認。
『蟻』で文学的才能を使い果たしたので、『スニーカー』『サイクル』は手を抜きました。スミマセン。講習全16日中の9日が終了した。お疲れ様、私も他のセンセイ方(401名)も、講師のセンセイも、会場管理の公務員さん達も。
ここ数年のぎもぉん。「ヒロシマ・ナガサキ」が語られる時って、それ以前の悪行が無視されてませんか?私の住む日本というクニのさ。
ま、世の中は複雑に過ぎるから、話を単純にしたくなるのは分かります。私自身も自然科学(事象の単純化・理論化を目指した学問)が好きだし。
でもさー、原爆。日本だって開発しようとしてたわけじゃないスか、ただ間に合わなかっただけ。そして先に落とされた、広島と長崎に。
現在もアメリカ軍の基地があるから日本というクニが存在しているのは確実であると思います。
原爆・水爆、あるいは地雷とか銃とかの武器、無くなって欲しいですね。軍隊いなくなって欲しい、全ての国から。人殺しを撲滅したい。
教師というシゴト、相当素晴らしい職業と思うのです。
広島、長崎に限らず、人に殺された人の冥福を祈ります。世界貿易センタービルにしても、アフガンにしても、パレスチナにしても、その他紛争地域にしても。
パチンコって、ハマる気持ちは分かります。近年、私はほっとんどやらないけど。
私が結構パチンコに傾倒したのは、大学を卒業して1年目か2年目あたりの頃、何しろ非常勤講師時代のコトである。
大学時代に同じクラスだった、3浪して大学に入ったという、料理人バイターでバイク野郎で、確かその当時も産休補助教員の「こにP」というヒト(現一児の父親)から誘われ、調布のパチンコ屋に行ったのでした。「オガワちゃーん、調布のパチンコ屋、出るんだよー。来なぃー」と。その時、私は始めて真面目にパチンコ台に向かったのでした。
結論から言うと、その日は8000円くらい突っ込んだ時点で当たり始め、最後は2箱くらい飲み込まれたものの、差し引き9万円くらい儲けさせていただきました。10箱以上出たわけですよね、結構大きな「ドル箱」の店だった。その当時における私の月給の半分以上を数時間で得たのでした。結局、その後数ヶ月パチンコ台に向かうものの、転落の一途。「多分9万円以上つぎ込んだな」と思った時(実際はもっとつぎ込んでいたと思います)、パチンコ・パチスロからは撤退しました。ま、勝ち続けるわけは無いですね。パチスロもビギナーズラックで当たったのでした、池袋での単独行動で。その時は大当たりしているのが分からなかったので、当たった分全部飲まれちゃったのでした。
で、何でそんなハナシかというと、spitzの新曲が『ハネモノ』って題名だからだったりする。パチンコ中毒後期、ハネモノに凝りましたね、江古田とか池袋とか、東長崎とかで。見ていて当たりが分かるから面白いのでした。今でも有るのでしょうかねぇ「ハネモノ」?
で、何でそんなハナシかというと、HMVってレコード屋(表現古すぎ?)有るじゃないスか、新宿南口に。その店に行ったんですよね、本日の講習の帰りに。欲しいCDは結構昔のものだったので、それくらいデカい店じゃないと置いてないと思ったから。
で、spitzの新曲『ハネモノ』のハズなんだけど、その店の曲紹介の印刷物、ぜーんぶ『ハネモネ』って書いてあったんですよね、そこかしこに。んー恥ずかしいでしょう、HMVの関係者のアナタ(そんなヒト、このページに来るんかい!)。アネモネって花は有るらしいけどね。
草野マサムネってヒトは「パチンコまにあ」なのかなぁ?以上、徒然なるままに記させて頂きました。
暇なので、日記作成中。都立芝商業高校にて。
SQLなるものにちょこっと触れているのである。情報の研修4コマめ(15:00~16:30)である。30分残しているのであるが、課題を自力でこなしちゃったので暇なのである。現在16:03。
Accessってヤツに久々に触れているのであるが、少し理解が深まった気がする。でもSQL、今後は金輪際触れない自信がある。何のための研修なのだ。ま、いいか。高等学校新教科「情報」ってやつ、前にも記したが、パソコンだけではないはずなのですよね、肝の部分は。しかしながら、講師の先生はパソコンマニアっぽい人が多く(私もパソコンマニアであるが)、教科としての存在意義・存在価値ってちゃんとあるのかしら?と思うノダ。講師の先生は「新教科『上方』はこれからの教科です。金勘定・お笑い、どちらもこれからの社会に重要な要素であります。私たち自身が『かみがた』を理解し、より良いものにしていきましょう!」とよく言っている。理科を教える方が圧倒的に楽しいと思う、今のところ。ま、命令だから仕方ありませんね、コーチョーせんせからのサ。もう少しで講習も終わりそうであるので、日記作成も終了しましょう。16:09記す。
今日行った逃避として、ポータブルCDプレーヤーの購入ってのがあった。職場で時々使うんですよね、パソコンに向かっているときとか、要録・調査書の類を作成しているときとか。さすがにヒト(生徒やセンセイ)がたくさんいる平日とかには使いません。長期の休みとか日曜なんかは音楽聞きつつシゴトする。私は結構音楽聞きながら作業する事って苦にならないヒトらしいス。ま、聞き慣れている音楽に限りますけど、歌詞が入っていても問題なく聞き流せる。
で、今まで持ってたプレーヤー、右のヘッドホンの音が割れ気味になっちゃったので、新たなのを買うことにしたのでした。性能が全然違った。前のも今のもパナソニック製を買ったのであるけど、雲泥の差。音質が違うし、イヤホン自体も耳への収まり具合がよろしい。ま、古いヤツは壊れかけてたのでしょうけどね。プレーヤーはめちゃくちゃ軽く、小さくなってる。
ケンイシイなるヒトのアルバム等を聴いたりしつつオシゴトしたのでした。渋い音楽知ってますね、私って。何で「ケンイシイ」知ったかというと、ラジオで聴いて気に入ったからだったりする。何年前だろ。「メタルブルーアメリカ」って曲だった。
もうひとつ行った逃避はバドミントンの公式戦の観戦。んー大変暑うござんした。うちの学校の大体育館に面が6つ出来てた。ハードな世界だ。勝ち上がってくと1日最大6試合行うらしい。タイヘンだ。
なんか、ケンイシイとか聞きつつパソコン打ってると、サイバー?な感じがしてきますね。今暇つぶしに読みつつある本、かの有名な「1984年」ってヤツなのです。以前から書名は知ったんですけど、読んだこと無かったんですよね。
サイバーパンク。私の頭もパンク。それは「情報科」レポート作成のため。今までも相当文章作成したのだけど、更に6400文字紡ぎ出さなきゃならない。この脳味噌から。つれぇ。
そのCDプレイヤー、私の愛するノートパソコンLet's note は CF-L1EA と色がお揃いなのだ。紫がかった青色がカッチョイー。で、私の顔色ともお揃い!
「ぇ、マジすか?」(Kセンセ風)
またビミョーに内輪受け?
初めて、この住処(とあるアパート)で「ヤモリ」を見た。ヤモリは愛らしい。
清々しい秋の朝である。燃やせるゴミを出した。高い雲、少し冷たくなった空気。
飛行機の破片、ビルの破片、人肉の破片が空から降ってくるなんて、相当強烈な現象ですわな。
9:53現在、阿佐ヶ谷に雨は落ちてきていないようだ。ソフトボール部の公式戦が先週の8日から順延になり、今日行われる。
私は試合の引率はお休みし、もうひとりの顧問のセンセに監督をお願いした。この約束は既に2ヶ月程前から交わしてあったのだ。今日、高校時代の友人の結婚式が行われるから。
夏用の礼服を買っておいたのだが、結構今日は涼しい。ま、良いでしょう。冬用では暑いのは確かであるし。薄手の礼服は以前から欲しかったわけですし、丁度良い口実ができたのでした。黒の革靴も修理に出したのが戻ってきていたし、朝の5時に目が覚めた私は6時過ぎから靴を磨き始めた。何にせよ、今までで一番興味がある結婚式&披露宴なのだ。
その友人は私の中では「最も“結婚”という概念が似つかわしくない男」だったのだ。彼は高校時代の合唱部における友人である。彼の結婚話は、同じく合唱部にいた別のヤツから聞いていた、この年末だったか、年始だったか。「F野(仮名)が結婚するらしいんですよ。あいつが結婚するとは…」ヤツも私とほとんど同じ印象を持っていたそうだ、その結婚するF野(仮名)については。
私もこの数年間は、F野(仮名)とはあんまり接触がなかったですから、彼もそれなりに加齢によってジワジワと変化していったのでありましょう。けど、それよりもあのF野(仮名)の結婚するヒトを見てみたい!そして、惚気<のろけ>顔のF野(仮名:クドいけど)を!!!
ハナシは変わるけど、「タマちゃん」って日本国の秘密部署が密かに拉致・放流したアザラシだった可能性はないだろうか?世間の関心を一時的に多摩川方面へ向けさせ、その間に日朝首脳会談・アメリカによるイラク攻撃への協力・大相撲における八百長の隠蔽・そして「F野(仮名)の結婚」などをいつの間にか一挙に済ませてしまおうという魂胆の下サ。
学園祭に引き続いて行われた体育祭が終わり、本日は2連休の1日目である。ブカツのシドウも終わり、帰宅してブロッコリーを電子レンジで茹でていた。その最中、久々にゴキブリを見た。最初はビーサンでひっぱたいたのだが、不発に終わった。その後、物陰に隠れているので、輪ゴムを用いて狙撃した。1度目もヒットしたはずだし、2度目には羽を1枚もぎ取ったのである。それでも彼は力を振り絞り、物陰へと戻ったのだった。
「ゴルゴ13」的、「甲殻機動隊」的、「ホワイトアウト」あるいは「猛き箱船」的と言おうか?何にせよ、狙撃者の気分を味わった。死体を確認したい。
洒落を最後に挿入したッス。不健全な日記と思ったので。
「彼」は生きていた。1本の脚と1枚の羽を失った「彼」は。
体液が飛び散って、それが衣類に付くのもいやなので、彼の隠れていた近辺の洗濯物を全て取り払った。その最中も、彼は壁伝いに脚を引きずりながら移動していった。その先にあったアルミサッシを開放し、彼を外へ出した。
さらば、ゴキブリ。
私の住処、日当たりは悪いけど、建物の建て込んでいる場所にあるから、風はあんまり強くなくてラッキーかも知れない。台風が来てますよね、21号らしい。
高校3年の担任をしているので、調査書を作成する必要があったりします。と、言っても30数名分なので楽なのかも知れない。私は第2次ベビーブームの走りの世代らしいのですが、私のオツトメサキでも平成元年前後は1クラスが50名を超えていた時期もあったそうです。すんげー。そんなわけ?で、調査書の所見欄や推薦書の下書きをする前に日記を更新したりしてます。「色覚異常について」ってページも更新しましたから、その存在を知らなかった方、お暇な方はご覧あれ。
NHKのアナウンサーが「赤い羽根」つけてる、ヤダヤダ。私は「偽善者」よりは「偽悪者」でありたいね。基本的には「本音のヒト」であるつもりだけど。でも、調査書・推薦書作成の際は相当嘘付いてる気がします。「この生徒、そんなに良いヤツだったっけ?」って内なる声が聞こえるノダ。教員業務も板に付いてきた感じ。そんじゃ、専門学校への推薦書の原稿を作成しましょかね。そんな都民の日(オツトメサキは私学なのに本日は休業なのだ、謎だ)。
ホント、全然どーでも良い話題なのですが、ふと思い出したので記します。このコトに気づいたのは一人暮らしを始め、しばらく経った頃でした。「シラスおろし」、生家では「かつおぶし」がかかっていたのですよね、必ず。あるとき、何となくシラスと大根おろしにしょうゆかけて食ってみた、かつぶし抜きで。
「まいうー!」(5年前はそんな番組やっていないって!と、自己突っ込み)
大根おろしにかつおぶしでも問題は無いのですな、ぷちまいうー。シラス(あるいは小女子<こうなご>)に「かつぶし」かけると、変な臭みが生じませんか?アミノ酸の干渉が起こっている気がするのですけど。
シラスおろしを食していて思い出したのでした。
雨天のため、教員ソフトボールチームの試合は流れた。「リーグ戦」ってヤツなのでした。東京都の実業団とクラブチームによるリーグ戦なのですな。もらっているプリントを元に、その参加チーム記してみよ。
IHI(石川島播磨重工業)瑞穂 筑波クラブ(筑波大の卒業生なのかしら?) オリンパス 東京アスリートクラブ(多分今年からリーグ戦に参加したチーム) 航空自衛隊 早稲田クラブ(早稲田の卒業生チームらしい) 東京教員(私のいるトコ) 高風<こうふう>クラブ 印刷局王子(別に王子様ってワケじゃなく、北区のオウジ) 睦<むつみ>クラブ 以上。
全部で10チームのリーグ戦であること、今知ったのでした。ちょっと賢くなった。
試合が無くなったので、思う存分寝たつもりが、6時半には目が覚めてしまった。ま、8時間くらい寝たわけですけど。睡眠時間が減少している気がする。老人化しているのだろう。
『目がテン!』見て、風呂入って、賞味期限を約一ヶ月過ぎた「サッポロ一番味噌ラーメン」キャベツワカメ混入物を喰らい、1週間前に借りたけど結局見る暇がなかったビデオを返してきた。
そろそろ試験問題を作成しましょうかね。中学2年理科(化学反応のトコロ)の問題、あと80点と少し作らにゃならないのでした。そう、今は逃避中。朝は9時13分。
現在11:17。90分ほど問題作成し、40点分と少し完成した。残りは41点分である。逃避として洗濯物を畳んだのだった。更に逃避として下らない文章記そ。
近年、具体的には2年前にその現象に気づいたのですな。オツトメサキの合唱祭の引率の帰り、魚屋の2階の飲み屋の宴会場だった。ちゃんと店を予約しておいた(そう、私は「宴会」のためにも生きている、相当に。宴命!)のに、どたきゃんしたセンセが多く、食べ物が余りまくったのだな。ホントはドタキャンのヒトからも料金を徴収すれば良かったのだけど、性格的に駄目なのだ。万を超える額の自腹を切った記憶がある。2年くらい経ったので白状しておきましょう。宴会のドタキャンは駄目ですよ、皆さん。とか言いながら、やはりオツトメサキのセンセの結婚式の2次会、練習試合後に駆けつけるつもりだったのを、すっかり忘れたことがあるのも私だったりする。5年くらい前のコトだったような?さっき思い出した。悪いコトしてますね、私だって。
で、「その現象」とは何か。具体的には「限界スレスレまで飲酒をした状態で、牡蠣を食うと吐瀉してしまう」という私のカラダについての出来事である。その魚屋の2階では、厭になるほど生ガキを食いましたね。5・6個くらい食ったのかしら。夜中にモドしましたね。翌日他のセンセに聞いてみたけど、「牡蠣にアタった」ってヒトは居なかった様子。その後、たしか2度ほどありましたね、牡蠣食って吐いた経験。1回はグラタンの中に入ってた牡蠣でした。1個しか食わなかったのだけど、酒は大量に飲んでました。牡蠣食っても、飲み過ぎていなければ大丈夫なのです。モドしたりしない。
2日前、高校時代の友人中最強の酒飲みと阿佐ヶ谷で飲んだのでした。2人でジョッキを1杯ずつにピッチャーを3つ。後に焼酎をロックで飲んだ。飲み屋では彼が「牡蠣とニンニク芽の炒め物」を頼んだのでした。私も不安があったのですが、牡蠣食いました、美味かった。夜中突如として吐き気で目が覚めましたね。昨日は二日酔いとトイレ掃除のために職場に遅刻しかけた。
今朝、2度めの掃除もしたのですけど、まだトイレが生臭かったりして。
オゲレツな話題でスミマセン。問題作成再開しよう。11:34ナリ。
本日3度目の日記執筆。試験問題の作成は終了した。あとは校正と手直しだけだ。結構早く終わった。教員チームの試合が流れたのは、それはそれで良かった気もするのだった。今日、高体連の新人戦、東京都2支部予選が行われているはずでもあるのだ。勤め先のソフトボール部、公式戦に参加できないのでした。部員が9人に全然満たないのです。悲しいけど事実である。私が顧問になってから、公式戦に不参加になったのは初めてである。試合の申し込みを忘れたことを除いて。なんて顧問だ!
私の2台のパソコン(もう1台は職場のノート)で動く SETI@home が199ユニットめに突入した。
テレビCM?を見ていて吐き気がしたのは初めてだ。意味不明で醜悪、私の文章以上に。
JTもおしまいだね。お勤めご苦労。この世の中、君達は不要だ。
私は煙草を吸わなけりゃ、使う塩も高価な塩だし、トマトなんかを作ってた農産物部門も挫折したらしいッスよね。淘汰淘汰。
2006年4月追記:上記CMのナレーションを以下のページで発見しました。
http://www.h4.dion.ne.jp/~mykw/image/menu/witty/witty.htm
上記ページ内を「引きこもり」で検索すると、その私が吐き気を催したCMのナレーションだけは見ることができます。
なお、特定のページ内の語句を検索するには「Googleツールバー」があると便利ですよね。
文部科学省周辺の腐れ公務員様へ
まずは自分らの評価をすべきじゃないの?児童・生徒・学生に全国的なテスト(=税金消費するわなぁ)を行う以前にサ。指導要領って何だっけ?上限?最低基準?大体、あなた達は日本国憲法とか教育基本法遵守してる?朝令暮改も甚だしくて、涙すら出ないね。私自身があなた方(の先輩?)のお世話になったのは確かだろうが、君たちを尊敬はしないね。食わしてやってるんだから、働け、上から下まで。ってか上のヤツらね、特に。
「大量破壊兵器」って何のこと?アメリカとかフランスとかインドとかの「核兵器」って「大量破壊兵器」じゃないの?あるいは「アメリカドル」も「大量破壊兵器」じゃなくて?「燃料気化爆弾」・「劣化ウラン弾」ってアリですか?
「ポッキーの日」である今日は「新聞休刊日」でもある。
不思議なもので、新聞を意図的に購読している身ながら、休刊日には何故かほっとしたりすることもあるのだ、「今日はゆっくりできるな」って。私は朝日新聞の朝刊のみ(3670円/月)を購読している。夕刊まで見る暇・余裕がないのだな、多分。夕刊は夕刊で、それなりに面白い読み物もあるようなのだが、結局朝刊すら日中は読む暇が無く、大概の場合帰宅後に食事(アルコール)を摂りながら読むことになるのだった。新聞って購読しなけりゃしないで、日常生活にあんまり影響は無いような気もする。でも、新聞って読みたいときもあるのですな。自分自身が活字中毒人間(読み書きとも)であるし、話題のニュース?についてはテレビをボーっと眺めるより、活字として吸収したい場合がある。
しかし、老化が進んでいるため、吸収したつもりの知識が垂れ流される場合も多々あるのも事実。
年賀状のデザインを考えているのだけど、なかなか思いつかない。インクジェット紙用の年賀状は買ってあるのだ。「情報科」の免許状をゲットするため、阿佐ヶ谷南3丁目郵便局に通った際、賀状を売っていることに気づいたので。プリンタも新しいモノ(BJ F930)があったりするので、どんなデザインにしようかと悩んでいる。
日本ってクニは朝鮮社会主義人民共和国ってクニに対して、「あなた方に拉致され、この度ニホンに帰ってきた5人。このまま日本に居させる!」ってコトを表明したらしい。が!、「死んじゃったとされる人リスト」の家族の方々の意見が余りにも無視されているような気がする。
今回帰ってきた5人の家族の気持ち(もう、北朝鮮へは行かせない)も分かるし、旦那を北朝鮮に置いてきたカノジョ(ナマエ忘れた)も複雑な気持ちだろうけど、「依然家族が行方不明な人」ってのはどう思うのだろう?「とりあえず、5人を向こうへ返そうよ、返して欲しいな。そうすれば、私の子供も帰ってくるかも。」って思ってるんじゃないかしら?
今日、初めて「お色直し」をした。
今朝着ていったシャツ、かなり強烈な色だったんですよね。「臙脂<えんじ>」でしたね。
着用するのは2度目だったのです。前回は茶色の毛のパンツ(スラックス)を履いていったのでした。今回は濃いめのチャコールグレイの綿パンツと臙脂の地にプリントが乗っかったネクタイを合わせたのでした。自分でも「怪しー」とか思ってたのですね、実のところは。
職場に行って思いだし&ビビりました。「本日は学校説明会だったのだ」って。来年の4月に入学するかも知れない方々にお会いするのですよ。私自身、今朝の私のような格好をするヒトって信用しないなぁ(なんじゃ、そりゃ?)。朝のホームルーム(と言っても私は「一般的な」クラス担任らしきハナシをしないような気もする)のとき、生徒も言っていた「怪しー、ホストみたいー」って。別に「ホスト」という職業?を否定するわけではありません、念のため。かといって、肯定もしないけど。
一度帰宅し、ワイシャツ(ホワイトシャツ)・グレーのスーツに着替えた私だった。だんだんオッサン?になってますな。スーツ・ワイシャツを肯定したいとも思わないけど、全裸を肯定することもできない。
あと6時間後には職場のガッコに居るのだろう、私は。
無免許・酒酔い・視力不全でバイク運転・転倒して、キチンと教員として生きていられる私みたいなヒトも結構珍しかろうな。そしてこれほどの文才。えっ、気のせい?
そのバイクの持ち主は今週末に結婚式を挙げるそうな、めでてー。
そんな彼も僕も、国立大生だったから大学の学費を税金で立て替えて貰ってたワケでもある。ま、全ての大学教授・高等学校教諭・中学校教諭・小学校教諭・幼稚園教諭・保育士・その他議員や公務員を始めとした公僕、現在の私が養ってやっているわけであるけどさ。持ちつ持たれつ?自己努力?
翻って大学時代、バブル期にあやかってバイトした金で飲んだくれていた頃は、そんなこと考えなかった、気づかなかった。自分の親からは「学費がかからないように、学校は公立に行ってくれ」って小さい頃から言われてたから従ったまでのハナシなのだったりして。自慢、いやらしすぎ?
職場の先輩であり、私立大学出身のセンセ(鈴木ヒロコ)に、この「バイク転倒話」を披露したとき「学費払ってあげてたんだから、ちゃんと勉強して欲しかったわ(プンプン)」って言われて気づきましたねぇ、この根深き問題。
バイク転倒話、もう少し詳しく記しましょう。
はっきり言って、死んじゃってもおかしくない状況だったと思いますね。
転倒時、シャツ両胸のポケットには陶製の湯飲みが2つずつ入ってたのですが、転倒時に砕け散ったようでした。しかしながら、幸運なことにその破片、特にどこにも刺さったりした気配はありませんでしたね。で、転倒後しばらくぶっ倒れて天を仰いでいました。空を覆う松の木を眺めていたのは何秒間なのか、あるいは何分間だったのか、何を考えていたのか、何も考えていなかったのか...。今となっては分かりません。
で、夜空を見上げるのを止め、立ち上がろうとしました。が、うまく立てませんでした。右足に力がうまく入らないのですわ。膝を相当痛めてしまったみたい。
今だからこそ笑って記せ?ますけど、その時は相当動転していたわけです。足を引きずりながら、とりあえずその湯飲みの破片を回収しました「他の車がパンクしちゃいけない」って。謎な行動ですな。ま、現在でも私は「あやしい」らしいから、結局のトコロ「普通」の行動だったのかもしれない。意味不明。
で、次に吹っ飛んだ靴を回収しました。コンバースのオールスター、その紐がことごとくすり切れていました。とりあえず、それを足先につっかけましたね。履いていた黒のリーバイス501の右ひざは抜けており、そのウォッチポケットも剥がれ落ちかけていました。コーデュロイのシャツとその下に着ていた綿製ハイネックは肘の部分まですり切れていましたね。
出血部位はどれも擦過傷の様子でした、よく骨折しなかったものだ。これは部室に帰ってから確認したのですが、右目の横と右肘下2箇所、右手首、右膝2箇所から流血してましたね。さらに後から思ったのですが、膝の靱帯は何本かぶっちぎれたのでしょう。
で、借りたバイクを確認しました。エンジンはストップしていました。バイクを立たせ、またビビリましたね。前タイヤの方向とハンドルの方向が違っちゃってるんだもの。相当本気で転んだことに気づきましたね。1万円札に羽が生えて飛んでく姿を見たのはこの時が最初で最後であります、現在のところ。
くどいですけど「飲酒」してましたから、どの程度の転倒だったのか、そのトキはいまいち把握できていなかったのですな。鉄が歪むくらいの衝撃があったこと、その時にやっと気づいたのだった。
ギアが入ったままだとバイクを転がせないのでニュートラルに入れ直し、痛む足を引きずりながら学芸大構内でバイクを押して歩いたのですね。少なくとも30分くらいは時間が掛かったはずです。そう、あれは1990年12月。
「あいつ、遅せえなぁ」ってコトで私の探索に赴こうと、寝込んでしまった酔っぱらい1人を置き去りにして部室の扉を開けた酔っぱらい2人は、バイクを押す血みどろの酔っぱらい(私)に出会ったのでした。向こうも相当ビビッたそうです。
日本もイラクへの戦争協力を拒否するコトは無いのだろうか?ドイツやフランスのように。
まさに今この瞬間(私の文章作成・あなたの閲覧時)にも地雷の製造をしてるヒトがいることが不思議。「労働」って何なんザンショ?
また命が散ったのですね、宇宙開発に絡んで。
冷静に思えば、超高空絡みの数知れぬ死、これまでも相当数存在したコトは想像に難くない。
機器開発・実験中の不慮の事故死もあったろう。それはカメラの前に現れる事も無い。
宇宙飛行士として死ぬ。兵器製造者として生きる。悪徳政治家として生きる。首が回らなくなった社長として死ぬ。そして、挙動不審な国家元首達は生きてる。そんな現実(ただしブラウン管越し)を見ながら僕も生きてく。
私って、もろに『機動戦士ガンダム』世代なのですね。しかしながら、その続編であるらしい『Zガンダム』とかには興味はないのだ。あくまでも単なる『機動戦士ガンダム』なのですな。ま、機会があったらその続編やサイドストーリーなぞをレンタルで借りて来ようとも思ってはいるが、そんな暇は今のところ無いのだな。今、改めてWeb上で探索してみたら、私が本気で見てたのは、東京での再々放送だったことが分かった。小学校5年の時だったのですねぇ。最終話は3学期だったように記憶していたけど、それで正しかったみたい。
その最終回、「カツ・レツ・キッカ(子供3人組)」が「ア・バオア・クー(宇宙要塞)」を脱出しようとする「アムロ」に対して、テレパシー(ニュータイプの特権?)で指示を出すじゃないですか。「右だよ右」とか「そこで曲がって」とか。最終的には子供3人組が「3・2・1、やったー!」って言うと同時に、ブッ壊れかけた「コアファイター」に乗ってアムロが脱出するのですな。結構泣けそうになりますね、思い出すと。そして、メチャメチャ思い出し笑いをしそうになる。ってか、今も笑いを堪えながらこの文章を記してる。
今は製薬会社で研究職をしている彼、前日の放映の真似をしてたのですな。そう、小学校5年生の3学期、給食の時間のコトであります。
「3・2・1、やったー!」って万歳したら、指を盆に引っかけてたみたいで、その日の給食をアルミ製のお盆ごとぶちまけてしまったのです。ムチャクチャ悲しく、そして笑える。
給食を食っているときに、牛乳飲んでるヤツを笑わせるって遊び?は必ずありますよね。あれは牛乳が白いから面白いってのもありますね、鼻から白い筋が流れるってのは視覚的に面白い。鼻血の赤も間抜けで笑えますよね。で、更に悲しくも笑えるコト、それは牛乳を吸収させた「布きれ」の臭さ。
今でこそ雑巾を濯いだり絞ったりってコトは簡単にできるけど、小学生は掃除も嫌いなら握力・腕力も足りないだろうしねぇ。
で、『機動戦士ガンダム』、画期的でしたよね。その当時は私も夢多き小学生だったから、自分が爺さんになる頃には「スペースコロニー」とかが空(ってか宇宙)にボコボコ浮かんでいるもんだと思ってた。ホントはこれから本題に入る予定だったんだけど、文章作成するのに疲れたからこの辺で止めておく。
でさ、スペースコロニーって完成しないでしょうね。
小学校・中学校時代の私は信じていた、スペースコロニーの完成・宇宙時代?の到来を。自然(科学)についての認識が甘かったからねぇ。万単位の大勢のヒトが住める建造物、どう考えても割に合わないでしょう。数名が居住する国際宇宙ステーションでヒイコラ言っている2003年現在だし。
ヒトが宇宙空間に定住するってのは非常に難しいですよね。その理由を少しばかり挙げよう。
宇宙空間に住むことによる宇宙線の被曝→癌やその他の病気の発症
隕石等によるコロニー破壊→酸素を含んだコロニー内のガスが洩れればその中のヒトは簡単に死亡
生殖の可能性の低さ→メダカの卵が稚魚になるには重力が必要らしい(ヒトもダメでしょね、恐らく)
有機・無機化合物の完全循環システム作成の難しさ→地球上ですらゴミがあふれて大変だっつーのに
夢物語っていうと、「核燃料サイクル」ってヤツもありますね。そっちの方が切実である気がする。こっちの方も私自身、中学生の頃は信じてましたね。「そうか、エネルギーが無尽蔵に得られるのか、凄いもんだ」って。行政と企業が結託してコマーシャルをしてるんだものな、今でも。特に夢見がちな若い世代はイチコロだよね。あるいは単純に信じちゃう「そうかー、原子力発電は地球に優しいんだ」とかさ。片腹痛きコトこの上なし。盲腸で核融合しちゃうよん(出典:臍で茶を沸かす)。
例えば太陽光発電や風力発電ってヤツっすよ。まあ、原子力発電よりは危険性は低かろうけど、原発と同様、生産されるエネルギーより、その施設を維持するためのコストの方が大きくなるでしょうね、恐らく。
年金や国債もそうだし、放射性廃棄物も同じ。このクニ日本の舵を取っている老人達、彼らはそのうち死んじゃうから良いだろうけど、残される私達やそれ以降の世代に丸投げしているダケじゃないですか。ま、それくらいの「図々しさ」と「向こう見ずさ」を持っているからこそ、ヒトっていう生物や日本ってクニが繁栄できてきたとも言えるのでしょうけどね。
この先は暗いねぇ、このままだと。「デフレスパイラル」よりも「丸投げ政策」に問題があるんじゃない?どこかの役所が言っているけど、そんなクニに「誇りを持て」ってのは難しいだろうね。とか言いながら、私は仕方ないから埃だらけのこのクニで生きていくつもりでもあるわけだけど。
ウルメイワシの丸干しにマヨネーズを添えようとしている自分の存在にビビッタ。ウルメイワシの丸干し(若干しではない)はただ炙っただけで美味いのに、自分の味覚が(チープな)居酒屋ナイズされつつあってビビッタわけですな。
本日、微妙にパソコンを増強した。メモリを倍に増やしたのですな。暗号的には"DIMM 256MB (133) CL3"ってブツになります。ノンブランドだったけどバッチリ作動。税抜きで¥3580(税込み¥3759)ナリ。3年前に比べて約3分の1の価格になっているんですけど、底値は2年チョイ前だったようです。ま、net上で調べた限り、秋葉原を歩き回った価値はあったようだ。電車賃(往復¥580)とか、途中で飲んだ"缶茶"の値段とかを考えたりするのは虚しいので止めましょう。チナミに「まいぱそこん」の動作はそこかしこが微妙に速くなった気がします。でも、すぐ慣れちゃうんだよね、経験上。何で、「幸せ」って「気づき難くできている」のでしょうねぇ?
で、埃まみれのミドルタワーのスペックでも記しましょうかね、検索によってパソマニアがこのページに訪れて、ページカウンターの水増しが見込まれよう。ヘタするとリピーターになってくれるかも知れない。とりあえず、10000カウント行ってみたいですしね。
品番:飲んだくれ壱号
中央演算装置:PentiumIIIプロセッサ 800EB MHz
小片集合:Intel 815E Chipset (ってか、母板:CUSL2)
出鱈目利用記憶媒体:512MB SDRAM PC133
映像用出鱈目利用記憶媒体:32MB
映像専用加速装置:GeForce2 MX (ってか、映像加速板:AGP-V7100 Deluxe Combo)
むー。疲れたので、後はいい加減に。
サウンドブラスターのバルク・56kFAXモデム・LANボード・2モードFDD・650メガMOドライブ・CD-R/DVDコンボドライブ、他タブレット・プリンタ・モニタ・スピーカ等々
で、パソコン回りの書籍の整理を行ったのだけど、UNIX(Linux・FreeBSD)絡みの本が未だチョコッと存在しているのだな、「オガワマサキ第58次書籍粛清」を乗り越えて。
結局、自分のパソコン(自作機・PC-9821とも)にUNIXを入れようと試みた時期もあったけど、挫折しましたね。突き詰めるとLANボードやモデムのドライバがうまく入らなかったので飽きちゃったのですな。そして、オシゴトは完全にWindows上で行っているしねぇ。
そうですね、メモリ買った店のナマエ記しておきましょう。その店は"Computer Plaza ZOA"っつー店です。適度にマニア向けだけど店内は明るく、価格は安めだと思いますね。ま、階段は例によって狭いけど、その狭さがココロをくすぐるハズ、何じゃそりゃ?
ま、私の主観ですけどね。「アキバ」ってトコに行くコト自体がマニアの証でしょうね。
その店を知ったのは職場のTセンセ(キーボードやモニタが無い時代のコンピュータを知っているらしい:本人曰く)からの推薦ですから、まぁ間違いないでしょう。
で、私は「酒マニア」ね。(一応日記として完結させるために記した)
ソラマメを食べると「春だっ!」って気がしますね。鞘から出した状態で皮ごと喰らうのが美味いと思うのだ、私は。
梅は品種改良が進んでいるのでしょうね、散発的に香るがために、「春!」って感じはあんまり無い。春の香りは「沈丁花」でしょう、未だ嗅いでいない。ある日、突如としてあの香りに気づきます。
「春的映像」は散る桜ですね、言わずもがな?
船戸与一
この作家を知ったのは、マンガ『猛き箱舟』(原作:船戸与一 画:柳沢一明)を読んだからだったりします。「ベアーズクラブ」っていうヤングジャンプ系の月刊マンガ雑誌に連載されていたのですな。調べてみたら、私が高校3年の頃くらいに連載されていた様子。今から3億年前とは気づかなかった。で、かなり面白い物語だったので「原作読んでみてぇー」ってコトで読んだのでした。そこからハマりましたね、船戸与一ってヒトの小説。
船戸作品に触れることによって、私の中ではマスコミに踊らされずにモノゴトを多面的に見る傾向が出てきた気がします。私の人格形成に影響を与えていると言えましょう。マンガも重要だと思うんだよね。そのマンガに出会わなければ、今の私は存在しないのだ。特に『猛き箱舟』は船戸作品の中でも相当に面白い物語だと思いますね。
例えば、『ホワイトアウト』って作品も相当に面白いのは確かです、あれは面白い。あるいは『パラサイト・イブ』とかね。そいつらを書いたヒトの作品、他にも出ているみたいなのだけど、それほど読みたいとは思わないのですなぁ。「♪なんでだろーぉ?(ジャージ上下着ながら手足動かしつつ)」。『リング』は相当面白いけれど、続編を引っ張りすぎでしょうね。作家って職業も大変そうだ。
今回読み終えたのは『午後の行商人』って物語。例によって、読後はかなり脱力しますね。分厚い文庫本なのだけど、一気に読める感じです。
チナミに、私、『ポリー・ハッター』ってのは読んだこと無いス。そりゃそうさ、『ハリー・ポッター』シリーズだって読んだこと無けりゃ、映画も見たこと無いんだから。ファンタジー系ってあんまり興味を覚えないんですよねぇ。
そう、私はマンガを読まなくなった、大学4年になるくらいだったかな?「スーツ着ながら電車内で週刊マンガ雑誌読んでるヒト」になりたくなかったんだよね。いつか「ビッグコミックスピリッツ依存症」を断ち切らねば!って思ってたのだ。また、私はスポーツ新聞を基本的に読まない。「スポーツ新聞を読むオッサン」、あれもカッコわるいと思うのだ。銘柄不問、一括り。
また、「日本経済新聞を読むニイさんネエさん」には船戸与一をお薦めする、マジで。経済(お金)は二次・三次的なモノだよね。生物に絶対的に必要なのは「食べ物」だな。そしてヒトにはココロ。
2006年8月追記
『ホワイトアウト』を書かれた真保裕一氏の作品、その後何冊か読みました。
ドラマ化された『奇跡の人』と、デビュー作『連鎖』です。どちらも面白かったです。
その他の作品も読むことになると思います。
『連鎖』文庫版の解説を読んでいて、ディック・フランシスという作家の名前を再確認しました。そのヒトの作品は読んだこと無いのです。気が向いたら読んでみます。
大学時代、1年先輩の小学校国語科のヒトのお勧めが「ディック・フランシス」だったコト、連鎖を読破した中国上海で思い出した私でした。
今日まで、ウグイスとメジロを混同していた。メジロのルックスとウグイスのボイス、私のアタマの中では同じ生物と見なされていた。
ヒトってのはデジタルを志向する、あるいは回帰したくなる存在なのかしら。線引いて戦うのは楽だよね。とりあえず思考を停止できるから。
犬や猫ならば、あるいは大腸菌ならば、「自分はなぜ存在するのか?」なんて考えないだろうしね。何で生まれたのか解らないことを保留したまま、僕も生きていますよ。
でもさ、ブッシュ(ガキ)ももうちょっと考えて欲しいよね。兵器を使いたいのなら、日本の自殺サイトマニアにでも高額で売っぱらえば良いのだ。キルギス他どこでも構わないけど、ウラン鉱山にまとめて送り込んだら良いんじゃない?死にたい人たちに殺し合いをさせ、兵器も消費される。どうせ死んじゃう人たちだから、多少被爆したって問題Nothing. Very^2 Ecological! Isn't it?
4日ほど前に勤め先の高校卒業式があったのだった。自身としては持ち上がりで3年間担任した生徒を送り出すのは2度目なのだった。
ビビりますね、来年度は勤め始めて10年目に相当するのですね。大学卒1年目は別の学校で非常勤講師、2年目は今の勤め先で非常勤講師。3年目から今の勤め先に専任教諭として勤務している。
今回生徒たちが卒業し、大変に嬉しく思うのは確かだ。
で、次に心に浮かんでくるのが退学者たちなのだった。幸い?なことに前回の卒業生たちのときは、自分が担任した生徒で退学しちゃった生徒はいなかったのだ。今回は自分がクラス担任したことがある生徒は4人退学したんですよね。何らかの運命によって出会った以上、3年間お付き合いしたかったのだけど叶わないこともあるわけだ。
で、突然話は変わるが、「財団法人」とか「社団法人」とかって胡散臭い。「学校法人」より数段胡散臭い。
基本的に彼らの給料は税金な訳でしょ、あるいは寄付。よく知らないけどさ。
ま、私の給与の一部分も税金だけど。
私は真面目に仕事しないと生徒が来なくなって仕事を失う可能性があるケド、「補助金」が舞い降りてくる彼ら(見たこと無いけど)は大してそんな心配しないんじゃないかな?
私が在籍する「学校法人」にはそういった団体からの「講演会のお知らせ」みたいなメールが結構やってくるのですね。職務として学校宛のメールをチェックする係になっているので。そういったメールを目にすることが多いのですよ。
じゃ、採点に戻りましょう。そう、逃避していたのですね。
前回嘘ついた。
社団法人ってヤツに一時就職した友人がいて、非常勤講師時代の暇なときにボランティアとして何度か仕事を手伝ったのだった。ま、ボランティアと言っても「交通費」ってことで2・3千円貰っていた気がしますね、一日がかりの仕事だったけれど。別にその団体名隠すこと無いか。私がちょっとお手伝いしたことあるのは「社団法人青少年交友協会」ってヤツですね。結構変わったことやっていて面白いと言えば面白い団体です。宣伝でもしておきましょうかね、数年ぶりのボランティアとして。
青梅街道近辺にすんでいるヒトや、春や秋に青梅街道を車で走ったことある人は見たことあるかもしれません。青梅街道沿いの怪しい黄色の幟「かち歩き」。
「かち歩き」そいつは「飲まず食わずで20~43kmを歩き通す」というイベントなのです。スポーツするヒトは分かると思うんですけど、「食わず」は良いとしても「飲まず」ってのはかなり「問題アリ」ですよね。43kmって言ったら時速6kmで歩いたとしても7時間ですよ。水飲まずに7時間、危ないっすよね。ま、43kmは3月とか11月といった体力の消耗が少ない季節に行われますけれど、一応。
私が歩きに参加したことあるのは川崎~登戸20kmってヤツでした。新宿~青梅43kmは私もやりたいと思わないッス、20kmくらいが適当でしょうね。43kmを手伝ったときは車に乗って巡回や荷物運び、幟回収などを手伝ったのでした。
あとね、「グリーンアドベンチャー」っていうヤツも関わっているらしいですよ。都内では新宿御苑・代々木公園・日比谷公園・中野区役所周辺・北の丸公園・神代植物園・井の頭公園・しながわ区民公園・上野公園・昭和記念公園にあるんだってさ、今知りました。「グリーンアドベンチャー」ってのは「あなたのお名前何てーの?」ってコトを樹木に対して行うヤツ?なのです。上記の公園に行くと看板が立ってますよ。
その看板「グリーンアドベンチャー」を見るたびに、約10年前にその法人で働いていて現在塾講師をしている腐れ縁の友人Mと、その協会の理事長「モリタユウゾウ氏」を思い出してしまう私なのでした。
今、アメリカ合衆国国民は何を考えているのだろう。「ブッシュに投票しなきゃ良かった」とか思ってんのかなぁ?彼を大統領にしようと思い、世界貿易センタービルに勤めてて死んじゃったヒトはたくさん居たのだろうなぁ。
僕は身近な人と仲良くしたいと思う。家族とか職場の同僚とか生徒の皆さんとかご近所さんとか愛しい女性とか。今の僕にはそれくらいしかできないけど、それがとても重要なことだと思う。
職場で成績などのバックアップを取っている最中ふと思い出したんだけど、Windows95が無い頃はネットワークの構築がめんどくさかったのでありますね。私の職場には幸いにしてコンピュータに詳しいTセンセがいらっしゃるから、MS-DOSの頃からコンピュータのネットワークも形成されていたのだけど、確かもっとも初期の頃はDOSプロンプトからコマンドを入力する必要があったのだ。その上でウィンドウマネージャのソフト「EOSystem」ってソフトが動いていた。懐かしや。
で、コンピューターネットワークね。便利っていえば便利なのだけど、管理がまた大変になってくるのですね。スタンドアロンならばウイルスだってそんなに蔓延らないだろうけど、職場のメインアドレスなんてウイルス付きメールが届かない日の方が珍しい。果たしてネットワークは我々(共産党っぽい響きですね)を幸福にしたのだろうか?
それはそうと、LANケーブルのストレートとクロスを自分の目で確認できる私って確実にスキルアップしてるわ。ま、コネクタが透明なやつに限りますけどね。
で、そこから私の思いは「グローバル化」に及ぶのですね、もちろん経済の。
市場の国際化(アメリカドルの流通)は富むものと富まざるものを明確化したに過ぎず、幸福なヒトが増えた反面、虐げられるヒトもまた増えた訳ですよね。これはビンラディンやフセインが常に言っていることだし、私もそう思う。私は「フセインってヒトが素晴らしい」と言っているわけではありませんよ、念のため。
もちろん、間接的には私も誰かを間接的に虐げているコトを知っています。食糧にしろ、衣料にしろ、輸入品だらけですものね。安い賃金で働く、日本以外のクニの人々が存在するわけです。有名なところでは、手縫いのサッカーボールってヤツがありますよね。あれは誰か(一説によるとパキスタンやインドの子供たちなど)が非常に安い賃金(もちろん、為替というシステムが存在するためだ)で働いた結果、生産されてくるわけだし。
で、私の思いはさらに飛躍するのであるが、「宇宙は無から生まれた」って言うのが現在の定説らしいじゃないですか。
ってことは、「幸福と不幸の総和は0となる」ってコトなのかなぁ?なんて。
でもそれは非常にむなしい考え方ですよね。地球上の幸福と不幸の総和が幸福にシフトしていくように、教育や国家というものが存在すると思いたいのだが、実際はどうなのだろう?
結局、世の中ってすべて競争ですものねぇ(ええ、否定しません、全然)。
むんずかすぃーノダ。
平成14年度も終了! と。
本年度前半は今まで生きてきたうちで一番多忙だった。後半はそれに比較すれば楽だった気がするのであります。チナミに残業とかいった概念は無いッス。教員は楽なのか?私はハードながらも楽しいと思う。おもしろい仕事だけど、休みが多いとは思えましぇん。
現在19:15、職場にいたりする。この文章がweb上に存在するってコトは、文章をメールで自宅に送信し、そこからhtmlに起こし(大した技使っちゃいないですけど)た上で、リムネットのサーバーにFTPで送ったってコトになるのです。
これから記すのは先ほど脱力したコト、「職場における旧世代の方々の努力」について。
とあるヒトが文章をワープロで執筆、印刷→その印刷結果をFAXで送信→受信した別のヒトはそれを見ながらパソコンのワープロソフトで清書、印刷以上の一連の作業が行われた様子である、私の観察によると。
原稿をメールで送受信してレイアウトをワープロソフトで行うか、あるいは元原稿作成者が直接添付ファイルの形にして送れば済むシゴト?であろう。時間が無駄に使われている気がしてならない。
「人の振り見て我が振り直せ」という諺もあるし、なるべく時間を有意義に使おうと思い直した次第であった。そんなわけで、自分の机の整理を放置して無駄に日記を記す私でした。帰宅しよう。
アル中の私。
酒を買うときって、どうしても「度数」を気にしてしまいますね、そして量。そう、結局は総アルコール量を気にしてしまうのだ。勿論、美味しさも重要な要素ですけれども。
最近日本酒に傾倒している私なのです。買うのは基本的に「純米酒」ですね。そして、製造からせいぜい3か月以内のものを選ぶ。価格は2500円くらいまで。ビールも好きなんですけど、特にビールと日本酒は品質の劣化が著しい気がします。ってか、ワインはあんまり美味い不味いが解らないのです。ラベルが横文字であることもあり、あんまり銘柄を覚えられないってコトもありますね。ウイスキーや焼酎などの蒸留酒は数ヶ月くらいじゃ品質の劣化は無いんじゃないかと勝手に思っています。
で、値段ね。この間、焼酎一升で2万5千円くらいのものがあることを知りました。超インフレ銘柄なのでしょう。日本酒一升でもそれほど高価なのってあんまり見ませんよね。私、ウイスキーはスコッチが好きなのですね。あんまりバーボンは好きじゃない。シーバスリーガルとか好んで飲んだりするのですけれど、最近研究するに「シングルモルト」ってヤツの方が美味いみたいな情報を得るのです、度々。ビールを基準に度数・価格を考えるとウイスキーは4000円くらい出しても良いのかも知れないけど、根が貧乏性なもので2000円台のボトルしか買ったことが無いのでした。今度高いウイスキー買ってみようと思っているのでした、シーバスリーガルも底をついたので。
職場から出た春休みの宿題を力業(?)で終わらせ、ノホホンとしている僕だった。酒もあるし幸せ。
ヒトの性格等についてのcategorizeってのは不要な気がするんだけど、このページを規定している言語という存在自体がcategorizeの賜物だものなぁ…とか思う、そして科学ってのも結局のところ宗教に過ぎないのかもなぁ…って気がする昨今。
新年度、何とかオシゴトのペースを掌握しつつあるみたい。
気がつけば教員業も11年目に突入したらしいです。
社会人?初年度はボロボロでしたね、登校拒否(出社拒否)に陥ったものなぁ。今でいう「パニック症候群」だったのでしょうね。2回ほど原因不明の動悸・発汗・めまいに襲われましたっけなぁ、山手線内で。
今でも生徒に対して「押しの弱い」教員だと自覚しているのですが、これでも強くなっているわけですよ、それなりに。教員業1年目、授業中は生徒に喋られ放題でしたからねぇ。当時最も世話になった(私が制御できなかった)中学1年生、今は大学を卒業した頃なのでありましょう。
ま、現在の勤務校でも初年度はボロクソだったわけですけど。ってか、今もボロクソなのかも?でも、自分としてはかなり楽しくオシゴトしてますね。
こんな文章記す暇があるなら、試験問題作成すれば良いのにねぇ。
現在7:37。試験問題作成再開しよっと。
8:06 ふと思い出したのだけど、うちの職場ではワープロ(ソフト)で小さなイを打てないヒトが時々居る。全角カナで「ミーティング」って書きたいのだろうけど、その“ィ”が半角カタカナの単なる“イ”になっている場合があるのだ(半角カナはネット上で使うとろくなコトが起こりません、知らない方は今後気を付けましょう。とか言いながら、私は長きにわたり半角カナをトップページで使ってた。)。それを見て、私は悲しさを覚えるのだけれど、「“L(あるいはX)”の次に“I”を押せばよいのですよ。」ってことを教えてあげても良いなぁと思いながら幾星霜。
8:51 そう、思いだした。ヒトにメールを送るとき、やたらに“To:”欄に知人のアドレスを列挙するヒト居ますよね。「別に君の友人リストを知らせてくれる必要はないよ」ってメールで送り返そうかと思ったりするけど、結局面倒くさいので「本人が気づくまで放っておく」ってスタンスを取ってますね、わたしゃ。場合によっては「K田氏のメールからアナタのメールアドレス知ったんだよね。で、連絡したいことがあるんですけど…」ってメールを送ったこともあったなぁ。だから、便利といえば便利かも知れない。あと、失礼だと思うのは企業がそれ(アドレスの列挙)をやっている場合ね。ダイレクト広告メールが職場に届いたりするんだけど、htmlメールだったり、メガバイト級の添付ファイルがあったりした日は何となくムッとしますね。一度は企業に警告したコトある「訴訟になるかもよ」って。ADSLだったら「メガバイト級メール」もすんなり受信できるけど、ダイヤルアップだったら相当回線を占有しますものねぇ。
9:19 度々逃避。私は女子校に勤めている関係上、授業の板書や試験問題作成時「雄」よりも「雌」を「精子」よりも「卵」を「精細胞」よりも「卵細胞」を先に持ってくる。だから何だってか?うーん、何なんでしょう。心の中では女尊男卑、レディーファーストを心がけて居るんでしょうねぇ。教え子の皆さんが「淑女」かどうかはさておき。ま、私も自分が「紳士」かどうかは疑問ですし、持ちつ持たれつ?であろうね。
9:32 私の部屋にあり、長い間聞いていなかったCDを順に再生している。最も長いコト聴いていなかったのはオリジナルラブの『SESSIONS』、2番目はザバダックの『創世紀ザ・ベスト・オブ・ザバダック+2』、現在3番目のシュガーベイブの『SONGS』。2番目と3番目はリマスタリングか何かのヤツである。もっと聴いていないCDはブックオフ阿佐ヶ谷店に消えていったのである。もう退職なされたけど、自宅に千を越えるアナログのレコードを持っている数学のセンセが居た。私の見る限り、数学の先生って厳密さを好みがちである気がする。その先生はレコードをコレクションするのが大変だからピアノ曲に限って収集しているんだったかな?あるいはベートーベン限定だったかしら?数年前のことなので記憶が定かではないが、大量のレコードは印象に残りまくっている。分野を限定して千を越えるアナログ版ですよ。「さすが数学科!」って思った私だった。
12:03 うー、おなかいっぱい。気分転換に冬物のスーツをクリーニングに出した。目当てだった「(阿佐ヶ谷)ホープ軒」が休みだったので、北口の「いっこくや」で味噌ラーメンを食べてきた。フツーにおいしいラーメン屋だと思う、時々ラーメン食べに行く。どちらかというと、私は阿佐ヶ谷ホープ中毒である。1か月に1回以上は食してますね、確実に。いっこくやはそこまで通ってない。
14:40 試験問題9割完成。
そうだよね、書いとかないとね。
「趣旨」の1行目から誤解釈も甚だしいのですけど...。
直接「高等学校教育指導課」にもの申したワケじゃないけど、どうせメール送ったって反応無かろうから、こぢんまりと告発?してみました。一応解説しますと、「学習指導要領」ってヤツには「確かな学力」なんて文言は無いハズなのですよ。「確かな学力」ってのは最近雲霞<うんか>省、じゃなくて文科<ばっか>省が言い出した謎のフレーズに過ぎないハズなのだ、私が知る限り。
意見反論送りやがれ、バーカ。おまえの父ちゃん日本銀行!ついでにおまえはどら息子。そう、僕たちもリーチ孫ドラドラで二千ザンク。親流れだぁ、ざまあ見やがれ。(あぁどんどん意味不明)
そう、僕は純真さを失っている。どうしようもないギャグ風の文章でホントに言いたいコトを紛らわしているのです。
いや厳密に考えてみると本当に言いたいコトなんて特に無いのです、スイマセン。僕は僕として真面目に生きていきます、これからも。そう、高等学校教育指導課の馬鹿どもを反面労働者として。
現在11:02。阿佐ヶ谷北口から中村橋への関東バスの中。
本日は授業を1コマだけこなし、豊島区(地元!)の中学校4校を回る予定。今日で延べ4日間に渡る営業活動はひとまず終了する。昨今は少子化の影響著しく、生徒もなかなか集まらないのである。ポスターやパンフを渡しに中学校や塾を巡るわけなのですな。
11:09、ケータイメールは疲れるのでひとまず終了。
12:50、豊島区内の公園にて。さっきバスに乗ったとき、始発の駅から2つ目の停留所で下車する老人がいた。高齢者用無料パスの乱発が老人の足腰を退化させ、それが医療費の国庫負担増に繋がっているような気もした。老人になった時に困らないよう、職場(学校)内ではエレベーターを使わない私が思ったコトでした。雲行きが怪しい。雨にならなきゃ良いのだが。
16:50阿佐ヶ谷に向かう中央線の中。豊島区内の残りの4校を回り終え、帰宅の途に着いている。帰宅したら正式な報告書作成せねば。今回、私が理科教師の道を志す直接のきっかけとなったキムラ先生と同僚だったという先生にも逢え、それなりに面白い数日間だった。毎日この日々(営業活動)の繰り返しだったら嫌になるだろうケド。
その1:クリプトン85
アメリカは、自国がイラクを無理矢理爆撃したことから目を逸らさせようと、北朝鮮を新たな目標に設定したんじゃないの?
クリプトン85、イラクで使った劣化ウラン弾が大量すぎたので、そいつから流れ出したのさ、クリプトン。たまたま北朝鮮付近の飛行機で拾っただけじゃん?
その2:安売りティシュー5箱
「5箱で298円」確かに安い。しかし、よく見ましょう。結構あるんですよね「ヒトハコ200組(400枚)」未満のtissues 。150組(300枚)とか、160枚(320枚)とかの箱。
ま、私も今手元にあるscottie400枚(200組)の紙の枚数を測定したわけでは無いから、確かなことは言えませんけどね。
要するに、「百聞は一見にしかず」ってコトですね。もしかすると「金正日」は「クラーク・ケント」と同様クリプトン星からやってきただけかも知れませんしね。あるいは、長谷川町子の子孫がティシューを作っているかも知れない。
凄く解りづらいオチ?
ヒトがヒトを裁くってこと自体に矛盾がありますよね。このクニに存在する裁判官を選んだのは(相当に)間接的であれ、主権所有者である私になるのでしょう。ってコトは、裁判官の見解は私の見解であるのです。そして、言わずもがな、首相コイズミを選んだのは私なのでしょう、ジユウミンシュ党所属の代議士に投票したことは一度もないけれど。
近年は年間でも3万を超える日本国籍ってヤツを持つ人々が、自ら死んじゃっているらしいじゃないですか。
何で、医療ミスは裁判沙汰になり、政策ミスは見過ごされるのだ?医師としての免許を与えたのは主権を保持する自身達じゃないのか?何で裁かれちゃうの?スズキムネオは何で裁かれるの?私(アナタ)は裁かれるべき?誰が3万人を殺したの?
まだ、選挙権を持っているだけ良いというハナシをご存じか?
このクニには税金を払っているのに、参政権を認められていないヒトが居るのさ。このクニで働いていながら、「日本国籍」ってヤツを持っていないヒトたちね。
『GO』先ほど読み終えた。“ナオキショー”とやらを獲得したらしい小説ですわな。最初はレンタルDVDで見たのですね、1年近く前。オシエゴの薦めもあったし、スキンヘッドの兄ちゃん“クボヅカヨースケ”にも興味があったし。で、今回文庫化された本を実家で見つけたので借りてきた、読んでみた。また泣いた。
以下の話をもって、書こうと思いながら書いていなかったハナシは尽きますね。
「バカチョン(カメラ)」って意味、私は高校になるまで知りませんでした。googleで、“バカチョン 意味”を日本語のページから検索してみた。2003年7月25日現在、787件とのコト。多いのか、少ないのか、解らん。
部活動が終わり、帰宅途上の山手線内でセリザワは喋っていた、「チョンはさー、云々かんぬんなんだよねー、アハハ。」と。私は何となく彼が「チョンチョン」言っているのに気づいてはいたものの、具体的にはその「チョン」というものが何者なのか解っていなかった。そして、沈黙を良しとしていた若かりし頃の私は、彼の話を聞きながら曖昧に笑っていた記憶がある。池袋駅に近づき、もうすぐドアも開こうかとしたとき、ひとりの兄さんが絡んできたのだった。
結果的に、私は逃げ遅れた。というか、逃げる必要を感じなかった、僕は何も悪いことをしていない(と思っていた)から。絡んできた兄さんに求められるまま、池袋駅構内で土下座されられたのだった。周りの友人は逃げちゃったから。OGの南海センパイはずっと横にいてくれた。彼女は兄さんに対して怒っていた。「土下座までさせる必要ないのにー」と。
ってコトで、これが私における民族という概念との「遭遇コトハジメ」なのですな。
あの出来事が無ければ、今の私はない。
で、この間はちゃんと調べなかったのだけど、「バカチョン」というコトバは「馬鹿」と「チョン」に分解されるコトは確からしいが、「チョン」の語源には諸説あるらしい。今回調べてみて、初めて判りました。
ま、何にせよ私は「バカチョンカメラ」ってコトバは使わないな。「だったら記すな!」ってか?
差別?ってことで私の中に出てくるのは、「色覚異常」ってヤツですね。
ついこの間、7月22日から25日まで、校長の命令で「企業等派遣研修」とやらに行ってきたのですね。「株式会社日立ハイテクノロジーズ」には東京の私学から6名、東京の公立校から5名が参加したのでした。いろいろ貴重な体験をさせて頂きました、かなり面白かったです。
で、この日記に書きたいのは、公立小学校から参加された先生に、最終日の懇親会で以下の質問をしたってコト。「私は都の小学校の教員採用試験を3回落ちたのですけれど、『シキカクイジョー』って関係してるんですかねぇ?」と。彼女(管理職候補だそうで)曰く、「関係ないと思いますよ。」と。もっと具体的な質問をしましたし、それに対して答えを頂きました。が、当事者(「石原式:ラハシイ式では無い」に引っかかるヒトか、教員を採用するか否かの最終的な判断を下すヒト)じゃなけりゃ判りませんよね、確かに。
チナミに、私が質問をしたセンセ、公立のセンセ方の中では私(痛風候補?)が1、2番目に好感を抱いたおヒトです。ブッチャケ言うと、他のお三方はあんまり良い印象持たなかった。ま、私学のセンセも私を含めて怪しいヒトが多かったけどね。(一応お決まりのギャグで締めてみた。)
突然最終回になるのです。
気持ちが悪くなっちゃってトイレ以外の場所で嘔吐したことは多々あります。たしか、最初の「恥ずべきゲロ」は高田馬場の連絡橋の上でしたね。トイレを探したけど、酔っ払っているから見つけられず、結果的に駅の「屋根付き連絡橋」の中で吐いたのでした。凄く申し訳ないと思った、今でも思っています。スイマセン、見知らぬ駅員さん。
で、私はその後何度も酒を飲み過ぎ、中央線での帰宅途中に電車を降りてはトイレでゲロ吐いてましたね。さすがに高田馬場の一件以降は最悪でも「ホームから線路上へ」吐いていました。最後までトイレを制覇できなかったのは、大久保と西荻窪だった記憶があります。たしか、大学2年か3年の時にそれらの駅(のトイレ)も制覇した気がしますね。
で、冷静に考えてみたのだけれど、この物語は非常に自分勝手というか判りづらいですよね。私が大学時代に通過・使用した駅名を、学校に近い順から記しますね。
国分寺・武蔵小金井・東小金井・武蔵境・三鷹・吉祥寺・西荻窪・荻窪・阿佐ヶ谷・高円寺・中野・東中野・大久保・新宿(以上JR中央線)・新大久保・高田馬場・目白・池袋(以上JR山手線)・椎名町・東長崎(以上西武池袋線)
先日の「企業等派遣研修」で茨城県は勝田まで行ってみた際に改めて思ったのですが、東京は駅の間隔が狭いですよね。上記の駅の間はみんな2~3分くらいなものなのです。非常に無駄なエネルギーを金銭・時間・体力的に使ったような気もしますが、その浪費の末に今の私があるのです。
イラク特措法ね。
ブッチャケ、その条文を真面目に見たこと無い私です。そこまでの暇はないのだ。しかしながら、とても気になる法律なのですね。
ホント、よく判りません。ま、マスコミからの噂ですけれど、あんまり良い法律だとは思えません。
でも...
私が棲むクニ「ニッポン」はアメリカ合衆国の傀儡であることは確かだろうし、アメリカ合衆国の庇護のもと私は生まれるコトが可能になったのだろうし、憲法第9条自体が「チャンチャラおかしい」ものになったのは「警察予備隊」ってヤツの存在があるのだろうけれど、その時分に自分は居ないし...。
結構いい年になった私だってなんだか判らないのです。で、とりあえず目先のシゴトに専念したりするのだ。ですから、未来を担う子供は大人(筆頭はブッシュ・子分コイズミ)の迷走を目の当たりにすることにより、より刹那的にならざるを得ないのですね。文部科学省がコトバだけ「ゆとり」なんて言ったって、親が自衛官の子だって居るわけさ。
コイズミジュンイチロウも、その子コウタロウもイラクには行かないものなぁ。で、多分僕も行かないワケよ、私の親戚縁者もネ。
無力感に捕らわれる私は、このページ(ファイル)の先頭にしるした「思い」を改めて強くするのだった。
頭が大きく、てっぺんに頭髪をまとめてとがらせた、目の大きい裸の人形。背中に小さな翼をつけたものもある。▽kewpie
『学研新国語辞典(初版)』から引用したのだが、それをそのまま意図的におかしく描いたのが以下の絵となる。
チナミに、『岩波国語辞典第六版』では以下の様になる。
キューピッドに形どった人形。頭がとがり目が大きい。→キューピッド。▽kewpie
教材(パズル)づくりのために職場からタダで貰った『学研新国語辞典(初版)』を眺めていたら「キューピー」の説明文にたどり着いたので、それを基に日記を書いてみたのでした。
アクセスカウンタは7000に達した様子。
それを知った僕、冷蔵庫の野菜室でパンパンに膨れていた袋入り「シャウエッセン」のフライパン炒めを食している、先ほどから。
ちょっと酸っぱいのね。賞味期限は昨日なのね。
本日、お勤め先で「生徒会役員選挙」の演説会があった。
その最中でふと気づいた。生徒が結構(全員の2~3割くらいかな?)宣うのだな、「清き一票を」っていうフレーズ。
「んー、これは“過去の残滓”だな」と思った私が居るワケね。
だいたい、「清き一票」ってコトバが存在するのは「清くない一票」が実在する、あるいは実在したからですわな。普通の大人の頭で考えると、「清くない一票」ってのは「公職選挙法(突然大人の世界のハナシに移ります)に抵触する一票」ってコトなのだろうね。それは「金や物で買収された票」ってコトでしょう。
果たして、現在の生徒会の皆さんがどれくらいの選挙活動を行っているのか、生徒会に属していない(そう、生徒会は生徒の組織だ)私は知る由もないが、自分の高校時代を振り返ってみると、「ヤツはいくらで票を売った」なんてハナシは聞かなかったな、小学校から高校まで。ま、もしかすると「票ブローカー」が暗躍し、その結果として私の生徒会長達?が存在したのかも知れない。で、真面目な私?にはブローカーも声を掛けなかった。
公共の建物や横断歩道橋に存在する選挙の啓発ポスターや啓発横断幕を思い返してみると、「あなたの一票」ってフレーズは記憶にあるものの、「清き一票」ってヤツは見た記憶がないなあ。幼い頃?に街頭や街宣車で見た立候補者の「清き一票をお願いしますっっっ!」って大声は聞き覚えがあるけれど。
最近は選挙終了直後に「公職選挙法違反」で逮捕されるヒトも少ないですよね。中元や歳暮も選挙がらみの規制対象であると聞いた気がするし、当然の流れなのでしょう。「票田」に対する金の流通量も相対的に減少しているのは確かなんじゃないかしら。そう、徐々に一票の純度は高くなっていっているはず。
だからこそ、私は違和感を覚えるわけだ。「清き一票」って言葉に。
もともと中学や高校の生徒会選挙なんて「清い」ハズじゃないですか。
この謎な国家日本が存在するのは、清くない一票の集積でもあろう。
かと言って、自分の清き?一票に何の意味があるのか、あんまり分からないような投票を繰り返しているワケでもあるけれど。
そんな投票も、もう10年以上ですかぁ。年も取ったわなぁ。
「ポッキーの日」だっけか? ってコトで散文群。
10代の時に「カルーア・ミルク」を飲んだときは感動したけれども(アレレ、触法行為?)、三十路に突入して感動したのは「フランジェリコ・ミルク」ですな。乳味と甘味とアルコールの高度なコラボレーション。本能を刺激するのでありましょう。カルーアよりもフランジェリコの方が脂肪分が多そうだし。
今回の選挙の「一票の格差」は「最大2.15倍」らしい、byあさひこむ
「ガーディアン・エンジェルス」→保留
最近変に『回転木馬のデッドヒート』って文言がアタマに浮かぶ。私もそこそこ「オッサン」になったのですか?その本(文庫本)は一度しか読んでいないハズなのに。
しかしながら、実家でその冊子を本気で探そうとしたことは無いのだな。
ああ、散文。
ホントに腹立つのは、税金の浪費ですね。
例えば“超豪華でありきたりなデザインの「官製html」群”など。
「2ちゃんねる」の方がよほど高貴だと思いますよ。「無益で有害な情念の支援」という目的がハッキリしているし、見たい人しか見ないし、やりたいヒトが勝手にやっているから。
翻って「官製html」群、情熱が感じられないのですよね、個性が足りないのですよ。それに比べれば、NHKはまだ良いよ。頼んでないのに勝手に送ってきやがるから、こっちも見ざるを得ない。
ホント、無駄金使われているなぁ、って気がする。癪だね。税金返せ。(え?私学助成金という名の税金から出ている私の給料かえせって?スイマセン、遠慮します。)
あぁ、お疲れ様。こんな夜にも夜通しで、“誰も読みそうにない「官製糞html」”起こしている最中に此処にたどり着いてしまったアナタ。(そんなヒト、居るのか?)
それはそれとして、「落雷を受けた国会議事堂修復費用に4800万円」には笑った。誰が許可を出したのだろうか?イラク派兵や自衛隊の存在もそうさねぇ。
ってか宇宙や地球や日本や私の存在なんかも誰が認めたの?やっぱ何でもアリ?
特にアメリカ合衆国が暴走しているここ最近の地球ですが、「本能的自滅」という解を避け、「全てのヒトの自律」を希望してみたりする私なのですね。
いよいよテロの標的になるのかしらね、日本ってクニも。今のところテロは起きていないし、思ったよりも遅いですね。
そう、私は杞憂が得意なんですよね。小学校1年の頃だったかしら?私は知ったのです、「昼と夜は地球が回っているから起こる」って。私は眠れぬ夜を過ごしました。最低で1回、もしかすると複数回の「眠れぬ夜」を。
幼かりし私は思ったワケよ、
「もし、今地球が止まっちゃったらどうしよう。朝が来なかったらイヤだなぁ。ずーっと暗いのか?ヤダよぉ…」
「せめてっ、そう、せめて地球が止まるとき、日本は昼間であって欲しいなぁ…」
アホか?
しかし、もろに実話なのです。その当時の私(はな垂れ&軽肥満児)は「慣性」ってヤツを知らず、暗闇を畏れる純なヒトだったのだねぇ…。
ま、過剰な想像力は悪くないと思う私ですけれどね。
かれこれ7年弱、日記を書いているみたいですね、このワタシ。「日記」っていうと、思い出されるのは小学校夏休みの宿題「絵日記」ですな。そして「絵日記」で思い出すのはオジギソウなのです。
茨城にいた頃であり、何度目かの日記だったから、小学校2年か3年だったのでしょう。未だに悔やまれるのです。何が悔やまれるのか… それは、夏休み最後の2日間、もしかすると3日間、ネタが尽きてオジギソウの絵とその観察をもって、「夏休みの日記」としたコトなのですね。よくそんなこと覚えているよね、このワタシ。幼かりしワタシは「こんないい加減な日記で良いのだろうか?」って気にしつつ、担任の先生にその「絵日記」を提出したのだな。やっと告白できたッス。(オガワマサキくん、昔はマジメだったのねぇ…)
でさ、本題に移りたいのだけれど、洗濯機が止まったのでちょっと中座します、スミマセン。
で、シャツは吊し終えたので本題に入ります。この腐れ日記、ワタシが勝手に記しているわけですけれど、そこそこカウントも稼いでいる手前、結構ネタに困るのですね。全宇宙的なハナシを偉そうに語るのか、ごく個人的な事柄を記して笑いを誘うか…。
で、佐川急便についてのネタはこの後すぐ!!!(下品なテレビ番組みたい)。
で、「佐川急便の腐りっぷり」には感激しましたね。厳密には「佐川の中途半端なフリーダイヤル(0120)コンピュータ自動応答システムに感動した!社員は良くもその痛みに耐えている!!」ってコトね。
時間を割いて「不在通知票」に指定された手順に従い、わざわざ配達希望日時を伝えたのに、希望が反映されないシステムって何なんだ?それも2度だぜ?
最初の「不在票(営業所の電話番号は記されていない)」を受け取った晩、指定されたとおりにフリーダイヤルへ電話をした。“(翌日の)「21時以降」なんて指定して良いのかしら?ドライバーさんに済まないなぁ…”と思ったのだよ、そのトキはさ。無事に時刻指定は終わった。そして、翌日の夜。寝ながらも到着を待っていたワタシだった。荷物は来なかった。
で、さらにその翌日。“昨日は寝ながらも待っていたんだゼ”と職場の公衆電話ボタンを再びpush。再び時刻指定。その日の「21時以降」というコトで。
で、その日帰宅したトコロ、ドアに挟まっていたのは「お客様は不在でした、至急営業所にお電話ください」との紙切れ。プチッ。(額の血管多数損傷)速攻電話したね、久々にキレつつ。
佐川急便杉並営業所の兄ちゃんの発言もイカしてたね、「当方の手違いです、スミマセン」って言えばいいと思うんだけど、「自動応答システムが反映されて居らず…」ってシャアシャアと宣いやがったよ。アッパレ。降参。頑張ってくれ、その腐れシステムの下で。「代引なので…」なんて内部の問題を晒している場合じゃないっしょ。こっちはあんた方が指定してきたやりかたで配達日時を指定したんだよ。
そんな腐れシステムに付きあわされているドライバーを不憫に思ったワタシでしたとさ。結局、荷物は3度もワタシの居ない極狭住居を訪れたみたい、その段ボール箱に張られたシールを観察する限りは。
私はもう佐川急便に個人的な荷物を頼もうとは思わないし、佐川を介在させるカイシャの通販なんかは利用したいと思いませんね。丸善株式会社さん、佐川急便とのつきあいを再考してはいかが?
コンピュータ万能(って勘違いしている)世界万歳!(反語的表現)
謹賀新年。
と言っても、のんびりとした年明けではなく、宿題に追われる2004年の私なのだった。
年賀状っていうのもよく分からない存在ですわな。年末年始はその作成や返事書きに追われてしまったりして。本当は簡単には会えないけれど挨拶しておきたいヒトに送るものなのだろうけれども、職場のドーリョーの方々にも送ったりするものねぇ。
そして、「どうせ送るからにはそれなりの作品を送ろう」という気持ちでここ8年くらい過ごしてきた私である。
今日一番驚いたコト、それは「新宿のタイガーマスクは朝日新聞を配達していた」ってコト。
私は前世紀「つぼ八新宿中央口店」でバイトしていたことがあり、ソクラテスの飲みっぷりやクレオパトラの乱れっぷりも目にしたのだけれど、未確認飛行物体で帰宅した彼は忘れられないッス…。 とかワケ分かんない文章はこれくらいにしましょ。ホント、私は「新宿のタイガーマスク」は読売新聞の配達員だと思ってました、何となく。ホント「何となく」。
「アサヒシンブン」を配達してたんですか。へぇー。
出典:アサヒシンブンのPR版
散髪のタイミングは難しい。間違いない。
クリスマスとかバレンタインデーとか入学式とか卒業式とか入社式とか結婚式とか法事とか。其奴らは通夜とかコンパとかと違って、予定されている場合が多い。私は今髪の毛切りたいけれども、約2週間後の妹の結婚式に向け、「髪を切らずに待機している」のでありました。
髪の毛が薄くなりつつある独身の兄。せめて妹の門出には多少なりともマシな姿で祝福したいものよのう…。ってのはある程度嘘。髪の毛が薄くなっているのは確かであるが、よその土地に発生・生育した頭髪を不毛な土地へ配備するほど髪の毛に困っているわけではない。チナミに、私は整髪料を使わない。髪の毛を撫でつけ始めると、髪の毛が薄くなったのを隠す人生が始まってしまうだろうから。
多分、式の数日前に床屋に行くんだろうなぁ。「髪、昨日切りましたっ!」っていう主張をしない程度で、かつ、そこそこ小綺麗に見えるように。
チナミに、23日の日記で勝手にメールを引用し、更にけなしているのは単なる「報道」であります。私は彼らの発したコメントを編集していませんから、彼らよりは公正だぁ。また、仮に彼らが著作権を主張したとしても、上記のメールの内容には「脳みそを使おうと思って使った」形跡が無いッスよね、全然著作物に見えない。
1年間で一番好きな香りって「沈丁花」の香りだな。何でなのだろうか?
婆さんか爺さんあたりに教えて貰った可能性は高い。生家の庭には二羽ニワトリがいる。じゃなくて、私の生家の庭には沈丁花があるし、「じんちょうげ」っていう名はその木の「姿カタチ」とセットで私のアタマに登録されていると思っているから。
ところで!現在イラクに出張なさっている「自衛隊」の方々に「職業選択の自由」ってヤツは在ったのでしょうか? 私はかなり厳密な消去法によって現在の職を選択したつもりなのですね。
世の中は広いさ。著作の海を漂うほど思うさ。
知識を得るコト、幸福なのか、不幸なのか。個人のチカラは、無限なのか、有限なのか。
ともかくも、情報だらけの世の中なのさ。
20年以上ハタライている、正確には22回目の春を迎えたチャリンコ、宮田自転車の「カリフォルニアロード(California Road)」の前タイヤを交換した。
これで、このチャリンコのタイヤ付近のゴム系部品は一通り交換したことになる。前車輪チューブ→後車輪チューブ→後車輪タイヤ、そして、今回の前車輪タイヤ本体である。
チューブに小さな穴が空いたときはコツコツと「パンク修理セット」で直してきたし、彼は昔気質な「イギリス式バルブ」を所有しているので、「虫ゴム」を相当数交換しながら、やっとここ?まで来たのですヨ。
数年前、前のチューブを交換せざるを得なくなったときなんか、チューブ自体が完全に縦に裂けてましたものね。ソフトボール部の練習試合に向かう途中で突如パンクした記憶がありますなぁ。
このチャリンコ、結構鍵をかけずに放置したままであるコトも多いのだけれど、全然盗まれたことが無いのですね。ま、別に盗んで欲しいわけでも無いけれど。
無くなっちゃったら無くなっちゃったで通勤用の新しいチャリンコを買いたい気がするのだが、私の目の前から無くなる気配は無い。そりゃそうさ、無くなるときは突然無くなるものだから。
職場のセンセ方なんかと阿佐ヶ谷駅付近で酔っぱらい、その勢いで牛めしなどを無茶食いした翌日なんかでも、ちゃんと住みかの横に鎮座している。ま、それは私が乗るか引っ張るかして、朦朧としながらも何とか小屋へ帰り着いているからだけれどもね。
ハナシは変わるが、私はあるときから「荷物は1つにまとめる」という技を身につけたな。2つ荷物を持ったまま電車に乗ったりすると、酔っぱらっていなくても忘れる場合がある、読書なんかしていたりするとね。ましてや、酔っぱらっていたらば「僕はこの荷物を無くしてみせます!」って公言しているようなものだ(誰に?)。
で、そのカリフォルニアロード。元々は前3段ギア、後ろ6段ギアの18段変速なのですな。しかしながら、すでに3年前のコトであるがシフトレバーが破損し、前3段は任意の1段に固定せざるを得なくなっている。そんなわけで、昨年にはフロントディレイラー(変速機)も捨て去った。
最近生まれつつあるチャリンコは前3段、後ろ9~10段もあったりするからねぇ。で、そのカリフォルニアロード、楕円形の前ギアを持つタイプなのですな。「スーパーペースギア」って名前らしいさ。現在のチャリンコ界の流れは、ペダルの「ケイデンス(cadence:回転数)」重視らしく、あんな変な形の前ギア(トルクを重視した設計らしい)は20年くらい前以来見てねぇっス。
で、実はわたくすぃロードレーサーも一昨年くらい前に購入したのでありますが、泥よけが無いから使っていないんス。ってか、その辺に置いておいて盗まれるのが怖いのだ。
そんなわけで、今は亡き婆さん鈴子に中学進学祝いとして買って貰ったチャリンコ、今日も地球を走るのさ。この東京の空の下「California Road」っちゅー不思議な名前の自転車が。
で、ドロップハンドルを付け替えようかと思ったのは、多分高校時代からかも知れない。高校のトキ「フラットバー」が流行ったんだよね。今日、改めて?住処の近くのフレンド商会を探索してみたのだけれど、幅が400mm強のフラットハンドルは存在しなかった。
ドロップハンドルのチャリで町中を走る際、重宝するのは「幅の小ささ」ですな。マウンテンバイク(MTB)なんかじゃ、恐ろしくて車道を走れませんね、私は。ハンドルの幅が大きすぎると思うのですよ。
新年度にあたり、予言をしておきましょう。私の予言は外れる事で有名であるが。
そのうち、自転車専用レーンが日本中の国道に整備される事になり、そのために税金が浪費される事だろう。ただし、大っぴらに高速道路を建設できなくなった頃の事だろうけれど。
自転車専用レーンを望む声は時々耳にするね。そんな私も自動車よりは自転車に乗る機会の方が圧倒的に多いのだ。
今日、新青梅街道下り車線のハジッコを渋滞尻目にチャリで駆け抜けていたところ、悪意を持って幅寄せしてくるクルマに遭遇したのさ。其奴は赤いオープンカーだった。あれだけ露骨に幅寄せしてくるクルマは初めてだった。彼は多分渋滞にイライラしてたのだろうな。私は素直に彼の後ろで待っていたさ。どうせ結果的には追い抜くだろうと思っていたし、実際そうなったし。
23区内を移動しようと思ったら、基本的にチャリンコが一番速いっしょ。
で、そのデキゴトから思い出したのだ、この話題を。
職場にもチャリンコに乗るのが好きなヒトがいるんだけど、彼と議論した事があるのだ、もう4年くらい前かなぁ。彼は「自転車専用レーン設置推進派」なのだな。私は逆。そう、逆なのだ。「自転車専用レーン」は必要ないハズ。ただし、この日本ってクニでは。
中国って国に行ったとき、片側3車線の道路の横に1車線分以上の自転車専用レーンがあったのを目にした。それは上海市街のちょっと周辺部ってトコロかしら。最初から自転車専用レーンを作るってのは太っ腹ですよね。多分相当数の家庭が立ち退きを迫られた事でしょう、その道路が建設される際には。
そして、この日本ね。
このクニには公僕である事を忘れ、私欲に走る方々がいる。ってか、公務員ってのは基本的にそういう性質を持っているんじゃないかなぁ?どこのクニでもさ。
で、土建国家日本ですから、チャリ推進派(最近、妙に元気だ)とゼネコン及びその下請けである土木業者、そして金づるを見つけたい政治家が結託すれば「自転車専用レーン」は結構カンタンに実行に移されるんじゃないかしら?
そして、すさまじく切れ切れになっていて、「全然高速移動できない、下手するとクルマに轢かれる自転車専用レーン」という、新しい日出づる国の名物が誕生するのだ。
チャリンコってのは、相当環境に負荷を与える存在なのですよ。チャリンコ好きのアナタ、知ってました?
車輪っていう部品が正常に動作するためには、まず何が必要なのでしょうか?
きちんとした車軸?歪まないリム?きちんと作動するブレーキ?
いいえ。車輪って構造は自転車・自動車に関わらず、「相当に平坦な構造=道路」が存在しないと働くコトができないのですよ。そうでしょ?
はるか中東あたりから運ばれてきた原油等が主な原料となり、その上で山を削り海を埋め、やっと完成したワケじゃないですか、馴染みの「ドーロ」ってヤツはさ。ロードレーサーとかで何十キロメートルも移動するのは確かに面白いけれど、そこに道路が存在しない限り、その楽しみは得られないわけですよ。ま、自動車なんかに比べれば環境に負荷を与えないコトは確かでしょうけれどね。ほれ、「自転車はエコロジカル」なんてカンタンに言えなくなったっしょ。
最高の移動手段は徒歩だね、それが一番素晴らしい。
パソコンなんかをイジって無駄に時間と電力を浪費するのは下らない人間のやる事さ。そう、オラは下らないさ。
んで、最低最悪なのは、わざわざクルマにチャリンコ積んで移動し、更に自転車で走り回るコトによって森林や海辺を破壊している人達かな、私に言わせれば。下らないコマーシャル(消費の拡大)に乗せられちゃったのね。そのヒトが公務員だったとしたら最高の組み合わせだね。代議士ならなお良し。
セリのおひたし・茹でたソラマメ・ホタルイカ その辺が春っぽくて好きですね。
地球温暖化・環境ホルモン・リサイクル社会・核燃料サイクル・自然エネルギーなどなど、みんな嘘らしいよ。うまいコト言ってヒトを騙せば金儲けができるのは本当らしいけど。
え?そんなコト知ってますって?ゴメンなさい、経済(虚業の世界)に疎くって。
で、地球環境問題ってヤツは相当に奥が深いのですね。
多分、すべては「なるようにしかならない」のでしょう。
そうさ、そして今日も僕は電力を消費するのさ。
で、改めて考えたのだけれど、例えば「気体の状態方程式」だって「理想気体」でしか成り立たないワケじゃないスカ。しかし、その考え方を容認しない限り、理系の大学には受からない、多分ね。
で、ステファン・ボルツマンの法則やプランク定数なんてヤツ。私もその字面だけ聞いた事あるけれど、実際の意味は判らない。ってか、人生の意味も分からない。そうね、周期表の確かさを自分で調べたワケじゃない。大体、人生で気になるのは他人の顔色さ。
だから、みんな言いたいコトを言えば良いのさ。やりたい事をやれば良いのさ。
そう、私は親に感謝するのさ。
そう、チャリンコで思い出したのだけれど、最近のロードレーサーは後ろのギアが9段、下手すると10段くらいあったりする。で、やっぱり後ろ車輪ハブの幅も大きくなり、その車輪を支えるフレームも大きく横に張り出しているみたい。
そんなわけで、多段化したチャリンコに乗っていると、ペダルを漕ぐ際に踵がフレームに接触するのですよね、時々。
そんな現象は起こるはずもない私の「カリフォルニアロード」、ドロップハンドルを切断してブルホーンにしたのでした。ブレーキも「エアロ」タイプに換えたのだ(エアロも死語っぽいし、手元でのギアチェンジ全盛ですからねぇ…)。でも、そんな私のチャリンコ、かなり素敵(自画自賛)。
私が参加していた唯二?のメーリングリストが相次いで廃業した。
1つは東京学芸大学の「伸歩会(歩いて旅するサークル)」のMLであり、もう1つは「小石川高校音楽研究会(合唱部)」のMLである。とか言って、「音研」のヤツは私が主催者だったのだけれど。
ま、どちらもメールの流通量が相当減少していましたからねぇ。
私はパソ通やMLで知り合い、オフ会で当人に遭遇したという友人を持たない、持ちたくない。ってか、「オフ会」って表現自体がキモい、行ったこと無いけど。
パソコン上で出会った人なんて、私は好んで逢わないなぁ。そんなコトする暇あったら、職場の同僚と飲酒し、上司の愚痴を披露しあう方が精神衛生上・業務遂行上、つまり生活上有意義だ。
ってコトで、試験問題を作成する前にページの更新を行ってしまう私なのだった。
大体、「日記」って云う存在自体が胡散臭い。そこには「乙女のかほり」が漂う。
しかし、私が住まうクニの有名な日記は「土佐日記」らしいが、土佐というと「カツオのタタキ」や坂本龍馬であり、例によってこの日記の存在を疑問視する私はそろそろ寝ます。
小学校6年生がカッターを用いて、小学校6年生の頸動脈を切ったってウワサを聞きました。
相当脱力しますよね。何を好きこのんでヒトを殺さなけりゃいけないのだ?神戸の少年Aとも違いますわな。未成熟で身勝手な上に想像力が欠如している。
広い意味では、リコール隠しを乱発した三菱自動車も人殺しをしたわけさ。その関連企業である三菱重工業なんかは戦車を作っているらしいしねぇ。石川島播磨重工業はエンジンを作っているよね、自衛隊なんかへ納めるヤツをさ。人殺ししたいのかしら、キミたちは。
就職時点での想像力の欠如を悔やんでも仕方ないさ。ま、アナタの中で折り合いをつけてくださいマセ。別に否定もしませんし、肯定もしません。私自身の職業もかなり怪しいシゴトだし。でも、私自身は相当悩んだ上で今の職業、教職を選んだのさ。
前にもこの腐れ日記に記したコトがあるのだけれど、自衛隊員の方々は職業を選べたのだろうか?もしかすると「純三郎よ。おまえは三男だから自分で稼げぇ。ほれ、ジエイタイが募集しとるぞ。」なんてな会話が交わされた家庭もあったんじゃないかしら?小泉純一郎ってヒトはカイシャに勤務しなくても生きていけたらしいケドねぇ。スバラスィ。
「学校内には刃物の存在を許さない」とかいう狂気的な教育委員会の出現、ありそうじゃない?怖すぎ&バカすぎますね。守れない、守らせられない法律や規制は作るべきじゃないと思うんだよね。例えば「お酒は20歳から」とかさ。
Let it be.
「ファッション」ってホント不思議だと思いますね。
私は「腰パン」「ケツパン」って全然美しいと思わないのだ。
で、高円寺はジーンズメイト(24時間営業らしい)でブラックジーンズを買ったのさ、今日。店員さんは腰パンだった。私は「コテンパン:古典パン=腰骨<こしぼね>の上にベルトをつけるためのループを持ってくる」を好むのです。
店員さんに裾の丈を確認してみたのね。多分20代前半の彼は言ったさ「ウエストはそこ(古典パン)で良いですか?その状態だと(裾が)ちょっと長いかも知れませんね」って。
私も同じように思っていたのだ。んーさすがジーンズメイト。
ファッション上の「こだわり」って面白いですよね。
シャツの裾をパンツの上に出す・出さない。
ポロシャツの襟を立てる・立てない。
ジーンズを履いた時にベルトを締める・締めない。
ネクタイはプレーンノット・セミウインザーノット… (襟のカタチによりますけどね)
突き詰めると、「何で服を着るの?」って思う私なのだった。
ワカモノは「腰パン」が美しいと思っているのだろうな。
むむむ…
おお、あと数日で10000カウントに達しそうではないか。
5年数か月で10000カウントですか。速いのか遅いのか分からないが、ただアクセスログを見て云えるのは「最近は色覚異常のページからトップへ行った人が多い」ってコトですね。予定通りであるといえましょう。
そんな私は久々に一般ピーポー(?)との色彩感覚の違いを感じたのでした、2週間くらい前かなぁ?
