駄文2 の日記群

虚しさからの旅立ち

そもそも MovableType を導入したのは、日記をある程度整理したかったからだ。
しかしそもそも、私の日記は"TAWAGOTO"でしかないものが多い。そういった文章は「駄文」というカテゴリに放り込んできた。しかし「駄文」も肥大に肥大を続けていた。多分、当腐れサイトでは、一番文字量が多いページになっているハズ。

いつ、新しいカテゴリに移行しようかと、ここ2,3年くらいタイミングを伺っていた。
ぞろ目で"666"あたりにすると、不穏な感じで良いかとも思ったが、無理に不穏にすることもないので、止めておいた。

気づけば、駄文は「674個」溜まっていた。「ムナシ」である。
ちょうど良いので、新しいカテゴリを作ることにした。

卒業式だった

今日は職場の高校卒業式だった。
1年次だけホームルームを担当した学年で、当時私は全8クラスに「情報Aという何か」を授けたのだ。

卒業式では「泣きすぎる元生徒会長」が今日もズブズブだったのに笑ったが、それを見て思わずもらい泣きをしそうになった。元生徒会長を含め、中2だった5年前から顔見知りの生徒も混じっているので、ちょっと感慨深かった。

毎年思うのは、「あの動物的だったヤツらが、よくもここまでヒトになるものだよなぁ」というコトである。
しかし、「高校卒業」の18歳となった時点でも、十分野性味を放つ輩も生き残ってはいる。
ただししかし、最初から「ヒト」として入学してくる生徒が大半ではある。一応補足。

生徒は「手間がかからない」方が、担任や教科担当として有り難いのは確かだ。しかし、手間がかかったヤツらの方が、印象に残る。ま、昔からいろんなヒト(親?)が言っていることでしょうけどね。

原発がらみの駄文まとめ

年間労働時間ログ

2010年度 2696時間35分 (高1担任)
2009年度 2581時間25分 (高3担任)
2008年度 2626時間15分 (高1担任)
2007年度 2881時間05分 (高3担任)
2006年度 2816時間20分 (高2担任)

記録として。
私は基本的に職場以外では仕事をしません。
年間の残業は1000時間を超えているわけだから、何かあれば労災が適用されるのでしょう。

検索キーワードおよそなう

Google 様によると、当腐れサイトへの客が用いた「3月1日から現在までのキーワード上位10コ」は以下の通り。

1.原子炉
2.チェレンコフ光
3.核分裂
4.臨界 青い光
5.原子炉 写真
6.チェレンコフ
7.ウラン235
8.回路図 記号
9.西日暮里 本屋
10.チェレンコフの光

画像経由が多いようです。
世相?を反映しております。

原子力と私

そもそも「ノストラダムスの大予言」も信じた私ですから、「核燃料サイクル」はもっと本気で信じていました。
現在みたいな「ちゃち」なヤツではなく、高速増殖炉をメインに据えた「当初の核燃料サイクル」です。

しかし、理科や歴史(第二次世界大戦と原爆など)を勉強するにつれ、「原子力って安全なのか?」という真っ当な疑問を抱くことになったのでした。その後、書店で目についた文庫本の『東京に原発を(広瀬隆)』を読んだりして、憤ったりすることもありました。

教員になってしばらく経った1990年代半ば、「東京私立中学高等学校協会」の主催する「東海第二原発見学会」に参加しました。「もんじゅのナトリウム火災」とほぼ同時期なのだろうと思います。
『百聞は一見にしかず』実物を見ないで生徒に「エネルギー問題」を語れるはずもない。
基本的には「恐怖心」があったのだろうと思います。今も原子力に対しては恐怖心を持っています。怖いからこそ、学習する必要を感じたのだと思います、今思えば。
その際、一番衝撃を受けたのは「こんこんと流れ出る温排水(GoogleMapへ)」でした。あれほど大量に水が流れるサマは見たことがなかった。原発は相当に熱が出るものなのだと認識しました。