「ビミョーな水色のシャツだなぁ」と思って買った半袖のオックスフォード地ボタンダウンシャツ(税込み1280円@西友阿佐ヶ谷店)が、実は薄い青緑色だったらしいのだ。そう思えばそうも見えるわ、確かに。
「この何とも云えない色は何だろう?」って思うと、大体において私の場合は「無彩色に近いうすら緑」であったりするみたい。
実は「痛風」についても、私の近辺で徐々にネタが集まりつつあるのである。私自身は昨年夏に続いて2度目の発作に襲われたのだった。
が、「痛風日記」(本日の段階ではgoogleで"2位"にランクされてる、「痛風」で)は他の方が執筆されていたので、そして、それを読むに「ああ、私そっくり...」と、ぼんやりとしたおかしさと悲しみと慈しみを感じるので、まだ書けないのだとさ。
チナミにそのページは3年半で56万を超えるヒット数らしいです。やっぱわたしは修行が足りないようだ。
現在18時を回ったところ。
問題作成にスパートがかかってきた。だったらそのまま仕事を続ければよい気もするのだが、ま、息抜きである。
私はホームページの原稿書き(日記作成)こそ職場で行うことがあるものの、html化とftpは自宅のパソコンから行うのだった。原理的にはこの職場からリムネットのftpサーバーに繋ぐことはできるのだろうが、ユーザー名とかパスワードを流すことに不安を感じるのだ。ってか、職場から個人的なwebページの更新をすることは倫理的?に×なのじゃないかと考えてるってコトもあるのですけれどね。
そして、ちょっと校内を散歩したら生徒に捕まり、現在は18時35分。確かに化学の初っ端は一番難しいところですわな、molね。pHを「ぴーえいち」と読まずに「ぺーはー」と読むと、場所によって馬鹿にされるのと同様、molも「モル数」よりは「物質量」と呼ぶべきであるらしい。そして、μmは「みくろん」よりも「まいくろめーたー」と呼びましょう。
しかし、ドイツの車メーカーであるBMWは「べーえむう゛ぇー」と読んだ方が良いような気がするのだが、日本法人は「びー・えむ・だぶりゅー」なんだってさ。
「華氏911」って興味ありますね。「ボウリング・フォー・コロンバイン」は高校時代からの友人である日本共産党員からのメールでその存在を知り、数ヶ月前にレンタルを借りて見た私なのであった。ここ数ヶ月、「天誅紋次郎」なる人物からのメールが職場に届くのだが、時々「なるほどねぇ」と思わされる記述を見ることがある。ま、自分ではそのSPAM紛いのメールマガジンを講読しようとは思わないが、職場に届いたメールは時々眺めたりするのだった。
そして、19時近くなったから、仕事を再開するとしましょう。
で、現在19時40分。生物1の問題はほぼ完成した。解答用紙の作成に入りましょう。
20時7分。テストプリント完了。帰宅してから実際に解答してみるのでした。明日の午後には職場でソフトボール大会が行われるのだ。だから、今日のうちにできるシゴトは可能な限り片づけておかなければならない。
ほんじゃ、帰宅しましょ。
10000直前にカウンタを連打してくださった方が居たみたいですが、特に商品も私からの祝辞?もありません。このままのんべんだらりと続いていきます。
昨日のソフトボール大会では大きな怪我人もなく、無事終了した。そのコトの方が祝うにふさわしい出来事でしたね。
最近思うのだけれど、作家ってのも結構辛い仕事なんじゃないかと。
ま、そうとう楽な部類のシゴトだと思いますよ。とりあえず、仕事中に死ぬなんて事はあり得ませんよね。バリバリ第三次産業だしね。
しかし、文章を吐き出し続けるってのは結構大変なんじゃないかと思うのですね、ホームページ作成なんていう、「下らない時間つぶし」をしている私が思うに。
この「日記」、あまりに巨大になりすぎている気がするので、話題別リンク集?にしようと、「この日にはこういった内容の日記を書いた」ってデータベースを作ろうとしたのです、1ヶ月くらい前。そして、見事に飽きました。
「自分の下らない文章の索引を作るエネルギーがあるのだったら、もっと下らない文章を作った方がいいかな。」って。チナミに「もっと」は「作っ」にかかりまする。「もっと」「下らない文章」を作るのは相当に難しそうだからねぇ。
それは、原子力安全・保安院の告訴。
とりあえず、攻められるところから攻めていきたい。「あんたらが本気でちゃんと働けば、死ななくて済んだヒトが居たんじゃないの?」と。
未成年の喫煙はどんどん増えている気がしますね。ま、法を犯して煙草を吸う若者は昔も今もいるのだろうし、私自身も20歳になる前に煙草を遊びでフカしてみたこともあるのは確かなのだがな。
何でそんなコト言い出したかって云うと、職場の学園祭での警備係(校門での人物・チケットチェック)をやっていて思ったことがあるからだ。校門を出た直後に、煙草に火を点ける「どう見ても未成年」が多くなった気がするのだ、ここ数年。
「健康増進法第二十五条」に基づき、うちの職場でも喫煙者は肩身が狭い思いをさせられているのですね、私は煙草を吸わない人間だから、あんまり関係ないのだけれど。で、学園祭の際は毎年全面的に校舎内は屋外の一部を除いて禁煙になっている。ま、学校の中でプカプカ歩き煙草なんかをする輩はさすがに居ないけれど、校門を出た直後に煙草に火を点ける人物に、「いい年した大人」は居なかったな。みんな私よりも若かった、間違いなく。
煙草って、体に良くないのは確かだろうし、お金もかかるよね。制服を着ながら校門前で煙草を吸っていた輩に声をかけたことがある「金がかかるからやめた方がいいんじゃない?」って。向こうも私が教員だとは知っている様子であった。「法律で決まっているから」なんて、彼らに言っても意味無いし、法を作成する立場やそれを遂行する立場の人たちなんか、バンバン法律を破っては捕まって・捕まらずに居るわけだしね。私が彼らに言える煙草を勧めない理由は「金がかかるから」以外には無いな。
で、昨日さらに考えてみたのだけれど、煙草を吸うヒトに「体に悪いから止めたら?」とか言ってみたところで、「別に長生きしたくないもんね」と言われればそれまでであろうな、と。現代社会で生きていくことは大変だからなぁ。でも、煙草を吸い続けていると煙草を吸わないヒトよりも確実に癌になりやすいらしいじゃないスか。癌は痛いらしいし、その治療には金もかかるよなぁ。痛いコトってやだよね、誰でもさ。
今年も金木犀の芳香、どれだけ血や涙が流れようとも。
私、本年度は中学2年の「理科(地学分野)」と高校2年の「生物I」と高校3年の「(選択)情報」を担当しているのですな。中学生対象の「情報」の授業の補助もやっているけれど。
この「腐れページ群」のカウンタは地味に伸び続けている。昨日の中学2年の授業中、とある生徒がこの「腐れページ群」の存在を大っぴらに披露してくれたので、またカウンタも回転することだろうよ。情報科の教員でありながら、実名でホームページを披露し続けるのもどうかと思ったりするが、発言に責任を持つという意味では「実名」が良かろうということで、数年来そのまんまだったりする。ホントはインターネットべからず集みたいに慎重な態度が必要なのだろうけれど。
チナミに上記ページの作者は大学時代の友人である。同じ専攻(阿呆類馬鹿)の隣のクラスだったのだ。
彼だけは同意してくれたのだな「納豆を食った日の小便は納豆臭くなる」ってコト。
皆さんは有りませんか?朝食として納豆ご飯を食べた日の午前中(私の場合は食後約4時間)、トイレで自分の小便が納豆臭く感じられるコト。この現象は高校時代から感じていたのだ。私は同級生や同僚や教え子に尋ね続けて生きてきたのだけれど、現在のトコロその現象に同意してくれたのは、彼「YUH」しか居ないのでした。
私と彼の間には、特殊な遺伝上の共通点か何かがあるのかしら?
居ませんかねぇ?「納豆臭の小便を排泄する同志」
東京も寒くなってきた。パソコンは地味な暖房器具ともなる。一石二鳥マイナス1.8鳥くらいだな(概算)。
1 "新しい歴史教科書―市販本"
西尾 幹二;単行本; ¥ 980
1 "鳥肌黙示録"
鳥肌実;CD; ¥ 2,100
以上2アイテムをAmazon.co.jpで購入しようと試みたのは8月下旬のことだった。
私信?の部分的コピーを披露しましょ
私自身は歴史に疎いのであるが、ただ「詳しくない」と言い続けるのも単なる馬鹿と同じなので、 ちゃんと勉強?してみようと思ったのだ。 そう、私も白鳳高校はビビッたのですね。 アサヒコムの記事で「新しい歴史教科書」採択の話を知り、 その本を作っている団体の頁も見てみた。歴史も、皇国史観も、改憲論も「食わず嫌い」で済ますわけにはいかない気がしている昨今、
これを機会に噂の教科書を読んでみようと考えたのだ。
その上で、ほかの教科書(あるいは、私の中の歴史観)と比べてみようってワケです。
職場の地理歴史科の教科書見本置き場には「新しい云々」が無かったし、
本屋に買いに行く暇は無い気がしたから。朝日新聞なんかの記事を鵜呑みにするだけってのも、それはそれで馬鹿であろうから、
きちんと?その問題の教科書を読んでみようと考えたのね。
で、ついでに鳥肌黙示録も注文したのだ。
公式サイトで買う方が安いのかも知れないけれど、amazonの方が簡単に買えそうだったから。「鳥肌実」と「新しい歴史教科書」、
amazonには「右翼系要注意ユーザー」って登録されてたら面白いなぁ
って思っているオガワマサキでした。
結局のトコロ、Amazon氏の努力?にも関わらず、『新しい歴史教科書』は10月上旬になっても「確保」できず、『鳥肌黙示録』は数日前に「入手できない」コトが判明したそうな。
わたしゃ教科書購入もキャンセルしましたわ。
使えねぇなぁ… ま、Amazon氏と私は正式契約を交わしたわけではないのでしょう。これらの商品は確かに「キワモノ(際物)」ではあるが、なんで彼らは世の中に流れていないのだ?
鳥肌実は言論統制(あるのかな?)に引っかかった可能性もあろうが、歴史教科書は何でなの?
そんなわけで、イーエスブックスに“教科書”を発注してみた。乞うご期待。
support@esbooks.co.jp曰く
Date: Thu, 21 Oct 2004 13:20:13 +0900 (JST)
From: support@esbooks.co.jp
Subject: 【お詫び】ご注文商品を入手できませんでした○○○○様
イーエスブックスです。ご注文商品を入手することができませんでした。
誠に申し訳ございません。ご注文はお取り消しとさせていただきます。ご注文日:2004/10/20
ご注文番号:0007171676ご注文商品
商品名 :新しい歴史教科書 市販本
販売価格:980円
collecterよりはcreatorでありたい私はwriterとして試験問題作成する。
引っ越しが完了し、荷物の整理も進行しているので、日記を書く暇もできてきた。
引っ越しに際して近隣のヒトビトに接して分かりました。阿佐ヶ谷の「うさぎや」の「どら焼き」は有名であるらしい。
確かにあのどら焼きは旨いです、他のどら焼きとは一線を画している。たとえて言うならハーゲンダッツのアイスクリーム並みの「謎の旨さ」がある。居酒屋「天竜」の「天竜揚げ」と焼肉屋「清香苑」の焼肉も美味しいですね。
養老乃瀧「越川」が閉店してしまったのが悲しい阿佐ヶ谷在勤者でした。
前々から確信しているコトを1つ披露しましょう。
「青年」と「中年」の境界は何処にあるのか?数年前、私はそれを発見したのである。
サーチエンジンに引っかかるように、似た単語羅列しよっと。少年・若者・ワカモノ・わかもの・若年者・若人、オッサン・おっさん・おとっさん・おとっつぁん・オジサン・おじさん・中年・初老・老人・老化・老い・白髪・シラガ・ハゲ・禿、こんなモンで良いかな?
そうだ、まだ書かなければ。境界線・ボーダーライン・borderline・境界・あっち・こっち・あちら側・こちら側。
で、その境界とは何か?それはベルトの種類に他ならないのだ。ピンと来た方いらっしゃいますか?
私に言わせれば、「青年」=「穴が空いているベルトを使用しているヒト」であり、「中年」=「穴無しベルト(オッサンベルト)を使用しているヒト」となるのだ、キッパリ!
例によってgoogleで「オッサンベルト」を検索してみたら、googleのキャッシュ内に1件だけ引っかかってきた。googlebotがcrawlして「オッサンベルト」なる語句を回収したみたい。私の中では穴無しベルト、すなわち無段階変速(?)ベルトを「オッサンベルト」と呼んでいるのだ、数年前から。
穴あきベルト(これから「若人ベルト」と記す)ってのは3個なり5個なりの穴が予め空いている場合が多いですよね。あのベルトは腹回りが大きくなったか小さくなったのか、つまり太ったか痩せたかがすぐに判るのだ。真の若人ベルトユーザーは「長さの調節すらできない若人ベルト」を使うのだろうが、私もそんなに金持ちじゃないのですな。「長さの調節できない若人ベルト」は結構高価であることが多いっスよね。(付け加えて言うならば、真の金持ちは穴あきベルトの真ん中の穴(5つ穴だったら3つ目)を使うらしい。私は貧乏性なので、それは出来ねぇッス。今後太るかも知れないじゃん?)
それに対してオッサンベルト、あいつは何処まででもストレス無く、遠慮無く伸びてくれる。オッサン予備軍は思うわけさ、「ちょっと食べ過ぎちゃったけど、ベルト伸ばせば大丈夫ねん」って。そして真のオッサンは思うわけさ、「私はもう若人ベルトには戻れない、戻りたくないよぉ…」って。(ただし推測。)
なにしろオッサンベルト、ヤツは日頃のストレスからなる食べ過ぎ飲み過ぎに馴染んでいる由緒正しきオッサンに対して、優しい配慮を持った?ベルトなのである。そんなワケで、あのベルトを締め始めたら「オッサン」である。間違いない(流行語大賞未遂)。
以前この日記に記したけれど、バスなどの「老人パス」を廃止すると共に、「オッサンベルト」も法律で禁止したら、この国の医療費国庫補助は格段に削減されるんじゃないでしょうか?
どうでっしゃろ?
今年もまた牡蠣にあたった。
牡蠣は小さいヤツを3個体くらいしか食しておらず、酒だって飲まなかったのにも関わらず、である。なおかつ凄いのは、食べ終えてから9時間後くらいに吐き気を催したことであろうか。胆液(胆汁)と腸液と水の混合物らしきモノだけ、結構大量にモドしたのである。と、言っても200mlは超えないとは思います。が、黄色で透明な液体だけなのだったら、200mlも吐けば十分だろう。何に対して十分なのかは自分でもよく分からないけれども。
恐らく私の推測によると、牡蠣のヤツらは普通に消化され、小腸で吸収されたハズだ。その分解産物が血液内に入り込み、肝臓その他にたどり着いたのが夜半過ぎだったのだろう。そして、血中の「とある物質群」に対して私の中枢部分(脳幹?)は「此奴らは危険すぎる!」と判断を下したのだろう。「とある物質群」は胆汁として外分泌されるコトが決定し、ある程度溜まったところで経口排泄されたのだ。
チナミに現在、牡蠣摂取から24時間以上経過しているが、未だに体調が悪いのでした。
過去には酒飲みすぎた場合にも、胆汁みたいな液体だけゲロゲロ吐き続けたことは何度かあった。しかし、酒を飲んでいないのにこんな症状(胆汁ゲロゲロ)になったのは初めてである。なお、今回の胆汁ゲロゲロは夜中の1回きりで収束した。
「とある物質群」の残党は肝臓で解毒し、尿として排出することに決めたのでしょうね、私の脳は。
そして、こんな文章作成する暇あったら、試験問題作成した方が良いのですよねぇ...。
「ゆとり教育」の揺らぎとは何の関係もない話題を。
2日前、こんな文書が勤務先にFAXで届いたそうだ。差出人は都内の中学校の先生だそうで。
私がこれと似た文書を最初に見たのは大学在籍時だったから、約15年前ですな。東京学芸大学小金井祭実行委員会もセットで記憶に収まっている。其奴を見たのは委員会室で作業をしているトキだったのか、委員会室とか大学の自治会(民青という名の日本共産党下部組織)とかが入っている部室棟(元日本軍兵舎と聞いている)と「美術棟」との間のアスファルト上で寒がりながら作業をしているときだったのか、あるいは委員会室でダラダラしているトキだったのかは定かではありませんが、何しろあの麻雀部屋?の近くで目にしたハズです。で、「"山口"や"なにわ"ナンバーは怖いのか、へぇー」って思ったのさ、ハイティーンの私は。
その数年後、やはり同じような情報に遭遇しましたね。そのときに知りました、この「当たり屋情報」はデマであると。
現在はインターネットも普及し、私のパソスキルも向上した結果、山口県警の当たり屋情報に惑わされないで!等の啓蒙?活動を探し出すことも可能となりました。
最初にあの文書に触れたときはビビりましたね、私自身が運転免許取りたてでしたし。この「当たり屋情報」って何だか本当っぽいじゃないですか。この「本当っぽい」ってトコロがミソなのでしょうね。数年前、鉄腕ダッシュメールとかを貰ったことがあったっけなぁ。献血お願いメールもあるらしいですよね、私は貰わなかったけれど。チェーンメールの流通って最近は下火なのか、あるいは単に私に知り合いが少ないだけなのか、どちらなのでしょうか?ま、どちらもあるのしょうね。「不幸の手紙」は恐らく小中学生の間を地味に生息し続けて居るんじゃないかしら。私自身は不幸の手紙を貰ったことはありませんでしたけれど。
ま、何はともあれ、ホントに上尾警察署が文書打ち直してFAXを送信しているのだとしたら恥ずかしいですわな。かといって、私も上尾警察署に確認の電話入れるのも馬鹿みたい、ってかそんなコトして警察署員の手を煩わせるのも申し訳ないし。そんなわけで、ここにとりあえずそのFAXを公開した次第である。
上尾に住んでる従兄弟に聞けば何か分かるかなぁ... それよりも定年過ぎて暇だろう伯父さんの方が何か知ってるかしら...
作家にしろ、歌手・音楽家にしろ、その作品やアルバムには当たりはずれがありますよね。それぞれのヒトにはそれぞれ好みの作家やバンドとかが居るものでしょう。
そして、それぞれのヒトが「あの作家のベストの作品はこれだろ」とか「あのバンドのアルバムは2枚目が良いよなー」とかいった思いを抱いているのでは無いでしょうか?
来年度の年賀状作成も終わり、既に投函が済んだ私であります。別に年賀状にメッセージ性は不要なのかも知れませんが、私自身は何処にでもあるような年賀状だったら存在させる意義がないのではないかと思い、それなりにメッセージ性を持たせた賀状を作成しています、ここ数年。
で、そういったクリエイティブ?な作業を繰り返していて気付きましたね。鑑賞者の側から「ある芸術家」が作った作品を見比べていくと、その中には「傑作」や「駄作」といった「区分け」が生じてくることが多い。しかし作品を創造(模造?)した側からすると、どの作品もそれなりに愛着があり、その時点での持てる力を発揮した結果として「それぞれの作品」が存在しているのであろうと。
賀正。
今年の正月は、過去数年間の正月とは異なる点が多いのである。
1.年賀状が来ない
ま、理由は簡単である。転居を行ったからなのだ。郵便局には転居届を提出してあり、確かにその後は郵便物は転送されてきていた。しかし、1月1日、年賀状は1通もやってこなかったのである。ま、正確に言うと私の友人(やオシエゴ)のうち、「昔気質でマメで律儀な人」の賀状は届いたのだ。正確に表現するならば、「昔ながらの紙の年賀状を作成するヒトであり、私の転居通知メールや職場に於いての転居通知を確認して住所録を訂正した上で、旧年内に賀状を作成・投函してくれたヒト」の賀状は届いた。旧住所・阿佐ヶ谷のクソ寒いアパート宛の賀状が数十通もゴッソリ行方不明になってしまうことは無いだろうコトは予想されていたので、後ほどまとめて転送されるのだと考えた。本日ネット上で調べてみたところ、予想通り転居先への年賀状の転送は数日後にまとめて新住所に行われそうな様子である。郵便局の正式なコメントではなく、過去の掲示板のログなどから分かったことでありますけれどね。なにしろ、新年のちょっとした暇つぶしが消えてしまい、少々つまらない元日なのだった。
2.三が日のうちに出勤してしまった
現在の職場に勤め始めてから10年くらい経過しているのだが、今年度のこの冬休み、始めて講習なるものを担当することになった。高校2年生対象の化学であります。2004年度から教科主任ってヤツになってしまい、私も講習の講師を引き受けた方が良いかなぁって考えたからなのである。また、高校2年生は担任してるクラスもありますしね。ま、教科主任って職もクビになる可能性があるから、そんなに気張らなくて良いのかも知れないが、あんまり適当にシゴトしてると(念のため言っておきますが、私は真面目に仕事してますよ、ええ)、職場自体をクビになる可能性も無いとは言えないので、ポーズとして講習の担当を買って出たとも言える。ま、部活によっては年中無休で活動しているところもありますし、冬休みも4日しか取らずに年末も年始も講習に燃えている修行僧のようなセンセ(某ガンちゃん先生:内輪しか知らないッスね)もいるから、特に珍しい存在では無いのでしょうけれど、私の勤務校の場合はね。で、ついでだからソフトボール部の部活動の仕事始めも4日からにしてしまったのでした。昨年度までは1月の始業式以降に活動をしていたのですけれど。
3.ちゃんと初夢を見た
何故かは知らぬが、今朝の夢で石原慎太郎の授業を聞いたなぁ…。初夢に該当するのでしょう。扇形の大教室の黒板の前でシンタロウ氏が何か楽しげな授業をしていた。「彼の授業も面白いじゃん、マスコミの報道では色んなコトを言われているケド」なんて感想を抱きながら私はノートを取っていたなぁ。何の授業だったか忘れたが、不思議な夢だった。
リクエスト?があったので、ホントにどうでも良い日記を記しましょう。
最近はblogの隆盛もあり、その状況が私を筆無精にさせているのである、ある程度。何故かって?それは以下の理由によります。
blogってのは圧倒的に敷居が低いわけですよ、自分の契約しているプロバイダに「ホームページ」を持つよりもね。本校在籍生徒のblogもいくつか見せて頂いたことがありますわ。彼女らの文章は読んでいて面白いトコロもあります、「へぇ、そんなこと思っていたんだ」とかね。ま、私の日記がはかどらないのは彼女らとは全然関係ないのだ。
私の筆を無精にさせているのは、私の見知らぬ人々なのです。大人が多いかなぁ?blogってのは基本的に日記なわけですけれど、そういった文章には権力批判的で公正なものを見ることも多いのですね。
私が日記を書こうとして、ある程度社会的なネタを書き出したトキ、途中でgoogleを用いて調べ物をする事が多いわけですよ。で、その際に前述の「社会派」ページにたどり着いてしまうのだ。そうすると、読み入ってしまうのだな。
そして、「私の書きつつある文章より、この人の文章の方が論理的で分かりやすいよなぁ...」って思うことも多いわけですよ。で、書きかけの日記を破棄してしまう。
そんなワケなのよ、ワダさん。
ってコト?で、本当にどうでも良い話題を記しましょう、ごく個人的なネ。
上のレシート、今は亡き「つぼ八阿佐ヶ谷南口店」のレシートである、3日くらい前にスキャンしたのかな?この日記のネタにしようとして。そのつぼ八は閉店してしまい、今は別の居酒屋が入っている。つぼ八の方が個人的に好きだったんだけどね。ま、居酒屋が「法人的に好き」とか「団体的に好き」っていう表現はあり得ないでしょうけれど。
で、このレシート、4年半近く前のモノなのだが、私は大事に取ってあるのだ。
何故か?
それは「記録的な馬鹿飲み」の記録となっているからなのだ。
私の名字以外はモザイクをかけてあるが、良くレシートを見れば分かって頂けると思う、この飲食物が3名のヒト(我々は確かヒトだったはず)によって一晩のうちに消費されたモノであることを。
食っていることもかなり食っているけれど、私も今更ビビるのは「飲み物を31杯飲んでいる」というコトである。中ジョッキもしくはジョッキ入りのサワーで31杯である。参加者1人あたりでは10.3杯ってコトである。エラい量ですな。ま、世の中にはもっとずっと多くのアルコールを飲めるヒトもいるのかも知れないが、偏差値的には70オーバーであることは確かだろう、我々3頭は。まさに鯨飲馬食でございます。我々のうちの1人は馬に似ているってウワサもありますけどね、顔が長いし。
この馬鹿飲み記録を超えるコト、私の人生では今後無いんじゃないかしら?「つぼ八」に入店して3名で2万円超のオーダー。
そんなわけで、この「メモリアルレシート」を披露しました。勤務先に大事に保管してあるのだ、クリアファイルに挟んで。
チナミに私の他のセンセはN津センセとS田センセって方です。
本日は高校入試であった。普段の通勤より早い時刻、授業が無いから生徒も通らない阿佐谷南3丁目を歩いていた。
ここ数日、その通学路では露出狂が出没するそうである。この寒い中ご苦労である。その苦労が偲ばれる。で、ふと思った。「女子校に勤務しなければ、そういった露出狂の方々に遭うことなんて殆ど無いだろうなぁ」って。
男である私は、男であろう露出狂を普通の町中で見たことは無いし。
私が直接見たことあるのは以下に述べるお三方。
その1
下校途中の生徒から「学校南側の路地に露出狂出現」との連絡を受け、もう1人のセンセイ(ハンドボール部顧問のSセンセ)と出陣。出現したという情報のあった路地を流して?いると、生徒達の背後へ自転車に乗った細身の兄ちゃん(20代後半?)が近づいていくトコロに遭遇。生徒達を先頭に兄ちゃんが続き、後ろに私ともう1人のセンセという隊列で数秒間歩く。おもむろに兄ちゃんが生徒達に声をかける。振り返り固まる生徒。兄ちゃんを捕まえにかかるSセンセ。
結局、彼は短いジョギングパンツの下から「わいせつ物」を露出していたようなのだな。そんなに暑い日では無かった記憶があるのだ、わざわざご苦労様。彼はSセンセにヘッドロックを掛けられて校舎内に引きずられて行きました。私は彼のチャリンコを押して運んであげました。その後、彼は無事警察の方々に遭遇することができましたとさ。
ところで、この日記を書いていて「公然わいせつ」とか「わいせつ物」の定義が気になったのでチョロッと調べてみたのだが、掠りはするものの「これがわいせつ物だ!」って定義は見事に見あたらなかった。「わいせつ物」ってのも定義が難しいモノのようである。
その2
下校途中の生徒から「学校東側の路地に停まっている車の中に変な人がいる」との連絡を受け、数名のセンセイと確認に出向いた。スーツを着た立派そうな、やはり20代(前半?)の兄ちゃんが運転席に座り、腿の上に書類を広げていた。営業途中であったらしく、白のライトバンに乗っていた。通りかかる生徒に道を尋ねる振りをして、書類の下に隠した「わいせつ物」を披露してくださっていたようだ。テクニシャンだねぇ… ○| ̄|_
常々私は胸ポケットにメモ用の紙とペンを常備しているので、車のナンバーはバッチリ控えたのでありました。その情報は警察に伝えておきましたとさ。何らかの連絡が行ったのかなぁ、彼の勤務先に。あるいは彼は今も都内のどこか、あのテクニックを駆使しているのだろうか…(何となく涙)
その3
例によって下校途中の生徒から「学校南側の路地に露出狂出現」との連絡。教頭と共に自転車で出撃。路地に餌食となる生徒はいなかったが、ベージュの麻のスーツを着た人物が居た。眼があった瞬間、彼は猛然とダッシュしていた。
何しろ恐るべきダッシュ力であった。私自身は並の30代男性よりは足が速いつもりなのであるが、その人物(やはり20代後半かなぁ?)は滅茶苦茶に足が速かった。とりあえず、私たちはチャリンコで追走した。そして数秒後、近くの都道4号線(青梅街道)へ差し掛かった我々は恐るべき光景を眼にしたのであった…
何と、彼は車が普通に往来する青梅街道(片側2~3車線の道路)を走って横断したのだ。我々は言葉を失った。車がびゅんびゅん通っている青梅街道を渡るなんてコト、私たちにはできなかった。結局そこから30m程離れたところにある横断歩道まで移動し、青信号を待った。足の速い彼が路地を曲がったところまでは見えていたので、そこに行ってみたところ、道は行き止まりとなっていた。近くにいた婦人や大工さんに尋ねると、「ものすごい勢いで走ってきた人が、住宅群の隙間を抜け、彼方へ走り去っていった」とのコトであった。
それ以来、私は「露出狂出現」の報を聞くと、徒歩で探索に向かうことにしている。チャリンコは小回りがきかないんだよね。ま、私自身は車道を走って横断しようとは思わないけれど。
でも、たとえ足の速さにある程度自信がある私でも、自分の行為(ブツ露出)でアドレナリン分泌(ある意味ドーピング?)中の彼らには敵わないのかも知れませんねぇ。
先日、『世界報道写真展2005』とやらに行ってきた。
この写真展に行くのは、昨年度に続き2回目であった。前回は職場に置いてあった「招待券」を貰って行ってきたのだった。学校という場所は結構「招待券」がやってくるところなのである。昨年初めてその写真展を見たときの印象は「紛争というのは世界の至る処で起こっているのだなぁ」というものであった。かなりヘビーな写真展である。あの写真展を見ると、自分の無力さを感じ、自分は平和な世界にいるなぁ、と思うのです。少なくとも「簡単に命を落としてしまうような場所に居ない」ということを認識します。ま、この文章を作成している数秒後にこの東京に巨大地震がやってくる可能性もあるのでしょうけれどね。
今年、職場ではタダ券がどこかに置いてあるコトは無かったのだが、写真部顧問の理科の先生がタダ券をくれたのだった。再び、写真展を見ての感想は、「昨年は「いろんなところで紛争が起きているのだなぁ」というコトを思ったっけなぁ」でしたとさ。ヒトというのは忘れっぽい生き物なのだと改めて思いました。
その写真展では「ポートレート部門」というのがあるらしく、入選した作品集の中には「イラク戦争で負傷した、アメリカ合衆国軍の帰還した兵士(の肖像)」がありました。また、「現代社会の問題(だったかな?)部門」では、「中国の工場で働いている最中に、体の一部を失った青年たち」というのもありました。写真というメディアによって「物理的に傷ついた人」を見ると、生き長らえて写真に収まったヒトの裏に、死んでしまったヒトが居ることが連想されます。(実際には写真展の作品に「この後、写っている兵士は殺された」というものもありましたが。)ニュースの報道による「数十名(数百名・数千名・数万名)の死者」というフレーズを、スッと聞き流してしまうような日常を送っている私ですが、死というモノをもっときちんと想像し、戦争や紛争といったデキゴトに慣れないようにしたいと思うのでした。ただ、あんまり本気で見知らぬ人の死を悼みすぎていると、ココロが辛くなってしまうでしょうね。また、地球上に生まれた人が皆んな天寿を全うできたらば、食料はもっと大幅に足りなくなり、さらに紛争も頻発してしまうことになってしまうのかも知れません。
最近TVで彼らをよく見る。「パン君とジェームズ」って2人組をね。ご存じない方に一応説明すると、パン君→チンパンジー ジェームズ→白いブルドッグ の2匹組である。私が最初に見たのは日産自動車のCMだった気がします。
で、疑問があるワケよ。何でチンパンジーは「くん付け」で、ブルドッグは呼び捨てなのだい?
私がふと思い出したのは、『動物農場』という作品である。厳密にはその読者レビューである。
上記ページにあると思われる、レビュアーpentagramさんが言ったコトバ “一つ気になったのは、動物の世界でも犬はやっぱり犬でしかない事。ミッキーマウスのプルートもそうだ!けど、ここに出てくるナポレオンに育てられた犬も喋ることはなく唸ったり吠えたりしているだけである。なぜだろう?” を思い出したのだ、「パン君とジェームズ」を見てね。確かにプルートも喋らないよなぁ。
『動物農場』という作品は面白いです。あんまりソビエト共産党内部については詳しくない私であるが、寓話として面白い。同じGeorge Orwell(ジョージ・オーウェル)の作品で『1984年』というのがあるが、こちらの方が有名でしょうか?『動物農場』はそれほど長くない物語だが、完成度は素晴らしいと思います。この本を私に薦めてくれたのは、鈴木勇という元同僚の国語科の教員であります。
ここ数日入り浸っている病院にある自動販売機。
最初にこの自動販売機を使ったとき、ビビッたことがありました。なんと、釣り銭が受け皿を飛び出して地面に落ちたのです。彼は10円玉でした。結構重いと思うのですが。
こういった「ユニバーサルデザイン」的な自動販売機、時々見ますよね。確かに車いすのヒトとか、子供とかには優しい構造になってますよね。ま、ガキってのは「高い位置にあるボタンが押せるようになるとうれしい」とか、「電車のつり革をつかめるようになって嬉しい」とか思いながら老化していく存在なので、恐らく適当にあしらっておけば良いのでしょう。車椅子使用者とか腰が劇的に曲がった老人とかキチンとコインをつかめないヒトなんかには、低い位置にある「コイン投入口・商品選択ボタン・釣り銭皿・商品取り出し口」はありがたいのかも知れません。しかし、腰が曲がった老人は自動販売機なんか嫌いかも知れないし、そんな上方にある商品は目に入らないのかも知れない。
病院内の自動販売機ですから、確かに車椅子で自動販売機を使うヒトは多いかも知れませんね。そして、その自販機のささやかな反逆(?)。相手が私だったのが残念かも知れない、彼(自販機)にとっては。
恐らく、そのようなコイン転落現象は数千回から数万回に一回くらいなのではなかろうかと思います。コインをポロポロ振り蒔く自動販売機なんか設計するヒト居ませんものねぇ。私はこの自動販売機でもう20本近くの飲料を購入しましたし、それ以上の枚数の釣り銭を受け取りましたが、落ちたコインはありませんでした。
思えば、珍しいものを見れて嬉しいような、無駄に運を使ったような...
日本共産党のスローガン?「たしかな野党」ってヤツを目にしたとき、「野党で良いのかい?与党になる気は無いのかい?」って思った私である。選挙とか政治ってのは野党とか与党とか関係なく、理念とか主張とか政策がキチンとしていれば良いだけの話じゃ無いですか。やはり、ネット上でも同様の意見が散見されるのでありました。
で、このスローガンがどうも気にくわない私である。それは文部科学省だか何だかがここ数年宣っている「確かな学力」ってのにカブる感じがするからなのだ。「確かな学力」とか言い出す前に、コネとかが関係ない「確かな教員」の採用を推進したり、文部科学省が各学校へ送り出してくる「やたらと枚数や前書きばかり多い、A4版でコピーが繰り返されて印刷が見づらく、その段階で中身を見る気になれない文書」の製造を止めて、「(公務員としての)確かなシゴト」とかをやって欲しいと思うのでありますねぇ。ま、どういうシゴトが「確かなシゴト」となるのかは分かりませんけれど。
約22時間前に偉そうなコトを言った私である。そんな私の身の上には「恐れていたコト」が起こってしまっていたのでした。私のスタイルでこのシゴトを続けるならば、「その日」が来ることは予想していたのですが。
夏休みの終わりも近い午後の職員室、翌日の夏期講習の準備をしていた私。ふと異変に気付きました。シャツの左胸が赤く染まっていたのです…
(頭突く) じゃなくて (続く)
今住んでいるトコロの最寄り駅から電車に乗れば、秋葉原へは10分もかからない。そのせいか、明日開業となる「ヨドバシカメラ マルチメディアAkiba」なる店舗の折り込み広告が朝刊に挟まっていた。で、かなりビビッタ事があるのでお知らせしたいのだ。
実はニュースでも報道されていたのであるが、私は気が付かなかった。その建物は地下6階までが駐車場になっているコト。「地下6階の駐車場」なんて聞いたコト無いや、私は。
ちょっとググってみたけど、そんなに深そうな駐車場、やはり見あたらない。「地下6階」で引っかかったのは「国際ビル(東京都千代田区丸の内三丁目1番1号)」であります。帝国劇場が入っているビルらしいです。もちろん、地下は駐車場では無いらしいです。
最近私はアングラに興味があるのですね。アングラはundergroundの略ね。この場合のアングラは「演劇」でもなければ「政治活動」でもありません。その字面のまま「地下(構造物)」に興味があるのね。丁度1年くらい前、杉並中央図書館から1冊の本を借りたのですね。その本は秋庭俊というヒトが書いた『帝都東京・隠された地下網の秘密』ってヤツ。詳しくはAmazonの書評をご覧あれ。この本は続編もあって、それも借りて読みました。私は割と地図好きであり、山や川といった地形、道路・地下鉄の走り方なんかにも昔から興味があるのだな。チナミに鉄道車両マニアではないです。また、以前から「何で東京の地下鉄は不自然に曲がっているのだろう」というのも疑問として感じていました。2つばかし、私が以前から疑問に思っていた例を挙げましょう。 1:池袋駅周辺の地下鉄路線の走り方。新しいはずの路線である有楽町線、郊外からやってきて要町駅を出た後、昔からある丸ノ内線のホームへ向かってませんか?(チナミに、新線はもっと露骨に丸ノ内線ホームに向かってますよね。以前、丸ノ内線のホームの端から線路の行く末を眺めた事がありますが、暗くてよく見えなかったデス…) 2:新橋駅東側で発生する、銀座線と都営浅草線のニアミス。銀座線は「最初の地下鉄」というコトになっていますが、何で新橋駅の東側ではバキッと折れ曲がっているのだろうか。地下に元々十字路が有ったんじゃないの?
で、秋庭ってヒトに言わせると、東京にはかなりの地下道網が第2次世界大戦前から存在したってコトらしいッス。それらの本を読んだ後、職場の近くの南阿佐ヶ谷駅でフト気付いた事があります。丸ノ内線ってヤツは車両の上に「架線」も「パンタグラフ」も無いのですね。低い位置にある電流専用のレールからエネルギーを得ているらしいです。しかし、丸ノ内線南阿佐ヶ谷駅の天井には、どう見ても「昔、何かが取り付けられていた形跡」があるのですよ。コンクリが剥がれ落ちているというか、等間隔にボコボコ穴が空いているのです。昔々、トロリー系の乗り物か、あるいは地下鉄があったのでしょうか?秋庭というヒトに言わせると「都営大江戸線が広軌(鉄ちゃん的には標準軌らしい)なのは、昔(戦前?)からあった線路を使ったためであり、車両が妙に小さいのは、昔からあったトンネルの内側をきれいにデコレーションしたため」ってなそうだ。確かにそれもありそうだ。
そんなわけで、地下を使えるビルの持ち主ってのは、かなり胡散臭いというか、クニ(利権)に近い存在であるのだろう…と彼は宣う。私は折り込み広告を見て思ったさ、「ヨドバシよ、おまえもクニ側か…」というコトでありますよ、結論はね。前述の「帝国劇場」ってのが入っている「国際ビル」。名前も地下6階まであるってコトも胡散臭いなぁ。
あ、チナミに前回の物語のオチを。私の胸が赤く染まっていたのは、シャツの胸ポケットに入れていたボールペンのインクが漏れたってコトです。ノック式のペンは気付かぬうちにペン先が露出する恐れがあるし、そうするとシャツへのインク付着が起こりますよね。そんなわけで、私は胸ポケットに収めるボールペンは必ず「キャップ式」にしているのです。しかし、夏休み終わり近くのある日、何がどう忙しかったのかよく判りませんが、ボールペンを使い終わった状態のまま胸ポケットに収めてしまったようなのですね。水性インクだったため、どんどんインクはシャツに染みこんだ様子でした。ただし、水性だったから手洗い+洗濯機でほとんどインクは落ちました、めでたしめでたし。
職場での学園祭「薔薇祭」とりあえず終了。会計の締めとか、後かたづけが若干残ってはいるものの。
その学園祭では毎年テーマを設けている、一応。今年のテーマは「No Border No Line」であった。
学園祭のテーマってのは、存在意義があんまり無いと思ってる私である。基本的には「祭り」は「祭り」で良いと思っている。大学時代は学園祭の実行委員に名を連ねた私であるが、テーマってあんまり記憶にないのですなぁ。(ま、真面目に決めた記憶はあります。)
時々、他の中高校学園祭のパンフレットなんかを見たりするが、大仰なテーマが記されているワリに、中身をよく見ると食べ物を売ったり肝試しみたいなイロモノばかり目についたりするコトがある。
で、今年の薔薇祭ね。
何が一番良かったかって言うと、その文化祭を仕切る生徒たちが作成したパワーポイントのスライド。
自分の中学・高校生時代、「世の中には歴然とした貧富の差があるのだなぁ」というコトに気付き、愕然としたような記憶がある。それから20年くらい経過している今、「金持ちは何故に金(と扱われるシリコンやガラスなどの上の電磁気的情報?)を集めたがるのだろう?」という疑問に駆られる私である。それはさておき、スライドは良かった、ナレーションも。ここに採録できるわけでは無いのですけれど。
「ホワイトバンド」ってヤツがあるじゃないですか。ま、私はいつもココロにホワイトバンドを所有しているつもりなので、ホワイトバンドなんか買いません、付けません。絶対に募金はしない。ああ、しません。
しかし、「ホワイトバンド」っていう「かなり商業的な臭いが漂う物品」の存在がなければ、あのすばらしいスライドが完成しなかったのも事実であろう。その1点だけでも、ホワイトバンドの存在意義はあったと思います。少なくとも、本校生徒数百名には何らかの印象(恐ろしいまでの地球上の貧富の差が厳然と存在するという事実)が残ったんじゃ無いかな?
あの「ホワイトバンド」という名称のプラスチックで、誰がどれだけ儲けているかは知らない、知ろうとする気力もない老人の私である。
そして、
腰パンしている男子高校生の白いシャツから透けて見えるパンツの柄はあんまり見たくない。
ネット上でワンデーアキュビューの安い店を探し、昨日注文した私である。
そして本日「コンタクトの処方箋もしくは指示書」をお店に要求され、その店からの購入を断念した。
もう1年以上前になるが、ワンデーアキュビューの「管理手帳」をスキャンしたものをメールで添付すると、バッチリ売ってもらえたのだ。別の店だけどね。
そのトキと同じ画像を送ったけれど、販売できませんというメールを貰ったのである。
処方箋貰おうとしたら、絶対眼科医に金取られるじゃないですか。簡単な診断書だって3000円くらい取られる世の中ですし、「コンタクトの処方箋だけ安くホイホイ出してくれる眼科医を捜す」よりも、「コンタクト屋にくっついている眼科に行く」方を選んだ私である。
チナミに、処方箋が不要な仮想店舗はたくさん存在する、例えば前述の店の姉妹店とかね。しかし、ほとんどの店が2か月分しか売ってくれないのですよね。
送料かかるし、あんまり「うま味」は無いっしょ、そんな店。
まあ、ジョンソン・エンド・ジョンソンはヒトの眼球に対して良心的であるとも言えるのですけどね。
私の職場は都民の日が休みになっている。さすがに日曜日にぶつかった年度は、振り替えは無かった記憶があるケド。
都立高校とか、都内の公立学校なら休みなのは当然なのだろうが、私立学校を休みにする必然性は感じられないまま、既に10年以上奉職。ここ数年疑問なのは、他の私立学校はどうなのかしらってコトである。都外(県民の日?)も含めて。
実際、私の勤め先には埼玉・千葉・神奈川からも生徒は通ってきているわけだし、彼女らの友人のうち、土曜も授業がある学校に通っているなら、当然通学しているのだろうなあ。
昔、都内在住の生徒が、都外から通ってる友人と以下の会話を交わしていたのを聞いた。
都内生「あんたは明日学校来るんだよねぇ?」
都外生「えっ!マジ?私だけ来るの?」
彼女らはそのトキ確か高2だったので、前年の都民の日、県民だった子も休んでいるハズなのだが…
で、思い出した「カッパのバッジ」。毎年デザインが変わっていたとは知りませんでした。(このページの「“かっぱのバッジ”ミュージアム」参照しました。)
ここ数日「おかしいなぁ?」と思っている方がいらっしゃるかも知れない、この腐れページの常連さんなんかだと。
何がおかしいのかというと、連日、日記を記しているのですな。ま、日記なのだから当たり前じゃん!ってツッコミをするアナタはこのページ群の常連ではない。何でそんなにマメに更新しているのかというと、私もblogってヤツを始めてしまったからなのですな。遅すぎるか。
で、そのblogは楽天広場ってトコに間借りしているのだが、このページにあるようなリンク、つまりAmazonみたいな「楽天のライバルへのリンク」は「拒否られる」←ジョシコーセー言葉 のであります。ま、当然といえば、当然なのでしょうねぇ。
また、知ったのだがblogってのはアクセス数が多いのですねぇ。発酵した(腐ってはいない)日記しか置いていないのに、4日間で50カウントを越えていますものねぇ。そのblogからこの辺(リムネット上腐れページ群)へのリンクを張ってあるのだが、その経路を辿ってここへ来た人は今のところ居ない。これも「へぇー」って感じだ。確かに何か調べものをしていてblogに辿り着くことがあっても、そのヒトの「お気に入り」まで辿ることはあんまり無いわなぁ。
ハナシは更に変わる。現在の住処の近くにあるちょっと有名なケーキ屋さんのケーキ買った。結構おいしいので、割とよく利用しています。ま、決して安くはないですね。そこそこの値段です。
年を取ってしみじみ思うのは、「食べ物の値段と味はある程度比例する」ってコトかなぁ。特にケーキと肉関係(焼肉・焼き鳥)についてはそう思う私です。酒はあんまり関係ないですね。ケーキは油脂と糖分と澱粉が主原料だから、普通の生物なら「まずい」と感ずることも無い代物だけどね。
昨年末に引っ越したこともあり、それ以降、自宅近くの理髪店を色々試すこととなった。理髪店に限らないが、ある程度「馴染みの店」ができると、そこを使った方が何かと楽であるコトが多い。スーパーにしても、コンビニにしても、飲み屋にしても。
で、数日前に行った床屋は2回目の訪問だったのだが、これからはそこに通うつもりである。割と落ち着いた雰囲気であり、お年を召した夫婦で仕事をしていらっしゃるようであった。
あんまり若いニーチャンに髪の毛を切られるのって、私好きじゃないのですね。当然の事ながら?美容室・美容院って行ったこと無いのである。
で、その際に店のお母さんに言われたのだ。ある程度長さも切りそろえ、髪の毛をハサミで梳<す>いている途中に「(髪の毛)多いですねぇ、立派ですねぇ」って。「以前よりは減りましたねぇ」と答えた私だった。
髪の毛の量が平均より多いのは事実らしいのですね。また、それでも薄くなりつつあるのも事実なのだ。
ここ数日のうちに、杉並区は阿佐ヶ谷周辺でもキンモクセイが薫りだした。また、ここ数日は寒暖の差が激しいこともあるのか、勤め先の生徒の欠席者数が結構多い。そして、ここ数日、時々私がくしゃみや咳をすると、黄色っぽい微量の痰のようなものが出る。
風邪をひいているヒトが多いというコトは、それだけ巷には風邪のウイルス等が飛び交っているハズである。そして、それは恐らく私の鼻や喉、気管にもへばり付くのであろうが、私の気管の繊毛は果敢に立ち向かい、そいつらを退治する結果として痰が生じるのであろう。がんばれ私の繊毛、がんばれみんなの繊毛。風邪に負けるな、えいえいおー
ところで、ヒトは老化するとこの繊毛のはたらきも弱まり、きちんと痰を生産できなくなっていくそうである。老人ってよくゲホゲホ言ってるじゃないですか。彼らの本能(反射行動)は、「喉に異物あり、排出せよ!」って命令を、気管や肺や横隔膜に出すのだろう、若い頃と同じく。が、気管内側粘膜上の繊毛も老化しており、きちんとゴミを肺の奥から喉の方へ運ぶことができなくなってしまうらしい。
私はワードよりも一太郎の方に馴染みがある。
パソコンを扱い、html をいじる(駄文を世界へ向けて公開する)ようになって来た私は、パラグラフ paragraph というものについて考えざるを得なくなってきた。タグにもありますしね、<p>とか</p>ってヤツが。
私もご多分に漏れず、<br>タグと<p>タグをかなり混同していたのだ。昔はある程度?混同しても良かったらしいケド、私が html の入門書を買ったとき、それらは区別しなきゃいけない時期だったと思うのです。買った本が多分悪かったのでしょう。
日本語というのを表記する場合、つらつら書き連ねる(手紙タイプ)か、升目に埋めていく(原稿用紙タイプ)場合が多いだろう。どちらの方法も昔から存在するのだろうね。以前の私には「改行」で「段落」を分けるという「概念」はあったが、「パラグラフ」を連ねて文章を構成しようという「思い」は存在してなかったですね、確実に。
例えば英語で論文を書くコトとかが必要な世界に生きているならば、そういったパラグラフというものを会得することもあるのだろうが、この日本というクニにおいて初等・中等学校教育を受けるだけでは、その概念は使いませんわなぁ。で、そんな私は<p>タグに困惑すると。
話はワープロソフトの話に戻るのだが、「ワード」は「一太郎」に比較すると、「行」よりも「文」を重視するようである。もともと英語というのはそういう言語なのだろうから、当然なのでしょうけれど。慣れがかなり影響しているのでしょうが、日本のヒトが作った「一太郎」の改行幅についての概念の方が、私に馴染む気がする。「ワード」で改行幅に凝ろうとすると、段落(というか paragraph ?)という概念の存在に巻き込まれざるを得なくなる様子である。
まあ、だいたい英語で言う「paragraph」と日本語で言う「段落」ってのは、もともと意味が異なるのでしょうけれど。
今日の一句
教科書を持ち帰りしは筋トレか
私はかなり感動している。
「毒電波TV」というサイト(ブログ)は、そのインパクトある名称で見覚えがあります。その中の「浜崎あゆみのあまりにも壮絶なパクリ画像集(笑)」ってのは凄いです。凄い。
浜崎あゆみと avex のヒト達もある意味凄い。凄まじいパクりっぷりである。10年くらい前?のとんねるず(海外のプロモーションビデオのマネをしてて、スタジオ内からは「しらけたお愛想笑い」が飛んでいた、全然面白いと思えなかった番組)を彷彿とさせる。空しくないのか?
「のまネコ」ってヤツに興味があったのでサーフィンしてたら(死語だって!)辿り着いたのが上記サイトです。
チナミに、私の持っているCDは百数十枚ほどなのだが、幸いにして avex のヤツは1枚もなかった。ことり事務所の出している品物はDVD含めて3枚もあるのに。
使い捨てコンタクトを購入してきた。買ったのは「さくらや新宿西口駅前店」である。
結論から言うと、ワンデーアキュビューを18箱(大人だねぇ)を買い、1箱の単価は約2247円というコトになった。
「さくらや」ではたくさん買うほどに安くなるシステム、っていうか価格になっているらしく、9ヶ月分購入してきたのである。6ヶ月分でも9ヶ月分でも1箱あたりの価格は2250円であった。3ヶ月分だと1箱の値段はもう少し高くなり、12ヶ月分一括購入だともう少し安くなるようだった。じゃあ、何で2247円なのか。さくらやはポイントカードがあるので、その返金分?として5%、1箱あたり112.5円安くなるのだ。しかし、店舗併設の眼科の診察料が1970円だったので18で割った約109.5円が1箱の単価に上乗せされる。なんだかんだで約2247円となったのでした。
やはり、ネット上で購入するよりは、家電量販店なんかで買う方が安いみたいですねぇ。ネット通販は送料がかかりますからねぇ。基本的に運動する時などにしかコンタクトを使用しない私ですから、この9ヶ月分で数年はコンタクトを買わずに済むでしょう。
東京に住んでいると、こんな時は楽でありますね。物価や家賃はかなり高いが、品物の豊富さという点では有利である。新宿は通勤経路上だから、定期券で行けてしまうし。
雨の体育の日です。
私、幼い頃は作文の時間とかが苦手だったんですよね。
そんな私だったが、文章作成するのが面白いなぁと思ったきっかけは、今でも覚えている。
小学校・中学校の頃って「班ノート」ってヤツがあったりしましたよね。クラスが6班とか7班とかに分かれていて、掃除をしたり給食を一緒に食べたり。また、その班の中での交換日記として「班ノート」ってのがあったのですよ。今でも多分あるんじゃないかな?
小学校の頃は特に何かをノートの中で語った記憶は無いのだが、中学になった時に「班ノート」に論文を書いたのは鮮明に記憶している。それは「どうやったら朝気持ちよく起きられるか」という内容であった。
簡単にその概要を書いてみよう(今でも覚えているノダ)。
・朝は眠い
・どうにかして起きたい
・小便に行きたい時は目を覚ます
・尿意で起きるのと、起床を合わせれば良い?
・しかし、たくさん水飲むとおねしょしちゃうかも。
・逆に、変な時間に大量に水飲むと、授業中に尿意?
などなど、調子に乗って延々と駄文を書いた記憶が残っている。また、それが結構好評を博したのも記憶に残っている。私は寡黙な優等生だったからねぇ。とても「小便ネタ」を書くとは思われなかったようだ。私も、そんなに調子づいて作文できるとは思っていなかった。
その日があったから、今があるのでしょうねぇ。
ヒトに読ませる文というのは、ある程度の知識の蓄積とサービス精神が無いと、うまくできない気がする。
また、生徒の文章を読んでいて思うのだが、小説などの文章をたくさん読んでいる生徒は、書く文章も読みやすく面白い場合が多い。
私が本格的に駄文を書くことに目覚めたのは、大学時代である。
東京学芸大学にあった歩いて旅をするサークル「伸歩会」に所属し、そこの部室に存在した「素語録(すごろく)」っていう雑記帳兼連絡帳に文章を書き始めたのが、この作家活動の始まりと言えよう。素語録は「双六」に掛けてるわけでして、なかなかしゃれた題名ですよね。
私が大学に入った1989年には、様々な部室群が存在したのである。その大学の敷地は元々日本軍が使用していたという場所であり、元兵舎だかなんだかをサークル等の部室として使用していた。思えば、電気は使い放題であったし、少し歩けば水道も存在した。その代金を払っていたわけではないから、クニというのは太っ腹である。さすがに私が卒業する時には部室棟が解体され、1つのコンクリ製の建物にそれらの部室群が収まっていったのではあるが。
その最初の段階ではどうやってスペースの分配をしたのか忘れてしまったが、一応ある程度は民主的に土地を分配したような記憶がある。しかし、徐々にサークルや部活間の力関係(腕力とか?)によって、それぞれの団体が占めるスペースは拡大もしくは縮小していった様子である。私の所属したサークルは数年前から「潰れた」とかいう噂を何度か聞いたが、その割には学園祭で活動しているのを見たこともあった。
私が大学を卒業した1993年春、「素語録」はコンクリ製建物のロッカー内に収められていたハズであるが、今はもう捨てられちゃったのだろうなぁ。読み返したら読み返したで面白いのだろうケド。
引っ越す以前はめざましテレビを見ながら朝ご飯を食べていたのだが、最近はあまり見る時間がない。でも時々は見ているのである。で、メチャメチャ引っかかったことがあったので記す。
それは「今日の占いCountDown」である。だいたい、カウントダウンとか言いながら、カウントアップしているじゃんよぉ。「占い カウントダウン カウントアップ」でググってみたら、同じコト書いてるヒトがたくさん居た、やはり。
で、私は身支度をしながら、音声だけ聞いていた。ムーンプリンセス妃弥子曰く、10月12日の12位は「さそり座」であり、こうコメントされていた。「水面下の行動は絶対にヤメテ!すぐ見破られ信頼を失うハメに。誠実さを忘れない事が一番大切。」とさ。ま、それは良かろう。誰でも当てはまるさ「オガワマサキ占いの法則:自分と違う星座や血液型への占いでも、その気?になってみると、すべて当てはまる」によって。
実は、この部分は帰宅後に上記ページを見たから書けるのであり、その時は右の耳から入って、ケツの穴から抜けてった。若干のスカトールと一緒に。
で、「おまじない」として「嫌いな人の似顔絵を描く」というのが耳に入ってきた。私は「なんじゃいそりゃ?」と思ったのだ。ここで耳と心にメインスイッチが入った。そして駄目押し「ラッキーポイントはキンモクセイの花」
ななな、なんだいそりゃ!!!
コーフンした私であったが、ネクタイを締めて出勤したさ。
何故、私がそれほどまでに「キンモクセイの花」にビビッたか。
大体さぁ、キンモクセイが薫りだしたのはこの数日でしょ、東京では。ってコトは、もっと北の方では以前からキンモクセイは薫っていたはずだし、南の地方ではまだキンモクセイは咲いてないはずですよ。「桜前線」は北上するし、「紅葉前線」は南下するじゃないですか。「キンモクセイ」も秋の花ですから、その前線は北から南へ降りてくるはずなのだな。
でよ、ムーンプリンセス妃弥子氏は多分東京に住んでるわけさ、名前は月面在住っぽいけれど。彼女?は12日放送の原稿を考えるトキ「ここ数日はキンモクセイが薫るわねぇ…、そうね、ラッキーポイントはキンモクセイの花ねっ♪」とか考えたわけさね。
「おいおい」って感じだわ。
「占星術」ってのは、太陽・月・惑星・恒星あたりの動きを基準にして作成するわけでしょ、一応。なんで、東京ローカルなんだよ、占星術が。自己中心的すぎて気持ち悪いわ。
ニュース番組の台風情報で、東京過ぎた後に突然扱いが小さくなる現象より始末が悪いっっ!
(最近は東京を過ぎた台風も結構扱うようになった。良い事だ。)
今週は仕事を休んだりする事が無くて良かった。
職場からの帰宅途上で思い出したコトを記す。
職場(学校)で同じ学年を担当しているセンセ方の会議は、毎週月曜放課後に行われている。今週は月曜日が体育の日だったため、その会議は火曜日放課後に開かれた。その際、みんなでお菓子を食べたのだ。それもただの菓子ではなく、賞味期限を大幅に超えた菓子を。
そいつは、賞味期限を2週間過ぎていた。恐らく購入されたのは9月23日前後であり、その数日後が賞味期限となっていたはずなのだ。別にせんべいとかクッキーなどの焼き菓子ならあまり問題ないのだろうが、コトもあろうにそれは「乳製品の含まれるクリーム入りのケーキ」だったのだ。しかも、全員で仲良く食べた。ヒトによっては3個も食べた。「お腹いたくなったら、タンパク質も含まれてることだし、ひどい事になるだろうなぁ」と思いながら、私もバッチリ食べた。味は特におかしいところはなかったが、それでも不安は不安である。しかし、食べた。
結果的にはみんな元気に翌日出勤した。誰も何も起こらなかったようだ。パッケージ内の「脱酸素剤」が良い仕事をしてくれたのかも知れない。ある先生は「みんなで食べましたものねぇ。高3の団結ぶりには感心しました、誰も「私は食べない」って言わなかったし」とか言ってた。
それって、団結なのか?ただの食い意地だけの気も…
8:40 今日は朝から問題を作成、しなければいけないところを、まずは知人のサイトを見て回ったりしたのだった orz
そして、「お気に入り」を再編し直した。
9:20 レンタル屋から借りてパソコンに取り込んだ BUMP OF CHICKEN 聞きつつ、試験問題に使う画像を作成している。だから、日記なんか書く暇あったら、シゴトしろっつーのto自分。
10:00 ほいほい、画像作成中。近年は教科書に載っている図を収めた CD-ROM が教科書の「指導書」という数千円の価格の書籍についてくるので、試験問題用の図を一から起こすコトは減ってきた。と、云うコトはその作成した画像を「画像集」として公開すると、著作権上の問題が生じるというコトになってくる。生物の試験問題を作っていると、どうしても図が必要になってくる事が多いのですねぇ。
紅茶の飲み過ぎで気分が悪くなってきた。
10:30 チナミに、画像の編集は Paint Shop Pro 9 を使ってやってる。昨日はその新バージョン Corel Paint Shop Pro X の発売日だったらしい。このソフトはバージョン3くらいの頃から使っているんですよね。Photo Shop は高いから。
この Paint Shop って発売元が変わりまくっている不思議なソフトなのである。私が最初に購入したトキは Met's ってカイシャのパッケージだったのだが、その後P&Aとかいうカイシャに変わったはず。そして、今はコーレルらしい。コーレルは Draw で昔から有名な会社ですよね。私は数年前、P&Aってカイシャの時に、何故か毎日新聞社が主催していた「教職員モニター募集」を発見し、それに申し込んで貰ったのである。かーなりいい加減なモニターレポートを返信したのだが、特に怒られる事もなかった。それどころか年が変わってから「新バージョン要りますか?」ってメールが何年か届いたのだ。昨年10月末もメールが届いた。そのメールに返事書いただけで現在使っているバージョン9を貰えた。今年もくれないかなぁ。以前は職場にあったソフトをチョロッと借りて家のパソコンにインストールしてしまった事もあったが、現在は家で使っているソフトはみんな正規ユーザーである。偉いっ!(当たり前?) って、過去のメールなんかを調べながら日記書いたら20分経過したよ orz
11:15 図の作成は終わった。これで100点分の問題を作ろう。
12:10 朝ご飯兼昼ご飯、俗に言うブランチを頂き、知り合いの先生のブログ(その1・その2)を眺めた。以前から html を記述して自らアップロードしていた先生達なのだが、今年度に入ってから最近blogを始められたそうだ。そういう私もつい最近 blog を始めたワケなのだが。
17:55 そして、食事後はちょっと休憩のつもりが寝入ってしまった。昼寝は気持ちいい。テレビの中では円楽さんが元気に喋っている。喋りたいのに言葉が出てこないというのは、かなりもどかしい状況なのだろう。
19:25 今トイレに行って思い出した。短パンってのは夏場重宝するが、1点だけヘコむ事がある。それは「普段男子用小便器で立ち小便をしている時、どれほどの飛沫が自分の脚にかかっていたのか、どれほどの飛沫がスラックス等にかかっていたのかを思い知る」というコトである。ここ数年は自宅で小便をする時も、洋式便器に座って用を足すようになった私である。洋式便器は座った方が何かと使いやすいですわな。
21:35 試験問題作っていて「キモグラフ」を調べていたら、http://www.asahi-net.or.jp/~dz5y-mrt/omnis22.htmというページにたどりついた。そして、長々と森田保久の高校生物関係の部屋にあったページを閲覧してしまいました。エンドウ(グリーンピース)が何故しわになるかというハナシは、初めて知ったような、どこかで知ったが一度忘れていたような… どっちにせよ、情けないコトに変わりなし。で、「とりあえず、お気に入りに登録しよー」としてよくよく調べてみたら、上記ページは自分の「お気に入り」の中に入っていた、ただし転居前のアドレスでした。
やはり読んだ事あったんだな、多分 ○| ̄|_
22:00 とりあえず、日記は締めてから、問題作成続けましょう。
ここ2週間くらいだろうか?
自宅から駅に向かう途中、並木になったハナミズキにハトが留まっているのを度々眼にした。ドバトが「わさわさ」と街路樹に留まっていたので、ちょっと不思議な光景だったのだ。
不思議に思ったまま、ずーっと過ごしていたのだが、昨日の朝「よくよく」見てみると、ハナミズキに実が付いていたのでした。
結構大量に実を付ける植物だったというコト、初めて知りました。思えば、引っ越ししてからまだ1年経過していないから、この季節をこの場所で迎えるのは初めてだったのだ。ハト以外の鳥はあまり見受けられなかったから、それほど美味しい実では無いのかも知れません。あるいは、ハナミズキの実ってヤツ、妙にハト好みの味なのかも知れないけれど。
今度思い出したら、一つ食べてみましょう。
味覚というのは、恐らく個人によっても異なるものだし(他人の考えが読めないのと同じコトでしょう)、生物種が違ったら、劇的に違う可能性はありますよね。ハトが柿を啄む姿って、思えばあまり見たことない気がする。
有名な味覚の違いだと、「哺乳類はトウガラシを辛く感じるが、鳥類はあの辛み成分を無視するらしい」ってのがある。
受容体が無いのだかなんだか私も詳しく調べていないが、何しろ鳥類は「ばりばり」トウガラシを食えるらしい。苦労して子孫となる種子を残した植物(トウガラシ)にとって、哺乳類は種まで噛みつぶしてしまうから天敵になるが、実や種を食べた後、空を飛びながら未消化の種子を「ぷりぷり」産んでくれる鳥類は、子供の命の恩人になるそうで。ま、鳥の排便の擬音は「ぷりぷり」よりは「ぴょへ」かも知れないが。
調査の途中、@nifty:デイリーポータルZ:ハトはどの豆が好きなのか?を見た。このページはかなり笑えたッス。上記サイトの他の文章もちょこちょこ眺めたが、ハトのハナシは面白かった。
ニフティにそのようなページ群デイリーポータルZがあるコト、今まで知りませんでした。
ハナミズキの果実、今朝囓ってみました。かなり苦かったッス。ま、スモモ様の香りがしたようなしないような...、また、果実っぽい歯ごたえも若干あったのだが、何しろ苦かった。
バナジウムで低血糖?ホントかいな?
この「バナジウムは高血糖のヒトによい」ってハナシには、桜井弘とか奥田拓道とかいうヒトが絡んでいるらしいが、特に奥田拓道ってヒトは怪しい。
「キチン・キトサン」や「にがり」にも一役買ったらしいぞ。怪しすぎる。上記物質を一応信じて裏切られたヒトは多いのではないだろうか?ってか、そういうモノに惹かれてしまうヒトは、たいがい「移り気」だろうから、いちいち彼らの言うコトに目くじらを立てることもないのかも知れない。そして、苦労して稼いだ金を、彼らが協力した企業とか、その下のドジョウ企業に貢いでいくワケね。ご愁傷様。
こういった無駄遣い、つまり「変な健康食品もどきにハマるコト」ってのは、税金を払うのとはまた別の次元で下らないと思うのだ。税金はある程度勝手に持って行かれてしまうが、健康食品は意図的に購入する必要があるじゃないですか。かの有名なカテキンは「勝て菌」ですぜ、知っとるけ?2006年1月26日訂正
で、「バナジウムで低血糖」にも、私のセンサーが遅ればせながら反応したのだ。最近「バナジウム」ってパッケージに書かれた天然水が増えてきてましたけれど、それが「何に効くというタテマエ」になってるか、知りませんでした。
天然水はちょっと詳しい私であるぞ。何たって卒論で扱ったから。
例えば、バナジウムは良いらしいという裏付けとして、アサヒ飲料のページがある。(2011年6月リンク貼り直し)
上記サイトにはそれなりの実験結果?が記してあるのだが、マウスとヒトの生理機構って違うところも多いんじゃないかい?
動物実験で有名なのは「サッカリンの発ガン性」であろう。「サッカリン」って物質は、ラットの雄には発ガン性を持つそうなのだが、ヒトに対しては特に発ガン性は無いらしいってコトになりましたよね。上記サイトの実験だって、特殊な系統のマウスを用いているみたいです。その生まれながらに糖尿・中性脂肪過多のマウスに対しては、バナジウム入りの水による高血糖症の改善が見られたとしよう。しかし当然の事ながら、バナジウム入りの水がヒトに同じ効果を生むかどうかは分からない。にもかかわらず、バナジウムをたっぷり含んだ(って言っても1リットルに100μg程度だけど)水がかなりの値段で売られている。
そんなにバナジウム必要なら、ホヤ喰えば良いんじゃない?富士山麓の水で生活しているヒトとか、日常的にホヤを食う人達の疫学的調査のデータがあったなら、ちょっとは信じても良いかも知れないけれど。
で、私はアサヒ飲料のページにあるような実験結果が得られたかどうかも怪しいと思っている。「アサヒ飲料の営業活動としての研究」なんだもの。
本日、山手線内で「電子ブックリーダー」を持っているヒトを見た、初めて。
厳密に言うと、「電子ブック」ってのは直径8cmのCDに焼かれたものであるようで、昔の「CD読み出し機」はゴツかった。あれは全然欲しくなかったデス。
今回見た「ソレ」はsonyの LIBRIe とかいう製品だったようだ。スマートであった。ちょっと気になった私である。そして帰宅。
しかし、調べて分かったのだが、価格がえらく高い。新品を安く買っても40k円弱の値段らしい。特に買いたいと思わないなぁ。本屋や図書館で表紙とかを眺めながら、あれこれ物色するのが楽しいじゃないですか、読書はさ。で、文庫本が数十冊買えるぜ、その価格だと。あれは一種の嗜好品というコトにした、私の頭の中で。
遅ればせながら、2週間くらい前に『電車男』読んだ。編集が良いと思いました。2ちゃんねるへの書き込みを取捨選択して作ったわけでしょうけれど、その選ぶセンスが良いと思った。
そしてどうしても、成長した「ちびノリダー」の彼が目に浮かんでしまうのだった。映像の力は恐ろしい。
私はここ数年思っていたのだ。現行の憲法第9条に反しているような状態を続けるのは良くないだろうと。厳密に言うと、中学校で公民を勉強した時から漠然と感じていた。
最高法規であるはずの憲法。それに対して、自衛隊という存在は違反していると思っていた。
私は自分の事を基本的にサヨク系の人間だと思うのだが、きれい事(戦力の不保持)だけでは国家というものは存続し得ないという事を、年齢を重ねるにつれて、徐々に知っていったように思う。
だからといって「自衛隊を解散しろ」とは言えないし、「米軍出て行け」とも言えない。もちろん「自衛隊増強だ!」とか「米軍駐留万歳!」と云うワケじゃない。結局、世の中はみな「なぁなぁ」であり、「なるようにしかならない」「なるようになっていく」のであろう。様々な意見の集合として。
自民党の作成した「新憲法草案」ってヤツは探せなかったが、「自衛軍を明記」ってのは良い事だと思う。実際にこのクニには「ジエイタイ」が存在しちゃっているのだから。最高法規がないがしろにされているってコトが、ここ数年釈然としなかったのですよ、私の中で。「自衛隊」は法律上も存在させ、その上で「どういった行動を許し、どういった行動を戒めるのか」を文章化したほうが良いと思う。ここ数年、様々な法改正の元、チマチマと海外派兵してきたけれど、自衛隊の海外派兵を認めちゃったほうが、スッキリして精神衛生上良い。
ただ、結局「軍部(自衛隊幹部)は暴走するのかなぁ」という漠然とした諦めも生まれるのでした。自衛隊員さんには死んで欲しくないね。というか、世界中、兵器で殺される人はいなくなって欲しい。
武器の製造がストップすれば、戦争も起こらないのであろうが、世の中にはいろんなマニア(兵器作成マニア・兵器使用マニア・殺戮マニア)がいるだろうし、金儲けや利権の収集に精を出す人々もいるだろうから、紛争は無くなりはしないのだろう。
特にまとまりも無いまま、私の所感は終了します。
で、今回面白いと思ったネタをひとつ。
自民党のトップページには「自民党は、音声読み上げソフト等に対応できるWebページづくりを目指しています。」って文字が書いてある。しかし、IE6.0を使う限り、この文字列や、その下に連なっている文字群を拡大するコトができないのだ。耳の不自由なヒトに対して優しくするのだったら、フォントサイズも可変にして、大きな文字でも表示できるようにすべきだろう。老眼のヒトに読ませたくない記事でも載っているのか?
この辺のセンスの無さが笑える。ノーマライゼーション(normalization)を目指すなら、トコトンやって欲しいところだ。
最寄り駅から自宅へ向かう途中のこと。
「ブリッ」「ブリブリッ」って音がした。まあ、靴の状態によっては変な音が鳴る場合もあるが、その音は紛れもなく屁だった。前を行くスーツ来たオッサンの。ま、私もオッサンであるが、彼は私よりも2・3歳上であるような気がした。その小デブな後ろ姿を見る限り。
最後は妙にウェッティな音「プピッ」がしたのが気にかかる。電車を降りて、周りに人も少なくなり(と言っても、3メートル後ろには私がいたのだけれど)、思う存分屁をこきすぎたのかも知れない。彼のパンツが気になって、今日の夜は寝れそうにない。
ブリーフだろうか、トランクスか。若めにボクサーショーツ?もし汚れていたら、洗うのは奥さんなのか、彼なのか、母親なのか…
話は変わるが、5年前に購入した Let's note は CF-L1EA 、職場でも使う機会が無くなったので、数ヶ月間机の中で眠らせてあった。眠らせっ放しも勿体ないのでとりあえず自宅へ持ち帰り、またもや無駄な?努力をしてみようと思い始めたのだった。数度にわたり挫折した「手持ちのパソコンへの Linux 導入」である。約5年前、自作機に Linux を入れようとしたトキは、LANボードのチップがマイナーすぎて使えなかった。同じ頃、PC9821Xa10/C12 に FreeBSD を入れようとするも、UIDE98 に対応させる私のスキルが無く、挫折。
で、今回は CF-L1EA の為に、Linux での導入実績があるという corega の FEther II CB-TXD を新規購入し、Fedora Core 4 ってヤツを導入するコトにした。「無駄な悪あがきフォー!」(サイバーラモン風)
数日前、結論から言うとあっさりLANカード CB-TXD 認識し、無事にインストール終わりました。参考にしたのはソーテック社というトコロが出している『FedoraCore4でつくる最強の自宅サーバー』って本です。インストールプログラムを走らせ、指定したとおりにチェックを入れつつ「進む」ボタンをクリックしたら、きちんと Linux が導入されました。めでたしめでたし。
チナミに成功する前のこと、カスタマイズしてインストールしようとしたら、バッチリ途中で座礁しましたとさ。
日本経済新聞を1年以上購読していて、やっと最近気付いた事がある。
あの新聞の朝刊には「投書欄」が存在しないのだ。夕刊は購読していないから分からない。
以前、私は「朝日新聞萌え」だったのだ。何故に現在は日経なのかというと、配偶者が希望しているのだ。仕事の関係上「日経を読まなければならない」のだそうで。
投書欄ってのは、読者にとっては何か魅惑的な存在であるような気もするが、一般ピーポーが何かを主張したい場合、最近はホームページとかブログとかがあるから、鼻息荒くして新聞に投書するヒトは少なくなったろうね。
投書欄ってのは、「怪しそうだなぁ」ってのは、ここ数年感じてきた事であった。恐らく投書された文章はいじられまくってしまうのだろう。朝日新聞には、ちゃんと「編集します」という意味の但し書きが書いてあった。
投書欄をうまく使えば、新聞社の思うように何でも主張できそうですよね。自社の社説に近い投書を採り上げるコト自体が、かなりの情報操作だろうし、逆に反論を採り上げるコトで、意図的に議論を盛り上げるコトも可能だろう。
最悪の場合、架空の読者をでっち上げて、社説とか主張とかの露払いとするコトも可能だろう。
そういった意味で、本当に存在するかどうか分からないオバサンの意見や、誰も知らない中学生などの意見など載せたりせず、自らの責任で記事を書き連ねる日経の姿勢は正しいのかも知れない。
毎年末、頭を悩ませてくれるのが「年賀状の作成」である。
私の年賀状は、ここ数年それなりに好評を博していると思う。来年の賀状は楽である。「結婚通知」を兼ねているので、私達の写真を多用する予定だから。しかし、ソレはソレで、凝り始めると簡単に時間が経過していくのでした。
多分本当の話なのだろうけれど、喜劇王チャップリンは「あなたの最高傑作は?」という質問に「次回作」と答えたとか。そういう気持ちって大事だと思う私でゴザイマスよ。年賀状の作成にしても、日々のシゴトにしても。
現在の住処に引っ越して約1年。
本日帰宅途中、郵便局に寄って「郵便物の転送」の延長を申し込もうかと、夜もやっている窓口へ向かいかけた私だった。年明けは2か月後だし、私宛の年賀状に古い住所を書いてしまい、『転居先不明』っていうハガキを年明けに受け取るヒトが居るだろうから。
しかし、改めて考えてみた。「どうせ、『転居先不明』という通知を食らうようなヒトには、食らわせた方が良いだろう」って。職場の名簿にも現住所は書いてあるし、2005年1月に送った年賀状には、私の現在の住所が記してある。
私は年始に賀状を頂いた時と、年末の賀状を作成する時、2回にわたって宛先の住所確認を行うようにしている。なぜなら、数年間にわたって、ずーっと私の実家に賀状を送り届けてくださる方がいらっしゃったから、それを反面教師とする事にしたのだ。
この1年間に転送されてきた印象的な郵便物は「選挙お願いします」みたいなヤツくらいしか無かったし、ソレは届かない方が良い。なぜなら杉並ローカルの印刷物だったから(選挙区が違う)。また、カード会社みたいな重要な連絡先には現住所を伝えてある。大して不安なコトは無いのだな。
来年正月、古い住所へ賀状を送ってくるヒトってのは、私への関心が低く、「惰性&やっつけ」で賀状を下さるヒトだろう。だから、転送の延長は止めるコトにしました。
職場のファイルサーバーが凄い事になっている。
Windows 2000 Server か何かだったはずなのだが、数日前に95GBの共有スペースが満杯になってしまっていたのだ。何が凄いかって言ったら、「学年便り」の原稿1本で100MBもあったりするのだ(ただしこれはかなり極端な例)。
結局、「デジカメの高画素化」「パソコンの処理能力の向上」「ストレージ類の大容量化」の3点セットによって、「クソ馬鹿でかい」一太郎文書が許される環境ができあがっていたりするのだな。恐ろしいから100MBのファイルは開いていないが、数百万画素の画像が劇的に縮小され、恐ろしいほどに整列していることだろう。
その「学年便り」、恐らくカラーで印刷するわけでもなく、web上で公開するわけでもないから、画像ファイルはモノクロでもいいし、リサイズしても良いはずなのだ。
その巨大ファイルを作ったヒトを馬鹿にするような文章を書いている私であるが、結局のところ、私も「学年便り」作者も、五十歩百歩であるコトも分かっています。私よりもパソコンの仕組みに詳しいヒトは腐るほど居るであろう。そして、何らかの知識を持っているから偉そうにするというのは、あまり褒められた行動ではない。
パソコン使用上のコツとか作法ってヤツ、知っている方が都合がよい事もあるが、「なにしろ使えているのだから問題ない」という姿勢もアリだとは思う。
でもやっぱり、私としてはデジカメを扱うのなら「画素数」くらいは気にして撮影・処理した方が作業のパフォーマンスは上がるのじゃないの?って言いたいカナ。
パソコンのモニタ上でしか作業しないなら、XGAサイズ(1024×768ピクセル)もあれば十分すぎるでしょう。つまり、「0.8メガピクセル」で大丈夫だと思うのだよね。
で、「画像のリサイズや他の記憶媒体への移動など、技術的指導をしますよ」ってコト、職場内の掲示板(パソコンのヤツ:打ち合わせにはパソコンも使っている)に申し出てみたのでした。もちろん、もっと平易な言葉で。
ま、情報処理部に所属している私ですしね。
石油は眠る
私は生きる
共に未来の礎に
日曜日の朝、画期的な発明を思いついた。
その発明は既知のものか、それとも私が日本で初めて思いついたものなのか。それを調べる必要を感じたのだ。
そして、とあるページから公開特許公報フロントページ検索の存在を教えて貰った。
キーワードは「石鹸」and「形状」である。結構緊張したのだ「もしかして金持ち?とりあえず、特許申請するまでは、配偶者にも黙っておこう」とかさ。
普通、石鹸ってのは使っていくウチに小さくなりますよね。で、然るべき段階で新品の石鹸に付着させることが多かろう。チビた石鹸に新品の石鹸を押しつけても、最初のウチはしっかりとは付着しませんよね。場合によっては数日後にチビた方がメロッともげ、何ともモノカナシイ思いをすることもありますわな。なぜ新旧の石鹸はしっくり付着しないかというと、石鹸というのは基本的に「外側に向けて凸の曲面」ばかりで構成されているからである。
で、私が思いついたのは「片面がへこんでいる石鹸」である。ただ凹むのではなく、石鹸を付着させるために予め凹ませておくのだ。これを思いついた時、風呂場で興奮しましたね。前日の酔い(大学時代の友人達と結構飲酒したのでした)も吹っ飛んだのでした。「こりゃぁ売れるよ。間違いない!」って。また「話を持ちかけるなら、「ライオン」みたいな大手より「玉の肌石鹸」とかかなぁ…?」とまで。
で、風呂を出てから前述の作業へと。
そうしたら、
「公開特許公報フロントページ」の
(11)公開番号 : 特開2004-277577
(43)公開日 : 2004年10月07日
(21)出願番号 : 特願2003-071444
(22)出願日 : 2003年03月17日
に、私の思いついたモノと同じ特許が存在したのだよ。
結局、私の発明騒動?はぬか喜びに終わったが、あと私が3年早く思いついていれば、歴史は変わったのかも知れない。
ま、イライシャ・グレイってヒトよりはマシだから、良しとしましょう。
そういえば、1週間くらい前にリリー・フランキー作『東京タワー』を読んだ。その読者レビュー等は腐るほどWeb上に存在するだろうから、特に記さない。とりあえず、リリー・フランキーってヒトの、別の作品を読もうと思った。
今朝の「めざましテレビ」を見ていたら、Bookランキングをやっていた。上記書籍は2位だそうで。そのデータは「ブックファースト渋谷店」とやらが出所らしいが、そのデータをもって日本全体で同じ本が売れていると思ってはいけないのだろう。前述の星占いと同様に。
で、今朝改めて不思議に思ったことがある。それは「流行の本」なんて気にするのは、基本的に「ヒマな大人」なのだろうなぁ、ってコト。
日本国憲法や教育基本法を見る限り、学校というのは個性を伸ばす為に存在しているはずなのだが、教育を受ければ受けるほど、画一化されていくような気がしなくもない。これは面白い現象であろう。畑仕事に精を出しているおじいさん・おばあさんは『東京タワー』なんか知らなくても生きていけるのだろうが、変に情報過多な(自称)現代都会人は、流行の本を読まないと、何かに取り残されるような気がしてしまうのだろう。私もその傾向があるわけだが。
最近は中学生なんかの間にも「流行の本」なんかがあったりするみたい。超有名どころでは『ハリーポッター』シリーズだろうか。
思えば、恐ろしい世の中であるコトよのぉ。
CDとかの「初回特典パッケージ」って、何となく貰ってしまいがちであるが、大概そいつらって「収まりが悪い」スよね。
根が貧乏性なもんで、「同じ値段なら、特別な方が…」って思って手に入れた初回特典版、その収納性の悪さに頭を悩めていたハズなのに、いつの間にか新作でも何となく特典版を買ったりして…
リーバイスの米国工場が閉鎖されていたというコト、最近知った。
ジーンズといえばアメリカ合衆国産「Levi's 501」と思っている私なので、なんだか残念な感じがする。
中学生の頃はお金もなく、親に買って貰ったジーンズを履いていた。BIGJOHN とか Wrangler とか EDWIN とか。大学生になってアルバイトをするようになり、自分で服を買うようになってからは、Levi's しか買っていないはずである。
ジーンズの始祖はリーバイスらしいし、日本生まれのビッグジョンとかエドウィンは、なんか嘘くさく感じられて?好みではないのであった。
フロントの銀色した亜鉛のボタンと、その横にある銅のリベット。フロントはジップアップじゃなくてボタンフライだったり、裾に向かうにつれて妙に捻れてしまう縫製だったり…とか。ま、これも単なる刷り込みなのでしょうけれどもね。
好きなジーンズは絶滅した。
古着を買おうとも、着ようとも思わない。
今後は袴でも…
先週末にハッキリと風邪をひいたのだが、未だにあまり良くならない。
土曜・日曜は完全に寝続けていたので、腰痛になったものの風邪は少し良くなったのだった。
しかし、本日はまたちょっとぶり返してしまった感じである。
自分でも風邪をひいた理由は分かっているのです。睡眠時間の減少ですね。
ノートパソコンに導入した Fedora Core 4 などを弄っていると、いつの間にやら日付が変わっていたりするのです。特に昨日はOOo2.0(OpenOffice.org2.0)の表計算ソフト Calc で、生命保険や傷害保険の料金シミュレーションをやっていたので時間が経過してしまったのです。突然のハングアップやその他の影響もありました。
昨日は上書き保存をせずにワークシートを編集していたら、突然表計算ソフトが消滅してしまったのです。そのソフトを再起動したら「自動バックアップ」されていたものが復活したのですが、操作を間違ったのか何なのか、そいつを保存する事ができませんでした。それで数十分が経過してしまった様子です。
あの表計算ソフトのギクシャク感は新鮮で面白くはあります。今のところ「シゴトで使おう」という気にはなりませんが、重要性の低いファイルならば扱っても良いかなぁって感じです。
LinuxやOOo2.0、タダなのが凄いですよね。多少動きがおかしかったとしても「無料だから仕方ないか」って気分になります。また、Linux上で動く表計算ソフトを他に知らないですし。チナミに Fedora Core 4 は基本的に安定しています。
しかし、私も老人になったものです。保険の加入を考えているのですから。今まで加入してこなかった方が珍しいのかなぁ?
♪ヨーイドンの合図 待たずして僕ら大人になっていくよ by 桜井和寿
悪名高くなりし「ホワイトバンド」。私は最初から胡散臭いと思っていたのだが、こんなサイトが有るのですね。
スバラシイ。私も何か「問題提起をするサイト」を作りたいと思うのだが、結局駄文を垂れ流し続けている。ま、強いて言えば「社会を明るくする運動」の無意味さなら訴えられるかな?しかし、あんまりやる気は無いなぁ。そんなコトするよりも、職場のクミアイのシゴトがあるし、風邪ひいたままだし。
で、「ホワイトバンド」の代金は最初から「募金ではない」っていうコトで始まっていたらしいのだから、「募金になんか回さなくて良いじゃん」って思った私である。勝手に勘違いした購入者が悪いのだ。しかし、結局のところ集まったカネの一部は「途上国におけるエイズ・結核・マラリア対策」に使われるらしい。ま、何でもいいや、私が出したカネでは無いし。
サニーサイドアップやその他の会社に、「胡散臭いカネの使われ方」をされた事が、日本という国にとって良かったのではないだろうか。特に若者の教育になったんじゃないかな。たったの300円で「ヒトは騙されるものである」というコトが分かったなら、それは安い買い物でありましょう。また、世界の貧困について考えを持てたのは良い事である、それは間違いないですね。これを機会に「税金の使い道」なんかに興味を持っていくと良いのだろうなぁ。
「公式サイト」によれば、今回の募金?は「世界の貧困をなくすための活動」ってコトらしいのだが、これは単なる募金だな。
カネといえば松井秀喜。凄い給料ですね。ま、その高給は努力の結果でしょうから、私は羨む事もないのだ(建前上)。しかし、どうやったら使えるのだろう、その金額は。
前からずーっと思っていたのですが、書いてなかったネタがありました。
何故に「日本人は食べ物を無駄にするのか」という事について。
元凶は「給食」ですね。それも「不味い給食」。
私が茨城県に居た時通った保育園と小学校、「給食の肉が不味かった」のですね。悪い肉って脂身が不味いじゃないですか。薬なのか何なのか、臭みが出ますよね。私はあれで肉が嫌いになりましたね。
これは大学を卒業してから気付いたのですが、コストの関係で「安かろう悪かろう」で食材を仕入れていたのじゃないかと。
現在の「オトナ」ってヤツは、あまり美味しくない(そんな事を言ったら罰が当たるのかも知れませんが)給食を口にした世代が多いハズです。
食べ物を残す事に慣れてしまった大人が日本の中枢に存在しているため、食べ物を捨てる事に罪悪感が無い社会を形成しているのだと思います。
私は基本的に食べ物を捨てません。自宅で作成した料理は食べきります。大人数で外食した際、食べ物を残すのは気持ちが悪いのですが、それは仕方ないので放置します。配偶者と家の外で食事した場合、出されたものは食します。それはヒトとして重要な心がけだと思うのです。
バスのケツなんかについている、「補助ブレーキ作動中にもブレーキランプが点灯します」って表示、謎に思っていたのだ。今朝改めてその表示を目にし、調べてみました。
バスシェルターの明かりの下で:補助ブレーキ!
上の文章は現役のバス運転手さんの記した文章のようで、非常に分かりやすかったです。
バスメカ辞典(制動装置関係)
上の文章はもうちょっとメカマニア向けになっていますね。
今までは何となく「補助ブレーキ=ハンドブレーキ(またはフットブレーキ)」かとも思っていたのですが、「なんか違うなぁ」とも思っていました。
今朝歩きながらやっと気付いたのは「補助ブレーキ=排気ブレーキ?」ってコトでした。で、帰宅後に上記ページ群を見て納得。やはり基本的に「補助ブレーキ=排気ブレーキ」という事らしいです。詳しい話は上記ページをご覧頂くのが良いでしょう。私がウダウダ記しても分かりづらいだろうし。
私も数度、大学時代に排気ブレーキ付きの車両を運転した事あるのですね。学園祭の実行委員をやっていて、国分寺駅近くのニッポンレンタカーで借りたトラックを運転したのです。他の大学へテントを借りに行くのですね。今日本で一番輝いている生協の店員「白石さん」が居るという東京農工大学にも何度かおじゃましましたね。私が大学生だった時に白石さんは居なかったでしょうけれど。そのトラックに乗り、国分寺崖線で排気ブレーキを試したような気がします。
デカい車を運転するのって楽しいですよね、単純に。逆に、地面に貼り付いているような車をすっ飛ばすのも楽しいですけど。
FF車でハンドブレーキを使うと、車は面白い動きをしますよね。特に雪の積もった駐車場なんかだと。もちろん、周りに車が居ない状況ですよ。
現在栃木県で小学校教諭やってるはずのO栗先輩なるヒト、大学時代はスターレットに乗っていて、学校敷地内のアスファルト上でスピンターンをやっていましたっけ。
毎月届くメール
ナムコから5~6通
I-O DATA から約10通
Microsoft から約10通
Justsystem から約10通
カード会社から4~5通
2箇所の銀行併せて約5通
「じゃらん」から約5通
阪急交通社から約5通
後は、サッポロビール、サントリー、ジーンズメイト、ニッポンレンタカー、Nokia、ゆびとま、Disney、GyaO
などなど。
明らかに「慣れ」が生じますね。
たくさん届くメールほど、その中身を見ずに振り分け、そして削除してしまいます。
じゃあ、「配信停止してしまえば良いでは無いか」とも思うのですが、何となくメールが来ないのもつまらないので、放置したままだったりして。この状態は、微妙に「反エコロジー」な気もします。
18:20 約30分前に、やっと試験問題作成開始セリ。
18:52 ミスチルの『シーソーゲーム』を聞きながら作図。名曲だなぁと思う。腹減ったので、ご飯を食べましょう。
20:27 同じく『抱きしめたい』を聞きながら、答案用紙作成中。名曲だなぁと思う。
20:40 逃避。数年前に開発した「採点が多少楽になる解答用紙を作るワザ」を披露しよう。
教員にとって、テストの採点は結構面倒な作業であります。問題によって配点にはバラツキがあるはずです、難易度や重要性が異なるから。
この場合、上記のような解答用紙を作成し、予め配点ごとにアンダーラインを変えておくのですね。単なる実線は「1点」、二重線は「2点」、波線は「3点」、二重波線は「4点」とか。ここのところ、私はこのシステムを遵守?しています。それによって採点のスピードが上がります。これらのアンダーラインは「一太郎」でも「Word」でも存在しますし。
しかしこのワザは「○×を付けた後に配点を操作して、平均点を操作する」場合には使えませんけれど。まあ、私に云わせれば「後から配点を変更する」というような作業は「邪道」であると思います。
定期試験では、大体百数十人分の採点をするわけです。しかし、解答用紙に凝ったのは良いものの、採点の際に「繰り上がり」を忘れてしまうコトがあります。合計点を10点低く書いてしまう場合があったりするのです... orz
逃避終わり。解答用紙作成に戻ります。
21:05 50点分問題作成完了。残りは100点分である。
以前から疑問に思っていたのだ。
「証人喚問って何?」「国会は立法機関であるのに、何で検察や警察みたいなことをしているの?」って。
このサイト「証人喚問|常識ぽてち」が判りやすかったです。というか「証人喚問 法」でググった結果の1件目が上記サイトだったのですけれど。
「日本国憲法」の第62条に規定されているのですね。
両議院は、各々国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができると。
ここ数年で知ったのですが、「議員立法」は非常に少ないのだとか。現在、法律で多いのは「内閣立法」つまり「官僚立法」、すなわち「公務員立法」であると。
中学校や高校で、そんなコトを習った記憶は無いですね。ま、中学ぐらいまではどの教科に於いても「理念」「基本的事項」「希望的観測」などを伝えるコトで、授業時間を目一杯に使ってしまうからでしょう。
国会議員は「立法」という「憲法で定められたシゴト」を大してできないのだとしたら、証人喚問には現行の法を作った、あるいはこれから法案を作る公務員達が直接参加すれば良いと思うのですね。
そして、姉歯さんに「アナタはカツラユーザーですか?メーカーは?」とか尋問してくれたら、絶対に公務員の星になれます。
べつに「ヅラ疑惑」を解明してくれるのは議員さんでも良いけど。
「海洋性コラーゲン」と聞くと、何を思い浮かべるでしょうか。
何となく「海洋」ってコトバから綺麗なイメージが沸くかも知れません。しかし、まずは「コラーゲン」の語源から。って、書こうと思ったら、とても判りやすいページがありましたので、そこを紹介しましょう。
異端の多数派・コラーゲンには、コラーゲンの全て?が記されていると思います。
上記ページは検索して引っかかったのですが、「なんだか見覚えあるデザインだなぁ」と思い、上の階層を探ると、K.SATOH's official websiteへたどり着きました。このページは私のパソコン内の「お気に入り」に入っていました。
こういうコトって結構あるのですね。検索して発見したサイトで「ここは良いなぁ」って思い、よく調べると既に「お気に入り」として登録されているというコト。良くできたサイトは勝手に人が集まるようになっているのでしょうね。
で、上記サイトに詳しく書いてありますが、「コラーゲン」=「膠(にかわ)のもと」です。それだけ見るとあまり綺麗な感じはありません。
で、「海洋性コラーゲン」ですが、場合によっては魚の鱗(うろこ)から作成するみたいです。参考にしたサイトを記すと、「金儲けを企むヒトに顧客を紹介する」ことになってしまいそうです。そして、それは私の望むところではありません。
現在の理科教育というのは「理科を中途半端に学習したヒトが、悪徳業者に騙されないようにする」ために「も」存在していると考える私であります。と、いうコトは、世の中で一番重要なのは「社会科」なのカモ... でも、日本語が理解できなきゃ...