数年後、JCOの臨界事故が起きました。
バケツでウランを扱っているということに衝撃を受けました。「臨界」すら知らないヒトがウランを扱っているという産業構造(?)に衝撃を受けました。その前後に「ウランの濃縮はガス化したもの(6フッ化ウラン)を遠心分離することによって可能になる」ということを知り、新たな衝撃を受けました。超重元素を気化するなんて、すごい技術と熱意だと思ったわけです。
ごく最近、大内久さんと篠原理人さんの画像がネット上にあることを知りました。

更に数年後、「平成17年度原子力体験セミナー【産業コース】」に参加しました。(その記録へ)
一番衝撃を受けたのは廃炉となった「初代JRR-3」の様子でした。巨大なプールに入り、「ただ冷やされているだけ」だったから。
その際に使用した「放射線量検知器」を「ハンドフットモニタ」と呼ぶこと、ごく最近知りました。

その2年後、「平成19年度原子力体験セミナー【上級理科コース】」にも参加しました。(その記録へ)

何度も自主的に学習することにより、恐怖心は減ったようにも思えます。巷の理科教員よりは、原子力に詳しいのだろうと思います。


最後に私のつぶやきを。

3月23日作成
私がさっき飲んだ東京の水道水は、今あなたが飲んでいるアルコールよりも安全なことは間違いない。

4月21日作成
福島からの転入生は、目の前のタバコを吸う大人よりも安全だ。

信頼できそうな人

私は、菊池誠氏をかなり信頼している。
学校の放射線量についての「暫定的考えかた」について考えた(追記あり) (4/25の記事)

信頼しているから、示されたソース(リンク先)をクリックすることはあまりない。

同じく私が信頼するNATROM氏は、嫌いな人がいるらしい。
武田邦彦氏の過去の発言を検証してみる - NATROMの日記 (4/15の記事)

でも、私は(日本のリサイクルを糾弾していた)武田邦彦氏を嫌いにはなり切れない。
武田邦彦 (中部大学): 原発 緊急情報(61) 数値は一つ! 医療、職業、一般 (4/23の記事)

学級運営方針

今まで、持ったことありません。

当然ながら、披露したこと無いです。
しかし、その点について、保護者からツッコミはありません、十数年来。

そもそも、自分が生まれたこと自体、自分が希望したワケじゃありません。
あなたもそうでしょう。
自身の「生命運営方針」すら見当たらないのだから、それより細かい方針なんて立てようが無い、ハズ。
とりあえず、誠意は尽くします、可能な限り。

その誠意(という概念)は何処から来ているのか?

暫定的には「宗教」って存在が担っているのだろうとは思います。
無神論者の私は「宗教」を生まざるを得なかったホモサピエンス一般に同情します。

メッセージの無い教師でございます。

「はてな匿名ダイアリー」より

「魚 生食 基準」で Google 様を使用させていただいた。検索結果の発端となっていたのは、以下の文章だった。

http://anond.hatelabo.jp/20110505134951

元々肉に生食用も加熱用もなくそれぞれの判断で普通に生で食べられていた。
平成10年に基準ができたら生食用に適合する肉は存在しなくなった。

これってどう考えても基準が非現実的で無茶苦茶ってことだと思うんだけど。


気に入った返答がこれ。
http://anond.hatelabo.jp/20110505135948

それを言い出すと労働基準法とか憲法9条とかもそうなんじゃないか。


確かになー。

なお、私は護憲論者に再転向しました。
労働基準法も遵守したいなぁ...