まあ、この文章を読み、その上で「鱗エキス?」を摂取したいというなら、私は止めはしませんけれど。何しろ、どうしても「海洋性コラーゲン」を摂取したいのなら、魚を頭からバリバリ食べれば済むコトなのかもしれません。
ま、それじゃあ「美容に興味があるような、微妙な年ごろの女性への商売」が成り立たないでしょうけれどもね。
職場の誰かが「魔法瓶」というコトバを使った。それを聞いた、50代の五十肩を所持したセンセイは「魔法瓶って言葉を使う時点で老人だよな。普通はポットだろう」と、若いフリ。
今は「魔法瓶」という表現は、あまり用いないものなのだろうか?
ググってみたら「タイガー魔法瓶」が最初に出てきました。レトロな会社名がステキですね。私は魔法瓶って言葉、使いがちでありますねぇ。
また、同様な古い言葉に「衣紋掛け」もあります。60代のセンセイはそのコトバを発した後に「若い人は衣紋掛けなんて言わないわよねぇ、ハンガーよねぇ」と笑っていらっしゃいました。「衣紋掛け」でも「ハンガー」でも、言葉の意味は通じます。しかし確かに「衣紋掛け」とコトバを発することはほとんど無いかもなぁ、って思いました。
「ビール腹」というコトバがある。「ビールを飲むから太る」っていう風に解釈しているヒトもいるかも知れない。しかし、実際は「ビール等を飲みつつ、高カロリーのつまみをガンガン食うから太る」のである。このことは以前に比べると、だいぶ世の中で認識されつつある気がします。
で、「アルコールは実際にはどれくらい太るのか」ということを検証すべく、「食品成分表」などをあたってみた。中学校の頃の記憶が正しければ、酒類はエネルギーになるはずなのだ。しかし、私は何でそんなこと記憶しているのだろう。余程酒に興味があったのかしら。
「食品成分表」によれば、アルコールってのは、エネルギーとして扱われるようだ。ネット上でウイスキー60g(およそダブル1杯)のカロリー計算をしてみたところ、142kcalってコトであった。有効数字が3桁とは思えませんけれどね。ウイスキーといっても、種類がいろいろあります。バーボンなのか、スコッチなのか、カナディアンなのか、ジャパンなのか、サントリーレッドか。私はスコッチが好きだけど。
そして本題。
結構酒を飲む身としては、ビールばかりを飲むだけなら、基本的に太らないような感覚がある。甘いサワーなんかだと、その糖分がエネルギーに変換されそうな気はしますね。しかし、甘いのに“sour”とは不思議なお名前で。
で、ウイスキーやウオッカ、ジンなどを飲んでいる場合、「こりゃぁ、飲むほどにエネルギーを失うなぁ」っていう感覚を持つコトがある。特にウオッカなどをストレートで飲んでいると、ドストエフスキーの小説の登場人物にでもなっている気がしてくる。関係ないか。
そんなわけで、長年疑問に思っていたこと「ヒトはどれだけアルコールを飲むと、どれほどのエネルギーを失うのか」について検索してみた。「私って、いろんな疑問を抱えながら生きているのだなぁ」と改めて思う。例によって少しググってみたのだが、そのようなサイトは現在見つかっていない。
「アルコールはどれくらい体に悪いのか」みたいな、あんまりカネにならないコトを研究するヒトは居ないのでしょうねぇ。あるいは、研究者自身もお酒が好きであり、そんな実験は「恐ろしくてやりたくない」のかも知れないけれど。
NH903便にて成田空港から中国・大連へ向かった私であった。
北からの季節風のためであろう、飛行機は北に向かって飛び立った。飛行機の離着陸には細かな規程がある様子である。
概略は滑走路におりる方向についておしえて!に。
機内はガラガラに空いており、半分以上が空席であった。チェックイン時の希望によって窓際の席を確保した私は、窓からの眺めを満喫する事ができた。また、隣の席も空いていたので、トイレに行くのも気が楽だった。
北に向かって飛び立った機体が右に旋回するにつれ、筑波山・霞ヶ浦・北浦・カシマ(鹿島)スタジアム・犬吠埼・海ほたる・羽田空港 等々を見る事ができた。富士山も見えました。何度見ても不思議で綺麗な山だと思いますね。
日本海側は雲に覆われており、あまり地上を見る事ができなかった。日本海を越え、機体は韓国上空へ達した様子だった。韓国の地形は全然詳しくない(当たり前?)なので、何処が何なのか分からなかったが、高速道路網がやけに目立った気がしました。
飛ぶコト約3時間。飛行機は大連空港へ降り立ちました。空港を出た時の寒さには驚きました。日中で陽が差していましたが、気温は氷点下。
「とりあえず食事を」というコトになり、空港近くの食堂へ。サヨリの唐揚げが一番おいしかったです。ワタリガニの鍋もツブ貝の炒めもおいしかったけれど。
大連は海産物の豊富な土地だそうでした。
-----リアル編-----
今日は結構真面目に活動してます。
惰眠・都庁で公文書請求・年賀状投函・クリーニング済のコート受け取り・チャリンコのパンク修理・洗濯物の取り込み・食料の買い出し・散髪・駄飲酒・駄文作成 等々。
職場に出勤した日の場合、その日の出来事を記そうとしても、「職務上知り得た情報」を披露するコトに繋がってしまう場合が多いため、「こんなコトした」とか「こんなコトがあった」とは記しづらいのですねぇ。今日なんかは日記を記しやすいですね。
で、今日も年賀状が届いていたのですが、「私の旧居宛てになっていた賀状」が届いていました。郵便局の皆様ありがとう。
「ゆうびんホームページ」から「然るべきフォーム」を探し出して礼を言うという戦法?もあるが、その場合、私の感謝はどこかへ埋もれてしまうだろう。こうして私の感謝を駄文として披露した方が、結果的に「よりよい世の中」になるだろうから、披露させて頂きました。オス。
全体的には郵便局員さんって好印象な気がします。まあ、新聞の集金をしているヒト・宅配便のドライバーさん・床屋さんなどで悪い人には出会った事少ないけれど。本日お世話になった東京都生活文化局の方もとても良い感じのヒトでした。私も良いヒトであろうとしていますけれど。
社会生活を行っていて、(私ですら)時々ムッとするコトがあるのはコンビニのアルバイト店員とかですかねぇ? ま、頻度は低いですけれども。
-----時間差編(12月27日 その2)-----
その日の夕食は「火鍋」でした。日本でいう「しゃぶしゃぶ」に近いですね。以前に上海で食べた火鍋とは異なり、一人一人に鍋がセッティングされていました。鍋の下には固形+液体燃料があり、1時間以上にわたって燃え続けていました。
中国の火鍋の肉は、かなり薄切りであります。そして、牛肉か羊肉が出てきます。
チナミに、中国語で「正宗」ってフレーズは「本当の」みたいな意味があるらしいです。道路に面した看板ではやたらと「正宗」が目立つのですね、「正宗牛肉」とか。日本で「正宗」というと日本酒ですよね。有名なのは「菊正宗」、次点は「草野マサムネ」。
私が日本で羊の肉を食したコトあるのは、「ジンギスカン」か、焼肉での「ラム・マトン」でした。どれも比較的厚切り(数mm?)でありました。薄切りにした場合、羊の肉っておいしいのですね。私は牛肉よりも羊肉の方がおいしいと思いました。茹でても柔らかいのです。
中国の火鍋は潔く、最初から最後まで肉が薄切りでした。日本の「(牛肉)しゃぶしゃぶ」が薄切りである場合、「肉質をごまかすため」である気がしてしまいませんか? 特に最初の肉(ウェルカムミート?)が多少厚切りだったりした場合ナド。
なにしろ、羊の方がお薦めです。数回しか食べていないけれど。
香菜(シャンツァイ:パクチー)や春菊もうまいですね。日本の春菊とは姿が違いますが、香りは同じでした。歯応えなどを含めると、味は日本より良いと思います。
そして、私は太り始めるのでした。
ほとんど観光しなかったため、12月28日以降の記憶がやたらと曖昧になるのです。写真もあまり撮りませんでしたし。
なにしろ、大連は寒かったです。おそらくマイナス10度くらいまで体験したハズ。近くの銭湯(洗浴中心)へ何度か行ったのですが、帰り道、髪の毛が凍ったコトもありました。
一回遠出したと言えるのは、旅順へのドライブです。たしか大晦日のコト。大連の中心部から旅順の中心部までは約30kmですから、かなり近いです。
海沿いの寒空の下、完全な露天市場がありました。買ったのは丸ごと1個で5元(約75円)のウニなど。メバルみたいな魚たちは500gで10数元くらいでした。大連のヒトはナマコ好きらしいです。これが結構高価でして、500gで100元(約1500円)でした。チナミに、大連のデパートでは旅順露天価格の数倍でナマコが売られていました。500gで数百元~千元超といったトコロ。
大連の風景を数点。
やたらとイルミネーションの配置してある広場は「星海広場」というトコロです。Googleの地図の衛星画像でも、その広場(約1平方km)を確認できます。大連の飛行場や中心部から南へ下った海岸沿いです。これはかなり綺麗でした。上から見るのも綺麗ですが、元旦の夕刻に車で広場を横切ったトキも「綺麗だなぁ」って思いました。
イルミネーションってのは、「エネルギーの無駄遣いだなぁ」って思う私です。日本でも、海外でもね。そして、「このエネルギーがあれば、アフリカなどでどれほどの人命が救えるのだろうか?」って思っちゃいます。まあ、飛行機での移動や自家用車の存在自体が相当な環境破壊ですけどね。
まあ何しろ、広場が美しい事は確かなのですね。そのイルミネーションを見たヒトのココロは、「何か」から救われるのでしょう。
真漂亮
大連で印象的だったのは「車道のど真ん中(?)で立ち止まりながら、その道を横断しようとしているヒト」であった。
大連は一方通行の道が多い。そして、大通りは4~6車線くらいあった。
「ニホン」って国に生まれた私は、車道を渡る際「赤信号になる前にその車道を渡りきるべき」って交通ルールが浸透している気がする。ニホンの都会には、信号のサイクルが短かい横断歩道が存在するコトがある。そいつを渡りきれずに「中央分離帯付属の横断歩道中間点」に留まってしまった場合は、ソコハカトナキ不安を覚えたりする。「クルマが突っ込んできたらどうしよう...」って。
大連では、数十m道沿いに歩けば「横断歩道」があるにも関わらず、フツー?の車道をバリバリ横断するヒトだらけだった。私が見る限り、「ニホンなら車に轢かれて即死」というようなロケーションでも、大連の人々は果敢に車道を横断していた。
車道の端からスタートし、至近の車線に車が来ない時に横断。車線を区分するライン上は一応「安全地帯」らしい。
大連のドライバーは「急停車できる速度」で車を操っていた気がします。「割り込み優先」なのは上海と同じでした。
何しろ、他のクニに行くのは面白いのです。
1月13日の金曜日は、確率的には7年に1回起こるはずである。
そんな今日、私は「四捨五入で四十代」になっちまったらしい。
私が職場で重宝しているのが以下の画像の品物である。
下側の金属製定規は幅約15cmであります。
この上のブツは何かというと、「箱根寄せ木細工」を使った磁石である。
この磁石、やたらと強いのであった。以前は居住していたアパートの鉄製扉の内側に設置し、掲示物?を挟むのに用いていました。磁力が強すぎる気がしていました。
そして、現在は以下のように使用している。
シゴトでパソコンを使わない時、机の本棚にパソコンを立てかける事があります。そのさいに「滑り止め」として用いているのですね。職場の机の表面は鉄からできているらしく、強烈な磁力がパソコンの滑り止めに丁度良いのでした。
昨晩は風邪気味のため、やたらと早く寝入っていた私だった。
「ライブドアに強制捜査」というニュースを、本日7時少し前に知ったのだった。身支度をしていて、ビックリした。
宮崎ツトムの判決という巨大なニュースがある本日。阪神大震災ネタもあるハズの本日。そんな日に行われる「耐震強度偽装問題の証人喚問」隠蔽のため、東京地検まで動かしたのだろうか? 私の祖国は例によって侮れないクニである。
私は「ライブドア」ってカイシャを最初に認識したのは「無料プロバイダ」としてであった。
実際、ホリエモンってヒトは「無料プロバイダのライブドア」を買収し、その段階から「ライブドアという名前のカイシャ」を切り回し始めたらしい。
日本中で書かれていそうな話題はさておき、日記的な日記を記そう。
GoogleEarth は面白い。生徒に見せても面白がっていた。地形に関する授業の導入として用いたのでした。山が削れて平野ができているというコトを、かなり理解できる気がします。私は等高線とかを読める人間であるが、そうでないヒトにとっては GoogleEarth は地形の理解に役立つと思う。
で、以前からGoogleLocal(旧GoogleMap)なんかを見ていて感じているコトを記します。これらサイトで日本の地図を見ると、他のクニに比べて情報が詳しい気がするのですね。これは、国防上?マズいのではないかって思うのですよ。
例えば、ライブドアにケチョンケチョンに叩かれ、自分の財産から家族から全て失ってしまったテロリストがいるとする。
ネット上でライブドアの住所を調べ、Googleとかでライブドア本社の緯度経度を調べ、ピンポイントでミサイルを撃ち込むコトだって可能かも知れない。
チナミに「テロリスト」と「ライブドア」は任意の文字列に置換可能です。
この何の変哲もない壁掛け時計は、私の職場の職員用玄関に存在している。
私はこの職場に10年以上勤務しているが、この時計の右側には以下の文字列が記してあることに先日初めて気付いた。
第15回高校生によるフライパン運動参加記念なんじゃこりゃ?って思った。
最初は「フライパン運動」ってあったから、フライパンを何らかの形で用いた運動会(例えば「テニスのラケット」とか「リレーのバトン」代わりにフライパンを用いるような)に参加したのかなぁ? なんて思った。しかし、それもあり得なさそうだなぁ、と。
更に時計に目を凝らすと、以下の文字列に気付くのである。
社団法人栄養改善普及会どうも、料理関係みたいだなぁってコトに気付くわけです。しかし、フライパン運動ってのは謎でありました。
同日本油脂協会
確かに私の勤め先は女子校であるし、家庭科関係にも力を注いできたのでしょう。現在でも力を注いでいます。時計に記された文字列だけでは「謎は謎のまま」ですので、帰宅後に検索してみました。
で、結局「フライパン運動」ってのは「油を摂取しましょう運動」ってコトだったらしい。納得しました。
で、油脂についていろいろググっているうちに、最近気になっている「トランス脂肪酸」なんかにたどり着いてしまうのでした。
私は「環境ホルモン騒ぎ」に騙されたクチだし、今回は慎重に調査しようと思っているのですね。
クソ長い脂肪酸の一部の角度が違っても、油脂全体としては大した問題にならないのじゃないかなぁ? なんて、直感的に思う私です、今のところ。
で、結論として、私は何が言いたいのか。
「第15回高校生によるフライパン運動」は1977年頃に行われたらしいのです。約30年前に貰った「特に高価に見えない時計」をずっと使い続けている私の職場って、「物持ちが良くてステキだなぁ」ってコトであります。
「使えるものは使い続ける」って精神は重要ですよね。
「皇室典範を変えたいのは誰?」ってふと思った。
小泉純一郎は皇室典範を変更して小泉孝太郎を皇室のどこかへ送り込み、自分は摂政になろうとしているのでは無かろうか?
同じような思惑の政治家や官僚が居ても不思議ではない気がする。
昨日の『トリビアの泉』を見てビビッたのだが、「カテキンは勝て菌では無い」とのコト。
「勝て菌」を命名?したのは島村忠勝というヒトだというコトは知っていました。で、カテキン catechin は昔から存在するコトバだと主張しているのは黒田行昭ってヒトらしい。
ま、カテキンの存在自体が怪しいコトに変わりは無いのだが、私もガセビア?の普及を務めたひとりかも知れないコトを宣言します。
参考文献:日本茶Q&A
日経の朝刊1面に「家電、省エネ義務強化」って文字があった。
日曜日の日経なんて、牙が抜かれたライオンのようなものかも知れないが、気になったニュースであった。
その要約(電子版)を引用。http://www.nikkei.co.jp/news/main/20060129AT1F2800128012006.html
エアコン2割省エネ義務付け・冷蔵庫や蛍光灯も強化政府はメーカーに家電製品の大幅な省エネを義務付ける。家庭用エアコンでは消費電力を2010年度までに05年度に比べ2割削減させることを決めた。冷蔵庫と蛍光灯も来春までに大幅な省エネを課す方針。日本は家庭の電力消費が膨らみ京都議定書に基づく温暖化ガス削減の目標達成が難しい状況にあり、家電の省エネ化を進める。省エネ技術の開発は企業には大きな負担で、撤退やメーカー間の提携などに発展する可能性もありそうだ。
エアコンの省エネ強化は省エネルギー法の政省令を改正し、今秋にも施行する。経済産業省の調査ではエアコンの電力消費量は家庭で使う電気の25%を占め、製品別で最も多い。経産省は第2位の冷蔵庫と照明器具(ともに16%)でも高い省エネ目標を課す方向だ。 (07:10)
最近はLCAってコトバを見るようになった。ってか、私が気にするようになったってコトだろうか。Life Cycle Assessment ってヤツである。
ヒトが何かを判断するトキってのは「イメージ」がかなりの部分で影響するはずだ。はやりのコトバ?で言うと「外見力」ってヤツだろうか。
電気製品なんかは、イメージ先行で売るしかないですよね。私が言うまでもないが、Apple の製品はかっちょいいものが多い気がする。ま、昔からの思いこみもありますけれど。AppleII とか、初代 Mac とかに憧れを抱いていたから。
私が自分のパソコン絡みで気に入っているのは、BOSEのスピーカーである初代MediaMateである。こいつはヒトの家で初めて拝見し、Mac が起動する際の重低音が印象深かったので、真似して買いました。逆に、いい加減に買ったのがパソコンラックであります。安物(確か9800円)だったので、キャスターが完全にへたってしまっていますが、家庭内ではラックをゴロゴロ移動させるコトは無いから問題ないのです。
特に家具などの耐久消費財は価格が高くても、買い手が満足すれば売れますよね。それに対して電気製品などを買う場合、元々そのブランドが好きだったか、新たに売り手側の宣伝文句に乗った場合か、店で安かったものを適当に選ぶかのどれかでありましょう。私は「我が家の蛍光灯は○○で揃えてあるのだ!」って宣言するお父さん(別にお母さんでも良いけど)を見たコト無い。何しろ、蛍光灯を選ぶ基準は値段ですよね。加えて「消費電力○○%オフ」なんて書いてあったりすると、買う気になるのかも知れません。それに対して、昔ながらの白熱電球だと多少見栄えが関係しますかねぇ。
話がどんどん逸れていくが、記事を見て思い出したのはトヨタのプリウスであった。
あのクルマは燃費が良いらしいが、それは使用中の話であろう。「製造から廃棄までをトータルすると、グリーンケミストリー的にはどうなの?」ってのが、長年の謎であった。そして、本日思い出したのでググってみた。で、辿り着いたのが以下のページ。
プリウス評価 エコプレミアムラボ
このページ群を作っていらっしゃる安井至ってヒトの名前は、以前から知っていました。私のお気に入りにも入っています。しかし、分量が膨大すぎて、その全てを読破するなんてコトはできていません。
この先生は、プリウスに惚れちゃっているのでしょうね。だからこそ購入したのでありましょう。上記ページでもトヨタからの情報を鵜呑みにしていますし、その上で好意的な解釈?をしている。
しかし、「じゃあ、おまえがプリウスのLCAできんのかよ?」って言われたら、素直に「できません」って答えるわな。
結局、LCAなんて、ライブドアの決算と同程度か、それ以上に怪しいものなのではないかと考える私なのである。LCAってのは、様々な情報(使用した資源とか、使用したエネルギーとか、廃棄に伴って必要になる資源)を数値化した上で、様々な変数を掛け算する事によって算出するものだろうからねぇ。よく知らないけれど。
このクニの政府?は京都で謎の会議を開いちゃった手前、「省エネ」ってやたらと騒いでいる。けれども、それは「製品としての稼働時」を主な対象としているだけであって、製造時や廃棄時は考慮していないんじゃないかしら?詳しく調べてないから分からないけれどね。
このクニは、むやみやたらにPETの大量製造を許可しておきながらPETを回収させて、地方自治体に無駄に税金を使わせたり、単純に燃やしてしまえば良さそうな可燃ゴミをRDFなんてのに変換し直すコトを奨励しちゃったりする。だから、電気製品のLCAなんて、恐らく考えていないと思う私です。
ってか、日本全体のLCAを考えたら、もっと人口減っても良いはずなのですよね。自然は豊かだが、狭くて現代社会で用いられるエネルギー源は取れないクニであるし。だから、不要な稼業、例えばライブドアみたいなカイシャが減っていくのは当然の流れなのだ。私に言わせれば、LCAコンサルティング会社みたいな存在も怪しい。私だったらそんな胡散臭そうなトコロに就職したくない。私自身が既に十分胡散臭いコトもあるし。
♪としのはじめのためしとて おわりなきよのめでたさを~ってウタ、約30日前にやたらと聞いた。 「終わり無き世の目出度さ」って部分に、妙に納得した私であった。
今までは、あんまりこの歌の歌詞の意味を考えた事無かった。
「ヒトは生きるために生きる」ってコトを確信しつつある私であるので、妙にココロに残った。
ここからは本日の話である。
例によってググってみた。そして「ググリスト」について検索してみたら、17件ほど引っかかった。負けた。
この歌の2番には「君」って言葉が出てくるようだ。そして、私は突然素面に戻る。
「キミ」かぁ…って。
この歌に2番がある事は知りませんでした。この歌詞を作ったのは「どっかの宮司」らしいです。
ラブソングではあるが、更に「キミ」に引っかかるなぁ。
よく考えると、この歌をやたらと流すのはフジサンケイグループの垂れ流す「かくし芸大会」だなぁ…
なんて気付きました。
今朝、職場で生活指導部長のKセンセから「とある物」を貰った。
それは、生徒が拾ったメジロの遺体であった。
生徒が学校の自転車置き場で拾ったときには生きていたそうなのだが、Kセンセが預かったときには事切れていたそうである。
鳥が死ぬことを「落鳥」っていうコト、本日知りました。
なお、春から夏にかけて小鳥のヒナが地面に落ちていた場合、それには触れないほうが良いらしい。それは単なる巣立ちの練習途中であることが多いのだそうだ。下手に小鳥の雛の身柄を確保してしまったりすると、結果的にはその鳥を殺してしまうことに繋がってしまう場合がほとんどであるそうだ。
確かに私もお節介を焼いてしまい、スズメの雛を殺した事がある。小学校4年のトキだったかなぁ?
で、私が受け取ったのはメジロの成鳥だった様子である。昼過ぎに花壇の隅に埋めてきました。
鳥を埋めながら思った。「この世の中では死んでしまったまま放置され、埋葬というコトをしてもらえない、してもらえなかったヒトがたくさん居るはずだよなぁ」ってコト。
一昨年末にはインドネシアで巨大地震が起こった。未だに行方不明のヒトがいるそうである。
また、紛争や政治の不手際によって、凍死・餓死してしまい、放置されたままの亡骸も毎年増加していることだろう。
しかし、また思った。
「結局、死体はヒトでも鳥でも、埋葬されても放置されても、結局は分解されて地球上の物質循環に入っていくのだろうなぁ」と。だから、どのような死に方、どのような葬られ方をしても、結局は大差ないのかも知れないって思った。問題は生き方なのだろうってコト。
何でそんなこと思ったかというと、以前にWebで読んだ文章が記憶の端に残っていたからである。で、気になったので「水分子 コップ」でググってみたら、さくっと再発掘できた。
そして、そのサイトは数年前から私の「お気に入り」に入っていたのだった。(最近、こればっか)
その文章は私と二度めに出会う「水」ってヤツである。
こちらのサイトは面白いですよ。元々サイエンス系のライターもなさっている方らしいですから、文章が面白いし、内容も面白い。
例によって、全文章を読破したのではありませんが、少なくともオススメ文書群は以前に読破した記憶があります。
メジロよ、安らかに眠れ。
やっと『女王の教室』のラスト2話を見る事ができた。
恐らくシゴトが忙しかったのでしょう。昨年9月の放映をリアルタイムでは見る事ができなかったのです。
「DVDのレンタルが始まらないかなぁ~」って、本放送終了後から時々近所のレンタル店を物色してました。で、先日DVDを発見したのでした。「第4巻」だけ借りてきました。先ほどそれを見終わり、返却してきました。
私はあんまりドラマが好きではありません。時間的に束縛?されるのが嫌なのですね。
更に、私は特に学校モノに嫌悪感を抱くのです、「金八」みたいな「むやみやたらにアツい」ヒトが出てくるような気がするから。
今回(既に半年以上前だけれど)の『女王の教室』ってドラマも、最初から見たいと思ったワケではありませんでした。「教室」って語句が入っている時点で、「見たくないなぁ」って判断したのですね、私の脳の中のフィルターによって。
しかし、私の配偶者はドラマニアであり、その上で天海祐希好きだったのです。そして『女王の教室』の第一話を見てしまった私は、それ以降ハマりました。
このドラマはフィクションとして面白いですし、様々な問題提起をしているところが良いと思います。
今年3月に予定されている続編?が楽しみであります。
ビビビウムとは、周期表の222番目に位置する元素であり、記号は「Bbb」です。2006年に日本の学者、駄増泰造(だましたいぞう)博士が東京湾固有種であるゼニヒガタサンゴからの抽出に成功しました。
ビビビウムは驚くべきことに、以下の様々な特長を持っています。
・マイナスイオン放出
・遠赤外線放出
・環境ホルモン無害化
・水分子ナノクラスター作用
・弱アルカリ性
・高保水力
・抗酸化性
・殺菌作用
・滋養強壮
・自然治癒力向上
・二日酔いの改善
・視力回復
・一皮剥ける
・色覚異常改善
ビビビウムは天然には存在しない超々ウラン元素のため、通常は3億ナノ秒しか存在できません。日本似非科学研究所の俺尾真二郎(おれをしんじろ)研究員らは、ビビビウムの安定化に世界で初めて成功しました。安定化ビビビウムは外見は通常の水溶性ゲルマニウムイオン超合金にそっくりですが、その効能はピラミッド・水晶・トルマリン・チタン等と同様、使用者が信じている限り永久に持続します。
また、ビビビウムの効能は有機ビビビウム・無機ビビビウムどちらの状態でも発揮されます。肌に塗っても、直接食べても、直腸へ注入しても安全です。場合によってはビビビウムを眺めているだけでも効果を発揮し、カラダを内側からも外側からも健康にしてくれます。
古くからゼニヒガタサンゴの生態を研究し、養殖に成功している極東珊瑚商会は、この度ビビビウムの安定供給に目処が立ったため、今後ビビビウム関連商品を続々とリリース予定です。是非おためしください。
なお、ビビビウムと某有名歌手は無関係ですので、使用に際して電撃結婚及び離婚の心配はありません。安心してご使用ください。
私の職場には国語科のN先生という、滅茶苦茶ハナシが面白い先生がいる。彼は卓球界では知る人ぞ知る存在なのだそうだ。
その彼は犬を飼っている。
彼は老化も著しく、昨今はやたらと早起きになったそうだ。真っ暗な時刻に彼は起床するそうで、今日もいつものように暗い中で犬を散歩させ、犬と一緒に走った。
そして思ったそうだ。「顔がデカいせいか、寒風が顔面にコタえるなぁ」って。
確かに今朝は寒かった。そして、確かに彼の顔は小さくはない。今朝は阿佐ヶ谷などでも相当寒かったのだが、彼が住まうのは東京の奥地である。
私はその話を聞き、笑いつつ指摘した。「顔は大きい方が冷えないのですよ」と。
理論上、顔(というか頭)が小さければ小さいほど、芯?まで冷えてしまう可能性が高い。ベルクマンの法則というヤツである。それを簡単に説明した。
すると、別の先生が「じゃあ、I先生とかS先生なんかも冷えにくいんだねぇ」と。
私は更に指摘した「S先生の場合は、顔が細長いので冷えやすいハズです」と。
まあ、更に本当のコトを言えば、顔面がデカく面の皮が薄いほど、早朝の寒風はコタえるはずです、多分。細かい計算はできませんけれど。
私も頭がデカい方(外周約63cm:普通に売っている帽子は全然合わない)なので、他のヒトより寒さに強いハズだなぁ... って改めて思い至った。
一昨日のビビビウム、一応科学的?根拠はあるのだ、元素名だけは。
以下のページは本日発見したのだが、その労力に感心します。
幸い?ビビビウムはwiki作成者の想定範囲外(準死語?)であったらしい。ってか、第10周期まで作ると、まさに指数級数的に労力が必要でしょうからねぇ。
未発見元素の一覧
未発見の元素については、その原子番号を元に暫定的な名称が与えられる。
世界中に存在する文書をコピペ&編集しますと、
0 nil ニル
1 un ウン
2 bi ビ
3 tri トリ
4 quad クアド
5 pent ペント
6 hex ヘクス
7 sept セプト
8 oct オクト
9 enn エン
ってな感じ。
原子番号122番ならば「ウンビビウムUnbibium」。語感はビビビウムよりも私好みだ。
原子番号306番だと「鳥煮るヘキシウム」
『8時だヨ ! 全員集合』が思い浮かぶ…
いかりや長介が率いる貧乏一家、二階建てに住んでいる。 何かと口うるさい母親は宣言する「今日は鳥鍋よ!奮発したんだから!」 仲本工事は体操が得意な女の子。高木ブーは特にウクレレを持っていない。 ドタバタしながらも鍋は完成し、一階の食卓で鍋を囲む子供たち。 ワンパクな加藤茶が真っ先に鍋に手をつけようとする。その瞬間、何故かくしゃみをしてしまうのだった。「ヘックシ!!」 鍋はぶちまけられる。せっかくのご馳走が台無しだ。そこで母親思いの末っ子である志村けんは鍋を作り直す。
原子番号134番「ウン取り食わしうむ」 …
「乾季オリンピック」とか「雨季オリンピック」がないのは、夏や冬が無いクニに対してシツレイかも知れないスよねぇ。
もうすぐ冬も終わりそうである。この冬、私の生活習慣のひとつが大幅に変更された。
およそ15年振りに、シャンプーやリンスを使うようになったのだ。
今までは入浴の際、洗髪に固形石鹸を用い、そのまま顔面もこすっていた。特に問題は生じなかったから。
ハゲにはなりたくない。ハゲってヤツの一つの原因は「頭皮、特に毛根付近への油脂の蓄積」という噂を昔から聞いている。
石鹸でバリバリ頭を洗い続け、油脂を除去し続ければ、ハゲになる可能性が減少するのでは無いかと思っていた。私は基本的に整髪料の類を使わないから、頭皮もそれほど汚れなかろう。無駄にカネを使って油脂系の整髪料、例えばポマードなどを使おうと思ったコトは無い。また、更に無駄にカネを使って「めんずえすて」なる場所で「とうひのくれんじんぐ」をするなんて、アホらしい。
そんなコト考え、固形石鹸を愛用していた私だった。
しかし、老化に伴って全般的に皮脂が減ってきたのだろう。石鹸で頭とか顔面を洗っていると、関東平野の冬の寒風の中ではフケが出たり顔面がパサパサになったりしちまうノダ。
シャンプーやリンスを使うと、フケの量が減るのは確かな様子である。
腹とかの皮下脂肪は簡単に蓄積されるようになったのになぁ。フシギ。
HDD入りケータイ?ってヤツは、明らかに商品開発の方向性を誤っていると思う。ケータイは物理的に動いている部分が無く、雑に扱えるトコロが利点だと思う私である。落としても壊れないし、多少水に濡れても大丈夫だから、電話として使えるワケだ。
電話に入れて良いのはフラッシュメモリみたいな、衝撃に強い部品だけでしょう。ま、あのケータイ、買いたいヒトは買えば良いし、私は間違っても買わないスね。
と、ケータイで日記を記してみた。
わたしが現在居住している近辺では、新交通「日暮里・舎人線」ってヤツが建造されつつあるのですね。
ってか、その前にさらに思い出したのですが、「新幹線」って不思議な日本語ですよね。完全に固有名詞?化していますが、元々は「新しい“幹線”」って意味だったはずですよね。誕生から数十年経過した現在、彼は「幹線」もしくは「元新幹線」くらいで良いと思うのです。40代になっても「少年隊」だったり、飲酒喫煙問題無しの「Kinki kids」みたいな存在もあるから、それに比べればマシなような、全然マシじゃないような…
この「新幹線」は日本語として変なのではないか?ってハナシ、時々生徒に喋ったり、思い出すと職場の他の先生にも訴えたりする私です。しかし、あんまり同意してくれるヒト居ないのだなぁ、残念。で、ググってみたところ、それなりに同じ考えを抱くヒトは居るみたいだった。だからどうしたってワケでもありませんけれどね。
どんどん本題からずれていく。
昨日、都バスの横っ腹に「う回お願いします(新交通建設中につき)」みたいなプリントが施されたヤツを見たのだ。そこには、私の見たこと無いネーチャンも貼り付いていた。ああいった公的なキャンペーンのキャラクターに採用されるヒトって、どういうルートでその仕事を得るのだろう?って、前から不思議に思っているが、それは今回のネタではない。
「う回」みたいな日本語、私は好きじゃないのだなぁ。「迂回」って書けばいいじゃん。確かにあの字は「迂回」「迂闊」くらいしか思いつけない、あんまり使い道がない字かも知れない。でも「迂」って文字は難しい構造では無いのだし、無理矢理歩行者やドライバーに読ませれば良いのだ。
そういう変な配慮するくらいだったら、新交通建造による沿線住民の日照権剥奪などに、もうちょっと配慮するという手もあろう。
電車を乗り過ごしたわたしは、深夜の空気を浴び、春の訪れを微かに感じた。
昨日は初訪問の土地?2箇所に行ってきた。
東京私学教育研究所あたりが関わっている「理数系教科研究会」の「見学研修会」として、「独立行政法人文化財研究所 東京文化財研究所」に行ったのである。そこの見学に行くまでは気付かなかったが、その研究所は東京国立博物館の裏手にひっそりと佇んでいた。あたかも付属品のように。その研究所筐体は強烈にカネがかかってそうな、内部には木材と岩石が目立つ建物であった。研修としてそこに勤めている方の講話を聞き、その建物内の見学をした。そこで仕事をしているヒト達は、滅茶苦茶高価そうな建物内部で仕事をしていた。それにも関わらず、彼らの会話を聞くうち、その半数以上の方々からは「シゴトするにも予算が...」というフレーズが発せられたのだった。
とても不思議な場所であった。別に土建国家ニッポンでは不思議ではないのかも知れませんけれどもねぇ。
研修が終わり、その周囲を雨の中散歩した。すると、聞いたことある菓子店の名前が目に入ってきた。パティシエ イナムラ ショウゾウである。折角だから、ケーキを買って帰宅することにした。ビビッたのは、店の前にガードマン?が立っていたことだ。そんなケーキ屋初めて見ました。正確に言えば「ドアボーイ」ですかねぇ。ケーキは美味しかったです。ま、安くはないですけれどね。私の配偶者の両親には、とても好評の様子でした。彼らが食べたのは「特製苺ロール」でした。私が食べたのは確か「ショコラフロマージュ」ってヤツ。初めての食感&味覚でありました。私は、年を取るほどに美味しいケーキに巡り会ってきた気がします。昔よりもケーキの質は全体に上がっていると思うのです。値段が高い店で購入していることもありますけれど。
で、帰宅してパソコンを眺めていたら、「Winny(とそこに生息するウイルス)でNTTの顧客情報が流出」とか聞きました。それよりも、防衛庁の方が拙いと思うのだが、不思議に報道は少ない。2ちゃんねるなんかによると、「自衛官にパソコンが公費で支給されるなんて夢の夢」みたいな書き込みもありました。
以下は「防衛庁・自衛隊:海上自衛隊の秘密情報流出事案への対応について」から引用
海上自衛隊の秘密情報流出事案への対応について 平成18年2月24日 標記事案を受けて、防衛庁として次のとおり対策を行うこととしましたのでお知らせします。(中略)
2. 私有パソコンによる業務用データ取扱いへの対策
私有パソコンからのデータ流出を防止するため、緊急の対策として次の事項を実施。職務上使用する私有パソコンについて、ファイル共有(交換)ソフトの削除を確認
私有パソコンに保存されている業務用データについて、秘密の情報・必要のないデータを削除
現在、許可を得れば職場において私有パソコンによる秘密の情報の取扱いが認められているところ、これを全面禁止
前述の「バカ高い建物内で"カネがない"ってヒイヒイ言ってる独立行政法人職員」や、「怪文書を発表するような自衛組織」を雇っているクニに生まれたコト、とても有り難く思えます。
過去に何度か、職場に於いてヘコむコトがあった。それは「自分で買ったティッシュペーパー」が「いつの間にか無くなっている」という現象?との遭遇である。
ティッシュの綴りは tissue であり、英語風に発音するならティシューであろうか。こいつはそんなに高価なモノではない。普通、200ペア入りが5箱で3~400円であろうか。1枚は数十銭であるわけだ。160ペアとか、180ペアの商品もあるので、購入の際は単価に気をつけたい。
現在は石油ショック中?でもないので、好きなときに安い価格で買う場合が多い。しかし、その箱は決して小さくは無い。そいつを電車に揺られたりしながら、あるいは自転車に乗りながら職場まで持ってきていたわけである。以前はこいつを自分の机の上に置いていた。日本人は世界でも有数のティシュー消費民族であるらしい。私もその例外ではない。1週間で1箱くらいは使うだろうか。もちろん嘘である。
ティシューの価格は安いものの、ある程度苦労して自宅から輸送するわけである。そして、鼻をかんだりして使う。そして、数ヶ月に一回、ティシューの箱は空になる。最後の1枚を自分が使うのなら文句は無いのだが、「いつの間にか」ティシューの箱が空になっていると、そこはかとない悲しさを感じるわけである。「誰か、僕のティシュー使い切ったな」って。別に、ティシューは使ってくれて構わないし、私もヒトの机の上の筆記用具を拝借したりすることがある。でも、ティシューの最後の1枚を奪い去られるのは、ちょっと悲しい。
ここ1年以上はティシューを自分の机の下に磁石で固定している私である。以前にクリネックスのおまけとして貰った磁石である。それ以来、ヘコむコトが少なくなった。良かった。
昨日の日記の内容について、高校で公民のセンセイをしている友人からメールが来ました。私と彼が出会ったのは高校での部活動でした。
彼は入部してからしばらくした頃、箱入りの「エリエール」を持参してきました。そして、おもむろに鼻をかんでいました。私を含めた部員は、彼の姿を見て笑いました、箱入りのティッシュを学校に持参するようなヒトは、それまで見た事無かったから。学校へポケットティッシュってヤツを持ってくるヒトは居ても、箱ごとティッシュを持ってくるヒトを見たのは、それが初めてでした。
私も彼も、出会った当初の2倍を超える年齢となり、バッチリ三十路半ばです。今、私も彼も学校で働いているワケですが、私達が高校生の時には、ティッシュを箱ごと持ってくる輩は、彼くらいしか居なかった気がするのです。今は、結構な数の生徒が箱入りのティッシュを学校へ持ってきています。まあ、大体において箱には記名がしてありますけれどね。
彼は時代を先取りしていたのですねぇ。共産党による日本の夜明けも近いのでしょう。
報告します!オタクの聖地バークレイにて、シッタカブッタを発見しましたッ!! Logos and graphics
何だか、気付いたら3月になっていた。自宅のカレンダーの1つが先月のままだったので、それを今朝直した。そのカレンダーは2ヶ月分が1ページ?になっているタイプだった。そしてそこには、ムラサキケマンが印刷してあったのだ。
ムラサキケマン(紫華鬘)という植物名を初めて知ったのは、私の教員生活1年目のことである。恐ろしいコトに、既に13年前ではないか!!
その年は「とある私立女子中・高校」で非常勤講師をしていたのだった。中学1~3年を担当し、中学1年理科2分野の一部として野外の植物の観察を行ったのである。その当時は確か校舎が改築中だった記憶がある。そんなわけで植物の観察ができないかと思いきや、なんと「校長先生のお宅の庭を授業で使って良いよ」ってコトになったのである。それには大変感動した。「非常勤講師1年目のヤツに、自宅の使用を許可してくれるなんて、太っ腹な学校だなぁ」って。お借りするからには、それなりに予習をしなければならない。で、庭に生えている植物を図鑑片手に一通りチェックしたのであった。フキが大量に生息し、シャガなども生えていたような記憶がある。その中に、名前を知らない植物があった。それが「紫毛マン」その人(?)である。
ムラサキケマンという植物の存在は、それまで全く知りませんでした。そんなわけで、教員1年目の思い出として「ムラサキケマン」と「ダンディな校長先生」はセットになっているのです。
話は戻り、そのカレンダーは2ヶ月が1ページになっているタイプでありました。カレンダー写真の撮影者は布施正直さんという方だそうです。母の同級生だというコトなのだが、私はその方を直接知っているワケでは無い。
そして話は飛ぶ。
休日の午後に都立旧古河庭園ってトコロにバラなどを見に行った、友人たちと。あいにくの雨だった。夜には「その筋」では有名な「ざくろ」という店の予約をしてあった。しかしそれは20時からであったため、一度家で待機するコトにしたのだった。
で、私達の住居のトイレに行った友人は驚いていた。別にトイレがくみ取り式だとか、強烈に臭いとか、バラ色の小便が出たとかではない。その中にあったカレンダーに驚いたのだった。「なんで、マサナオさんのカレンダー!?」って。友人の父親は職業カメラマンであり、その友人に布施さんがいるのだそうだ。そんなわけで、布施さん撮影の植物写真カレンダーが友人宅にもあったそうだ。世界は狭い。
なお、「ざくろ」って店はかなり強烈でした。Web上には大量の文書があります。それを読むと、行ってみたくなるハズです。3000円で大量の料理に飲み放題付きでした。水煙草も面白かったです。しかし、何よりも面白いのは店長さん?の喋りです。
と、いうコトでそんな出来事を一気に思い出しました。「友達の友達は皆友達だぁ」なんて、改めて思いました。二日酔いではありましたが、多少気分が良くなった、今朝の私でありました、とさ。
逃避でございまする。
ずーっと前から気になっていたので、書いておこう。 clothes って、どう読みます?クローズですよね。close もカタカナにしてしまえば、同じになっちまいます。厳密に言うと、若干発音が違うという説もあるらしい。しかし、「clothes をクローゼズとかクローズィズとか発音しちゃダメよ!」ってのは、中学校の段階で繰り返し教わるコトなのじゃないかと思うのですね。
で、本日私は試験問題を作成し始め、ここまで逃避をせずに頑張ってきたのだ。が、iTunes に取り込んであった Original Love なんかを聞いていたトコロ、この「どうでもいいが、しかし昔から気になっていた話題」を記さずにはいられなくなったのだ。
チナミに、取り込んであるのは『VERY BEST OF ORIGINAL LOVE』ってアルバムです。東芝EMIレーベル時代のベスト版ですね。最後の曲はボーナストラック的な扱いで、 Winter's Tale ~冬物語~ って曲が入ってます。この曲はサッポロの冬季限定ビール「冬物語」のCMソングに使われた、高野寛とのデュエット曲であります。『冬物語』ってのは、元々シェイクスピアの作品であるらしいが、一部の人物にとっては原秀則の漫画『冬物語』の方が馴染みが深いらしいですね。私はその漫画にも馴染みがないです、シェイクスピアと同様。私にとっての『冬物語』はやはりサッポロのビールであります。槇原敬之の『冬がはじまるよ』がCMソングに使われていたこともあった。丁度私が大学生になろうかという頃にこのビールは売り出され始めたのだった。そんなわけで、寒くなってきてこのビールの缶を見ると、何となく手にしてしまうことがあったりする。ビールの味の違いははっきり言って、あんまり分からないのですけれどね。また、テレビCMは安い発泡酒全盛であり、冬物語ってビールのCMは最近あんまり見ていない気がします。ま、ビールその他の酒のCMなんて、基本的に流すべきものじゃないでしょうけれどもね、未成年を誘惑してしまうから。ま、大学生も未成年だし、苫小牧高校3年生も未成年だよなぁ。高校生やそいつらに毛が生えたような方々は、少なくとも飲み屋では飲まない方が良いと思うなぁ…
槇原敬之で更に思い出した。『どんなときも。』は私が生きていく上でのテーマソングのひとつなのだ。そして『北風』は超名曲だと思うのですね。国分寺のボーリング場で、『どんなときも。』を歌う彼の姿(ってか、顔そのもの)を見たとき、かなりビックリした私である。そして、彼が基本的には同性のヒトを好むらしいことを知った私は、更なるショックを覚えた記憶がある。あの『北風』って曲などは、誰を思って作成されたのだろうか?って思いました。やっぱり、クラス内の男子の後ろ姿を眺めながら、彼は曲を作ったのかしら…とか。ま、近年は同性愛も一般に認知されてきた気がしますから、これからもそういった方々には啓蒙活動をお願いしたい。私は特に同性愛者を応援するわけでも、毛嫌いするワケでも無いけれども。
で、話は戻ってやっと Original Love である田島貴男サン。Original Love 最初のメジャーアルバム『Love! Love! & Love!』は2枚組であります。その1枚目の1曲目、すなわちピチカート・ファイヴと訣別し、新たに活動を始めた最初の最初。彼はそのアルバム1曲目の『BODY FRESHER』に於いて! clothes を クローゼズ って発音してしまっている気がするような、しないような… ってか、発音しちゃってます。『VERY BEST OF ORIGINAL LOVE』にも収録されてます。
以上。
あ、チナミに、私のこの文章群にも様々な事実誤認があることでしょう。自分でも気付いたときに直してはいるのですけれどね。
内閣府及び内閣官房が行う随意契約の落札者等の公示にある、5 内閣府 内閣府LANの保守 他によると、“「にっぽんNOW」に広告 一式”として“株式会社今週の日本(東京都千代田区平河町2-9-2)”に“182,120,919円”が“17.3.11”に支払われたらしい。この2億円弱の“随意契約”がなされた理由は“排他的権利の保護”というコトらしい。私は馬鹿なのか、その言葉の意味が全然分からない。誰が誰の権利を保護しているのだろうか?
この『にっぽんNOW』ってパンフレット、以前は『今週の日本』という題名だったそうだ。私は高校か大学の時、そいつを西武池袋線の地下改札手前に見たことある気がする。そいつが本日、日本経済新聞に折り込まれてきていた。ある記事によると、朝日新聞には折り込まれないとか。だから、阿佐ヶ谷での一人暮らしの時、このパンフレットを目にすることが無かったのだろう。
今回の第1583号をもって、『にっぽんNOW』はめでたく休刊となるそうだ。
「株式会社今週の日本」に巣くっている輩は、新たな金づるを見つけたということなのだろう。このパンフレットは何度か勝手に日本経済新聞に挟まっていた。今回の第1583号には「ご愛読ありがとうございました」とか書いてあった。別に読みたくて読んでいるワケではない。このパンフレットを手にするために、税金を払っているのではない。なにしろ、どんどん無駄に税金が使われていくのである。頭に来る。
そういえば、竹中直人がクニに使われているなぁ。モビットのCMで、既に嫌な感じを覚えていた。今回、更に彼を嫌いになった。
ずーっと前から気になっていたことがあった。「うふぎ」って看板見ますよね。ま、あれは「う奈ぎ」つまり「うなぎ」屋の看板なワケですが。鰻屋は相当な頻度で「うふぎ屋」になっている。で、あの看板たちの「ふ」は変体仮名って呼ばれているのですね。
この調べものをしていて、最初にこのページに辿り着いた。変体仮名
そして、彼らを「変体仮名」と呼ぶことが分かった。で、以下のページを発見した。変体仮名を覚えよう
結構面白い世界ですね。もう廃れかけている気がする「ギャル文字」ってヤツは「変態かな?」じゃなくて「変体仮名」の焼き直しなのかも知れません。
って、ここまで書いて「んー、結構良いことに気付いた」って自己満足してた。しかし、ググってみたら、やはり?同じコトは別のヒトがさっさと指摘していたみたいです。残念。
今朝、普段とは違う通勤経路を歩いていた。春先であるためか、アスファルト上でネコが牽制しあっている場面に遭遇した。それに見とれていた私は、足の裏に違和感を感じたのだった。靴底とアスファルトの間で「何か」を転がした感覚があったのだ。直径は2~3cm程度だったのだろうか? 一般的な犬の糞を踏んだ際の「ネチョッ」では無かった。ビビッた私はその場で足の裏を確認してみた。その靴底は元々生ゴムの色をしていたが、長年の使用で汚れて黄土色~黒色になっていた。靴底が汚れていたため、特別に糞で汚れているのか、普段通りなのかが判明しなかった。以前の私なら、路上で靴底に鼻を近づけて臭いを確認するのだろう。しかし、四捨五入で40歳になってしまうらしいし、そんなジンブツが路上で自分の靴に顔をすり寄せているのは異様に見えるだろうと思ったのだ。私もオトナになったものだ。
と、云うことで靴底の問題はとりあえず放置し、数分の後に職場に到着した。靴を履き替える際に臭いを確認するという手もあった。しかし、踏んだ(阿佐ヶ谷路上フットサルのボールに使った)ものが、「糞系統」であることが確認できた場合、確実にヘコむだろう。そして、「糞系統」の香りが無かった場合、とりあえずは安心できるわけである。しかし、誰が見ているか知れない職場の下駄箱(別に下駄を履いて出勤したコト無いケド)で、出勤と同時に自分の靴の臭いをかぐジンブツなんて、ちょっとナニである。で、とりあえず暫く働き、下駄箱周辺も静まったとき、おもむろに靴を確認してみた。特異臭は感じられなかった。多分、私が靴の底で弄んだ物体は、犬の糞以外の何かだっ たノダ。
そんな本日は高校が学年末試験であった。試験監督も無かった午前中、卒業生を送り出した後の教室の片づけをした。大体きれいになったので、残されたシゴトは床掃除と荷物の移動くらいだろうか。毎回のことなのだが、卒業生を送り出した後の教室整理というのは、どうも気が進まないシゴトである。歌に例えるならば、チェッカーズの「Room」や、槇原敬之の「もう恋なんてしない」みたいな状況だろうか。どちらも10年以上前の曲だが。失恋や別離と生徒の卒業は違うものだろうが、「長くて地味な祭りが終わった後の静けさ」って感じが似ているのでは無いだろうか?
官房長官が「Winny使うなかれ」って言ってるらしいことをhttp://news.google.co.jp/で知った。
Winnyは小さい頃から好きであった。大人になり、いろんな物を食べられるようになってからは、Winnyからだんだん遠ざかっていった私だが、それなりに愛着のある食べ物である。ウィンナーでありながら、皮がないところがオコチャマ好みであるのでしょう。子どもは「飲み込みづらい物」を飲み込むことを嫌がりますからね。ってか、全ての生物は基本的にそういう傾向を持っているのでしょう。「噛み切れない」ってコトは、「食道に詰まる可能性が大」ってコトですから、その生物の命を奪ってしまう可能性がある。そんな食べ物は、本能的に飲み込めないはずですからねぇ。大量の餅を繋がったまま一気飲みするなんて、百獣の王「ライオン」でも、最大の動物「鯨」でもやりませんよね。そんなコトやるのはアホな生物「日本人」くらいである。
って、「Winny違い」ですね。
本題に戻り、パソコンソフトのWinnyについて。結局、図らず?も初めて「政府インターネットテレビ」ってヤツを見てしまった。
ハッキリ言って、良くできているシステムだと思う。あれだけのシステムを作るには、結構な能力と時間が必要になるだろう。つまりは税金でありますね。そこには例の竹中直人も居やがった。
例によって思うのだけれど、こういった「インターネット上のシステム」ってのは、デジタルディバイドを増長させるだけだと思うのですよ。そして、有権者の大半は老人であり、この「政府インターネットテレビ」なんて、知らないんじゃないかい?ま、小泉ファンとか、安倍ファンの間をクチコミで伝わっている可能性もありますけれどね。
ところで、「デジタルディバイド」は「ディジタルディバイド」って書くべきなのかなぁ? あるいは「デジタルデバイド」って書く? 「ディジタルデバイド」はあり得なさそうですね、とりあえず。
私の中では「digital」は昔から「デジタル」です、「デジタル時計」って単語を知ってから。「divide」は英語で習ったので「ディバイド」ですねぇ。だから、私が「digital divide」をカタカナ化すると「デジタルディバイド」になっちまうのです。
「ちょっと、トメさん。あの政府インターネットテレビの安倍さん、何時にも増してかっこよかったわねぇ。やっぱり安倍さんにはゆっくり喋って欲しいわよね。」
「そうねぇ。スギムラくんは最近声の出し方が純さまを真似しているんじゃないの?イヤよねぇ。純さまは自然にしわがれ声だけど、スギムラ君は声を作っているじゃない?」
「そうよ、やっぱり安倍さんに嘘はないのよ。」
「あらそう?スギムラ君もいい男ではあるのよねぇ。奥さんを見てみたいわぁ」
とか、老人特有の噛み合わない会話で伝わっている... ワケも無さそうですわなぁ。
結局、こんなシステム作るくらいだったら、もっときちんとクニを運営して欲しいわけですよ。繰り返すが、今日もこのクニでは数十人が自殺しているハズですぜ。この「政府インターネットテレビ」は、作る必要あったのかい?
で、本日、以下のような文書が届いた。
先日の「にっぽんNOW」に続き、2006年3月、政府系パンフレットは人知れず続々と廃刊になっているのだろうか?
「にっぽんNOW」に比べれば、これらの冊子はそれなりに愛読していたのかも知れません。ま、無くても全然困らない冊子だったけれど。
私はここ最近、長年のメガネユーザーとして苦々しく思っていることがある。
メガネの貴公子「ヨン様」。正確には「ペさん」だろう。ってか、韓国なら釜山(プサン)の方が歴史あるじゃん!とっととペさんは釜山港へ帰れ! ではない。
「時東あみ」って女子、笑い顔が10代に見えねぇぞ! 大体、メガネかけただけで、何で名前まで変わるんじゃいっ! ってコトでもない。
私が何となくイヤなのが、「アンダーリム」というフレームの流行である。「逆ナイロール」とも云うらしい。
昨今はそのアンダーリム(逆ナイロール)メガネがファッションとして定着しつつあるようです。私は今のところあのデザインのメガネは欲しいとは思わない。奇をテラい過ぎの気がするのですね。そして何よりも違和感を覚えるのは、あのデザインは基本的に「老眼用読書メガネ」だからだ。
老眼のヒトは手元にピントが合いづらくなります。遠くの棚や景色を見るときには、特に視力を補正しなくても、眼が使えることが多いわけです。しかし、老眼(遠視)のヒトの場合は、手元の本を見るためには、凸レンズで視力を補正する必要が出てくるわけです。老人の「鼻眼鏡」ってヤツはそのために存在しているワケですよね。その際、レンズの上側にリム(縁)が来なければ、視界を遮る横棒が無くなります。
というコトで、アンダーリムのメガネは読書用としては都合が良いわけですね。何しろ、意味があっての「アンダーリム」なのです。
まあ、メガネのデザインには流行スタリがあるとは思います。やたら大きなレンズが流行ったり、縁なしメガネが流行ったかと思いつつ、徐々にレンズは縮小の傾向を見せてきました。そして色つき縁ありメガネ。銀縁メガネも一時流行。最近はプラスチック等で出来ている、「フレーム自体が自己主張するメガネ」が流行っている感じですね。私は職場などで常用するメガネを4つほど所持しています。また、運動用メガネが1つありますし、自宅用の度が弱いモノも1つ持っています。私がメガネを選ぶ際には、「フレームが目立たないメガネ」を選ぶようにしてます。 1つのメガネを買うまでに、かなりの期間と店舗巡りが必要になります。まあ、頭がでっかいので、小さいフレームだと合わないってコトもありますけれど。
最近流行だから「プラスチックの目立つフレーム」にも若干興味があるのです。しかし、今更流行に乗るのは気恥ずかしいってコトがあります、いい歳をして。また、メガネばかりが目立つと、そのメガネの下にある自分のキャラクターが消されてしまいそうな危惧を覚えるってコトもありますね。
約4年前に「私は学生時代に野球をやっていなかった。そのため、自分の野球の技術低下に落胆することはない。元々、自分は野球が上手いと思っていないから」というコトを書いた。逆に私はいつまでも「これはできる」と思っていたいことに、「受験化学の解答能力」がある。生物もやはり満点を目指すには目指すが、もともと生物を真面目に勉強したのは大学を卒業し、就職してからなのである。だから、それほどには拘らない。また、大学では地学を専攻したが、生徒で地学受験をするような生徒もほとんど居ないから、私の地学の能力?を披露する機会もあんまり無い。基本的には地学の解答でも満点を目指しますけれど。私は大学では化学を勉強したかったのだ。しかし、何の因果か地学を勉強する羽目に陥った。まあ、最終的には地学科で良かったと思っていますが、大学入学当初はだいぶヘコんでいましたっけ。
で、英語も数学もあまり得意でない私なので、「せめて化学は満点を」という思いが常に存在した。そしてそれは今でも存在する。
ここ数日、新高校3年生対象の春期講習を行っている。基本的に問題演習になるので、講習前に自分も問題を解いてみるわけだ。そして、緊張しながら自分の解答チェックをする。やはり全問正解だと嬉しい。この解答作業をしている最中は錆び付きかけた脳みそに火を入れているような感覚がある。あるいは「脳の再構築」とでも言おうか。この作業(化学の問題を解くこと)を時々やっていないと、自分の頭が自分の頭で無くなっていってしまうような、自分が自分でなくなってしまうような、そんな気がするのだ。
で、化学の問題が解けたから何になるかって云えば、何になるのでしょうかねぇ?
それはそうと、昨日今日と『女王の教室』の続編をやっている。今もやっている。あんまりドラマには没入することが無い私なのだが、このドラマは見入ってしまう。見ていて辛くなるような筋であるが、それでも見入ってしまうのだった。
阿久津真矢の臭いセリフは許せる私だ。坂本金八は生理的に受け付けないが。
今回の『女王の教室』の難点を挙げるとすれば、CMがミョーに多いコトだ。レギュラー放映当初には、その強烈な展開から悪評が相当に立ったらしい。それでも放映を続けるうちに理解者?が増え、特番にスポンサーが付きまくるほどに市民権を得たということだろうか。
何よりも脚本が良いのでしょうね。役者も良いけれども。ってか、私が気に入ったドラマだから、何もかも良く見えてしまうのかも知れないが。
平日の早い?時刻に日記なぞを更新すると、なんだか人非人であるような気がする昨今です。そんな今日、私は堂々と更新してしまうノダ。
何故なら、本日、私の職場は休業日だったりするからだ。一応職務規定的には週休1.5日が基本であり、週の労働時間は約40時間である。現実には41.25時間になるのです、クミアイ活動をしている私の計算によると。これって、明らかな労働基準法違反である気がするのですね。まあ、鳥肌実様みたいに「パン工場勤務」ではありませんから、「巨大なジャムパンが」1日中、8時間連続で「攻めてくる」わけではありません。しかし、そうだとしても、学校の勤務ってのは恐らく公立も私立も、休憩時間なんて無いに等しいのでしょうね、普通に働ける(働かされている)ヒトであれば。
私は公立学校勤務ではないので詳しくは知らないが、そこでは1日の実労7.5時間を基本としているらしい。それに休憩時間がプラスされる様子です。でも、1日にセンセイが7.5時間だか8時間だけ職場にいて、その後は速攻で帰れるという学校って、ほとんど無いんじゃないかしら?
世の中では基本的に「残業80時間」がひとつの目安になるらしい。何の目安かといえば「過労死」である。と、いうコトは、手に職を持っているヒトが趣味でブログなどを営業している場合、1日に大体2時間40分以上費やしてしまうと「ブログ過労死」と認定して差し支えないのだろう。
じゃなくて、どう考えても私の職場ではこの「死んだら過労死」と認定されてもおかしくない人々が「コロコロ」いる。「ゴロゴロ」とまでは言わないくらいってコト。私自身は、月~金曜日はおよそ3時間「職務規定外の労働」をしている。また、大体2週間に1回存在する土曜日の出勤では、およそ5時間「職務規定外の労働」をやっている。ってコトは、1週間あたりで平均すると18時間程度の「残業」を行っていることになり、月80時間に丁度引っかかってくるくらいの「残業っぷり」を披露?していることになるのだ。最近は部活動の試合の引率が減っているから良いが、約3年前は、休みが極端に少ない1年間を過ごした。夏休みは情報科の免許取得のための研修も「職務命令」として突っ込まれてた。
大体、職場では私よりも常に帰りが遅い方がいるので、働き過ぎ(働かされすぎ)を懸念している。また、ほとんど年中無休&微給で部活に精を出している方もいらっしゃる。部活の指導が何よりも好きならば、休日の部活動指導はそれほど問題ではないかも知れませんが、どうなんだろう?
昨今はタイムカードを置いてある学校もあるとか無いとか聞いているが、学校という職場に限らず、家に持ち帰ってシゴトをしている職業人も多いだろう。だから、タイムカードを置いたからといって、残業および過労死の抑止力になるかといえば、その効果には疑問を感じる私だ。裁判沙汰になった事例に、「タイムカードをとりあえず押してから、深夜に勤務を続けて死んだヒト」ってのもありますしねえ。また、仕事の速さには個人差があるだろうから、長時間働いたからといって、「仕事をたくさんこなした」とは言えない面があるのも難しい。さらに、その人が気合いを入れて行っているシゴトでも、職場全体から見て必要なシゴトであるかどうかを見極めるのは難しい場合もあろう。その辺のシゴトの割り振りは「管理職」と呼ばれる方がきちんと行うべきなのだろうが、さっさと帰っちゃう管理職だったりすると、更にその辺の判断は難しいのでしょうねぇ。逆に、その部下も「管理職!何やってんだぁ!おい!」って突っ込めるほど、管理職のシゴトっぷりを把握できているワケでも無かろう。
そして、学校という場に限らず、「シゴトはできるヒトに回ってくる」という面もあるのだろう。だから、更に問題は複雑だ。
なお、基本的に私は、試験問題の作成とか、その採点を除いて、自宅にシゴトを持ち帰ることはしない。
基本的に上の話は「勤め人」全般について記したつもりだが、第一次産業みたいな世界になってくると、シゴトとそれ以外の時間を区分することも難しいのかも知れない。
オチが何だったか忘れた。というか、元々オチは存在しないのだ。
何しろ、今日、私の職場が休みなのは、3月になってからこれまで、土曜日の休業が1回も無かったコトの埋め合わせであるらしい。まあ、年間予定に於いて、この3月の休日の配置は、最初から決まっていたことでありますけれどね。
今朝、私が職場最寄りの阿佐ヶ谷駅ホームに降り立った直後、中央線快速はしばらく運転を停止した。御茶ノ水駅近くで線路内にヒトが入ったらしい。線路内に猫や犬が入り込むなら分かりやすい。少し譲って、鹿とか猿とかでも許そう。しかし、線路内にヒトが入るって、どういう状況なのだろうか? そういった車内アナウンス等を聞く度、「線路内に入り込んだヒト」を見てみたいものだと思う。そして、その願いは未だ叶っていない。
線路内に入り込むってのは、もしかすると「レールの金属内」って意味だったりするのかしら? 実はカミオカンデみたいなシステムが線路のレールには備え付けてあり、「ニュートリノみたいな素粒子並みに小さいヒト」がレールの金属内に発見されるのかも知れない。だったら、電車を止める価値もあるでしょうね。多分相当な発見だろうから。
で、行列ができている駅の改札を横目に、私は職場へ向かって歩き出した。そのトキ「良かった、電車の中で足止めを食わなくて。ラッキー」って思ったのだ。
でも、さらによく考えてみた。この「嬉しさ」というのは、本当に本当に相対的なものであるコトに気付いたノダ。
普段の通勤ならば、何事もなく電車に乗り、何事もなく電車を降りる。そして、特に何事もなく職場へ向けて歩き出し、特に喜びを感じるコトも無く、職場に到着する。今日はたまたま電車が止まってしまった。私の乗った電車に乗り続けて先の駅まで行くヒトは、阿佐ヶ谷で足止めを食らった。阿佐ヶ谷まで来たかったのに、高円寺で足止めを食らったヒトもいた。そのヒトビトに比較すれば、確かに「ラッキー」である。でも、この喜びは本当に自己中心的で、つまらない喜びらしいコトに気付いてしまったのだ。自分のココロの小ささにアホらしさを感じるとともに、やはり嬉しさもあったりして。
「喜びというのも哀しみというのも、結局は他人との比較によって生じるものなのかもなぁ」って、今朝改めて思っちゃったわけである。
自分より悲惨なヒトを見て、指さして笑うってのはあんまり良いオコナイでは無いのだろう。しかし、私の今日の喜びも、本質的には「哀れなヒトを見て、自分の優位さを確認する」という、程度の低い喜びであると気付いた。そんな自分が、なんだかとても酷いヒトのように思えた。
なので、そんな心の動きを告白してみた。ケータイが繋がったり、繋がらなかったり、また繋がったりする今日である。明日こそ修理に出そうと思う。
3日前の朝、例によって「めざましテレビ」を見ていた。そのさらに前日は「ワールド・ベースボール・クラシック」ってヤツで日本チームが優勝したそうだ。
で、「めざましテレビ」ではその功績を讃え、「日本のサムライ達が云々…」ってコメントを流していた。
ここで、私の一部が反応した。「ニホンダンジ」ってヤツを「サムライ」とか称することがあるが、冷静に考えると江戸時代に於いて、侍は少数派だったんじゃなかったっけ? って。
改めて、職場の日本史の資料や、ネット上の資料を見てみたが、「江戸時代の士農工商の士は7%内外」ってコトに落ち着くらしい。白土三平の『カムイ伝』なんかを読んじゃったりすると、江戸時代は忍者や非人も多そうな気がしてしまうが、実際のトコロはどうだったのだろう?最近の研究では「士農工商の区分は結構曖昧だった」という説もあるらしいですし、真相はよく分からない。私は昭和になって生まれたわけだし。
まあ、今回のワールド・ベースボール・クラシック日本代表チームの大半の人の先祖を遡って調べていけば、いつかは「帯刀していたヒト」に行き着く可能性は高いのだろう。父母は2人、祖父母は4人、曾祖父母なら8人。約100年前に生きていた曾曾祖父母なら16人。約300年前の先祖ならば2の12乗で最大4096人にもなるから。ただし、親戚同士で結婚することは現在以上に多かっただろうから、実際の祖先の数はだいぶ減るでしょう。なんだか話がずれていったが、例え祖先に「お侍」が居たとしても、「サムライニッポン」みたいな、シブガキ隊チックな妄想(日本男児=侍)に浸ってしまうのはいかがなものだろうか。王監督だって「サムライの親玉」と思われたくないかも知れない。まあ、現代における「サムライ」ってヤツのの定義もよく分からないけど。
というコトで、トリノオリンピックの女子カーリングチーム。「ゲイシャチームが世界を相手に大活躍」とかいう表現があっても良かったと思うのですね。しかし、「ヤマト」と言えば「ナデシコ」なのだなぁ。何でだろう。
今回、この文書を作成するにあたり、「ヒニン」を変換するとデフォルトの ATOK では「非人」が出てこないコトを知りました。さすがに放送禁止用語?ですね。また、「トリノオリンピック」の変換第一候補は「鳥のオリンピック」でした。この単語?は日本のネット上で氾濫していることを知りつつ、私も記してしまいましたとさ。
702NK は修理に出ており、代理携帯電話の 802SH があてがわれているワタシである。今年は沈丁花が遅く、桜(ソメイヨシノ)が早い気がする。今日、出かけるトキに自転車で出かけたのに、帰りは徒歩で帰宅してしまった私は、最寄り駅までの散歩がてら、ケータイにてこの文章を作成していたりする。
高速道路のバイク二人乗りは許可になったのだから、チャリンコの町中二人乗りも許可してくれないかしら?
最近、自分が年老いたと思う理由の1つに、「テレビゲームに対する情熱がほとんど無くなった」というコトがある。
この間愕然としたのは、プレイステーション2の『エースコンバット』最新作が出たということである。別に、新作が出ることは至極当然のことなのだ。問題(?)なのは、「最も好きなシリーズのテレビゲームなのに、前作を1度しか起動していないまま、新作が発表になってしまった」というコトだ。
エースコンバットのシリーズは、第1作からずーっと買い続けている。これは私のゲーム人生に於いて、かなり貴重な存在である。
オリジナルの『ゼルダの伝説』はマイベストである。任天堂の新しいゲーム機、コードネーム?「レボリューション」が出たら、ちょっと買ってしまいそうで怖い。『ファミコン探偵団』シリーズなんかもやってみたい気がする。個人的には『スペランカー』を再発して欲しいのだが、マニアックすぎるだろうね。
なつかしネタはさておき、シリーズものについて。
多分日本で最も売れているゲームである『ドラゴンクエスト』。こいつは初代からVまではクリアした記憶があるのだが、どうもVIはすっ飛ばしてVIIをプレイした記憶がある。高校生の時は学校をサボってドラクエIIIを買いに行き、大学生の時は大学をサボってドラクエIVを買いに行った私である。ドラクエVIIは途中まで「攻略サイト」などを見ながらプレイしたのだが、途中で放置してあるはずだ。大体、攻略サイトなどに頼るようでは、ゲーマーとして失格であろう。私自身の感想としては、ドラクエIIあたりが地図もトリッキーであり、難易度が高くて楽しかった気がする。私も若く、やる気に満ちていた時代のハナシである。と、そんなわけで、ドラクエのプレイも、数年前に挫折している私である。ファイナルファンタジーはどうも相性が悪いので、昔に1作か2作ほどやった気がするが、それっきりだ。
そういえば、シリーズを結構きちんと買っているのがもう一つあった。『みんなのGOLF』シリーズである。あのゲームも面白い。でも4は途中で放置してある気がする。たしか「みんゴル名人」あたりまでは上り詰めている気がするのですけれど。
で、その『エースコンバット』なのだ。先ほど改めて公式サイトなどを見てみたら、ゲーマー魂の残り火が少し大きくなった気がする。とりあえず、『ACE COMBAT 5』を起動してみないとなぁ。一回起動して、対戦モードで配偶者と遊んだだけの気がするのだなぁ。改めて『みんゴル』も修行を始めようかとも思う。ウェブサイト構築が一段落したら、ゲーマーの心を取り戻そうかと思う。別に取り戻さなくても全然問題ないのだけれど、買ったゲームを放置しておくというのは、「ゲーマー精神」的に良くないノダ。
なお、プレイステーションで「やり込んだソフト」というと、『MicroMachines』である。洋ゲー(舶来ゲーム)なのだが、私の感性にぴったりフィットした、数少ないゲームである。大きくなったら(お金が自由に使えるようになったら)ラジコンで遊びたいと思っていたハズなのだが、あのころのオガワ少年はどこへ行ってしまったのだろうか?
で、調べてみたら、『MicroMachines』PS2 版は海外で発売されていた様子。日本語化はされていないみたいで残念である。
また、お恥ずかしい話を。
私は生物名に詳しくないのです。数日前、初めて「フリージア」の姿を知りました。なお、「フリージア」ってパソコンショップが秋葉原にあることは知っていました。
春は卒業式とかなんだかんだがあるため、比較的花束に遭遇しやすい季節でしょう。その花束の中に、とても良い香りの花があることに気付いたのです。何度もその香りを嗅ぐうちに、約20年前の記憶が蘇ってきたのです。私が小学生の頃、香り付き消しゴムとか香り付きボールペンが発売され始めたのですね。で、少ない小遣いを貯めては、ボールペンなどを購入したりしました。その中の1本の香りに近いことに気付いたのです。「この花は、名前だけを知っていて、ボールペンの香りにもあったフリージアでは?」と気づき、ネットで調べてみたところ、当たっていました。「そうか、これがフリージアか」と、変に感動しました。確かに、香料にしたくなるような、良い香りです。しかし、合成の香料よりも本物のフリージアのほうが良い香りでした。
香りで思い出したのですが、私が職場で嗅いだ中で一番強烈だった臭いは酪酸です。何故酪酸の試薬瓶を開けたのかは忘れてしまいました。腐った銀杏のような、大便のような臭いが、私の体にまとわりついてしまったのです。廊下を歩いても、職員室に行っても「何だ?この臭いは?」という人が現れ、いちいち説明する必要がありました。幸いにして、その臭いは徐々に拡散し、白衣は洗濯もしたので臭いは分からなくなりました。たまたまなのですが、その出来事の少し前に『スメル男』という本を読んだこともあり、「この酪酸の臭いが体から取れなかったらどうしよう」って不安になった私でした。その本は原田宗典ってヒトが書いた本です。この人の本はほんの数冊読んだことがありますが、この『スメル男』が一番印象的であります。
で、そのことも思い出し、ググって発見したのが以下のページである。
http://science4.2ch.net/test/read.cgi/bake/960887428/l50
単なる2chの一掲示板でしかないのだが、6年間も生き長らえているのが面白いし、そこに書かれている内容も面白かったです。酪酸は比較的メジャー?な悪臭物質らしいですね。
私は自らが関わっているサイトに掲示板を置こうとしたことがない。まあ、掲示板への書き込みはやったことがありますが、両手で数えられるほどである。ただし、私の指は片手に256本ほどあるから、普通のヒトの基準とは異なるけど。
ヒトのサイトにリンクを張ることはあるが、トラックバックってヤツはやったコトがない。
昨今は検索エンジンも良くできているので、ある程度の情報は「人様の作成したリンク集」などを辿らなくても手に入れることができる。そんな状況の中、有名サイトにトラックバックを仕掛けるってのは、気恥ずかしさが伴うのである。「トラックバックを仕掛ける」ってコトは、「ヒトの客を奪ってる」ような気がするからだ。また、私がお世話になったサイトを見ていても、そこに存在する「トラックバック先?」を辿ってみることはほとんど無い。
だから、多分「有名サイトへトラックバックを仕掛けてみても、訪問者が増えるわけでもなく、ムダ」なのだ。
知人のサイトにトラックバックを仕掛けるのも、ネット上の内輪話をやっているみたいで、私はあんまり好きではない。
何で、「知人のサイトへのトラックバック(やコメント)」を避けるのか。
「2ちゃんねる」みたいな、大勢が見ることができる掲示板ならば、掲示板自身の存在意義もあるだろう。しかし、同じような名前が目立つような、限られた世界でのトラックバックやコメントの応酬は見苦しい。「電車内で大声で携帯電話を使っている輩」を見るのに近い感覚があるからだ。「そんなの勝手に静かにやればいいじゃん」って思うのですね。具体的には「メールでやりとりすれば良いじゃん」って思う。家族間などで掲示板の書き込み応酬をやっているのが、最も醜悪ですね。変な集団自己顕示欲は披露しないで欲しい。ってか、私が見なければ済むコトなのだけれどもね。
以上のような理由で、私は自分からトラックバックを仕掛けることはしない。無意味っぽいから。
そんなわけ?で、高校のトキの友人から教えてもらったサイト。
私がマチナカで「自分ってツマラナイ奴だなぁ」としみじみ思う場面が度々ある。キーワードは、横断歩道・赤信号・警察官。
私は車を運転しているので無い限り、基本的に交通信号を無視する。別に赤信号に突っ込み、青信号で止まるワケでは無い。車道や交差点を渡りたい場合、そこに信号が有ろうと無かろうと、自分の判断でそこを突っ切ると云うコトだ。車などの通行量の多い道路では、結果的に信号を守る羽目に陥るコトもあるが、それは自分の身を守る為、仕方がないコトなのだ。また、車を運転している場合は、必ず信号を守る。ヒト・バイク・自転車や他の車にぶつからないように。ぶつかると洒落にならない。また、私は自転車に乗るトキは歩行者を優先しているつもりだし、場合によっては車道を車両として突っ走る。自転車の方が歩行者より危険な存在であるコトは疑いようが無いカラ。
で、当然のコトながら自転車や徒歩の場合、横断歩道は横からの車が無い限りは、赤信号だろうとガンガン渡る。だって、安全が確認されてるのだから。
トキにその場にパトカーとか白いチャリンコに乗った警官が居ると、私は非常に情けない気分になる。「なんだよ、俺は警官に睨まれるのが怖いのか?いつものように信号なんか無視しろよ」との内なる声。
実際、マチナカで警官に注意されるのって、気分が良くないワケですよ。で、私は自主的な判断を放棄した、善良なツマラナイ小市民然とした自分に出会うのだ。
私が全然理解できないものに「腰パン」がある。ジーンズやパンツの裾を踏みつける人種もよく判らない。まあ、センスは人それぞれだから、「私もアナタもご自由に」ってコトではあるが。
で、腰パンってヤツは、「腰パン 黒人」などでググッてみる限り、パンツを保持するために存在している「ベルト」とは「相容れない」ものである気がする。しかし、町中を見る限り、腰パン(ってか腿パン)を器用にやりながら、そのパンツにはベルトをくっつけている輩も多々見る。彼らが使用しているベルト、パッと見は普通のベルトに見える。本当は星一徹が開発したと言われる「大リーグ養成ギプス」なのかも知れない。あるいはサッカー少年のために昨今開発されたという「ワールドカップ養成ギプス」かも。
あの腿に巻き付いているベルト、ベルトの目的「パンツのずり落ちを防ぐ」って目的を果たしている気がしない。まさに本末転倒という気がするのだな。「アナタはそのスタイルを疑問に思わないのかい?」って、道行くニイちゃんに突っ込みたくなるのであるが、今のところ実行していない。
脚は長い方が格好いいと思う。また、本当に足が長いヒトが腰骨あたりにパンツを引っかけて履いているのも、まあそれなりにカッコいい。大して足が長いとも思えないモンゴロイドのハイティーンが、自分の脚を拘束するかのごとく、太めのベルトを膝上に巻き付けていたりする。そして、奉仕の精神に富んでいるのか何なのか、パンツの裾をすり切らせながら、駅や道路の拭き掃除をしている。彼らを見ると、「お疲れ様ぁ」としみじみ思うのでありますよ、三十路半ばのオッサンである私はさ。
ま、ファッションってのは時とともに移り変わるものである。例えば「スーツの襟の形式」。スーツの襟の形なんて、21世紀の日本では、誰もその形を疑問に思うことは無いのじゃないかしら?でもよくよく考えてみると、「詰め襟」→「マオカラー」→「現在の3(2)ボタンスーツの襟」って云うような流れがあったのだろう、私の想像ですけれど。詰め襟がどこから発生したのかはよく分からない。それを思えば、ファッションなんて何でもありでしょうね。まあ「腰パン」は廃れていくのでしょう。スーツの襟の形はある程度完成してしまっている気がします。それは今後あまり変動しない気がします。
「腰パン」と「スーツの襟の形」の違いはどこにあるのでしょうか?不思議です。
本日、久々にクルマを運転していたら、道路上を不思議な物体が飛翔していた。最初は風に舞うスーパーの買い物袋かと思ったのだが、よく見ると、いや、よく見なくても、それが単なる買い物袋ではないことに気付いた。
それは、脚に買い物袋を絡ませてしまったドバト「袋鳩」だった。
普通のゴミとしての買い物袋だったら、ヒラヒラと風に舞うはずである。その買い物袋は意志を持っているように飛んでいたので、妙に目立ったのだった。で、実際、意志を持って私の車を追い越していき、他の車やバスを避けて飛んでいった。
しかしながら、その袋は彼にとって大きすぎた。巨大なグライダーであるスペースシャトルですら、その機体よりも小さいパラシュートで減速する。鳩は、自分の体が3つは入るくらいの袋を引っ張りながら、空を飛んでいた。ってか、飛びきれずに歩道に着地したみたいだった。
交差点の信号が青になり、鳩の着地点を通過した。鳩を呼び寄せようとしているおじいさんが見えた。おじいさんも鳩のパラシュートを取ってやりたいと思ったのだろう。あの鳩とじいさんはどうなったのだろうか。とても気になるのである。
昨日テレビを見ていたら、「刺客」を「しきゃく」って言ってるコメディアンが居た。また、ナレーションも「しきゃく」って言ってた。ナレーターは局アナっぽかった。
「刺客」は「しかく」だろーよ、笑わせるぜ。と私は思った。しかし、何かが引っかかったため、念のためATOKその他を用いて調査してみた。結論から言うと、「しかく」も「しきゃく」も正解らしい。元々は「せっかく」って読むらしいことを知った。以下は『岩波 国語辞典 第六版』が入っている「ドクターマウス」から。
せっかく【△刺客】
他人をつけねらって暗殺する役目を持った人。 ▽「しかく」は慣用読み。
で、更に以下のサイトを発見した。 [教えて! goo] 刺客せきかくの読み
そこを読んでいて、「そういえば、塀の中にいらっしゃる“ほりえもん”も刺客ってヤツだったなぁ」って思い出した。世の中の流れは速い。ここ最近は「ホリエモン」ってフレーズを新聞とかテレビでは目にしていない。世の中に流されないように、反省を忘れず真面目に暮らしたい。
今朝、西日暮里駅前の交差点で、F1(タマネギ)の疾走を見た。
厳密に言うと「“F1タマネギ”って印刷された段ボール箱が荷台にくくりつけている自転車に乗ったオッサンが私の目の前を通り過ぎた」かしら。
何で「タマネギがF1?」って思いますよね。思いません?こりゃまた失礼いたしました。
「F1」は「雑種第一代」の略らしいですよ。私は「Filiusの頭文字のF」って記憶している。
「F1タマネギ」ってのは「“雑種第一代”のタマネギ」ってコトなのでしょう。すなわち「種苗業者が儲けようとして作成された種子によって形成されたタマネギ」ってコトだ、恐らく。
私は、あの「F1タマネギ」って語句を見るたびに、パラッパラッパーのタマネギ先生が操縦する「フォーミュラ1」を想像してしまうのでした。
ようこそ、いらっしゃいませ。
今後ともよろしくお願いいたします。
で、改めて自己紹介
好きな音楽:鳥肌実の演説
好きな食べ物:エタノール系全般
好きな言葉:病は気から
チャームポイント:主張のはっきりしない散文
続いて、当ページ作者略歴
1971年
東京都で生まれる。
1975年~
茨城県へ。幼少時代は泥と虫にまみれる。地域の野球チームの内野ノックで、顔面に軟球を受けトラウマに。
1980年~
東京都へ戻る。中学時代、進研ゼミに大変世話になるが、高校では部活動とゲームに没頭し、クラス内で一番早く「スーパーマリオブラザーズ2」をクリアする。大学の成績はかなり悪かった。
1994年~
現在の職場(都内私立学校)に非常勤講師として拾われる。翌年に正式採用となり、現在に至る。
2003年
痛風の発作を起こす。生まれて初めて失神しそうになる。
2005年
結婚したらしい。
2006年
サイトの引っ越し。
「ガーナ 小泉 利権」でググってみよう。
なお、小泉氏がガーナに持っていった顕微鏡はオリンパス製だとか。
日本では結構"Made in China"の品物を目にすることが多い。特に衣料品とか生活に関わる小物などでは。私が知る限り、配偶者が何度も中国に運んだのはソープディスペンサーであろうか。
東急ハンズで同じ製品を何度も買った。何でも彼女のお母さんが気に入ったそうで。そいつは見事に"Made in China"であった。中国で生産しているのだが、その「おしゃれっぽいソープディスペンサー」を中国(上海)で見つけることは難しいらしい。
また、今回は「私の配偶者の従姉の配偶者」にスーツを持っていった。買ったのは日本だが、こいつも"Made in China"。10年くらい前は中国製のスーツは少なかった気がするのだが、最近は縫製がしっかりしている中国製のスーツが日本に入ってきている。最近AOKIで買った私のスーツも中国製であった。
今回も、私は中国で衣料品を買った。ってか、配偶者に買わされた。いや、買ってもらった。
彼女が言うには「(私の)ファッションセンスが無い」のだそうで、日本でも衣類を買う場合は選択の主導権を配偶者に握られつつある。で、太平洋百貨にてシャツやパンツを買ったのですね。
生地も縫製も良いです。さすがに現地の大手デパートで扱っている商品だけのことはあります。綿のパンツと半袖シャツで数百元(日本円で1万円弱)でした。これはメチャメチャ高価な品であります。大体、直径約4cmの焼き小籠包4個
が1.8元(30円弱)、ソラマメ(サヤ込み)は2kgで4元(60円弱)という世界ですから。同じパンツとシャツを日本で買うと、一体いくらになるのでしょうか?よく判りません。
で、一番ビックリしたのは「裾上げを人力(手縫い)で行う」というトコロでした。「15分ほど待て」と宣った(私が聞いたわけではなく、配偶者が聞いた)店員のお姉さん、私たち以降の接客?もこなしつつ、手縫いで裾上げをしていました。「中国の底力(ソコヂカラ)を見た」と、勝手に思った私でしたとさ。
サイト移転し、やっとグーグル様やヤフー様がおいでになった様子である。
今までのトコロ、旧居経由で当サイトにいらっしゃるお客様が多かったみたい。やはり、生物としての私を知っていらしゃる方が多いのでしょうね。とりあえず、Yahoo! と Google に登録されてしまえば、日本の検索サイト大手2社には登録されたことになる。後の「検索エンジンロングテール」つまり、「検索エンジンの負け組」は無視してしまっても良いだろう。
昨日、初めてテクノラティのテレビCMを見た。まあ、ヤフーもテレビCMを打ってから、劇的に日本で普及した気がする。Google のテレビCMって見たこと無いなぁ。
これで、technorati の知名度も上がるのであろうか? ただ、テクノラティって、綴りが難しい気がするのですね。カタカナの日本語としても認識しづらい。知り合いの先生はテクノクラティって最初は認識したそうだ。確かにテクノクラティでググってみたら、1万件以上引っかかってきた。「手駆乃裸亭」とか、中国語っぽく、暴走族っぽくしたほうが、少しは認識されやすいんじゃないかしら? どうでしょうか、テクノラティさん。
一応、私の日記もテクノラティに反映されるようになっているし、徐々にそっち系統からのお客さん、一見(イチゲン)さんも増えていくのでありましょう。
数日前の記事だが、めちゃめちゃ引っかかったヤツがあった。
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20060513AT2M1002G12052006.html
排出権、日本が最大の買い手・世銀調査
【フランクフルト=磯山友幸】世界銀行によると、日本は2005年1月から06年3月の温暖化ガス排出権の最大の買い手になった。同期間に成立したプロジェクトを通じて生まれた排出枠の38%を日本が購入したとしている。
ドイツで開催中の排出権見本市「カーボン・エキスポ」で調査結果を発表した。
世銀は同期間にクリーン開発メカニズム(CDM)と呼ばれるプロジェクトなどで新たに生み出された温暖化ガスの排出枠を4億5350万トン(二酸化炭素=CO2換算)と推計。日本は英国(15%)やイタリア(11%)、オランダ(8%)、スペイン(5%)を大きく上回る世界一の購入国だった。
一方、最大の売り手は中国で、全体の66%。次いでブラジルが10%だった。04年1年間ではインドが43%を占めて最大だったが、プロジェクトの端境期で、3%に落ち込んだ。 (23:00)
私の直感としては「二酸化炭素排出権を中国から買う」ってのは、全然ピンと来ないのだ。日本よりも中国の方が、余程二酸化炭素を排出していそうな気がするので。
何だか全然よく分からない記事であったので、元ネタが置いてありそうな世界銀行とかのページを参照してみたが、基本的に英語が使用されていたため、ちんぷんかんぷんであった。
額に汗しない、「権利の授受による金儲け」って、私は毛嫌いしていますから、もともと「理解してやろう」ってキモチに欠けてるってコトもある。
とりあえず調べて分かったことを記すと、二酸化炭素排出権は1tあたり20ユーロ(約3000円)前後らしいってコトだ。
そんなわけ(?)で、私も個人的に二酸化炭素排出権取引をしようかと考え、事業計画を立ててみた。
私は標準体重よりは若干太めであるが、決して「太りすぎ」では無いと思う。と、云うことは「食事の量も少ない」ハズである。つまり、肥満のヒトに比べると「二酸化炭素排出量」が少ないはずである。
太り気味のヒトは油ものが好きだ。とりあえず、ポテトチップス一袋を摂取したとすると、どれくらいの二酸化炭素を排出することになるのか計算してみた。
My favoriteである湖池屋ポテトチップスの「のり塩 70g」を元に、ざっと計算してみることにした。
湖池屋のサイトによれば、熱量その他は以下の通り
エネルギー385kcal たんぱく質3.2g 脂質23.7g 炭水化物39.8g ナトリウム334mgかなり大ざっぱに計算してみたところ、このポテトチップス一袋を摂取すると、二酸化炭素は約140g排出される様子である。ポテトチップスは質量で2倍の二酸化炭素になるようだ。私が漠然と思ってたよりもだいぶ多かった。脂肪や炭水化物には酸素原子がそれほど多くないため、食べた以上の二酸化炭素が排出されるのである。
毎日一袋ずつ湖池屋「のり塩 70g」を食べ続けると、1年間365日で25550gとなる。つまり、25.550kgだ。ポテトチップスが全て二酸化炭素に変換された場合、質量でほぼ倍になる。つまり50kg超の二酸化炭素を排出することになるのだ。
二酸化炭素排出権としては50kgすなわち20分の1トン。ちょうど1ユーロってコトになる。150円弱というところか。
この「個人向け二酸化炭素排出権取引計画」、最初は職場の太り気味の先生と契約するコトを目論んだ。「私はポテトチップスを食いませんから、アナタと比べると二酸化炭素を排出する量が少ないのです。その権利をお譲りしましょうか?」って。
でも今回「ポテチ365袋分」の二酸化炭素排出権価格は、ポテチ1袋分の価格くらいしか無いことを知った。まあ、当たり前といえば当たり前である。
私の考えた事業、あまり商売になりそうもない。
してみると、現代社会の生活ってのは、相当にエネルギーを無駄遣いしているってコトになる。ヒトが生きていくために摂取するだけのエネルギーならば、大した量では無いわけですね、きっと。
昨日、異様に見事なまでにハードディスクが死亡した。
その直前、Windows2000はきちんと起動していた。ハードディスクが死にかける際の異音も無かった。何故かスキャンディスクができないという不具合には気づいていたのだけれど。
デスクトップ型のメインマシンが普通に起動したと思ってたので、メールを確認してみた。届いているSPAMを見ようとしたら、見るメール見るメール、みんな白紙だった。ヘッダを確認してみたが、ヘッダが表示されなかった。
「??? なんじゃ、こりゃ?」って思って、メールソフトを終了した。すると、ウィンドウ群の下からダイアログ。メールソフトからの見たこと無いエラーメッセージ。
再起動を試みたものの、Windows2000が起動しなくなっちゃった。
システムCDからブートしてみた。作ったことを忘れていた「システム修復ディスク」ってフロッピーを使用してみたものの、リカバリーはできなかった。修復セットアップなんてものも試みたがエラーメッセージで終了。まあ「修復セットアップ」ってヤツはパソコン内にゴミが残りそうだから、あんまりやる気もなかったのですけれどね。
結局のトコロ、Windows2000を再インストールするコトにしたのでした。一応6年前に購入したノートパソコンもあるので、シゴト(試験問題作成)は可能である。ただ、フルキーボードの方が圧倒的に使いやすいですわな。
昨晩、とりあえずWindows2000のインストールとチップセットのドライバなどはインストールできたのでした。
直感的にはNTFSのFATみたいなヤツ(変なコトバ)が何かの拍子にイカレてしまったんじゃないかと。機械的にハードディスクが死んでしまっているならば、買い出しに行かないとなぁ。まあ、容量あたりの価格はだいぶ下がっているみたいですから、買っても悪くはないのだ。ただ、今更 Ultra ATA を買うってのもねぇ...
で、ノートパソコンで思い出した話題を。
私は、ノートパソコンを使う場合、マウスを使ったりしない。ノートパソコンは机の上を広く使うために存在していると思っているから。タッチパッドの性能は上がっているし、マウスを使うヒトの気が知れない。また、ノートパソコン用テンキーとかを見たりすることがあるが、ノートパソコンだって NUMLOCK を掛ければ、テンキーが出現するはずである。私は大量の数値を入力する場合はそうしてる。
ノートパソコンの周辺機器で、若干使い道がありそうなのはスカイプってヤツだろうか。ただ、スカイプ端末?の本体価格は安くはないし、話す相手もいない。海外へ電話するのならば、ブラステルみたいな国際電話カードなんかの方が気楽でお安い。
何しろ、最近はパソコン関係で「欲しいなぁ」って思う機器が見あたらないのですね。有線レーザーマウスは若干気になるのだが、今のマウスも普通に使えるしねぇ。私は老化によって無駄金を使わなくなったってコトなのでしょう。良いことではあるのだろう。
ハードディスクの再フォーマットやWindows2000の再インストールをしていて気づいた。BOINC Manager が日本語化されていた。現時点でのおすすめバージョンは5.4.9だそうだ。
おかしいと思うのは、「いつの間にやら、英語版の方に慣れていた」ってコトである。新バージョンの方が高機能っぽいのだが、ルックスが変化したため、どうも取っつきづらい。
また、「Google デスクトップ」を改めてインストールした。今更なのだが「サイドバー」ってヤツが便利そうであることに気づいた。ニュースもRSSもちっちゃく表示されるし、かなりいい感じである。あんまり「Google教」に染まるのもよくない気がするが、既に私は「Microsoft教」や「Justsystem教」に入っていることだし、「まぁ、いいか」ってコトで。
では、パソコン君には「インデックス作成」に励んでもらいましょう。
本当は試験問題を作成しなければならないのに、ちょうどよい具合?にパソコンが死亡し、再インストール中。
私は結構再インストールが好きな方で、おそらく2年に1度以上はメインマシンのWindowsの再インストールを行っているハズ。パソコンは使っているうちに、ソフトをインストールするうちに、だんだん動作が重くなっていくものである。「再インストール」ってのは、「韓国式垢擦り」とか「体内環境正常化」とか「あなたの借金、まとめて返済します」とか「今こそ住宅ローンの借り換えです」みたいな、そんな「こざっぱりとするような、でも、単なる気分転換に過ぎないような」イベントみたいな気がする、みたいな。私は「再インストール」しか興味ないけれど。
で、この作業って結構時間がかかる。自分に本当に必要なソフトは何なのかって冷静に考えてみると、それほど多くないコトに気づいちゃったりするのですね。ってか、コツコツとインストール作業を継続しているのだが、数日前よりも「スタートメニュー」→「プログラム」で表示されるプログラム数が減ってる??
私は以前何をインストールしていたのだろう? 大して思い出せないのでした。
今日、東京はかなりいい天気である。風が強い。日差しも強い。『A Perfect Day for Washing』って感じである。
昨日は冬物のスーツその他をクリーニングに出した。ドライクリーニングは機械が行うものだろうから、天気は基本的に関係ないのかも知れない。しかし、職人気質の「ドライクリーナー」さんならば、「今日は空気が湿っているから、溶媒2号の比率を少し下げ、ドラムの回転速度を2%落とし…」とかなさったりするのかしら?分からねぇッス。
で、昨日スーツをクリーニング屋さんに持って行く前、例によってポケットチェックを行った。
以前のコトである。私が高校生だか大学生だったと思うのだが、ドライクリーニングから帰ってきた衣類(コートか何かだった気がする)の内ポケットに、パラソルチョコレートの棒が接着されていたことがあった。
パラソルチョコレートの棒(プラスチック製)がドライクリーニング屋さんで放り込まれたのではないはずだ。パラソルチョコレートの棒が内ポケットに入っていることに気づかず、私はそのままドライクリーニングに出してしまったのだろう。「石油系の溶媒を使っているからなのだろうねぇ。さすがドライクリーニング、プラスチックを溶かすのね」って、思った私でした。何でパラソルチョコレートの棒を上着の内ポケットに入れる必要があったのだろうか。今だに不明。
ってコトで、ドライクリーニングに衣類を出す際は、ポケットの中身をチェックすることを忘れないようにしている私である。で、昨日気づいたのだ。「スーツの上着って、そんなにポケットが必要なのか?」って。
スーツを着ていて、何が恐ろしいのかといえば、「酔っぱらっているのにスーツを着ていたとき」である。ポケットがありすぎて、大事なもの、たとえば「電車の切符」を収納した場所が分からなくなることがある。あるでしょ?
いっそのこと、スーツのポケットは皆ダミーにしてしまい、内ポケットの1つか2つだけを本当に作っておくと良いのじゃないかしら。そうすれば、酔っぱらって切符を無くしかけることも、パラソルチョコレートの棒を溶かしてしまうことも少なくなるハズ。作成の際の縫製箇所も減って、スーツの値段も下がるんじゃないかしら。
生物の授業で生徒に顕微鏡スケッチをやらせた。いや、スケッチして頂いた。
私自身も高校・大学と、顕微鏡でのスケッチを何度もやらせて頂いた。
大学時代「生物学実験」って授業があったのだが、水中の微生物のスケッチという実験(実験なのか?)があった。他には「物理学・化学・地学実験」もありました。理科のスケッチや美術のデッサンってのは、集中するとそれなりに面白いものではあるが、やる気を持たないとあまり面白いものでは無い。
私自身は、大学の授業についてはそれなりに真面目であったという自負がある。
大学時代、要領の良いヒトは先輩から譲り受けたレポートに貼ってある微生物のスケッチを見ながら、それをまたスケッチ(模写)していた。私は真面目に「万葉池」なる場所で生物の採集を行った。その池は水道水が湧き出ている、由緒正しき東京学芸大学内の名所(迷所)なのである。
顕微鏡で見えるような微生物は「ヘドロみたいな物体群」の近くに存在していることを、改めて認識した記憶がある。ワムシとかツリガネムシとかを初めて見て、その造形に感心した。静止画像よりも実物が動いているヤツの方が楽しいですね。特にツリガネムシの「口?の周りの毛」とか「バネみたいな脚みたいな部分」だとか。
話は変わり高校時代、「生物学実験」で印象に残っているデキゴトについて。
都立小石川高校1年次、生物と地学の授業があった。生物の実験のひとつに「植生の観察」という実験があったのだ。校庭の一角に実験のための区画(縦横1m)を設け、1年間に渡って植生の変化をチェックし、それを年度末にまとめるというヤツであった。
大体、その実験の設定自体に無理があるのだ。その都立高校の校庭は一応土なのだが、定時制も同居していた。そんなわけで「午後5時には部活を終えて校舎を出ろ」っていう「全日制高校」だったのだ。噂によるとその高校の組合系も強かったとか…。
で、校庭を使用する部活動は、サッカー・ラグビー・陸上・軟式野球・バレー…って感じで、とても人口密度が高い放課後の校庭だった。なお、私は合唱の「音楽研究会」に在籍していた。そして、音楽系の部活動として吹奏楽の「古典音楽研究会」、ジャズの「軽音楽研究会」、その他にもエレキバンド(表現古すぎ?)をやる「フォークソング研究会」もあったような…。どの部活動も名前と生業が一致しているとは思えない、今でも。合唱部での1年先輩だった指揮者のカタ、レベッカのコピーバンドにも所属していたなぁ。
で、ハナシは生物の授業へ戻る。真面目な高校1年生の私達、先生に言われるままに4月頃、校庭に植生調査の区画を設けるのだ。
しかし、その区画は運動部や体育の授業で踏まれまくってしまうのである。自分たちの設定した区画がどこに行っちゃったのか、ほんの数日で分からなくなったような記憶がある。
で、数ヶ月が経過する。
年度末も差し迫った頃、まじめな私は「作成していないレポート」の存在に気づく。そして、その時持てる植物学の知識を駆使し、校庭に見受けられる(見受けられた気がした)植物とその年間の流行廃りを後から予測した。
まあ、私は6年弱茨城で生活していたので、ある程度は植物の1年間の栄枯盛衰を知っているつもりであった。で、そのデータ(オオバコ・ペンペングサなどを頑張らせていたような気が…)を班員に分け与えたのである。そのデータを用い、班員は各々レポートを作成した(ハズ)。
それだけなら大したコト無い。
そして年度の終わりの終わり、私は驚愕した。
クラスのほとんどすべての班のデータが、私達の班のデータと非常に似ていたから。
私の想像する小石川高校校庭における植生の遷移と、現実の植生の遷移が一致したわけではない。私の捏造したデータが子引き孫引きされたらしく、G組における植生調査では、ミョーに似通っているデータが並んでいたのですね。
つまるところ、私は思いっきり「実験データを偽造」したのである。そしてそれは流通した。
多分『Nature』や『Science』などに提出する論文でのデータ捏造は問題なのだろう。
私はここにデータ捏造を告白する。まあ、それらのレポート群がどこか公的?な機関へ提出されたわけではなく、高校の授業で生物を担当してくれた八重樫先生の前を流れて、私(達)の手元に戻ってきただけだろうけれども。
この数日で、だいぶアジサイの蕾がほころんできた。
アジサイは「長日植物」であるらしく、日が長くなると花を咲かせにかかる植物であるようだ。
最近、雨が多かった東京である。そんな中で彼らは日々コツコツと、短くなっていく夜を確認していたのだろう。「そろそろ蕾をつくらなきゃねぇ...」ってコトで一念発起し、このアジサイ開花の季節がやってきたのだ。
日本で見られるアジサイって植物は、毎年花を咲かせる。しかし花を咲かせても、なかなか種子はできない(多分)。ネット上では「他家受粉をさせると種子ができやすい」みたいな記述も見られるが、実際のトコロはどうなのだろうか。アジサイ(ガクアジサイじゃ無いヤツ)の雄しべとか雌しべって見たこと無い。また、仮に種子ができたとしても、それが採取されて別の場所に播かれて子孫を残すってコトはほとんど無いのだろう。更に、私が見たアジサイの周囲はアスファルトだったので、種をばら播いたとしてもそれが根付く可能性はかなり低い。
日本在住のアジサイにとっては、花を付けようが付けなかろうが、子孫を残すことにはほとんど繋がらない。そんなワケで、彼らが花を咲かせるコトってのは、無駄な努力というか、報われない作業であるのだろう、生物学的には。
しかし、現在東京の町中などでも見られるアジサイってのは、ある意味「選ばれし存在」とも言える。
彼らの祖先は、美しい花を咲かせることによって、ヒトに見初められた。そして、挿し木等で増殖させてもらい、場合によっては交配させてもらえたのだろう。そして今の彼らがあるのだ。こういったアジサイみたいな生物は、ヒトの存在が無ければこれほど都会でハビコることは無かったのだろう。そういった意味では「一時的な生物学的勝者」であるとも言えよう。
アジサイで思い出されるのは、青森県は津軽半島先端の竜飛崎である。大学1年のトキ、徒歩旅行のサークルで訪れたのだ。
『津軽海峡冬景色』の2番の歌詞にある「♪ごらんあれが竜飛岬、北のはずれと~」と歌われる岬だ。確か8月に訪れたのだが、その岬の灯台近くでは季節はずれ?のアジサイが咲いていた。その近くでは、ヒマワリとコスモスも一緒に咲いていたのだった。
妙に豪華な、そして寂しげな風景の岬だと思った。風が妙に強かった。そして、私達は有名な階段国道を下って宿に向かった。
今は、竜飛岬には風力発電の風車も立っているみたいである。とんだ徒花(アダバナ)が咲いたものである。
ブルーバックス『新しい高校地学の教科書』をだいぶ前に読んだ。面白かった。
読み物として良くできているし、大学受験へ向けての参考書としても上質である。最新の知見も盛り込まれており、バランスの取れた内容である。大学受験で地学が必要な高校生は、まずこの本を読破することから始めるのが良いのでは無かろうか。
約20年前、私はコツコツと『チャート式地学』で独学を行った。この本がその当時にあったなら良かったのに。こんな本で勉強できる、今の高校生は幸せだ。
そして、この本を読むと「地学」という分野が発展途上であるということも分かる。地学という学問に興味が湧くような書籍に仕上がっている。なにしろ、ベタ褒めするのである。受験生じゃなくてもオススメである。
それに対して『新しい高校化学の教科書』、地学に比べると面白くない。まだ読破していないのだが。面白くないから読破できていないという面もある。真面目な私は「読み始めたからには読破しよう」って考えている。
全体的に「独りよがりの文章」が多いように感じた。8名の共同執筆らしいが、確かに文章がモザイク状になっているような気もする。『地学』の方はそんな印象は持たないまま、一気に読破した。まあ『化学』は最後まで読んでいないので、最終的な感想ではない。しかし何しろ、現時点では『地学』の勝ちである。
まあ、受験生はこの本を読むのが良いのかも知れないが、受験生以外には勧められない気がする。
元々、化学は「暗記と計算力」がどうしても必要になる「受験科目」である。「化学を勉強するのが好き」かつ「理科を受験科目にしなければならない」ならば化学を選択すべきである。また、理系ってヤツに進学を希望するならば、絶対に勉強しておかなければならない科目であろう。
しかし、化学は勉強するには難儀な科目であることも確かである。ま、私は好きですけれど。
身近なところで「シンドラーエレベーター」ってヤツを見たこと無い私である。日本でもそれなりのシェアを持っているらしいのであるが。
今回の事故が起こる前から、私は「エレベーターって安全なのか?」って思っていた。何となくだけど、エレベーターに出入りする際は、早足を心がけたりしていたのだった。だって、エレベーターの箱(ゴンドラ)が突然落ちたりした日には、床とエレベーターの天井でギロチンにかけられるのは目に見えていますから。今までのトコロ、私は幸いにして「エレベーターでのギロチン」に遭遇していない。
そんななか、港区の住宅で事故が起こったわけだが、私は今回認識を新たにした。それは「エレベーターの箱は、放っておくと上昇する」というコトである。
確かに、ワイヤー式のエレベーターでは、エレベーターの箱と逆向きに「おもり」が移動しているのを眼にする。職場のエレベーターは油圧式だそうであり、出入り口にガラス窓があるわけでもないので「おもり」は見えない。しかし、私が現在住んでいるトコロは「ワイヤー式のエレベーター」が備え付けてある。また、その扉は「ガラス窓付き(防犯対策?)」になっているので、エレベーターのゴンドラが上に移動する時には、滑車で接続されていると思われる「おもり」が下に向かって移動するのが見える。逆も同様。
これからはエレベーターの出入りの際、ゴンドラが突然上昇しないかどうか、気をつけながら早足でコトを済ませようと思う私なのであった。ただし、ゴンドラ乗車人数が少ない場合。定員一杯に乗客がある場合、やはり重くなっているゴンドラは下がるでしょうから。
エレベーターで怖いコトっていうと、「ゴンドラと床の隙間に物を落とす」ってヤツがある。まあ、これは電車の乗り降りでも同様であるが。
例えば、カバンそのものはそれなりに大きいから、ゴンドラと床の隙間あるいは電車とホームの隙間にはあまり落ちないだろう。また、カバンの内容物が突然勝手に飛び出すことは無さそうだ。それに対して、ズボンなどのポケットに突っ込まれている物は、何かの拍子に落ちることがありそうだ。そして、ポケットに突っ込んでいる物っていうと、ケータイとか財布とか家の鍵とかだ。こいつらはどれも重要である。
これまた幸いにして、私はエレベーターや電車の乗り降りの際、これらの重要物を落としてしまったコトは無い。これからも落とさないように心がけるつもりだ。何しろ、エレベーターについては、隙間に落とした物を拾ってもらうことの手間は計り知れない気がする。
落とし物といえば、どこかの地下鉄の駅で「エスカレーターのピットに定期券を落とさないでください」って張り紙を見たことがある。確かに、定期券みたいに薄っぺらい物ならば、エスカレーターの隙間からその下の空間(ピット)に落ちるコトも十分あり得る。その1枚の定期券を拾うために、確実に万単位のカネ(人件費や作業費用)が必要になりそうな気がする。駅職員としては「やたらに物を落とすなよ」って考えてのポスター掲示なのだろうが、定期券を落としたくて落とすヒトは居ないだろうから、張り紙に効果があるかどうかは甚だ疑問である。
なお、私が本当に怖いと思うのは遊園地である。
ジェットコースターはレールと車輪が見えているからまだ信頼できそうである。特に怖いと思うのは、単純に空を旋回するようなタイプの乗り物である。自分が乗っているゴンドラと駆動部を接合するワイヤーなりジョイントが突然破断してしまったら、ゴンドラに乗ってるヒトは落ちる。ちょっと理科チックに表現すると、重力加速度を受けながら地面へ向けて落下するってこった。また、円運動を行っている途中に放り出されたらば、まっすぐに地面に落ちる以上のダメージを食らうに違いない。そのことに気付いてしまったのは中学生の頃だっただろうか。中途半端に物理学を勉強し、世の中に怖い物が増えてしまったのであった。あれ以来、どうも遊園地の古めかしい乗り物には不安感を覚えてしまうようになった。
更に余談?だが、大人になり怖く思ったのが「自分の頭の巨大化による怪我の恐れ」である。
中学生のトキ、ディズニーランドはスペースマウンテンに乗った際には気付かなかったが、数年前に久しぶりに同じ乗り物に乗って知ったコトがある。暗闇を小さな回転半径でくるくる回り続ける「あの乗り物」は、ヒトの首に多大な負荷を要求するという事実だ。
中学生の私の写真と現在の私を比べると、確実に頭の大きさが異なっている。当然大きくなっているのだ。そして、スペースマウンテン上の中学生の私の頭と、スペースマウンテン上の現在の私の頭は、変わらず同じスピードで運動したはずではある。
そして、問題が生じる。物理学の基本法則にあるように、異なる質量の物体に同じ加速度を生じさせたい場合、加えるべき力は質量に比例させなければならない。そして、加速度運動を強いられるスペースマウンテン上の私の頸部は、昔よりも大きな力を発揮して私の頭部を支えなければならなくなった。
まあ、簡単に言うと「大人になって乗ったスペースマウンテンでは、首がモゲるかと思った」ってコトだ。あれには驚きましたわ。
「ボタンの掛け違え」って云う表現、結構耳に、眼にする。政治屋までもが使っている。
私は、この表現を生み出したのは「CHAGE and ASKA」の飛鳥涼氏だと観察している。
もちろん、衣類にボタンという仕組みが加わった時から、物理的な「ボタンの掛け違え」は起こっていたことだろう。また、辞書を見てみると「(ボタン等の)掛け違え」という語句もきちんと載っている。
ただ、「初期の意志の疎通がうまくいかず、その食い違いを残したままに状況が進展してしまうこと」を表す表現として「ボタンを掛け違える」という比喩を生んだのは、飛鳥涼氏であると思うのだ。そして、そのコトバが入っている歌の題名は『僕はこの瞳(め)で嘘をつく』である。私の記憶では、この歌以前に「ボタンを掛け違える」っていう風な表現を見た、聞いた気がしないのだな。
歌詞の一部を引用してみる。
心のリズムは散らばるようなタンブリン
話の何処かできっと 掛け違えたボタンがある
君が僕を見つめているだから君の顔 見つめたよ
だから君の顔 見つめたよどんなに君の瞳が僕を疑っても
僕はこの瞳で嘘をつく
この歌は1991年に発売されたアルバム『TREE』の1曲目に収録されているのである。
このアルバムは劇的に売れた作品らしく、私も持っている。2曲目の『SAY YES』を知らないヒトは居ないだろう。
『SAY YES』は場面設定が具体的だから、分かりやすい歌である。『僕はこの瞳で嘘をつく』は、恋の始まりの歌である気がするが、ちょっと浮気とか不倫みたいな雰囲気もある歌詞だ。アルバムに収録されている他の曲も、恋愛にまつわる何らかの情景を描いたモノが多い気がする。
そんな中、私が好きな歌は3曲目の『クルミを割れた日』と11曲目の『BIG TREE』である。この2曲は特に比喩が多用されているようで、様々な解釈が成り立つ気がする。特に『クルミを割れた日』は基本的に飛鳥涼というヒトの個人的な体験に基づく歌なのだろうが、そこには普遍的な何か(宗教的体験?)が語られている気がするのだ。まあ、歌詞が難解だから、その上に私の下らない解釈を垂れたところで無意味だろうからこれ以上は記さない。とりあえず印象的な曲である。
話は戻る。
「ニホンゴを作りかえた、つまり確実に歴史を塗り替えた」飛鳥涼は凄いなぁ、って尊敬しちゃう私なのだった。数年間、ずーっとそう思っている私なのだが、勘違いなのでしょうか? もっと前から「ボタンの掛け違え」って比喩は使われていたのでしょうか? ずいぶん調べてきた、そして今日も調べてみたのですが、分かりませんでした。
本日、職場では中学校で「授業参観」が実施された。
本年度も昨年度までと同様、年に1日しか開かれないハズだ。そして、そのうちの午後の1時間だけ公開される。
今までは、時間割の関係で「参観」していただく機会がなかった。しかし、とうとう中学生の保護者の方々に、私の授業を見て頂く機会がやってきてしまったのだった。
やはり、それなりに緊張したのだった。生徒も普段よりは真面目であった気がする。
今日の授業披露では、別に「手に汗握る」とまでは行かなかった。私も成長したものである。
ただ、今日の放課後は妙に腹が減った気がした。普段の授業よりも余計に頭を回転させることにより、体内のブドウ糖が消費されたのだろうか? 昼食のカロリー量なども普段と大差無いハズなのだ。
逆に言うならば「普段から、腹が減りまくるほど、真面目に頭を回転させて授業をせよ」ってコトになるのだろうか。
なあんて、思った本日でありました。
なお、授業は太陽系の惑星などについて学習したのだが、数年来この範囲は盛り上がるのだ。何故なら、セーラームーンという人々(?)の活躍により、惑星の英語名が中学生女子には浸透しているからである。私が小さい頃はセーラームーンという人々は存在しなかった。その頃は天文オタクでない限り、マーキュリーだのヴィーナスだのといった惑星の名称は知らない輩がほとんどだったハズ。
ただ、今の中学生はベルクカッツェとかいうコトバを発することは無いだろうから、ドイツ語の習熟には若干の問題がある、…コトも無いな。
職場で私が主に使用しているプリンタはNEC製である。
このNECのプリンタは MultiWriter 2650 という製品である。そのトナーユニットは PR-L2650-12 あるいは PR-L2650-11 という品番である。現在、私の職場では決して安くはない「NECの純正トナー」を購入・使用している。
このプリンタが売り出された20世紀の終わり、純正トナーは必ず新品であった記憶がある。トナー本体?である「粉そのもの」が新品であることは当然だろうが、プラスチックのケースとか、感光ドラムなんかも新品であった気がする。
そして、私の記憶が正しければ、数年前からケースなどがリユースされている様子だ。20世紀のNECは「とりあえずプラスチック系の容器は回収しないと世間がうるさいから、使い道は整っていないものの回収しておこう」って考え、行動してハズだ。そして、回収された容器は再び容器として使用されていなかった。なお、職場の情報処理部長のセンセに尋ねてみたら、「最初からトナー容器回収しているし、最初からリユースしていると思う」とのコトだった。
まあ、エコロジー的観点だけから言うならば、容器をリユースするのは素晴らしいことである。しかし、この「NECによるプラスチック容器のリユース」が行われるようになってから、明らかに印刷品質が低下したのだ。
やはり20世紀の頃、数ヶ月ほどNEC以外のカイシャが販売していた「リサイクルトナー」を使用した時期があった。こいつは確実に品質が悪かった。それに比べれば、現在のNECが売っている「純正(容器リユース)トナー」の方が品質は良いだろう。ただし、以前NECが売っていた「完全新品でワンススルーの純正トナー」の方が、品質のバラツキが無かった。非常に当たり前のハナシであるが。
また、NECがトナーの容器をリサイクルするようになって、そのトナーの価格が上がったのか下がったのかも前述の先生に確認してみた。「価格は変わっていないだろう」とのコトであった。私もそう認識している。
どのような製品であれ、そいつをリサイクルするようになったならば、価格は上がるか下がるかしても良さそうなモノである。この「トナー価格が変わっていない」という現象は何故なのだろう? NECの企業努力なのか、利潤の追求なのか。あるいは、石油価格や原材料費の変動なのか、為替の影響なのか。分からない。当たり前だけれど。
NECのトナーの品質について、少なくとも複数回 Google と Yahoo! で調べてみた。また、テクノラティでもちょっと調べてみた。しかし、私の記憶にある「以前NECのトナー(容器)はワンススルーだった」というコトは発見できなかった。
この文章が何かを生み出す可能性は、今までと同じく低そうであるが、私の中ではかなり「謎なデキゴト」なので、今回披露してみました。Google でも Yahoo! でも引っかからないってコト自体も謎なのですねぇ。
最近、電車内や新聞の広告で気になるものがある。
それは、自衛隊への入隊を誘う広告だ。
ってのは嘘だ。
「パソコンやケータイで、○×△□で検索!」みたいなヤツである。それは、マンションだったり、学校だったり、電気製品だったり。
航空自衛隊バグダッド周辺勤務パイロット募集も見たような、見ないような。
しつこい。
数年前までのように、妙に長大な url を新聞に載せられるよりは、短い語句を検索にかける方が楽である。また、電車内の広告ならば、暇な乗客にケータイで検索してもらえるかも知れない。そういった広告の例をなかなか思い出せなかったのだが、1つ思い出したので先ほどググってみた。確かに Google の検索結果1件目に、その大学(近年、やたらと大がかりにJRの車両外装などに広告を出している)が表示されたのだった。
あれは、どう考えても Google 様や Yahoo! 様への年貢が必要になるのではあるまいか? あるいは、噂に聞く「宗教ネットワーク」を使用しているのかも知れない。忍び込ませてある信者の工作員に指令を出し、Google や Yahoo! のランキングを操作したり、検索結果からライバルを排除しているのかも。
で、疑問が生じるのだ。マスコミを用いた広告ほど、対費用効果の計測しにくいモノは無いのでは無かろうか。更に、「マスコミ+パソコン起動で検索させる広告」ってのは、どの程度有効なのだろう? 私のように酔狂なニンゲンじゃないと、こういった作業って行わないんじゃないかな? そして、私は受験生では無かったりするし。
何しろ、マンションはさておき、電気製品や学校などは商品やサービスをひたすら向上させるのが、最も効果のある広告となるだろう。
私は、前述の大学の広告を目にする度に「宣伝頑張ってるなぁ。本業の授業内容や、卒業生の質の確保は大丈夫なのかなぁ」って思っちゃうのでしたとさ。
本日の退勤間際、残ったセンセ達と「試験問題作んなきゃねぇ…」とか「ワールドカップ、どこが優勝するだろうねぇ」とか「サッカーは野球と違ってつまらないわ。だって、どこが勝ってもバーゲンが無いんだもの」などと雑談していたトコロ、とある先輩のセンセが宣う。
「今日、俺失敗しちゃったわ。授業中、生徒が"先生、何歳ですか?"って聞いてきたので、まじめに答えちゃったよ。そうしたら"先生、若いんだー"っていわれちゃってさ…」
私も時々生徒に年齢を尋ねられる。基本的に正確な値にて回答を行うが、時間に余裕がある場合は「何歳に見える?」って逆に質問したこともある。
で、本年度、私は現在35歳なのであるが、今年もそれを真面目に答えてる。つい数日前にも質問があり、それに答えた。それに対して帰ってきた反応は「先生、若ーい」であった。
この数年間、上記の反応は細々と、しかし必ず存在している。
この反応を聞き、「それはどういう意味ですか?」って尋ねようかと思うこともあった。しかし、授業中に教員が「自分ネタ」で引っ張るのも大人気ない(?)気がするので、尋ねたことは無い。
尋ねたかったのは以下の質問。
「若いというのは、"実際の年齢に比較すると若く見える"ということ? それとも、"想像していた年齢よりも若かった、すなわち老けて見える"ということ?」
今までは「先生、若ーい」って言われたときは、「年齢に比較して若く見える」ってコトなのだろうと解釈していた。今日、先輩の話を聞き、今までの自分の解釈に自信を持った。
これが私の勘違いだったとしても、「自分は若く見えるんだ」って思っているほうが、精神衛生上は良いだろう。
これは日記なので、「自分ネタ」をいくら引っ張っても、誰にも文句は言われない。有り難いことである。
しかし、こんなコト書くってことは、自分が老いつつあるということを自覚しているという証でもあろう。
表題の扶桑社の歴史教科書を読んでみた。
初版の『新しい歴史教科書』を読んでみたかったが、結局入手できなかった私である。
今回、扶桑社から職場に送られてきた『改訂版』見本があったので、一通り読んでみた。
この教科書は、良くできていると思った。
世間(「世間」とは何かという問題もあるが)で喧伝されているほどに「右翼」的な教科書とは思えない。なお、私は「プチ左翼」のつもりである。「真性左翼」からすれば、とんでもない記述があるのかも知れない。その気になって重箱の隅をつつけば、幾らでもつつく場所はあるのかも知れない。
私は約1年前、以下の本を図書館から借りて読んだ。
『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究―中国における「情報戦」の手口と戦略
簡単に言うと「南京大虐殺で30万人殺されたというのは真実からほど遠い」というコトを述べている本である。「目から鱗が落ちる」という思いを抱いた。面白い内容だった。
私は取り立てて戦争を美化するつもりはないし、殺し合いや殺人のための武器は世の中から無くなるべきだと思う。しかし、過去というものは変えられないし、人殺しは何だか続いている。
歴史にしろ、自然科学にしろ、真実に近づくためには、事実について自ら調査するしかないのだろう。
そして、私は調査として『 [改訂版] 新しい歴史教科書 』を読んだわけだ。繰り返しになるが、思ったのは「噂ほど悪い本じゃないんじゃない?」ってコトだ。この教科書は、主張がはっきりしていてよろしい。まあ、他の教科書会社の教科書を読んでいないから、比較できないのですけど。
もし今度、「つくる会」の教科書採択に反対する杉並親の会に署名を求められたとしても、私は署名をしませんね。
なお、様々な学校で使用する教科書が変わったところで、それを教える社会科の先生は基本的に変わらないワケだ。そして、校長センセイ様がすべての教員の授業を検閲できるわけでも無いだろう。だから、全体としては大きな問題にならないだろうとも思うのだ。また生徒に一番近い存在である「人間としてのヒラ教員」は、そういった緩衝作用を持っているべきだとも思う。
これからは、教員自身の歴史観や世界観が、より明確に問われる時代になるというコトなのじゃないかしら。自ら考える教員が必要とされていくのでしょう。
最近「インターネット網」を表す記号として、上のヤツを見る機会が多い気がする。
誰が使い出したのか、ちょこっと調べてみた。Google を使ってみたのだが、このアイコン自体の画像が簡単には見つからなかった。
数年前まで「Webそのもの」を画像で表す場合、デスクトップパソコンが線で繋がっていた図が多用されていた気がする。パソコンとケーブル?の配置が雲の巣状、つまり Web 状になっていた。その類の図は今でも見る。また、地球儀に「電子軌道っぽい輪っか」が1つ、あるいは複数引っかかっている図も見る。
それらに比較すると、圧倒的に上のアイコンは簡単だ。
しかし、この「インターネット網」を表すアイコンが全世界的に普及している場合、日本の交通事故が劇的に増える危険性がある。
私には見える、数年後の日本が。
単なる古式ゆかしい「駐停車禁止の標識」。そこの周囲に、妙に人だかりがある。彼らは無線電波局を探しているのだ。人だかりを構成しているのは、日本に不慣れな外人さんだったり、親に内緒でエロサイトに接続しようとしている16歳未満の日本の若人だったり。彼らはしきりに標識の周囲を探索している。インターネットに接続しようと右往左往しているのだ。そして、視野狭窄に陥った彼らは、近くを通った車にはねられてしまう...
幸いなのは、駐停車禁止の標識は真円であることだ。大概の場合、上のアイコンは楕円である。
後は、国土地理院の地図を見た輩が警察署に向かってしまうコトだろうか。この現象については、大した危険性も無かろう。
ウーロンハイという飲み物がある。通常、飲み屋でそいつを頼むと、焼酎のウーロン割りが出てくる。「ウーロン」は当然「烏龍茶」である。「ハイ」とは何か。
「ハイボール」の略であるコト、大学生の頃から知っている、酔っぱらいの私である。
ハイボールは"highball"と綴るそうだ。今日知った。この飲み物は、最近は"Scotch and soda"あるいは"Bourbon and soda"と呼ばれる場合が多い。何しろ、ウイスキーのソーダ割りのコトである。一応カクテルの一種と云うことになるらしい。混ぜものの酒だからね。
私はスコッチのソーダ割りが好きだ。ストレートやロックでも良いのだけれど、ソーダ割りの方が「間が持つ」感じがある。泡も見ていて綺麗だし。
で、「ウーロンハイ」ってのは、何だかおかしいことにお気づきか? 語源?から察するに 「烏龍ハイボール」ならば、ウーロン茶をソーダ水で割らねばならないハズなのだ。本当は「ウーロン酎」と書くべきだと、昔っから思っていました。そう、大学生の時から。
この話はネット上のあちこちに書いてありました。やはり、同じコトを考える酔っぱらいは多い。なお、「酎ハイ」は「焼酎ハイボール」なのだろう。だから、これは正しい用法と言える。「酎ハイ」というと、一般的な飲み屋では焼酎のソーダ割りに「薄ーいレモン」が添えてある。この場合、レモンは薄いのが正しい。レモンが大きい場合は「レモンサワー」という別の飲み物になるから。でも"sour"という名前のくせに、酸っぱくないヤツもあったりする。日本の正しい居酒屋は難解な場所である。
実は、真面目な飲み屋(?)だと、「ウーロン酎」って品書きが貼ってあるコトもある。私はそういう店を以前見た。その店には「ウーロンサワー」もあり、ウーロン茶と焼酎とソーダ水で作ってあった。真面目な店だと思った。
で、今日辞書で調べて驚いた。以下は Microsoft Bookshelf Version 3.0 からの引用。
1. BEVERAGES liquor with water or carbonated drink: a drink consisting of liquor mixed with ice and water or a carbonated drink, usually served in a tall glassこの20年弱、私は「蒸留酒(特にウイスキー)のソーダ割り」が"highball"なのだと思いこんでいた。しかし、この辞書によれば「水割り」も"highball"なわけである。この記述はマイクロソフトの電子辞書だけではなく、複数の辞書で見られた。職場の巨大な辞書をいくつか調べてみたのだ。まあ「ソーダ割り=ハイボール」という辞書の方が多かったが、「ソーダ割りあるいは水割り=ハイボール」って書いてある辞書もあったわけだ。
この話はネット上では見つからなかった。だからこそ日記として記そうという気になったわけだ。また、ある辞書には「トニックウォーターで割るのもハイボールだ」って書いてあった。結構ハイボール界も奥が深い様子である。
で、水割りも「ハイボール」ならば、「ウーロン茶の水割り」も「ウーロンハイ」と言えるのかも知れないと考えた。しかし、厳密に言うとウーロン茶は"liquor"では無いから、ハイボールでは無いのカモ。
「ウーロン茶リキュール」の水割りならば「ウーロンハイ」と言っても良さそうだが、そんな酒は不味そうである。あんまり飲みたくない。
昨晩、日暮里駅前の飲み屋さんで配偶者と食事をしてた。
彼女がトイレに行っている間、ボーっとしていたら、隣席の男女の会話が耳に入ってきた。
それ以前から、私は隣席のオッサンと女性の年齢差が気になっていたのだ。夫婦では無いようだし、デートという雰囲気でもない。職場の同僚か何かにも見えるが、それだけでも無いような…。まあ、私と配偶者も生まれた年が10年違う。向こうも同じように「不思議な二人連れだなぁ…」って思っていたかも知れない。
オッサン曰く「ハムスターはタマネギを食べると赤血球が壊れちゃうから、ハムスターにタマネギを食べさせちゃダメなんだよ」
「マジすか?」って思った私である。「何で薄暗い飲み屋のテーブル席でハムスターの話をしているのだ?」とも思ったケド。
なにしろ「これは是非調査しなければ」と思い、ケータイのメモ機能を用いて記録したノダ。「ハムスター タマネギ?」って。
本日ググってみた。確かにタマネギを食わせすぎるとハムスターの赤血球は壊れてしまうことがあるらしい。
http://www.vets.ne.jp/log/search/data/0000/199803/47.html
上の文章読んで思い出したのだが、「犬にタマネギを食わせてはいけない」って話も、どこかで聞いたことがありましたわ。犬に自家製のハンバーグを食わせたらば体調がおかしくなったとか何とか。
確かに体が小さいハムスターなんかだと、タマネギひとかけらが命取りになることもありそうだ。うえのリンク先に書いてある「ヒトでタマネギ中毒が起こるかどうかを実験するために、大きなタマネギを6個食べた」ってのはスゴイですねぇ。
まあ、私も以前から、生タマネギとかニンニクの類を一度に大量に摂取すると、体調が悪くなる感覚は持っていました。
パラッパラッパーのタマネギ先生の赤血球は大丈夫なのかなぁ? 自分の体内の硫化物で具合が悪くなったりしないのだろうか?
7月30日から上海に滞在している。
上海は劇的に都会である。面積もそれなりに広いが、上海市には楽に1000万を超えるヒトが住んでいるらしい。しかも、1000万というのは「公称」であり、実際はもっと多いとのコト。私は今回改めて知ったのだが、上海市は省というものに属さない存在らしい。
で、やたらとヒトが多い上海市内なので、マンションも超高層化している。
私が滞在しているのは、マンションの25階なのである。
このマンションは35階まで部屋があるのだが、階数が飛び飛びになっている。4,13,14,24,34階が無いのである。なので、「35階建て」といっても実質30階建てであり、「25階」といっても実際には21階なのだ。しかしまあ、上海の建物は高層であることには間違いなく、日本に比較するとやたらと細っこいビルだらけなのである。地震がないから許されるらしい。まあ、それは上海などの話であって、雲南などの方は地震が多発しているから事情は違うハズです。
また、上海のすべての高層建築物の階数が飛び飛びになっているワケでは無いです。というか、このマンションが変わっているみたいです。
8月6・7日と、杭州へ連れて行ってもらった。
杭州は上海の南西およそ200km に位置している、浙江省に存在する古都である。西湖を中心に発展した町であり、今でも市街地の真横にそれは横たわっていた。
大都会の横に周囲20km弱の湖があり、その向こうには山が見える。湖の周囲は観光用の車が走り回り、湖には遊覧船がプカプカと浮いている。なんだか不思議な町であった。
高層ビルが乱立する大都会と、結構大きな湖が同居している観光地なんて、日本では思いつかない。
水道水も上海より臭わない、滞在していて快適な場所であった。
杭州では、霊隠寺に参詣し、超有名レストラン(であるらしい)楼外楼で東坡肉(トンポーロー)やジュンサイのスープなどを頂き、遊覧船で西湖上の名所を巡ったりした。
中国に来る度、日本と違うなぁと感じることの一つに「古刹等の電飾」がある。
日本ではここ数年、古寺や神社等がライトアップされていることが多くなった気がする。私が小さい頃、お寺のライトアップなどは少なかったように記憶しているのだが、それは時代の流れというヤツなのだろう。
私が中国に初めて来たのは3年前のことであるので、それ以前の中国の電飾については知らない。私が見る限り、中国では結構な割合で、お寺などの屋根の稜線や縁に「電球入りチューブ」がネロネロと這っている。
日本のライトアップは、あくまで「外から照らしますよ~」というタイプである。投光器やらスポットライトやらを建物(歴史的建造物)の周囲に配置し、周囲の風景から建造物を浮かび上がらせるように仕向けられている。
中国のライトアップはもっと豪快である。オレンジ色の電球や赤色の電球が入っているチューブ(クリスマスの時に使われる電飾をもっと丈夫にし、点滅機構を排除したもの)を、屋根の上とか、屋根の縁とか、建物の輪郭線などに合わせて配置してあるのだ。遠くからその塔なり伽藍なりの建築物の形が確認できて有り難いような気もするが、建物に申し訳ないような気もする。
もし、チューブの電灯が点滅していたら、日本の歌舞伎町か何かみたいになってしまうだろう。今後もそれは避けていただきたいと勝手に思っている。
今気づいたが、上海の外灘の建物群は、既に昔からスポットライト風の電灯でライトアップされている。ただ、外灘の建物の電飾では、電飾が建物の外壁に据え付けられているので、「中国日本折衷式」あるいは「東京タワー方式」とも言えるのだろう。
今後は、中国の観光地などでも、徐々に日本方式のライトアップが増えていくのかも知れない気もするし、現在の方式のままで21世紀を突き進むような気もする。どちらの見栄えが良いとも悪いとも言えないが、何しろ今後の「中国ライトアップ事情」の展開を見守ろうと思う私なのだった。
ずーっと前から「おかしいなぁ」って思っているコトを。
電子天秤(てんびん)というものがある。
私の職場にあるのは、島津製作所の製品である。
「電子」は厳密に言うと「エレクトロン」のことであるが、この場合の電子は「電気で動く」という意味なのだろう。
で、電気的な部分が存在しない天秤と言えば、昔懐かしい「上皿天秤」である。
「天秤」とは何か。
ドクターマウス、ってかその中に収録されている『岩波 国語辞典 第六版』によれば、
てんびん【天秤】ってコトなので、「上皿天秤」は間違いなく天秤である。
1 秤(はかり)の一種。中央を支えた梃子(てこ)の両端に皿をつるし、一方に測る物を、他方に分銅(ふんどう)を載せ、梃子が水平になるかどうかを見て重さを決める。「―にかける」(二つのうちからどちらかを選ばなければならない時、優劣・損得を比べてみる)
2 「天秤棒」の略。
ぼう【―棒】両端に荷物をかけ、肩にになうための棒。
それに対して「電子天秤」。これはどう見ても天秤ではない。天秤棒が無いではないか! しかし、理科(?)の世界では「天秤」というと「質量を計測する機器」という意味になってしまうようなのだ。
って、ここまで書いてみて、よくよく調べてみた。
天秤は英語で"balance"であると。そういえばそうだった気がする。
で、MicrosoftBookshelf でそいつを調べると、以下のようになる。厳密には、使用している辞書は"New College English-Japanese Dictionary, 6th edition (C) Kenkyusha Ltd."ってコトらしい。"balance"の1つめの意味として「はかり」が書いてあったッス。
balance 【名】
Ⅰ
1 【C】 天秤(てんびん), はかり (解説 はかりさお (beam) の両端に皿 (scale) をつるし, 一方に分銅 (weight), 一方に物体をのせて中央を支点にして重さを測る計器だが, 現在では広く「はかり」の意で用いられる)
a pair of balances 天秤一台.
ってコトは、「天秤」における「名前と姿のアンバランス(不一致)」ってのは、もともとは英語から来ているのでしょう。「はかり」は「バランス」であり、「てんびん」でもあるわけですねぇ。
なお、「不一致」の英訳は、"New College Japanese-English Dictionary, 4th edition (C) Kenkyusha Ltd."によれば、
ふいっち【不一致】ってコトになるそうです。
《形式》 disagreement; 《形式》 inconsistency (矛盾)
昨日は相当に悩んだ。
何に悩んだのかというと、「ガンプラを買うか否か」ってコトである。
「ガンプラ」は「機動戦士ガンダムのプラモデル」のコトである。一応念のため書いてみた。
私は RSSリーダー として Infoseek RSSリーダー を使用させて頂いている。職場でも、自宅でもブログ等をチェックできて都合がよいのだ。
世の中では、未だに RSSリーダー を使用していない方がいらっしゃるようだ。気になるブログの更新をチェックするため、場合によっては毎日ブログをチェックしているとか…。 私が通っているブログで、そういうコメント(書き込み)を見たことがありまする。
偉そうに言う私も、この「RSSリーダー」って言葉は昨年から知ってはいたものの、使い始めたのは今年の3月くらいからだったりする。
「更新が稀だが気に入っているブログ」がある方は、騙されたと思って上記の RSSリーダー を使用してみることをお勧めする。マジで楽ですから。
で、本題に戻ると、何で今更「ガンプラ」に興味を持ったのかというと、「ガンプラ BLOG (ブログ)」が Infoseek のお勧めとして存在していたからである。
何で私は昨日、そんなに「ガンプラ」を見る機会があったのか。
それは、配偶者が最近「編み物」にハマッているからなのだ。「編み物」材料の買い出しとして、吉祥寺のユザワヤまで出かけたのだ。彼女は実に熱心に毛糸と教本の物色を始めた。
私も手芸の類はそれなりに好きなのだが、毛糸売り場にずっと立っているのも飽きてきたので、玩具売り場に遊びに行ったのだ。そして、大量のガンプラに遭遇してしまった。
1000円前後のキットを買うべきか、買わないでおくかで数十分悩んだのだった。
結局今回は買いませんでした。もう少し上記ブログで工具等を研究してから、改めてガンプラの買い出しに行こうと思うのです。
私が小学生の頃、ガンプラってのはなかなか買えませんでしたねぇ。今は良い世の中になったものです(涙)。
世の中には嬉しいことや、腹立たしいことや、悲しいことや、面白いことがある。
ニュースなんかを見てると、色々腹立たしいことが多かったりするが、テレビの前で一人憤ってみても、特に何かが解決するわけでもない、当然のことだが。
というコトで、めちゃくちゃ身辺の話題を。
私は、ここのところ常々疑問に感じていることがある。
それは「電車の乗り降り、特に降りるトキ、やたらとヒトの背中を押してくる輩がいる」という現実だ。
少なくとも1週間に1回以上は遭遇しているだろう。今朝も新宿で山手線を降りる際、20代後半と思しき、全然麗しくないネーちゃんが、私の背中を押してきた。
彼女は、何だか急いでいるらしく、早足気味にホームを歩き、地下へ向かう階段の方へ移動していった。彼女のルックスが麗しくないことが分かったのは、ホームで私を追い抜いていったからだ。
混んでいる電車に乗り込むときに、押し合いへし合いになるのは仕方ない。通勤ラッシュは日本の名物である。しかし、私が電車に乗る時刻は、押し合いへし合いにはならない時刻だし、電車を降りる際にも普通に順序よく出口へ向かえばコトは済む状態だ。
オバサンに背中を押されることがある。オッサンもあるなぁ。しかし、私と同じかそれ以下の年齢の男性に背中を押されるコトは無かったような気がする。なお、傍若無人な私立・国立小学校のガキどもは別扱いとする。
空いている電車を降りるとき、何でヒトの背中を押す人がいるのだろう。押したところで、何かが解決するわけでもないのに。更にタチが悪いのは、ヒトを押しつつホームに降り立ったのに、歩くのがトロいオバハンだ。速く歩かないんだったら、ヒトを押してまでして急いで下車する必要ないじゃん。
まあ、もしかすると、トキには身内に出産間近の妊婦や危篤の老人を持つ人に遭遇しているのかも知れない。また、今朝の彼女は愛育病院への特別な出勤の途中だったのかも知れない。が、だいたいの場合、背中を押してくるネーちゃん・オバハン・オッサンは単なる出勤だったり、外出だったりするようである。
ヒトの背中を押したくなるほど急いでいるのだったら、もっと早く家を出てゆっくり交通機関を利用すれば良いのにと思う。そう伝えてあげたくなる。
しかし、ホーム上でそんな説教を展開するヒトは尋常ではないし、私は尋常なヒトであろうとしている。
で、結局のところ、このわけの分からない愚痴めいた文章を記して溜飲を下げたような気持ちになるのだった。
最近、職場では龍井茶(ろんじんちゃ)を飲んでいる。
「ろんじんちゃ」を最初に意識して飲んだのは、自宅に放置してあった「五級品」であった。画像の茶と同じブランド、杭州獅峰茶叶有限公司の品である。
日本の茶は濾し器付き急須などで茶碗に注ぎ、そいつを頂く場合が多い。
中国では、容器に「お茶っ葉」を入れ、そこに水なり湯なりを注ぎ、放置した後にそのまま飲む場合が多い。私も中国式に、器に葉っぱを入れたらば、そこに湯を注いで飲んでいる。浮いている葉は、数分も経てばあらかた沈んでいく。それでも浮いている葉っぱに対しては、息を吹きかけるのである。口元から遠ざけ、飲み込まないように。
中国でタクシーに乗ると、ドライバーの座席の後ろには、ガラス容器やPETボトルを見ることが多い。そこには茶葉と水が入っているのである。
日本の茶はすぐに「出涸らし」になってしまうが、中国の茶は「粘り腰」である(らしい)。何度か湯を注ぎ足しても、それなりに味と香りが出てくる。
今飲んでいるのは「貳(2)級品」である。最初に飲んだ時は「さすがに五級とは違うわ!」って思った。特に香りが違う。しかし、最近は2級の味と香りにも慣れてしまった。
幸せを幸せと感じられなくなるのは悲しいことであるが、それがヒトの正常な感覚、つまりは「慣れ」というものなのだろう。
なお、龍井茶でググってみたら、私がお気に入りのブログ「極東ブログ」が、かなり先頭の方に現れた。
私の記憶が正しければ、finalvent さんが「アルファブロガー」に選出される前から、このブログの存在は知っていたのである。色々なことをググっていると、時々「極東ブログ」って文字列に遭遇する。私よりもお年を召した方のようであるが、かなり守備範囲の広い方であると思う。
で、今回「アルファブロガー」を紹介するページを改めて見てみた。面白い文章を書く方は、世の中にたくさん居るのだなぁって思った。
今朝の通勤途上、JAGUAR(クルマです)を見た。
最近のジャガーは扁平タイヤを履いている場合が多い。昔のジャガーはサイドウォールが高く、そいつが印象的だった気がするのだが、最近のジャガーは普通?の扁平タイヤを履いていることが多いので、迫力に欠けているような気がするのだった。ま、刷り込みですけどね。
また、扁平タイヤというと、トヨタのハリアー(現レクサスRX)がそいつを履いているのを目にすることが度々ある。
扁平タイヤっていうと、昔はシャコタン(ウィキリン)八の字のソアラとかが装着していた印象が強いです。今もそういう車は絶滅危惧種として存在しているのかも知れないけど。
で、私はどうもその刷り込みがあって、「扁平タイヤってのは、オンロードでの走行性能を高める、あるいは、そう思わせるために存在するのだろう」って思っていたのですね。ハリアーって車は車高が高くてオフロード指向もありそうです。だから、扁平タイヤってのはあの車には似つかわしくないように感じていました。
で、本日改めてそのことを思い出し、検索してみて以下のサイトを発見しました。いろいろ新しい知見が得られました。
たいややもどき
そのサイトを見て、「シャコタン八の字」ってのは、車検を通す意味もあったんだろうなぁ、って気付きました。タイヤの上部がタイヤハウスに入っていれば、車検は通せるらしいですから。
また、そのサイトには「扁平タイヤはオフロードにも強い」との記述もありました。ただ、扁平タイヤは基本的に乗り心地は良くはならないでしょう。
ハリアーってクルマは車高が妙に高いから、ハンドリングなどは期待できない気がします。「巨大なクルマ好き」には魅力的なのかも知れませんが、あんまり私は魅力を感じないのですねぇ。全体のバランスが悪すぎる気がするのです。走行性能を考えたら、もっと車高が低い方が良いはずです。まあ、車高があってドライバーの視点が高くなる車の方が、運転はしやすいですけどね。
なお、現在の実家のクルマは日産の NOTE ってヤツなのですが、割と運転しやすいです。車高が高い頃のオデッセイ(平成ヒトケタ時代の発売)よりもコーナーリング等はキビキビしています。加速も悪くない。まあ、加速も安定性も値段も、オデッセイの前に実家にあった 180SX には負けますが。
180SX もオデッセイもノートも、みな純正のタイヤを使っていたはずです。上記サイトを見ると「タイヤは純正を使うべきなんだなぁ」って改めて思います。
卒業式や入学式は「儀式」として、存在するべきだ。そして、その場には「日の丸」が掲げられ、「君が代」が歌われるべきだ。
この数日間、様々なサイトを見て、私の中の考えを整理した。そして、上の結論に達した。
私は以前にも日記で「君が代」について、思うことを記してきた。
2000年04月04日 君が代の「君」って誰
2005年11月24日 さざれいし
今回の日記を記すに当たり、まずは引用から。
下に示したのは、公立私立を問わず、学校を運営する際の指針となるであろう「学習指導要領」(文科省サイトへ・ウィキリン)の一部である。
中学校学習指導要領(平成10年12月告示、15年12月一部改正)
第4章 特別活動第1 目標
望ましい集団活動を通して,心身の調和のとれた発達と個性の伸長を図り,集団や社会の一員としてよりよい生活を築こうとする自主的,実践的な態度を育てるとともに,人間としての生き方についての自覚を深め,自己を生かす能力を養う。第3 指導計画の作成と内容の取扱い
3 入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。
高等学校学習指導要領(平成11年3月告示、14年5月、15年4月、15年12月 一部改正)
第4章 特別活動第1 目標
望ましい集団活動を通して,心身の調和のとれた発達と個性の伸長を図り,集団や社会の一員としてよりよい生活を築こうとする自主的,実践的な態度を育てるとともに,人間としての在り方生き方についての自覚を深め,自己を生かす能力を養う。第3 指導計画の作成と内容の取扱い
3 入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。
これを見る限り、以前の所沢高校のように「卒業を祝う会」があり、「卒業式」が無い学校が存在するというコト自体が不思議に思える。
そして、次のリンクを開くと、平成15年(2003年)10月23日に発せられた東京都教育委員会からのお達しを読める。
入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)
私は、差別主義者の石原慎太郎は嫌いだ。しかし、今回の「君が代訴訟」についての彼のコメントは適切だと考える。
私自身は小学校・中学校・高校・大学と「卒業式」に触れてきた。
果たして、私が卒業した都立小石川高校では、「国旗は、式典会場の舞台壇上正面に掲揚」してあったのか、また、「都旗を併せて掲揚」し、「国旗にあっては舞台壇上正面に向かって左、都旗にあっては右に掲揚」してあったのかどうかは記憶にない。平成元年のコトだから、上に示した通達が発せられる前であるが。
校歌は歌われたはずだ。私は合唱部「音楽研究会」に属していたので、自分が当事者となっていない入学式や卒業式などでは、壇上で校歌を歌った(歌わされた?)記憶が残っている。しかし、「君が代」が歌われたかどうかについては記憶がない。なにしろ、卒業式は30分程度で終了してしまう、非常に簡素なものだったことは記憶している。
私は原理主義者である。「何事も法に則るべきである」という考えを持つ。
憲法等に基づいて行われた選挙の結果、今のイシハラシンタロウを始めとする、(特に好きでもない)政治家が君臨?している。しかし、彼は多数決によって選出された人物である。その意見を尊重するのが民主主義というものだろう。東京都という地方公共機関の一組織として「教育委員会」が存在している。それが3年前に命令を発した。
上記引用文や参照先サイトが存在する今、公僕である都立学校教員、公立小・中学校の教員はそれに従うべきであると考える。何しろ公務員である教員は、「税金のお流れ」を貰っている存在であることだし。
なお、当然のことながら、教員についても、日本国憲法第19条の「思想及び良心の自由」は尊重されるべきであろう。通達では「カタチ」について記してあるが、「ココロ」については一言も触れていない。場合によっては、ジャニーズ事務所のタレントみたいに口パクするとかもアリなのだろう。
以前の日記にあるように、私は「君が代」を歌う場合、基本的に「天皇のために」とか「お国のために」って思って歌っているわけではない。小学生の頃は、歌詞の意味すらあまり考えたことが無かった。
自分が所属してきた学校には、「強固なリベラル派の先生」が「居なかった」のだろう。だから、君が代を「歌い続けて来られた」。
「学校で君が代を歌う」=「戦争推進」っていうふうに、ハナシを短絡化させちまう教員や一部のマスコミ。それらの人々は「思考停止」しているとも言えるんじゃないだろうか。国際的なスポーツ大会では、立派に日の丸が掲げられ、君が代が流されてる。それを「けしからん」って明言している人物を見たこと無い。
君が代を歌いたくない公僕の方々やマスコミの方々に質問したいことがある。
「アナタはどんな結婚式を行いましたか?」って。
日本では、「神前式」で結婚式を挙げた方が多いだろう。
神前式ってのは、思いっきり日本古来の神に誓っているわけだろう。あんまりその仕草の意味も分からぬまま、「儀式」として和服を着たり、「三三九度」ってヤツをやったりしたのじゃないかな?
そんなヒトが「君が代歌うの反対」とか言ってるのだとしたら、矛盾も甚だしい。儀式として日本古来の神と接したことがあるのだから、儀式として君が代を歌うのも良かろう。「神前結婚式」に比べれば、ほとんどの「卒業式」なんて宗教色など無いに等しいだろうし。
結婚式以前に、ほとんどの日本人は「七五三」という儀式を経験しているだろうことも申し添える。
では、教会で結婚式を挙げたヒトなら良いのか?
日本では、何故か突然結婚式のときだけ「見知らぬイエスさま」に誓ったりなさる方が多い。にわか信者をやるってコトは、生まれながらのキリスト教信者を冒涜していると思うのだ。これはこの文章の本題からずれるけれど。で、そういう「にわか信者」って、それこそ「儀式として、あんまり意味も分からないまま、父と子と聖霊に誓」ったりしてるんじゃないかな?
それくらいに「宗教に寛容なヒト」だったら、「儀式として日の丸を飾り、儀式として君が代を歌う」のなんて、全然「やれるはず」だと思うのですよ。
何しろ、儀式は儀式として、見かけ上は厳粛にやっつけちまえば良いだろう。心の中は誰にも縛れないのだから。
この世の中は「儀式」だらけだ。「七五三」とか「成人式」とか「入社式」とか「結婚式」とか「葬式」とか。だったら、「儀式は儀式なのだ」って子供に伝えることは必要だろう。自分の思うところ、例えば「第二次世界大戦の前は不幸な時代で、日章旗や君が代の下に...」とかは、授業中などに披露すれば良かろう。そのセンセイが話す内容については、どこまでが許され、どこからがヤバいとかいった線引きは不可能だろうし。なにしろ、「思考停止」に陥って「通り一遍」の主張を展開するよりは、何事も自ら考えて授業を行うべきだと私は考える。
最近言われる「荒れる成人式」ってのは、「厳粛な卒業式」を知らない輩が増えたから起こっているのだと思うのだ。まあ、あれも一部のコトであり、マスコミが大げさに報道している面もあろうが。
なお、私は「成人式」には出ていない。その式に出る意味を見いだせなかったので。
昨日今日と、職場は文化祭だった。
昨日の開会式で、司会の生徒が「校歌を斉唱します」って言うべきトコロを「国歌を斉唱します」って言い間違えた。その後「校歌斉唱」だって言い直した。
なかなかタイムリーなギャグだと思った。そのギャグによって、静かになっていた体育館に生徒達のざわめきが起こっていた。司会をしていた本人はギャグでは無く、本気で言い間違えたのだろうけど。
私の隣にいらっしゃった先生は「今までで2番目に面白いギャグだった。一番はA先生のハナシだけど」っておっしゃってた。
A先生(現在は退職なさっている60代の先生)の伝説の講話が行われたのは、私が赴任する前だそうだ。スカート丈をどうしても上げたがる生徒がいるので、それを行わないよう諭すためだったそうだ。
生活指導主任だったA先生は、「スカートの裾を上げるために、ジャンパースカートのベルトをウエストの高い位置で締める生徒達」に対して、以下のように警告を発したそうだ。
「スカートのベルトを締める生徒がいる。そんなにベルトをきつく締めていると、腸捻転にぬぁる。 (数秒後) ...くぁも知れない。」
1000名を超える生徒が、1つの体育館の中で「どっかーん」って一斉に転けたということだ。全校一斉転倒。ただしココロの中だったらしいけど。
本日の東京は大雨&暴風だった。
最寄りの駅から自宅まで、うち捨てられたビニール傘が3つくらいはあったハズ。
今回、確信できたので「強風の中、傘を壊さずに使う方法」を発表する。
・傘の柄は可能な限り上部を保持
・柄を強く握らない
・意識的に風上に傘の先端を向ける
以上のコトを行えば、手持ちの傘が「お猪口」になってしまうことを防げるはず。
傘を保持する手は、可能な限り傘の上部に置く。傘の先端が風上に向けられるよう、手首や指先はリラックス?させておく。
まあ、相当な暴風雨ならば、傘で雨風を防げるのは頭部くらいでしょうけどね。そして、私の頭部は雨に濡れても大した問題はないのだ。だったら、暴風下では傘をたたむ方が正しい気もするのである。
電車の定期券がほとんどプラスチック製になった現在、定期券入れを使うヒトが居るのは何故か。
昔々、約20年前、定期券は確かに紙製だった。定期券は数ヶ月にわたり使用するものであり、それをヘタらせずに使い続けるには「定期券入れ」が必要だったろう。
しかし、昨今の定期券はプラスチック製である。Suica は相当に頑丈だ。自動改札に飲み込ませるタイプの定期券だってかなり頑丈である。
だったら、無理に定期券入れに入れておくよりは、ズボンのポケットなり、財布のポケットなりに入れておくほうが、何かと楽なのではないだろうか。「定期券入れ」を購入する必要も無いだろう。
パウチ(ラミネーターフィルム)に画鋲で穴を開けるのって、無意味では。
ポスターや掲示物をパウチするのは良いですよ。でも、そいつに穴を開けてしまうと、パウチした意味が無いと思うのですね。
図のAの場所なら、まだ良しとしましょう。しかし、図のBの位置に穴を開けたら、穴ぼこからどんどん空気が侵入します。多分、パウチしない方がマシなくらいにポスターが見づらくなるはずです、パウチフィルムとポスターの間での乱反射が多くなるから。それでもアナタはパウチしますか?そのポスターはどれくらい掲示されるのですか?
杉並区は何故レジ袋にこだわるのか。
私は以前、杉並区に在住していました。
そして、以前の日記にも記しました。
多分、現在も杉並区では「レジ袋をゴミ袋に転用できる」のです。だったら、「ゴミ袋を買うよりレジ袋もらう方が、金がかからない」ですよね。そして、数年間杉並区に住んでいた私は、レジ袋を「ゴミとして廃棄」したことは無かったはずです。
ヒトは基本的に安いものを買います。今のところ、レジ袋は「炭酸カルシウム入り(および、何らかのリベート入り?)ゴミ袋」よりも安いと思います。
私は今何故、試験問題の作成よりも、駄文生成に力を注いでいるのか。
何故でしょうか。私もその理由を知りたいです。
「1ゲット」
吼える3着いとむなし
あくまで、今のところですよ。
私は、ケータイに電子マネーを入れることは無いと思う。
また、ケータイに定期券(Suica)を統合することも無いハズ。
だって、ケータイ落とすのがコワイから。
ま、今までにケータイを落としたことは無いですけどね。物理的に落下させたことは多々あるけれど、紛失したコトは一度もない。それでも、私はケータイはケータイとして使っておくだけにとどめたい。
財布を落としたコト、一度だけある。
何を思っていたのか忘れたが、高校時代に自転車通学に勤しんだ時期があったのだ。
ナイロン製バッグのポケットに財布を入れていたのだが、学校に着いたら財布が無くなってた。珍しく3000円くらい入っていたのに。
バッグのポケットにはフラップもボタンもファスナーも無かった。にも関わらず、そのボストン風バッグの持ち手を両肩に掛け、豊島区長崎から池袋経由で文京区本駒込までドロップハンドル27インチのチャリンコで疾走したのだ。ま、財布は落ちて当然でしたね。
それからは財布は落としてないや。
それ以降、私はリスクというものを更に認識するようになりました。
そんな高校時代の私、テレビゲームは続けてました。面白くない授業は寝続けました。
そのリスクを被りました。
今に至ります。
前からずーーーーーーーっと思っているコト。
多分、日本中で日曜午後に放映されてる「噂の!東京マガジン」内コーナー「平成の常識 やって!TRY」って、性差別に該当しないのかしら?
チョコチョコっとググッてみた。一番同意したのは、以下の文書。
http://www.geocities.jp/jazznack/column-kogoto/column-kogoto/uwasano-tokyo-magajin.html
「私はジェンダーフリー推進論者だぁ!」みたいな方がいらっしゃるならば、是非ともあの番組のあのコーナーは糾弾して欲しいのだ。ってか、糾弾しなきゃ、嘘でしょ。
なんで、女子は料理を作らされ、男子は日曜大工をさせられるのだろう?
まぁ、日曜午後にヘラヘラと笑いながら見るには良いコーナーだが、現代社会的には非常に悪質なんじゃないでしょうか?
また、何となくの印象だけど、このコト「やって!TRY は 性差別だ」っていう思いをネット上で披露しているのは男性が多いみたい。
私はここに誓う。
「やって!TRY」のロケを発見したら、是非とも料理を作らせてもらう。「やって!TRY」もヤラセが入っているのかしら、やはり?
「からくりTV」のロケを見たら無視する。
それも、チョット疑問ではあるのですねぇ。
2019/01/11追記
リンク先が切れていたのは知ってたのですが、放置してました。
データを
https://web.archive.org/web/20091204082942/http://www.geocities.jp/jazznack/column-kogoto/column-kogoto/uwasano-tokyo-magajin.html
から浚ってきました。
2006/05/04
噂の!東京マガジン北海道で、日曜日の午後放送されている「噂の!東京マガジン」という番組をご存じだろうか。
TBS系列で、森本毅郎氏が司会。 その他レポーターやアシスタント等々総勢10人程度で進める番組で、住民が困っている問題等を取り上げて各方面の意見を取材するという内容である。毎週必ず見ている番組ではないが、「噂の現場」というコーナーでは、官僚の無駄遣いを追求したり時には企業などを取り上げて、なかなか興味深い番組である。
最近の「噂の現場」では、厚生労働省がアガリスク茸を含む製品の一部に、発ガン促進作用があるという発表によって、アガリスク茸の農場経営が厳しくなっているという内容であった。
当然こうした内容なら、以前厚生省が発表して訴訟問題に発展した「カイワレ大根」騒動を思い出すのだが、今回の厚生労働省は、ま、当然のことながら「風評被害はない」という立場で、番組の取材を受けないということのようだ。
このように、この番組で取り上げる様々な問題は、一般的なニュース番組などで取り上げられないことが多く、またある程度深く取材しているので、興味深く見ることが多い。
その他に、電車内に吊り下げられる週刊誌の広告(中吊り)から、興味深い記事を取り上げて表彰する「中吊り大賞」もあって、なかなか見せる番組である。
ということで、私が気に入っている番組なのだが、ただ一つ気に入らないコーナーがある。
「平成の常識/やって!TRY」である。内容はどうということはない。
料理、例えば「いなり寿司」を作る、というテーマで一般人に料理させ、できるかできないかをトライさせるコーナーである。 これだけの内容なら、別段言いたいこともないのだが、出演させる一般人が女性だけというのが釈然としないのである。いつも思うのは、このコーナー制作の発想がどこか変だ、ということである。
一つは、根底に「料理=女性」という発想がないか? さらに、こんな形で若い女性を出演させ、「こんなこともできないのか!」とある意味笑いものにするような内容が許されていいのだろうか?じゃ、制作の現場やテレビの前でみている男達は、「いなり寿司」が作れるのか? 作れるという前提で、この番組を報道しているのか? そうじゃないでしょう。
「料理は女性が担当する」という発想があって、この番組が成り立っているのは明白である。 男達は、若い女性ができるかできないかをニヤニヤして見ながら、そのダメさ加減に溜飲を下げる、というのが見え透いている。
私は、大いに不満である。
世に「ジェンダーフリー」などと訳の解らないことを言い出す御仁がいるというのに、この番組に関して何も言い出さないのは、まことに不思議である。 それとも、私が知らないところで問題になっているのだろうか。昔、「あなた作る人、私食べる人」というコマーシャルがあってやり玉に挙がり、放映中止になったことがある。 これなども、「料理=女性」という前提があっての批判であり、その結果の放映中止だと記憶している。
他の企画は残して、このようにしょうもないコーナーは即刻中止すべきと考えるが、如何に・・・。
昨晩、『反社会学講座』を読了した。
web上の「スタンダード 反社会学講座」を更に理論武装(?)したものが書籍となっているそうで。
かなり面白い本ですね。
「講座第2回:キレやすいのは誰だ」が一番面白いと思う。講座のまとめは以下の通り。
・凶悪少年犯罪が近年急増したというのは、マスコミが捏造した世論です。
・戦後最もキレやすかったのは、昭和35年の17歳です。
・凶悪少年犯罪の低年齢化というのも、ガセネタです。
・50、60代の人間の増加は、社会に重大な影響を及ぼします。
・善良な市民もけっこう凶悪だったりするので注意が必要です。
ところで、紙で手を切ると痛い。
今朝届いた新聞を読もうかと思ったら、折り込み広告で切ってしまった。和紙だったら、そんな現象は起こらないのだろうなぁ。
折り込み広告に使われているのは洋紙である。また、その洋紙は綺麗に裁断してあるから、手も切れてしまうのだろう。技術の革新とは、トキに危険なものであるなぁと、改めて思ったのだった。
新聞紙で切らなかっただけ、良しとしましょう。あの「もさもさ感」ありありの新聞紙で手を切ったら、痛そうだから。
西東京市
(京都の東の西?)
西荻南
(荻窪の西の南?)
以上二つが変な地名の双璧をなしていた、私の頭の中で。
本日、第三の刺客が現れた。
西新井大師西[にしあらいだいしにし]ま、これは地名ではなくて、厳密には駅名らしいですけれど。
東京都公式ホームページ/「日暮里・舎人線」(仮称)の路線名・駅名が決定
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2006/11/20gbd300.htm
「日暮里・舎人ライナー(にっぽり・とねりライナー)」だそうです、路線名は。
全然面白みが無いですね。
ここは一発、「E電」とか名付けて欲しかった。あれ? 既にありましたっけ?
適当に「都の木」であるイチョウにちなみ、「いちょうライナー」とかどうなんだろ、決まってから言うのも何だけど。でも「胃腸ライナー」とかだと、乗ったとたんに前日の大酒が効いて下痢しそうですね。
タイトルはちょっと狙ってみた。あざとすぎたか。
今日の日記の正しいタイトルは「検定三昧」です。
ちょっと前、「パソコン検定準2級」に合格した。かなりギリギリだったものの。
本日昼間、「ゲーム検定」を受けてみた。
以下がその結果。
+++ ゲーム検定 成績発表 +++
あなたの総合得点は55点 全国平均 54点全国順位(11月19日 12時現在)
96位(211人中)--ジャンル別得点表------------
0_________50__________100%
ハードウェア ■■■■■■■■■■■■■■■
ゲームシステム&テクニック■■■■■■■■
キャラクター ■■■■■■■■■■■■
ビジネス ■■■■■■■■■■
雑学 ■■■■■■■■■■■■
----------------------------講評---------------------
あなたは「ゲーム大臣」
これだけの知識があれば、たいていのゲーム好きの人間とは楽しく会話ができるはず。し
かし、この先、もっと深く広い知識を得ることで、世界はさらに広がるだろう。
貴方がもっとも詳しいゲームのジャンル:
ハードウェア
貴方がもっとも詳しいゲームの年代:
90年代前半を中心としたゲーム発展期
--------------------------
先ほど、「愛国心検定」と無いかな?ってググッてみたが、見あたらなかった。
「だったら作るか!」とか思ったが、危険である気もするから、止めておく。差出人が誰なのか分からないメールはSPAMだけで十分だ。
ってか、私は教員のハシクレであり「研究と修養」に忙しいのです、多分。
下らない日記を作成する暇はあるみたいだけど。
私は基本的に「うがい後の水を飲んでしまう」のである。あんまり大っぴらにはやらないけど。って白状してみる。ちなみに、うがいは「単なる水道水」が基本です。間違っても「うがい薬」とか「リステリン」みたいなヤツではやりません。
この間も、その姿を生徒に見られた。ほとんどの場合、生徒はビビる。
時間的余裕があると「どうせ、胃酸で細菌は殺されるのです」ってコトを説明する。
また、一言「リサイクル。」って言う場合もある。
どっちにしろ、更に生徒は退いてしまうようだ。
私のこの習慣が、生徒やこのページをご覧の皆様の「価値観破壊」や「合理的判断」に繋がれば幸いである。
ここ1年間くらい気になっていたコトがあった。
それは、「国民年金と私学共済の統合」である。
ただし、以下に記すのは「ニホンコクに於ける各種年金システムの統合」みたいな「大がかり」な話ではなく、個人的な話である。
私が20代前半を過ごしていたのは実家である。学生時代、国民年金は親が払ってくれていた。大学を卒業したら、自分で国民年金を払っていた。大学卒業後の2年間は私立学校で非常勤講師をしていたから、国民年金を継続して支払ってた。
その後は専任教諭として私立学校に拾われた為、私学共済に加入することになったのだ。
約2年前、引っ越しに際して実家を訪れた際に「そういえば、アナタの年金手帳があるわよ。渡しておくわ」ってコトで年金手帳を貰った。
約1年前、手元にあった重要文書を整理していたら、「基礎年金番号」を記した封書を再発見した。
その封書が送られてきたのは数年前のようだった。封書が届いた当時、私はアパートを借りて住んでいた。封書には「年金手帳を持ってたら、期限までに連絡してね♪」ってメッセージが入っていた。結果的に、そのメッセージをバッチリ無視していたことに気付いた私だった。
約1か月前、本年度から供用され始めたらしい 社会保険庁:年金個人情報提供サービス を利用し、私の年金納付状況の確認を試みた。
ユーザIDとパスワードの発行には約2週間必要だそうであり、実際2週間後にそいつらが郵送されてきた。
上記システムを利用した問い合わせの際には、基本的に「基礎年金番号」が必要になる。しかし、私は間違えて「国民年金番号」で申請してしまったのだった。オンラインでユーザIDの発行申請した数分後、そのことに気付いた。仕方ないのでそのまま2週間待った。ばっちり「アンタは"not found"よ」ってメッセージが帰ってきたのだった。そして、改めて申請し、約2週間待機。
無事に交付されたユーザIDとパスワードを用いて、納付記録を確認することができた。私学共済の納付記録はバッチリだったが、「国民年金の納付記録」が無かった。予想通りであった。
で、本日、杉並社会保険事務所へ行ってきた。
ものの5分で納付記録の統合は完了した様子である。窓口のニイサンは真面目だった。まあ、相当にドヤされてきた成果なのでしょう。
これで無事、20歳から15年間以上にわたり年金を納付したことになった(ハズ)。
以前にも日記で記したように、私自身が年金を貰うことにはあまり期待していない。しかし、今までに納めた金が「未納」扱いされてしまうのは滅茶苦茶に無駄だ。それが回避されて良かった。
生物の試験問題作成していて、「しんぞう」を変換したら「晋三」って出てきた。ちょっとイヤな気分になった。
「ちゅうはいよう」って変換しようとしたら、「酎ハイ用」って出てきた。まあ、これは普通のハナシなのかしら?
本当は「中胚葉」って出したかったのだ。
声の伸びを欠いたリアル録音?の trf のボーカルの方が、クチパク(アフレコ?)の氷室京介より良いと思うのでした。
歌手というのは、基本的にデビュー直後の方が声は良いと思う。
松田聖子も中森明菜も渡辺美里も。
ジャニタレはクチパクが基本だから、SMAPの中居氏のように老いてから味が出る場合もあるのだろう。
KinKi Kids なんかは歌がうまいと思う。ノドが温存されているのだろう。
クチパクではなかっただろうマッチ(近藤真彦)は、最初メチャメチャ下手だったと思う。今は「人並」か?
「教員の『旬』っていつなんだろう」って、思ったス。
デイリーポータルZは面白い。
私は基本的にすべての記事をチェックしている。
今朝、上記サイトのネタになりそうなコトを、西日暮里駅前のマクドナルドを見ていて思いついた。
「2F客席 100席」ってあるけど、本当に座席数は「100キッカリ」なのだろうか?
やはり「一の位を四捨五入」なのか?
それとも「一の位を切り捨て」なのか?
もしや「一の位を切り上げ」?
はたまた「十の位を切り上げ」??
チョー気になってきた。
マクドナルドの店舗によっては、座席数を一の位まで明記したトコロもあるらしいし。
でも、わたしゃマックもケンタもほとんど使用しない。ま、ファーストフードも食えばウマいのは確かだが、禁断症状が出ることは無い。
なお、今日の私の日記については、知的財産権を主張しませんよぉー っと。
からのリンクにより、アクセス数が前日比2倍に増えました。有り難いことでございます。
このペースで行けば、1年後には当サイトが世界最大のアクセス数を得ることができる …のかな?
この年末は、ちょうど3日ごとに宴会が予定されている。
一昨日は都生研の研修に参加し、その後の懇親会にも参加した。
その3日前には、職場で中学の授業を持っているヒトを中心に開催された。
明日には、職場で高校2年生を担当している先生方で忘年会。
さらにその3日後には、職場の理科担当の先生方で忘年会。
自宅から駅へ向かう途中、普段よりもゲロの跡が多くなってきた気がする。そこら中で飲み過ぎのヒトが多発しているのだろう。
酒は恐ろしい。私が改めて書くまでもないが。
後から思うに「よくやったもんだよなぁ...」って行動がいくつかある。
とりあえず、そのうちの1つを。
大学2年の夏休み、大学時代の徒歩旅行サークル「伸歩会」で、能登半島を歩いて縦断した。ゴール地点は禄剛崎(ろくごうさき)であった。(画像ググリンク)
そのサークルは別名?「あるこうる会」とも呼ばれていた。参考?までに、3つ上の先輩の作っているサイト「歩き旅.com http://www.arukitabi.com/」を紹介しましょう。先輩には最近お会いしていませんねぇ。
で、「あるこうる会」。学内の酒豪が勝手に集まるのか、サークル活動をしていくうちに酒豪になるのかは分からない。7日程度かけて徒歩旅行を行うのだが、宿舎としては民宿を利用することが多かった。
最終日の夜は、大体において夜が明けるまで酒を飲むのだった。10代後半から20代の若人達である。何しろ元気であった。
で、酔っぱらっていた数名は、酔い覚ましに夜の散歩に出かけたのだった。確かビールを持参してたと思うけど。
って、よく考えたら、いや、考えなくても、その当時私は未成年だったわけだ。
さすがに能登半島の先端だけあり、天の川も良く見えた。流れ星を見たりした。
で、酔っぱらった私は、禄剛崎灯台の横にあった鉄塔に登ったのであった。
上に示した禄剛崎の画像でも、その鉄塔を確認できるハズ。
足を滑らせなくて良かったよ。間違いなく死ねる高さですからね。
「成田空港」は北ウイングよりお送りしております。
100円で10分使えるパソコンから。
IMEが違うと使いづらいのでありました。
msnにログインしてみたら、アカウントを保存させている方がいらっしゃいました。残り使用時間は、2分25秒です。
言い忘れてましたが、北京、そして天津へ向かいます。天津と北京は100km程度しか、離れていないそうです。また、天津甘栗は「出荷する港」が天津だっただけで、別に栗の産地では無いそうです。まめ知識終わります。
では、ごきげんよう。
天津古文化街にあった喫茶店で、烏龍茶とプーアル茶を飲みました。
私が初めて飲んだ、中国の作法に従った中国茶でした。
配偶者の父親曰く、「きちんと淹れると、お茶の味が違う」とのコトでした。
味が違うのかどうかは、同じ葉っぱで淹れ比べていないので分かりませんが、お茶がおいしかったのは確かです。「サントリーの烏龍茶」よりも香りがよく、甘かったです。熊本ラーメン「桂花」のプーアル茶よりもおいしかったです。
どちらも比較対象としては適切ではないのかもしれませんけど。
で、夕ご飯は「狗不理」という有名(だそう)なお店で、いろいろ食べてきました。また食べ過ぎて体調不良にならないように、気をつけたいと思います。
ま、中国も日本と同じく「クリスマス」なワケですが、面白いと思ったのが「照明がほとんどついていない飲食店」の存在です。
私は最初気づかなかったのですが、配偶者が「人がいるよ!」って示した方向を見てみました。外から見る限り真っ暗なレストランとか、焼肉店とかのガラスの内側で、ヒトらしきものが「ごそごそ」動いていました。
あそこまで真っ暗な店内は、かなり危険なんじゃないかと思いました。
そんな真っ暗な中から見える主な夜景は、「派手な電飾のサウナのみ!」みたいな店もありそうで、「そこまでして見る夜景かしら?」なんて、余計な心配をしてしまった私でした。
27,28日の天津は快晴だった。
その前の2日間は、ほとんど朝から晩まで霧の世界だった。
やはり、霧よりは晴れているほうが気分が良いのである。
霧は本当に洒落になってなかった。日本の基準ならば、1km先が見通せなければ「霧」だったように記憶している。って、いい加減にしておく理由もないから、ちゃんと調べてみた。気象庁のページより引用。
http://www.kishou.go.jp/know/yougo_hp/kori.html
霧 微小な浮遊水滴により視程が1km未満の状態。
濃霧 視程が陸上でおよそ100m、海上で500m以下の霧。
25日の夜、天津市内をタクシーで移動した。一番霧の濃い場所では、前を行く車のテールランプもぼやけていた。「視程」は20mも無かったのではないかと思われる。完全なる「濃霧」であろう。
ところで、私が「濃霧」という言葉を知ったのは、耳からだった。ラジオの天気予報から。
私が小学生になったかならないかの頃だと思われる。住んでいたのは茨城県千代田村。両親の実家は東京都豊島区と茨城県古河市だった。週末は両親の実家に車で移動することも多かった。
日曜夜、自宅へ戻る車の中では、よくラジオが流れていた。そして、天気予報がよく流れる。
「茨城県南部には、"ノームチュウイホウ"が出ています」というフレーズをよく聞いた記憶がある。湖や川も多く、霧が出やすい地形だったのだろう。
小学生の私は「チュウイホウ」は何となく理解できるのだが、どうしても「ノーム」の意味が分からなかった。また、何となく「ノーム」という響きが北欧を想起させるのであった。「ノーム」が「濃い霧」であることを知ったのは、確か数年後のことである。
って、またまたネットで改めて調べてみた。
私は、百科事典で「ノーム」を調べたらしいことに、約30年ぶりに気づいた。
多分、私は「濃霧」ではなく、「Gnome」の項を見てしまったのだろう。
Gnomeの説明文と、「ノームチュウイホウ」の「ノーム」が一致しないらしいことに、幼い私は納得がいかなかったのだろう。
頭の中には、妖精を生み出した北欧のイメージだけが、澱として残ったのだろう。
そして今日、この文章として結晶したわけだ。
つまらない結晶ですけど。
1947年に公布・施行された旧教育基本法と、同年に施行された日本国憲法は、私と同じ亥年だったのだなぁって、年賀状の文面を考えていて気づきました。
新しい基本法の前文にあるように、日本国民は「たゆまぬ努力によって」「民主的で文化的な国家」を「築いてきた」のでしょうか? 私はよく分かりません。それに対して、主権を有する国民の代表である政治屋の人々は、「いかに少ない得票率で、いかに自分たちの意見を通すか」というコトについて、相当に努力されてきたのだろうなぁと云うことは理解できます。
そして、その努力の結果のひとつが、「還暦を目前とした旧教育基本法の絶命」だったのだろうと思われます。
今後、このクニがどうなっていくのかは、分かりません。
とりあえず、私は地道に教員生活を送り、主権を有する国民として行動し、このクニが「平和で民主的な国家」であり続けるよう、努力を続けようと思います。
トシオトコとなり、考えたことでした。
softbank(旧vodafone)の中国でのローミングについて、記していなかったコトを記します。
私の使っているケータイでは、どのようなメールでも最初の数十文字は無料で受信できるのは確からしいです、日本国内でも、海外でも。
で、前回(2006年8月)の中国旅行の際には、不要なメールが届いた場合、ケータイを操作してvodafoneのサーバーから削除しました。で、その月の請求書が来てビビリました。不要メール1回の削除につき、通常のSMSの送信と同じく、100円が「国際ローミング(SMS)使用料」として請求されていた様子でした。1700円ほど請求されていたから。手元に請求書が無いので分かりませんが、電話代は電話代として、それとは別に請求されていた気がするのですね。
http://mb.softbank.jp/mb/support/3G/global_service/attention.html にもそれらしき記述がありました。
海外でのサーバーメール操作(リスト更新・メール削除など)には、国際ローミングS!メール通信料がかかります。頻繁に行いますと高額となる場合がありますのでご注意ください。
今回の中国旅行でも、ケータイへSPAMがバンバン届いていたので、1通だけサーバーメールを削除してみました。
請求はどうなることでしょうか?
この約2週間、外食が何度かありました。1回の食事では、1人当たりで数元(約100円)~300元超(約5000円)までの幅がありました。料理店が高級になればなるほど、味付けが無難になっていくコト、改めて知りました。
北京の食堂で4元(約60円)の麺は、かなり美味しかったです。配偶者が注文してくれ、私はただ食べるだけでしたけど。
死んでしまったサメには申し訳無いが、私はフカヒレにあまり有難みを感じないのですねぇ。高級店でのフカヒレでだいぶ高価だったらしいのですけれど。とりあえず念のため(?)完食しました。
今回の中国旅行でも、無事に食べ続け、見事に太ってしまいました。予想通りですが。
ってコトで、明日の朝の飛行機で日本へ戻りまーす。
4日ほどかかったが、約2週間分の他人のブログチェックが終了した。
その際に、私も何度か使用したことがある青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/ が「著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名」という活動を行っていることを知った。
私も著作権の保護期間延長に反対なので、紹介させて頂きます。
2週間分の「きっこの日記」を読むのは大変だった。読破したのは本日の午後。
で、先ほど寝る前にもう一度RSSリーダーをチェックしたら、「きっこの日記」で以下の動画を教えて頂いた。
YouTube - 新駅長~たま~
で、その再生が終わったら、以下の動画を発見?した。
『さよなら人類』は売れた名曲だと思う。
『方向音痴』は、私が最も好きな「たま」の曲である。
良いものを見た。
職場で新年会があった。その余興のために「俳句」を作った。
私が真面目に作った俳句を披露します。
年迎ふ願掛けもせずただ歩む
放置してあった「お年玉付郵便葉書」の番号チェックが終わった。
そして、「2等 地域の特産品小包(1個)」が当たった。
2,500通に1通の割合で、この景品が当たるらしい。
実は、2005年にも小包をゲットしているのだ。
ここ数年、賀状は数十通出して、数十通貰ってる。
3年で2度小包を貰うのは、かなりの幸運であると言えよう。
ざっと計算したところ、その確率は0.1%内外であるような気がする。そんな私は、高校時代「確率・統計」からドロップアウトしてたりして。
カタログから「タダで貰える何か」を選ぶというのは楽しい。
しかし、よく考えてみると、私が貰うであろう商品の代金は「薄く広く」郵便局利用者全員から徴収されているのだろう。
少し申し訳ないような気がする。
大体、昔から『あるある大事典』は胡散臭かったのだ。
何故ここへ来て「今更のバッシング」なのかと疑問に思っていた。
風見しんご氏のご息女が亡くなったのは、利益優先主義企業の花王が招いたことらしい。
参考文献
天漢日乗: 風見しんごの長女を轢いたトラックは花王の配送車→追記あり
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2007/01/post_0f10.html
極東ブログ: 最近の二件のトラック事故で気になること
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/01/post_da2e.html
「花王という存在に辟易していたマスゴミ」の中にいた「有志」が立ち上がったのかも知れない。
「花王、許すまじ」って。
また、アパグループとやらにも「やっと火がついた」ようだ。
こっちの方は更に焚きつける必要があるのだろう。
参考文献
きっこの日記:ガケップチのアパ晋三
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20070125
「ブログ」みたいな存在も、それなりに世の中を変えられるんじゃないかと錯覚しつつある小市民でしたとさ。
タイトルのコトバは、『荘子』とやらにあるとか。
最初に思ったのは「パソコン好きのヒトに向けたコトバか?」ってコト。
やたらにパソコンを使いたがるヒトビトへの警句に見えたッス。
次に思ったのは「官僚の自己保身への警句か?」ってコト。
多分、これが元の意味なんじゃないかな?