過去の関連する日記
『9条どうでしょう』読んで(2010年12月)

What's 琴線

一回聞いただけで、もう一度聞きたくなる音楽があったりする。
その「繰り返し聞きたくなる感覚」は私だけの話で、他の人には「何でもない、ありふれた音楽」だったりするのだろう。

ともあれ、このあいだ「何故か凄く印象に残った音楽」があったので、過去を振り返って「衝撃を受けた音楽ベスト3」を並べてみる。下の方が「エラい曲(?)」ね。

KEN ISHII "Metal Blue America"

中杉通りの欅並木の下、カーラジオから流れてきた記憶がある。発売直後だったのだと思う。CDを買った。

Perfume "ポリリズム"

有名な曲ですね。
テレビを見てたら流れてきた、公共広告機構(現AC)のヤツ。

The Foundations "Baby, Now That I've Found You"

青梅街道を走っている途中のカーラジオから。
初めて聞いたはずなのだが、とても感動した。
もしかすると、幼い頃に聞いたことがあったのかも知れない。

私の世代にとって「ビートルズ」は、イギリスのバンドではない。単なる「ひらけ!ポンキッキ」のBGM(?)なのであります。
同様に、幼い頃に「ファウンデーションズ」とやらに接している可能性も無くはない。有名な曲らしいですし。


私が多分、この(腐りかけた)生涯で一番聞いているアルバムは『僕の中の少年』であり、一番好きな曲は『蒼氓』であります。
そいつは間違いない。


過去の関連する日記(証拠)
私の好きな歌手(2001年6月)

交通安全運動に寄せて

危ないね辻のテントで死角増え


過去の関連する日記
リトラクタブル・ヘッドライト(2009年10月)

心から好きだよ

Chaco のサンダル、2代目を使い始めた。"Z/1 YAMPA"という製品である。

私が最初に買ったのは、2007年9月のことだったようだ。"Z/1 UNAWEEP"という製品だった。同じサンダルを4年近く使い続けたことになる。

前回は11,000円超だったことを記憶している。とても高価なサンダルだと思った。
今回も同じくらいの値段だと思いこんだまま、新宿南口のビクトリアへ出向いた。結局、現在の定価である8,190円で購入できた。円高の恩恵を受け、日本では安く買えるようになったようだ。過去の為替レートなどを見ると、4年前も今も、おおよそ100ドルだったようだ。アメリカ本国のサイトを見ると、私が買ったモデルは95ドルで売られている。

ウナウィープというソールは結構凹凸があり、その凹凸の境目からひび割れが生じてしまった。そのため買い換えたのである。今回はヤンパというソールにしたので、凹凸は少ない。どの程度持つのか、これから検証することになる。
しかしなにしろ、4年弱でおおよそ1万時間(残業しすぎ...)使用したわけだから、スポーツサンダルとしては、かなりタフな部類に入るのは確かだ。
履き心地も良好である。いろいろスポーツサンダルを試してきた私の観察によると、くるぶし周辺に違和感が生ずる製品も少なからず存在する。しかし、Chaco の製品は今のところそのようなことは無い。

自信を持ってお勧めできるサンダルである。

天国に一番近い便

基本的に、教員になってからは毎年、夏には多摩川の河川敷に行く羽目になる。
ソフトボール部の試合の引率である。

河川敷にある「くじら運動公園」というグラウンドを使用し、「西東京大会」というものが行われている。今年は第26回だったそうだ。
第15,16回(2000,2001年)は、私も幹事として運営に参加した。

この大会は、何が最も思い出深いかというと、その凶暴なまでの暑さである。
しかし、あのクソ暑さを通過しないと、夏が来た気がしないのも確かなのである。
本年度は結構暑かったが、熱中症なども起きず、比較的過ごしやすい天候だった。幸運であり、残念でもあった。大会後の打ち上げ宴会の際に聞いたが、他の先生方も同じ思いを抱いた方が多かったようだ。

本題に入る。
その「くじら運動公園」の横には、下水処理場がある。まあ、今では「水再生センター」というらしいが。

上の画像の右にあるのがソフトボール専用(!)球場4面である。あのアホみたいな広さが私は好きだ。ソフトボールをしていても気持ちがよい。私も何度か「選手」として、あのグラウンドを使用したこともあるのだ。