自分のシゴトは恐らく「第三次産業」なのだ。
ヒトとして、いや、生物として、一番尊いのは第一次産業ってか、「自給自足」だと思ったりする。
「手段が目的になる」ためには、多かれ少なかれ「搾取」が必須なのじゃないかと思う。
例によって?、ハナシの途中が省略されている気もします。スミマセン。
「サニーサイドアップ」って会社名を見る度「あいつらか…」って思う。
http://www.ssu.co.jp/
ホワイトバンドで「あくどいコト」しやがった彼らである。
参照:ホワイトバンドの問題点
ついこの間は「タマゴに広告を付けるという事業を始めた」って言ってた。
中田英寿が所属しているってコトで、この会社を知った私である。
「はてな」を見て、ずいぶんいろんなヒトが所属していることを知った。
そして、飯島夏樹という名前もあった。彼は「サニーサイドアップ」に所属した2番目のタレントだとか…
飯島夏樹というヒトは、既にこの世に居ない。そして、職場の同僚(50代のオジサン)のオシエゴだったそうだ。
私がその飯島というヒトを知ったのは、テレビのドキュメンタリーだったハズ。その後『ガンに生かされて』って闘病記(?)を読んだ記憶がある。職場のどこかの教室に置いてあったのを拾って読んだ気がする。
最近読み終えた『天国で君に逢えたら』って本は、昨年3月に卒業した生徒の忘れ物である。どちらも自分では購入していないということだ。で、その本の「オビ」の紹介文に「中田英寿絶賛」みたいな文字があり、「多分ツルんでいるんだろうなぁ」ってずっと記憶に留めていた。昨日改めて「サニーサイドアップ」を調べてみた。予想通りだった。
私は、ホワイトバンドは嫌いだ。
だから、そのキャンペーン?を行った会社である「サニーサイドアップ」も嫌いだ。本日、そこに所属しているタレント達を改めて知り、彼らに対するイメージが低下した。
2007年の日本で幸いなのは、ホワイトバンドを見なくなったと云うことだ。
って最初は思ったが、「そうとも言えないか…」って思い直した。
ホワイトバンドが「妄信的な消費者」に購入された段階で、サニーサイドアップには利益がもたらされたわけだ。
購入した消費者個人を観察すれば、減価償却(?)という意味では、より長い期間「あの謎のプラスチック片」を身につけていた方が合理的なのだろう。
あの、盛んに腕輪をしていたニーちゃんネーちゃん、あるいはミュージシャンみたいなヒト達って、ホワイトバンドの意識が身に付いたから、バンドを捨てたのだろうか?
だったら良いなぁ。
とか言いながら、環境破壊そのものの「大型旅客機」などを用いて、来週半ばにはパリへの修学旅行へと向かう私だった。
ああ矛盾。
修学旅行の引率から帰ってきた。旅行先は、フランスはパリである。日本より時刻が7時間遅れている地域である。4泊6日(機中泊1回)の日程であった。帰国したのは昨日。帰宅できたのは夕方であった。
疲れもあったのだろう、昨晩は22時過ぎには寝てしまった。そして、今朝は6時過ぎに一度目覚めた。飛行機の中では、水を控えめにしていたこともあるのだろう。のどが渇いていたので、水を大量に飲んだ。また寝た。
起きたらビックリした。
13時を過ぎていたのだ。せいぜい10時過ぎだと思っていたから。
まあ、パリ時刻に換算すれば、ちょうど「空が明るくなってくる頃」である。日本時間の13時過ぎというのも、「起きるに値する時刻」であることは確かなのだろう。
以後、随時『パリ旅行記』を記すことになると思います。
今回、パリへ旅行へ行って知ったことがある。それは「ガス入りの水は、それなりにウマい」というコトだ。
以前まで、日本でガス入りの水を飲むトキは、しみじみ味わいながら飲んでいた。日本の無色透明な炭酸水といえば「三ツ矢サイダー」である。しかし、「ペリエ」などはサイダーほど甘くない。若干苦みがあるし、「変な味で妙に高価」って認識だけがあった。
今回のパリ旅行で、ガス入りの水ってのは「ビールのように、ノドで味わうものだ」ってコト、とある酔っぱらいの先生に教わった。
アルコールに慣れている私である。ビールが好きだ。料理を食べる際、「単なる水」を飲みながらってのはあんまり面白くない。そして、ガス入りの水はそれなりに「ビールの替わり」になるコトを知ったのだ。ごくごく飲むと、ビールのような気分になる。
それからはガス入りの水にハマッた。
昨日、たまたま配偶者が「ビールの替わりに」ってコトでペリエを買ってきた。ビールは痛風に良くないというのが、日本でも中国でも定説らしい。
焼酎のペリエ割りはウマかった。
あれれ?
パリの修学旅行引率では、「朝市」の見学?に行くのである。
剥きウサギや剥きネコが陳列されているのにもビビるが、今回一番ビックリしたのがロマネスコである。(画像ググリンク)
本当は、野菜を売っているオジサンに「この野菜は何ですか?」って尋ねようかとも思ったのだが、別に買うワケじゃないから、質問は控えておいた。そして、当然のコト?ながら、私はフランス語は得意ではない。
デジカメでその「奇天烈な風貌」を撮影しようかと思ったが、「誰かが既にネット上に置いてるだろう」って考えたのだった。そして、それは当たっていた。
修学旅行の事前学習の為に、教室には数冊の「パリ関係書籍」が置いてある。本日、何となくその1冊を事後学習(?)としてパラパラ眺めていた。そのうちに「そうだ、あの"フラクタルな野菜"のコトが書いてあるかも」って気付いた。やはり、その野菜の画像があった。そして「ロマネスコ」ってお名前も知ることができたのである。
チナミに、その本は文化出版局が出している『パリの朝市ガイド』って本である。
出版社のページ
Amazon
文化出版局ってのは、私の「職場」の遠い親戚(?)である。
その「ロマネスコ」は人目を惹くらしく、生徒もちょっと注目していたようだ。ある生徒が「ポケモンみたい」って言っていた。私はポケモンに全然詳しくないので分からないが、あの「ねじフラクタル」なモンスター?が、ポケモンの世界には居るのでしょうね。
猟奇的な犯罪などがあったりして、かつその容疑者が身柄確保されたりする。すると、まず間違いなく、テレビニュースではこういうフレーズが流れる。
「動機の解明が待たれます」
そのフレーズを聞く度に思う。「動機の解明」ってのは、可能なことなのだろうか?
ヒトのココロってのは、闇だらけだと思う私だ。
様々な刺激に対する個人個人の感受性には、相当な差異があることは間違いない。分かりやすい例で言えば、色覚(シノビズム)だとかね。分かりづらいか。
何しろヒトの個体間では、同じ物理的刺激を与えても、神経のパルスが生じるか否かという「科学的に測定できる」違いがある。もちろん、神経の集合体である脳の回路にも違いがあるはずだ。
脳の回路によってココロというものは作られる。「我思う、故に我有り」である。
その回路がどのように発達し、どのような個性を発揮するようになるかは、育つ環境によっても左右されるはずだ。私のココロは私しか持たない。アナタのココロはアナタしか持っていない。
そんな「同じものが二つと無い」ヒトのココロだ。
普通の人間だったら、自分の感情の制御にすら困ることだってあるでしょう。自分の感情が自分で理解できなかったりするコトもあるハズ。
そんな「理解不能」なココロの動き、他人が推測するなんて不可能じゃなかろうか。
だから「動機の解明」なんて、軽々しく口にすべきでは無いと思うのだ。
「動機の解明」ってのは、単に心理学者と名乗る「部外者」が犯罪の経緯をカテゴライズし、「悦に入っているだけ」である気がしてならない。
話は変わる、ってか変わらない。
国政にしろ、都政などの地方行政にしろ、その重要なポストに存在しながら、自らの身内に便宜を図ったりする輩には枚挙に暇がない。シンゾーとかシンタローとか。
心理学者にお願いしたい。まずは、そいつら売国奴の動機解明を。
帰宅して、シャワーを浴びて、350mlビールを1本飲んだら日付が変わった。1日で14時間超は働き過ぎである。
ま、3日ほど出勤しなかったので、仕方の無いコトなのであろう。
気が付けば「正規雇用」の教員となり、この4月で13年目に突入する。採用年度は西暦1995年(平成7年)である。職場のヒトビトを「古参」と「新人」に無理矢理二分割すると、古参の部類になってしまうのカモ。また、高校を卒業するまでの年月と、大学に入学してからの年月が同じになるようだ。それなりにキチンと「ツトメニン」になっている(なってしまった)ような気がする。
激務のクールダウンとして、日記を記している。
明日は始業式である。高校3年の担任となる。
「正規雇用」となってからは、高1副(担任)→高1副→高1(担任)→高2→高3→高1→高2→高3→高1→高2→高3→高2→高3というローテーションである。私の職場では、年度の初めに「生徒手帳」ってヤツに生徒の「氏名印」を押し、出席番号等を記入する作業がある。「担任名」として、自分の「氏名印」も押す。ま、手書きでも良いのだけど、一気に作業を行うので、ゴム印の方が楽なのだ。
上の画像は前述の「私の氏名ゴム印」である。
記憶では「高校卒業時に受け取ったもの」なのだが、違うのかも。で、ご覧の通り、その横っ腹には「379」ってナンバーが振ってある。
このゴム印を卒業時にもらったとき、「何故に"379"?」って思った。今も謎である。
ちなみに私の職場では、年度毎に出席番号をゴム印に記してます。
高校のトキの身分証明書を見てみたら、「No.61726」って書いてあった。そういえば、高校のトキは、3年間「G組26番」だったっけ。チナミに現在、「身分」ってコトバは使わないコトが多いらしい。職場も「生徒証」はあるが、「身分証明書」は無い。
私は教員って仕事に就き、昨日は生徒手帳ってヤツを準備したりした。
画像のゴム印、担任の先生や事務の方が使ったんだろうと思う。高校だったら3年間の担任だったのは高橋清士先生である。約20年前に高校の先生や事務の方が手にしたであろうゴム印、昨日私が使ったのだ。何だか面白い気がする。
教育ってのは、人のココロに残るシゴトである点が面白いと思う。
はっきり言って私は高校卒業後、「高橋先生に会いに行こう」って思って高校を訪ねたコトなんて無い。ってか、最近の公立学校は異動が激しすぎるから、昨今の「公立小・中・高校の卒業生」は、私以上に恩師に会うのは大変だろう。
でも、高橋清士先生は、私の中に存在している。間違いない。
右足の薬指に、"イボ"ができている。ウイルス性のものだそうだ。
「だそうだ」と伝聞形にしてみたが、「ウイルス性」であることは、ネットで検索して知っていた。
以前に別の指に同じようなものができたときは、風呂上がりに気合いで引っこ抜き続けた。いつの間にか完治していた。結構血まみれになったけど。
今回のイボには1年以上前、もしかすると2年近く前に気付いていた。「痛いわけでもないし、そのうちに医者に行こう」って思ったまま放置してしまった。直径は数mmまで成長してしまった。血まみれになると結構痛いので、キチンと治療してもらうコトにした。春休みの1日に日暮里の医院に行ってみた。
初診だったので「問診票」を書かされた。診察まで2時間待った。
問診票には「右足薬指にウオノメ様のもの」と書いておいた。「ウイルス性のイボ」って知っていたのだが、あんまり知ったかぶりしても「可愛くない患者」に見られそうな気がしたので、意図的に「ウイルス性のイボ」を知らないフリをしておいた。
また、やはりネット上で検索して知っていた。液体窒素でイボを焼く治療が行われるらしいことを。
診察は数分だった。医師曰く「これはウオノメではなく、ウイルス性のイボですね」と。私は「はぁ」と答えた。医師は「ウイルス性ですから、あんまり触ってはいけません。他の場所に感染します」と教えてくれた。これは初耳だった。
二重の紙コップに入った液体窒素に巨大な綿棒を突っ込み、綿棒の頭に含ませた液体窒素でイボ(とウイルス)が焼かれていった。チクチクと焼かれた後、薬が塗られ、絆創膏が貼られた。
会計まで、また小一時間待った。
もう10年近くなるだろうか。いつからか、私の手の爪と皮膚の間に、黒い筋(太さ1mm以下、長さ3mm程度)が所々存在しているのだ。
診察後、帰宅して気付いた。この「爪の下の黒い筋」も「ウイルス性」かも知れないコトに。
入浴後、爪と皮膚の隙間を楊枝などでほじっては、足の指用に処方された抗菌剤を擦り込む日々を過ごした。徐々に黒い筋が目立たなくなっていった。良かった良かった。
実は、この「爪の下の黒い斑点」は、ずっと謎の存在だったのだ。
何故なら『巨人の星』で擦り込まれてしまっていたから。
「巨人の星 メラノーマ」 でググった
巨人の星の登場人物一覧 - Wikipedia ← 素敵すぎ
爪の下の黒い斑点は、悪性黒色腫ではなく、ウイルス性のものだったのだ。数年来の謎が解け、ほっと一息の私であった。
でもって、医師は「一週間くらい経ったら、また来てくださいね」と仰ったが、既に10日以上経過してしまった。仕事が立て込んでいるので、なかなか医者には行けないのであった。
全く個人的、というか、基本的に個人的な話しか書いていないが、最近思っていることを記す。
ウイスキーは"Scotch"もしくは"Japanese"が好きである。ま、たまに飲む"Bourbon"も、それはそれでうまいが。以前に「ハイボールが好きだ」って述べたこともあるのだが、この間確信したことがある。
それは「うまいウイスキーはストレートで飲むべきだ」ってコトである。
空港に行ったりすると「免税店」ってヤツがある。
昨今は安売りの酒店が増えており、空港の免税店の酒は決して安くない。
なので、舶来のウイスキーなぞは、空港では買う気がしないのだ。で、確か去年のコトなのだが「山崎」って日本のウイスキーを買ってみたのだ。
帰宅してみたら、配偶者の父親が買ったという、同じウイスキーが保管されていた(笑)。
先日、そのウイスキーを飲んでいた。何となく「水道水製の氷」を用いたロックで。
で、その後ストレートで飲んでみた。明らかにうまかった。ま、別の「まともな氷」を使えばまた違ったのかも知れないが。
小説だったか、エッセーだったか、そして誰が書いた文章だったか忘れたが、「良いウイスキーを水や氷で割るなんて、馬鹿のすることだ」みたいな文章を読んだことがあった。それを思い出した。
俗に言う"Whiskey & Chaser"が、今のところのお気に入りなのだ。
私が「作家」という存在を意識したのは、スティーブン・キングの作品を読んでからだと思います。
高校のトキ、何となく訪れた池袋の LIBRO に平積みになっていました。『クリスティーン』文庫版の上下巻が。
「文庫カバー画像」を探してみましたが、下巻しか見つかりませんでした。Amazon から頂きました。
平積みになったこの本の左には、青の背景になってる上巻が並んでいました。その車(クリスティーン)はボロボロ。
何故かこの装丁に気を惹かれ、高校生だった私はこの文庫を買いました。上巻だけ買ったのか、上下巻セットで買ったのかは忘れましたが。以降数年間、スティーブン・キングの文庫本は一通り買いました。新刊(ただし、文庫版)が出るたびに買いました。数冊読破した頃、彼が「世界で一番売れている作家」であると知りました。
私が一番好きなのは、『バトルランナー』です。
参考文献「オガワ文庫の10冊(2003暫定版)」
で、最近読んだのは文庫版の『アトランティスのこころ』です。と言っても、1年近く前ですが。
『蠅の王』って書名は、いつからか知っていました。ウィリアム・ゴールディングというヒトの作品で、名作に該当するものらしいから。その作品と『アトランティスのこころ』が関係あるらしいことを知ったのは、『蠅の王』に対する Amazon 上の書評を読んだからです。『蠅の王』を読んだのは2年ほど前だった気がします。
で、『アトランティスのこころ(白石朗 訳)』には、とても印象的な文章がありました。
久々に遭遇した旧友と、主人公の会話です。
「まだタバコを吸ってるのか?」
「やめたよ。去年ようやくね」
スキップはうなずいた。「きっぱりタバコをやめないことには離婚してやると、女房から申しわたされてるんだ......だったら、ま、努力だけはしないとね」
「喫煙は最悪の習慣だぞ」
「お言葉だがね、生きていること自体が、最悪の習慣じゃ無いのか」
ブログとかの誤字って、ヒキますね。
内容はどうであれ、誤字(というより変換ミスの放置)を眼にすると、途端に読む気が失せます。百年の恋も冷めます。と言っても、お気に入りになっているわけだから、ザッと読むのですが。
私自身の文章にも、誤字の類はあるはずです。が、問題はその頻度だと思います。
結構な長文でありながら、そこに誤字や誤変換が高い頻度で混じっている場合、「作者は大したヒトじゃ無かろう」って、勝手に引導を渡してしまいます。徐々にそのヒトの文章を真面目に読まなくなる。また逆に、投稿が数十文字程度なのに、誤変換を放置できる方もいらっしゃいます。ある意味尊敬します。
私が本当に好きで読んでいるサイトには、基本的に誤字が無いです。
読み直しや推敲、誤字の訂正をしないで披露するんだったら、文章なんか世に出さない方がマシだと思うのです。ブログってのは「毎日更新しなけりゃならない」ってもんじゃないと思うのです。ま、ヒトそれぞれの考え方があるでしょうけれど。
「ああ、今日の更新が終わっていない。急がなきゃ」ってコトで、誤字のチェックもそこそこに(あるいは、文章を読み直しもせず)「投稿」をクリックしちゃってるのがバレバレなサイトを見ると、何だか可哀想になってしまいます。
「器用貧乏」ってコトバが頭に浮かんでくるから。
本日は「メーデー」ってヤツらしい。
ウィキペディア「メーデー」の項を見て、改めて勉強しました。
ニホンコクに於いては、労働運動を盛んに行った(公立学校)教員が、「ホワイトカラーエグゼンプション」導入の早期実現に成功した。
日本マクドナルドの客は100円で夜を越せるらしいが、その店員は大変そうだ。社員もバイトも。
労働運動が盛んなフランス。私は本年2月に首都パリを訪れた。見学先の美術館はストを敢行してた。観光で身を立ててるクニの「外貨獲得の先鋒」だろうに。そして、かのクニの若者の失業率は高いらしい。
日本ってクニでは、労働者が連まなくなったから、結果的に「安い給料で使われてしまう」のであろう。で、金を持っている輩が相対的に強くなる。政治家や企業トップの間では、盛んに「利権の分配」が行われるノダ。
地球上では祭典「メーデー」の間にも、飢えて死ぬヒト(主に海外)が居たり、飢えていなくても自ら命を絶っちゃったりするヒト(主にこのクニ)が居るのは確かでしょう。
組合運動の衰退は「政治家や企業の意図的な情報配信」が原因のひとつだと思います。生きるのが大変そうなクニに住むヒトの画像を流し、「日本は豊かなのです、だから細かいコト言いなさんな」って「メッセージ」が送られている気がします。
選挙にも行かず、何となくテレビと生活してる「ヒラニホンジン」は「オレは就職できたし、食えるだけ良いか」って思っちゃうハズ。
でも、その諦観を続けてしまうと、アベシンゾーが戦争で使う「捨て駒」を増やすだけになる気もするヨ。
昨今「セカンドライフ」って語句をよく見ます。日経を読んでいるからでしょうか?
彼らは消費の拡大のためには、手段を選びませんから。
私は「セカンドライフ」に、興味を覚えません。それ以前に「オンラインゲーム」ってヤツも関わったことがない。
私はコテコテの「ファミコン世代」なので(1971年1月生まれ)、ゲームとともに成長したのは確かです。
んなワケで「ゲームを通じたコミュニケーション」の基本は「ゲーム作者→私」って「一方通行」が基本だと思ってます。
作者は「完成型」の作品をリリースし、私はそれを消費する。
現在の職業、ヒトと交わらないと「生活」できない。
その「リアルなヒト」達とのやりとりが増えるにつれて、どんどんゲームからは遠ざかる。
僕らはオトナになってゆくよ。
ジャストシステムから、ずいぶん前にメールが届いた。
■■■Just MyShop 「シルバー会員」認定のお知らせ■■■○○○○ 様
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*このメールは、Just MyShop にて、「シルバー会員」に認定した
会員の皆様に、システムより自動配信しています。
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2007年04月02日
老化した気がした(実際老化してるけど)。
今日の午前中にやってた、NHKの『憲法記念日特集 施行60年・いま憲法を問う』って番組を途中まで見た。
舛添なるヒトも、アベシンゾー君には若干困惑気味だということが分かった。
"権力の頂点"とか"最高司令官"みたいな忌むべき存在から、"主権者"である国民を守るために「日本国憲法」は存在しているのだ。
憲法の基本的性質を完全に間違えているアベシンゾー君には困ったものである。しかし、彼が首相になったのも国民の意志の反映であるのだろう。
教育基本法は既に改悪されちゃった。
数ヶ月前に知った、私が感銘を受けた文書があります。この腐れ日記の読者にお知らせします。
なお、立教女学院はキリスト教系の学校であるという下地もあるとは思います。
「教育基本法」改正に対する声明文
http://www.rikkyo.ne.jp/grp/jogakuin/seimeibun.html
最近、珍しく写真集なぞを見る機会があった。
ひとつは『スノーフレーク』という翻訳本。
公式サイト(の一部)
Amazon の書評
もうひとつは『small planet』というヤツ。
公式サイト
Amazon の書評
『スノーフレーク』は、職場の同僚(理科教諭)から借りたのである。
「こんな本、見たことありますか? オガワさんなら興味あるかと思って...」と、わざわざ貸していただいたのである。岩石鉱物学を専攻した私でもあるし、雪結晶の顕微鏡写真はとても面白いものだった。雪結晶の微細な構造は、見ていて飽きないものであった。
スキー場などで、空から落ちてくる「六角形の結晶」を見るだけでも結構感動するが、それを拡大すると「とんでもない世界」があることを知った。
『small planet』は、自分で買った。
新聞広告で「実物を撮影しているのに、ミニチュアのように見える写真」を何度か眼にしたことがあり、興味を覚えていた。その写真家の作品集を紀伊國屋書店新宿南店で発見した(ってか、目立つようにディスプレイされてた)ので、2500円(税抜き)も出して買ったのである。作者は本城直季って方で、検索するといろいろ出てくる。
どちらの本も巻末の解説までが勉強になった。
が、『スノーフレーク』の用語解説では「フラクタル」を「フラクタクル」って、間違って記していた。ご愛敬。
ま、私も最初は「フラクタル」ではなく「フラクタクル」で覚えていたケド。
話は変わるが"simulation"は「シミュレーション」であり、「シュミレーション」では無いはずだ。でも、私は最初「シュミレーション」で覚えていたッス。日本語を扱うヒトにありがちな誤読なのだろうか?
私は通勤に「Suica の定期券」を使っている。
今朝、職場の最寄り駅で自動改札を出たら、Suica の中に「チャージ」してあったお金が290円ほど「さっ引かれた」コトに気が付いた。
…???
最初は「定期券のデータ」か「自動改札機そのもの」が壊れたのだと認識した。が、数秒後に気づいた。定期券の更新(継続)を忘れていたことに。今の家に住み始めてから、2年半が経過したことに気づかされた。私が馬鹿なだけでした。
もし、私の使っているのが、ちょっと昔の主流だった「磁気カードの定期券」だったならば、自宅近くの駅に入る段階で弾かれたことだろう。「この定期は切れています」ってメッセージ(というか、軽いプラスチック?板による入場拒否)に気づいたはずだ。
変に定期券が高級化されたため、そしてその中に前払いで電車賃を「チャージ」していたため、必要ない金を290円ばかし使ってしまったのだった。
そういえば、ずいぶん前から「定期券の期限」が自動改札の液晶に表示されていたっけなぁ…
2007年度になり、明らかに減ったシゴトがある。
それは「中途半端な長さのチョーク処理」である。
昨年度は高校2年を、本年度は高校3年のクラス担任をしている。当然、ホームルームを行う教室がある。放課後には生徒と一緒に教室掃除をする。
昨年度の最初、黒板の整備をしていて気付いた。「この教室で授業をする教員の中に、"チョーク放流主義者"が居るな」って。
"チョーク放流主義者"ってコトバは、今思いついた。私は"チョーク現地調達主義者"である。
私は職員室から授業に向かう際、チョークを一切持っていかない。授業をする教室に放置してあるチョークを適当に使うのである。
ヒトによっては、自分のチョークケースを持っていて、授業にそれを持参する方もいる。それもひとつのポリシーだろう。
私が理解できない存在(あれは"人種"といっても差し支えないだろう)に、「授業に向かう時、ほとんど毎回新品のチョークを持参する」というグループがある。
授業の際、確かに新品のチョークを使う方が、書き心地がよいだろう。しかし彼らは、その使用済みチョークを、授業を行った教室に"放流"するのである。昨年度、私はいったいどれだけ「少しだけ減ったチョーク」を回収したことだろうか。使用前のチョークの長さを"100"とすれば、およそ"80"くらいのチョークである。自分が使ったチョークは、自分で回収して欲しい。
年度途中、どう頑張ってもホームルーム教室では「"80"チョーク」を使い切れなくなってきた。結局、職員室の「"100"チョーク」置き場に上記「"80"チョーク」を再放流することとなった。特に苦情を聞いたことは無かった。
ああいう行動(チョーク放流)を取れるヒトってのは、「想像力に欠けてる」んじゃないかと思うのです。自分が使った後のチョークがどうなるか、考えていないのでしょう。
この"チョーク放流主義者"って、「飲み終わった紙パック飲料の容器を、道ばたに止めている自転車の荷物カゴに放り込む人達」に近いような気がします。ところで今気付いたが、そういう"ゴミ放流主義者"ってのは、"放置自転車撲滅活動家"なのかも知れないですね。駅前に自転車を放置しているヒトに鉄槌を下しているのカモ。しかし、それが本当ならば、「ひとつの自転車のカゴに、山ほどゴミが投入されてる」って現象はあり得ないですね。やはり彼らは単なる「自分勝手なヒト達」なのでしょう。
このコトをこの場所に書いて、何がどうなるワケでも無い。が、このネタはいつか書こうとも思っていた。
何故なら、このコトは職場全体に伝えるような内容で無く、職場の誰かに喋るほどでも無いからだ。飲み会の際、誰かに喋ったことはあるかも知れないケド。
何しろ、本年度は私のホームルーム教室でのストレスがひとつ減るとともに、その原因(の人種)は私から遠ざかったことも確からしいので、ここに記してみました。
"チョーク現地調達主義者"の私も、時々困難に遭遇するのですよ。自分がチョークを運ばないので、チョーク減少の危機に見舞われるコトがある。また、ごく稀に複数色のチョークを使いたくなった場合、それらが見あたらなかったりします。生物の遺伝分野あたりでは、色を用いて4種類の形質("丸黄・丸緑・しわ黄・しわ緑"みたいなトコロ)を区別したいときもあったりするので。
ま、普段の授業では、誰かが教室へ運んでくれたチョークの「成れの果て」である、チビた白いチョークと黄色いチョークしか使いません。そして時々、爪で黒板を引っ掻く羽目になり、何とも言えない周波数の音波で、眠りかけていた生徒を起こすのです。
今朝、西日暮里駅前の交差点で、鉄槌が下されるのを見た。
その人は、地下鉄の出口に放置されていた空のペットボトルを、放置されていた自転車のかごに放り込んだ。私の目の前で。
そのペットボトルも、自転車も、彼の持ち物ではないのは明らかだった。
何故なら、彼は荒川区に支給されたであろうベストを着用した「放置自転車を整理するオッチャン」だったからだ。
これは実話である。
今朝(正確には昨日の朝)、テレビを見ていたら「はにかみ王子」&「ハンカチ王子」ネタをやってた。
「王子すてきー」って仰る、「妙齢のご婦人方」が多数放映されてた。
「異性の偶像を崇拝するヒトビトの映像」って、下らないワイドショーみたいなヤツでよく流れる。「いい年した若者たち(♂)が、声を揃えて女性アイドルをしきりに応援」してたり、「若い女性が、男性アイドルに対してキャーキャー言ったり、しまいには卒倒」してたり。
しかし、脂ぎったオッサンが「あやや、萌えー」っていう映像は見ない(気がする)。
何で「若い女性アイドルに執心しているオッサンの図」は、テレビであまり流れないのだろうか?
不思議である。
「オッサン」てのは、「露骨に性的な」感じがするってコトだろうか。ま、私も「アイドル好きの妙齢の紳士」をテレビで見たいワケじゃないけど。
広い意味では「おばさん」も「にいちゃん」も「ねえちゃん」も、みんな性的に興奮しているとも言えるはずなのだが。
参考文献:過去の「ジェンダー論」的日記(もう少し真面目な内容)
https://ariori.com/diary/2004/10/05/
https://ariori.com/diary/2006/10/24/
「ミランコビッチ・サイクル」とか、「地球磁場の消失や逆転」とか、「地球の全凍結」みたいな概念って、地学方面に興味があれば、自分でたどり着けるヒトもいるかもしれない。
しかし、世の中のヒトの大多数はそんなことを知らないままに死んでいくのだろう。
ミランコビッチ・サイクルを初めて知ったとき、私はかなりの衝撃を受けた。
・地軸の傾きは23.4度で固定されているわけでは無い。その結果、氷期や間氷期といったサイクルが存在するとかしないとか… 私は「氷期の地球」を直接見たワケじゃありませんが。
・北極星は数千年の間でもローテーションしていく。
・地球の軌道は変化している。
大地震とか、洪水とか、大火事とかに対して、「自然の猛威」ってフレーズが使われることがあります。これは、かなりヒト寄りの「我が儘な」解釈だと思います。
ミランコビッチ・サイクルなんて、ヒトどころか、すべての生物も無視してますもんね。惑星の化学組成とか恒星のタイプなんてのも関係ないのだろう。単純に古典的な力学の世界なんじゃないかな、多分。
何しろ、ヒトというのは、恒星や惑星の運動の前では、完全に無力であることを思い知らされます。
そんなコトを調べ上げたミランコビッチさんたちって、凄いと思います。
で、このことを学校で勉強するとどうなるのでしょうか。
パターン1:地球の歴史を解明したヒトの一員であることを誇りに思い、「自分もとりあえず人類に何らかの貢献をしよう」と考える。
パターン2:ヒトの無力さを改めて思い知り、「神様なんて、どうせ人類のコトなんか気にしていないんだ。だったら、とことん好きなコト、悪いコトをやってやろう」って思う。
さあ、DOTCH !
5日前、初めて"ariori.com"内アドレスへ「まとも」なメールが来た。
なんでも、ゲーセンに設置されるクイズゲームを作成している方らしい。
その問題用に「チェレンコフ光」の画像を使いたいのだそうだ。
https://ariori.com/science/nuclear/PICT0021.jpg
https://ariori.com/science/nuclear/PICT0011.jpg
拒否する理由もないから、「どうぞご使用ください。」って返信した。
この数年、プリクラなら撮ったことある。しかしゲーセンのゲームからは、相当遠ざかっている。
池袋西口のゲーセンにいた、「ガントレットの"エルフのオヤジ"」。今どこで何をしているのだろう? もう50歳近いはずだよなぁ、彼は。
ってか、なんで僕はなんであんなにゲーセンで50円玉を消費したり、ファミコンで命や学業成績を削ったりしたのだろう?
そのゲームは「クイズマジックアカデミー」ってヤツらしい。
そういえば、「対戦型のクイズゲームがある」ってテレビで見たコトもあるなぁ。
ふぅ。
教員免許更新制で、一番の実害を受けるのは、「講習を受け持つ(ハズの大学の)センセ達」だと思います。
本当は、小学校から高校までのセンセイの採用自体を厳密にするべきだと思うのです。
ノーモア縁故。
ノーモアヒロシマ。ノーモアナガサキ。ノーモアオキナワ。
ノーモア二世議員。
大学の先生からの「教員免許更新制は止めようぜ」メッセージは、あんまり見たこと無いッス。自分たちの所行と素性が胡散臭いことをご存じなのでしょう。
自分が「大学の教員」であることの有り難みを自覚しているから、そして、自分たちは特に「免許」を必要とするわけでもないから、また、あんまり関係ないヤと思っているから、主張も無いのだろうと思います。
ご愁傷様です。
参考文献
https://ariori.com/diary/2005/12/06/
https://ariori.com/diary/2006/07/25/
私はコイツに該当する。
「年金記録 92-96年に就職した人 学生時代の不備多数か」by 北海道新聞
その発覚経緯は以前に日記で記した。
社会保険庁はちゃんと仕事をしていた。ちゃんと届け出なかったのは、私の落ち度である。
『TVタックル』見ている。
サンゴに落書きしたり、餅に関する記事すら書けないヒト達の仲間に、偉そうなこと言われたくない。
テレビ全般に言えることだが、発言の編集が意図的すぎる。
ま、自民党のセンセイ代表が「馬鹿っぽい面構え」なのは「素」らしいが。
今日の帰宅途中、阿佐ヶ谷駅ホームで小学生男子が言っていた。「アイアムソーリー、ひげソーリー」
「覚えたて」なのだろう、何度も繰り返してた。
ここ数年、もしかすると10年を超えているかもしれない。お気に入りで使っているカミソリがある。
それは、"schick"の"injector II"である。
この剃刀は、首振り機構もない古典的なホルダーである。1970年に発売が開始されたらしい。
剃刀の「首振り機構」は昔から存在している。また、最近は「3枚刃」とか「4枚刃」なんかがあったりするが、私は「首振らず2枚刃」で良いのだ。少なくとも「首振り式2枚刃」よりは、綺麗にヒゲが剃れた気がするから。ここ数年「首振り式」を使っていないから、どの程度ヒゲが剃れるのか忘れたけど。
で、替え刃が数日前に無くなったので、ネットでの購入を考えた。この剃刀はかなり昔から存在するモデルらしいが、ホルダー(ハンドルのほう)は2001年に生産終了してしまったことを知った。1100円台で購入できるようだった。どうせなら5セット(50枚)くらい買えば、あと数年間は使えると思ったのだ。通販なら、大量購入すれば「送料無料」になるみたいだし。
しかし結局、通販で買うのは保留にした。50枚の替え刃を買っても、ホルダーが壊れたらオシマイだし。で、昨日阿佐ヶ谷の薬局に行ってみた。1080円で売っていた。店頭に吊られていた2セットを買い占めた。
カミソリの替え刃ってのは、結構高価である。昨日改めて気づいた。インジェクターの2枚刃(10枚入り)は、定価が1500円を超えることは知っていた。「3枚刃」とか「4枚刃」なんか、替え刃が8コくらいしか入ってなくても、2000円を超えていたりした。
カミソリの替え刃って、高価なのだ。改めて知った。インジェクターの2枚刃でも十分高価だと思っていた。
冒頭(?)の小学生に戻る。
今でも、小学生の間で見る遊びに「軍艦じゃんけん」ってヤツがある。(ウィキリン)
あの遊びは、もう70年くらい生き延びているんだろうなぁ。私も小学生の頃にやりました。軍艦も、朝鮮も、ハワイも、ほっとんど見たコト無いのにも関わらず。同じ遊びで「グリン・チョリン・パリン」バージョンを目にしたことがあるが、そっちの方が平和である気がする。
前から気になっていたことがある。
今日、画像を撮影できたので、披露する。
下の画像は「とある交差点」である。ってか、JR西日暮里駅から町屋方面へ向かっている道灌山通りと、尾久橋通りの交差点である。
現在、この交差点の上では「日暮里舎人ライナー」の駅舎が建築中である。
そのため、横断歩道の位置が、工事前と比べると大幅に変わった。
で、私が工事後から気になっているのは「移動経路が遠回りになる場所に陣地をキープする人物」である。具体的にはA(地点)に佇むヒトビト。
私が写真を撮影したのは★の地点である。横断歩道自体はかなり「ひしゃげた」平行四辺形になっている。A地点は平行四辺形の鋭角の脇になる。B地点は鈍角の脇である。
写真では分かりづらいが、A・B両地点の向こうには、地下鉄の出入り口があるのだ。だから、明らかにA地点経由(青い点線)よりも、B地点経由(赤い実線)の方が良いルートなのだ。
町屋駅方面から、ちゃんと横断歩道を渡って西日暮里駅を目指すならば、最短経路となるのはB地点経由のハズである。しかし、結構な割合でA地点で信号待ちをするヒトが居るのだ。不思議である。
「西日暮里横断歩道グランプリ」のポールポジションは、A地点ではなくB地点なのだ、どう考えても。
先ほど採点が終了した。
公立学校の先生なんかは、「答案持ち帰るベカラズ」みたいな約束もあるらしい。
私の勤め先は、私学だけに若干融通が利く。「持ち帰る場合は自己責任で」みたいな感じで一応許可されてるノダ。落としたりしたら、洒落にならないだろうが。
ま、「持ち帰る」って時点で、ホワイトカラーエグゼンプションという名の棺桶に、自ら両足を突っ込んでしまっているわけだ。労働者としては、あまり褒められた行為では無い。
ここ数年、自分を褒めるコトが続いている。毎年中学生に対して、ほぼ同じ範囲の授業を繰り返し行いながら、試験問題は必ず作り直しているから。って、アタリマエか?
忘れもしない1985年、私が中学3年の時である。
その年に豊島区内の中学校から異動してきた数学の先生Aがいた。特に好きでも嫌いでもなかった。厳密に言うと、「好き」よりは「嫌い」に近い先生だったから、名前も覚えていないのだろう。
で、そのA先生は私の記憶では長崎中学から第十中学に異動してきたのだ。で、Aは異動前の中学で使った定期考査の問題を、そのまま(?)私たちの通う学校でも使ったらしいのだ。
友人の数名が通っていた塾が東長崎駅近くにあり、その塾に通っていた友人数名は、Aの作った過去問を入手したらしい。
私が中学の頃、評定は「相対評価」だった。
どれだけ頑張っても、5の人数は限定されている。また、都立高校に入るには「内申」と「5教科のペーパーテスト」の両方が大事なのだ。「定期考査の流出」は、コドモゴゴロ(?)にも、「洒落になってないよ」って思ったのだ。
一昨日一八時過ぎ、JR阿佐ヶ谷駅はダイヤ街側の改札。
六十歳がらみのバックパックを背負った小柄な夫婦、自動改札を「ピヨピヨ」言わせつつ通過。
JRの正規職員ではなく「警備員」と思しき、やはり六十歳がらみの男性、何も言わず。
三十六歳の私、老夫妻の直後を通過。
無事自動改札を通過した両人、アイコンタクト&「してやったり」との微笑み。
あの夫婦、自動改札を子供料金で通過すると、ランプが点いて「ピヨピヨ」言うことを、知らなかったのじゃないかと思うのだ。
…私は淡く深い悲しみを感じた。
とは言うものの、私も何度かキセルしたことありますけどね。定期券が紙製だった頃の話だ。昔はおおらかだった。キセル乗車を推奨するワケではないが、それが簡単だったことは確かだ。
大学時代の友人には、京都の遙か向こうから「無銭乗車」で東京まで帰ってきたという強者もいた。ま、乗ったのが無人駅の上、道中、検札が全然来なかったコトもあったそうだが。
13日の金曜日、帰宅が配偶者と同じくらいの時刻になり、西日暮里駅で待ち合わせることになった。私が若干早く到着した。
携帯に着信があった。「指輪を線路に落とした」とのコト。
ほへー???
結論から言うと、終電後の駅に出向き、京浜東北線の線路に降りて、砂利の隙間から表題の指輪を回収しました。貴重な体験でした。
駅員さんにも迷惑をおかけしました。ありがとうございました。
指輪はおよそ5年前に、「半婚約指輪」としてプレゼントしたものだった。
理科を勉強しているヒトなら、"4℃"というのが意味のある温度というのはご存じでしょう。私は、そのブランド名が気に入ったから指輪を購入したのでした。
彼女は、もともと"4℃"というブランドは知っていたが、その意味(?)は知らなかったそうです。
私はだいぶブランド名に詳しくなりました。
確かに、"4℃"はかなりメジャーなブランドでした。この5年間、配偶者によってデパートに繰り返し拉致され、学習してきましたとさ。
学期末の職員会議の場で、勤務先に於ける『同窓会だより』が配布された。
誤字がいくつかあった。大学名の「立教」が「陸橋」になってたり。それは、担当の先生もご存じのようだった。
そんな中、私は隣の先生が読んでいた『たより』を横から覗いていて、強烈な誤字を発見してしまったのだ。私は誤字を見つける才能があると思う。新聞の誤字も発見したことあるし。
正式に書くならば、そこは以下のような記述があるはずだった。
映画研究同好会
ルーブ・ゴールドバーグ マシンコンテスト ムービー部門 グランプリ
初めて、このコンテストを知った。恐らく、学校宛のメールを同好会顧問に転送したのは私なのであるが。
で、その『たより』では、以下のように記されていた。
ルーブゴールドバーグマンコテスト
隣のヤクザみたいな先生にも教えてあげた。更に2人の先生もコンテストの餌食になった。
4名の教員(♂)は、10分間近く笑いをこらえ続けた。笑いをこらえ続けていると、体から汗が噴き出ることを知った。アドレナリンの効果だろう。
しかし、笑ってしまうのは、上記ページでも誤記がある(らしい)ことだ。そのページのタイトルは「コンテスト」なのに。
からくり多摩テ箱
ルーブ・ゴールドバーグ マシンコンテンスト ホームページ
7月19日現在でした。
本日の東京は、バリバリ雷が落っこちたようだ。
大学の教官に聞いた(ような気がする)話を思い出したので、記す。
教官の知りあいに、釜飯が無茶苦茶に嫌いな人が居たそうだ。年齢は判らない。女性だった気がする。
彼女は、どのような釜飯も受け付けないのだそうだ。「炊き込みご飯」は食べられるが、「釜飯」はダメだそうで。
幼い頃、恐らくまだ信越本線が横川から軽井沢まで通じていた頃なのだろう。彼女は駅弁を買ってもらったそうだ。当然、おぎのやの「峠の釜めし」である。
旅は楽しい。駅弁も嬉しい。
幼かった彼女、ワクワクしながら釜飯のフタを開ける。
その瞬間、彼女のごく間近に雷が落ちたそうだ。
それ以来、彼女は釜飯が食べられなくなった。
確かに、ほとんど全ての「好き嫌い」は「刷り込み」である。だから、幼い子供の脳に「釜飯=雷=怖い=嫌い」が強烈に記銘されるってコトもあり得るのだろう。
関係ないけど、あの釜飯の容器って、食器に使えて便利である。ま、たくさんは要らないけど。
フタは鍋敷きにもなる。ま、たくさんは要らないけど。
で、ちょっと「おぎのや」を見てみたら、容器の活用法「も」記してあったッス。自分ではやらないだろうけど。
料理教室/峠の釜めし本舗おぎのや
http://www.oginoya.co.jp/cooking/
8月1日から3日間、財団法人放射線利用振興協会による原子力体験セミナーの上級理科コース I (魚拓) に参加してきました。
原子力体験セミナーに参加するのは2度目です。前回2005年の「産業コース」参加レポートはこちら。
このセミナー、職場のセンセ方にも毎年勧めています。しかし、私以外に参加した方は無さそう。確かに宿泊が必要な研修は面倒かも知れません。
でも「原子力という技術」そのものを知るのは、意義のあることだと思います。
研修最終日、帰りのバスまで1時間近く余っていたので、原子力科学館に立ち寄ってみました。
2年前の原子力体験セミナーに参加した際にも「もう少し見たかったなぁ」と思った施設でしたので、ちょうど良かったです。そこでは「JCO臨界事故」に関する展示がありました。写真を撮ろうかとも思ったのですが、「きっとネット上には"見学レポート"があるだろう」と思い、あまり記録は取りませんでした。パンフレットはきちんと貰ってきました。
で、先日ネット上を漁ったところ、やはりレポートは存在しました。
JCO臨界事故模型展示を見る
http://www.asahi-net.or.jp/~zs2t-ikhr/article/jco6.htm
あの立派な、しかしあまり大きくない展示は、1年以上前に作られていたのですねぇ。
私が思ったのは「この展示は、どこから金が出て、実際には誰が作った(下請けした)のだろう」なんてコトばかりでした。
ちゃんとした「原子力体験セミナー」のレポートは、これから作成するはずです、職場の宿題だから...
6日と7日は、多摩川の河川敷で行われた、ソフトボール大会引率(日焼け付き)に行ってきました。
ソフトボールってのは、最低9名のプレーヤーが必要なのですが、勤務先では1,2年生で7名しか居ません。3年生の部員とその友達を助っ人として、何とか参加してきました。ま、例によって他の学校から部員を借りたりもしたのですが...
アトランタオリンピックで正式種目になったあたりから、「ソフト人気も高まるかしら...」って期待しつつ、既に10年以上。勤務先に於いては、部員数の増加は見られませんでした。むしろ減少しているかも。
やはり人数が揃い、練習試合を頻繁に行うようでないと、なかなかチームも強くなりません。
しかしながら大会後、約2週間は部活動も夏休みとしました。私も休まなければならない。
学期中は過労死の定義に引っかかるような超過勤務が続いています。どう考えても、年間104日(週休2日)相当の休日は無いしねぇ。
「原子力セミナー」に参加しているあいだ、部活の面倒を見てくださった先生へのお礼として、茨城のおみやげを買って帰った。
定番だろう「水戸の梅(画像ググリンク)」を選んだ。
私が昔から知っているヤツは、「亀じるし」という会社の製品のようだった。他にも同じ菓子を作っている会社はいくつかあるらしい。しかし、私は「亀じるし」以外の包装を知らない。
およそ1年前、職場のセンセに貰った「水戸の梅」を食べた時、「美味くなったなぁ」と感じたのだった。
幼い頃は赤紫蘇の酸味と、餡の甘みが分離しているような気がしていた。1年前は、全体の味がまとまっているように思った。
だから今回おみやげに買った。
私は数年間、茨城県新治郡千代田村(現かすみがうら市)に住んでいた。
また、父親の実家も茨城県にある。
茨城の食べ物というと、私の中では「水戸の梅」か「のし梅」か「五家宝:ごかぼう(画像ググリンク)」あるいは「鮒の甘露煮」が頭に浮かぶ。
茨城名物の筆頭は「納豆」なのかも知れない。しかし、納豆はスーパーで売っているパックを日常的に食すから、わざわざ土産に買おうとは思わない。また、土産物の納豆は劇的に高価だ。なので、自分では買ったことがない。
また、千代田村は梨や栗が名産だったそうだ。梨は確かに美味かった。小学生の私はしょっちゅう食べていた。幸水が一番美味しいと思うのだが、東京だと馬鹿みたいに高いから、あんまり食べたことがない。
今回の水戸(及び東海村)行きで改めて知ったのだが、古河での「五家宝」は、水戸だと「吉原殿中:よしはらでんちゅう」という名前になるらしい。そういえば数ヶ月前、「五家宝」と同じ味で違う名称の菓子を、職場のセンセから頂いたことがあった。それは「ヨシハラデンチュー」だったのだろう。
で、おみやげを渡したお一人に、なぎなた部顧問の先生がいる。
彼は奥さんにツッコミ(そんな勢いで食べなくても...)を入れられながら、「水戸の梅」を貪り食ったのだそうだ。
彼は小学生の頃、水戸に住んでいたことがあったらしい。今日初めて聞いた。
私は "「水戸の梅」って、昔より美味しくなってませんか? " と、1年前に感じた疑問を投げかけてみた。彼も「水戸の梅」を食べ、以前よりも美味いと感じたそうだ。しかし、彼からは "「水戸の梅」よりも、私達の味覚が変わったのではないか" との返答を得た。
そう言われれば、「水戸の梅」ってのは、かなり「大人向け」の味かも知れない。
結局のトコロ、亀じるしの「水戸の梅」と、私(とSセンセ)の味覚については、以下の3つのパターンが考えられる。
パターンA:「水戸の梅」は昔も今も同じ味で、私達の味覚が変化した
パターンB:「水戸の梅」に改良が施され、私達の味覚はそれを感知した
パターンC:「水戸の梅」に改良が施されると共に、私達の味覚も変化した
パターンC が、一番もっともらしい気がする。しかし、真相は不明だ。
「水戸の梅」という菓子は、客観的にはどの程度美味しいものなのだろうか。
私とSセンセは、それを判断する基準を持っていない。というか、感覚が主観的に過ぎるのだろうと考える。
この夏は、パスポートを使う機会がなかった。
あんまり外出もせず、「食っては寝、時々ゲーム」の日々を送った。そのため、私は過去最高の質量を保有するに至った。簡単に言うと「過去最悪に太った」と云うコトだ。78kgぐらいまで増加してしまった。チナミに身長は177cm前後である。
今日の昼食はコンビニのおにぎり2個である。
ここ2日ほどはビールも飲んでいない。しかし、昨日は夕食後にアイスを食ってしまった。
本気で痩せる気になれば10kgくらい落とせるのかも知れない。しかし、無理なダイエットは体に悪い。少なくとも数日のうちには、70kg台前半までは戻したいものだ。
そんな堕落した日々だったが、数少ない「若干の遠出」に「埼玉方面へのドライブ」があった。
首都高から関越を経由し、寄居・長瀞(ながとろ)・秩父周辺を日帰りで巡ってきたのだ。
長瀞にあった「埼玉県立自然の博物館」に寄ってみた。
長瀞は日本に於ける「地質学発祥の地」であると言われる。
今から18年前となる1989年の秋、私はこの場所を訪れている。東京学芸大学教育学部の「小学校・中学校・高校理科」に属する百数十名の一人としてだ。「岩石学・地質学・古生物学」などの授業の一環であった。
こんな石碑は記憶に無かった。裏側を見て納得した。平成5年に設置されたものらしい。揮毫はその当時の埼玉県知事によるもののようだった。
その石碑の前で思い出した。博物館の目の前の旅館「養浩亭:ようこうてい」こそ、長瀞の実習で宿泊した宿であることに。
そして更に思い出した。馬鹿な(元)学生達のハナシを。
大学1年生というのは、その大半が未成年である。
しかし、私が18歳だった当時、「大学生ならば酒を飲んでも良いだろう」というのが、ヨノナカの一般的な認識だった気がする。今も同じなのだろうか?
当然のコトながら、その実習の宿でも学生の宴会は行われるのだった。引率?の教官も、見ぬ振りをしていてくれたのだろう。
私が所属したのは「初等教育教員養成課程」というトコロだった。俗に「A類理科」と呼ばれており、18組と19組の2つに分かれていた。その実習には中学校の教員を目指す「B類」、高等学校の教員を目指す「D類」も参加していた(類の名称は当時のもの)。
実習が終わってから噂で知った。B・D類の輩は「とんでもないこと」をやったらしいと。
彼らB・D類も飲酒をしていたそうだ。そして、飲み過ぎたヤツが居たらしい。「寝ゲロ」か「覚醒ゲロ」か判らないが、布団に「ブツ」を放出したそうだ。
それだけでもかなり馬鹿なのだが、コトもあろうに彼らは「ゲロ付き布団」を畳み、押入にしまい込んでしまったというのだ。
宿からの連絡があり、その悪行が発覚したと聞いた。
その「悪行」のため、長年利用してきた「養浩亭」が使用できなくなり、長瀞実習は無くなったと記憶している。ま、長期休業中の3日間の実習が無くなったから、後輩の学生は感謝しているのかも知れませんけどね。
しかし、小学生じゃあるまいし「ゲロの布団を隠す」ってねぇ... orz
今朝、道灌山通りを歩いていたら、停車しているバスに以下のステッカーを見た。(遠くから見たので、NBAというアルファベットしか見えなかった。)
「NBAって日本バス協会の略なのだろうなぁ。National Basketball Association 以外にも、"NBA"ってあるんだなぁ」と思った。
で、先ほどググってみた。
日本ビリヤード協会(NBA)
概要と事業内容の紹介のほか、ビリヤードの歴史、プールとスリークッションについての解説。
www.nba.or.jpNBA - (社)日本バーテンダー協会 -
協会の概要、目標を掲載しているほか、セミナーや競技会の概要を掲載している。
www.bartender.or.jp
バーテンダー協会の画像がイカしている。
残念ながら、日本バス協会はなかなか出てこないのだった。
http://www.bus.or.jp
がんばれ!
いや、どうせ役人の天下り先でもあるだろうから、それほど頑張らなくてもいいのカモ。
ルーマニアとチャドと信濃町の国旗は、ほとんど同じであることを知った。
授業のためにルーマニアを調べていて分かった。
何だかよく分からない方は、「ルーマニア チャド 信濃町」でググッた結果をご覧ください。
ふと思い出した。
もう、東京では「法人タクシー事業者ランク評価」は5年くらいやってるらしい。
お客様のページ タクシーランキング(法人タクシー事業者ランク評価)
http://www.tokyo-tc.or.jp/user/yuuryouji/yuuryouji.html
今朝、ふくねこタクシーを見た。
http://www.fukuneko-taxi.com/
あのタクシーを見ると和む。
朝に見ると、その日に何か良いことがありそうな気がしてくる。
幼い頃、「フォルクスワーゲンビートルを何台か見ると、良いことがある」とか「願いが叶う」とかいう迷信(?)があった。都市伝説とも言えるのだろう。
タクシーって、選んで乗ることはまず無い。タクシー乗り場でも、流しのタクシーを捕まえるときでも、格付け"AA"のタクシーを選ぼうなんて気は起こらない。ってか、乗るタクシーは選べないっしょ、普通。
タクシーに乗る際に、禁煙車または喫煙可能車を選ぶ人もいるらしい。レンタカーとかホテルの部屋なら分かるがなぁ…。
あの格付けは、評価の手間とシールの値段が、つまり全部が無意味なのじゃ無かろうか? また、「禁煙車」とかいう表示も、作業費と電気代の無駄なのじゃないか? ドライバーが禁煙を希望していても、喫煙されちゃうこともあるらしいし。
エコロタクシーも強烈だ。
エコロタクシー■風力発電機付き新型行灯を開発
最初、このニュースを聞いたときは、ブッ飛んだッス。
あと少しの期間は、安倍晋三氏が君臨しつづけるのだと思っていた。5時間目の授業から職員室へ戻ったら、職員室でテレビが点いていた。彼は総理の職をお辞めになるようで。
YOMIURI ONLINE(読売新聞) から
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070910i317.htm
英での就労希望者、英語力必須に…入国審査に追加方針
【ロンドン=本間圭一】英国のブラウン首相は10日、南部ブライトンで演説し、国内で就労を希望する外国人に対し、入国審査に英語力を加える方針を明らかにした。
来年以降、欧州連合(EU)域外の就労申請者に適用される予定。英社会に順応出来る外国人の受け入れを進めるのが狙い。英国の在留邦人は欧州主要国で最多の約5万人で、今後、就労ビザの取得を目指す日本人にも影響を与えそうだ。
英内務省などによると、これまで英語力を問われたのは、医師など大学卒業程度の「高度な」技能や資格を持った外国人だけだった。今後は、義務教育修了程度の学歴で「一定の」技能や資格を持った外国人にも拡大される。例外は、サッカーのイングランド・プレミアリーグの選手らに限られるという。
新制度に伴い、就労を希望する外国人は、国際的に通用する英語試験で一定の成績を収めたり、大学で英語の単位を取得したりすることが求められる。
(2007年9月10日23時41分 読売新聞)
ちょっと前に、フランスでも同様の措置を取っているというニュースがあった。
日本語が妙に不自由なアベシンゾー氏は、もうしばらくの間「しっかりと」「スピード感」を持って「改革」への「再チャレンジ」を続行するのだと思ってた。
だから「日本語使えなきゃ、日本で働けません」という法律は、少なくとも1,2か月は作られないだろうと思ってたノダ。ま、法律は総理大臣が作るわけではないが。
次期首相が鳥肌実みたいに高度(?)な日本語を扱うヒトだったりすると、フランスやイギリスと同じ様な法律ができるかも知れない。と云うことは、日本で働きたいけど言語に問題がある場合、近いうちに日本入りしておく必要があるのかも知れない。安倍氏が次のヒトに政権を譲り渡す前に。
私は英語が不自由なので、自分で確認できなくて残念だが、アメリカのブッシュ氏も英語が不自由らしいと聞く。フランスとイギリスで失業し、日本入国も間に合わないヒトは、アメリカ合衆国へ向かうのが良いのでは無かろうか。
職場で使ってた、Teva のサンダルの底が割れていたので、新しいサンダルを物色した。
毎日10時間以上にわたって履くから、その選択は重要なのである。
Teva は今までに3,4回購入したことがあるのだ。それをまた買おうかとも思ったが、その他にも候補はあった。
まず定番の BIRKENSTOCK を考えた。かかとにストラップがあるタイプなら、良いかと思って。
履いたこと無いけど、流行しているらしい crocs も候補だった。ただ、静電気が発生するというニュースを聞いた。職場では、パソコンを扱うから「ビミョー」だなぁと。
で、結局買ったのは Chaco というメーカーの製品だった。Z1 というモデルである。
数日使用したが、なかなか良い感じである(^o^)
50音順にネット上の記事見出しを連ねる。
朝日新聞
道徳、教科にせず 中教審方針 再生会議案「困難」時事通信
道徳教科化は見送り=次期指導要領で中教審中国新聞
道徳「教科格上げ」見送り 中教審が方針東京新聞
道徳 教科化見送り 中教審方針『徳育』にもせず日本経済新聞
道徳の教科化、見送りの方向・中教審と文科省読売新聞
道徳教科化見送り、心の問題「なじまず」...中教審方針
昨晩遅くから、これらの記事は配信され始めたらしい。
私の嫌いな毎日新聞は、この件に関しての記事を載せていない。毎日jpとやらの準備で忙しいのだろうか。
私はこの記事(群)を見て安堵した。
道徳は「教科」にはならないらしい。
これらの記事の出所はどこなのだろう。
以前から思っていることだが、文部科学省の公式サイトでの発表(例えば「審議会議事録」)よりも速く、審議会関連の記事が出現しているのである。この現象は日本の行政に於いては普遍的に見られるのかも知れないが、他の省庁のサイトはあんまり見ないから分からないのである。
これらの記事が新聞や Web 上に出たってコトは、文部科学省の役人と、中教審の委員の間で、「道徳の教科化は止めよう」って話し合いが決着したというコトなのだろう。
審議会の会議自体は「出来レース」というコトなのだろうか?
上に挙げた記事を一通り読んでみた。
『心のノート(ググリンク)』って不思議な冊子があったことを、中国新聞の記事で思い出した。
私の職場の机上にも常備されている。あまりにも胡散臭かったから、初版をきちんと保存してある。すぐに手にとって読めるように置いてあるのだ。
その冊子を見て最初に思ったのは「冊子全体のデザインに一貫性が無く、非常に読みづらい」というコトだ。
その内容については、様々な意見があろう。この冊子についての書籍も売られているらしい。先ほど知った。『心のノート』が気になる方は以下のリンクを辿られると良いだろう。
この冊子は市販されているらしいが、その内容が pdf で読めるというのが不思議だ。著作権の侵害に当たらないのだろうか?
CEBc - 特定非営利活動法人子どものための民間教育委員会
http://cebc.jp/
内
資料室 -「心のノート」中学生版-
http://www.cebc.jp/data/education/gov/jp/konote/cyu/
ま、一種の「国定教科書」を「暁教育図書」等の「私企業」が作成・大量受注したのだ。出版社も何か後ろ暗いことがあるに違いない。だから文句を言えないのだろう、多分。
「暁教育図書」は、社長の名前しか判らなかった。役員の氏名なども知りたかった、そしてググってみたかったのだが...。
ウィキペディアによる「心のノート」の解説はイカしている。
2007年9月19日に引用。
こころのノートこころのノートとは文部科学省が2002年4月、全国の小中学校に配布した道徳の副教材である。小学生向け(1・2年生、3・4年生、5・6年生)3種類と中学生向けの合計4種類がある。表題は小学校低学年向けは「こころのノート」、他は「心のノート」である。心理学者の河合隼雄を中心として、製作されたものである。2002年度だけで、7億2980万円の予算が使われ、2003年にも3億円の予算が計上された。
歴史教科書問題において日本は教科書検定制度であると反論しているが、こころのノートは事実上の国定教科書でありこれに反するという主張や、教育勅語や修身教科の色彩が濃いとして批判されることも多い。
また、この冊子を作るのに多額の税金が用いられていたことも問題となっており、わざわざ文部科学省が製作する必要はなかったのではないかと言われることもある。
実際のところ、学校の授業ではほとんど使われずに学年末に家に持ち帰るだけになっている場合も多々ある。
こころのノートの巻末にはエコマークが記されており、「ちきゅうにやさしい 文部科学省」となっている。
<過去の関連する日記>
「中教審と再生会議」
https://ariori.com/diary/2007/04/27/
----------2007年10月6日追記----------
奥村先生のブログ
http://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/blog/
で、
教育委員会連合会のサイト
http://www.kyoi-ren.gr.jp/
の存在を知った。
トップページから「最新の中教審会議資料」を見ることができる。文科省公式サイトよりも早く。
奥村先生にその情報をもたらしたのは、五十嵐先生であるらしい。
総合学科「情報」日誌
http://arashi50.cocolog-nifty.com/blog/
夏休み最終日の31日、部活の指導でソフトボールのダイヤモンドを一周、見本として全力疾走した。
3塁を過ぎたあたりで、右太腿裏側に痛みが走った。「肉離れ?」と、その瞬間に思った。
とりあえず完走したが、タイムは12秒34、自己ベストからは0.7秒ほど遅かった。体重の増加とラスト10mほどの減速が原因だろう。
その際、負傷したのは「ハムストリングス」だと見当を付けた。先ほどネット上で確認したが、やはりその場所が肉離れを起こしたようだった。本格的な肉離れは初めての体験であった。
走ることにはそれなりに自信があったのだ。確実に老化していることを思い知らされた。
負傷後3~7日は、朝起きるたび負傷部付近に痛みを感じた。それが徐々に膝の方向へ向かっているような気がしていた。負傷した筋肉をかばいつつ、日常生活を過ごしていた。
そして、負傷から14日ほど経過した頃、膝に痛みを感じるようになった。その後、歩行するのにも困難を感じるコトとなった。
自分自身では「痛む箇所が徐々に移動していった」気がしていた。「筋繊維の再構築」でも行われている気がしてた、思いこみだが。
その日は脛骨最上部左側が痛かった。腱鞘炎のような痛みで、静止状態から動かし始める時が痛かった。動き出してしまえば痛みは軽減するのである。
9月16日日曜日、東京都医療機関案内サービス“ひまわり”を用いて、形成外科を検索したところ、ふかい整形外科医院が診察を行っていることを知り、訪れてみた。
診察してくれたのは院長先生だったようだ。穏やかな感じで好印象を受けた。レントゲンを撮影したが、骨に異常は無いとのことだった。
センセイ曰く「2週間前の肉離れから、疲労による痛みが生じることは少ないのですがねぇ。マラソンなどをしていると同じ場所が痛むことがありますが…。とりあえず、消炎剤などを処方します」とのコトだった。
ってコトで、現在はほとんど痛みが無くなった。何だったのであろうか。
文化祭代休の25日に再診の約束がしてある。痛みが直っちゃったならば行かなくても良いような、しかし、休日に診察してもらったし、行く義理もあるような… 、ってトコロで悩んでいるノダ。
日本語化された Google リーダー 経由で 痛いニュース(ノ∀`) を見ていて、痛いニュース(ノ∀`):斧で父親の頭切る 中3男子を殺人未遂で逮捕 を見ました。
120 名前: 2ch中毒(アラバマ州)[] 投稿日:2007/09/24(月) 07:56:22 ID:tRvcGpqE0
間違いなくアニメのせいだな192 名前: 朝日新聞記者(樺太)[] 投稿日:2007/09/24(月) 08:03:35 ID:WcR1EiPvO
>>120
は?何、適当ほざいてんの
どうみても、高橋名人の冒険島の影響だろ。
高橋名人の冒険島、私は全クリアできませんでした。
世界には37分と少しで、あのゲームをクリアしたヒトが居るらしいです。
高橋名人のブログ、私は愛読してます。
これから、大学などの推薦入試の季節になる。
生徒が作成した「志望理由書」みたいなヤツを添削していると、どんどん私の文章になっていく。文章の主題は変えていないつもりではある。
「読書感想文全国コンクール」って、如何ほど教員の手が入っているのだろうか?
私や、見知らぬ国語科教員などの作業は、果たして「教育的」なのだろうか?
直接的にヒトが死なないだけ、相撲部屋よりは「マシ」なのかも知れない。
文化祭に際して、クラスTシャツが作成された。生徒から預かった代金をまとめ、ネットバンキング経由で振り込んだ。
手元には大量の硬貨や1000円札が残った。1000円札数十枚は良いとして、大量の500円玉は使い道に乏しい。
で、Suica にチャージしてみることにしたのだ。どうせ、いつかは使う金だ。
一昨日、西日暮里駅で大量の100円玉と500円玉数枚を投入した。
しかし、どうしても500円玉が吐き出されてしまうのだった。「不良コイン」には見えないのだが、機械内部では相当チェックが厳しいのだろうと勝手に解釈した。
私は大学時代、コインゲームが主力のゲーセン「ゲームファンタジア」でバイトしていたことがある。今の名称は「アドアーズサンシャイン店」らしい。コイン識別装置ってのは、微妙なゴミで動きがおかしくなるコトがあった。だから、バイトは常に鍵と雑巾(ダスター)を持って巡回している。バイトをしていたのは15年近く昔ではあるが、現在も同じ機械を使っているのではないかと思われる。
で、話は現代へ戻り、昨日のこと。
スラックスのポケットに、500円玉を大量に入れ、阿佐ヶ谷駅へ向かった。今回は500円玉だけを大量投入した。やたらと500円玉が吐き出されるのを見て気付いた。券売機が500円玉を「意図的」に拒否していることに。
結論から言うと、阿佐ヶ谷駅のその券売機では Suica に500円玉でチャージする場合、2枚(1000円)しか受け付けなかった。
私はその作業を10回ほど繰り返した。延べ数分間。
私の姿は監視カメラに収められたことだろう。阿佐ヶ谷駅の売り上げに、「偽造コイン」が含まれていないことを祈るばかりである。
大学への推薦書を作成している。
指が曲がるんじゃないかと不安になってくる。
「口が曲がる」で思い出したが、ヒトは「言いたくないことを言う」トキって、口の片側で喋るように思うのだ。また、口の片側で喋ったり笑ったりするヒトって「シニカルな雰囲気」というか、「斜に構えた」感じがする。少なくとも私はかなりそう感じる。
麻生太郎氏って「嘘」あるいは「言いたくないこと」を言い続けてきたか、幼い頃から「斜に構え」続けたヒトなのじゃないかと思うのだ。
深夜ひとり掲示板に吠ゆる主婦、他人の文章を貼るの羅列。三、四ページだけのサイト。"Sorry, Japanese Only"。読者への無意味な「さあ!」。情報も主張も無き独白。ネット右翼のうちつづき愛国心を煽る。パソコンの前に座りたるに、戦場へは行かぬ所。まいて医療をただ叩く毎日新聞社などは、いとすさまじ。
ムーディー勝山は、どこかで見た顔だと思っていた。
Heinrich Rudolf Hertz だった。(画像ググリンク)
というのは、嘘である。
電波産業会という団体が作成した中学校向け冊子を見ていたら、ムーディー勝山に似た肖像を発見したのだった。それこそが、周波数の単位 Hz(ヘルツ)の由来となった人物である。
まだ、いろいろと燻っている。
小沢一郎氏と民主党と自民党(と公明党)は。
私は、自民党候補に票を投じたことはない。この37年弱の生涯、17年弱の選挙権行使に於いて。
毎回毎回、大なり小なり悩むのである、センキョというヤツは。
一番の問題は、全ての公約に賛同できる候補が居ないことだ。ま、当たり前ではあるが。
この問題を克服したいならば、自分が出馬する以外には無いだろう。しかし、区議会なり市議会なりに名を連ねることになったとしても、自分の意見が通せるかどうかは別問題なのであろう。
じゃあ「長い物に巻かれよう」と、既存の政党から出馬する。その段階で、自分の意見と「党の意見」は摺り合わせないといけなくなるはずだ。
ヨノナカはそうそうスパッと割り切れないもののようだ。当たり前だ。
日本の国会の話。
アメリカ合衆国に対して「政治の空白」が生じようと、それは主権を有する日本国民が選んだことなのだ。民主党は主権者から「何か」を託された。小沢一郎氏は妥協して(ポストが欲しいからといって?)「大連立」なんてコトは考えなくて良いハズだ。
衆参両院の議員の皆さんは、立法府としてシゴトを遂行するまでのことである。いちいちいちいち、政党間や政党内で意見を摺り合わせ、必要ならば役人とも話し合い、真に必要とされる法案を作って欲しい。それが議会制民主主義というものだろう。私が望んで「そうなっている」わけではないが。
つい先日、保険の見直しをした。
結果的には、今まで加入していた共済を継続することにした。別の商品も考え、その2つを見比べたのだが、一長一短という感じで、なかなか決めづらいのである。選挙の際の「投票先選び」と似ていることに気づいた。
今日は教科(理科)の書架整理をした。
選挙や保険の選択に似ているデキゴトに、教員のシゴトとして「教材の選択」というヤツがある。教科書や副教材は、それぞれ似ていながら違う面もあり、一長一短だらけ(?)なのだ。来年度に使用する「副教材」の見本が届きつつある。古い教科書や問題集を処分し、比較的新しいものを書架に納めた。
本日、職場の男子トイレに「自動照明点灯装置」が設置された。
赤外線か何かを用いて、物体の移動だか熱源だかを感知し、電灯のスイッチを入れるヤツだ。
自動ドアってのは、モノゴコロつく前から存在していた。
自動水栓が身近になったのは、この10年ちょい前くらいからか?
自動照明点灯装置を見るようになったのは、この数年という気がする。
「自動」が増えるほどに、「後始末」をしなくてすむようになる。
「次に来る人を考えて、ドアに手を添えておく」とか、「蛇口を捻って必要なだけの水量を確保し、用が済んだらしっかり締める」とか、「使わない部屋の電灯は消す」とか。
ま、気が付いた時には「全自動洗濯機」は存在しているし、カセットテープには「オートリバース」は必須ですよね。って、イマドキ、音楽聞くのにカセットテープは使わないか。
自動ドアはあまり不自然さを感じないが、自動水栓とか自動照明って、何か少し「罪悪感」を覚える昭和生まれである。
次のヒトのために「手動ドア」を押さえてくれる「生徒さん」を見ると、嬉しく思うのである。親御さんがきちんとしていらっしゃるのだろう。
自分で言うのも何だが、オッサンくさい文章だ。でも、本心そのものなのだ。
職場にある自動販売機から、"ノーカロリー コカ・コーラ"が消えた。
今年になり、"コカコーラ ゼロ"が発売されたので、"ノーカロリー コカ・コーラ(旧名:コカ・コーラ ライト)"との棲み分けが難しい所ではあったのだろう。
確か1ヶ月ちょっと前くらいまで、3種類の"コカ・コーラ"が売られていたのである。寒くなってきたので、スープ系の飲料が増えたようだ。その関係で、"ライト"が撤去された様子。
私は"ノーカロリー コカ・コーラ"を好んで飲んでいたので、残念である。言わせるヒトに言わせると、"コカ・コーラ ライト"にも、味の変遷があったらしい。
砂糖入りソフトドリンクで好きなのは、"ウィルキンソン ジンジャエール"である。ごく稀に「缶入り」を見ることもあるが、瓶入りにしろ缶入りにしろ、なかなかお目にかかれない商品である。酒屋に注文すると購入できる場合もあるそうだ。
この"ジンジャエール(ジンジャーエールではない)"には愛好会のサイトがあり、なかなか勉強になる。
ウィルキンソン・ジンジャエール愛好会
アルファブロガー・アワード 2007 が開催されている。
ちょうど、以前から読んでいて「RSSリーダー」に登録されているブログが3つあった。なので、初めて投票してみた。サイト名の下にあるのは私のコメント。
新小児科医のつぶやき
冷静でありながら、情がある文章だと思います。ご自身の医療に対する思いの反映なのでしょう。
天漢日乗
ちゃんとシゴトしているのか心配になりますが、様々な話題への観察眼に感服します。
Sasayama's Weblog
正直、高度すぎて理解できないエントリもあります。理解できるようになりたいです。
アキバBlog も時々見るのですけれど、リーダーには登録していないのですね。
本屋で「カバーおかけしますか?」と尋ねられた場合、私は「いいえ」と答える。
普通の本屋だと、文庫1冊買っただけなのに、ビニールの丈夫そうな袋に入れてくれたりする。逆に不経済な気がする。大概の場合はそのまま受け取る。わざわざ袋から本を取り出し、私の粘液や皺がついたヤツを返却するのも面倒なので。
書き間違えたが、正しくはビニールではなく「(多分)ポリエチレン」であり、粘液ではなく「指紋」である。
今日の帰宅途上、ジュンク堂池袋店にて2冊ほど本を買った。例によってカバーを拒否したら、「袋にお入れしますか?」と尋ねられた。
売られた喧嘩は買わねばならない。
「いいえ」
何しろ、ジュンク堂は斬新である。陳列もそうだが、接客もひと味違うと思った。
本を入れる袋の有無を聞かれるとは思わなかった。エコロジーで良い。
その店員さんオリジナルなのかも知れないし、店舗共通の接客ルールなのかも知れない。
なお、買った本の1つはコレである。
コンピュータを使わない情報教育 アンプラグドコンピュータサイエンス
ジュンク堂の書架ではサンプルが置いてあり、売り物には透明なカバーが掛かっていた。
「ビニ本かぁ、フフフ」と思った。
無理に本を買わずとも、英語が達者なら以下のサイトをそのまま利用できるのだろう。
Computer Science Unplugged
私は本を買うことにしました。
割とどうでもいい話だけど、印象的だったデキゴトがある。
上の画像は、阿佐ヶ谷駅の商店街通路にある水道メーターの蓋である。昨日、やっと画像を撮影できたので、記事にすることができるのだ。
もう多分2年以上前のある朝のコト。職場に向かう私とは逆方向へ歩いてくる女性がいた。
30歳前後だっただろうか? あるいは、私と同じくらいだったのかも知れない。
その女性はハイヒールを履いていた。
カツカツ音をさせながら通路を歩いてきた彼女の足下から、ガシャッと金属的な音が響いた。そして、彼女の歩みは止まった。
上の図のように、彼女はメータの蓋を踏んでしまったのである。そして、持ち上がった「作用点」にて、もう片方の足の甲を強打してしまったらしい。
ま、私でも電車内でヒトの足を踏むことはあるから、彼女も人の足を痛めつけたことがあろう。多分、そのデキゴトは、今までの埋め合わせだったのだ。
画像のような水道メーターは、その通路にたくさん存在する。時々、布テープなどで周囲を貼ってある。事故防止のためなのだろう。しかし、地面に貼った布テープなど、すぐすり切れてしまうのだ。どれくらいのヒトが、同じような事故に遭ったのだろうか。
ハイヒールを履かない私のようなヒトは、少しだけ幸福なのだろう。
ちょっと前の日記に書いた"ウィルキンソン・ジンジャエール"は、『なんでも酒やカクヤス』で取り扱っていることを知った。
ざっと眺めてみたトコロ、楽天経由だと「取扱商品」に見あたらなかった。
「出前館」経由だと扱いがあるようだ。しかし、同じ「出前館」経由でも、関西の店舗だと扱いが無いコトもあるようだ。あるいは、店舗の場所に依存するのかも知れない。とりあえず、自分の住処ならばジンジャエールを入手できることがわかった。
なので、昨日ビールと共に配達して貰ったのでした。
わざわざ帰宅途上、新宿駅構内などにある成城石井に寄らなくても手に入るのだ。有り難いことである。また、配達の際には空き瓶もちゃんと10円で引き取ってくれる。ジンジャーエールの中身は63円と云うコトになる。イマドキ、63円で買える飲み物って、そうそう無いと思うのだ。有り難い。そして何よりウマい。
なお、サイトの操作性は「楽天」よりも「出前館」の方が優秀だった。商品の選定までに要するクリック数が少ない。
今朝、JR 新宿駅12番線ホームで中央線快速を待っていた。通勤途上のことだ。時刻は8時少し前だった。
「試験休み」中なので、出勤時刻は若干遅くても良いという「お達し」があってのことだ。
目の前の13・14番線ホームに何となく目をやった。というか、放っておいてもド真ん前のホームは目に入ってくる。そのホームに「しゃがんでいるヒト」が居た。
ダークスーツを着ており、右手には薄っぺらい黒いカバンを持っているようだった。そして、右手とカバンは地面に触れていた。彼は「うんこ座り」をしているのだが、右手でも体重を支えている様子だった。そして、彼は口から液体をデロデロ出していた。俗に言うゲロだろう。
あまりにもその姿は自然だった。というか、無理に吐いている気配はなかった。「勝手に口から出てくるんです」という雰囲気を放っていた。
確かに朝の新宿駅では、線路に向かって吐くのは自殺行為だろう。電車が入線してきて、頭を強打するに違いない。また、朝の駅の男子トイレは、個室が劇的に混んでいるハズだ。確認するまでもない。
結局、一番楽にゲロが吐けるのは、彼が選んだ「ホーム上、両側のレールから最も離れた場所」なのかも知れない。
そのうち、駅員さんが彼に近づいてきた。排泄がほぼ終了したのだろう。彼と駅員さんの間にアイコンタクトがあったように見えた。駅員さんは、おがくずらしきものをパラパラとふりかけた。
そのうち、快速青梅行きが入線してきた。
今、更にしみじみ思い返してみたのだが、あれは朝方に飲んだジュースの類だったのだろう。固形物っぽいのは見あたらなかったから。そして、それすらも吐かずにはいられない体調って、相当な二日酔いだと思う。そんな中出勤する、ダークスーツのお兄さん。お疲れ様です。
そして、朝からおがくずを播いていた駅員さん、お疲れ様です。
そして、更にしみじみ思った。あの「おがくず」って、どこから調達するのだろう。
12月15日に入院した 705NK は、20日に帰ってきた。
リペアレポートから数カ所引用。
機種名
705NK(メタリックレッド)
ご申告内容
現象1 メモリー不良
現象2 充電ランプ異常表示
故障内容
電源を切ると、日付を入れなおさなければいけなくなる。充電レベルの表示不良。
修理拠点名
ノキア・テクニカル・センター
修理区分
3G 内部修理(無償)
修理内容
その他部品交換
メーカー修理コメント
ご申告の内容が再現しました。基盤上部品を交換致しました。ご不便をお掛けしましたことをお詫び申し上げます。
修理完了日
2007年12月19日
とのことであった。
幸いにして、フラッシュメモリの内容はすべて保持されたまま、「交換作業」がなされたようだ。電話帳を筆頭に、すべての情報が残っていた。
通常ならば修理に際して、メモリ内のデータはすべて削除されてしまうらしい。また、そのことは同意済みであった。ご報告まで。
ネット上では、「705NK の時計がおかしくなる」という書き込みは今のところ見つからない。かなり特殊な故障だったのだろう。
で、改めて 705NK を使うと思う。「やっぱり良いなー」って。「702NK < 702NKII < 705NK」と、新しくなるにつれ、操作性その他が良くなっていることを改めて知った。次回、ケータイを買い換えるならば、やはり NOKIA 製にしようと思うのだ。PCリンクソフト「PC Suite」は便利すぎる。
代替機を使用中、インフルエンザに罹患した同僚の理科のセンセにメールを送った。
若干操作系が変更されているため、作成途上に変換キーを押すつもりが送信してしまった。作りかけのメールを含めて、合計3通もメールを送る羽目になった。カッコ悪い。
既に服薬したことある配偶者曰く「タミフルは臭いがする」とのことだったが、同僚の彼は「無味無臭です」とメールの返信で教えてくれた。タミフルが功を奏し、終業式の今日、彼は無事出勤した。
マスクが怖かった。あまり近寄らないようにした。
昨日、宮田自転車のスーパーペースギアを搭載した"カリフォルニアロード"を撮影してきました。一応まだ動きます。
24年前に5万円弱にて購入された自転車で、今は実家のガレージで埃を被りつつあります。その前、およそ7年間は雨ざらしでした。全ての可動部に"KURE 5-56"を注ぎまくったため、クランクやハブの中のグリスも、全て流れ去っているはずです。その割には快適に動作しました。
本当は、グリス注入部には注油してはいけないらしいのですね。数年前に知りました。
前のギアは変速機のレバーが折れてしまい、最も大きいギアに固定となっています。基本的に6段変速というコトです。
前のハンドルは、無意味に切断してあります。"ブルホーン風"になってます。切断後、左右を逆にし、ブレーキレバーも換装しました。また、testach(テスタッチ)という会社のエイドアームというのを付けてあります。なかなか便利なパーツです。(画像ググリンク)
サドルはいつだったか、やはり換装しました。様々な場所で、見知らぬ誰かに倒され続けたため、オリジナルのサドルはボロボロになっていたからです。いつだったか忘れましたが、阿佐ヶ谷のフレンド商会で2000円しないヤツを買いました。
念のため、ハンドル部を拡大。
切断には、職場(理科準備室)にあった金鋸を使った気がします。目分量で切断しました。
日常生活には、ママチャリが便利なのですよね。最近使うのはママチャリオンリーです。
スーパー帰りにポリ袋を手でもってカリフォルニアロードに乗るのは、それなりに技術が必要であり、筋トレにもなっていた気がします。
そういえば帰宅した際、父親がセイコーの二重面相という時計をしてました。やはり、私が中学入学直前に購入して貰ったものです。マメに時々電池を入れ替えているそうです。
「正樹に返そうか」と数回言われましたが、断ってきました。
今年も最終日らしいです。
結局、『紅白歌合戦』見ています、ダラダラ。
「AKB48」だか何だかに対する「がっきー」の腑抜けた顔と手拍子が印象的でした。配偶者も「そのカット」を面白いと思ったそうです。
何故に「大勢の女子」での歌唱シーンで、「審査員の横顔」のカットが入れられたのでしょうか? 「がっきー」を撮っているカメラマンが居たのは確かで、それを割り込ませたプロデューサー(?)の指示があったのも確かでしょう。私たちの他にも、数万人単位で「同じ思い」を抱いたヒトが居るのじゃないでしょうかねぇ?
あの"「クチパクをする半負け組」と「勝ち組に入った女優」"の対比は面白かったです。
夜中のカラオケボックスにも似ていました。
本題へ入ります。
本年の「日記参照数ベストテン」をお送りしてみます。エントリ毎のアーカイブが存在しておらず、日毎になっているので、複数の文章がまとまっているページもあります。アクセス数の多かった順に並んでます。
日数の割に健闘しているのは、「冬の自由研究」と「センター試験の地学受験」でしょう。ま、どちらも力作ですけどね。
それぞれの"ページビュー数"は秘密にしておきます。あまりにも少ないから。
https://ariori.com/diary/2007/01/19/
政治屋こそ身を改めよ / 705NK 使ってみて
https://ariori.com/diary/2007/06/21/
AIDSとNewtonと私
https://ariori.com/diary/2007/01/12/
705NK予約
https://ariori.com/diary/2007/06/02/
「暴力団」の定義 / 「内需拡大」による餓死
https://ariori.com/diary/2007/11/03/
センター試験の地学受験と、新しい「学習指導要領」
https://ariori.com/diary/2007/05/23/
Web2.0(ズバリ半額) ---副題「プ会初参加」---
https://ariori.com/diary/2007/12/20/
冬の自由研究(リンゴの変色について) -"知恵ぶくらー"を嗤う-
https://ariori.com/diary/2007/03/25/
光学式マウスが使えない
https://ariori.com/diary/2007/01/31/
「給食費未納問題」の何が問題なのか そして、教育で本当に改革すべき点は何処なのか
https://ariori.com/diary/2007/01/25/
My Revolution
話は『紅白歌合戦』に戻るが、茂木健一郎って嫌いです、私。
似非科学のニオイがプンプンする。
寺尾聡は格好いいッス。
昨日の話(イカ天)ですけど、"FLYING KIDS"と"BEGIN"と"たま"は懐かしかったッス。その中でも"たま"が好きですね。
では、良いお年を。
今年の賀状(リンク先はpdf)は、送り先のごく一部で好評を博した。
中学時代の恩師、木村清志先生に「おもしろい賀状をありがとう」と言われたのがうれしい。木村先生には多大な影響を受けている。理科担当のこわーい先生で、色々な実験をさせてくれた。
なお、ハダカデバネズミは実在する。(画像ググリンク)
この生物は東京の上野動物園でも見ることができる。
職場(私立中・高)では、専任の職員に1台ずつパソコンが貸与されている。
多分、都立学校や防衛省の職員よりはずっと恵まれているのだろう。
で、どうにもこうにも古くなったパソコンが積み重なりつつある。
これら古パソコンの処分に際して「HDD 消去ソフト」を入手してみた。
DESTROY
http://www.vector.co.jp/soft/dos/util/se196626.html
というソフトである。
ウィンドウズ(95・98・me・2000・XP)でフロッピーの起動ディスクを作り、その中に destroy.com なるファイルを突っ込んでおく。
フロッピーで起動し、 destroy.com を走らせると、消去が始まるのだ。
そういえば、「コマンドファイル」は「ドットコム」だったのです。久しぶりに見ました。
このソフトを使用するには、MS-DOS のコマンドを多少知っている必要がある。
参考になるのはこのサイト。
作業中の画面を 705NK で撮影してみました。
画面に並んでいるのは、ハードディスク上のデータを16進数で表したもの(だそう)です。
作業前
作業後
かなり使いやすいソフトです。ありがたいことです。
およそ 20GB の HDD を「NSA準拠」でデータ抹消するのに1時間強かかりました。
画面を見比べれば、「作業後」は「ゼロ行進」となっているのが分かります。本当にデータが消去されたかどうかを「信じる」「信じない」は勝手なのでしょう。私は信じることにしました。
画像の前にある私のフレーズ「データを16進数で表したもの(だそう)です」の「だそう」にはそういった意味が込められているのです。
16進数も懐かしいものです。
FM-NEW7 のテンキーでシコシコ打ち込んだことも思い出しました。ベーマガとか。
情報科の教員なり、パソコン関係を生業としている方って、幼い頃からパソコン(マイコン)に慣れ親しんでいる場合が多いみたいだと、改めて知りました。
昔からパソコンは数万~数十万円しましたから、ブルジョアジーじゃないと情報科教員等にはなっていないのかも知れません。
私は地下に関心がある。
その拡大図
"1→"と"2→"というのは、以下の画像を撮影した位置である。
これらの地下道が突然出現したのは数年前と記憶している。営団(現東京メトロ)西新宿駅の開業と同時だったのか、別だったのかは定かではない。写真だと大げさになっているかも知れないが、「画像1」の地下道はかなり広大である。周囲に西新宿のビル群が林立している状態から、これだけ無駄に広い空間を掘り上げる(?)のは、至難の業だろう。最初からこの空間があったと考える方が自然だ。上に存在している道路と同時に作成されたのだろう。
不思議なのは「画像2」の方である。最初に提示した地図では、相当に広い地下道があるような表記になっているが、実際は謎のオブジェと壁で通路が埋められているのだ。あの長方形の壁の内側には何があるのだろうか? 通るたび疑問に思う私である。
関連する過去の日記
アングラ好み
新生児用の衣類のパッケージには「ホルムアルデヒド移染防止のため、袋は開けないでください」という但し書きをよく見る。
昨年、配偶者の従姉妹に子どもが誕生し、彼(赤ちゃん)のために衣類を物色していて知った。
大体において、新生児の衣類は「真空パック」や「鮮度保持パック」などに入れられているわけではない。基本的にプラスチック製の透明な封筒に入っており、封筒の口は開いている。「オープンエアー」と言って差し支えない状態だ。その口の一部分だけ、セロハンテープでとめてある場合が多い。
ホルムアルデヒドのように低分子の化合物が、衣料品店内に存在しているならば、そいつはどんどん拡散していくだろう。
本当に「他の衣類(あるいは壁紙?)からのホルムアルデヒド移染」を防止したいならば、プラスチック製の袋を完全に密封しない限り、ホルマリンの汚染は避けられないのでは無かろうか。
そして、もし汚染された衣類を買ってきたとしても、欲しかった「赤ちゃん用衣類」自体がホルムアルデヒドを発するのでないならば、そいつを普通に洗濯して乾かすことにより、ホルムアルデヒドはどこかへ飛散してしまうだろう。
だから、私は「ホルムアルデヒド移染防止のため、袋は開けないでください」というメッセージは、ほとんど無意味だろうと考える。
無意味繋がりで行く。
以前、東京の西の方でバスに乗った時、イカしたステッカーを見た。
画像を撮影しようかとも思ったが、他人の目が気になるのでできなかった。
そのステッカーには、以下のような文言があった。
「○○バスでは、テロ等防止のため、危険物の持ち込みを禁止しております。ご協力よろしくお願いいたします。」
なお、そのバスではボディーチェックや持ち物検査などは無い。
本気のテロリストだったらば、ステッカーの指示に従うわけはない。自ら「危険物」を持ち込むだろう。また、テロ実行の際、見知らぬお客さんの「危険物」は関係ないだろう。
大体、どのような客であれ、公共交通機関への「危険物」の持ち込みは法令で禁止されているはずだ。
ググって面白いページを発見した。
ただし、私が見たステッカーと、上記引用文書の直接的な関係は無いようだ。時期とステッカーの場所が異なるから。
公共交通機関等におけるテロ対策の強化について
公共交通機関等におけるテロ対策の新規強化事項自動車(バス)
実施事項
ステッカーの貼付
具体的内容
危険物持込禁止の協力要請を行い、東京都内の全ての路線バスのステップにステッカーを貼付
国土交通省だそうで。バカ役人極まれり。
ステッカーでテロが防げるなら、誰も苦労はしない。
私は、「月曜始まりのカレンダー」は使わない。
筈だったのだが、年末にアリオ亀有の雑貨屋で買ったカレンダーが月曜始まりだった。実際に使い始めるまで、気づかなかった。
あそこで食事をするなら、1Fに入っている「焼きそば専門店 長田本庄軒」がお勧めである。他のお店はまだあんまり使用したことがないけれど。「ぼっかけオムそば」まいうー。
カレンダー自体は、オサレなデザインで、定価は350円だったハズ。
売れ残りを3割引で売っていたように記憶している。「200円チョイだから、まぁいいか」と買ったものである。
なお、最近は「百均」へ行けば、いくらでもカレンダーを売っている。
350円だと買わないが、245円なら良いだろうという判断がなされた。
結局、売れ残っていたのは「月曜始まり」だったからなのだろう。
昔、カレンダーはほとんど「日曜始まり」だったはずだ。それに慣れてしまっている。「月曜始まり」を見ると、頭の中で「ツークッション」くらい必要になる。ストレスだ。
なので、切り貼りして「日曜始まり」にしてみた。下の月(3,4月)が見えてしまうから、適当に紙も貼り付けた。そのため、デザインもヘッタクレも無くなった。百均(105円カレンダー)との差額140円の意味が無くなった。
カレンダーで思い出したが、私は職場で過去数年間「年間行事予定表」なる書類を作っていた。今はその分掌から外れている。
私が担当している時代に、一度大幅に書式を変えたことがある。
旧(日付横並び)
新(曜日横並び)
最初に「曜日横並び」を見たのは、部活の練習試合で訪れた、都立拝島高校の職員室内である。「こっちの方が使いやすいはずだ」って感じた。およそ10年前になるのだろうか?
「曜日横並び形式」の利点は、「行事などの配置を考える際、同じ曜日に行事が重なることにすぐ気づく」というコトである。また、以前の公立学校や勤め先では「隔週週休2日」といったようなコトもあった。だから「曜日横並び」の方が使いやすいのだ。第2・4土曜日が一目で分かる。
実は、「曜日横並び」の導入には、1年か2年かかっている。「行事計画表の形式を変えましょうよ」と進言し、見本まで作成したが、上司?に却下されたのだ。
今は誰も文句も言わず、そんな出来事も(多分)忘れて使っているが、最初の1年間は不評もあったらしい。私は直接聞いていないけど。
もう亡くなった方らしいが、茨木のり子という詩人が居たらしい。「依りかからず」という作品を、新聞のコラム(天声人語だったかしら?)内で読んだ気がする。
「詩人」というのは、「言語」というものに非常に強く束縛される。言語に「依りかかって」いる存在なのだ。それなのに彼女は「私は何物にも依りかからずに生きていくのだ」って主張をなさっていた。非常に不思議に思った。
なお、現代に生きる詩人ならば、言語のみならず、様々な存在に寄りかかっているはずでもある。編集者や、出版社や、印刷所や、買ってくれる人や。
それを売り上げたお金で、自分の食料をやっと買える。都会に棲むヒト達に食料をもたらしてくれるのは、農業、漁業、運輸、小売りに携わる人たちだ。
コラムを目にしたトキからの「もやもや感」、やっと書けた。
私は必要ならば、何物でも「依りかかる」所存である。とりあえず、「日曜始まり」のカレンダーには、死ぬまで依存するだろう。
「ゆずこしょう」ってウマいッスよね。(ウィキリン)
最初にそいつに出会ったのは、忘れもしない阿佐ヶ谷の「鳥平」であります。
鶏ササミの刺身に添えられていました。もう10数年前ですね。今はだいぶ「柚子胡椒」もメジャーになりました。
阿佐ヶ谷って、飲み屋激戦区みたいです。
「鳥平」は、私が最も好きな焼き鳥屋かしら。ま、10回も行ったことありませんケドね。
東京のバレーボール界を制覇した、職場の先輩に連れて行ってもらい、奢って貰ったこと覚えています。現在の職場の存在を知ったのは、そのテレビ中継だった気がします。
また、現在の職場の新人歓迎会の会場でもありました。幹事の先生はばっちり覚えています。3コ年上の先生です。どういった趣旨の会だったかは忘れちゃったのですけど。ってか、思い出しました。新人研修の打ち上げでした。季節は忘れました。2階の座敷での宴会でした。そうです、鳥平には2階の座敷があるのですね。
あそこの店の箸は串でした。今もそうなのかな? 焼き鳥の串で食べる鶏ササミがうまいのですね。
扱いづらいから、味も印象的になるのかも知れない。今気づきました。
で、ゆずこしょう。フンドーキンが基本でしょうかね。
偏差値50ってコトです。
ハウス食品、エスビー食品は問題外。
今食べているのは、初めて食すメーカーですが、かなりスパイシーです。消費量が勝手に抑えられます。
逃避を終え、仕事しよっと… orz
配偶者の父親、つまり義理の父が東京に来ている。
仕事用のノートパソコンを持参されている。メール受信ができるが、送信ができないとのこと。
「25番ポートブロッキング」だと、それはそれですぐに分かった。しかし、設定をしているうちに、ノートパソコンの電池が切れてしまった。適当な電源ケーブルが無く、充電しようにもできなくなった。
とりあえず、ニフティに繋がれば良いそうなので、このへんの先にあるページを印刷して、お渡ししておいた。「翌日に改めて設定してみる」とのことだった。
ここまでが、一昨日の話だ。
昨日、義父は適切なケーブルを購入してきたそうだ。
しかし、その後も、設定を変えてみたものの、メールの送信ができなかったそうだ。
私が確認したところ、間違いが2箇所あった。1つはユーザー名の入れ間違い。2つめは、私も犯したことがある間違いだった。
メールサーバー名に"smtp.nifty.com"と入れるべきところを、"stmp.nifty.com"としていた。私も10年くらい前、ハマッた記憶があります。
英語やドイツ語など、単語の頭の"st"というのは、良くある綴りだ。だから、間違いやすいのだろう。
"Simple Mail Transfer Protocol (シンプル メール トランスファー プロトコル)"という語の頭文字と知っていれば、間違わなくなる。
同じコトで困っている大学生も居たようだ。鳴門教育大学の学生かぁ、しかも、つい最近じゃん。
語呂合わせで「サドマゾのテク、プロ級」で"smtp"なんて、覚えやすいかもよぉ。
ってか、自分の頭の中が、日記書きながら再構築されてしまった気がする。お下劣なり orz
結局、ブルーアウトは"AHCI モード"のためでした。
"IDE 互換"に戻し、Vista は無事インストール完了しました。
すこし調べてみたところ、思いっきり Microsoft に対処法が書いてありました。
改めて、"AHCI モード"にしてみました。
なお、この作業をする場合は、「自己責任」らしいです。
ってか、Windows その他のソフトや、パソコンそのものを使うなら、繰り返し「自己責任だぞ!」って言われます... 何をいまさら、 ...ねぇ。
ちょっと前に、JAXA に噛みついた。
JAXA も NHK も「ほぼ公僕」だろうに
https://ariori.com/diary/2007/11/20/
JAXAの態度は軟化しているのか。それとも単に墓穴を掘っているのか。
https://ariori.com/diary/2007/12/03/
案の定「税金の成れの果て」が、製品として私企業から売られるらしい。
記事はインプレスのサイトから。
月探査機「かぐや」が撮影した月と地球のHD映像がHD DVD化
しかし、何で「NHKエンタープライズ」じゃないのだ? 世論の批判を恐れたのか? それもかなりありそうだ。姑息な奴らだ。腹立たしい。
NHK が版権を持っているのだろうから、素直に NHK 関連会社が売ればいいじゃねぇか。間に人間が挟まれば挟まるだけ、商品の価格は上がる。
まるで「極東のどこかの国の行政」の縮図ではありませんか。
と、言っても、日本は役人の比率が低い国であるとも聞いたことがある。その計算に「各種(利権)団体職員」が入っているとは思えませんがね(笑)。
ま、私は基本的に DVD とか買わないから、どうでも良いと言えばどうでも良い。企画としてポシャってくれると面白いと思うくらいだ。
ポニーキャニオンで思い出した。
最近の日記にあるように、Vista でパソコンを新しく組んだ。昔、パソコンで DVD を再生するには、何かしらサードパーティーの再生ソフトが必要だった。今回、「Vista はどうなん?」って思った。試してみた。
案の定、Vista 標準で、DVD 再生ソフトは付いているようだった。
そのテストのため、以下のソフトを使用した。
『ポンキッキーズ21 30周年記念 ガチャピン チャレンジシリーズ』
配偶者の友人から(私の友人とも言えますが)から、このソフトを貰ったのは、確か1年くらい前だ。その際、まずパッケージに衝撃を受けた。
実は、先日初めて再生してみた。改めてショックを受けた。
衝撃的すぎて、最初の1分くらいしか見られなかった。(本当は忙しかっただけだけど。)
また、卒業式の季節が巡ってきた。
「君が代論争」が白熱してくるのだろう。
私の見解は、以下に記してある。
サイト内、「君が代」にて検索した結果
改めて自分の文章を読み直してみた。特に間違っていないと思う。
今回、以前から知っていた 根津公子さんのページ ってヤツの中にある、根津氏の文書『処分に思う そして、 心ある教員の皆さんへ』他数点(Web上なのに".doc"!)を読んでみた。
普通のヒトは、好んでワードのファイルなんか、開かないっつーの。その段階で、サイト作成に失敗している。サイトを管理しているのは、根津さん本人ではなく、沖電気を解雇されたヒト(♂)らしい。彼は、根津さんの主張を他人に伝えたいのだろうか? 単なるオナニーじゃねぇの? このサイトと同様にさ(自嘲w)。
で、根津氏の文を読んだ感想。「そういう思想もあるだろうが、私は否定も賛同もしない。自分の思いを、授業で展開するのは良いんじゃない?」ってトコロ。
クビまであと1年か・・頭をよぎる(根津公子)
http://www.labornetjp.org/news/2007/1174360574406staff01
には、
治安維持法下では、生命の危険に晒されましたが、今はまだ生命の危険はないですし、56歳の私には養育義務もありませんから、懲戒免職になっても何とか生きてはいけます。だから、大して迷うことなく、この決断ができたのだと思います。とあるから、お子さんがありそうだ。
彼女はどういう結婚式を挙げたのか、あるいは挙げなかったのか、それが気になる。
私の主張を念のため繰り返す。自分の信念に従い、授業は授業で好きにやれば良いだろう。どうせ「管理職」は、すべての授業をチェックできないから。
卒業式には必ず管理職が参列する。
式典で「君が代」が歌われるとき、起立くらいしたって良いだろう。歌いたくなければ、口パクで良いと思うのだ。口を結んでいても良いだろう。ヒトのココロを他人が支配することは、決して誰もできないのだから。
教員であるならば、もっと「生徒のため」と思えることに、力を注ぐ方が良かろう。ま、彼女が最も大切に思うことが「不起立」ならば、それはそれで良い。
そして、処罰も仕方なかろう。給料をクニから貰っているんだから。
この間、西日暮里駅の階段上で暴れている人が居た。
ように見えた。
その人は、テレビ電話(ケータイ)を用いて、手話で会話していたようだ。そういう使い方があるとは知らなかった。技術の進展は素晴らしい。聾者にとって、テレビ電話は重要なインフラとなるのだろう。
私は未だにケータイのテレビ電話機能を使ったことがないし、不要だと思っていた。その考えが改まった。
義務教育を脱して以来、38℃を超える高熱を発したのはインフルエンザの2回と、風疹の1回である。それ以前の若すぎた頃は記憶にない。
上記2回のインフルエンザ発症のどちらかで、自分が狂ったのかと思ったコトがあった。
熱のせいか、あまりにも気分が悪すぎて、気分がいいような気がした。そしてまたまた気分が悪くなった。暑いと思って着てた服を全部脱いだら、案の定寒くなった。「私は何をしているんだ?」「半分おかしくなっているなぁ」「私は大丈夫なのか」って思った。仕方ないから寝続けた。あんまり寝た気がしなかった。
あの出来事を思い出す度に、「タミフルなど飲まずとも、インフルエンザは危険だよなぁ」って思うのです。だから、「タミフルと異常行動に因果関係は無い」って主張(調査結果?)、私は同意します。
で、今回、表題まで体温が上昇した。ここまでの高熱は、あんまり記憶にない。
感染性の胃腸炎が原因とのことだった。
その経緯。
27日(水)の夜、軽い下痢があり、翌朝へ継続。
28日(木)、10時頃から強烈な寒気を覚え始める。12時頃から頭痛が始まる。13時過ぎに職場を早退。帰宅途中に風邪薬を買う。関節の痛みと頭痛はインフルエンザのそれだった。しかし、のどは痛くない。単なる風邪とは思えず、自宅近くの病院に行く。「感染性の胃腸炎だろう」との診断。しかし、吐き気は全くない。その晩に瞬間風速39.2℃を叩き出す。汗もほとんど出ず、飲んだ水は尿と下痢便になっていく。気分の悪さや異常行動の気配は無い。
29日(金)、休暇を取る。夕方まで眠り続ける。熱は徐々に下がっていく。
本日3月1日(土)は体調を崩す以前から、休暇を予定していたので、そのまま休み続けましたとさ。
私の体は病気に強いのか弱いのか? 未だに量りかねている自分が居るのだった。
体温が上がれば、関節の痛みや頭痛は発生するものなのですね。関節の痛みなんかは、インフルエンザ特有なのかと思っていました。ちょっと勉強になりました。
ヒトサマの日記を読んでいると、本人しか分からないような独り言に出会うことがある。
私は、この日記にはそうしたことは書かない。読んでいる方が面白くないだろうから。
「誤変換」と「無意味な独白」、こいつらが多いサイトは徐々に真面目に読まなくなる。
そういえば、およそ2年前に一度だけ、「アンタの文章は長すぎる(ので、どうにかしろ)」ってご意見メールを頂いた。バッチリ無視した。彼(?)にはしばらくの間、連日ご来訪いただいたようだったが、そのうちに「足あと」を見なくなった。なので、この文章を記している。
この日記には「コメント欄」が無い。私が他人の日記に口出ししたのは、数えるほどしかない。自分がほとんど使わない機能だから、このサイトにも設置しない。2006年8月24日の日記 から再掲。
・コメントが付くと、それに対してコメントをするのが礼儀のような気がするが、そんなことをやっていられるのはコメントが少ない場合だけだろう。間違って超有名サイトになってしまった場合、コメントがおろそかになってしまう可能性がある。それだったら、最初からコメントを受け付けない方が良い。
・ブログのコメントには、「建設的で友好的」なものよりも、つまらない揚げ足取りなどの「非建設的で敵対的」なものの方が多い。そんなコメントを見てヘコむのは面倒である。
・私は基本的に、他人のブログの本文は読んでも、コメントは読まない。
なお、他人の日記にコメントを残す場合、大体「愛読者」っていう仮名を使う。実際愛読しているヤツに対して、どうしてもコメント(賛辞またはツッコミ)したい場合くらいしか、コメントしない。
話は戻るが、本人しか分からない文って、私は相当退きます。「シゴト絡みの愚痴、加えて超ローカル」が加味されていると最高でーす。
1000円札で、アイスを買った。
私は釣り銭の落ちる音を数えた。「チャリン」という音を数えるのは習性だ。5回を超えた段階で、「100円玉ですか...」と思った。結局「チャリン」は8回だった。
100円玉が9回落ちたのを聞き間違えた(数え損なった)と思った。
私の耳は正しかったようだ。(100円玉×8 50円玉×1 10円玉×5)
こんなに細かくしてくれるとは思わなかった。記憶にない。
生涯初だ。ごく微かにうれしい ...のか?
少なくとも、日記のネタにはなった。
3月28日に作業(?)しました。混沌の極みです。
10年くらい前、職場に走るパイプに適当に巻き付けた LAN ケーブルを、未だに流用しているのでした。
4月1日の撮影です。
武蔵野大学構内のサクラであります。ここのサクラはかなり美しいと思うのです。
-----5.25 インチ FD があらわれた!-----
何ですか、"5.25 インチ FD"って。
USB メモリの"ドライブレター"を意図的に空いている"B:"に指定した結果だったりします。
ちょっと和みました。
-----あなたは のろわれてしまった。-----
このアイコン「上書き保存」は、一種の「呪い」とも言えるのでは無かろうか。
私は最近、作成した文書をフロッピーに保存したことなんか無いぞ。いつまで、この亡霊は存在し続けるのだろうか。エクセルなんかは、公式に「フロッピー非推奨」ってコトだし。
数日前の夕刻、不思議なオサーンを見た。
彼(50歳前後?)が行ったことを、時系列で。
1.まさに開花した街路樹のハナミズキを、20cm 程、手折る。
2.手に持っていた壊れたビニール傘を、彼とは関係なさそうなマンションのゴミ捨て場に投げ捨てる。
3.彼の住居であるらしい、少し離れたマンションへ。
何故にハナミズキを手折ったのだろうか? 部屋に飾る? 奥さんか誰か、あるいは年老いた親にでもに見せる?
芸術系のシゴトをしており、そのモチーフとして?
私は基本的に花を手折るようなことはしない。
花は花として、生きている状態を見るのが好きである。花束になっちまったモノを入手した場合は、可能な限り長生きさせてやる。
あの街路樹は私の払った税金だって投入されているはずだ。所有権のごく一部は私にある。しかしまあ、花を家に持ち帰るのは許してやるとしよう。
不要になった壊れたビニール傘を、自宅間近の関係ないマンションに、それもゴミ収集日を無視して放置するなんて、真っ当なオトナのすることでは無い。全然褒められた行為ではない。
碌なオサーンじゃねぇ。そのオッサンを見て不愉快になった私だった。
なので、日記に書いて少し精神を解放。
本日、山手線内で「雪山獅子旗」を手にした家族を見た。若い夫婦で、ベビーカーに赤ちゃんが乗っていた。お母さんが旗を手にしていたが、ベビーカーにも旗が付いていた。
帰宅後に知ったが、新宿あたりではデモ行進も行われたらしい。その家族はそいつに参加した帰りだったのかもしれない。
それだけならば、特に「目イルカ」を立てるまでのことではない。私の感覚では。
で、そのベビーカーには「DFSギャラリア・沖縄」のバッグもかかっていた。おそらく、その家族は沖縄にある免税店に行ったのだろう。念のため記すと、私は「沖縄に免税店がある」と知ったのは、先ほど"DFS"で検索してみたからだ。Google では初っぱなに、その「沖縄の免税店」のページが来ていた。
その家族は、「ぱっと見」は日本人だった。もしかすると、沖縄在住なのかもしれない。また、可能性は低いが、中国籍だったりするのかもしれない。しかし、中国籍(漢民族?)のヒトがそんな会合に出たらば、抹殺されちゃうんじゃないかしら。良く知らない、知りたくないけれど。何しろ、嬉々としてそんな「沖縄の免税店」のバッグを使っているってコトは、東京在住なのだろうと解釈したよ、私は。
沖縄だって、相当に中国や日本に虐げられてきた過去がある。未だに日本全体を代表(?)して、アメリカ軍に占領されていたりする。そんな沖縄ってトコロに観光に行ったことを、ことさらに誇示する「お気楽家族」が、「フリーチベット!」と叫んだところで、説得力は非常に乏しい。 ...んじゃないすかねぇ?
自分でも「ビョーキ」と分かっているのだが、BIOS が更新されているのを知ると、それを試さずには居られなくなってくる。
で、昨日、自宅で使用しているパソコンのマザーボード P5K(無印)の BIOS が新しくなっているのに気づいてしまった。
1006 というバージョンがリリースされていた。多分 Xeon の新しいヤツや Core2duo E7200 などといった CPU を認識するようになったのだろう。それだけなら、BIOS を更新する理由としては弱い。新しい BIOS は「新しいメモリにも対応」するらしかった。なので、更新を決意してしまったのだ。別に私はメモリを買い換えるワケでも無いのに。
で、ついでに POST 画面のロゴ更新も行った。
最近の asus のマザーボードには"MyLogo"というソフトが同梱されていて、BIOS の空き領域に 640x480 ピクセルの 256色画像(から作成されたデータ)を放り込むと、パソコンの電源投入直後(POST 中)、その画像を表示するというギミックが装備されている。
パソコンの処理能力には全く関係が無い機能だが、私は面白いと思う。そして、購入当初からオリジナル画像を表示するようにしているのだ。
BIOS アップデート後の再起動は緊張する。
私の持っている P5K は、BIOS アップデート後、一発で立ち上がった記憶がない。とても手に汗を握る。しかし今回も、結果的には無事にアップデートは完了した。
あの緊張感(とその後の安堵)が癖になっているのだろうか?
幾度か"MyLogo"での画像作成を繰り返したので、そのコツを披露。
1.画像は最初から 640x480 ピクセルにリサイズしておく。
2.ファイル形式は BMP が無難な様子。
3.画像の色数は、256 より少なくしておく。
3番目のコツが重要である、多分。
BIOS の機能で、画面には 256色までは出せるようだ。しかし、せっかくオリジナル画像を用意しても、画面右下に白黒で Intel のロゴが勝手に挿入されてしまうのだ。256色をフルに使った画像では、カラーパレットの一部が白と黒に使われてしまうようだ。その結果、せっかく用意した画像の一部が色化けを起こしてしまう。
私は何となく、「6x6x6 (6^3)」ということで、216色を用いたビットマップにしてみた。本当は 250色以上使えるのかも知れないが、試したことは無い。なお、無理にセーフカラー(ググリンク)などに減色する必要は無い様子。
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2008/12追記
250色の bmp を試してみました。色化けしました。
結局、216色にしちゃいました。閾値は不明のままです。
この間「新茶だそうだよ」とお茶を淹れてくださったのは、学年主任です。有り難く頂きました。
そして、その茶に、私は「うま味調味料」の味を感じました。ま、良くあることです。
他のヒトは「あの味」に気付いて居ないのか、気付いても「まぁいいや」って思うのか。不思議です。
ごく微かだとしても、「あの味」が感じられると、何かだまされているような気がしてしまう。実家で出される茶でも、時々「あの味」を感じることがある。
茶は、きちんと本来の味で勝負して欲しいと思います。
ペットボトルの茶飲料なんかでは、「原材料表示」があるためか、「うま味調味料(アミノ酸)」が入っている製品は見たこと無いですね。
と、八十八夜を過ぎて思いましたとさ。
朝の新宿で、人身事故だか何かがあった日だった気がする。
私が乗った JR 中央線で、新宿出発直後、車掌がこう言っていた。
「電車遅れております。発車間際の無理なご乗車はお止めください」
だいたい、人身事故が起これば、電車は遅れる。
山手線や総武線、埼京線など、新宿発着の電車は、みんな遅れたのだろう。
遅れた電車に乗ってしまったからには、早く次の電車に乗りたいと思うのが、ワーキングプアである日本人の正しい姿であろう。
だから、目の前のホームに電車が止まっていたなら、その電車が定刻から遅れていようがいまいが、さっさと乗りたくなるハズだ。
その人々に対しての「(私の考える定刻より)電車遅れております」の一言は、全く無意味であり、「余計」以外のナニモノでもない。
アナウンスするなら「発車間際の無理なご乗車はお止めください」だけで十分なのだ。
車掌はプロの仕事人なのだろうから、その程度の配慮はしてほしい。
って、5秒くらいの間に考えた。
もう2ヶ月近く昔の話になるが、超驚いたことがあったので、記す。
勤め先は学校なので、年度が替わると、担任する学年も替わる。職員室内で引っ越しが行われるのだ。
で、机の上の荷物や貸与されたノートパソコンなどなどが移動する。私は「情報処理部」という分掌に属している。そのため「今まで繋がっていたネットに繋がらなくなったんですけど」という相談が寄せられる。
この場合、最も良くあるのがノートパソコンへの「LANケーブル差し込み不全」である。
差し込んだつもりが、きっちり差し込まれていないのである。数人いた。
次に良くあるのが、ハブ周辺の不具合である。
タコ足配線を弄っていて、ハブへの電源が遮断されることがある。「ハブへの電源遮断には気を付けてください」って事前にアナウンスしたので、今回はそういった被害は出なかった。
で、「超驚いた」ってのは、LAN ケーブルを差し込んでいないのに、「ネットに繋がらない」とおっしゃった先生だ。そりゃ、ケーブル挿さなきゃ繋がらないって。無線でもないし。
そんな相談初めて受けましたヨ。
そんな彼は私より3歳くらい年上なだけだ。
まだ、そういったボケ方をするには早すぎる年齢だと思う。
もしかすると、彼の自宅では「超最先端の電力線LAN」が導入されていて、電源アダプターを通じてネットに接続できるようになっているのかも知れない。
そんなワケ無いッスね。ええ、絶対無い。
最近、阿佐ヶ谷周辺では、朝方にごく小さな羽虫が飛んでいるコトがある。また、2週間くらい前、ソフト部でノックをしていたら、終了後に生徒が「虫を食べてしまった」と言っていた。当然、食べたくて食べたワケでは無く、グラウンドに蚊柱(蝿柱?)が存在していたためだ。
自転車通勤していた頃は、口やら眼やらに虫が飛び込んでくることがあった。少なくとも1ヵ月に1回程度は、そういった現象に遭遇していたように思う。片道3分程度の通勤時間だったが。
そんなこんなで昨日、久しぶりに以前の住まい(アパート)の近くを歩いていて気付いた。世界中では、結構な量のハエ・カが、ヒトの口や鼻や眼に入ってしまっているだろうコトに。
これは、単純な関数で表されるハズだ。
ただし、地球上におけるハエやカ、あるいはヒトの分布には、相当な偏りがあろうから、ハナシを簡単にするために、計算対象を日本に限定するコトにする。
1日に日本で不慮の死を遂げるハエ・カ = (日本の人口) * (1日のうちにハエ・カを食べてしまうヒトの割合)
ここでは仮に、1人のヒトは3ヵ月に1回、そういった現象に出会ってしまうとする。つまり、確率は90分の1である。計算が面倒だから、100日に1回、つまり100分の1、0.01としよう。また、日本の人口も面倒だから1億にしちゃう。すると、「1億掛ける0.01」で1日あたり、100万匹(?)のハエ・カ類が、ヒトに摂取されているコトになる。「1日あたり100万匹」である。毎日メガヒットだ。
「1メガのハエやカの質量」は如何ほどか?
仮に、小さい羽虫が体長1mmであり、そのカタチは立方体であり、その密度が水と同じとする。すると、その質量は「1グラムの1000分の1」つまり0.001グラムになる。昆虫が「立方体」だったり、「水と同じ密度」だったりするってのは、実際有り得ないだろう。しかし、昆虫の体長は1mmよりも大きいだろうから、それほどめちゃくちゃな値では無いと思う。
で、0.001g * 100万 = 1000g つまり「1kg」ものハエやカが、日本では毎日毎日食されているコトになる。
私の感覚からすると、実際にはもっと大量のハエやカが不慮の死を遂げているように思われる。
「宇宙塵(メテオロイド):ググリンク」も1日あたりでは、相当量(数百kg~千数百kg?)が地球に降り注いでいるってハナシを聞いたこと(読んだこと?)がある。そのハナシを思い出して、この「蝿ばなし」を書いてみた。
http://support.justsystems.com/faq/1032/app/servlet/qadoc?QID=041735#kaihi から一部引用。
回避項目■本モジュールを導入いただくことで、以下の現象を回避します。 ▼2008.04.10 公開版の回避項目画像データを一太郎に貼り付けるとにじんだり粗く表示されたりすることがある現象
Microsoft PowerPointから貼り付けたデータが乱れて表示されることがある現象
(以下略)
「ことがある現象」→「現象」で言い換えられるハズ。
ジャストシステムは日本語をきちんと使おうとしているのだろうか。ま、変換効率は"MS-IME"の数段上をいっているのは確かだが。ってか、"MS-IME"は、最近さらに品質がダウングレードした。
それを見習い、ジャストシステムも、徐々に日本語の作成を外注し始めたのだろうか?
「一太郎を更新してね」って言われたから、更新しようとしたノダ。ソフトの入ったディスクを求められた。大変に煩わしい。
その説明(釈明)を見ようとして、公式サイトを訪れたら、上の文章群を発見した。
ここ数年、マイクロソフトは「ディスクの請求」をしなくなったような気がしていた。そして、ここへ来て、ジャストシステム。
彼らは、また迷走している「様子である模様」。
通勤途上に丁字路があり、朝に晩に丁の字の「横画の下側」に沿って歩く。その横画も縦画も、片側1車線であり、横画の方には路線バスが通っている。
同じ歩道をゆく人の半数以上は、交差点の信号を守らない。守らずとも特に危険は無いからだ。時には2,3台の車が行き過ぎるのをきちんと待ったのち、赤信号の横断歩道を歩くこともある。何しろほとんどの場合、「縦画」からは車はやって来ない。
ある朝、例によって信号無視をしようとした。前に自転車に乗る男子高校生が居た。
彼は横画の下側から、バス通りを横切る横断歩道(それは青信号だった)を使い、横画上側に渡った。と、思うや否や、もう一つの横断歩道で、横画の下側に戻ってきた。その間、縦画からは全く車は来なかった。
「信号を守るだけのため」に、彼はそのような進路を取ったのだ。そのことに気付いたのは、数秒後だった。
真面目というか、律儀というか。単なる馬鹿に近しい気も。
彼の行動は誉められこそすれ、貶されることは無い筈なのだろうが、何か違和感を感じずにはいられなかった。
親のしつけか、あるいは彼本人の信念だろうか。それとも何かの願掛けだろうか。その律儀さの由来を知りたいと思った。
念のため申し添えるが、私は車を運転する際、交通信号は無視しない。無視するのは徒歩や自転車の場合だ。自転車での信号無視は、あまり誉められたものでは無いだろうが。
車の信号無視で忘れられないのは、奈良県だ。20年以上前、中学の修学旅行で初めて訪れたとき、車が町の真ん中でバンバン信号無視をしていた。東京や茨城にしか住んだことが無かった14歳の私は、そのむちゃくちゃぶりに驚いた。
それ以前もそれ以降も、あれほど信号無視をするような場所に行ったことは無い。
「出会いセンター」は作るのに「子供を安心して産める病院」を潰したり、ヤクザみたいな職員を飼ってたり、超キモいキャラクターに無駄金出したりと、かなりヤバい土地なのだろう。
東京メトロ副都心線の開業に伴い、都電「雑司ヶ谷」停留所が「都電雑司ヶ谷」になるらしい。
「雑司ヶ谷」という名称は地下鉄に譲るようだ。
停留所の名前を「旧雑司ヶ谷東京」にしておけば、「首都大学東京」や「新銀行東京」との整合性がとれただろうに。石原慎太郎には、そこまでの知恵は無かったようだ。
超残念東京。
先日、テレビで『地下鉄(メトロ)に乗って』を放映していた。映像を見るのは初めてだが、原作は読んだことがある。浅田次郎という方の作品だ。
私が浅田次郎というヒトの作品で読んだことがあるのは、この『地下鉄に乗って』と短編集『鉄道員(ぽっぽや)』しかない。『地下鉄に乗って』は文庫1冊に長編1本が収まっている。
私は『鉄道員』の方を先に読んだ。私はほとんど映画を見ないが、それに比較すれば「映画の原作」に触れることは多い。特に目的の本が無く、本屋をだらだらと流しているときに「映画の原作」はちょうど良いのだ。『鉄道員』は自分で買ったが、『地下鉄に乗って』は配偶者から貸してもらった。
『地下鉄に乗って』を読み終えての感想は、以下の2点だった。
・『鉄道員』に似ている
・おもしろいものの、今ひとつ洗練されていない
文庫巻末の解説を読み、「メトロ」が「ぽっぽ」よりも先に発表された作品であることを知った。私の感覚はある程度正しかったようだ。私は作品を読むだけだから、何とでも言える。作品代を払ったし。もちろん「書け」と言われても、浅田次郎氏のようには書けないだろう。
この間、実家に帰った際に、古い文庫本を何冊か持ち帰った。「学級文庫」に置こうと思って。
気になっていた村上春樹の『回転木馬のデッドヒート』を、まずは読んでみた。何となくだが、高校1年生のクラスに放置するのは憚られる気がした。
で、次に太宰治の『津軽』を読んでみた。最初に読んだのは、高校の頃なのだろうか。あるいは大学に入ってすぐかも知れない。
津軽半島へは大学1年のトキに、徒歩旅行のサークル(東京学芸大学伸歩会)で訪れたのである。
青森市から津軽半島の日本海側に位置する金木に抜ける際、途中に水場が無く、部員全体が超脱水状況に陥ったりした。その際、ヨシイクゾーの白い宮殿も見た。
そのサークルに入って最初の本格的な合宿であったし、有名な観光地を巡ったこともあり、非常に印象に残っている。十和田湖の南から・奥入瀬・酸ヶ湯・八甲田山・青森・金木・小泊・竜飛と、7日かけて200km超を歩き通した。
歩いたからこそ、地理的関係が頭に入っているのだ。今回再読した太宰治の『津軽』という小説(紀行文?)の印象が、それほど頭に残っていなかったのは、私が津軽を訪れる前にこの本を読破したからだと思われる。
知っていれば、金木や小泊で、太宰治に関わる旧跡(?)を訪れたのだろうと思う。
大概の読書家にもそういう時期があるだろうと想像するのだが、私は「古典」と呼ばれる作品をひたすら数だけこなしていった時期がある。本棚が埋まるのが楽しいのだ。作品が終盤になると、半ば義務感からページを繰るようになっていたのだろう。『津軽』の終幕はほとんど記憶に残っていなかった。
今回改めて「本棚に入りっぱなしだった本」を読んでみると、自分が老化したせいもあろうが、作品について認識を新たにすることが度々あった。『津軽』を最初に読んだのは18歳前後だろうし、『回転木馬のデッドヒート』は20代になりたての頃のハズ。
どちらの作品も、その頃の私よりは、現在の37歳の私に似つかわしい気がした。
私は貧乏症なのだろうが、単行本を買うことはほとんど無い。文庫は軽いし安いし、ある程度評価された作品なわけだし。そして「解説」が付いている点も好きである。解説者と作品を共有できるような感覚が得られる。解説のない単行本の潔さも良いが、文庫の方が様々な点で好きだ。
本日、『人間失格』を読み終えた。この作品を読むのは数度目である。
かなりナルシシズムが鼻についたが、高校生のトキはそんなに気付かなかった。
『津軽』と『人間失格』は一応学級文庫に置くことにした。
MAILPIA は便利だ。
RSS の無いサイトでも、更新を教えてくれる。つまり、「ブログになっていない知人の日記」とか、「電車運行状況」とかの更新をメールで知ることができる。
このサービスは、以下のページを読んでいて教えてもらった。
情報科メモ帳 : Webページの更新をメールでお知らせ
で、ポチは見た!~マスコミの嘘と裏~ も MAILPIA に登録しておいたのだ。
続・地デジに踊らされるな! が新しいページのようだ。
そこからポチとご主人の会話を引用。
新しい地デジの電波はアンテナの向きがシビアなんだ、電波を出す場所がちょっと変わっただけでも、ちゃんとアンテナの向きを変えなけりゃならん。ところで、地デジへの移行は2011年。新東京タワーの運用開始は2012年。ってことは?
「ってことは?」
……ってことは、だ。せっかく今地デジを見られるようにってテレビを買って、アンテナも調整してもらった人が、2012年に新東京タワーになったら、ま~たお金を払ってアンテナの向きを変えてもらわなければならないんだよっ!
「あああーっ、それは大問題だワン! そんなのサギみたいなもんじゃ?」
んー、気付きませんでした。
確かに、都内で自前のテレビアンテナを立てているヒトは、今後苦労が多そうですねぇ。
私は「スカイツリーか、しゃれた名前だなぁ」って、のほほんとしていました。
ってか、別に地デジ対応の機器を買ったことは無いし、これからも買う予定は全然無い。だから構わないのだけれど。念のため言いますと、私は21世紀になりたての頃から、地上波アナログ放送が終了することは知っていました。しかしまた、ケーブルテレビ導入区域に在住していたから、電波がどんなカタチ(analog または digital)で飛んでこようが、あんまり関係ないなぁ…って、思っています。
かねがね私の主張(1・2)していた「トラックバック・コメント不要論」、賛同者?が増えてきた(1・2・3)。
この間読んだ蟹工船、売れているようだ。これは新しい装丁のおかげでもあるのだろう。
最近の私が注目しているのが、「いつ毎日新聞が廃刊するのか」というコトだ。
私は以前、毎日新聞に絶縁状を叩きつけた。
ここのところ、Birth of Blues ってサイトを愛読している。そこらのマスコミなんかより、余程「社会の木鐸」と呼んでも良いのではないかと思ってます。ま、エントリによりますけど。
で、「毎日新聞の英語版サイトがひどすぎるスレ」がひどすぎる件も GoogleReader でチェックしてました。先月末から「毎日が酷すぎる件」は知っていました。ここのところ非常に盛り上がっていますね。
こんな辺境サイトにいらっしゃる方ならば、既にほとんどの方はご存じだとは思いますが、一応リンクを貼ってみます。
毎日新聞問題の情報集積wiki
http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/
世の中は私の後を追ってきている気がするyo!
ってコトで、サイト上の目障りなアフィリエイト、そのうち無くなるハズ。私が導入していないから。
Dannychoo氏くらいまで、サイト内容と商品が一致しており、アクセス数もあれば、儲かることはあるでしょう。しかし、ブログの内容にそぐわない「取ってつけたような広告」なんか、どうせ誰もクリックしないだろうよ。いくらブログを更新しまくっても、儲かるハズも無い。
私はゴテゴテしたサイトが嫌いだ。というか、そういうサイトを作れないし、美しいと思わない。話は少し変わるが、RSS に入ってくる広告もウゼえ。
日記(ブログ)は独自ドメインで運用すべきだと思うのであります。
"micro"という語には"very small"という意味があろうが、これが"μ"になると1000の2乗分の1、つまり"100万分の1"という意味が付与されてくる。
"1000の3乗分の1"は"n(ナノ)"であるハズだが、"iPod nano"の出現で、ナノの意味が曖昧になった気がする、ってコト、既に2年以上前にジャッキー大西氏が指摘していた。
で、ここへ来てメガマックとか出てきた。その前にはギガミートとかいうピザもあった気がする。テラだかペタだかエクサだかの牛丼は、不誠実なバイトと共に消え去ったようで、理科の教員としては少し安心していた。テラ安心。
で、ここへ来てソバ屋に"メガ"が進出してきた。
本当にメガなら、"100万倍盛り"にしてほしいと思うのである。器の直径でも、容積でも、あるいはソバの長さでも良いけど。よく見れば、"1.5倍盛り"でしか無いらしいぞ。どこがメガなのだろうか? "大盛り"で良くね?
せめて、ナノは iPod だけ、メガもマクドナルドだけにして欲しいなぁ。そうじゃないと、混乱が生じる気がする。日本人の基礎学力が低下するぞ。理科離れだ。ほら、既にアメリカはあんなに学力が低下しているじゃないか、大統領を筆頭に。
しかし大体、マクドナルドもソバ屋もピザ屋も、不当表示に当たるんじゃ無かろうか? 詐欺じゃね?
大分の教員採用で不正があったってニュース、数日前まで知りませんでした。
最悪ですね。ま、想定内の出来事ですが。
私は縁故撲滅を訴えていましたが、やはり縁故採用は厳然と存在していたようです。
地方公務員だって、一般企業だって、縁故採用はあるでしょうね、かなりの割合で。
特に、地方公務員の非常勤なんか、多そうな気がする。というか、そういう話は時々出てきますよね、ニュースに。
私は私立学校に勤めていますが、数年前にも公立学校教員の試験を受け直そうと思ったコトがあります。
私が教員採用氷河期に試験を3度落ちた理由の一部には、色覚異常という特性が関係していたようだから。そして現在、東京都は色覚異常を理由とした不採用を行っていないようだから。
しかし、最終的に何で試験を受け直さなかったかというと、ロクでもない人物が、某都内北区の小学校に、教頭だか校長だかの立場で在職なさっていたからです。あんなヒトが上司であるような学校に逝ってしまうリスクを冒すよりは、現在の環境、つまり現在の校長・教頭の下で働く方が、多少給料が安かったとしても"マシ"であるように思えたからです。
ロクでもない人物のお子さん、今はどうしているのだろう...?
やっぱり縁故で東京都に採用になるのかなぁ...?
怖いなぁ...
この焼き菓子、「手焼 重盛の人形焼き カステラ」って商品らしい。
私は、幼い頃からこの焼き菓子を食ってきた。実家の最寄り駅の近くで売っているから。
この「重盛の人形焼き」って菓子店の元締めは、水天宮前にあるらしい。昨年、水天宮に安産祈願に行ったとき、初めて知りました。
で、このカタチは凄いと思うのですね。
本店?でも売っているようです。
心に美味しい食べ物探し:餡子なしだと軽い味わい@重盛永信堂
http://blog.livedoor.jp/chiyogoro/archives/50707877.html
鉄兜・大砲・ラッパ・飛行機・日の丸・謎の軍用車両...
いつから、この焼き型を使っているのだろうか?
いつまで、使い続けるのだろうか?
この間読んだ『津軽』は、妙に「注」が多かった。多すぎる「注」というのは、結構うざったいものである。
しかし一つだけ、有意義な情報が得られた。日記の表題「希望的観測」という語、これは先の大戦(いや、私はどんな大戦も、身近に体験したコトなどありませんが)あたりから使われ始めたヤツらしいこと。
新潮文庫版『津軽』巻末の注から引用する。私が持っているのは平成3年8月15日の七十五刷。
「希望的観測」 戦時下、戦況に関してよく使われた言葉。
この文庫は初版が昭和26年8月31日に発行されたようだ。その頃、「希望的観測」という語は、市民権を得ていなかったということなのだろう。わざわざ注として書かれているくらいだから。
「希望的観測」という語、日常生活でも、聞かないことは無い。ニュースならば、比較的使用される語句だろう。そんなありふれた語が戦争に由来していたとは知らなかった。念のため、この語について2,3の辞書にも当たってみた。しかし、いつ頃使われ始めたかは書いてなかった。
三省堂の『例解新国語辞典 第七版』は、私が「希望的観測」という語について、この腐れ日記に書こうとしたことをズバリ書いていた。
きぼうてきかんそく【希望的観測】(名)
こうあってほしいと、かってにおしはかること。[用例]景気回復は、政府の希望的観測にすぎない。
日本というクニは「戦後最長の好況が続いている」とか聞くが、これは全くの「希望的観測」つまり嘘っぱちであり、大昔の軍部が行った「大本営発表」と、何ら変わらないんじゃ... って、書くつもりだった、この辞書を見る前から。
そういえば、渋谷のスペイン坂では「やんごとなきお方」が、人通りの絶えた早朝にスタジオ入りしているという噂が。どうも「戦後最長の好景気は嘘だった」って内容のテープを作成していて、放送予定は8月15日だとか...
冗談はさておき、経済関係では「弱含み」みたいな気持ち悪いニホンゴを見たりする。ああいうのは、そのうち定着するのだろうか? 何しろ、コトバというのはどんどん変化していくものなのだというコト、「うざったいほど大量の注」から分かった。
昔から、ガソリンスタンドはあまり好きでは無かった。冷却水やら、オイルやら、エアコンの冷媒やらを、勧めてくださるから。
私は生まれてこの方、自分の車を所有したコトが無い。いつも家の車を借りてきた。基本的に父親の所有物だから、メンテナンスも父親任せになっている。そのため、勝手?にオイル交換などをするワケにはいかない。
にも関わらず、ガススタンドのにいちゃん達は、かなりの確率で私に追加出資を求めてくるのだ。断るしかない誘いを受けるってのは疲れる。避けたい。
だから、セルフ式のガススタンドは私にうってつけなのだ。ストレスフリーでガソリン代も安い。給油作業も楽しいし、好きな量だけ購入できる。
素晴らしい。
現在、1~2週間に一度、子供を車に乗せる必要がある。
無音で過ごす場合もあれば、何か CD をかけるときもある。
割と面白いのは『ディズニー・ベビー オルゴール編(アマリンク)』である。
車内が穏やかな状況ならば、ディズニーランドで乗り物に乗っている気分になれる、ような気がする。しかし、彼女が泣きわめいていたりすると、音楽どころではない。
で、1ヶ月以上前、首都高速環状線外回りを南下していた。
高速に乗る前から、ファンベルトが擦れるような音が度々発生していることに気付いた。「キュキュキュキュ…」って。オーディオを消して音を詳しく確認しようとすると、あまり聞こえない。
仕方なくまた CD を再生すると、音が聞こえたりする。そしてその音は、あまり車のスピードとは関係なさそうなのである。
「CD にファンベルトの音が入っている!?」って気づき、その点を配偶者に確認してみた。
「鳥の鳴き声も収録されている」ってコトでしたとさ。
『ミッフィー 0歳のクラシック(アマリンク)』って CD がそいつです。
知りあいのセンセの blog を見て、この話題を思い出した。
granma!: 日々に感じたしょうもないこと
私は今回初めて B'z のアルバムを買いました。その知り合いも買ったという"ULTRA Pleasure"ってヤツを。
私は非喫煙者だ。
歩き煙草は止めて欲しい。ハッキリ言って危ない。
吸い殻のポイ捨ても止めろ。
で、指定された場所での喫煙は仕方ないと思うのである。図らずもニコチン中毒になっちまった、可哀想な人達なのだ。
なお、タバコ税を上げていくというのも良いと思う。私はタバコが1000円になろうとも、全然構わないッス。
この画像は、とある病院の入り口に貼ってあったものだ。数ヶ月前から「敷地全面禁煙にします」というアナウンスはあったのだが、とうとう本当に実施してしまったようだ。喫煙者、可哀想。
とある足立区の中学校で「校門を出た場所での喫煙はご遠慮ください。近隣からの苦情が来ています」って掲示物を見たことがある。まあ、確かに未成年が密集している室内などでの喫煙は拙かろう。私が小学生のトキ、担任の先生は教室でバリバリ吸ってたケドね。
何しろ、オープンエアだったら喫煙も構わないのではないかと思うのだな。ケチケチせずに、校庭の隅っことかに喫煙場所を設定し、業者でも教員でも、好きなだけタバコを吸わせてやればよいと思うのだ。吹きっさらしの場所でタバコを燃やしたとしても、煙はすぐに拡散してしまい、その有害物質は存在しないに等しくなると思うから。
屋内ならば、煙草の煙は気になる。分煙となっている飲食店では、きちんと分煙して欲しい。
しかし、繰り返すが「数百度の物体が存在しても問題ない野外」ならば、つまり、燃える物もなく、駆け回る小さい子供などがいない場所ならば、不幸なニコチン中毒者には喫煙させてやるべきだと思うのである。
「学校だから」とか「病院だから」って喫煙を禁止しても、吸うヤツは吸うのである。敷地が余っているならば、吸わせてやって欲しい。落ちついてタバコを吸わせてやった方が、全体として安全であると思うのだ。何しろ歩き煙草が減る。
職場の同僚から教えてもらいました。
一昨日、初めて youtube で見ました。本当の放送? は、まだ見たことありません。
昨日は題名しか覚えていなかったのに、今朝は絵とメロディーが頭から離れませんでした。
ソフトボールなんかも表現できると思いました。
♪投げる、当てる、転がる
駆け寄る、握る、投げる
走る、伸びる、比べる
抜ける、握る、生きる ←バントから疾走、送球の様子(のつもり)
るるるの歌(ニコニコ動画)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm8021951
(2022/10/14追記 YouTubeの動画が消えた?ので、リンク再作成)
♪るるるる るーるー るるるるるー
るるるる るーるー るるるるるー
久しぶりに生徒に混じり、校庭でソフトボール(の試合)をした。普段の校庭は、他の部活が居て、とても試合などできないのである。
ピッチャー・キャッチャー・外野などをやった。
フォースプレイとタッチプレイの違いなどは、体に染みこませるしかないなぁ、なんて、改めて思った。
一応説明はしました。しかし、彼女らがあのとき頭で分かったとしても、実際のプレイで体が動くとは限らない。
私は小学1年生くらいのころから、同級生やお兄さん達に混じって「空バット・ソフトテニスのボール・グローブ無し」での野球をしていた。茨城県の千代田村、日立製作所の社宅「筑波ハウス」は7号館前の芝生の上で。あの体験が、今生きているのは間違いないですね。
などなどしみじみ思い出していて、表題の言葉を思い出した。
10年近く前、野球に関するペーパーテストを、戯れ(?)に作ってみたのですね。部員にやらせるために。
もう、お分かりかも知れませんが、「"にしまんるい"を漢字で書け」って問題でした。
遠くはないが、近くもないなぁ。二死満塁。
8月15日というのは、このニホンってクニで、最も重要な日だと思う。
本日の読売新聞の社説から。
東京・九段の日本武道館で行われる全国戦没者追悼式は、天皇、皇后両陛下をはじめ、首相、衆参両院議長、最高裁長官という三権の長がそろって出席する国家としての最高の行事である。
初めて知りました。三権の長が出席する式典だったコト。
NHK の『手話ニュース845』を見ていたら、式典絡みのニュースをやっていた。
あの式典の参加者がどのように選抜されるのかは、私にとって謎のままである。だいたい、戦没者が親戚に存在しないヒトなんて、この世の中には居ないだろうから。ニホンでも、あるいは、どのクニでも。
で、参加者で最も若いという9歳の女の子の映像が流れていた。
彼女曰く「(戦争で死んじゃった)ひいお爺ちゃんが、生きて帰ってくれば良かった」と。
私は突っ込みを入れる。
「ひいお爺さんが生きて帰ってきたならば、あなたは絶対にこの世の中に存在していないよ。それでも良いの?」
最近おもしろかった新聞記事。
「幸福の木」から金の粒 ?
高校生が調査 ▼ 園芸土と判明
台東区の女性が育てている木の鉢から、金色に輝く粒がたくさん見つかった。以来、女性は気になって仕方なかったが、都立科学技術高校(江東区)の科学研究部の生徒たちが調査し、ナゾの粒は主にオーストラリアで産出する園芸土と判明。女性は「金じゃなくて残念だったけど」と言いつつ、胸をなで下ろしている。
自営業の佐々木舞子さんは6月末、約20年前から自宅で育てていた「幸福の木」を別の鉢に移し替えようとしたところ、金色の粒が手のひらをいっぱいにするほど出てきた。一粒が直径数ミリの大きさで、見かけは金箔(きんぱく)にそっくりだった。
宝石店などで調べてもらったが判明せず、悩んでいたところ、同部部長の相川幸平さん(17)らが調査を買って出た。「蛍光エックス線分析装置」などを使って調べたところ、物質の成分は鉄38%、ケイ素21%、アルミ19%など。金は含んでいなかった。この成分比率は「バーミキュライト」と呼ばれる園芸土と似ており、国内でも広く市販されていることがわかった。
佐々木さんは「ゴールドじゃなかったのは悔しいけれど、楽しかった。こんな機会があれば、子供たちももっと科学に興味がわくはず」と感激した様子。顧問の早川信一・主幹教諭は「不思議に思ったことを調べるのが科学の基本です」と話していた。
(2008年8月12日 読売新聞)
ササキさんの勘違いも分からなくはないです。私も同じような勘違いを小学校のときにしました。
鉢植えの中に、「妙に角張ってるキラキラしたツブツブ」を見たときはドキドキしましたねぇ。しかし、同じツブツブが DIY の店先などにも存在するのを見て、「金じゃないんだろうなぁ」って気づきましたね。
この記事、ツッコミどころが多すぎるのですが、個人的には、"バーミキュライト"の姿と名前が一致したことが、一番の収穫でした。
もうすぐ夏休みも終わる。
過去1ヶ月、当サイト内で最も閲覧されたページはコイツです。
冬の自由研究(リンゴの変色について) -"知恵ぶくらー"を嗤う-
実に総アクセスの2割を超えています。
ま、普段は"80pv/日"前後の零細サイトなのに、この1ヶ月では"100pv/日"になっていますから、検索エンジン経由の一見さんが増えたのでしょうね。
小中学生の皆さん、及び親御さん、大変ですね。
自由研究という不自由を、どうか乗り切ってください。
生後5ヶ月以下の狂師格付けが行われた大分県で、すべての県内狂師に対するヒト厚顔性拝金症(HKH)検査を行うことが決定された。全頭検査を続けることで高級職種・公立学校教員のブランドを守るのが狙い。
県によると、ブランド品の公立学校教員は、長年ぬるま湯にに浸かって肥えている。このため肉質も良く、仮に全頭検査の結果失業しても、高級料亭への食材としての派遣などが考えられ、その後の生活にも支障は無いと判断された。
2008年度の特別検査が実施されたことにより、年齢に限らず大分の狂師は「お金を払って先生になったんでしょ。偉そうなこと言うな!」と、生徒から罵倒され続けているという。特に親類に同業者を持つ狂師などからは、「自分は不正とは無関係だと思っているが、その確証はない。伝染の可能性だけではなく、先天性の疾患ということも考えられる。是非とも検査してほしい」という声もある。
HKHの原因となるプリオンの発生を確認する検査キットに要する費用は県民の税金から補填されるが、こんなで教育いいんかい?は「金額だけの問題ではなく、全頭検査を続けることがモンペ(モンスターペアレント)様の安心感につながる」と話している。
この動きは他県への波及も予想されており、知事の越権行為による締め付けがある大阪などでは、既に高齢狂師向けの講習を企画している業者もあるという。
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着想は以下のサイトから。
というか、リンク先にもコメントしていますが、ヤマグチ氏の意見に全面的に賛成します、私は。
新聞記事で「石破氏の笑顔」を見た。
普段?の仏頂面しか知らなかったので、新鮮だった。
エレベーター内やら、山手線のホームやらに、ペーパクリップを見た。
地面にあるペーパークリップを見ると、村上春樹氏の著作を思い出してしまう。
近所のスーパーの駐輪場、軽自動車の屋台で売られる焼き鳥を買った。
焼かれるのを待っている間、その後ろを女子中学生の集団が通った。
『大地讃頌』を歌っていた。
7年前の事件は忘れられない。
日本の加藤某が秋葉原でテロを行ったのは今年だ。
心あるヒトは「加藤某の行動に反応してはいけない」と言っていたが、それはやはり無理だろう。
地球は回る。
本当の不況(飲まず食わずという世界)に強い職業は、第一次産業だと思う。その次に強いのは、教師か性風俗産業だと思うのです、いやマジで。自分は"セイフーゾク"にお世話になったことは無いし、これからも無いだろう。ビョーキ怖いし。
戦争やら何やらが起こるような状況、あるいは戦争直後のような状況でも、教師ってのは必要とされる職業なのじゃないかと思うのである。多分フーゾクもね。まあ軍人は別として。ハッテントジョーコクの子供なんかが「勉強したい」って目を輝かせている映像を見たりするが、あれは真実だと思う。
教師側がやる気になれば、授業はどこでも出来るのだろう。その親からも、何かしらのお礼(食料)が得られそうな気がする。そういったハナシを教員同士で、ちょこっと喋ったことがある。とあるセンセーは「私は、教員の職からアブれたときのために、中東からカーペットを仕入れるルートを確保しています」って言ってた。どこまで本当か知らないけど。
で、私が一番理解できないのは「証券会社社員」であり、その次は「銀行員」である。
「金で金を生もうという魂胆」が、私は理解できない。そして、食いっぱぐれそう。
過去の関連する日記
セイジカであるらしい「鳩山のお坊ちゃま達」と、ビートたけしの対談を流し見ていた。
「理念」がどうたらこうたら言っていた。政治家には「理念」が必要だとか何とか。
自分自身について、考えてみた。
自分は「ガッコーのセンセエ」って仕事をするにあたり、理念がないのである。断言する。
クラス担任は10回以上拝命しているが、「こういうクラスにします!」って、同僚や保護者に宣言したことない。ってか、できない。
念のため?記すと、保護者会とかで「センセイはどういうクラスにしたいんですか?」とか、尋ねられたこともないけどね。
私は学級通信は出さない。それは心がけている。
で、不安?に思った私は、改めて自分の文章(4年前)を読み返してみた。教員を目指したトキから今まで、私の軸はブレていないと思った。
という、自画自賛だとさ。
老化。
https://ariori.com/diary/2006/02/13/
の続きです。
最近、入浴の際に、石鹸で体を洗うのを控えています。
ボディーソープとやらを使うようになりつつあります。「スーパーマイルド」って製品らしいです、家にあるのは。
自宅にあるのが安い固形石鹸のせいもあるのか、頭皮だけではなく、腕やら脚やらの皮膚もパサつく傾向が出てきたからです。
ま、子供も生まれたわけだし、ネット上に10年以上も日記を書いているし、老化もするわな。
昔の「ボディーソープ」は、使用後にやたらとベタついた気がするのですが、今は感じません。私の体質と、ボディーソープの品質の、両方が変化したのでしょう。ってか、変わったのは私の体だけじゃ無いハズっ!
<過去の「老化」関連日記>
若者とオジサンの境界
https://ariori.com/diary/2004/11/30/
早朝の散歩とベルクマンの法則
https://ariori.com/diary/2006/02/10/
日教組の組織率と「全国学力テスト」の点数の間に、少なくとも負の相関はなさそうだというのが、定説となりつつあるらしい。スルドい方は1年近く前に調査済みのようだ。
日教組組織率と学力:補遺 | Okumura's Blog
http://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/blog/node/2274
全国学力テストは、正式には「全国学力・学習状況調査」というらしい。
そして、私も以前日記に書いたことだが、小学校はベネッセが、中学校は NTT が受注したそうだ。
自分が受けていないから、あんまり気にしていなかったが、ウィキペディアには「問題点」として以下の記述があった。
生活・学習環境の調査までされているのに、民間企業(小6はベネッセコーポレーション、中3はNTTデータ)に情報管理を任せていいのか。
小学6年生のテストの採点を行うのは教育産業の会社であるベネッセコーポレーションであり、教育産業に情報が利用される可能性を全教は指摘している。
確かにその通りだ。全日本教職員組合エラい。ま、私は日教組とも全教とも、直接の関係は無いけど。
私は、このテストは話が出始めた2002年の段階から否定的だった。大体、全国一律のテストで、分かるコトなんて、ほとんど何もないだろうから。
分かるのは、どの地方自治体が「ペーパーテストの点が取れ」て、どこがその逆かってコトくらいだろう。
数十年前の同じようなテストも、たったの数年間で廃止になったと聞いていたし。
ってコトで、例によって個人的な話に突入する。自慢が相当混入する点にご注意召され。
私は小学校4年の夏休み、茨城県新治郡の千代田村(現 かすみがうら市 ←何故ひらがなっ! )から、東京都豊島区へ引っ越した。日立製作所に勤めていた親の転勤に伴って。
4歳まで、私は同じ東京都豊島区に住んでいたのだが、千代田村に引っ越したのも、親の転勤(亀有→土浦)に伴うものであった。
茨城から東京へ越してきてびっくりしたのが、「同級生の頭の良さ」である。
厳密に言うなら、表題とした「ペーパーテスト対応力」の力強さである。ま、私は「頭の良さ≒ペーパーテストの点」とも思っているが。
茨城に住んでいたときは、誇張抜きで「クラスで一番の成績」だったと思っている。ま、私はクラス担任じゃないから、比較のしようがないが、体感的(?)にはそうだった。
で、東京へ引っ越してきたらば、「クラスで上の方」になってしまったのである。これには驚いた。「東京の子は頭が良いなぁ」と思った。
茨城に住んでいるとき、つまりは30年前のこと、こんな噂を聞いたことがあった。「村で一番の成績を取ると、土浦一高に入ることができ、そこで頑張れば東大へ入れる」と。素直な私は「よっしゃ、いっちょ東大へ行くか」と思っていた。
そんな子が東京では「まぁそれなりにできる」という存在に成り下がってしまう。
私がこの話で何が言いたいのかというと、「地域によって、ペーパーテスト対応力には、めちゃくちゃに差がある」ってコトである。ま、既に皆さんご存じだろうが。
現在の東京都内でも、結構な差があるというハナシがあるが、生臭くなってくるのでその辺は省略。
そんな「もと神童」は、塾こそ通わなかったものの、通信教育は結構利用した。そう、前述 Benesse(元 福武書店) の「進研ゼミ」である。
小学6年の1月から、高校3年が終了するまで、計6年3ヶ月もの長きにわたり、進研ゼミ生だった、私は。
豊島区立大成小学校(現 さくら小)から、同第十中学校(現 明豊中)へと進み、私はコツコツと進研ゼミの教材をこなした。
1日号の記述式テストと、15日号のマークシートテストに対して、「そこまでやるか」ってくらいにまじめに取り組んだ。ま、ふつうに「教材冊子」を見返せば、テストの解き方は書いてある。真面目にやりさえすれば、結構な点数は取れるのだ。
締め切りまでにテストを郵送することができれば、シール(点が良ければ金・その次は銀など)が返送されてきた。それを集めると、様々なノベルティグッズ(?)が貰える。
また、私は冊子にあった「全国成績優秀者」欄で、いかに上位に名前を載せるかに執心していた。あの頃のライバルは、今、何をしているのだろうか?
ってコトで、あんまり自覚はしていなかったが、割とまじめに勉強していた中学生だったのだろう。
記憶では、中学3年2学期、体育は評定3だったが、他は音楽なども含めて、評定5だった。
1986(昭和61)年に行われた都立高校の入試では、自己採点が正しければ、国語・理科・社会は100点だった。確か数学が95点で英語が92点だった気がするが、逆かもしれない。何しろ、487点/500点という、高得点を叩き出したはずである。進研ゼミありがとう。晴れて、第一志望の都立小石川高等学校へ入学が許可されたのだ。
しかし、それだけ内申とテストの点を稼いでいても、合格発表の時は不安だった記憶がある。どれだけ小心者なのだろうか。
そんな「ペーパーテストの鬼」が、現在は「並のオサーン」になっちまったようだ。理由を簡単に言うと「勉強をサボった」ってコトである。
何故サボりがちになったかというと、「医学部を目指すわけでも、東大を目指すつもりでもなくなったから」である。
医学部という道は、「魔の」石原式色覚検査を複数回受け、眼科医などに諭されるうち、私の人生の設計図からは消えていた。(念のため記しますが、今はそんな時代ではありません。石原式などに負けるコト無かれ)
また、私は「教員になろうかなぁ」って思っていて、「小学校教諭になれて、理科を勉強できる国公立大」を探したところ、目を血走らせて勉強せずとも入れそうなコトが分かったからでもある。
しかし、もう一つのサボった理由に「進研ゼミの教材が、高校の進度とずれていったから、やる気が失せていった」ってのがある。なんて情けない高校生なのだろうか。マニュアル人間極まれり。ま、それも運命だろう。
やっと、長年の懸案(?)だった、頭の良さ自慢ができた。良かった。
ついでに記しておくと、記憶によれば、(最後の)共通一次は800点満点中、628点でした。化学は100点、地理は92点、国語は180点超で、英語・数学はボチボチでした。最後の2教科はサボりまくったツケですね。
<過去の「教職志望」関連日記>
中国産の牛乳にメラミンが混ぜられたのは、タンパク質が多いように見せかけるためであった。
タンパク質とは、α-アミノ酸(図は最も簡単なアミノ酸 グリシン)が多数つながった物色の総称である。アミノ酸は、その分子内に、必ず1個以上のアミノ基(-NH2)を持つ。簡便なタンパク質検出法は、試料中の窒素 N を定量するらしい。詳しい仕組みは知らない。
今回の事故、検査する方も、牛乳を(正に)水増しする方も、「仏作って魂入れず」じゃねーかと思った。生産者(の元締め?)は酪農業の心意気から逸脱してるし、加工会社は本質的な品質管理からはズレているように思える。
で、面白い(不謹慎でスミマセン)と思うのは、メラミンの毒性の表現方法である。日記の表題にした「エッグタルト428個」。これは毎日食べ続けると、メラミンによる健康被害が出る量のコトらしい。
多分、その計算はある程度確かなのだろう。そして、ppm(parts per million)オーダーのメラミンなんて、普通の大人なら、無視して構わないハズ。
しかし、百個超のエッグタルトを毎日食ったらば、それは危険だろう。確実に成人病になれる。糖尿・肥満・高血圧や、そこから派生する脳血管障害などが、近い未来に待っているハズ。
エッグタルトはマカオ名物だそうで、数年前に訪れたトキ、本家?の店で頂きました。おいしかったです。KFC でも一時期エッグタルトを扱っていたが、マカオの方がおいしかった気がするッス。ま、名物・名産品とはそんなものなのでしょう。
ちなみに、私が忘れ難い食べ物を適当に挙げると、こんな感じ。
青森のホヤ いわきのメヒカリ シルクロードのハミウリ パリのパン 大連のサヨリ 上海の焼き小龍包 喜多方のラーメン 広島のお好み焼き(以上、思いついた順)
一昨日から阿佐ヶ谷では、キンモクセイがごく微かに匂っていた。今日は本格的に匂い始めた。通勤途上に数カ所生えており、学校の敷地内にも存在している。そいつらは一斉に香りを放ち始めた。不思議なものである。
毎年思いながら実際には行わないコトに、「キンモクセイ開花日」の記録がある。
私の記憶では、10月6日の開花は平均からちょっと遅いくらいなハズだ。阿佐ヶ谷に勤め始めて15年になるので、定点観測しようと思えば、できるハズではある。
まぁ、実はジンチョウゲとキンモクセイについては、なるべくマメに日記に書くようにはしている。ソメイヨシノなどはデータがたくさんあるだろうから、調べようと思ったコトは無い。素人(?)には開花の定義が難解である気がするし。
この秋、阿佐ヶ谷周辺で改めて気づいたのは「駅南西にはミズヒキが多い」というコトだ。
ミズヒキはかなり地味な植物だ。私は合唱部に入らなければ、この植物を知るコトは無かっただろう。
私の高校時代に流行した合唱組曲に『旅の途の風に』というのがあった。流行というか、新譜に近く、派手な曲も含まれていたから、コンクールで度々自由曲に選ばれていたのである。
詩は須田貢正というヒトの作品である。最終曲の『晩秋の里で』にミズヒキは出てくる。
合唱部の指揮者だったか、別の誰かだったか忘れてしまったのだが、ある秋の日にミズヒキの赤い花を音楽室に持ってきてくれたヒトが居た。
花といっても、めちゃくちゃ地味である。「赤く色づいた、ちょっと間引きされたシソの実」にしか見えない。
あの花を見る度、私は高校時代を思い出すのである。
阿佐ヶ谷のミズヒキには、色素が抜けてしまったように見える株もある。ヒガンバナやサルビアなどは濃赤色の花をつけるが、黄色みを帯びた白いヤツもたまに見られる。あれと同じである。
植生で思い出したが、常磐線の三河島周辺には、何故かビワが多い。小振りではあるが、初夏に実をつけているのを見る。気になりながら、まだ食べたコトは無い。あと私が30歳若ければ、線路際のそいつの味を確かめていることだろうに。
西日暮里周辺も、今日キンモクセイが匂い始めた。これも毎年思うのだが、私の移動範囲内では、花の開花に明確なタイムラグは出ないようだ。
一気に秋。
最近、ヒトの活動による皮膚炎に困っていたんだよね。
これで、もう少し分をわきまえるんじゃないかな? -by地球-
私は常々、「現在の」銀行という存在には疑問を持っている。
「余っている人からお金を預かり、足りない人へ貸す。その際、手数料を取る」という、「銀行本来の業務」ならば、これからもきちんと続けてほしい。しかし、現在の銀行は、アメリカも日本も腐っている。
アメリカの銀行は、不動産価値が上がり続けるだろうという前提の元、金を持たない人に対して、彼らの所有する不動産を担保に金を貸し付けた。どうも「証券化」などと云うらしい。しかしそれは結局、金持ちに上手いコト言って、せしめたものだ。不動産価値が下がり、貸し付けた金が戻ってこなくなった。当然、銀行は営業が成り立たなくなる。ざまあみろ。
日本の大手都市銀行は、テレビCMをバンバン打って、自らの支配下に置いた「元サラ金」を宣伝している。金を持たない人を煽り、上手いコト貸し付けて、そこから金利を貪り取ろうとしている。そして、その資金はカネを持つ人から、ほぼ無利子で調達しているのだ。
「公的資金」を注入された銀行などは、給与も中小企業並みにすべきだと思うのだ。
かたや「財政再建団体」となった夕張市職員などは、普通の公務員(おおよそ従業員50人以上の企業の平均?)以下の給与しか、得られていないはずだ。銀行も同じ扱いにすべきだ。今までさんざん高給を取ってきたのだから、それくらい構わないだろう。
と、ここまでは一気に考えたが、よく考えるとニホンって、そのクニ自体が赤字だった。国債という名の借金漬けになっている。と、云うことは、地方公務員も国家公務員も、もっと給料が少なくても良いのかも知れない。なぜ、夕張市だけは可哀想なことになっているのだろうか。ま、特に夕張の場合は、前任者たちの無策が招いたコトではあるだろう。しかし、無策ぶりはクニも夕張も、それほど変わらない気もする。
ニホンと夕張のどこに境界線があるのか、不思議といえば不思議である。
東京都の公式ページを見ていて、凄まじい情報に遭遇した。
都立高校のヒラ教諭(最近できた「主任教諭」や「主幹」ではないヒト)は、劇的に給料が下がりそうである。それも、高齢(特に40代以上)の方々。
元ネタはこちら。
平成20年 職員の給与に関する報告と勧告
「教員の残業手当」はどうなったのか、今のところ不明ではあります。そっちを増やす可能性も、未だ残されてはいるのでしょうけれど...。
「三つ子の魂百まで」と言う。私が茨城の小学校に仕込まれた習慣に、「ハンカチ・ちり紙持参」と「置き傘」がある。
村上春樹の文章に「ハンカチを持っている男は信用しない」みたいなヤツを見た記憶があるが、私は村上春樹に嫌われようとも、ハンカチは持ち歩くのである。前にも日記に書いたが、電動タオル(?)やペーパータオルは不経済だと考えるからでもある。できるコトから地球に優しくするのだ。単純にケチとも言えるが。
で、置き傘も完全に習慣化している。ロッカー内に傘が無いと、何か落ち着かない。雨上がりの晴天の朝でも、ロッカーに傘を補給するべく(?)、私は粛々と職場へ向かうのだ。
実は、現在の通勤経路ならば、自宅最寄り駅までの10分弱が「露天」なだけである。その他は、「電車に乗っての移動」か、「屋根の下(あるいは露天)の徒歩移動」だ。職場が中央線の高架横にあるから。なお、念のため記すと、高架下は JR の私有地だから、そこで車に轢かれたりしても、歩いていたヒトの「自己責任」になるのだ、多分。だから、高架下の移動はあまり勧められない。
私が最初に通った茨城の小学校は、小学生の足で歩いて30分かかった。確かにその距離だと、雨の中を傘も無く歩くのは、あまり勧められる行動ではないだろう。置き傘が推奨されるのも頷ける。
かの教えを受けてから30年以上経過した。未だに私は職場に置き傘を常備し、加えて折りたたみ傘をカバンの中に携帯していたりする。
私が普段乗る車は、実家にあり、主に運転しているのは父親だ。多分、父親の次に長い時間、その車を運転しているのは私だろう。
私はその車に乗る度に、シートの位置その他を補正する。安全のためである。
カーナビの設定も変える。父親は車の進行方向が画面の上になる設定を好むようだ。地図がぐるぐる回転するタイプ。「地動説」の画面表示だ。私は地図の北が常に画面の上に来る設定にする。「車動説」の画面表示。
地図の方角が常に固定されていないと、自分がどちらの方角に向かっているのか、それが分からなくなる気がする。
街中などで、印刷物の地図をくるくる回して見ているヒトを見たりする。あれは「私は方向音痴です」と周囲の人間に披瀝しているような気がする。だから私はやらない。地図を見る際、「男は黙って北を上」が美しい気がする。
しかし、よくよく考えてみると、地球の地軸というのは、絶対的な座標でも何でもない。宇宙全体から考えるならば。
だから、「地動説」も「車動説」も、どちらが優れていて、どちらが劣っているなんてコト、多分無いのだろう。
過去の関連する日記
太陽が地球を回ってる
https://ariori.com/diary/2005/01/14/
春分の日の決まり方 そこから派生する無常観 そして再生
https://ariori.com/diary/2005/11/25/
GoogleMaps を使うことは度々あるが、あの画面に情報を書き込んだ記憶は無い。多分ね。
まあ、変な仕様のサービスを提供してた Google もマズいが、ああいったオンラインのシステムに個人情報を書き込んじまったタカギヒロミツ氏たちは、もっと拙い。何でも、今回問題とされている現象、それは大昔(数ヶ月前ね)から知られていた仕様(?)らしいし。
Amazon のウィッシュリスト(欲しいものリスト)が公開されて騒ぎになったときも、タカギ氏が騒いでくれたから、私もその存在を知ることができた。
それぞれのヒトが、どれだけ恥ずかしいもの(?)を欲しがっていようと、それはアカウントを持っているヒト内部のコトだ。訴えられる危険性は無いだろう。笑われることはあったとしても。
ちょっと似たサービスに、"はてな"や Google による「オンラインのブックマーク保存」がある。それらのブックマークには、個人の趣味・嗜好や周辺環境が反映されるだろう。流出させたくはない。でも、流出しても致命的とは言えない。
でも今回は違う。バッチリと個人情報が流出したワケだ。
私は、普通のメールだって恐る恐る使ってる。私も人の子?なので、Gmail その他のウェブメールを使っちゃったりしているが、少なくともウェブメールのメールボックスには、個人情報は放置しない。流出したら拙そうな内容のメールはさっさと削除してるつもりだ。
まぁ大体、メールは第三者に見られているという前提で使用しているから、本当に重要な情報は、少なくともメール本文には記していないつもり。
タカギ氏の偉いところは、自分の失策を全世界に公表したコトだ。ま、その判断までにはかなりの葛藤があったコトだろう。有名人は辛いッスね。
ところで、私は非常に不思議に思うことがある。
むかーし昔、「"個人情報流出事故"が起きたとしたら、その場合は1件数百円だか数千円、あるいは1件数万円の慰謝料がかかり、企業は一発で倒産する」と脅かされていた気がする。しかし、そんなニュース、一向に耳にしない。私が寡聞なだけッスか?
リスクマネジメントのコンサルタントをしていた輩は、今、何を生業にしているのだろうか? オレオレ詐欺でもやっているのかしら?
余談であるが、私は実家に電話をかける際、最初に自分の名前(ファーストネーム)を名乗る。誰に教えられたわけでも無いが。
既に数年前のコトだが、実家はオレオレ詐欺の被害を免れたそうな。
個人的に超不思議に思ってるコトのひとつに、出身校の都立高校同窓会名簿が、オンライン化されたってヤツがある。個人情報保護法ができるかできないかっていう時期だったハズ。数年前ですな。どういった了見でそんなシステムを導入したのか、よく分からない。そのときは、時代に凄まじく逆行していると思ったっけ。
私の実家には、住んでいない私に対して、様々な儲け話の勧誘があるらしい。ごく稀に職場にも勧誘が来る。紙ベースの同窓会名簿から流出した情報だと思われる。現在のところ、オンライン化された同窓生情報が漏洩したような形跡は無いが、そういった情報がまとまって存在しているコトは、何となく不安ではある。
http://news.tbs.co.jp/20081110/newseye/tbs_newseye3990867.html から
(医療現場の)現状を、IT技術を駆使して解決できないかと、二階経済産業大臣と急遽、会談しました。
「お医者さん同士のコミュニケーションがうまくいっていない。IT技術を活用した形で、両省で協力しながら国民のためになる仕事をしたい」(舛添要一厚労相)
「政治の立場で申し上げるなら、何よりも医者のモラルの問題だと思いますよ。忙しいだの、人が足りないだのというのは言い訳にすぎない」(二階俊博経産相)
2人の大臣はIT技術者にアイデアを出してもらい、大学病院で実験を行うことで一致しました。
バカばかり。
動画を見る限り、TBS による編集はあるものの、実際に彼らはそう発言しているようだ、
「パソコンに任せれば(様々な問題は)何とかなるだろう」というような、マスゾエが言った(言わされた?)「馬鹿発言」は度々眼にする。また、無駄金が使われるのだろう。この出来レースに関わっている業者はどこだ? NEC か? 富士通か? それとも外資か?
私は「IT 万能主義」を否定する。きっぱりと。
ニカイなる人物が「医者のモラルの問題」と言い切ったらしいことは、何となく知っていた。
本日、改めて上記ページを閲覧し、二階氏の馬鹿さ加減を知った。
彼の公式ページを初めて開いてみた。発言の撤回と謝罪を促すため、途中までメールを作成した。
しかし、しばらく考えたが、この腐れ日記に書くことにした。闇に埋もれないという点に於いて、多少なりとも有意義だろうから。
彼が病に倒れても、彼の親戚が病に倒れても、その面倒を見る医者は居ないだろう。
真の「死亡フラグ」が屹立しました。
ニカイ一族に医療行為を行うような医者が居たら、私は軽蔑しますね。もともと、彼の選挙区である某県は、既にしっかり医療崩壊しているらしいですから、杞憂かも知れませんが。
11月14日追記
撤回したという情報が「不思議な伝聞形」で伝わってきましたね。
トキって、繁殖させ、放鳥までする必要あるのだろうか? 過酷な環境に晒され、そのうち落鳥しちゃうだろうし。私はトキ保護センターには価値を感じない。働いている方には悪いが。
ニホンの一部の勢力は、何らかのノスタルジアに由来する政治的判断のもと、絶滅寸前のニッポニアニッポンを増殖させているのだろう。しかし、そいつは既に中国産なワケだ。「遺伝的には一緒」とか強弁なさる方もいらっしゃるようだが。
「日本固有種のメダカを守ろう」とか、「外来種であるブラックバスの放流反対」とか、「ニホンザルとタイワンザルは違うんだから混ぜるな」みたいな主張は色々と聞く。「ホタルの問題」は深刻な気がする。もし、それらの主張と「トキ問題」を同期させるなら、佐渡島のトキが1羽になった時点で、トキ保護センターはフェイドアウトさせるべきだったハズ。
5年前、日本産のトキが全部死んだとき、センターも解散し、外来のトキは中国へ返すべきだった。今から返しても遅くはない。
ま、トキが保護されてきた歴史は長いので、単純にはメダカやサルとは比べられないだろうが、何しろ考え直すべき時が来ていると私は考える。日本では不況のためにホモサピエンスサピエンスがバンバン死んでいるのだから。
「情報A」の授業を行うに際し、自分でも見本のウェブページを作成しています。
NOKIA についてのページを作成していて知りました。ノキアの社名は、"Nokianvirta river"に由来するらしいことを。ここを見ました。
The first Nokia century began with Fredrik Idestam's paper mill on the banks of the Nokianvirta river.
前に調べた Adobe の場合と同じく、川の名前というのが面白いです。
という、どうでも良さげな話題。
もし、私が会社を興すなら、近くを流れる川の名前にしよう、と思った。
で、日本のノキアを眺めていたら、誤字を発見した。
そのうち日本で発売される"N82"という機種には、"micri SD"カードが付いてくるそうで。"マイクリSD"って、興味があるなぁ。
おまけ:過去に私が発見した誤字(自分で才能があると思うッス)
https://ariori.com/diary/2001/02/07/ ←新聞から
https://ariori.com/diary/2005/12/01/ ←ネット上で
https://ariori.com/diary/2007/07/19/ ←お下劣につき注意
2008/12/24 追記
いつの間にか、上の"micri SD"って誤字は直っていました。
このページ経由で、ノキアにアクセスがあり、そして誤字が訂正された可能性が高いかと。
既に笑い話になったので、書きます。
私が現在住んでいる場所はマンションです。
10年くらいの間隔で行うらしき大規模な修繕の際、何故か手足に発疹が現れ始めました。蚊でもなく、ダニでもなく。
遭遇したことのないルックスの発疹は、遭遇したことのない痒さでした。
しばらくそれが続いた後、配偶者が隣人に相談しました。
「その痕は南京虫じゃないの?」
南京虫の正式名称はトコジラミです。(ウィキリン)
ネット上で調べたところ、"エヤローチA"という製品が良いらしいことが分かりました。
通り道になりそうなところに、定期的に散布するのだそうです。
その当時は子供が生まれてくる前だったので、何とか子供が生まれるまでには退治しておく必要がありました。かなり必死でした。子供には殺虫剤を吸わせたくないし。
ってか、まず痒い。
私は比較的痒みなどには強いようなのです。何に比較するかというと、私の配偶者。彼女はかなり痒みに弱い人間なのですね。私は蚊に刺されても、だいたいそのまま放置します。そのうちに痒みなどは引っ込んでしまうから。彼女は、体質的なものなのか、痒み止めは必須なのだそうです。そうしないと、掻きむしったりしてしまうから。蚊でもそんな状態ですから、南京虫は洒落にならない。私でも十分に痒く、薬を塗るくらいですから。
で、およそ3日おきに、部屋の隅など奴ら(南京虫)が深夜徘徊しそうな場所に散布しました。
また、時々は布団の上などで発見し、プチプチと潰していきました。潰した数は10匹は下らないでしょう。大きめのヤツから、生まれたてみたいなヤツまで。
南京虫が通る場所には、ウンコをするのか何なのか、黒っぽいシミ(排泄された血?)が付着します。部屋のそこここに見ました。そこに重点的に殺虫剤をスプレーしました。
で、徐々に襲撃は収束していったのです。殺虫剤の効果もあったのでしょう。また、進入経路だったと思われるエアコン配管用の換気口?も封鎖しました。しかし、まだ私だけは刺され続けていました。
ある日、カーテンを見ていて気づきました。謎のシミがあることを。
それは、カーテンのフックを設置する、「くしゅっ」と縫われた場所近くでした。
親玉(母親?)が居ました。かなり大きなヤツが。
ブチッと潰しました。過去最高の血が出ました。私のヤツでしょう。
その後、定期的に殺虫剤を散布しておきましたが、被害は出なくなりました。徐々に散布の間隔を開けていき、戦争は終結しましたとさ。
結局、"エヤローチA"は3本買いました。2度に分けて。使ったのは1本半分でした。
1本未使用が余っていますので、ご希望の方が居たら、送料そちら持ちでお譲りしますよ。
「当マンションにお住まいの皆様へ」って書かれた封書が、ポストに入ってた。
「当(ホニャララ)」ってのは、へりくだった言い方であると認識している。
「当社」とか、変形の「弊社」とかさ。
相手をタテる場合に使うハズ。
「お住まい」は一応尊敬?の念を表したつもりなのだろう。
中途半端な敬意は間抜けだ。
そんなグダグダなニホンゴを使う輩が企画した住居など、住もうと思わない。
少なくとも私は。
以上、関係者様 各位へ。
御徒町は侮れない町である。
アメ横。
中田商店で買った ALPHA の N-3B は、社会人となった最初の冬に買ったはずだ。もう15年にもなるが、ずっと使っている。アメ横にはニキニキニキニキ「二木の菓子」もある。
2年くらい前まで知らなかったのだが、東(高速道路・4号線の向こう)へ行くと多慶屋がある。強烈な紫色のビル群だ。いろんな物を安く売っているが、特に文房具が安いと思う。私のお気に入りであるパーカーのローラーボールのリフィルも安い。値段忘れたけど。
で、吉池というデパート? が駅前にある。何度か入った事がある。何を買ったか忘れたけど。
このビル、くすんではいるが、よく見ると結構おしゃれな外壁になっているのだ。タイルにて模様が描かれている。
で、よくよく見ると、その上にネットが張ってあるのだ。外壁落下防止なのだろう。この画像じゃ、ちょっと分からないかも知れません。スミマセン。
「構造物の外壁が落下して怪我人が出た」というニュースを聞くことがある。
最近では、「永田町の不審者」の親類だか何だかがやっている土建業者が、九州で活躍してくれたようだ。幸いにして、ヒトには当たらなかったらしい。さっさと踏襲補修してくれ。ミゾウユウの惨事が起こる前に。
で、「私達は、外壁が壊れても大丈夫なように、その上にネットをかけています」ってな主張をするカイシャ、あまり聞かない。
吉池はきちんと外壁にネットが被せてある。非常に好感を抱いた。とても地味ではあるが、それなりに金はかかるコトと思われる。
チャラチャラした新興繁華街や、祖先のコネで仕事を持ってくる土建業者とは、一線を画している気がする。
それだけ。
御徒町万歳。
この画像は職場のキンモクセイである。
一昨年、あるいはその前かも知れない。LED らしき電飾が施された。年末、クリスマスが近い頃だった。今のような。
で、年が明けたら電飾は撤去されるのだと思っていた。ところがどっこい、そのまま放置され、現在に至る。設置が面倒だったのだろうか?
私は無駄な電飾が好きじゃない。「この季節の電飾」って「私は俗物ですよ」って周りに宣言しているだけのような気がする。私は既に充分に俗物なので、これ以上俗物になる必要を感じないのである。
で、この電飾、他人が設置したものなので、私がわざわざ外すコトも無い。ってか、外したら怒られそうだ。確か、昨年には、一系統の LED 群が死んでいたハズ。でも、最初に設置した状態のまま、幾星霜。。。☆
で、いまではしっかりと、キンモクセイの内側に、電飾の配線がめり込んでいるのですね。というか、キンモクセイが育ったようだ。
少し間抜けな光景だと思っています。
「一度 LED 群を撤去する」ってコトになったら、その作業に協力することはヤブサカではないッスよ。って宣言しておく。
緑茶である。
大規模構造(画像ググリンク)に似てませんか?
職場では、中国方式で茶を飲んでいる。茶葉をカップに入れ、そこに湯を注ぐ。濾したりしない。葉が沈んだところを見計らって飲む。水面の葉は、ふうふう吹いて、蹴(?)散らす。
日本の緑茶でこの飲み方をすると、「大規模構造」のようなものが現れるのだ。対流の具合や分子間力の微妙な力関係によって、この構造ができるようだ。もしかすると、「大振り」であるカップも影響を与えているのかもしれない。
茶の対流が終わる頃には、このような構造が現れてくるのだ。粉茶ならば、もっとハッキリ現れるのかもしれない。しかし、水底の大きな沈んだ葉も、何らかの作用を及ぼしている可能性も捨てきれない。
一番「構造」が綺麗に現れるのは、茶を一杯飲んだ後、2度目に湯を注いだときだ。
一杯目の茶は、水と茶の馴染みが良くないようだ。「構造」はハッキリとは現れない。また、3回目になってしまうと、構造の要素となるべき「茶の粉末」自体が、私の胃の中に収まった後となる。
実はこの画像を撮影した後には、経験から言うと、もっとハッキリとした「大規模構造」が見えたはずなのだ。綺麗なソイツを写真に撮ろうと思って、冷えた茶をしばらく放置してあったのだが、気が付いたトキには、「大規模構造」を飲み込んでしまっていた。残念である。
このネタは、ずーっと温めておいたのですね。天文学に詳しいっぽいでしょ。ってか、実際私は理科の教員だけど。
明日から、職場では中国茶を飲み始める。「大規模構造」とは、しばらくお別れなのだ。
痛いニュース曰く
298 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2008/12/16(火) 11:39:46 ID:zpfz1+WK0
うちの部署、派遣一人に月80万近くはらってるんだが
その人の給料は手取りで18万くらいだそうだ
景気悪くなれば経費のかかる派遣はきられて当然と思うんだが
中間搾取が酷すぎるんじゃねーの?
嘘だろ。年間で1000万弱か? 新卒雇えよ。
元ネタの(ゴシップ)新聞記事が、まず怪しい。
http://mainichi.jp/life/job/news/20081216ddm041040052000c.html
生活危機:08世界不況 「派遣切る側」も苦悩 1日数百人に通告 ◇契約打ち切り恐れ、メーカーに抗議できず
金融危機の影響で、メーカーが派遣労働者を削減する「派遣切り」が加速する中、労働者を送り出す大手製造業派遣会社の社員が毎日新聞の取材に応じ、契約打ち切りを通告する立場の苦悩を訴えた。労働者に対する人権侵害とも言える違法行為に触れることも少なくないが、仕事をもらう派遣会社の社員としては、メーカーに声を上げることもできない。社員は「路頭に迷う労働者を救えないのがつらい。すごく切ない」と打ち明けた。この派遣会社の場合、契約の打ち切りはこれまで1日数人の規模だったが、最近は数十人程度に及んでいるという。多い日は数百人に打ち切りや更新しないことを告げる。
西日本の工場で3年にわたって無遅刻無欠勤で働き続けた50代男性。社員はこの男性に契約打ち切りを通告した。男性は「長い間お世話になりました」と頭を下げたという。社員は「新たな仕事を紹介したいのだが......。申し訳ない」と謝った。「状況は分かっている。何とか自分で探します」と、理解を示した男性の言葉が余計につらかった。
契約打ち切りを告げた人のその後も気になる。会社の寮を出た40代男性に11月、電話をした。男性からは「実は今、愛知県の公園に住んでいる」と打ち明けられた。社員は「今は新たな求人がない。助けることができない」と、うつむいた。
メーカーが派遣労働者を選別することは法律で禁止されている。しかしこの社員によると、製造現場では事前面接や筆記試験があったり、受け入れ後に作業を覚えられない派遣労働者を名指しで交代させることもある。
西日本の大手家電メーカーでは、派遣労働者が正社員と同じ食堂で昼食を食べることすら許されない。「なぜこんなことをするのか」。社員は不満を募らせるが、契約を打ち切られるのを恐れ、メーカーに抗議することはできない。社員は「メーカーは今まで安い賃金で大もうけしたのだから、その分を派遣労働者に返してほしい。せめて安心して働かせてやって」と話した。
毎日新聞 2008年12月16日 東京朝刊
全面的にガセじゃねーか?