「くじら運動公園」には、トイレが少ない。難儀する点である。
管理棟に臭いトイレが、河川敷にはくみ取り式のトイレが、あるにはある。

で、前述の「水再生センター」には、公園が附属している。上記サイトによれば、「第一沈澱池」と「反応槽」の上を覆っているようだ。その公園は可もなく不可もない、普通の公園である。しかし、水洗のトイレがある。素晴らしい。

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トイレ近景

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トイレ横から「第二沈澱池」を望む

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トイレは右端の直方体

そのトイレで何らかを排泄していると、「彼らは生まれた後に、一番すぐに天国に行く『ベンたち』なのだろうなぁ」と感慨を深くするのである。蝉よりも短い生涯だ。なんたって、生まれるのが「処理場」の上だ。

数年来、そんなことを考えながら、トイレを使っていた。やっと文章にすることができ、うれしく思う。


下の写真は大会後の散歩時に撮影。

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よく知らない道を歩く際、私の脳内では『クルミを割れた日』が流れるように設定されているようだ。

いつも いつも隠された小道を行く
遠い 遠いあの歌を探しに行く



関連する過去の日記
T先生語録(2004年7月)
好評につき(2004年7月)
「ボタンの掛け違え」と飛鳥涼(2006年6月)
T先生語録 その4(2006年7月)
T先生と梶井基次郎(2009年11月)
雨と中央線と私(2010年8月)

私は神に遭わずに済んでいる

私は無事に無神論者(汎神論者)になり、これからもそうして生きていくのだと思います。
そんな無神論者ではありますが、宗教的な体験には何度か遭遇しました。


まず思い出されるのは中学2年の秋です。

「厨二病」ってなコトバもありますが、確かにあの頃は妙に多感だったと思います。その当時は世の中、つまり「オトナの世界」のいい加減さに嫌気がさしていたような記憶があります。

貧困は無くならないし、核戦争は近づいているらしいし、ノストラダムスは恐ろしいし、でも僕は受験戦争の中にいるし...、って。
何しろ中学生だった一時期、世の中全てが「虚飾」に見えていたような記憶があるのです。
かといって、目の前のオトナである先生や親なんかは、とりあえず良いヒトに見える。その人たちに悪態をつくほどの馬鹿にはなれず...、悶々としていたような記憶が残っています。

本当はその感覚「実世界との違和感」を持ったままが「正しいありかた」かも知れないとも思います。しかし、それでは世の中は生きづらい。
精神を病んでる状態が継続してしまうヒトってのは、真面目すぎるのだろうと思いますね。良いのか悪いのかは分からないが。

そんななか、「天啓」あるいは「全能感」がやってきたのです。社会科、若くして禿げかけたタカハシ先生の授業中だった記憶があります。本当に、今から考えても何故なのか分かりませんが、『全ての教科の勉強は繋がっているんだっ!』って体感したことを覚えています。
様々な教科が、やたらに楽しいものだと思えたのです。

徐々に、その「全能感」は薄れていきました。薄れてくれて良かったと思います。


次に思い出されるのは、大学3年の春です。
ある程度はこちらに記してあります。

その当時は、卒論のテーマが(研究室を避け続けていたから)決まらないし、生業を教師としてしまって良いのか今ひとつ自信が持てないし、ってことで、バイトと酒とジグソーパズルに逃避していたのですね。
最後で最大の作品は、2000ピースから成るMichel Delacroix って画家が描いたセーヌ川の風景のヤツでした。

そのパズルを完成させた翌朝から、徒歩旅行サークルの合宿は始まりました。

徒歩移動中、水戸は「偕楽園」の梅のつぼみを見ていたとき、「その感覚」が降ってきました。
梅のつぼみも自分も、この世界も、全て一体だと感じたのです。地球という存在を概観できたような感覚がありました。

なお、一世を風靡した「たま」ってバンドの「方向音痴」はこういった気分?を表現した歌だと思います。下に貼り付けておきました。

私は基本的に冷静な(つもりである)ので、「自分がキリスト教徒だったら、神に遭った気になるんだろうなぁ」とか「断食ってのは、確かに高揚感が得られるものなのかも知れないなぁ」って、自分自身の状況を観察していました。

今だからこそ、のほほんと記述していますが、このときは相当に「不穏な状態」を引っ張りました。3ヶ月くらいは情緒不安定でしたね。
しかしまあ、その体験により、「あの最悪な状態を気合いで乗り切れたのだから、これ以上に最悪な精神的危機は訪れないだろう。訪れても乗り切れるだろう」という感覚を得ることができました。


「宗教的な体験」で思い出されるのは、さくらももこの著作です。
「全てを理解し、宇宙と同一化した」みたいな記述を見た気がするのです。

ここ10年くらい、ずっと再読したいと思っているのですが、そもそも、何に収録されていたかが分からない。マンガで見たはずなのですが、もしかすると文章だったのかも知れません。
数年前、不要なパソコンソフトやCDを秋葉原のソフマップで売りました。その「買い取りセンター」には、『ちびまる子ちゃん』全巻(だと思う)が揃っていたのです。喜び勇んで巻末に収録されていた「おまけストーリー」を一通りチェックしました。しかし「宗教的体験」を記したマンガは見つからなかったのです。
謎は謎のまま。


私は、某学会員とのやりとりで、「宗教って、つくづく不毛だなぁ」って思ったことがあります。彼は、私が成人してからすぐ「コーメー党に投票してくれないか」と突然電話してきました。ま、よくある話のようです。彼はその後が凄かった。そのたった1,2年後には「○○教に興味は無いか?僕はこの宗教は本当に素晴らしいと思っているのだ」と電話をかけてきたのです。
彼と私、どちらが幸せなのかは(その当時も今もこの先も)分かりませんが、その当時、自分は宗教中毒じゃなくて良かったと思いました。

宗教はなるべく避けて通ろうと思ったまま、今に至ります。


関連する過去の日記
本日の疑問(法の華に寄せて) (2000年5月)
「911テロ」から一ヶ月 (2001年10月)
「罪のない市民」など存在しない (2006年9月)
リチャード・ドーキンス『神は妄想である』感想 (2008年4月)

関連する書籍(1年半前に読んだものの、書評を書けなかった)
村上春樹『約束された場所で―underground 2』(アマリンク)

物持ちが良すぎて...

先日、やっと「買わねばならない」と思っていたものを買った。それは「1円切手」だ。前島密氏の肖像が用いられている切手だ。初めて買った、手にした気がする。

何故、1円切手を買ったのかというと、こいつがあったからだ。

20110910.jpg
9円切手。
1枚だけ、ずーっと手元に残っていた。

こちらのページを見ると、郵便料金の変遷が見られる。
公共料金の推移


私がモノゴコロついたとき、封書は50円、葉書は20円であった。私が5歳になったとき、その価格に値上げされたものだったようだ。

いつの間にやら、葉書は30円→40円と値上げされた。平成元年(1989年)、3%の消費税が導入された。その際、葉書は40円→41円、封書は60円→62円になったのだ。
ミスチルの"my life"はちょうどその頃に発売された歌だ。

平成6年(1994年)、郵便料金は更に値上げされ、現在と同じ価格となった。封書は80円、葉書は50円である。その際に発行されたのが、上の画像にある9円切手だ。知っている人には説明する必要もないかも知れないが、「古い41円ハガキに貼り付け、新料金の50円にするための切手」である。当然「18円切手」もあった。画像を検索するまで、そのデザインを忘れきっていたコトに気づいた。
Wikipedia によれば、9円切手や18円切手は、2002年に発売が停止されていたらしい。知らなかった。