派遣会社の社員が、1日で数百名に電話するのだろうか? 1人1分でも数時間必要だよ。以前は数人だった(らしい)のに。
私は本当に毎日新聞が嫌いだ。
彼らもショッキングなニュースを扱いたいだろう、倒産寸前だろうから。
脳内妄想もいい加減にしてほしい。
昨日、ビビりました。
帰宅中、山手線に乗っていたら、江頭ひなたサンでは無いヒトが、動いていたから。
<ちょっと長い解説>
東京にある山手線というJRの路線は、11両編成で、そのほとんどは4ドア車となっている。
数年前から、そのドアの上には、液晶モニタが2つずつついている。車両あたりは16モニタ。
で、ドアの上の片方は、運行情報が表示される。路線紹介とか、遅延がある路線とか、次の停車駅とか。
もう一つの画面は、動画が流れている。無声コマーシャルだ。
で、その画面では、かなりの割合でサッポロビールの CM が流れている。ま、それは私の主観であり、本当はいろんな業種のいろんな CM が流れているのだろう。ビール好きだから、何となく気にしてしまうのだ、サッポロを。
で、そのサッポロの番組?のひとつに『CookOne』ってヤツがあるのだ。ってか、検索してその「英文字列」を再確認した私だが。
ねーちゃんキャンペーンガールの方が、おつまみのレシピを教えてくれるのだ。静止画と動画の中間的なヤツで。私は、今までもこれからも、あのレシピに従って料理することはないだろう。
<解説終わり>
もう、一年経ったんだなぁ、って思いました。
前のヒト(名前も覚えていないし、検索して確認したけど、記憶から消えていた)から江頭さんってヒトに替わったとき、「ちょっと特殊なルックスだなぁ」って思ったのを、よく覚えています。
少なくとも、江頭さんは「正統派な美人(?)」では無いと思います。
でもこの1年、モニタの中に彼女を見ると、山手線に乗っている気がしていました。サッポロに好感を持ちました。阿部寛さんの影響もありますね、たぶん。でも、ドラフトワンって買いません(なんだ、この日記は。けなしているのか、褒めているのか)。
というコトです。
気がつけば、1年は過ぎていた。かなり働いたし、いろいろと悩んだコトもあったはずなのだが、年は行く。 っつーコト。
今日、年賀状の「宛名」を書き続けました。数年ぶりに。
今年は子供が生まれたので、ネット上の印刷屋さんに賀状印刷を発注しました。フジカラー関連の業者でした。
今日、宛名印刷をしようと思い、ハガキを手に取り思いました。
「厚すぎる...?」
予想は当たりました。
前面給紙・前面排紙である、我が家のプリンタ(brother の MFC-880CDN)では、用紙が厚すぎ、給紙できませんでした。ハガキが硬すぎ、全然印刷できませんでした。
以前に持っていた CANON のヤツは、同じような厚さの賀状でも大丈夫だったハズです。後ろから給紙して、前に排紙するヤツ。
オチもなく終了。
昨日今日、学期末なので、担任としての事務作業をしながら、並行してやっているコトがある。
来年度から、職場の「学籍・成績関連」のシステムは、完全に入れ換わる予定なのだ。
その準備として、様々なデータの整形を行っている。
生徒個人のデータや、教職員のデータは、それぞれ担当者で分担して、数ヶ月前に作成してあった。昨日は、それぞれの生徒が「どの年度にどのクラスに所属していたか」ってテーブル(csvファイル)を作成した。それなりに面倒であった。
ファイルの整形・作成には「桐」を用いた。桐は職場のパソコン全てに入っている。自宅でも購入したが、それほど使っていない。自宅の Vista のヤツは、桐のバージョンが新しすぎるからだ。Xp版とVista版の間には、ファイル形式の互換性がないのだ。
今日は「科目コード」なるものを作成した。
この作業は「先の事を考えずに行う」と、後で困ることになる。
「教科コード」については、先日職場のセンパイと相談しながら行った。そして今日、中学校と高校の全ての「科目」について、私がコード番号を(勝手に)割り振った。
なお、教科ってのは「国語」とか「数学」とかの括りです。科目は「現代文」とか「古典」とかの括り。
高校生が卒業するときには、「調査書」や「生徒指導要録」がきれいに仕上がっている必要がある。それらの帳票に於ける「科目の並び順」を考慮に入れながら、コードを割り振っていくのだ。「コード順」イコール「調査書での並び順」となるのがベストである。
簡単そうに思えるかも知れないが、これはそれなりに面倒なのだ。1,2,3,... と連番を振ってしまってはダメなのだ。
科目名というのは、「学習指導要領」が変更されるたび、バンバン変わっていく。
これから導入するシステムは、しばらくの間(数年~十数年? あるいは数十年??)は使い続ける事になるだろう。その間には、複数回の学習指導要領の「改訂」が行われるはずだ。
それを見越しておく必要がある。各教科毎に、コードがやたらに連続しないよう、高校時代の3年間+教員生活の15年間で培った感覚で割り振っていく。隙間を空けておいて、そこに新しい科目名が入れられるようにしておくのである。
楽に調査書などがプリントアウトされるように。
私は現在、職場で理科と情報科を担当している。
今度の「新学習指導要領」にある両教科の科目名は確認してあった。
で、改めて他の教科の科目名を確認した。
英語は逝っちゃってます。新しい科目名。
コミュニケーション英語基礎
コミュニケーション英語I
コミュニケーション英語II
コミュニケーション英語III
英語会話
英語表現I
英語表現II
私だったら、そんな無意味な「コミュニケーション」なんて枕詞は付けないッスね。
本来、語学はコミュニケーションのためにあるのだろうし。
そういえば、職場では実力テストなどの際、「リスニング」が行われることがあります。以前は「ヒアリング」と言っていましたが。
英語の試験監督に当たった場合、生徒の気持ちになって問題に臨むことがあります。
聞き取れないこともあれば、(教卓に近い)生徒の間違いに気づくこともある。
私はそんな感じなのですが、およそ20歳年上の理科の先生は、「私は全然分からないねぇ、第一、そんな授業を受けてこなかったから。文法などはやったが、聞き取りなどはしなかったから(意訳)」っておっしゃってました。
「ふーん」って感じです。
センター試験のリスニングの平均点が妙に高い(難易度が低い)のは、大学の英語のセンセイ(老人達)が、生徒を見くびっている(自分たちよりも「リスニング能力」が低いレベルだと思っている)からじゃないかと思いましたね、その会話の後で。
って、ここまで書いてみて、あながち「コミュニケーション」って入れるのも悪くないかも... って思いかけました、 が、やっぱり変じゃねーか? 語感が悪い。アベシンゾー効果ッスか?
この科目名がほぼ確定したのは昨年半ばらしいです。「再チャレンジ」とか「スピード感」みたいな、一連の「変なニホンゴ」の上にあったのかも知れませんね。
こちらの最後に科目名の一覧があります。
今年の頭、新聞などで一通り報道はされていましたが、英語のグダグダっぷりには気付かなかったッス。
「現代文A・B」や「古典A・B」ってのも、かなりヤバめな気がします。日本語なのにアルファベット使ってる。
「現代文其之壱」とかで良ぐね?
昨日は、「生活当番」ってヤツでもあった。
メインのシゴトは放課後の見回りだ。施錠などを確認したりする。年に数回の当番がある。
試験休み中であるので、教室にはほとんど生徒は居なかった。
暗くなった校内を、地下から6階まで、一部屋ずつ順番に巡る。その途中、表題の「イロイッカイズツ」を思い出した、唐突に。
ブラックオニキス(ウィキリン)っていう、むかーし昔のパソコン RPG に関わる語句なのである。
ウィキペディアから引用。
このゲーム最大の謎である「イロイッカイズツ」は地下6階のカラー迷路で、パソコンのカラーコードの順番に従って移動すると、ブラック・タワーに昇れる階段がある部屋に入れる様になるというものだった。カラーコードの順番は昇順(PC-8801版)や降順(X1版)など機種によって異なっている。またPC-8801SR専用版やFM-7版は昇順でも降順でもない独自の順番になっていた。
そうなんすよ。
私が親に買ってもらったパソコンは、FM-NEW7 でした。で、プレイしたのもFM-7版。
何度も何度もカラーコード順に迷路を巡ったのですが、いつまでたってもタワーに入れない。
結局、プログラム本体の BASIC 部分をハッキング(と言うほどでもない)し、色の順番を確認しました。全然脈絡のない順番だと思っていましたが、さっき検索して知りました。
http://ninjax.dreamhosters.com/newsplus/news19_newsplus/1139/1139390603.html
から
120 名前:名無しさん@6周年:2006/02/08(水) 20:48:31 ID:wXUYzSyq0
>>103
色んな色が目の前をグルグルと そっと変化する
静かすぎる こんな迷路は早々と あなたと脱出したい
いつも来るたび順番で悩んでるの だけど今日はヒント教えちゃう88・98はカラーパレット X1はその逆 FM-7はレインボーなのよ
66・MSXも結局 88とほとんど同じ 4番目の色が水色なの気をつけて
イェイイェイイェー ウォウォウォウォー♪という事で。
二十数年前からの謎が、一部解明されましたとさ。しかし、虹の色の並び順? どういう順番だったんだ?
そういえば、続編のファイヤークリスタルも、途中までプレイした記憶がありますね。クリアした記憶はありません。何で挫折したんだろう。高校生のトキ、スーパーマリオブラザーズ2(ディスクシステム)も、クラスで一番速くクリアした私なのに。
どうも、難しいゲームだったのは確かなようです、検索してみると。
高校受験だったからかなぁ...?
ここ2週間ほど、自宅のデスクトップ(Vista)での"ブルースクリーン"頻度が増していました。
それ以前も、時々ブルースクリーンにはお会いしていました。そして昨日、10数分おきに遭遇しました。
メモリチェックしてみました。重い腰を上げ、"Memtest86 v2.01"で。
うっすらと気にしていた不具合を宣告されるってのは、結構ショックですよね。できれば先延ばししたい。そういえば、起動に異常に手間取ることもありましたわ。
結論から言うと、2枚組の片割れが死んでしまったようです。わざわざ定格で使ってきたのに... orz
"Err-Bits"が、毎度毎度"00200000"であります。チップ上のコントローラーがどこかしらイカレてしまったのでしょう。
1枚ずつ挿したからこそ、分かったことであります。だいぶ"自作er"業も板に付いてきたか...
死んだメモリは KINGBOX ってトコロの、"KBD2GD2-1066"ってヤツです。"DDR2-1066 1GB×2"ってコトで、俗に言う"DDR2 PC8500 1GB 2枚組"かな。しかし、どういう暗号だよ。素人には分からないわ。自作って壁高杉。(そしてこちら側の私は若干の優越感。金額が安くあがることも少なかったりするのだが...)
ま、マザーボードが死んだのでなくて良かった。再インストールはしたくない。なお、この日記は「保証」を受けるための保険として記している面もあります。コスいオトナで済みませんね。今日の夕方、秋葉原のT-ZONEへ向かいました。レシート持参で。
なんでも、メーカーからの返答は「年明け10日過ぎ」になるのではないかとのコト。ま、仕方ない。
メモリが最初にイカれるって、初めての体験です。
ハードディスクや光学ドライブが最初にイカれるなら、分かります。ってか、経験があります。
数年経てば、マザーボードや電源のコンデンサもイカれるでしょう。
まさか、メモリとは。比較すると、一番高価なパーツだったのに。
しかし、突然でありました。
何故か、私が自宅で暇にしているトキに限って、こういった現象が起こるのです。今年頭もそうだった。ビットの神様が、暇そうにしている私を哀れみ、こういった試練をお与えになっているのかもしれません。
あまり有り難くないッス。
思えば、「トリプルチャンネルのメモリ」って、さらに危険性が増しますね。メモリ1枚でも死んだら、玉砕。だいたい、3枚で一組って、ちょっと気持ち悪いッス。3枚組にした理由はあるらしい(ボトルネックの解消?)ですが、何となくしっくりこない。3って数字で"世界のナベアツ"が思い浮かぶし。
"三位一体"ってコトで、キリスト教徒ならば、「キモチイイ」のだろうか?
クアッドチャンネルが出現しないことを祈ります。 ...冷や素麺m(_ _)m
2009年1月6日追記
22日に店に持っていたメモリ、25日には交換されて、ショップに届いたようです。(店の方や私の)予想よりだいぶ早かったです。ありがたいコトです。
1月5日に取りに行きました。
Memtest86 も1周だけ行いました。当然ノーエラーでした。良かった。
KINGBOX 万歳。
起きてから、「中掃除」しました。
およそ2時間かかりました。
パソコンに電源を入れてみました。ネットに繋がりませんでした。
今日はルータが沈黙していました。5年半、働いてくれていたようです。
簡単に電機店に行ける場所に住んでいて、良かったと思いました、少し。
でも、ネットに繋がらなくたって、生きていけるのも確かなのです。
でも、ルータを新調しました。
普段よりも多くカネを使いました。内需拡大の一翼を担った喜びを覚えた。コトにしておきます。
そして、誰がどれだけ否定しようとも、「クリスマスはやってくる」のです。ご愁傷様。
また、誰がどれだけ学習指導要領を弄ろうとも、「教員は、目の前の生徒の能力に対して少し高度な課題を与え、それを共に成し遂げる喜びを得るために努力する」ってコトも、変わらないのですよ、多分。
以前に続き、また誤字を発見してしまった。
今回はアップルです。この誤字を見つけたのは数日前です。
しかし、日が日?なので、クリスマスについての駄文も記してみるッス。
独り身だと、マジで暇ですよね。悲しくなる。そういった心の動きを、グラフ化してみました。
私の生涯において、クリスマスを「幸」で積分(?)してみると、マイナスとなりそうです。これは、人によって違うでしょうが。
この数日の浮かれ騒ぎ、キリスト教徒に対する冒涜だと思いますね。
最初は、「日本に於けるクリスマス」という風習が、間違っているかどうか、って日記では無いつもりでした。が、タイムリーだから、何となく絵まで描いちゃいましたとさ。
過去の関連(?)する日記
年賀状の整理(出した受けたチェックと住所録管理)は先ほどやっと終了し、mixi とやらのチェックを開始しました。およそ2週間分。
画像の「じゅーす」を深夜に改めて飲んだのですが、やはり「アセロラ」が弱いです。
パッケージはそいつを主張しているのですが。
世の中によくある、「期待しすぎて、肩すかし」ってヤツですね。ま、トマトジュースとも、ニンジンジュースとも違うのは確かですが、アセロラドリンクとも違います、明らかに。
そうそう、開封した紙パックの野菜ジュースは、口をクリップで挟むべきだと思います。画像ではとりあえず洗濯ばさみを使っていますが、もっと適した製品もあります。今、探し出して装着し直しました。
開封した口は、なるべく狭くした方が、内部のジュースの酸化が抑制されるでしょう、定量したことはないけどさ。
日記に書くネタは、それなりに貯まっているのですが、余裕がないのでまだ記せません。
読んでいない他人のブログが、かなりの量貯まっているハズです。読まなくても死にはしないのですが、読まないと気分が悪い。明日以降頑張ってみましょー。
担当している情報科の授業、3学期はプログラミングから入るコト、昨年末から決めてありました。
「ドリトル」の存在は知っていたのです、1年以上前から。
1時間でやってみたソフトウェアのしくみ - 情報科blog
の通りでした。上のページにも、当然リンクがありますが、「指導案?」はこちらにあります。
このドリトルの開発者であらせられる兼宗先生には、二度ほど拝謁賜ったことがあります。
昨年末、兼宗先生は「指導案というのは、やはり必要なもののようで、作ってみると、実際に授業を行ってくれる方が出るようです。また、それがすぐブログとして反映されるから面白いです」というようなことをおっしゃってました。
昨日初めてオンライン版に触れた私は、その面白さと動作の素晴らしさに感動しました。
また、生徒も面白がるだろうと確信しました。
私はとても「他力本願」な人間なので、上記2サイトを参考にしつつ、授業を行いました。
名刺作成などは、かなり「受け」が良い授業なワケですが、本日行った授業は、それ以上に好評でした。
情報科の教材として、チョーお勧めです。
また、別に情報科とは関連が無かろうとも、現在この腐れ日記を読むくらい暇な方(?)ならば、オンライン版ドリトルに触れてみてください。楽しいスから、高校1年生が褒めるくらいに。
なお、
PUKAI発表資料:ドリトルV2/兼宗(一橋大学)
も、大変勉強になりました。授業を行う際には、一読なさることをお勧めします。
ドリトルの書籍を Amazon に注文しました。ついでに、手に入れる予定だった本を、「文庫本だけ」カートに入れていきました。そしたら、全部で6000円を超えてしまいました。Amazon & カード決済、恐るべし。
今回発送する商品は以下のとおりです。
---------------------------------------------------------------------
数量 商品 価格 発送済み 小計
---------------------------------------------------------------------
1 エチカ?倫理学 (上) (岩波文庫 ¥735 1 ¥735
1 エチカ?倫理学 (下) (岩波文庫 ¥588 1 ¥588
1 アフリカ・レポート?壊れる国 ¥735 1 ¥735
1 わたしたちはなぜ「科学」にだ ¥1,050 1 ¥1,050
1 私の中の日本軍 (上) (文春文庫 ¥540 1 ¥540
1 私の中の日本軍 (下) (文春文庫 ¥540 1 ¥540
1 情報デザイン入門?インターネ ¥756 1 ¥756
1 ドリトルで学ぶプログラミング- ¥1,890 1 ¥1,890
---------------------------------------------------------------------
小計: ¥6,508
そんな今、ブックオフで買った、村上春樹の『アンダーグラウンド』(文庫版:777ページ)を読んでいたりします。地下鉄サリン事件被害者へのインタビュー集ですね。
ってか私、昨年末図書館で借りて、延長して延滞して途中までしか読めていない『利己的な遺伝子』を借り直す必要もあるのでした。滅茶苦茶「積ん読」状態ですね。
で、兼宗先生のブログを、RSSリーダーに登録しました。
画像は昨日の段階なので、未読が滅茶苦茶な数になっていますが、それは現在一掃されました。2週間もパソコンに触れないと、こういったことになりますわな。
昨日の夜、パソコンの前、一人で何度も笑ってしまったサイトはこちら。
@nifty:デイリーポータルZ:24時間ネット断ち合宿
林さん(私と同い年らしい、そして、私と同じく、過去にリムネット東京第2ドメイン"kt.rim.or.jp"に間借りしていたようだ)は、兼宗先生とは全然別の方向で、とてもスゴイと思います。
中国上海市内は、かなりの割合で有線テレビが導入されているそうです。
テレビ塔は、場合によっては肉眼で見える(別の日記で記すつもり)が、そいつは上海市内ではあまり使われていないというコトのようで。
以下にいくつか画面を羅列しますが、モニタ(ふつうのテレビ)の上にある、黒い箱がチューナーユニットです。そこからコンポジット出力(普通の黄・赤・白のヤツ)でビデオ接続されています。
トップ画面
ニュースを選択してみた。
国際新聞を見てみよう。
記事一覧をダウンロード中...
国際ニュース見出しの一部
一つ、選んでみた。
ネットから遮断された生活を送っていましたが、このように、部分的には日本のニュースは入ってきました。バリバリに「中国の検閲済み」のネタでしょうけど。
新幹線が止まったことや、いろんな品種のイチゴが作られたらしいって記事も見ました。
で、私の中国語の読解力では、日本マクドナルドのニュースが、どうしても理解できませんでした。
"マクドナルド"と"クォーターパウンダー"と"労働"って単語は読めるのですが、どうつながっているのか、全然わからなかった。何で、労働問題とクォーターパウンダーが繋がるのか。
帰国してからわかりました。
でも、「タウンミーティングのやらせ」よりは、数段マシな気もする。
どちらも、全然褒められた行為ではありませんが。
余談だが、クォーターパウンダーって、私が小学生の頃にもあった。間違いない。江古田のマックで食べた記憶がある。
"クォーター"ってコトバが"4分の1"だというコトは知っていたが、その当時、質量の単位は知らず、「何で、大きいのに4分の1なのだろう?」って、なんとなく不思議に思っていた。
数年後に理解した。
およそ30年後、季節はずれのサクラと共に、クォーターパウンダー、再出現。
2008年の「ページビューBest10」をお送りします。
2008年中に、アクセス数の多かった順です。
第1位 2月7日
P5K と Core2duo E8200
第2位 2月15日
"Win2000 音が出ない CD-DA" "Vista P5K IDE接続 MO エラー 認識されない" 対処法
第3位 2月19日
FKB8724
第4位 10月17日
銀行も中小企業並みの給与にしろ (付録:東京都高等学校教諭 2008-2009年 給料表比較)
第5位 8月21日
強欲すぎるっしょ。-バーミキュライトは金ではない-
第6位 4月14日
5.25 インチ FD があらわれた! あなたは のろわれてしまった。
第7位 6月12日
サイト名
第8位 5月12日
BIOS 更新病
第9位 2月12日
私も買った"JUST Suite 2008"
第10位 4月1日
リチャード・ドーキンス『神は妄想である』 感想
過去の日記は、当然のコトながら、あんまり参照されないようなのです。
そんな中、アクセスを稼いだ日記は、こちらです。
2007年12月20日
冬の自由研究(リンゴの変色について) -"知恵ぶくらー"を嗤う-
確かに力作だ。
アクセス数では、上のランキングの3位と4位の間に該当します。
2008年の第1位みたいな「パソコン自作ネタ」は、それなりに参照されるようです。
という、オチもない日記。
『おくりびと』が「第81回アカデミー賞最優秀外国語映画賞候補」となったと聞いた。
『おくりびと』は同僚のセンセイや、他の学校の情報科の先生もブログに書いていた。それらの記事はネタバレを含むので、リンクしません。
私は映画館にはまず行かない。最近映画館で見たのは『ハウルの動く城』で、その前は1985年公開の『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』だったりする。その前は1981年公開『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』のハズ。
昨年末、上海へ向かう際、機内で見られる映画に『おくりびと』があった。上記先生方が褒めていたことを思い出し、何となく見始めた。で、見始めたのは良かったのだが、見ている途中(映画の残り10数分?)で、飛行機は着陸態勢に入った。上映打ち切り。大体、見始めたのが遅すぎたのだ。
後ろ髪を引かれながら、浦東空港に降り立ったのだった。その時点での最大の心配事となったのは「1月に日本に帰るトキ、『おくりびと』は放映リストにあるか?」だった。
日本へ帰る際、映画・音楽等の紹介パンフレットではリスト下位に移動してはいたものの、『おくりびと』は見ることができた。わざわざレンタルする手間が省けた。うれしかった。
で、飛行が落ちついたところで、続きを見た。泣いた。
最後の10分を見られて良かった。というか、最後の10分を見ないと、あの映画を見たことにはならないだろう。
絶対、端から見たら変人だ。齢四十を間近に迎えたオッサンがボロボロ泣いてる。飛行機が飛び立ってから間もないので、映画などを見たとしても、全然佳境に入っていない時間帯だ。
キャビンアテンダント、旧称スッチーも大変な職業だ。私だったら、そんな乗客には絶対関わりたくない。
飛行機は、かなり空いていたので、離陸後すぐに窓際へ移動してあった。
私は地図マニアだから、日本の上ならば、海岸線を見れば大体どの辺を飛んでいるのか分かる。飛行機は、可能な限り窓際に座りたいクチである。配偶者などには「子供のようだ」と言われる。言われても窓際に座る。
今回、久々に日本上空で分からない地形があった。その後、ハウステンボスの特徴的な地形が見えてきた。機内の地図で確認したところ、分からなかったのは五島列島と判明した。不覚である。
大阪湾の関空や、特徴的なカタチの知多半島なども、雲の隙間から見えた。富士山はてっぺんだけを雲の上に出していた。上空からの場合も、晴れている方が、富士の山容は見応えがある。
局地的に、散発的にケナされている「しもつかれ」だ。
Googleでの"しもつかれ site:bogusne.ws"検索結果
私は6年弱、北関東(茨城)に住んでいたし、父方の実家は古河にある。栃木にも父のきょうだいが住んでいる。
なので、茨城も栃木も、比較的馴染みが深いのである。
で、そんなにケナされる「しもつかれ」って、いったいどんな食べものなのだろうなぁ... と、1年以上、ボーガスニュースで記事を見る度に思っていた。
昨年末、この記事を見て、ビックリした。
@nifty:デイリーポータルZ:しもつかれ連食で無病息災
複数回、食ったことあった。
父の実家に行くと、時々食卓にありました。何気なく食べていました。
イナゴの佃煮も父の実家で食べたことありますね。イナゴよりは、しもつかれのほうが、良い印象が残っています。しもつかれは普通においしかった。
イナゴ、今食べれば、おいしいと感ずるのだろうか?
過去の関連する日記
菓子「水戸の梅」は、本当に美味しいのか。
「新幹線」って名前は変だ という話は前に書いた。
https://ariori.com/diary/2006/02/20/
そういったコトバをなるべく集めてきた。
収集のペースが落ちてきたし、月初めだから何か記事が必要な気もするので、この辺で一気に披露する。
『ドリンク剤』
これは凄く変な日本語だと思うのだが、一般に浸透している。不思議だ。私はほとんどお世話にならないッス。
"飲み物剤"って意味ですか? "栄養ドリンク"って表記するなら、私は許せるかなぁ。
『(ほにゃらら)中央センター』
無理に英語にすると"Center of center"なのかい? ま、以前からの指摘があるためか、だんだん減っている気がしますね。
『白いYシャツ』
ワイシャツの語源は"White shirts"と聞くよ。つまり、"白いYシャツ"は"YYシャツ"ってコト?
繰り返すが、白いシャツが"ワイシャツ"であり、色つきは"カラーシャツ"だ。「白いワイシャツ」は変だ。
『チゲ鍋』
これも、まあ有名であろう。"鍋" = "チゲ"と聞いたが。"チゲ鍋"って"鍋鍋"って意味だとか。
『イーバンク銀行』
"イーバンクバンク"かい? 例えば、"荒川"という固有名詞を"ARAKAWA River"と表記するのは仕方なかろうが。
『HIVウイルス』
"HIV"の最後の"V"は"ウイルス"の頭文字だ。"ヒト免疫不全ウイルスウイルス"って言うのは、高校生ならば許そう。しかし、こういうのって、どうなんでしょうか? ちょっと、そういうサイトは信頼しようとする気持ちが減る、私は。
『サンスポ』
多分"産業経済新聞スポーツ特化版"って意味なんだろうけど、凄い「略されかた」ですわな。
『〒』(今回の一押し)
郵便局のマークは、元々"逓信省(ウィキリン)"の"テ"から始まったと記憶している。これからは、一応"JP"マークがあるようだから、"〒"は順次破棄でしょ。でもまあ、しばらくは無くならないのだろうなぁ...
昨日気付いたヤツ。
今、家にある洗濯洗剤は"ニュービーズ"である。"(オールド)ビーズ"もあったらしいが、見たこと無い。
なお、歯痛止めの"今治水"も知らないですね。"新今治水"は知ってます、使ったコト無いけど。ただ、ネット上に情報が散見されました。
私は、こういうファイル名を眼にしたとき、昔はいちいち指摘した。今は放置することにしてる。
MS-DOS(マイクロソフト ディスク オペレーティング システム)なんて、イマドキどうでも良いのだ。ろうけど、一応駄文作成を試みる。
というか、突っ込みたくなったので、日記にしてみる。
およそ10年前まで、Windows9X(MS-DOS)の世界では、ファイル名は半角で8文字以内、そこに拡張子(ググリンク)が3文字という縛りがあった。
Windows2000以降、ファイル名における文字数の縛りは基本的に無くなった。そのため、職場では"ホニャララ.$td.jtd"みたいなヤツも観測される。これは、LAN による無理矢理な共有、編集の結果であろう。ちょっと、いや、かなり気持ち悪いのだけど、今は慣れた。ファイル名などはどうでも良く、その内容が読めれば良いというスタンスで臨んでる。
こういう不思議なファイル名は、やはりパソコン初心者の周辺に多く現れる。パソコン初心者は、様々な年齢層にいらっしゃる。若者だろうと高齢だろうと、初心者の方は、あまり拡張子などには拘らないようである。ま、私も昔は同じ道を通ってきたわけだが。
私は「パソコン界での老人」だが、ファイル名を長くすることは慣れた。ってか、便利だ。しかし、ファイル名の中に"."を複数突っ込んだり、バックアップファイルを編集したりするのは、なんかヤダ。
手間がかからなかった生徒って、徐々に記憶から消えていきます。
逆に、何らかのトラブルがあった生徒、劇的に頭が良かった生徒、劇的にデキなかった生徒などは、とても記憶に残ります。
「○○な子ほどかわいい」なんて諺(?)がありますが、それはオシエゴについても言えるような、言えないような。テストの点が取れず、なのに努力もしないヤツは、単にムカツクだけですが、それはそれで記憶に残る。
気になるのは、学校を途中で辞めちゃったり、高卒後の進路が不明瞭な生徒ですね。
昨晩職場の方々と、某阿佐ヶ谷駅近くの某さくら水産で、そんな話もしました。「あいつは、どうしているんだろう...」って。
画像のティッシュペーパーは、最近職場で使い始めたのですが、元は生徒の私物だったものです。
昨年春に卒業したトキ、教室に置いていきやがった。私は「自宅から持参した箱入りティッシュ」を使い切ったので、ついこの間から、保管してあったこいつを使い始めたのです。
「干物次女」ってのは、クラス内で「干物女」の義姉妹(?)の契りが交わされたからなのでしょうな。誰が長女だったのかは知りません。全部で何人姉妹だったかも知らない、担任でありながら。
ホタルノヒカリってドラマは面白かったですね。よく見ていました。サイト内には干物度チェックてなのもありました。
このティッシュを使い始めて、持ち主だった彼女はどうしたのだろうなぁ... って、思っていました。家庭の都合もあり、卒業後の進学を見合わせていた子なのでした。その子はとても勉強のできるヒトです。また、干物女っぽくは見えないのです。そこが「干物女」たる所以なのかも知れませんが。
なぁんて、思っていた矢先、「調査書を発行してくれ」という連絡が来ました。
彼女なら、不合格はあり得ないでしょう。
がんばれよぉ... って思ってます。
この1年くらいかしら?、"パワースポット"ってコトバは、私の「エセ科学センサー」に引っかかる。
2009年2月9日現在、"パワースポット"についての日本版ウィキペディアの記述は、石石混淆って感じだ。
この"パワースポット"、「出典を必要とする記事」と「オカルト」ってカテゴリに分類されている。良い傾向ですね。
こういう「エセ科学」は、中途半端に科学的な語句を織り交ぜることによって成立する。理科に弱いと、いろいろ騙されるッスよね。"パワースポット"って、言い出しっぺは誰か知らないけど、今は観光業界が促成栽培の柳の苗を植え、ドジョウの稚魚を放流して待っているように思えます。
分かりづらい比喩ッスか?
なお、経済に弱くて欲が深いと、ネズミ講に引っかかりますな。
そして、うかうかしてると、私のような教員・ここ ariori.com のような変なサイトに騙される。意識的に騙しているつもりはありませんが。
見た目が神秘的、というか、無神論者であるはずの自分が「神々しさ」を感じた場所、いくつか思い浮かびます。
日本で無理に絞ると、摩周湖(画像ググリンク)と高千穂峰(画像ググリンク)です。
パワースポットって、見るとエネルギー(って何?)が得られるのですかねぇ?
あるいは、近寄ってこそご利益があるのでしょうか? やはり距離の2乗に反比例するのかな?
何にせよ、地球上には限りなく"パワースポット"がありそうな気がします。狭い日本でも、相当数存在するらしいですから。
そして、この供給過多な「パワースポット」、宇宙全体で積算するならば、宇宙のどこに居ても、そう、アナタが今居る場所でも、その"パワー"の恩恵を受けられそうな気がしませんか? だって、惑星の数は「星の数」以上、つまりほぼ無限に存在するハズなんですよ。
で、私は太陽は凄いと思うのですよ。あれほど「地球上の生物」にとって、有り難い存在はない。バリバリにエネルギーを感じます、皮膚から直に。
結論 「パワースポットなんて気のせい」
東京23区内、山手線の駅ですよ。
当然飲み屋はたくさんある。もちろん、ファストフードもいろいろ。パチンコ屋まである。
また、男子御三家の一角を担う「開成学園」がある。日能研も、早稲アカもある。なのになのに、本屋が無い。どういうコトでしょう。
私の勤務先には、上記「某」開成でも教鞭を執っていらっしゃる方がいます。たまたま一緒にお酒を飲んだ先週末、彼に確認してみましたが、やはり「西日暮里駅周辺には本屋がない」ってコトでした。
地図羅ってサイトを再発見し、とりあえず山手線駅周辺の書店をチェックしてみたら、鶯谷駅周辺も書店が無いことが分かりました。ま、あそこはラブホテル街だから、仕方がないとは思います。原宿もあんまり本屋が無いが、西側は明治神宮だから、ある程度仕方ないでしょうね。
日暮里駅前も、以前は書店があったのだが、ソフトバンクショップになっちゃった。
駅構内、図の"A"に「リブロecute日暮里店」とやらがある。その次に日暮里駅に近い書店は、北口を出て西(左)へ進み、ちょっとした坂を上り、怪しい飲み屋「ざくろ」を過ぎ、妙に「ネコを撮影するヒト」の多い「谷中の階段」を降りた先である。上の地図の"D"ですね。
荒川区には、赤ちゃんがいる家庭に「絵本交換券」をくれるっていう、洒落たシステムがあるのです。ま、どういった基準で、数店の「絵本を受け取れる書店」が決まっているのかは、甚だ謎ではありますが。そして、その数店の書店のうち、自宅に最も近かったのが、上記「谷中ぎんざ商店街」の"D書店"だったのでした。
本屋が遠いッス orz
そういえば、我が心(肝?)の拠り所である養老乃瀧も見かけません。不思議な街だ。
つい最近、やっと気付いたのですが、中国語で「○○先生」ってのは、日本語だと「○○氏」、英語なら「Mr.○○」って意味なのですね。日本語の「××先生」は、中国語では「××老師」なのかな?
今朝、入試業務で出勤するために電車に乗っていたら、近くのオッサン、と言っても、私と同い年くらいに見える男性群が喋ってた。「社長がなんとかかんとか...」って聞こえてきましたね。
電車内などでは、あんまり「社長がどうこう」って会話は聞かない気がするなぁ... って思ったのだけど、知りあいでメチャメチャ「社長」というコトバを連呼する人を思い出した。そのヒトは小学校の教員です。
彼は「校長」を指すとき、隠語のつもりなのだろうけど「社長」って言う。
大学時代のサークルの先輩なのだが、この間お会いしたときも、そういう風に表現していた。聞くヒト、例えば同業者ならば、飲み屋で(大声で)「社長が...、社長が...」なんて繰り返す輩が居たら、その声の主は教員だってコト、気付いちゃうんじゃないかな?
教員って、大体において声がデカいんですよね。(自戒)
ちょっと話は変わるが、私は同僚に対して、そのヒトが年上でも年下でも「○○先生」って呼んじゃうんですよね。いる場所が飲み屋だったとしても。これはどうしても変えられない。本当は「○○さん」と呼ぶ方が、スマートだとは思うのです。でも、体に染みついてしまった。
ただし、職場の電話やメールなどでは、部外者に対しては、同僚のことを「(本校の)○○が」と、呼び捨てにします。ま、アタリマエですがね。その「同僚」がたとえ校長であっても。
うすらぼんやりと、「世の中のモニター(ディスプレイ)のサイズは、年々デカくなっているよなぁ」って思っていた。
以前、この腐れ日記では、画像の横幅を最大400ピクセル(ドット)くらいにしていた。それは、800x600ピクセルの画面を使っている方も、稀にいるかもなぁ... って考えていたからだ。
しかし、最近は横幅が1024ピクセルを下回るパソコンはほとんど見あたらない。なので、使用する画像(あるいはそのサムネイル? ってか、全然「親指の爪」よりも大きいけど)も横幅640ピクセルくらいにしてる。
画像はデカい方が、より情報が伝わりますからね。まあ「戯言」に付属する情報でしかありませんから、大したこたぁ伝えていませんが。
で、この間、改めて訪問者の「画面の解像度」を調査してみました。Google 様の力(Google Analytics)を借りて。
こんな感じになっているようです。
最大派閥は"XGA(1024x768)"でした。確かに、私の職場のノートパソコン(支給品)も、"XGA"です。
その次の派閥は"SXGA(1280x1024)"のようです。確かに、自宅のメインのパソコンは"SXGA"です。
私は、知らず知らず、普通の人になっちゃってるんだなぁ... 別に普通じゃないッスか? こりゃどうも。
11位以下の合計が、5.39%なのだそうですわ。
で、セッション(≒訪問者)数から見る限り、横幅が1024ピクセル未満の端末での、この ariori.com 以下へのアクセスは、全体の1.2%程度であることが判明しました。
ちょうど2週間前、十数年ぶりに高校時代の部活の同窓会があった。
過去に何度(その1・その2)か書いたこともあるのだが、ちょうど10年前に死んでしまった人間が居て、そいつを弔うために集合したようなものである。
ヒトを悼むという作業は、未だに良く分からない。慣れない。
訃報を聞いた後で、私ができることと言えば、残された親族に対して、何らかの声をかけたり、神妙な顔を見せたりするぐらいだろうか。あるいは、葬式を手伝って、親族の負担を軽くするとか...?
その彼が死んだとき、私は通夜の手伝いをした。私は勤め人になっていたので、告別式の手伝いはできなかった。墓参りにも行っていなかった。
今からおよそ1年半前、同窓生で墓参りをしようという企画を立てた。しかし、墓の場所自体が分からなくなっていた。墓参りに行った人間も居たのだが、彼らの記憶はぼやけてしまっていた。彼を失った衝撃が大きかったのかも知れない。昨年の秋にかけて調査を進めるうち、彼の家族は2度ほど引っ越しをしたところまでは判明した。しかし何しろ、彼の家族とは連絡が取れなかった。
昨年末から、複数の同窓生と連絡を取るうちに、墓の場所を憶えている人間が出てきた。彼の死後、引っ越す前の実家に線香をあげに行ったらしい。その際に、墓の場所を聞いたとのこと。
この1月末、私は初めて彼の墓参りをした。
職場では、私の嫌いな「総合的な学習の時間」というヤツを行う必要があり、ホームルーム担任として授業(と呼んで良いのか?)を行うコトがある。最近その活動を行った日は、死んだ旧友の命日だったようだ。今日気付いた。ちょっとした因縁を感じる。
教材に用いられた詩"Tomorrow Never Comes"、私はその時に初めて眼にした。作者は Norma Marek という方だそうだ。
http://www.heartwhispers.net/poetry/00040.html
元サイト(らしい)
http://homepage3.nifty.com/mmsagawa/hug/words_if.html
日本語訳が置いてある
この詩と同じような想いは、同僚が亡くなった際に、強く感じたことがある。
その元同僚は、私が今在籍している職場を定年退職し、その後非常勤として週に1回だけ、授業を行っていた。彼が定年になる前も、非常勤となった後も、私はあまり会話を交わしたことはなかった。私は黙っているのが苦にならない人間だが、彼もあまり喋らない、というか、多分、私以上に無愛想な人だった。
非常勤になった彼、私の記憶では定年を迎えたその年の秋に、亡くなってしまったはずだ。
週に1度だけだが、顔を合わせた際には、こちらから挨拶をしていたつもりだ。何と言ってもセンパイだから。もっと喋っておけば良かったと思った。
その2週間前の会合に関する旧友の文章は以下にある。
そう、同級生だった彼はボーリングが上手かった。私もボーリングをする度に、彼を思い出す。
山崎製パンの関わるお菓子らしい。「雪苺娘」と書いて、「ゆきいちご」と読むのだ。娘はどこだ?
コンビニでも売っているのだが、駅で売っているやつが欲しかったのだ。
配偶者の父母がかなり好きだそうで。確かに、あれはウマい。値段を考えると、下手なケーキを買うよりはリーズナブルだ。でも、駅で売っているやつは、税込みで250円になっていた。以前はもう少し安かったはず。
以前は東京駅の構内、八重洲南口の内側にあったのだが、無くなっているコトは知ってた。
結局、今回も有楽町駅の京橋口側で購入したのだった。
で、この 2ch 掲示板を見ると、
駅で売ってる雪苺娘【生クリーム苺入り大福】
23 :無銘菓さん:2009/01/28(水) 11:09:21 ID:???
携帯から失礼。東京駅には有りました。丸の内南口のnewdays付近。あんこ入りの京雪苺娘とかプリンとか桃とかがありました。
とある。その店舗、私は確認できていません。今度はそちらに行ってみようかしら。しかし、東京駅にしろ、有楽町駅にしろ、電車賃がかかってしまうのが難点ではあるなぁ...。
いくつか、興味深い書き込みを引用。
26 :無銘菓さん:2009/01/28(水) 11:33:37 ID:???
ヤマザキであれだけ美味くできるのだから
クリーム・スポンジ部分を洋菓子の本物の職人が
求肥部分を和菓子の本物の職人が
いちご部分を国産で有機栽培してる農家が
担当すればどんだけおいしくなるだろう
27 :無銘菓さん:2009/01/28(水) 19:33:53 ID:???
>>26
そうならないのがジャンクフードの難しいところ。
あのレベルを組み合わせた特有のうまさってものがあるよ。
28 :無銘菓さん:2009/01/29(木) 16:37:24 ID:jBPfqTOp
昔パティシエやってた頃、店でこれのパクリ商品出してたw
値段も味もヤマザキのが上だったなぁ
ちゃんとした旨いクリーム使ってもヤマザキには及ばなかった。何故だろうな
確かに、およそ1ヶ月前、デパートの「物産展」みたいなヤツで、高級版(ってか、パクリ?)の「偽雪苺娘」を買ったことがあるのだな。400円弱だった。
しかし、期待ほどには美味しくなかった。組み合わせの妙というのがあるのだろう、確実に。
あるいは、鳥肌実が一枚咬んでいるのか? 隠し味にピクルスとか。
2010.1 追記 (お店を探し、検索でいらした方へ)
上記「JR東京駅丸の内南口newdays付近の店舗」は、改札外の地下にありました。記憶では「土日祝日休業」でした。私が訪れたのはばっちり休業日だったため、営業時刻は分かりませんでした。ご参考まで。
数日前、荻窪の飲み屋で「なつゲー」談義に花が咲いた。異常にデカいマグロの兜焼(525円也)などを食べなから。
私は38歳である。本年度、来年度は完全に情報科しか担当しないが、基本は理科の教員である。26及び25歳の同僚の理科教員との話題に、"F-ZERO"が出てきた。スーファミ本体と同時発売のソフトです、任天堂のヤツね。
♪パララッ パララッ パラパララッ パララッ パララッ パラパララッ ...
懐かしや。
前にも書いたけど、私は F-ZERO を見て、スーファミ本体を買う気になったのだ。
私は、以下の動画と同じ程度はプレイできていたような気はする。このサーキットにおいて、ピンクの機体は「私の記憶」と同じコース取りをしている。1990年発売らしいから、大学2年のトキなのですね。ヒマな学生だったのだなぁ...。
もしかすると、私のプレイの方が、もう少し速かった可能性も無いとは言えない。何しろ、この動画よりも「数秒も遅い」ってコトは無いはずだ。
(2018/02/15追記 動画のリンクが切れてます。気が向いたら直します。)
ただし、この動画には、知らないショートカット技がいくつかあった。
(2018/02/15追記 動画のリンクが切れてます。気が向いたら直します。)
もうひとつ、その日の話題の中で、私の琴線(?)に触れたのがある。"バンゲリングベイ"だ。初代ファミコンのソフトですね。私が敬愛するマイミク「高橋名人」の居るカイシャ、ハドソンの製品である。
これは、32歳の国語のセンセが「クリアできなかったソフトとして記憶がある」と言ってた。私ゃ、自分では持っていなかったが、友達から借りて遊んだことがある。確かに、「完クリ」あるいは「無限ループ」まで持ち込んだ記憶がない。
ミサイルなどが飛んでくると、自分のヘリコプターはあっという間に死んでいたような記憶があったが、それは、私がヘタだっただけのようだ。実はあのゲームは「無限ループ」ができるっぽい(参考リンク)。
スペランカーやチャレンジャーも「完クリ」した私だが、バンゲリングベイは詰めが甘かったようだ。
まあ、私によるスペランカーのクリアは、こんなに速くは無かったけど。当たり前ッスね。
スペランカーは記憶に残るソフトだ。
♪ぶん ちゃちゃ ぶん ちゃちゃ
って始まるオープニングのメロディー、あれほど無意味に悲しくなるゲーム音楽は聞いたことない。
そして、あれほど「真の敵は自分自身」ってゲームには、未だかつて出会ったことがない。焦ると死ぬ、確実に。かなり忍耐力が必要なゲームなのだ。「史上最弱」の称号を持つ主人公は、転んだだけで死んでしまうのだ。ゲームの基本に違わず、例によって何故か2回は生き返るけど。
以前、スペランカーの人形が発売されたとき、よほど買おうかと思ったが、止めた。
衝動買いってヤツは、老人になると、明らかに減ってくるのですねぇ。
何しろ、私の脳の中では「(学業成績、金銭その他を削って得られた)ゲームに関わる記憶」は(無意味に)輝いている。
最近、やたらと飲み屋話が続いているが、また続ける。
初めて表題の「鳥貴族」に行ったのは、今年になってからだった気がする。
職場の先輩が主催した飲み会に参加したのだ。テレビで扱われたらしいが、それより少し早く知ることができていて、嬉しかった。
「全品280円」という価格設定がすごい。そして、普通にウマい。
別の日に、もっと地味なメンツで同じ店に飲みに行った。
で、その店には「一味」と「粉山椒」が置いてあることを知った。前述(?)の26歳(のはず)理科教諭が、山椒粉と一味を盛んに食していた。私も真似した。
山椒は焼き物に合うことを、改めて思い知った。
で、山椒を探すのだが、S&B の山椒粉はちょっとチープだ(スイマセン)。一人暮らしをしていたときに、買ったはいいが使い切らなかった記憶もある。なので、どうせ買うなら、もう少し高価なヤツにしようと思い、ネット上で検索した。
新宿伊勢丹の地下ならば、売っていそうなことが分かった。
昨日、山椒と一緒に高い七味も買ってきた。黒七味とか言うらしい。ネット通販は送料がかかるので、新宿にて、仕事のトキに着るシャツのついでに買ってきた。
シャツを買う際、改めてサイズを測定して貰ったら、首回りが39cmでゆき丈が86cmだと言われた。今まで、自分は 40-85 がベストだと思っていた。確かに、84cmだと微妙に袖が短い場合が多い。首回り39cmは嘘だろう。それじゃ多分キツい。
結局、測ってくれた店には希望するデザイン・サイズがなかったので、Perfect Suit FActory とやらでシャツを買った。41-86 のサイズを買いましたとさ。測ってくれたお兄さんには悪いが、気に入ったデザインのシャツがなかったので仕方ない。
で、昨日は鍋を作成し、鶏のつみれに七味をしこたま擦りつけて食べた。
今朝は雨だったが、ジンチョウゲが香った。先週の木曜日くらいから漂い始めた気がする。
しかし、今朝の私の脳は「お、山椒」「また、山椒」と、沈丁花の香りを山椒に変換してしまっていた。七味を食べ過ぎたのだろう。何だか少しもったいないコトをした。
昨日の話の続きのようなもの。
DC-8 は旅客機の型番? でもあるが、NOKIA の製品の型番でもある。(画像ググリンク)
年末年始、上海に行ったときに、そいつを購入した。
258元だったハズ。
私は、上海の電脳街である徐家汇(Xujiahui って今、ソラでピンインを書けた。自分、すげー。発音は下手だけど)で、コイツを求めてさまよい歩いた。
徐家汇は配偶者の自宅から、歩いていける距離である。私にとってはありがたいコトだ。電気街巡りは面白い。
基本的に、電気街の客引きのヒトは、私を現地民と思うようで、思いっきり中国語で勧誘してくる。そして、私は曖昧な顔をしながら、あるいは、無視しながら、ウインドーショッピングをするのである。以前に、朱家角に行ったときも、近くにいたオバサンに、バスの時間を尋ねられた(らしい)。
私の顔は、普通に上海の街に馴染むようである。
関係ないが、フランス・パリに行ったときは、やたらと韓国語で話しかけられたっけ。
まずは「あんにょんはせよー」、続いて「こにちわー」って。何しろ「ベタな日本人」には見えないってコトか。とりあえず、優越感を持つことにする。
合計10箇所くらい、大型・小型店舗を巡り、最終的に充電器"DC-8"を発見したのは、丸、というよりも球体のビルの中だった。(徐家汇の画像ググリンク)
正規の NOKIA のショップが入っていて、そこに吊されていた。
ブツは置いてあるが、価格が表示されていなかった。私はお店のヒトとの会話が不自由なので、筆談でもしようかと思ったが、それも舐められそう&ボラれそうなので、止めておいた。
結局、後日配偶者に同行してもらい、価格を知ったのだった。
300元(≒4500円)くらいまでだったら、買っても良いかと思っていたのだ。で、価格は前述の通り。
ケータイ本体も一緒に買えば、充電器は100元で売ってくれるって、店の兄さんは言っていたそうだ。(もろに伝聞)
そんなわけで、この充電器がもったいないから、私はしばらく NOKIA から離れる予定は無いのだった。
昨日更に調べてみたら、私がケータイに求める機能、「メール」「電話」「Bluetooth によるパソコンの Outlook との同期」などは、"X0*HT"というケータイで実現されるっぽい。
今度、機種変更するとしたら、そいつになるのであろう。
読売新聞の「編集手帳」から。
<丸ビル、新丸ビル、国鉄、中央郵便局など大建築の立ち並んだ東京駅前の景観は近代都市美の象徴として日本一のものであろう>。昭和32年の本紙読者欄にあった投書の書き出しである◆この後が、今読むとちょっと面食らう。<その間にあって東京駅のあの怪物のような赤い建物は、完全に周囲の風景と反発している><ただ官力の偉大さを誇示しようとした明治時代の遺物であって、今日では何のとりえもない>◆投書の主は、時代錯誤的な駅舎を早く建て替えよ、と主張している。これに対して別の読者が、<周辺のアメリカナイズされた建造物の白々しさに対して、東京駅こそ重みがある>と反論の投書を寄せた◆残すべき建築物とは何か。その時には分からないものかもしれない。今、赤レンガ駅舎は創建当時の姿に復元して保存する工事が進行中だ。近代都市美を構成したビルは消え、最後に残った中央郵便局を保存せよとの声が上がっている◆外観の一部だけ残して超高層ビルにするという日本郵政の計画に鳩山総務相が国会で待ったをかけた。どうすべきか、50年後の読者に問えればよいのだが。
(2009年3月1日01時47分 読売新聞)
まったく、その通りだ。面白い。
ぽっぽ君は資産がいっぱいあるだろうから、好き勝手言えるわな。
ゼネコンは、ぜひとも仕事が欲しかろう。
基本的には、このニホンは不況だ。東京駅前とはいっても、ビル新設してテナント入るんかい?
何しろ、何につけ批判しまくる「天声人語」よりは、「編集手帳」の方が、誠実だと思う。
筆者は、結構変遷しているんでしょうけれどね。
そして、どちらも高給取りなんだろうなぁ...
MovableType では「説明」っていう部分、私に言わせれば「副題」でしょうか。この「日記」の場合ならば"Sorry,TAWAGOTO only."って部分ですね。あるサイトのそいつ「だけ」が強烈に印象に残っています。そのサイトのタイトル(名前)は忘れました。
「私のこの文章は、既に誰かが書いている」みたいなコトが書いてありました。とても納得できます。 何か日記を書こうとして、周辺の事情について検索していると、とてもスバラシイ文章に出会ってしまうことはあります。そして、日記はボツに。
そのブログも、そういった検索途上で出会ったような気がします。いや、違ったかな?
なにしろ、そのブログにはなかなか面白いことが書いてあった気がします。大体「副題」からイカしてますよね。しかし、RSS を取得したり、ブックマークするまでには至らなかったのです。
前に書いた"徐家汇"の画像を探した後、「そういえば、"西日暮里"で画像検索すると、どうなるのだろう」って思いました。
で、下の方へスクロールすると、こんな画面が。
「日本のシリコンバレー、西日暮里」って、聞いたこと無いけど...
で、クリックしてしまいました。結果的には飛んだ先は一通り閲覧しました。見事に策略に乗ってしまったと言えるでしょう。西日暮里にある、サイト構築会社の関わるブログでした。
そのブログの記事の一つが、この腐れ日記のネタと被っていました。私の方が新しいから、剽窃した可能性は大ですね。無いけどね。
本屋のない街、西日暮里
http://nishi-nippori.net/2008/12/post-33.html
本屋が無い街 西日暮里
https://ariori.com/diary/2009/02/10/
西日暮里がシリコンバレーとは知らなかったが、私が以前(西日暮里に引っ越す前)から知っていたカイシャの本社が、いくつかあったりする。何となく、プチリンク集を作成。
クリナップ|システムキッチン、システムバスルーム、洗面化粧台を製造販売する総合住宅機器メーカーです。
渋い街だ。金メダリスト北島康介氏の実家もあるし。
そうそう、JR西日暮里駅改札内にある「第一日暮里小学校に関わる作品」、毎朝見るのでチェックしちゃいますね。今は俳句だか短歌だかが飾ってあったかな。そいつらは、残念ながら小学生の作品じゃないみたいです。
過去の「西日暮里関連」日記
てっつい
西日暮里駅前最速ラップ
4℃転落す
中国産の緑茶と一緒に入っていた、「脱酸素剤」です。
「たべろれません」って、なかなかの語感だ。当然のコトながら、狙ってやれるコトではない。
で、突如思い出したのが、高田馬場駅前の某建造物だ。
同僚の素敵な地歴公民科の先生(50代・♂)に教わったことがある。
「知ってるかい? 高田馬場の"×××××"って、英語だと"×××××"って意味なんだよ」って。
ネット上で検索してみると、同じような話題が出てくる。
でも、もしかすると「都市伝説」かも、って思った私、ちゃんと辞書で調べてみた。
box ━ 【名】Ⅸ 【C】 《俗・卑》 (女性の)××(筆者 masaki 改変).
New College English-Japanese Dictionary, 6th edition (C) Kenkyusha Ltd. 1967,1994,1998
伝説ではなかったようだ。
しかし、私の大脳におけるニューロンの繋がり、いったいどういう具合になっているんだろうか? この日記を記しながら、改めて若干の不安を覚えた...
返事をしてあげようかと思ったが、やはり止めました。
題名の「塗りつぶした部分」には、送り主の名字らしき文字列がありました。
Gmail って、ユーザー数が多いせいか、時々他人宛のメールが来るのですね。今回のヤツは面白かったので、披露しました。
著作権を侵害しているようでしたら、ご連絡いただきたい。
職場の軽音楽部顧問から「Perfume の新しいアルバムは良いッスよ」と聞いていたので、この間レンタル店で借りてきた。西日暮里には、本屋は無いくせに、レンタルビデオ店はある。(しつこい)
家で寝る前に聞いたり、職場でヘッドホン使って聴きながらシゴトしたりしてた。聞いているうちに PSY・S (ウィキリン)を思い出した。
二つの単語を並べて検索すると、結構引っかかってくる。
音の感じと歌詞の世界が、結構似ているように思える。同じ印象を抱いたオサーン&オバハンが居るのだろう。
PSY・S を初めて認識したのは、大学で同じ徒歩旅行サークルに在籍してた、彦根出身「熊さん」のゴミだらけの下宿である。約20年前だねぇ... 。 その当時、彼の一押しが PSY・S だったようだ。酔っぱらって彼の下宿の厄介になった翌朝、二十歳前後のオトコばかりで聴いた。彼は音楽科に居たヒトで、今は舞台音響の世界を中心にご活躍なさっているようだ。
PSY・S は「ボーカルと演奏者」という「ユニット」の先駆けであり、「B'z の先輩」という説もある... ようだ。
私は、プレステの「パラッパラッパー」と「ビブリボン」が、「博士 松浦雅也」の関わった作品だと知り、とりあえず買って遊んだ。どちらも面白いソフトである。ビブリボンは誰かに貸したまま、帰ってきてない。
多分一番有名な曲。
最後の1枚を除き、PSY・S の全アルバムは家にあります(^_^)
一番好きな曲はこれです。何故か動画貼れなかった。
2017/02/28追記
動画を貼り直し、「これ」のリンク先が削除されてたので、ニコ動にリンクし直しました。
敬愛する高橋名人を見習って、休日の料理のレシピでも記そう。
材料(?人前)卵 中3個
トマト 中3個
レタス 1個
サラダ油 適量調味料
適宜(入れなければ中華風になる)
塩 適量
砂糖 適量
中華スープの素 適量
胡椒 少々
クレイジーソルト
ベイリーフ(ローリエ)
オレガノ
「トマトと卵の炒め物」は、中華では良くありますよね。まいうー。
で、最初はそれを作ろうとしていたのですよ。ところが、冷蔵庫にあった「傷んだレタス」を発見したので、一緒に炒めるコトにしました。
「トマト 卵 レタス 炒め」で検索すると、そこそこ引っかかります。
レタスを加えるのは私のオリジナルのつもりだったのですが、同じようなことを考えるヒトは居るのでしょうね。
- フライパンに油を熱し、大きめの炒り卵を作る。炒り卵は一度皿に取り出す。
- フライパンで、4つ切りにして芯(?)を除いたトマトを炒める。最初は蓋をして蒸すと良い。
- トマトに調味料投入。順番は「わゐうゑを」。クレイジーソルト・ベイリーフ・オレガノも入れちゃって良いと思うよ。
- 適当に切ったレタスを投入。やはり、蒸し気味にしてかさを減らす。
- 取っておいた卵を投入。火を止める前後にオリーブ油(分量外)を入れると、より西(?)に近づく。
最初は、純粋に中華風にするつもりでした。最後にごま油を入れると良い。水溶き片栗粉を入れるという手法もある。
しかし、今回は炒めていくうちに、どうもスープ風になっていった。勢いでオレガノやら何やらを入れ、イタリアの方に寄せる(?)ことにしたのです。
なので、中国(上海)とイタリアの合わせ技ってコトで「チタリアン」と名付けようとも考えました。
しかし、一応地学科出身なので(?)地図上で確認することにしました。
結果、「カザフスタン風」という名称を与えることにしました。
本日の腐れ日記には、普段の3倍程度の戯言(当社比)が入っています。ご注意ください。
例によって、自作の料理は、美味いのか不味いのか、よく分からない。多分、酷くはない。
私は、この腐れ日記に於いて、「職場の愚痴」を記したことはほとんど無いと思う。
今日の日記は、ちょっと愚痴系ではあるが、ご本人にも何度か言ったことあるので記す。
表題の通り、春休みは引っ越しの季節である。年度が替わると、担当する学年も替わる。
基本的に、自分の使用する机は移動することになる。
- 年度末に、机の周辺に散らかっている「ゴミ」を、段ボール等に詰める
- その段ボールを、「どこか」に一時保管
- 机の引っ越し完了後、段ボール内のゴミを新しい机周辺に展開
- 年度が始まると、書類等の新たなる「堆積」が開始
私には「ゴミ」に見えるものを、後生大事に抱え続けている。2週間もすれば、取り出せない位置に埋まってしまうだろうに。
書類は、きちんと仕分けしないから、堆積して「ゴミ」になっちゃうのだ。堆積させる前に、地道にファイリングするなり、廃棄するなりすればよいのだ。ま、その地道さが無いから、彼らは机が「山脈」になってしまうのだろうが。
私は「書類のカスケード処理」を心がけています。- よく必要になる書類や書籍は机の上に
- その次のレベルのものは机の下に
- その次のレベルのものは机の引き出しの中に
- その次のレベルのものは職員室内の個人用ロッカーに
- ロッカー内にあって、ほとんど参照しなかったものは廃棄
ここ数年、処分するかどうか悩み続けているのは、「8年前に購入した『甲種防火管理者講習』テキスト5,100円(当時の価格)」である。多分、自腹だったハズ。捨てようと考えているわけだから。
職場の「男子更衣室」の一隅に置かせて頂いていますm(_ _)m
JR の高架下に「ダイヤ街」と「ゴールド街」、南に向けて「パールセンター」が伸びる阿佐ヶ谷。「スターロード」や「一番街」といった地味目な商店街も控えるこの地に、16番目となる商店街「シルバー街」が誕生した。
この商店街は「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる巣鴨を参考に、「おじいちゃんの歌舞伎町」というキャッチコピーを掲げ、各店舗が工夫を凝らして今日のグランドオープンを迎えた。
現時点での加盟店舗は以下の通り。
- ビアホール「メチル」
- ラーメン「胸やけ」
- レンタルビデオ「8mm on 襖」
- 総合クリニック「集会所」
- 食べ放題「アミロペクチン&グルコマンナン」
- 大型文字書店「20ポイント」
- スナック「絹枝」
- スポーツクラブ「通年ラジオ体操」
- ゲームセンター「セカンドライフ」
- 救援ショップ「霊柩」
問い合わせは、阿佐ヶ谷駅ルート7番線ホーム上の「シルバー街事務局」へ。
答 「ただしイケメンに限る」
私は"2ちゃん"はあまり見ないが、"痛いニュース(ノ∀`)"は愛読している。
で、以下の記事
痛いニュース(ノ∀`):「ひょっとして俺のこと好きなのかな?」と思ってしまう時ランキング 1位「一緒に帰ろっ」と言われる
に引用されているコメントが秀逸だった。
中坊 → チュウボウ → 厨房 とか、
奴 → ヤツ → ヤシ → 香具師 など、独自の言語文化を育んできた"2ちゃんねる"であるが、「※」に意味を持たせるようになっているなんて、感動した。言語は日々進化するものであると、改めて感じた。
証拠物件
痛いニュース(ノ∀`):「小太りのオトコが好き」という独身女性が増えている 「ぽこっと出たお腹がかわいい」「癒される」
私はあまり洋楽を聴かない。
家には100枚超のアルバムがあるが、洋楽は数枚だ。
自分で稼ぐようになって以降、CD はどんどん増えてきた。それらは「超安価な本棚」に収めてあり、収まりきらない場合は売り払うのである。
何かを「コレクションする」という趣味は、基本的に無い。
ずっと昔、小学生の頃、少ない小遣い(小1,2は300円/月だった)を握りしめては、近くのスーパーにビッグワンガム(画像ググリンク)を買いに行ったものだ。
しかし、引っ越しか何かの際、それらのコレクション(20種類弱?)を思い切って捨てたのだ。別に親に言われたわけではなく、自らの判断で。
「何かを集める」と必ず「処分」がついて回ることを認識し、「無駄なものは買うまい」って思うようになった。とは言っても、週刊漫画雑誌『ビッグコミック スピリッツ』を、大学生になるまで買っていた。まとめては廃品回収に出していた。
で、話は戻る。
以上のような経緯で CD をコレクションする趣味は無い。また、英語もあまり得意ではないため、必然的に洋楽のアルバムは少なくなる。
私が持っている洋楽のアルバムは、そのほとんどがベスト版である。
ビートルズ・クイーン・カーペンターズ・ビリージョエル...
そして、それら洋楽のアルバムには、高校時代の「合唱部」で歌ったものが結構含まれていることに気付いた。
「17の魂38まで」ってところか。中途半端な数ッスね。
さすが(?)にクイーンは歌わなかった。ゴスペル風の歌も多いが。
以下は15年前、今の職場に入った年、その文集『くすのき』に出した駄文。
ありおり。(I exist.) *** 私の高校時代 ***
今年1月、滅茶苦茶久しぶりに、高校時代の同窓会を開いた。
で、何だかんだ(?)でつい最近、同学年だった指揮者から1988年の定期演奏会の音源を貰った。1988年は自分が高校3年の4月だ。ブチョーだった。
彼はアナログのカセットテープを「護国寺にある専門メーカー」にて「MP3化」したのだそうだ。音質が良くて驚いたッス。
で、問題はその「演奏」である。私は「思ったより上手い」と感じた。指揮者の彼も同じ感想をもったとのコト(笑)。
ま、確かにかなりの時間を部活動に投入してましたからねぇ...
聞ける演奏で良かったッスよ。
♪ 母なる部活をあぁ~ 讃えよ我らをあぁ~
敬愛する鳥肌実氏も脱いでいたとは知らなかった。
画像では、若干肥えたように見える。アメフト部はシーズンオフなのだろう。不況のアオリで、部は解散したのかも知れない。高井戸は職場から近いが、そのあたりの事情は確認できていない。
で、私も全裸になってみた。やはり風呂場で。
考えてみたのだが、彼らも私も、同じ地球の上に居る。
トポロジー(位相幾何学)的に考えれば、基本的に同じである。というか、全てのヒトは同じく全裸だ。
ヒトと衣類と地球は、それぞれ分離しているから。
http://ja.wikipedia.org/wiki/位相幾何学
衣類とヒトをトポロジー的に見てみた。
ネット上では、そういった記述はなかった。
ヒトは、鼻の穴と口と肛門、合計4つの穴が開き、穴同士は繋がっている。
耳は鼓膜で閉じられている。尿道は袋小路だ。目頭と鼻腔も繋がっているが、肉眼では確認できない。
Tシャツと男子用パンツも同じだ。4つの穴が開き、その穴は繋がっている。
女子用パンツと乳バンドは3つの穴があり、内部で繋がっている。男性のYシャツなども同様。数字の"8"と同じってコトですね。
と、思ったが、シャツはボタンホールがありました。合計10個前後の穴が開いてますね。
乳バンドは、ホックを考えると、やはり10個前後の穴を持っている気がする。
ベルトループを考えると、スラックスなども複雑ですなぁ。
大まかに見ると、スカートは1つ穴であり、ドーナツやマグカップと同じだ。
なぁんてコト、帰宅中に雨の中歩いていて思いついた。
オチもなく終了。
トポロジーを知ったのは、雑誌『Newton』ですな、例によって。
昔は、このような「薬物(的なもの)」を嫌っていた。
しかし最近、この「飲む前に飲む食品」を愛用しています。節操がなくて済みませんが、明らかに酔わなくなったッス。これはマジです。有名な「ウコンの力」は試したコトがありません。
宴会の最初、「とりあえず」ビールと一緒に飲んでます。
薬と言えば、『進化から見た病気』を読み終えました(アマリンク)。この本も、職場の図書館で買って貰い、一番に読ませて頂きました。面白かったです。
著者のブログ『5号館のつぶやき』は、いつからか愛読しています。どれだけ「RSSリーダー」に未読が溜まろうとも、このブログだけはきちんと読んでいるように思います。何というか「私と感性が似ている」んじゃ無いかと、勝手に思っています。
で、ちょっと前、上記ブログに「ウコン」についての記事がありました。
上記記事や、そこで引用されている論文が、果たして正しいのか、あるいは胡散臭いのか、それは私もよく分かりません。でも、「クルクミンが細胞膜に作用する(らしい)」ってコトを知り、何となく「なるほどなぁ」って思ったのは確かです。
私が「乾杯ウコンEX」を知ったのは、配偶者の従姉妹の配偶者(上海在住)から、「(日本の)お土産に買ってきてくれ」って依頼されたのがきっかけです。
その彼は、以前にたまたま上野でこいつを買い、劇的に効くコトを知ったのだそうです。カプセルだから、持ち運びも便利。
おみやげに5パックほど買ったとき、自分用に1パック買ってみました。
職場の飲み会で、「飲む前に飲」んでみました。飲んだ量のワリには、気分の悪さや「ヘベレケ感」は無かったッス。それから愛用してます。
クサナギツヨシは、江角マキコやらSAMよりはマシだろう。
ま、「ウワバミの電通やら博報堂その他」と、そいつらに依存する「日本国政府」という存在を許している私自身が、一番許してはならない存在だってコトにしておきましょうかね。
inspired by
酔った勢いで裸になるのと友人の友人がアルカイダって言うのとどっちが恥ずかしいかね?
過去の関連する日記
う回 鵜回?
原理主義者として
「本当の情報」は何処にも存在しない
「初めてのLinux」、覚えてますか? | スラド
にはこうある。
「初めてのLinux」、覚えてますか?ストーリー by makeplex 2009年04月27日 17時51分最初というのは記憶に残りますね 部門より
あるAnonymous Coward 曰く、
(中略)
ちなみにこのブログ主は2001年にSuSE Linux 8.2をインストールしたのが最初だったそうです。インストールは一筋縄にはいかず、またオーディオのInputとOutputが逆になるなど諸々の問題があったそうですが、いろいろと調べて問題を一つずつ解決、以来ずっとLinuxをメインで使っているとのことです。
/.J諸兄方の「初めてのLinux体験」はどんなもので、まず最初に何をしてみましたか?
本文中には「/.J諸兄」とある。女子が無視されている気がします。
大体、このニホンゴの記事を見る限り、元ネタを書いたのは女子っぽいでは無いか。何故「諸兄」に尋ねるのだろうか。
「slashdot.jp に書き込みを行うような"血中シリコン濃度"が高いヒト」は、「女子も男子扱いする」っていう約束でもあるのかしら?
「父兄の皆様」ってコトバが「保護者の皆様」に変わったように、「諸兄」は消えていくのかもなぁ... って、それは無いか。
今まで特に隠していたワケではありませんでしたが、私は女子です。
なんて嘘です。男子です、多分。
過去の関連する日記
(最近、やたらにリンクを作成してるのは、「一見さん」を取り込むためです。)
朝日新聞を読んで
フェミニスト様へ
私は、favicon.ico にはこだわりました。
「中途半端な透明化」が施されている (見慣れた)hotmail はまだしも、その右隣のヤツ、何も表現していないと思ったりします。気のせいでしょうか?
ねぇアナタ その"favicon"は 本気スか?
最初はグー またまたグー いかりや長介 頭はパー 正義は勝つ ジャンケンポン
気がつけば、私に於いては「昭和体験」よりも「平成体験」の方が、長くなっていた。
「昭和の日」って、祝日の名称として今ひとつピンと来ないのだが、まぁ、それはそれとして。
冒頭の「最初はグー...」は、私の記憶の中のフルバージョンである。
結局、無駄な装飾は脱落し、「最初はグー」だけが生き残ったわけだ。
この駄文執筆に先立ち、Wikipedia で「ザ・ドリフターズ」や「8時だョ!全員集合」の項を見てみた。大変に興味深かった。
今、私が担当している学生は、すでに数年前から「平成生まれ」である。そして、その彼女らは、何の疑い(?)も無く、じゃんけんをする。「最初はグー、じゃんけんポン!」って。
ごく稀に、「ねぇねぇ『最初はグー』って、志村けんとかが開発したんだよ」と教えてあげる(?)コトもあるが、彼女らにとって、それはどうでも良いらしい。ま、確かにどうでも良いね。
志村けんという「じいさん」は知っているが、「8時だョ!全員集合」は伝説としてしか知らないようだ。当たり前だ。彼女らが生まれたのは、あの番組が終わってからだ。
私は以前から思ってる。日本をもっとも変えたのは「8時だョ!全員集合」であると。
だって、じゃんけんって、やったこと無いヒト、居ないっしょ。老若男女、今やじゃんけんするトキゃ「最初はグー」だ。
「日本の伝統文化」とか「伝説のTV番組」なんて、甘いレベルじゃなく、DNA にかなり近い部分に、ザ・ドリフターズは取り入ったと思うのだ。いや、ホントに。
ここ数日、パチンコの CM で、赤い忍者装束のいかりや長介氏が「おいっす!」って現れるヤツが流れてる。
あれは、いかりや氏は「おいっす」だが、対するコドモは「おー(っす)」と言っていたハズだ。間違っても、コドモ達の大多数は「おいっす」とは言わなかった。私の記憶では。
その点が、若干残念な CM である。どーでも良い話題だけどね。
そういう不埒な発言をなさる方、基本的に「旅行者」なんでしょ?
日本以外のクニにいるらしい「目の輝くこども達」。そのヒトビトから見れば、「異国のヒト」は珍しいコトでしょう。ましてや、「カメラ」みたいな存在は。
瞳孔は開くでしょうね。「興味津々」だろうから。
まことしやかに「日本悲観論」を延べるオッサン。君の方がダメ人間なのでは無いかい? 私もダメ人間である自負を持つが、なるべく真っ当なヒトに見えるよう、日々それなりに努力をしているつもりでありますよ。
チナミに職場での私を知っているヒトで、「おめぇ、部活の指導ほとんどしてねぇじゃねぇか。嘘つくな!」って方がいらしたら、こちらの日記をご覧くださいませ。
「部活動の指導をするために教員になった」ってヒト、私は基本的に理解できません。「なりゆき」で部活にハマるのは、仕方ないとは思います。
イタイのは、「部活指導をしたいので、センセイになりたいのです」って宣う学生。私は「なるほどねぇ」って言います。口では否定も肯定もしません。心の中は否定です。
普段の学校の授業だって、「とても集中している生徒」には度々出くわします。
そりゃ、毎日毎時間ってワケじゃ無いッスよ。そんな生徒が居たら、単なる「躁」でしょう。心配しちゃう。
たまたま、実家からの帰りに乗りました。
最初に遭遇したときは、「変な色合いの車両だなぁ」って思いました。
昨今?の銀河鉄道は、ロングシートなのですね。「不況」は地球ローカルなのでしょう、通勤ラッシュもあるみたい。
ロケ地:西武池袋
秋葉原と錦糸町、必ず連休中に行こうと思っていた。
秋葉原では、「不要なパソコンソフト」を売り払うつもりだった。錦糸町ではオリナスに行き、ちょっと前に貰った「福引きの券5枚」を消費してくるつもりだった。
連休中に実家を訪れた際に、「絵馬が付属した破魔矢」とか「お守り」とか「お札」など、「湯島天神関連グッズ」が再発見された。なお、絵馬は巳年だった。私が大学受験した年である。
職場の個人ロッカーには、湯島天神のお札がちゃんと置いてある。
大学時代の旅行サークル帰路の長崎でゲットした「亀山社中の木製お守り」とか、勤務先の修学旅行引率で買った「太宰府天満宮のお札」とかと一緒に。
私は割と信心深いのかも知れない。「無神論者」を自称している割には。
実家の「湯島天神グッズ」は、20年近く置きっぱなしになっていたようだ。妹の分(だと思う)も一緒に湯島天神にお返しするコトにした。
公式サイトのFAQには、以下のような記述がある。
Q 古くなった御神札(おふだ)・お守りはどうしたら良いのでしょうか?
A 御神札・お守りはお受けになってから一年ほどしましたら新しいお御神札・お守りに受け替えていただくのが一番よろしいかと思います。古い守札は境内に「古札納所」がございますのでお納め下さい。
「古札納所」とやらがあるコトを、そのサイトで知った。
で、実家に行った翌日、矢やお守りをお返しすべく、さらっとお参りしてきた。現在の住居からは、自転車で楽に行ける距離である。秋葉原や錦糸町を含めて。
上野公園をサンダル&ママチャリですり抜けた。「私は地元民だよーん」って主張しているようで、ちょっと誇らしいような気がした。単なる自意識過剰である。
秋葉原の歩道は混んでいたが、ソフマップの買い取りセンターは空いていた。
福引きでは、微妙な「福」を引いた。最下等である6等賞の「ポケットティッシュ」を5個ゲット。
電車やバスを使わなくて良かった。アシが出る。
大学時代に所属したサークルは「伸歩会」という名称で、年に3回ある長期休業中の「徒歩旅行」が最大の行事だった。
「そのサークルに入ったから歩くコトに興味を覚えた」のか、あるいは「歩くのが好きだったからサークルに入った」のか、定かではない。ま、何しろ歩いたり、チャリンコで移動するのは嫌いではないのである。
見知らぬ土地を歩くのは面白い。
もちろん、見知らぬ土地自体を訪れるコト自体が面白い。だから、初めての場所に、無理に徒歩でアプローチする必要なんて無いのである。若さって素敵。
もちろん、「車窓見学」ばかりの旅行は味気ないケド。
自転車や徒歩の利点は、「普段、自動車や電車で通り過ぎてしまうような場所を、比較的ゆっくりと移動し、その周辺についての情報を得られる」って点にあるような気がしている、ここ数年。
で、気になっていた「東京スカイツリーの根元」も行ってみた。
住み処から買い物のために錦糸町へ車で向かう際、その横を高速通過していたからだ。
地味に人出があった。
8年前に私が危惧した「地上波デジタル化の成否」は、今も流動的である気がする。
しかし、スカイツリーの現場では、鉄骨を組み上げる努力が続いている。
「構造」を設計した職人、「業務遂行方法」を設計した職人、「鉄骨そのもの」を組み上げる職人。
私も私なりに、職人として精進したい。
どうして教育員制度を導入するのですか。
これまでの日本の学校教育は、教員や事務員、教育委員会という教育の専門家が中心となって行われてきました。丁寧で慎重な教育がされ、またその結果優秀な人材が輩出されることによって高い評価を受けてきたと思っています。
しかしながら、「学校は旧態依然としていて、もはや死んでいる」という「云われ無き評価」や、「教員は神聖な職業である。ただひたすら、勤務時間も関係なく働けばよいのだ」という見方があったりして、今の学校教育と、それを司る教員は「許し難い存在である」という印象操作が行われてきた面もあったと考えられます。
そこで、先般から続いている「教育改革」の中で、国民全員による教育参加の制度の導入が検討され、国民全員が教育員として、それぞれの知識経験を生かしつつ一緒に「子どもの教育」を行うことにより、より国民の納得できる「学校教育及び生涯教育」を実現することができるとの考えのもとに教育員制度が提案されたのです。ま、ブッチャケ言うと、「タバコのポイ捨て」とか「やたらに臭う化粧は止めろ」と。
あるいは、「政治家だからと云って、身内に便宜を図ったりするなよ、この腐れ外道!」ってコト。
きちんと教育を受けたならば、漢字はちゃんと読みたいし、金にもキレイでありたい。以上、法律の趣旨を踏まえ、ご協力よろしくメカドック。
元ネタはこちら。
「裁判員制度」の導入、私は全然同意できません、未だに。
てめぇのケツは、てめぇで拭いて欲しい。裁判官は、皆、志願して法曹界に入ったのだろうから。
自己の鍛錬で「わかりやすい裁判所」を目指して欲しいよ、全く。
数年前の法曹人口を増やそうという動き、私は全然理解できませんでした。「(聞くトコロのアメリカのような)訴訟社会」、全然魅力的でない。日本は「和」でしょ、とりあえず。で、最近は「やっぱり減らそうか」とか言ってる。グダグダ過ぎ。
止めようよ、裁判員。
「昔のDNA鑑定が誤っていたかも」ってニュースがあるが、裁判員は検察などが集めた物証等を元に判断を迫られるわけだ。高知白バイ事件(ウィキリン)などもあった。
そんな砂上の楼閣での「戯れ」なんて、さらさらゴメンだ。時間の無駄だ。
ただし、政治家とかの贈収賄に関わる裁判には、是非とも参加したいなぁ。被告にケツを向け、両手で鉄砲つくって「死刑 !」って言いたい。何で「裁判員の関わる裁判は限定されている」のかしら、超フシギ。
過去の関連する日記
主権の行使
「本当の情報」は何処にも存在しない
死刑制度と冤罪と
目を疑った。数日前の事である。
アップデートが「300MB超」でした。
私が昔に買ったパソコン、下手すると、その「アップデート1回」でハードディスクが満杯になったはず。
結果、IE8(Internet Explorer 8)が、導入された。特に使っていない。
基本的に Firefox を使っているから。
「14年前、初めてのボーナスを注ぎ込んで購入したパソコン」は、PC-9821Xa10/C12 である。
定価 \498,000- である。高っっっっっっっっっ! 当然(?)ボーナスだけで買えたわけではない。毎月の「お給金」の残りもだいぶ入っている。
ま、高かったからこそ、今でもちゃんと起動するのかも知れないが。
型番の"10"は"ペンティアム100MHz"を表している。"12"は"ハードディスク1.2GB"である。隔世の感。
5万円ケチると、PC-9821Xa10/C4 しか買えない。"ハードディスク400MB"である。IE8 は入るが、Windows は入らないのかな?
"800MB"が \50,000- ってコトだったんでしょうね。パソコンハードウェア鎖国時代の末期でした。
Windows7、別に試す予定はないですね。
インストールとか面倒くさいし、特に不具合もないから Vista でいいや。
ちなみに、上記"98"では、Windows98 が走っています。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のペーパーバック版を最近読み終えた。『ライ麦畑でつかまえて』じゃなくて、村上春樹の訳の方だ。
村上春樹訳のハードカバーも、発売当初に買った。
『ライ麦畑でつかまえて』は、「がっきゅーぶんこ」に置いておくコトにしている本なのだが、度々無くなる。今も無い状態が続いている。
今回は新しい「村上春樹版ペーパーバック」を置こうかと考えたのだ。しかし、まずは自分が一度読まないと、もったいない気がしたので、読んだ。
このサリンジャーの『The Catcher in the Rye』は、私がもっとも繰り返して読んだ物語のハズだ。
新潮文庫には、同じサリンジャーの、他の作品がある。
『ナイン・ストーリーズ』はまだしも、『フラニーとゾーイー』『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章』の記憶が、ほとんど無いのですね。
今、Amazon の書評を見てみたところ、改めて『フラニーとゾーイー』は読んでみようかと思った。今度、実家から拾ってきましょう。しかし、なにしろ『ライ麦畑』は、他の作品に比べ、頭抜けていた記憶がある。
結局、ペーパーバック版は、キレイでもったいないので、とりあえず手元に置いておくことにしました。
また、古本屋で「がっきゅーぶんこ」用を買うことにします。
で、何でそんなことを書いているかというと、以下のサイト(どちらも昨日作成された)を見て、主人公ホールデン・コールフィールドの主張を思い出したからである。彼は"Good luck!"という挨拶が嫌いらしい。
H-Yamaguchi.net: 「お祈り」する人、される人
Diary or Notes: 「さようなら」 そうならなければならないなら・・・
「お祈り」というコトバの新しい意味は、初めて知りました。
「ようこそ」とか「ありがとう」の意味は考えたことがありましたが、「さようなら」は気付かなかった。
かなり奥が深いコトバだったのですね。
この「腐れ日記」近傍の、古典的な「ほーむぺぇじ」、要するに"ariori.com 以下の手書きのhtml"に、「パンくずリスト」を設置した。
前から、微かに設置しようかと思っていたのだが、やっと実現した。思ったよりも簡単だった。
チナミに、この腐れサイトが置いてあるのは、coreserver です。お世話になっております。
八王子で「発見」されたらしいですね。
あんまり、職場にいるのも何なので、帰宅することにしましょう。
もう、だいぶ広まっているのでしょうね、東京でも。
正しいマスクの使い方: 咳やくしゃみの人にそれを譲ってあげること: 極東ブログ
さすがに、「アルファブロガー」であらせられる「弁当爺」だと思った。
私は、「現在風邪(あるいはインフルエンザ)に罹患していない自分」にとって、マスクは不要だと考える。
毎日電車通勤であるが、今日はちょっと早めに家を出て、なるべく空いた電車に乗ろうとしてみた。しかし、電車の接続の関係か、あまり空いていなかった。明日は別の時刻の電車に乗ろうと思う。
職場(東京都内私立中高)でのマスク着用の指示に備え、自宅からマスクを複数持参して出勤した。電車の中では、特にマスクは着用しなかった。
私がマスクをするのは、自分の咳やくしゃみが酷いときか、風邪をひいていて口と喉の周辺に湿気を保ちたいときだ。
話は変わる(ように見えるかも知れない)が、ネクタイってあんまり好きじゃない。
しかし、一応社会的な活動(日本のヒト社会での勤労)を行っているので、「フツー」に見えるよう、ネクタイとかをしている。
職場では、本日より「マスクをつけて授業しましょう」って指示が出た。自分の感覚とは異なるのだが、素直にマスクをしましたとさ。私も丸くなってしまったものである。
釈明すると、「教師全員マスク着用」に対していちいち反論するのは、「非生産的」だと思ったからである。決定事項に反論するよりは、マスクを付け、さっさと授業を行った方が良いに決まっている。
なんてったって、ここは「マスク天国」の日本である。
なお、職場では「朝、体温を測ってね」って指示も出ていたので、ちゃんと測定してから出勤した。起き抜けは35℃台前半だが、およそ2時間後の職場到着直後は36℃台半ばになっていた。知識としては知っていたが、自らの体温経時変化は、初めて観察した。
2009/05/28追記
数日前に、「マスク着用せよ」って指令は解除されました。26日火曜日だったかな?
なお、体温測定は継続しています。その判断は良いと思います。
ま、検査しなければ、東京都からはインフルエンザは出ませんよね。「高度な政治的判断」とも言えるのかも知れません。見ざる聞かざる言わざる。
北朝鮮も、東京都も、市井のヒトに「情報を与えない」って点では同じですね。北朝鮮よりは東京都の方がマシなのは、多分確かです。
私はそれほど飢えたコトは無い。
過去の関連する日記
文化の不思議
微かなる反抗
腰パンって見苦しくない?
本年度は、1週あたり16コマの授業を担当している。
2コマ連続×8クラス。楽と言えば楽である。1種類しかないというコトで。
で、本年度も昨年度も、土曜日はほとんど潰れないのである。
積極的に学校行事を突っ込んでしまえば、他の曜日との時間差も減るのかも知れないが、学園祭が入っているくらいで、ほっとんど潰れない。
簡単に「自習」としてしまうのは、教員としての自覚に欠ける気もする。しかし、特定のクラスだけ様々な授業を行うというのも、他のクラスの生徒に悪い気がする。って、言い訳か?
私の職場だけの表現かも知れないが、一応1週間以上前から「売りに出」してみた。
1コマだけ売れた(他の教員が、元々私が授業を行うべき時間に、代わりに授業を行った)が、3コマはそのまま自習としてしまった。
まぁ、生徒と私の利害が一致したとも言えよう。
ホームルームの担任をしていると、毎日毎日「学級日誌」を見ることになる。
そこには「どのような授業を行ったか」が書かれている。
歴史やら数学やら、理科ならば、だいたい想像はつく。体育や家庭科も然り。国語の古典もだいたい定番は決まっている。
しかし、英語(のリーディング)などでは、時々「...どんな内容?」って疑問に思うことがある。英語の先生って、大変だと思いますね。英語という言語と一緒に、その教科書で扱われている内容についても、理解が必要となる場合があるようだ。私は時々、科学的な事項について、英語科のセンセイなどから質問を受けることがある。
そして、「学級日誌」を見ていて最も疑問に思うことが多いのが、現代文である。
そんなわけで、「自習監督」となったヒマな時間、私によくやるコトに「生徒が使っている、現代文の教科書を借りて読む」がある。
ここしばらく、学級日誌には「平気」って文字があった。
「平気」って何スか? って、ずっと思っていた。
正岡子規にまつわる文章だった。作者は失念しました。知らないヒトだった。使われている教科書は、東京書籍のものでした。東京書籍は割と好きです。
現在、勤務先の中学理科の教科書は、私の趣味で東京書籍にしたッス。地学の教科書も、勝手に東京書籍にさせてもらった。実は、高校地学の教科書としては、採択率はそれほど高くないらしいですけどね。私は東京書籍のヤツが好きです。
で、「平気」が何か判明したので、ぱらぱらと目次などを眺めてみたら、「村上春樹」の文字が目についた。
入っていたのは『カンガルー日和』だった。
サリンジャーの"A Perfect Day for Bananafish"は『バナナフィッシュにうってつけの日』あるいは、『バナナフィッシュ日和』と訳されている。"BANANA FISH"ってマンガ、大学時代に中学校社会科の元ラガーメンのマンガ好きの先輩に借りて読ませてもらった記憶がある。面白かった記憶はあるのですが、最終的な結末が全然記憶にありません。ま、どうでも良いけど。
で、私もあやかって(?)『ホニャララ日和』って文章を書こうかと思ったが、あまり小説風なものは思いつかないのだった。で、この文章がダラダラと続いている。
話は東京書籍の『現代文』に戻る。
パラパラとページをめくると、怪しい(と私は思う)科学者の茂木某の文章があった。
ま、文章はどうでも良いのだけど、その挿絵が安西水丸のものだったのだ。ペンギンが書いてあった。
同じ本に村上春樹と安西水丸が同居しているなんて、『ランゲルハンス島の午後』その他の作品みたいだと思った。さすがに『カンガルー日和』には、安西氏の挿絵は合わないのだろうと思った。
純粋に文字だけで想像する方が、『カンガルー日和』に「うってつけ」だろう、高校生が読む教科書としては。
国語の教科書、現代文の物語文に挟み込まれる発問って、どうしてもみんな愚問に見えてしまう。『カンガルー日和』の場合も例外でなく、きちんと所々に問題(?)が書いてあった。
「彼女の心情は、どのように変わったか」なんて書かれていた気がする。「どうでもいいじゃん」って思っちゃうのですね。小説ってのは「なにか読ませるところ」があり、何かが澱(?)として読者の心に残れば、それで良いと思うのです。
私は『カンガルー日和』のための「定期テスト対策の勉強」はイヤだなぁ。
なにしろ、私は高校時代から、もしかすると中学時代から、「現代文はだりぃなぁ」って思いを抱いていたような気がする。
取り上げられている文章自体は、どれも「読ませる」ものが多く、面白いと思いますよ、現代文の教科書は。ただ、発問がねぇ...。
ま、国語科教育学は詳しくないから、突っ込みはこの辺で終了。
で、どうでも良い個人的な話になるんだけど、ってか、元々、例によってどうでも良いコトしか記していないけど、『ランゲルハンス島』に関わる私の履歴を記してみる。
多分大学時代・・・・『ランゲルハンス島の午後』中の、「女子高校生の遅刻について」が印象に残る。
大学卒業後・・・・予想だにしなかった女子校勤務が始まる。
その後・・・・予想だにしなかった「生物の授業担当」となり、「ランゲルハンス島」が何ものなのかを、ある程度正確に知る。
今・・・・勤務先では、学校に忍び込んでいる子もいるのかなぁ...。 私は知らないなぁ...。
この「履歴」話は、前から日記に書こうかと思っていて、しかし書いていなかったコトなのですね。
私は、高校~大学では、「物化生地」中では、生物が一番興味なかったです。当然「ランゲルハンス島」が何かも知らなかった。
今は、生物学は面白いと思います。
過去の関連する日記
もしも月がなかったら ←東京書籍の本の題名
出張の帰り、母校である東京学芸大学構内を散歩してきました。
自分の視力低下を初めて認識したのは、自然科学系講義が多く行われた「410教室」です。200近くの座席があったハズです。講義棟は1号棟から4号棟までありました。それらが無くなったのは、もう10年くらい前なのでしょうかねぇ?
410教室跡地の横にあるのは、私が死にかけた「学芸大学のシケイン」。ケータイで撮影しようかと考えました。しかし、現役学生の人通りが多く、スーツ着たオッサンが「おもむろに写真撮影」するのは、彼我共に違和感を覚えるだろうから控えました。
上(北)から下に向かってバイクで突っ込み、転倒したのですね。
自分が「印象深いセンセイにお会いしたなぁ」って思うのは、中学・高校です。
出会った「友人」が印象深いのは高校・大学ですね。
もちろん、教官に深くお世話になったのは大学時代です。教官1人あたりが担当する学生数が少ないものねぇ。
私の卒業した中学@豊島区は統合されて消失しました。高校は校舎が建て替えられた。
母校という「風景」で、一番変化が少ないのは大学です。
およそ20年前、日曜日以外はこの風景を眺めつつ、構内に入ったのですな。
東門からのケヤキ並木です。武蔵小金井から、てくてく歩くと、たどり着きます。
「密度」は「大きい」か「小さい」がしっくりくる。「高い」と「低い」でも良いと思う。
「濃度」は「高い」か「低い」が正しいんじゃないかと思う。
根拠はない。長年の経験から来るイメージだ。多分、間違っていないと思う。
「密度が濃い(薄い)」とか、「濃度が濃い(薄い)」なんて、私は使わない。「密度が多い(少ない)」なんて、なおさら使わない。
ま、フツーのヒトにとっては、どうでも良いかも知れません。しかし、理科教員の私は気になります。
教員が、「一人称」として「先生」って語を使うのも解せない。
部活動関係でもなく、旅行関係でもないのに、先週水曜から今週の水曜までの間に、6回も出張に行った。
職場では、教務・学籍システムの刷新が行われている最中であり、少なくとも来週半ばまでには、中間テストの個人用「成績通知表」のレイアウトを作成する必要があった。そんな状況で、「出張6回/8日間」なんて、やるべきではなかった。
その出張のうち、少なくとも2つは、他のヒト(同じ高3担当)に任せてしまうコトもできたハズだから。
それに対して「レイアウト作成」、これは私しかできないだろう。
ま、私が今の職場に居なかったとしたら、それはそれで、誰か別のヒトがやり遂げるだろうが。
で、そんなクソ忙しい先週末、職場の閉じられた LAN の中に、「トロイの木馬 DOWNAD.AD」が入り込んでしまったのだ。
木馬が入り込んだのはジャブロー、じゃなくて、入り込んだ経緯は、以下のように予想される。
- 職場のどなたかの自宅に、木馬潜入。
- 木馬は USB メモリに。
- メモリから、職場の閉鎖系 LAN(アンチウイルス関係が、昨年末から更新されていなかった)へ。
- 別の人物(私を含め、他数名)の USB メモリに。
- そのメモリを、インターネットに接続された LAN(アンチウイルス関係は、常に更新されている)へ。←木馬検出(同時に削除)
更に詳しい経緯を書くのは、私自身と「出入りしている業者」を貶める事になるので、止めておく。
何しろ、私ともう一人のセンセイで、閉じられたネットワークに対して「ウイルスバスターコーポレートエディション」の更新を行った。それが昨日のコトである。一応、来週月曜には、本職の SE の方に来ていただく約束。
面白いのは、誰もが「自分が持ち込んだかも...」って不安を感じたらしい点だ。
ま、今回中間テストを行った科目を担当している、教員数十名中の1名は、確実に自宅のパソコンが感染しているワケではあるが。
で、レイアウトの案は、さっきやっと完成した。明日は出勤しなくて大丈夫だろう。
先週末から今週は忙しすぎた。そして、特に今朝は昨晩の酒が抜けきっておらず、とうとう死ぬかと思った。
過去の「死ぬかと思った」際の日記
眉の中の傷
塩化水素吸引事件
皮膚癌発病疑惑
石および医師との遭遇
「石および医師との遭遇」を400文字程度にまとめた文章は、この本にも収まってる。
林氏直筆の礼状付き。
しかし、何でヒトの金儲けの手伝いをしてやったのだろうか?
ま、文書再構成は楽しかったし、サイト「死ぬかと思った」に採用されたのは、嬉しかったですがね。
ボーッと日曜日のテレビを見ていたら、噂に聞いていた「勤務先の薙刀部」関連番組の放映予告が流れた。
噂には聞いていたが、改めて思った。
「あの子、あんなに顔は丸くない!」
日本(に限らないかも知れないが)のテレビって、撮影時と放映時に於いて、アスペクト比が全面的に変換されてるんじゃないかしら?
顧問の顔は、もっと四角く映ってしまうのだろうか、ちょっと心配...
余計なお世話ッスね(笑)
この日記(?)の題名自体は、10日くらい前から思いついていたんですけどね。
私としては、昭和と平成が同居する1989年は、印象深い年である。「高校生」から「大学生」になった年だから。学籍番号は"A89-*****"だった。
この年には、「天安門事件」と「ベルリンの壁崩壊」がありました。ググッたら、もっといろいろ思い出すのだろう。
20年前と比較して、私自身が、私自身や世の中というものについて「寛容」になったのは、間違いない。それは俗に「老い」とも呼ばれるようだ。
この20年で、世の中は全体として、良くなったのか、悪くなったのか、分からない。
村上氏の言う「回転木馬のデッドヒート」なのだろうか?
そんな彼は、中東の地で「自分は卵の側に立つ」とか言ったらしい。
何となく、彼の初期の作品は、もっとドライであり、自己中心的だった気がする。そういった彼の変化も、やはり一種の「老い」なのかと思う。ご本人にしてみれば、「変わっていない」とおっしゃるのかも知れないが。
COMPLEX が活躍したのも、20年前なのですねぇ。
AFTER THE RAIN(ニコニコ動画)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm16396622
(2022/10/14追記 YouTubeの動画が消えた?ので、リンク再作成)
この歌は、天安門事件に対するメッセージと聞いている。
この20年の間に、本当に「人知れず」殺されちゃったヒトもいるだろうコトは、想像に難くない。しかし、うまく想像できないってのも確かだ。
私は、とりあえずニホンって国で生かしてもらってきた。
ポリシー「単行本は高いから買わない」があるので、私は村上春樹氏の新作は、しばらく読まないであろう。
ネット上でも、新聞でも、その書名を目にした瞬間、(なるべく)本文をスルーするように心がけている。
表題で全てを言い切りました。
ママチャリ後輪の虫ゴム逝去から、1ヶ月も経過していません。「均質な製品」の存在に驚嘆します。
職場に、東京の2016年オリンピック誘致のシールが現れた。
空から降ってきたわけでもなく、地から湧いて出たわけでもない。東京都から送られてきたのだろう。バッチリ全生徒数を超える数のシートが届いたようだ。
自分のクラスの生徒には配布せず、捨ててやろうかとも思ったが、結局生徒に配った。配るのも無駄だが、捨てるのもやはり無駄である。
「無駄だよね」と言っている生徒も居た。
私も「皆さんの保護者が支払った税金が使われているんだよねぇ」って言いながら配った。
シールって、チョー無意味だと思う。
どこに貼らせたいのだろう。机の上か? 冷蔵庫か? タンスか? 都庁の石材の上に、ペタペタ貼り、シンタローの似顔絵でも作ってやろうかとも思ったが、そんな時間も無いのである。残念だ。
「ずっと持っていれば、高くなるカモよ」って言う生徒が居た。確かに。それは考えつかなかった。
そういえば、商店街などにはためいている「幟」は、以前は白かった。いつの間にか赤いバージョンが出ていた。最近、私の住処の近くでは、その赤いバージョンも消えた。
やたらに無駄金が消費されている気がする。石原家周辺の「幟メーカー」や、「シール印刷所」や、「ピンバッジ工場」は、ある程度忙しいのかも知れない。良かったね。
パソコンに映り込んでいるサイトはこちら。
旅行記
過去、似た話題をちょっとだけ扱った日記
地震 雷 火事 年金
スイマセンm(_ _)m 職場のアイドルの「決めコトバ」を借用しました。
思うのですが、以前に日記に書いた「乾杯ウコンEX」は、ちょっと効き過ぎな気がします。確かに「翌日の酔い」は、だいたい解消します。しかし、肝臓周辺がオーバークロックであるような感覚があるのです。変な熱を持っているような。
「ずっと、このクスリ(様物質)と酒を飲み続けていたら、いつか肝臓が破綻するなぁ」って感覚を覚えます。
しかしやはり、ウコンは効くようです。最近携帯しているのは、小林製薬のヤツです。たまたま阿佐ヶ谷の薬局にあったので買いました。単価も安い。
「乾杯ウコンEX」に比較すると、効き目が少しマイルドな気はします。
が、職場の同僚(大酒飲み)は、「マサキちゃん、この間貰ったウコン、効いたよぉ~」っておっしゃってました。
実際、私も効果を感じます。オーバークロック感も無く。
そういえば、ウコンを摂取すると、細胞膜が活性化されるのか、ウンコがきちんと脱水されますね。大腸(の細胞)が働いているのカナ?
端的に言うと、下痢が減ります。
この日記に出てきた方々との、記録的な飲み会の日記はココ。
エンゼルウイング12ロール シングル(60m)・ダブル(30m) 各248円by いなげや
アサヒスーパードライ(500mL×6缶パック) 1,480円
かなり安い。
新聞の折り込み広告なんて、普段はあんまりチェックしないのだが、今朝はたまたま目にした。
日常使用するスーパーは、「どの品物がどこに並んでいるか」が分かっているので、無駄なストレスが無い。そのため、どうしても同じスーパーを使用しがちになる。
普段行かないスーパーに行くのは、それはそれで面白い。普段見ない品物が並んでいるから。
例えばコストコ。なかなか非日常的で面白かった。まだ1回しか行ったコト無い。会費4,200円は回収できるのだろうか... ま、4人で行ったから、税込み1,050円/人のテーマパークと思えば良いが。
で、本日昼過ぎにいなげやへ行った。
最寄りのいなげやでは湖池屋のポテチが安い。「6月のお買い得品」だった記憶がある。
湖池屋のポテチは、ちょっと前まで一袋70gだった。それでも、カルビーのヤツよりは、内容量が少なかった。
いつの間にやら、60gに減っているのである。それでも、一袋98円は安いとは思う。オニオンソルトが美味だ。のり塩は定番。
そういえば、内容量が減って愕然としたのは、味の素のエビシューマイである。この間買ったヤツを開封してみたら、いつの間にやら12個/1パックになっていた。数ヶ月前は15個入っていたのに...。
で、今日の話。
入店時、「エンゼルウイング12ロール ダブル(30m)」は、店内に積み上げられていた。米やらビールやらを買う予定だったので、「後で取りに来よう」と思った。
店内周遊の後半、酒類売り場に行ったとき、スーパードライ(500mL×6缶パック)は、綺麗に無くなっていた。ま、待っていれば、また陳列されるのかも知れないが、それを待つのも面倒である。仕方なく、3パックほど残っていた、スーパードライ(350mL×6缶パック)1,098円をカゴに入れた。(今、改めて計算してみたら、350mLの方が5%安かった、ラッキー♪)
オチです。
トイレットペーパーは、綺麗に無くなっていました。シングルは残っていたけど。
幸いにして、明日・明後日もセールは続くそうです。機会があれば、再度チェックしに行こうと思っています。
会社勤めよりは、スーパー巡回の方が、明らかに野性的センスが要求されます。
妙齢の女性が「電車内の空席狩り」で獰猛である理由、改めて理解できた気がします。
"Windows 7 製品候補版"の64ビット版をダウンロードし、試してみたことは、約1か月前に日記に書いた。
最近は「アップグレード版」の予約販売もあったらしいが、「ふーん」って思っている間に売り切れたらしい。
"製品候補版"は最上位の"Ultimate"だと云うコト、インストールしてみて知った。インストールしたのは、リムーバブルケースに入れた、約40GBの古い HDD である。そいつは"Quamtum の Fireball"だったため、動作音がうるさすぎて起動するのが億劫になりがちだった。そして数週間のうちに、パスワードを忘れてしまったわけだ。
パスワードの使い回しは良くないので、新規にパスワードを設定したのだが、それがアダとなった。
ま、またインストールした時に改めて設定するだけではあるが。
新しい OS が出ても、しばらくの間は周辺機器やソフトウェアが対応してくれないコトは多い。
やはり、今回もそうなるのだろう。
危険を冒すよりは、確実な動作を選ぶであろう私である。自宅に於いて、しばらくは Windows7 を導入しないだろうと思う。
なお、職場はまだ XP のままである。
ところで、冷静に「自分は自宅のパソコンに何を求めているのか」って考えてみる。数年~10数年前に比べ、「家パソ」の重要性はどんどん減少してきている。例をいくつか。
私用メールのやりとり
昔:自宅にてメール送受信
今:Gmail 等で、各種メールアカウントを管理 →時々、バックアップとして家でメール受信
この腐れ日記の更新
昔:自宅で html 編集、アップロード
今:オンラインで執筆、更新 →時々、ftp にてバックアップ
デジカメ画像の管理
昔:家のプリンタでいちいち印刷、アルバムにて保管
今:メモリーカードに画像を移動し、街のカメラ屋で直接アルバム作成 →時々、HDD にバックアップ
私の現在の「パーソナルなコンピューターの使用方法」ならば、ブラウザさえ使えれば、大抵のコトは済んでしまうようだ。そもそも、私用のメールはケータイがメインになってきている。
まあ、自宅でパソコンを使用しなくなりつつある最大の要因は「コドモ」ではある。
大人のまねが好きなようで、キーボードを叩いたり、マウスをクリックしたりしてくる。一時はダミーのキーボードを、本来のキーボードの手前に置いたりしたのだが、画面に動きが生じないから、「何かおかしい」って気づいたようであった。
恐ろしいと思うのは、キーボードでは"Windows キー"あたりを押す頻度が高いということだ。あの周辺を押すと、スタートメニューが展開されて楽しいらしい。また、ホイールマウスのホイールもお気に入りのようだ。1歳半でもパソコンをいじれるのがすごいと思う。
ケータイは画面の動きが少ないから、だいぶ前に飽きてしまったようだ。そもそもキー操作のロックがかかっているってコトもあるだろうが。
で、前述のデジカメ画像、フォトブックってのは、なかなかよい。
私は、阿佐ヶ谷のコイデカメラにて、複数回作成した。ネット上からの作成は面倒そうなので、試したことはない。私はあらかじめ使用する画像だけを入れた記録メディア(SDカード:小さくて便利だから)を用意した。そいつを持って店舗に出向き、端末を操作してアルバムを編集した。安価な「フォトブックスクエア」は、表紙を含めて最大35枚のプリントが入るコト、皆さんにお知らせしておこう。
なお、記録メディアは MMC から USBメモリや光学メディアまで、ほぼすべて対応していたように思う。さすがに MO は無かったが。
その存在を知ったときには「ずっと先」だと思っていた「2009年の皆既日食」が、もうすぐそこまで迫ってきている。
それは、私がモノゴゴロついてから初めてとなる「日本で見られる皆既日食」なのである。およそ30年ほど待ち続けていたわけだ。
しかし、今回も「肉眼」で皆既日食を見ることは不可能そうである。残念だ。
と、云うことで、関東で見られる皆既日食が、何曜日になるかを調べてみた。そう、表題の文字列が「その日」なのです。なんと、こよみのページによれば、その日は日曜日だそうだ。嬉しい。
って思ったが、その時、私は64歳であることが分かった。働いているのか、いないのか。ま、いずれにせよ、日曜日の方が都合がよいことは確かだろう。
配偶者の従姉妹に聞いて、初めて知ったのだが、皆既日食は上海周辺でも見られるとのこと。国立天文台のページを見てみたら、確かにそうらしいコトが分かった。もっと夏休みのど真ん中だったら、上海に行けたのになぁ...。
コイツは「白黒銀塩写真のネガフィルム」である。(2009/7/16追記)全然違った。フィルムの端に色滲みがあるので、変だと思い型番で検索してみた。カラーリバーサルフィルムだった...orz
以前に写真部顧問から貰ったものである。理科室には「望遠鏡用サングラス(10年以上前に買ったもの。多分現在は市販されていない)」もあるので、そのうち引っ張り出しておく予定。
幼い頃、日食の観察では、ガンガン「カラー写真のネガフィルム」やら「下敷き」などを使ってました。が、国立天文台は推奨しないらしいです。「赤外線」がヤバイらしいですね。
1か月くらい前、池袋のビックカメラ店頭で「観察用サングラス」を見ました。確か1,500円前後だったハズ。まだ売っているのかな?
昨日は職場で「定期検診」が行われた。
私の排泄物(大)は、今朝も白い煙幕の中だった。便器の中からハットリ君でも出てきそうな雰囲気であった。とりあえず、便秘にならなくて良かった。過去に一度、酷い目に遭ったことがあるのだ。
私の生涯、ただ一度の便秘は硫酸バリウムに拠るものである。あれは辛かった。
当然のコトながら、昨日は尿検査も行われた。業者が変更になり、システムも変更された。そのため、男子トイレには、数十個の排泄物(小)入り紙コップが並んでいた。初めて遭遇する景観だった。そして、あれだけ他種類の尿を見たのは初めてだった。濃さと透明度が悉く異なっていた。面白かった。
ちょっと、それらを混ぜてみる、あるいは糖類を滴下する誘惑に駆られたが、止めておいた。
最近、というか、ここ数年、「サントリー角」の CM では「ハイボール」を推しているようだ。基本的にウイスキーはストレート(&チェイサー)で飲むべきだと思う。しかし、私はハイボールも割と好きである。
で、ハイボールで忘れられない店がある、阿佐ヶ谷に。
その店は10年以上前、職場のセンパイ(この日記群に最も良く登場する、国語科の酔っぱらい)に連れて行ってもらった。ハシゴ酒の一環として。
私はハイボールを注文した。多分何かのバーボンだったはず。
店長らしきヒトのハイボール作成は、最後の手順だけで1分程かかったのではないだろうか。グルグルグルグル... グラスの中身が「水割り」になるまで、彼は念入りにハイボールを破壊した。
そのバーでの記憶で、今も色鮮やかに残っているのは、そのデキゴトのみである。
しかし、あの店は、確実に「酔っぱらいを捉える何か」を持っているようだ。大学時代のサークルの後輩が通った店でもあったそうだ。その店を訪問した直後(1,2年も経たないうち)に聞いた。
彼は私と同じ1971年の生まれなのである。私は1月、彼は2月。一浪の後、鳥取砂丘の横から東京の大学へとやって来た。大学時代、彼は小金井のアパートに下宿していた。よく襲撃させて頂いた。彼の最初の就職先は近畿日本ツーリストだった。住居はそのまま小金井であり、勤務地はお茶の水だった。帰宅時に高円寺や阿佐ヶ谷で途中下車するコトが多かったそうだ。確かに、駅周辺に飲み屋が多い。で、阿佐ヶ谷のその店(ジャズバー)へも、度々行ったそうだ。
彼は今、実家のある鳥取へ戻っている。
前述の国語科の酔っぱらいは、数年前に退職している。
ジャズバーは阿佐ヶ谷のホームから看板が見えるので、営業を続けているようだ。
どんな「ハイボール」が出されているのか、あるいは壊され続けているのか。その疑問は、私の中でエイジングを続けている。
過去の「ハイボール」についての日記
ハイボールについて真面目に考えた
ウヰスキー
表題で全てを言い切ってしまいました。以下は駄文の中の駄文。
「夏日」 = なつび(最高気温が25℃以上)
「真夏日」 = まなつび(最高気温が30℃以上)
でした。これは、私がモノゴゴロついたときから使われていた。
で、「猛暑日」。最高気温が35℃を超える日のコトだ。
最初に耳にしたとき、コトバとして据わりが悪いと思った。
何で気持ちが悪いのか、しばらくしてから気付いた。「重箱読み」だからだ。
【重箱読(み)】
漢字二字の熟語で、上は字音語、下は狭義の和語で構成されているもの。
例、重箱・団子(ダンゴ)。⇔湯桶(ユトウ)読み
Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co., Ltd. 1972,1974,1981,1989,1997
テレビで「猛暑日」ってコトバを聞く度に、「そういえば、このネタはまだ日記に書いていないや」って思っていたが、毎度毎度忘れ続けていた。今日、やっと日記にすることができた。
2年前から「猛暑日」ってコトバが使われ始めたワケなので、「猛暑日は重箱読みだから気持ち悪いんだよー」って指摘も、ネット上に転がっているだろうと思っていた。しかし、Google と Yahoo! では、そういった記述は発見できなかった。みんな、何とも思わないのだろうか?
東京の阿佐ヶ谷からは、日蝕が見られなかった。ま、基本的に職員室に籠もっていたわけではあるが。
「勤務先に国語科の非常勤講師として勤務なさっている、数年前にヨーロッパに出現した「ピアノマン」に似ている、キューバかぶれで複数回キューバを旅した、主たる勤務先が予備校の御仁」お勧めの本を読破した。面白かった。キューバに行ってみたくなった。
戸井十月『カストロ、銅像なき権力者』←アマリンク
職場でウォシュレットを使用中、「ずっと同じウォシュレットを使い続けていたら、体に歪みが生じるかも知れない」って気付いた。
ウォシュレットって、水流を肛門に当てる必要がある。しかし、経験上その水流は、必ずしも便座の中心から出ているわけでは無さそうだ。しかしまた、どの程度水流が左右にぶれているかは、確認する術がない。透明な下敷きでも使えば、その水の出る様子を確認できるかも知れない。しかし、それを試す気もない。
証明写真を撮るとき、カメラマンに「頭がちょっと傾いていますねぇ~」って言われるのは、もしかすると、自宅のウォシュレットのせいかも...
desktop install floppy のコトです。
「ディスクトップ」っておっしゃる職場の方々に対しては、余裕があればお知らせしています。「desk の top」であって「disk の top」では無いですよ、ってコト。
情報科の先生ですら、ブログで「ディスクトップ」って書き続けている方がいらっしゃるのですね。今年の7月11日にもそういった記事がありました。オシエゴの方々は、「デスクトップ」っていう正式名称(?)を知る機会を、多分逸してしまっているのでしょうねぇ。ちょっと気になります。
ま、他人の心配をするよりも、自分の授業内容を心配すべきですね、私は。
ブログを拝見しだした当初から、その誤字が頻出することには気付いていたのですが、指摘する時機を逸してしまった。大体、顔見知りじゃないし。そのお方の名前は、先ほど記憶し直したつもりですので、研修会か何かでお会いしたら、誤字をお伝えしようと思います。って、できるかなぁ...
次に install 。
英語の綴りを見れば、インストゥールとは発音できないと思うのですね。でも、そのように発音するヒトは結構多い。職場でも、私はいちいち指摘しないことにしました。辞書で調べてみたところ、"a"にアクセントがあるコトを知りました。
で、本題(?)の「フィロッピー」です。
これは、ずっと前に退職された、英語科のおばあちゃん先生だけが使っていました。他のヒトはわざわざ「フロッピーディスク」を「フィロッピー」なんて言わない。英語科の先生なんだから、ちゃんと発音して欲しかったです。
何で「フィ」だったのかしら。今度、学園祭にいらっしゃるそうですが、指摘することは無いだろうなぁ...
「フロッピーディスクドライブ(及びメディア)が生産縮小」ってニュースを見て、日記を書いてみました。
私は数年来、職場でも自宅でも「記憶メディア」としては、フロッピーディスクを使用していません。しかし、古いハードウェア(NEC の 9821 に装着してあるヤツ)のドライバなどは、フロッピーを保管していますね。また、フロッピーが無いと、古いウィンドウズがインストールできない。
そんなワケで、完全にフロッピーと縁が切れたわけでは無いッスね。ドライブとメディアを、更に大事に扱うことにします。
と、ここまで書き、何となく検索してみたら、バッファロー も I-O DATA も、昔の製品のドライバをネット上に置いてくださっていることを知りました。有り難いことであります。気が楽になった。
「誤読」に関連する過去の日記
『SNOWFLAKE』 『small planet』
トキにカラオケなどに行くと、とりあえずリクエストされたミスチルを歌ったりします。
ワリに『名もなき詩』は人気のある曲のようです。そして、リクエストされておきながら、出だしで興ざめになるのでした。
♪ちょっとぐらいの汚れ物ならば 残さずに全部食べてやる
「汚れ物」というのは、一般的な使い方では、食器や衣類のコトだと思っていました。決して「食べ物」は指さないハズ。
ネット上の辞書を参照したところ、私の感覚は正しいようでした。
桜井和寿氏のつくる歌詞は全般的に面白いが、装飾過剰である気もします。「メロディが先に存在している」から、どうしても歌詞が過剰になってしまうのでしょう。
で、本題はミスチルではなく SPEED です。薬物ではなく、歌手の方。
♪めぐり逢えたのはきっと 運命なのかもしれない
本日夕方、ラジオでこの曲を聴きました。数度目でした。『あしたの空』という曲名らしいことを、さっき検索して知りました。
最初にこの歌を聴いたときから思っていました。歌詞の「きっと」と「かもしれない」という二つの表現が矛盾している気がするのです。「めぐり逢えたのはきっと運命」あるいは、「めぐり逢えたのは運命かもしれない」なら、まだ分かります。
全盛期の SPEED ならば、こんな「まわりくどい歌詞」にはならずに済んだ気がします。20代となり、若干の悲哀が含まれている気がします。って、余計なお世話ですね。
ところで、最近私が「きっと運命 ...かも知れない」と思ったのは、『西日暮里ブルース』です。
私も西日暮里駅を使っているので、何となく「ココロの定置網」に引っかかったというだけですが。
mixi 経由でその漫画と作者ピョコタン氏を知りました。
デビュー13年間いまだに売れない漫画家・ピョコタン先生インタビュー - ガジェット通信
flash の漫画というのは、初めて見ました。特殊なテンポで面白いと思いました。暇なときに読破しようと思います。
過去の関連しそうな日記
今、あなたの後ろを...
ドラえもんの道具
clothes is クローゼズ?
マクドナルドの「黒辛チキン」は、中国のファストフードの味がする。日本ではほとんど使われない(と思う)スパイスが入っている様子。
そのスパイスの名称が分からない。上海の屋台の串焼き肉に、良く使われているスパイスだ。
鳥とスパイスは似ている。
鳥は「姿」「声」「名前」の3つを一致させるのが難しい。
スパイスも「姿」「香り」「名前」がなかなか一致しない。
コストコの「ロティサリーチキン」はうまい。
塩分が足りないと思われる場合は、クレイジーソルトをかけると良いだろう。
さっき検索し、「黒辛チキン」は販売が終了したことを知った。残念である。二度しか口にできなかった。パン付きと、現物と。
「ロティサリーチキン」はいつも販売されている。ただし、コストコというテーマパーク自体にあまり行かない。
「チキン」で忘れられないのが、ノースウエスト航空だ。
機内食が配給される際、"beef? or chicken?"って尋ねられた。私は「チキン」って言った。伝わらなかった。
その後、どんなやりとりをしたか忘れたが、何しろ数秒後、スッチーのネーちゃんが"Oh! chicken!"と。
"chicken"は「チキン」じゃなくて「チェキェン」であることを知ったッス orz
昨日、池袋のサンシャインシティに行った。私と配偶者と子と。
配偶者は GAP にて捜し物があるというので、私と子は周囲を散歩することにした。
彼女は「吹き抜け」が好きなので(というのは、以前に吹き抜けがある病院で、ガラスをバンバン叩いて騒いだことがあったので)、「ほぉれ、吹き抜けだよー」などと機嫌を取っていた。
しばらくした後、気がつけば、彼女は私でも吹き抜けでもない方向をじっと見ていた。
視線の先には、「夏休みなので、ナンパでもできたら良いなぁ... って思ってウロウロしている(ように見える)、高校生くらいの男子3人組」がいた。特に、そのうちの1人と目が合ったようだ。
私は例によって「ども~」と言って、彼女に挨拶を促した。彼女は私の指示に従い、素直に挨拶をした。残りの2人は、幼子と挨拶した彼をはやし立てていた。「おいおい、そんな小さな子じゃあ、ナンパもクソも無いだろう」ってな感じなのだろう。私の子は「逆ナン」に成功したと言えるのかも知れない。
私達親子が佇む場所には、何となく居づらくなったのだろう。彼ら3人組は別の場所への移動を開始した。私が子に「ばいばーい」と言って挨拶を促すと、彼女は素直に手を振った。かすかに逡巡した後、逆ナンされかけた彼は手を振り返してくれた。
およそ1歳半の我が子は、どんどん観察力が増してきているようだ。
先日の朝方、家の中にあるガラステーブルに反射した太陽光線が、天井に虹(連続スペクトル)を形成していた。彼女は、義理の母(彼女にとってはおばあちゃん)に抱かれながら、「うー!」と言いつつ、天井の虹を指さしていた。虹は、幼子が見ても綺麗なものなのだろう。
別の日、稼働している古い扇風機を通過した太陽光線が、近くの床に「ふるえる緑色の領域」を形成していた。その扇風機は、羽根が緑色なのである。彼女は、そこを指さし、私に向かって「うー!」と言った。「綺麗だよ」と言ったのだろう。
扇風機に向かって「あー」と声を出すと、跳ね返る自分の声が震えて聞こえる。自分が小さな頃は、それで遊んだ記憶がある。その楽しさはまだ伝えていない。いつか、勝手に発見するだろうと思っている。
更に別の日、シャットダウン中のパソコンの前に、私と彼女が座っていた。紙にお絵かき(?)などをするためである。彼女は、本当はパソコンを弄りたかったようだが、必要がないので電源は入れなかった。
光学マウスは USB 接続であり、常に通電している。パソコン本体の電源が落ちていても、ボタンをクリックすると赤い光線が強くなる。私は、面白がるかと思い、その赤い光線をいろいろな場所へ当ててみた。
私の手のひらに何度か光を当てたとき、彼女は「うー」と言いながら、私のもう一方の手を引っ張り出した。そして、そいつの手のひらの側を、しばらく眺めていた。
彼女は私の手のひらが発光したと思ったようだ。そして「もう片方の手も光っているのだろう」と推測したようである。その彼女の思考回路にちょっと感動した。
単なる親バカ?
8月は、ほとんど「腐れ日記」を記さなかった。しかし、Google 様のおっしゃるコトには、ariori.com 全体のアクセス数は、先月比で4割増だという。
結局、そのアクセス数増は、
冬の自由研究(リンゴの変色について) -"知恵ぶくらー"を嗤う-
に因るものなのであった。
ずっと昔、小学校や中学校に通っていた頃、私も「自由研究」には困らされた。
で、新学期が始まり、高校3年を担任している私の手元には、いくつかの作文(のようなもの)が集まっている。大学等へ提出する「志望理由書」である。
「君らの担任として、仕事をしてますよー」ってフリをするために、彼らの作品を添削するのである。文章の「キモ」こそ変えないよう心がけるものの、文体や構成がかなり違ったものになってしまうのだった。そして、それは毎度のことである。私が真面目にやるほど、その傾向は強くなる。
ただ、「もっときちんと書け、それから見てやろう」ってコトになる場合も多い。何しろ、ある程度書けている文章じゃないと、私も添削はしない。それほど「暇&お人好」じゃない。
ただ、言い方はそんなにきつくなく、「縁日のあんず飴の水飴」でくるんだような表現となる。「オブラート」どころではない。私は、八方美人の教員なのだ、エッヘン。
そんな私は「一般受験こそ、受験の王道である」って思ってる。作文で大学に入るなんて、邪道なのだ。暗く長い、コタツ経由の受験勉強こそ、高校生が辿るべき正しい道なのである。
話を戻す。
「教員による手入れ」が顕著に認められるのが「青少年読書感想文全国コンクール」である。
入賞作品なんか、どう見ても教員の作品だ。あれは、教育上どうなんだろう? 入賞者の心に、暗い影を残しそうな気がする。「あれは、私の作品じゃない...」って。
と、比較するフリをして、自分のシゴトを正当化するのであった。
「紫友同窓会会報 第37号」とやらが、先日届いた。
東京都立小石川高等学校・小石川中等教育学校の同窓会報である。
そのなかで「ホメオパシー(参照)」なる語を発見してしまった。高校の先輩であるらしい「日本ホリスティック医学協会会長 帯津良一氏」についての記事内にて。
協会名から怪しい。そして、そのサイトを見てみた。
「場」という語が多用されていた。
「波動」とか「場」という語に対して、私の「似非科学センサー」は激しく反応する。仮にも、医学部を出たような科学者であるならば、やたらに「場」という語を使って欲しくないものである。同窓会報の「プロフィール」を見る限り、外科が専門らしいから、単なる「技術者」でしかないのかも知れないが...
「老人の宗教かぶれ」は始末が悪い。
私が愛読している NATROMの日記 に帯津氏の病院のコトが書かれていたので、数日間温存していた話題を書いてみた。
この音楽は、私の子どもが反応した歌。先月末だったか、車の中でラジオから流れてきた。
♪アオ、アオ の部分が気に入ったようだ。真似をしていた。
彼女は NHK教育 で流れる「ぐるぐるどっかーん!」などの歌も好きなのだが、ビートの効いた曲も好きであるらしい。
帰宅後、ネットで検索し、曲名とアーティスト名を再確認した。どこかで聞いたことがある方も多いのでは無かろうか。
「レメディ」繋がり、終わります。
題名の語句から、いろいろ思い出したのです。
痛いニュース(ノ∀`):ハチロク復活! トヨタ、小型FRスポーツ「FT-86 Concept」...水平対向4気筒NA、6速MT
を見ました。
特に私は「カーキチ」では無いんですが、時々車は運転します。実家のクルマを借りたり、レンタカーだったり。リアルな世界では車を所有した事はありません。ゲームの世界ではかなりいろんな車に乗りました。
で、上記サイトに
68 : ノイズh(大阪府):2009/10/06(火) 14:46:49.56 ID:PaNeu9DA
なんでパカパカライトとは廃れたの?
85 : ノイズo(九州):2009/10/06(火) 14:48:07.57 ID:GS9JwSwn
今は規制で禁止らしいよ
パカパカ好きなのになぁ、半目とか最高だわ
を見ました。
確かに「リトラクタブル・ヘッドライト」、通称?「パカパカライト」は見なくなった。ロードスターですら、数モデル前から廃止してますわな。
実家のクルマは、以前"180SX"だったコトもありました。今思えば速かった。あいつは「リトラクタブル・ヘッドライト」でしたね。
Wikipediaを見るに、「リトラクタブル・ヘッドライト」をかっこいいと思うかどうかなんて、「刷り込み」でしか無いだろうと思いました。
ところで、以下の場所で、先日初めて「キップ」を切られました。7000円納めさせていただきました。「一時停止」をしなかったから。
場所詳細
たまたま、私はそのデキゴトの数日前、下に示したサイトを見ていました。http://pathtraq.com/ 経由で。
現役白バイが何でも答える。特定以外な。 働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww
51 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/09/11(金) 02:36:10.98 ID:XxpWixWKO右折禁止の看板が木で隠れて見えなくてそのまま右折→白バイが待ち伏せ→減点
正直なところ事故を未然に防ぐ気ある?
ないだろ?>>51
ないよ。
だが、看板が見えなかったというのは言い訳なんだよ。
残念だが運転手の意識不足。132 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/09/11(金) 03:43:08.19 ID:T7VAbmIfO
一時停止してすすんだのに捕まえる無能なやつらだけど、
暴走族は赤信号でも渡らせる心優しい方々に拍手>>132
本当に一時停止した?
タイヤがピタっと止まった?
それなのに捕まったなら不当検挙。ここで文句を言わずに今すぐ訴えてこい。
全体的に、トピ主(白バイ隊員)は真摯だと思いました。
なので、「道に飛び出してきた冴えないおじさん」を見た瞬間に、私は観念しました。
「連休なのに、シゴト大変だなぁ」って。
ただ、確実におじさんは言っていたのです。「今月はルールを守ってください」みたいなコト。捕まったのは「秋の交通安全週間」でした、バッチリと。
助手席には配偶者が居たのですが、「飛び出しっぷりの危険性」と「発言内容」にブチ切れていました。
10月になったら、一時停止違反も構わないのかも知れないですね。謎ですねぇ。
10月になったら、一時停止違反も構わないのかも知れないですね。謎ですねぇ。
ここで一句。
交通の往来防ぐ あのテント
似た日記
原理主義者として
「毎日jp」は、「ドット」が無いのが面白いと思っていたのです、私は。
教育(イメージの浸透)は難しいですね。
イチョウを銀杏や公孫樹と書くのは知っていました。
鴨脚樹とも書くとは知りませんでした。
イチョウの表記や呼び名について、不思議な歴史があるコトを知りました。
情報が多すぎて、どれが本当なのか、今ひとつ分かりませんが。(参考)
私はつい先ほど検索するまで、イチョウは英語だと"Gingko"だか"Gingkyo"って綴るはずだと、記憶していました。なにしろ、変な綴りだったコトだけは記憶にあったのです。
イチョウは"Gingko"と綴られる場合もあるらしいですが、一般には"Ginkgo"だそうです。西洋には少ない「生きた化石」だから、綴りも曖昧なのでしょう。
そんな私なので、以下のような画像を撮影したわけです。誤植だと思って。
その中央左下を拡大(ブレてるけど)
さらに拡大
この地図は、都営大江戸線の「青山一丁目駅」のホームにあったものです。
撮影したのは、10月8日、都内の JR がほとんど全て止まっていた日です。早朝に台風が来ていた日でもあります。
職場は、その日、千駄ヶ谷の東京体育館で体育祭でした。
台風は去っていたが、電車は動かず、体育祭の開催が遅れに遅れました。しかし、体育科の主任を始めとする方々の尽力により、毎年同様、あるいはそれ以上に盛り上がりました。生徒も楽しそうでした。
私は、JR の止まった朝、西日暮里===(東京メトロ千代田線)===大手町===(東京メトロ半蔵門線)===青山一丁目===(東京地下鉄大江戸線)===国立競技場 と移動したのです。
その途中、電車が来なくて暇だったから、乗換駅の青山一丁目で地図を見ていたわけです。
今年は、植物の冬支度が遅い気がします。
キンモクセイが香りだしたのも、その体育祭の日の2日くらい前からだった記憶があります。
私立学校って、近くにお住まいの方に迷惑かけるコトが多いです。
とりあえず、体育の授業などはうるさいハズです。また、登下校時は絶対邪魔です。一応「横に広がらず、道の片側を歩け」という指導はしています。しかし、場合によっては、道をふさいでしまう事もあるのかも知れません。
少なくとも自分は、教員の「3人横並び」はしないようにしています。2人で横並びはありますけれど。
この間(9月だったかしら?)阿佐ヶ谷で感動(?)したのは、日大相撲部の方々の行動です。
「3人」という微妙な人数だったにも関わらず、朝8時前に JR 阿佐ヶ谷駅近くを歩く彼らは、縦に並んで歩いてました。
ま、今まで邪魔でしたョ、ぶっちゃけ。
阿佐ヶ谷に住んでいた数年前、この「腐れ日記」に書こうかと思ったコトもありました。でも、ヒトの悪口をネット上に書くのも不健康だと思い、控え続けていました。直接言うのも、怖いからね。「ガタイ」デカいし。
って今、書いてるけど。
地域住民からの苦情と、管理者からの指導があったのだろうと思いました。
相撲部に所属する彼らは「単品」でも十分に横幅が広いのです。時には3人で横に並んで歩いていました、以前はね。
彼らの「行進」は継続して欲しいので、日記にしました。
「お盆」は純粋仏教(?)に由来するものではない。
参照 ハロウィーンの起源・由来について調べてみた[絵文録ことのは]
住み処で使用している洗濯機は、「中水位」ならば電源投入後30分過ぎが「柔軟剤」の入れドキ。
参照 特になし
関連商品(良い香り♪)
自分は確実に老化しているようで、同じコトを繰り返し言ってる。
参照 「読書感想文全国コンクール」 @ ariori.com
最近、アクセスカウンターって、あんまり見ませんね。
古典的な『ホームページ』は衰退し、無料スペースである本家米国の geocities も廃業したと聞きました。日本向けのジオシティーズは続いていて良かったです。
日本の geocities にリンクしてみます。当サイト内既存のものを中心に。
団塊オヤヂのオフロードな日々 > Column > 山仙人の小言 > 噂の!東京マガジン
ポチは見た!~マスコミの嘘と裏~
「自由大学」信楽たぬ吉の講義室・トップページ > 化石論講座トップページ
創作童話 博士(はくし)が100にんいるむら
ハムが一匹いるだけ
当サイトのトップページ www.ariori.com に設置してあるアクセスカウンターの伸びを、グラフ化してみました。下のグラフだけだと、記事としてつまらないだろうから、上のリンク集(?)を作成したのでしたとさ。
過去のT先生語録は以下のとおり。
暦の上では冬らしいですが、秋口(夏休み後半)にお会いしたT先生とのやり取りを記します。
T先生に最初にお会いしたのは、もう15年前のことです。私が今の勤め先で専任となった年ですね。私の勤め先は、ソフトボールの試合ができるグラウンドがありません。それこそ毎週末、さまざまな場所へと出向いていました。勤め先の先輩に連れられ、T先生の勤める学校のグラウンドに行きました。なお、その思い出のグラウンド、現在は無くなっています。
私の職場のソフト部顧問の先輩と、T先生とは同い年です。また、どちらもかなりな酔っ払いです。そして、同じ国語科担当という事もあり、かなり仲良しだったわけです。そこに私なども混ぜてもらっていました。
T先生は、私が幾度か「T先生語録」として、上に示したような駄文を披露していることを、知っていらっしゃったようです。この夏も「オガワちゃん、俺のことなんかプロフに書いてんなよ」とおっしゃってました。この腐れページ群を「プロフ」と表現するところが、女子高生っぽいと思いました。女子校に勤めるT先生にとって、一番身近なネット環境と言うと「プロフ」なんでしょう。
勤め先の高校の「現代文」の教科書は、梶井基次郎の『檸檬』が収められています。ちくまだったかな? 私が最初に梶井基次郎ってヒトの文章に触れたのも、高校の現代文の授業でした。『檸檬』は定番なようですね。
今年の夏休みに入ったころ、例年のごとくT先生に会うことを思い出し、短編集である『檸檬』を、改めて読み始めました。T先生は、国文学科出身だそうです。以前に、卒論だか修論だか、あるいはその両方で、梶井基次郎について書いたと聞きました。
短編集を読んでいて、この一節が目にとまりました。
『橡(とち)の花 -或る私信-』という作品の冒頭です。(あおぞリンク)
この頃の陰鬱な天候に弱らされていて手紙を書く気にもなれませんでした。以前京都にいた頃は毎年のようにこの季節に肋膜を悪くしたのですが、此方へ来てからはそんなことはなくなりました。一つは酒類を飲まなくなったせいかも知れません。然しやはり精神が不健康になります。
まさに、「T先生語録その1」そのままです。
で、夏にお会いしたときに聞いてみました。夕刻、飲み屋への移動中、ソフトボール大会会場近くのバス停にて。
「先生って、『肉体の健康は精神の不健康だ』ってよく言いますけど、梶井基次郎から取ったのですか?」と。
「オリジナルだ」とおっしゃるので、カバンから『檸檬』を取り出し、上記部分をお見せしました。T先生も、ちょっと感心したというか、面白いなぁと思ったようでした。「シンクロしてんなぁ」っておっしゃってました。
という、特にオチも無い話です。
記憶では、通算11コめとなる眼鏡を購入しました。
- メタル・黒色・丸みを帯びた長方形
- プラスチック・茶色・大きめの丸みを帯びた長方形
- 縁無し・銀色・大きめの丸みを帯びた台形
- プラスチック・茶色・大きめの丸みを帯びた長方形
- (現存) メタル・青紫色・小さめの楕円
- プラスチック・赤茶色・小さめの楕円 ←今回破損
- (現存) プラスチック・無色透明・丸みを帯びた台形
- (現存) メタル・くすんだ銀色・丸
- (現存) 縁無し・銀色・小さめの楕円
- (現存) プラスチック・黒色・若干角張った長方形
- (現存) プラスチック・茶色・ナイロール ←今回購入
movabletype を更新したついでに、公開せずに放置していた記事をアップしてみました。
見栄えと動作が変わったので、おっかなびっくりの更新です。
関連する日記
あのメガネは「アリ」なのか?
12月25日の朝、枕元にはオモチャがありました。
「ミニミニレール」も、クリスマスの朝に発見されたような気がします。
10年くらい前かなぁ? 母親は言いました。「ミニミニレールの電池を買うのも、家計的に苦しかった」と。知りませんでした。そのハナシを初めて聞いたとき、しみじみ悲しくなった。
今でも、思い出す度悲しい。そして親に感謝します。
ミニミニレールは、単5乾電池を2本使います。2編成走らせれば4本。最初はガンガン走りますが、だんだん遅くなる。
単5は今でも安くはない。
ま、クリスマスプレゼントとして「ミニミニレール」を選択したのが、間違いだったのでしょう。いや、正解なのか?
「線路セット」や「電車」を、度々親にねだっていた記憶があります。
何となく、25日に目覚めると、枕元を確認してしまいます。30年経過しても。
「ペッタブロック」も、25日朝に「サンタさん」から貰ったように思います。今は「ペタペタブロック」って改名したみたいですね。こちらも度々パーツ追加をねだったなぁ...
38歳(♂)の思い出です。
2009年の「ページビュー Best10」をお送りします。Google 様による集計です。
第1位 1月8日
吾子 love
基本的に自作パソコンネタです。
『DOS/V POWER REPORT』って雑誌のコンテストに応募したのです。コンテストの参加者一覧ページからリンクされていたので、アクセスが多かったのです。本来は「トラックバック」なる機能で応募すべきだったのですが、このサイトは「トラックバック」を利用していないので、主宰者の方にはご迷惑をおかけしたようです、スミマセンでしたm(_ _)m
第2位 2月16日
さまよえる雪苺娘(の店舗)
駅売りの「雪苺娘」、うまいッスよね。
なお「JR東京駅丸の内南口newdays付近の店舗」は、改札外の地下(!)にありました。ただ「平日のみ営業」らしいです。私がその店舗を発見できたのは、例によって定休日の日曜でした orz
第3位 7月11日
Windows7 起動時のパスワードを忘れた ってコトからつれづれなるままに。
私と同様にログオンのためのパスワードを忘れた方が、検索して訪れるみたいです。
本当に「徒然なるまま」に書いているため、有益な情報がありません。訪問者はすぐに退出(笑)。
第4位 2月10日
本屋が無い街 西日暮里
第5位 3月19日
二酸化炭素排出権とか atomica とか
第6位 2月11日
先生とか、社長とかいうような「敬称」?について
第7位 3月22日
トマトとレタスと卵の炒め カザフスタン風
第8位 11月6日
Antivirus System Pro との遭遇
第9位 4月25日
乾杯ウコンEX
第10位 5月27日
丸山茂徳センセイの話を聞いてきた
なお昨年1年間、当サイトで最もページビューが多かったのは、
2007年12月20日
冬の自由研究(リンゴの変色について) -"知恵ぶくらー"を嗤う-
でした。
実に、総ページビューの 9% を稼いでいます。また、平均ページ滞在時間も5分弱と、劇的に長い。
そして、
謹賀新年m(_ _)m
新しい一太郎(と ATOK)が出るみたいですね、例年のごとく。
ATOK2008@自宅(2年間教育)
寒暖の差が鼻に彩りを与える
その辺投資台では
社内に派遣先剤が揃っている
一番乗りカイシャになる
ATOK16@職場(5年間教育)
寒暖の差が花に彩りを与える ←正解
その辺投資台では
社内に派遣先剤が揃っている
一番乗り会社になる
ま、ぶっちゃけ、普段の漢字変換は「文節(って言うんでしたっけ?)」程度の長さでしか行いません。また、当然のことながら「最終的に文書に採用された語」が、最初の(連文節)変換候補に現れるのでしょう。私は基本的に理科教諭なので、理科系の語は出やすいのだろうと思いました。
職場の ATOK が、一つの課題「かんだんのさがはなにいろどりをあたえる」をきちんと変換できたコト、何となく嬉しかったのです。かみ砕いて言うならば、「シゴトをしていたように錯覚できて嬉しかった」ってコト、それがこの日記の主題です。
というコトで、引用した ATOK2010 の機能は、結構どうでも良い気がします(なんじゃ、そりゃ)。引用した部分の上にある
文脈処理で同音語の変換精度がさらに向上
の方が、有効でありそうな気がします。
で、一太郎は2年前に買った「ばかり」だから、まだ買わなくていいや、って思ってます。
この日記は、全面的に旧友「養老野郎」の日記にヒントを得て、作成しました。
関連しそうな日記
進化、じゃなくて「変態」を続ける Google
昨日の「うぇぶぶらうず」で、一番印象に残ったのは、このサイトでした。
宮内庁と共産党の国会漫才(あるいは宮内庁の反知性主義について) - 俺の邪悪なメモ
彼のすさまじい前歴は、ここには記しません。
上記サイトは、ここ数ヶ月のうちに開設されたようです。
いつからか、愛読しています。
で、もっと前から愛読している「ボーガスニュース」が、上記サイトを取り上げていました。
宮内庁、完璧超人の手先だった! 古墳調査拒否の驚くべき背景 : bogusnews
以上です。
『タモリ倶楽部』見ながら、寝よっと。
この間、結構見入ったテレビ番組に『ルビコンの決断』があります。1月14日放映でした。公式サイトから引用します。
葉っぱビジネスで稼げ!「テレビ東京」って、なんか鼻白むんですよね。金儲けネタを扱う番組が多くて。
~限界集落おばあちゃんの挑戦~
徳島県上勝町は高齢者が元気な町である。高齢者が山林や庭で葉っぱを採集し、「つまもの」として出荷される。料亭や割烹で料理に添えられる「つまもの」である。仕掛け人は農業指導員だった横石知ニ(金子貴俊)。地元のおばあさんを使った横石の奇抜なビジネスは大成功。おばあさんたちは収入を得て生きがいを見つけることになった。県内で有数の高齢者の多い町にもかかわらず医療費があまりかからない地域になった理由は、仕事に生きる元気な高齢者が多いからだと地元の人々は胸を張る。
上記番組で扱われた「葉っぱを商品化した集団が居る」ってハナシは、以前に聞いた事がありました。過去、「おばあちゃん」達は金が儲かってウハウハだったかも知れません。
しかし、それは「労働者が搾取と感じない搾取が行われていただけ」だと思うのです。
公式サイトを見てみました。
そして町の半数近くを占めるお年寄りが活躍できるビジネスはないかと模索したところ、"つまものビジネス"="葉っぱビジネス"が1987年にスタートしたのです。たまたま、バブルと事業開始が重なったので「買い主」が存在していただけのような気がします。今はライバルが多そうな気がします。良く知らないけど。
この「おばあちゃんの葉っぱ」話、私が初めて聞いたのはせいぜい2,3年前だと思います。その界隈(青果市場など)では有名だったのかも知れませんが、ニュースなどで聞いたことは無いです。
私は「(高級)料亭」って行ったコト無いです。
政治家以外にも、そういった場所に行く方々はいらっしゃるのでしょうが、ニュースでは「政治家某が料亭で会談」みたいなヤツしか見ません。よって、私の頭の中では「料亭=政治家の巣窟」ってコトになってます。その料亭の支払いには、賄賂も含まれているのだろうと常々思います。
賄賂というのは、ゼネコン(とか)の従業員の給与がピンハネされたものだと思って、間違いないでしょう。ま、そのピンハネによって、企業が生き存えると云う面もあるのかも知れませんので、一概に悪とは言えないかも知れません。とりあえず、日本の法律的には「罰が与えられるべきもの」なのでしょう。難しいですね。
おばあちゃん達が集めた「葉っぱ」が売れたのは、生産者?である「おばあちゃん達」が真面目に働き、ゼネコン周辺のヒトビトが低賃金で働かされ、上納金がしっかり「消費者」たる政治家に回ってたってコトがあるのでしょう。
バブルも終焉を迎え、積み上がった国債が気になる昨今です。景気の良いハナシは少なくなり、仕方なく20年前のハナシを発掘し、「まだどこかに商機はある」って喧伝を行う「テレビ東京」。ちょっと寒いッス。
私は金子貴俊氏にも寒気を感じます。いまいち受け付けないんですよね、武田鉄矢よりは余程マシだけど。
金が無駄にあったから、高級料亭も需要があったのだろうと思います。今後、更にそういった業態は衰退していくだろうと思います。正しい流れだと思います(と、胡散臭い筆者 Masaki は言った)。
過去の関連しそうな日記
緩慢な搾取のもとに
「911テロ」から一ヶ月
「罪のない市民」など存在しない
私は昨年、ポッポ兄が作成した論文(?)である『祖父・一郎に学んだ「友愛」という戦いの旗印』を、少なくとも2回は読んだ。しかし、うすらぼんやりとした印象しか残らなかった。
一番疑問に感じたのは、「何故そこまで『アジア』に拘るのか」という点である。
「友愛」以前に、「自由」も「平等」も見あたらないアジアだ。そこで「友愛」だけ唱え続けるなんて、正気の沙汰ではない。北朝鮮も、中国も、フィリピンも、ミャンマーも、日本も。まともなクニなんて、無いと思うのである。
まあ、アフリカや中南米の一部の国みたいに、軍政がクーデターで倒れて、その後グダグダになってるような地域に比べれば、東アジアはまだマシな地域かも知れない。
しかし、アジアを見る余裕(?)があるなら、地球全体を見るべきだと思うのである。視野狭窄を起こしている気がしてならない。
産経新聞の記者であらせられる阿比留瑠比氏のブログは面白いです。私がその存在を知ったのは「全国学力テストの点数と日教組加入率の関係」が気になったときからです。昨日の記事は勉強になりました。
外国人参政権・過去の自説は「慚愧に堪えない」と長尾教授
職場では各種新聞を購入しているので、産経新聞の29日朝刊も読ませていただきました。
今朝のテレビのニュースでは、ポッポ兄が叩かれていました。
脊髄反射も何なので、講読している読売新聞に載っていた「演説の全文」を、通勤の電車の中で斜め読みしてみました。
「夢見がちな真性厨二病患者」の作文としては、かなり良くできています。そんなに間違ったコトを言ってはいないと思うんですよね。しかし、脱税で私腹を肥やしている首相の演説としては、どうなんでしょうか。「労働無き富」なんて、発言ブーメランの刺激にも飽き足らなくなったんで、言葉での割腹自殺でも図っているんでしょうか。チャレンジャーですね。
彼、東大に行ったんだか何だか知らないが、ある種の「想像力」が劇的に欠如しているとしか思えません。本当に「命を守りたい」って思うなら、過去の分の脱税した贈与税を「宇宙人ふるさと納税」で日本国に寄付すれば良いと思います。
ブリジストンの社員や、そこに非正規で雇われている人達は、ちゃんと財布が潤っているのでしょうか?
私は、「有り難い」首相を得たなぁって、今回しみじみ思いました。
月初なので、無理矢理日記執筆。書かないと「月間アーカイブ」が更新されませんので。
なお、本日の表題は『依りかからず』っていうフレーズ(?)に掛けています。(過去の咆哮)
私は twitter って、触れずにいます。タンブラーだかなんだかってヤツも、スルーしてきました。多分、これからも「ミニブログ」みたいなヤツには、手を染めないんじゃないかな? この無駄な「独白サイト」の運営で満足してます、今のところ。
頻繁に呟くためには、勤務中コツコツとパソコンやケータイに向かわなければならないでしょう。そして、私が勤務中に顔を向けるべき相手は、生徒や同僚です。確か、私は職務に専念する契約で給料貰っていますし。
私のリアルな知り合いでは、ツイッターとやらをやっているヒトを知らないっつーコトもありますね。
締めとして、昨年の作品を披露します。
立春のきな粉そこここ通勤路 おがま
GReeeeN とやらの『キセキ』って曲を修行する必要が出てきました。
この歌は、いつだったか、同僚がカラオケで歌うのを聞いたことがあり「なかなか良い歌だなぁ...」って思ったことはありました。しかし、酔っぱらって聞いていたので、「聞いた」という記憶しか残っていませんでした。
PV を最初に見たトキは「何で曲が始まるまで、1分間もドラマを見ねばならないのだ?」って疑問に思いました。さっさと曲を始めてくれ、って思いました。
本日、他のクラスのセンセイが作成した調査書原稿(保管用)のチェックに際して、上記 PV を片耳で聞きながら、ダラダラとシゴトしてました。歌詞カードを机に置いて。
よく読んでみると、とても良い歌詞です。
その後、PV の裏に流れるドラマが泣けることを知りました。真面目に見入ったら、微妙に涙ぐんでしまった。ホント、最近はカラダのソコカシコに「締まり」が無くなりつつあります。困りますね。
それだけならば、日記にすることは無いのですが、どーしても言いたいことが一つだけある。
流れ星は、上の画像みたいな感じでは流れないってコトです。ま、あのドラマの設定のように「夕刻に劇的に流星群が見える」ってコトも、あまり無いでしょう。それはとりあえず保留ってことで。
流星群は、「一点から出現するように見える」ことが多いです。その点を「放射点」と呼びます。分かりやすいように、図解してみます。
流星の元の「砂や小石」は、基本的に平行に飛んできます。というか、どちらかというと「地球が塵の中に突っ込む」のですけどね。ごく小さな存在である観測者から見ると、それらの「ごくごく小さな塵」は、ある一点から飛んでくるように見えるワケです。一点透視の動画みたいなもんですね。「ペルセウス座流星群」の場合ならば、矢印の「根元」の延長上に「ペルセウス座」が見えるっつーコトです。
あの『キセキ』の PV みたいに「一つの方向へ『向かって』流れる星」というのは、あり得ません。
地表と平行に流れ星が流れているか、地球から塵が飛び立っているなら、ああ見えるでしょう。でもそんなコトって、「流星」の性質上あり得ない。流れ星は地球に飛び込む一瞬だけ光り輝くのです。
なお、私は流れ星の「美しさ」を否定するわけではありません。
数回しか見たこと無いけど、あれは何か美しい。
「流れ星が流れる間に、3回願い事をすると叶う」ってのも、何となく信じたい。
なお、「彼女が欲しいッス」とか、「来て来て王子様ぁ」なんてフレーズを、3回繰り返すようなヒマはありません。流れ星の寿命は「およそ1秒間」だから。
「メスメスメス」とか「オスオスオス」とか「カネカネカネ」ってフレーズを日々修行しておけば、もしかすると「言い切れる」かも知れません。
流れ星を見たら、そんな下世話なフレーズなんて、思考回路に浮かび上がらないとも思いますが。
流れ星に関する日記
酔っぱらいの季節
先日、高校3年生を送り出した。5回目である。
もらった花束。
大概、花束を生徒から貰う。
今年は家に持ち帰るのが面倒だった(子供もいるし、危険そう)ので、学校の廊下に飾ってある。例年のごとく、水切り(花瓶等の水中で、植物の茎を改めて短く切ること。花が長持ちすると言われる)をして、なるべく長く生かす。
花の種類によって、徐々にしおれてくるのである。私の記憶(というか、記録)では、かすみ草は長持ちする。
上の画像は、既にいくつかの切り花が廃棄されている。
徐々に花を処分しながら、徐々に卒業した人々の記憶を格納していく。卒業生を送り出した後の、毎回のリハビリテーションである。
思えば、この3年くらい、何だかんだで「職場全体の(酒付き)送別会」に参加できていない。ま、参加できなかったものは仕方ない。
この春も「とりあえず」お別れとなってしまう教員は複数名いらっしゃる。しかし、機会があれば、またお会いすることもあると思うのです。表題のフレーズは、私と同じくらいの年齢ならば、ご存じの歌詞でありましょう。(jasrac に金払うべきなのカナ?)
この春に、私が卒論作成などでお世話になった本間久英センセイが、東京学芸大学を退官なさると聞いた。先日、その関係で研究室の先輩(同業他社)から連絡があり「会合を開くつもりなので、分かる範囲で同期などに連絡してみてください」と言われた。とりあえず、私のケータイには同じ研究室で同じく本間先生のお世話になった、同じクラスだった人物の実家と思しき電話番号が保管してあった。親御さんが同じ場所に住んでいたようで、彼の現在の住処の電話番号を教えてもらえた。
およそ20年ぶりに会話をしたわけだが、一瞬で大学当時に戻ったような気がした。「俺、○○の連絡先知らねぇんだよな。年賀状の交換くらいしようぜ。会った時に住所を教えてくれよ」って言われた。その会合で配布するため、職場と自宅の連絡先を記した名刺を、ワード使って、改めて作成した。
同じ研究室の同期(平成5年3月学部卒)は、彼の他に少なくとも3名は居たのだが、それらのヒトビトの行き先・居場所は分からない。
つーコトで、この春お別れがあったとしても、逢えるヒトはいつか逢うのだろうと思うのでした。
さよなら。
過去の関連する日記
涙についての告白
リアル日記
追悼
「お祈り」とか「さようなら」とか、別れ際のコトバに纏わるブログを読み、ホールデン・コールフィールドを思い出した。
叙々苑(リンク貼るまでも無いか...)
http://www.jojoen.co.jp/
平面上に数直線「予算」を引き、同じ平面内に予算と直交する数直線「味とサービス」を引く。 次に、焼肉屋を平面上にプロットする。なお、かんてきを点K、叙々苑を点Jとする。 すると、焼肉屋は全て「直線KJと予算軸に挟まれた領域」に入る。
簡単に言うと、私の知る狭い世界では、焼き肉屋としては上記2店舗(のチェーン)が、サービスと味で頭抜けているというコトです。
私が「食べ放題でない焼き肉屋」に初めて入ったのは、大学を卒業し、勤め始めてからです。また、昔は肉が嫌いだったってコトもあり、どっちかというと「焼肉道」では素人の部類に入るんですけど、多分。
上記「かんてき」は、私が一番多く行ったコトがある焼肉店です。今日の昼、人生数度目の「叙々苑」に行ったので、前から思っていたことを日記にしてみました。
そもそも twitter、自分にはあんまり関係ないと思っていました。
職場(?)が「公式に呟く」コトになったらしいのですね。
果たして、どれだけの「費用対効果」があるのか。それは、多分誰にも分かりません。大体、教員は「残業」って概念が無いし...。
なにしろ、上記「呟き」の「フォロワー」が知りたいと思い、ユーザー登録を行ったのであります。で、twitter の使い方を現在修行中。
「何でサイト(ariori.com)作成しているの?」って自問自答は、10年以上前から繰り返しています。何で、無駄に駄文作成しているのか、その理由は自分でもよく分かりません。
ま、なんつーか、一種のストレス解消なのでしょうね。楽しさはあるのです。じゃなければ、続かない。
もし、この腐れサイトへのアクセスが一切無かったら、更新もしないでしょうね。それは、ほぼ間違いない。
私は「修学旅行報告のリアルタイム更新」みたいなヤツは、「行うべきではない」って思っています。
そんな時間があるなら、生徒の面倒を見るか、睡眠を取って体力を温存すべきです。ずいぶん前、職場の先輩とも議論しました。結局、現状、私の職場は結構盛んに情報発信しています。
教員は「どこまでが業務で、どこからが趣味か」ってコト、かなり分かりづらいです。上記作業(twitterの更新や、リモートでの公式サイト更新)も、シゴトした気にはなるでしょう。しかし、それは「優先すべきシゴト」なのでしょうか。ま、誰にも分かりませんけどね。
昨今、「高体連の会議」みたいなヤツは、「出張扱いにならない」って場面が増えつつあるようです。都立校も、私の職場も。
部活動の顧問、それは重要な仕事なのか、それほどでもないのか...?
私は幸いにして、学生時代に「熱血部活動顧問」に遭遇しなかった。そして、今の私がある。
過去の関連する日記
愚痴(2003年6月)
「高大接続テスト」とやらについて、一席(2010年2月)
私は、今も一応「ソフトボール部顧問」だ。
現在、勤務先で私と一緒に顧問をなさっている方(♀)は、元「対戦相手」である。昔のスコアブックに、彼女の名前が残っている。
そのスコアブックを書いたのは、私の先輩(♂)である。
勤務先のソフト部の主顧問は、♂→私→♀ って感じで、世代交代している。
♂の前には大ボス(♂) : 末尾数行参照くださいもいらっしゃった。
で、♂。
劇的に酒飲みだったのだ。
「強いか弱いか」で二分すれば、まぁ強いのだろう。しかし、なにしろ飲み過ぎであった。
職場の近くに、カウンターのみの居酒屋『酒田』がある。
ここ数年、訪れていないのですが、10数年前は相当な頻度で通っていました。
で、私が♂と酒田に行くと、「とりあえずビール」なワケです。で、そのうちにキープされている「いいちこ」に移行するのですね。
店長(ナベさん)が尋ねます「何(で割る)?」。
♂曰く「んー... じゃ、今日は梅干しで」
「今日は」って言うから「レモンか?」って思うのですが、毎回梅干し。大体、火・木・土曜日に、酒田に行っていましたね。(←伏線)
♂は、学年主任でした。
あるとき、♂・私・彼の学年に居る酔っぱらい「N」、3人で「酒田」に行きました。
店長(ナベさん)が尋ねます「何?」。
♂曰く「んー ・・・ じゃ、今日はレモンで」
私「おー。珍しいですね、レモン」
酔っぱらいN「えー? 珍しくないよ。俺はいつもレモンだよ」
私「え、そうですか? 私はいつも梅干しですよ」
結局、その後分かったのは、月・水・金は「レモン&N」の日であり、火・木・土は「梅干し&私」の日であったというコト。
そんな♂も、還暦を迎えられました、今年の3月。
職場を出て約20m、某「チェーンアパート」のゴミ置き場に、「ファミコンディスクシステム」の箱が置いてあった。(黄色いヤツ)
もしかすると、同じ箱は私の自宅にあるかも知れない。しかし、とっくに無いかも知れない。10年以上前、妹たちに託したハズなので。
ゴミ捨て場の「そいつ」をケータイで撮影しようかと思った。日記にするために。
5mほど惰性で進み、立ち止まって逡巡し(撮影しようか、止めようか。もし、中身が入っていたらば、お宝だ。動作するなら更にお宝だ。中野の「まんだらけ」で売れるかも... でも、職場の近くでゴミ捨て場を撮影する輩って、どうなの...?)、結局撮影せずに帰宅した。
アルミの空き缶や漫画雑誌より、「ファミコンディスクシステム」の方が高価だろうと思う。それなりの店に持って行けば。
もう今後、「ファミコンディスクシステム」の箱なんて、見ないだろうと思う。大体、過去15年間、通勤途上でそんなゴミ見たことない。
いま、職場には「実習生」が来ています。
今から約20年前、私も「教育実習」を合計8週間行いました。ってか、行かせていただきました。
最初の実習は、学芸大学附属世田谷小学校でした。大学3年の10月頃、小学4年生のクラスにお邪魔しました。そのクラスの担任は中村享史(ナカムラタカシ)先生でした。
その3週間の実習「世田谷小学校・後期」には、東京学芸大学から総勢数十名の「教員見習い」が実習に行ったハズです。正式名称は「教育実地研究」だったかなぁ...。
平成元年入学の「A類(=小学校)理科」は約100名存在し、「秋休み」期間である3年次の秋、4つの附属小学校に「前期・後期」で「研究」に行きました。その3週間の実習期間中に、教科(国・数・理・社...)毎に1名が「研究授業」を行うってコトになっていました。
なお、受け入れ側である「『コクリツの小学校』に通学する児童」は秋だけで合計6週間も「試験台」になっていたのです。大変だ。
で、実習も後半、理科のメンツ10名前後で相談をしました。「誰が『研究授業』やる?」って。結果、成り行きで私が「研究授業」を担当することになったのです。微妙に責任感がある人物なのかも知れません、私は。
高校の部活動も、大学のサークルも、代表者でしたっけ、やはり「成り行き」で。 Let it be.
その「小学4年生の2学期」半ば、理科で扱うのは「空気と水」みたいな範囲でした。「空気は体積が変わるが、水は体積が変化しない」を伝えるのがメイン。
なお、厳密に言うと、液体である水も、圧力によって体積が変化するらしいです。確かめたことはありません。小学校、というか「一般常識」レベルで理解すべき事項は、前述の通り「空気は縮むが、水は縮まない」です。
記すのが疲れてきたッス。
続きは次回に。
中村享史先生に関わる日記
私の好きな歌手(2001年6月)
中教審と再生会議(2007年4月)
前回の続きです。
実家に帰れば、その「研究授業指導案」は保管してあるような気はします。
何しろ、私は私なりに「研究授業」を頑張りました。
その日の午後、研究授業の協議会がありました。
とある先生は、以下のようなことを仰いました。
私は、最初に空気鉄砲で遊ばせます。次に、水鉄砲で遊ばせます。その後、空気鉄砲に水を入れさせます。
↓断面イメージ
生徒を横一列に並べ、競争させる状態にし、『せーの』で鉄砲を使わせます。
上図の状態だと、どれだけ力を込めて水鉄砲の後ろのタマを押しても、前にある「飛ぶべきタマ」は足下にボテッっと落ちます。
生徒は「???」と思うのでしょう。
そこから、その先生は「空気は縮むが、水は縮まない」という説明をするのだそうです。
私は、「その展開、いただきー」って思いました。
しかし、その授業を行うコトはありませんでしたとさ。小学校で働いたこと無いから。
何しろ、「素人の私」は研究授業を経験することにより、「授業をうまく行うには、何よりも『経験』が重要そうだなぁ」って思ったのでした。
つーコトで、全国の実習生よ、頑張ってくださいな。
関連する過去の日記
教職志望とノストラダムス
そして恩師木村清志先生
関連する駄文
10年間の教員生活をふりかえって考えること
1990年代、私が専任として就職して1年目か2年目のハナシ。
ある朝、前校長が職員室に「変な機器(「電気分解 水質 検査」の画像ググリンク 電極があるヤツに似てる)とコップに入った汚い水および綺麗(?)な水」を展示してた。加えて「この学校の水道水はこんなに汚いのです」って書いた紙を置いてた。かなりの達筆で。
その機器、電極は鉄とアルミで、流れるのは交流の 100V だった。やたら単純な製品だ。
水道水には少なからず電気伝導性がある。カルシウムイオンやナトリウムイオンが溶けているから。電導性のある水に電流が流れれば、電極が溶け出す。鉄やアルミの酸化物で、赤茶色い浮遊物が生じる。
前校長の筆からすると、「怪しい機械からアルミや鉄が溶け出している」っていう認識は無い様子だった。
私はその非科学っぷりに驚愕し、怒りを憶えた。そこで、校長が置いた紙の横に、私の見解(水道水に電流が流れない方がおかしい・水道水の「ゴミ」は電極由来だ・「ゴミ」が出ない綺麗な水は単なる蒸留水だ)を記した紙を貼った。翌日かその翌日あたりに、機器と校長の手書きのメッセージは職員室から消えた。
彼と私の年齢は確実に四捨五入で50歳は離れていたのだが、嘘を見逃すわけにはいかない。私は理科教員だし。
もちろん、水道水の電気伝導性が高すぎるならば問題である。金属か何かが溶け込み過ぎってコトになる。その場合は飲み水に適さないだろう。
前校長は、何であんな行動に出たのだろう。
何故、私はそんな出来事を思い出したのだっけ?
数日前のニュースか何かを見て、この出来事を思い出したような気が。元のニュースは忘れた。
私の知り合いに、4歳の娘さんと1歳の息子さんを持つヒトが居る。
娘さん曰く
弟なんて、いなければ良かった。
私は、お姉さんが欲しかった。
私のお姉さんだったら、きっと私に優しくしてくれるはず。
凄い。
4歳にして仮定法を操るコドモ。
もろに蛇足になっちゃうけど、私は2歳になる前に、遊びに出た先(動物園?)で以下のような発言をしたと聞いた。周囲の他人がビビッたらしい。
何だか僕、気持ちが悪くなっちゃったみたい。
自分を客観視できた(?)1歳児は、ありふれた四十前のオッサンになりました。
めでたしめでたし。
およそ2ヶ月間ほど、BIRKENSTOCK のサンダルを探していた。俗に言う「ビルケンサン」ですね。ビルケンシュトックはドイツの会社だから、ビルケンストックではなく、ビルケンシュトックが正しい読み方なのである。
昨年夏に、2代目のビルケンサンを買ったはずなのだが、いつの間にか見あたらなくなっていたのである。
私はアディダスなどの運動靴だと 28cm を買う。リーガルなどの革靴ならば 27cm じゃなきゃ、足が入らない。「馬鹿の大足」ってヤツなのであろう。なお、身長は 177cm 弱で、加齢により絶賛漸減中である。
暑さが増す日々、地道にサンダルを探し続けた。現在の住居を、実家の靴箱を。
しかし、サンダルは見あたらなかった。
そして、思い出した。親戚のおじさんにあげてしまったことを(-_-;)
おじさんも体が結構デカいので、ちょうど良いサンダルが無かったようだ。昨年の秋、サンダルを貸したら気に入ったみたいだったので、そのままプレゼントしてしまったのだった。
すっかり忘れていたが、数日前にすっかり思い出した。さっぱりした。
で、新しいサンダルを買ってきた。
ビーチサンダル型のヤツ。下にあるのは右足「鼻緒」の裏側の画像。
非常に残念な感じのするシールだ。
「防水型」サンダルなんてあるのだろうか...。
普通の革靴と共通だって云うことは分かってはおります。「貼らない」って選択や、「別のシールを作る」あるいは、「シールの下半分を切り落として貼る」って選択は無かったのだろうか...。
地球の半径は約6400km、雲が出る高さ(対流圏)は最高で約10km。
大気の層なんて、地球全体の大きさから見れば、非常に薄っぺらなハズなのです。しかし、ずいぶんと空は高く見えます。
地球のデカさをしみじみ思います。
昨年度はホームルームも担当している授業の教室も、校舎の1階でした。職員室も1階。
本年度は、ホームルームは5階の教室だし、授業も半分以上は4階の教室。空がよく見えます。
加えて、昨年度は「情報科」の授業だけだったけど、今年は「理科」だけ。1学期は高2「理科総合B」で、天文学や惑星科学を中心に授業をしたので、地球の外層やその外に意識が行くと云うこともあるのでしょう。
そういえば、この1週間くらいの間に、阿佐ヶ谷駅の北西に「派手な電飾の看板」が出現してました。不動産屋のヤツだったかな。
早い時間に学校を出られた場合、阿佐ヶ谷駅から夕焼けの空を見て和むのが好きだったのです。品のない風景になってしまい、だいぶ残念。
私が全然理解できない行動。
- Web ページを紙に印刷
- それを見ながら、Excel の表に「手打ち」で入力
さすがに60歳前後の方には、パソコンの使い方について、同じ事を二度三度伝えることもある。しかし、その方はそういう年齢レベルではない。多分「好きでやっている」のでしょう。
今後は彼が「忙しい」と言っていても、基本的に手助けするのは止めることにしました。
私が少しは理解できる言動は以下の通り。
- 「これをスキャンして Excel の表にできないか?」と「紙に印刷された Excel の表」を提示
「OCR ソフトでの画像取り込み・テキストデータ化」と「スキャナーでの画像ファイル作成」の区別が付かないのでしょうね、一応何度か説明させていただいたのですが。
ま、私も同じ道を辿ってきました(そしてその区間は一気に駆け抜けた)から、同僚には可能な範囲で優しく接しているつもりではあります。生産性向上のために。
今でも職場では「俺は Excel を使えないんだよね」って公言される方がいます。分かります。「Excel を使いたいんだ」ってコトは。
今年の春、職場での最後の「書院ユーザー」2名が定年退職なさいました。
彼らは「パソコンはどうも使えない」っておっしゃってました。絶対的に必要な場面では、使われていましたが。
私より年齢がちょっと上の「Excel を使いたいけど使えない方々」、一念奮起して使い始めれば良いのに、って思います。
過去の関連する日記
人の振り見て...(2003年4月)
私は「流行りもの」ってのには、なるべく関わらないようにしているつもりです。
「スーパースター」のジャージも着なかった(買ってもらえなかった)し、中学くらいまではナイキもアシックスも履いたことがなかった。大学でのテニスサークルなんて、入ろうとも思わなかった。Windows7 もまだ導入していない(ケチなだけ)。
で、時代は流れてベビーカー。
マクラーレンってヤツがあるじゃないですか。ってか、あるんですよ。
数年前から、「猫も杓子もマクラーレン」「マクラーレンにあらねばベビーカーにあらず」って気配が漂っているような気がして、何となく嫌な感じがしていました。
日本人って、ホント流行りものに弱いよなぁ... って、「上から目線」で心の中で毒づいていました。
しかぁし。
あれは「そこら辺のベビーカー」とは違いますね。押して分かりました。剛性が高い。
ま、その「特長」については、「イクメン(何じゃ、そりゃ)」ってフレーズが出るずっと前に、新聞記事では読んだことがありました。
我が子のベビーカー(ストローラー)としては2台目(2代目)として購入したのですが。良いです。
チナミに、1台目は対面型にもなるヤツでした。
本年度の尿酸値は8.5でした。
可もなく不可もなく。
ただし、「人並み」よりも相当に高い数値であるのは確かなようです。
逆に「人並み」よりも低くなりがちなのが「白血球数」です。2年に1回くらいは「少なすぎ」って言われます。今回は正常?の範囲内でした。
腹囲測定って、私にとってはプレッシャーですね。
昨年度は84cm超でした。ぎりぎりセーフ。
本年度は81cm台でした。
最初は「腹囲測定(結果による健保への罰則という締め付け)なんて下らない」って思いましたが、一労働者として「メジャー」は胸囲です。じゃなくて脅威です。
「メタボ健診結果が悪かった」からどうのこうの、ってニュースは聞かないですねぇ。もっと先の年度からのハナシだったかな?
関係ないけど「個人情報漏洩で賠償訴訟が云々」ってハナシも聞かない。
ま、世の中「それどころ」じゃないってコトでしょうね。
世界の片隅、私は地味に酒量を調整しようと思います。
昨日の夕方、池袋駅で途中下車したら、地下で蝉がモガイていた。
虫の類が屋内に入り込むのを見ることは度々あるが、蝉が地下に入り込んでいるのは初めて見た気がする。
何か一句ひねり出そうとしたが、「蝉」自体が季語なのだろうと思い、そこに「盆」という語を加えたらば、季語が重なって拙いのだろうなぁ... って考えているうちに、高校時代の部活の同窓会場へたどり着いてしまった。
で、今朝歩きながら作った一句。
土禁車を駆る彼 机はゴミの山
全然季節感がない。ってか、川柳だけど。
校内サーバーの置き換えを業者にお願いしているので出勤している私は、サーバー内のゴミ画像の整理を続けることにします。
先日、ソフトボール部の引率で昭島へ行ってきた。多摩川の河川敷だ。
昼過ぎから雲行きが怪しくなり、雷が鳴りだした。
雷が落ちている(私達から100m程しか離れていない高木にも落ちた)間は、雨はそれほど酷くなかった。
その後、立川方面はしばらく大雨になった。
バスに乗りたくなかった私は、雨の中30分ほどかけ、最寄りのJRの駅へ向かった。
傘は後から使用したものの、(下着の)パンツまでずぶ濡れだった。エナメルバッグの中まで浸水していた。
とりあえず、駅のトイレで着替えた。
半袖のシャツ(ポリエステル100%)は替えが無かった。そのまま着続けた。
中央線に乗った。弱冷房車を選んで。
しばらくすると、隣の座席に見知らぬ老女(七十絡みに見えた)が現れた。
私だけに向かって、開口一番「この車両はあまり涼しくないわねぇ」
私「そうですね。弱冷房車ですから(ドア上を指さしながら)」
知らないばあさんと喋るなんて、自分が太宰治と同化しつつあるように感じた。
その後、国分寺駅で
ばあさん「上りの電車は混んでいるわねぇ」
私「はぁ」
その後、新宿に近くなって(私は早朝からの出張で居眠りしていた)
ばあさん「あなたも降りるんじゃないの?」
私「いいえ」
ばあさん「あなたは学生さん?」
無言でクビを横に振る。
ばあさん「起こしちゃってごめんなさいね」
無言でうなずく。
あれほど初対面で「絡んで」くる素面のヒトには初めて遭遇した。
最後は嫌悪感だけしか残らなかった。
後で、私が感じた嫌悪感の原因に気付いた。
それは「弱冷房車の存在を知らないはずのない老女が、『強』冷房車を所望していて、それをネタ(?)に話しかけてきた」というコト。
私にしては珍しく「弱冷房車」に「意図的」に乗っていたことも、嫌悪感が増幅された理由に挙げられる。
『中国行きのスロウ・ボート』を思い出すのである。村上春樹のうすら悲しい短編だ。
昨日は「首都圏模試センター」の主催する小学生向けの模擬テストが行われ、本校も会場として使用された。
試験前は、それなりに念入りに掃除を行う。少なくとも、机の中と机の上は綺麗にしておく。放課後の教室で掃除をしていると、上記短編を思い出すときがある。私自身は、中華学校に足を踏み入れたことはない。
この短編には、山手線の駒込駅も出てくる。
今でこそ、駒込駅(や巣鴨駅)はだいぶ構造が変わってしまったが、数年前までは無骨な駅舎とホームだった。
今でも通勤では駒込駅を通過する。幸いにして、ホーム自体は変化したように見えない。あのツツジの土手の前、若かりし頃の村上春樹氏と中国籍の女性が佇んだ時間があったのだろう。
あの短編を最初に読んだ時には、まさか私自身が中国という国に何度も足を運ぶようになるなんて、思いもしなかった。
村上春樹氏は「中国には行かないだろう」って書いていたが、ネット上で検索してみたところ、少なくとも1回は中国へ足を運んだ様子。
この春に、デジタル一眼を買った。
デジタル一眼を買うきっかけは、子供であった。
自分の子と数ヶ月違いのお子さんがあるお宅におじゃました際、写真も撮って頂いた。カメラはニコンの D80 だった。
その画像のシャープさとボケ具合に、配偶者が感動した。「一眼を買う」と決めたのは彼女だ。彼女に言わせると、私よりも彼女の方が写真が撮るのが上手いそうだ。特に否定はしないm(_ _)m
買ったのは D90 である。新宿の小田急ハルク内にあるビックカメラで買った。
長くて重いズームレンズは不要かと思っていたが、店員さんの「運動会などでは...」に納得し、200mm までズームが効くセットモデルを買った。
で、マニュアルを読んでいる。まだ持ち歩いている。
数ヶ月経過。
その途中、知り合いが記した「マニュアル論(?)」を読む。彼の文章は面白い。私ももっと精進しようと思う。
この夏に、初めて車を買った。
今までは、実家の車を借りるか、レンタカーを使用していた。
カメラに比較すると、車のマニュアルの方がサラサラ読めた。
私の中で、車については「それなりに」知識が蓄積されているのだろう。また、マニュアル自体が「素人向け」にできているのだろう。
しかしそもそも、車のマニュアルなんて、今回初めて読んだ。
実家の車のマニュアルは読んだこと無い。
マニュアル読まなくても車を運転できるようにしてくれる「自動車教習所」って、凄いような気もしてきた。
私が職場で作成した「成績入力などのためのマニュアル」は、もっと改善できそうな気がしてます。
オチはありませんm(_ _)m
Suica のチャージ残額が今朝 8,888円になった。意図したものでは無い。過去、777円になったことはあった気がする。
せっかくだから、その自動改札上の「ゾロ目」を帰宅途上にケータイで撮影しようかと考えた。電車内ではケータイの「接写モード」を確認したりしたのだが、手に持っていた荷物が多く、改札周辺が空いていたわけではなかったので、本日の撮影は断念した。
8888は世の中で好まれる数字であるようだ。香港の富豪邸宅のカーポートに8888のナンバープレートを見たことがある。日本でも8888は「カタギの者は持たないナンバー」として認知されていると思う。
職場に、「超ステキ」な語呂合わせの携帯番号をお持ちの先輩がいらっしゃる。本当にステキであり、その「語呂?」を記してしまうと、もろに携帯番号になる。したがって、ここには記せない。残念である。
その先輩は漢なので、ケータイメールも初期設定の「番号@ドコモ」のままなのである。
語呂と言えば「語呂いい」というメルアドを持っていた友人がいる。ってか、今改めて検索してみたら、放置?されたサイトを発見した。
「語呂いい」なんて、すげーセンスだと思った。「無限ループ・循環小数」的な世界だ。
で、語呂とはあんまり関係無いのだけど、日記に記したかったコトがある。
この間お知らせしたとおり、私は車を買ったのである。手頃な駐車場もたまたま発見され、嬉しく思っていた。空いている場所の最寄りが白のベンツだってことは分かっていた。
後日、車庫登録のため、その駐車場をよくよく観察してみた。
白ベンツには「なにわ」という見慣れない文字列が存在していた。
そんな冗談みたいな展開は、「ちびまる子ちゃん」の中だけだと思っていた。
以前、長年の疑問を家庭科の教員にぶつけてみた。
「先生って、普段自宅とかで料理するとき、調味料を匙で計ったりするんですか?」
「しないわよ」
「でも、家庭科の調理実習ではいちいち計量しますよねぇ?」
「そうよ。生徒に料理させるときは、調味料をきちんと計らないと、食べられないものができあがるから(笑)」
確かに、2時間かけて「食べられないもの」を作っても、意味はない。
料理は慣れてくれば、途中で味見しなくても作れるようになっていく。
最近、「土間土間」というチェーン居酒屋によく行く。
配偶者に勧められて「カルボナーラきしめん」というヤツを初めて食べたとき、結構衝撃を受けた。しかし、二度三度と食べるうちに、インパクトが薄れてきた。
配偶者曰く「この店で最初に食べたときは、もっと酢が効いていて、美味だった」と。そう言われれば、そんな気がしないでもない。
料理は奥が深い。
日記をあまりに更新しないと、どことなく落ち着かなくなってくる。
そして、更新しないと、微妙に「ページビュー(PV)数」が低下するのも確かなのだ。
しかしPV数が低下しても、日常生活に影響は無いのだ。
ってか、日記を記す暇が無い方が、ヒト、あるいは職業人として正しい気もするのである。
と、云うことで、強迫観念の部分開放を終了する。
表題で全てを言い切ってはいるのですが、補足します。
私は、高校時代、「物質量」で挫折しかけました。だからこそ、こんな文書も作成しています。
世の中のナニゴトでも、ある程度は同じだと思うのですが、理解してしまえば「簡単な話」なのです、おそらくは。ただ、とても理解するのが難しいのも確かだと思います、物質量すなわち mol は。
私は、高校時代、「組み換え」を理解しないまま過ごしました。
現在の職場で生物を担当することにより、初めて(教科書のレベルの内容を)理解しました。
明日、その範囲の試験が「オシエゴ」に課されます。ちょっと早く職場に行き、もしかすると居るかもしれない「私の出勤を待つ生徒」に対応しようかなぁ... って思いながら、ダラダラしています。
地学で山場的なものと言えば「地質図の読図」かと思います。
あれも慣れればそれほど難しいものではありません、多分。
で、ここまで書いてしみじみ思い返しました。
「物質量」の測定も、「組み換え価」の実測も、「地質図」の作成も、全然楽じゃないのですよね、実際に行うならば。
特にオチは無いまま、駄文を終了します。
良い期末試験を。
この数ヶ月間のことなのだけれど、内田樹(うちだたつる)という方の名前を覚えた。面白い文章を書かれる方であることを知り。
本年度から職場の図書館が本格的になった。今まで何だったのかは秘密だ。
「内田樹」って名前と「9条」って文句が書いてある書籍が「小論文対策の本シリーズ」に置いてあるのを発見したのは2学期に入ってからだ。多分、私の前世は葱、あるいは鴨だったのだろう、「九条」は昔から気になって仕方がないのだ。
授業の合間の休み時間、職員室に戻るのが面倒なときなどに、その本をパラパラ捲ってみた。なかなか面白そうだった。
手元の「読んでない本」の消化が一段落したので、昨日図書館から借りてみた。
私は「(消極的)護憲論者」に再転向することにした。今、二度目を読み直しているところ。
内田氏による本の紹介ページ
内田樹の研究室: 『九条どうでしょう』プレミアム試写会
とりあえず、今後私は、天皇家を尊び、自衛隊の方々を尊び、国旗国歌を大事にして、日本国憲法の高邁な理想を忘れずにいる予定。
過去の関連する日記
憲法改正について(2005年10月)
憲法記念日に寄せて(2007年5月)
憲法記念日に寄せて2010(2010年5月)
中央・総武線が遅れております」って、確かにあの朝、山手線の車掌は言ってました。
携帯マナーで大げんか、通勤7万人大迷惑2010.12.8 05:05
携帯電話をめぐる大げんかで7万人が大迷惑-。7日午前6時40分ごろ、津田沼発三鷹行きのJR総武線車内で、携帯電話のマナーを巡り、男性会社員2人が口論。しまいには電車の非常停止スイッチが押され、遅延や運休など、通勤・通学客約7万人の足が乱れるトラブルが発生した。注意された男性が逆ギレして騒ぎが拡大したもようだが、JR東日本千葉支社では2人に損害賠償も検討するという。
(以下略)http://www.sanspo.com/shakai/news/101208/sha1012080506009-n1.htmより
すごく「私たちのせいじゃありませんよぉ」っていうメッセージ性を感じました。だから、覚えている。そう言えば「市川駅でのお客様同士のトラブルにより」って、その場所も明言してた記憶が蘇ってきた。
まあ確かに、混んでいる電車はいろいろムカつくこともあろう。私が少し不気味に思うのは、電車に乗った瞬間から怒っているオッサンである。怒ってガラス扉を殴ったりしている。年に1回程度は見るような気がする。
乗った瞬間から怒ってる女性って、あまり見たこと無い。
「数万人を巻き込む喧嘩」なんて、凄いですねぇ。
と、Movabletype バージョンアップ後のテスト投稿を兼ねて。
過去の関連する日記
一時運休に思う(2006年3月)
余計な一言(2008年5月)
だいぶオッサンになって気づいたのは「年賀状を12月中に作成・投函するのはおかしいだろう」というコトだ。
大事なヒトには、年末か年始に会いに行くべきなのかもしれない。それが叶わないから、賀状を送るって風習が生まれたのだろう。しかし大体、地球はずっと回っている。区切っているのはヒトの勝手である。
少なくとも、職場の方々に賀状を送る必要は、あんまり無いよなぁ... って思いながら、作成完了。
「年賀状は○○日までに投函してください」ってのは、単なる郵便局のエゴだと気づいたのは10年くらい前。
しかし、もっと昔(昭和の頃)は「元日に届けるためのデッドライン」が早かった気がする。
真面目な私は、きちんと賀状を作っちまった、今年も。
謹賀新年。
2010年における日記の「ページビュー Best10」をお送りします。Google 様による集計です。
第1位 6月2日
中学理科2分野の「唾液」を用いた酵素の実験は、綿球使うと楽じゃね?
「へぇー」って感じです。
ま、私の日記にしては、かなり有益な情報が記してあるのは確かかも知れません。ニッチですけどね。
第2位 3月17日
日本市場から撤退しつつある NOKIA に、尻の毛まで抜かれそうになる。
買ったジョイスティック、1ヶ月もしないうちに、頭部が行方不明になりました。多分、実家の車の中に今も落ちているんだろうなぁ...
頭部が取れ、私にとっては使い勝手が良くなりました。突起が若干減った。ってか、出っ張ってるからモゲて落ちて、どこかに行っちゃったんだけどね...
第3位 2月3日
「高大接続テスト」とやらについて、一席
そんな真面目なエントリも作成しましたっけ。
私の言っていることは、とても正しいと思うのです。昨年末から売れていた「ラー油」の話を混ぜるあたりが、私らしさなんじゃないかと思ったりします。いかがかしら?
「真面目なことを書くほどに、文体や構成がクダけていく」ってのは「いつの間にか」です。これはもう変わらないだろうな。
第4位 5月6日
書評『"不機嫌な"太陽 -気候変動のもうひとつのシナリオ』
第5位 3月26日
渡邉康弘センセイと縣秀彦センセイと私
第6位 5月13日
暗いところで本などを読んだりしても、多分目は悪くならない。
第7位 2月25日
『キセキ』PV の流星群について
第8位 2月10日
教員の資質
第9位 10月15日
ピンキリ -カエルの解剖から-
第10位 7月1日
「社会を明るくする運動」で社会は明るくなるのか
なお昨年1年間、当サイトで最もページビューが多かったのは、
2007年12月20日
冬の自由研究(リンゴの変色について) -"知恵ぶくらー"を嗤う-
でした。
実に、総ページビューの 8% を稼いでいます(2009年は9%だった)。また、平均ページ滞在時間も5分弱(2009年も同様)と、劇的に長い。
では、本年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m