何しろ、10年以上「この9円切手、使わなきゃなぁ...」って思ったまま、引き出しの中に放置してあったのだ。晴れて9+1円で10円になったので、いつか旅立つ日も来るだろよ。


しかし思えば、私が授業を担当している生徒達は、モノゴコロついたときから、消費税が5%だったのだろうな。
2%上がったのは、平成9年(1997年)のコトらしい。私がネット上に駄文を披露し始めた頃だ。
そのときに生まれたヒトビトは、もう中学2年生になっているのですなぁ...。ま、そりゃ私も老いるわなぁ。

日記を書くに当たり、面白いページを発見した。
『世界に一つだけの花』は有害だと思う: それはつまり思いつき

上記ページは、私がうっすらと疑問に思った件について、侃侃諤諤の議論が行われた様子が残っている。
読んでいて面白かった。私が問題にするのは別の点だけれど。


私がこの歌を聞き、歌詞を確認して以来、ずっと気になっていることがある。
それは、「槇原敬之氏は、遺伝子とか『種』について、どう考えているのよ?」ってコトである。


歌詞の冒頭、「花屋の店先に並んだいろんな花」ってのは、「ユリ」や「チューリップ」という『別々の品種』を指しているように思われる。それは「ひとそれぞれ好みはあるけど」という歌詞から推察される。「ひと」というのは「品定めをしている花の買い手」だろう。

その後、二番の歌詞には「誰も気づかないような場所で咲いてた花」というのが出てくる。その辺の歌詞から考えると、基本的に槇原氏は「いろいろな『種類』の花のように、ヒト一人ひとりも、それぞれの個性を大事に伸ばそう」とおっしゃりたいようだ。

しかし、待ってくれ。
SMAPの歌を理解するような「ヒト」は、皆「ホモ・サピエンス・サピエンス」なのである。単一の生物種だ。言うなれば、花屋に於いて、ヒト一人ひとりは「バケツの中の同じ種類の、同じ色をしたチューリップ達」なのだ。ほとんど個性は見つからない。見つかったらおかしいのだ。
歌詞と現実が明らかに矛盾してまっせ。

しかし、一番の歌詞には「バケツの中誇らしげにしゃんと胸を張っている」というフレーズもあったりする。
私はまた悩んでしまうのだ。この文の主語は「ユリ」や「チューリップ」という『品種』を指しているのか、それとも「バケツの中のチューリップ」の『一本一本』を指しているのかと。

ま、多分槇原氏は、そこまで考えていないだろう。この歌は名曲だと思うので、どっちでもいいんだけどね。


余談であるが、花屋の花はクローンである場合も多いようだ。バケツの中の花全部が、遺伝的に同一である場合も多々あるらしい。特にユリなどは。「花屋のいくつかのバケツの中には、全く個性は存在しない」ってコトです。
flowers.png

だから「『いろんな花』イコール『いろんな品種』」あるいは「『いろんな花』イコール『一本一本の花』」、どちらに解釈したとしても、槇原氏の歌詞は現実世界の花屋とは合致しないのですよ。


関連する過去の日記
clothes is クローゼズ?(2006年3月)
きっと運命 ...かも知れない(2009年8月)
『キセキ』PV の流星群について(2010年2月)

20110925.jpg
少なくとも14年間は使用していたようだ。
こういう破損の仕方もあるのだなぁ...と。
最初は「毛」が付着していたのだと思いました。でも、現れたり、消えたり。しばらくして「ヒビ」だと気づきました。

夏、たこ焼きと覆面パトカー

この夏、初めて長距離ドライブをしました。東京から大阪まで。

以前に私が車で行ったことがある場所で、最も遠かったのは福島県の喜多方です。老舗だという「源来軒」のラーメンを食べました。見た目はフツーなのですが、食べたことのない「まとまり方」のラーメンでした。おいしかった。
そんな私は長年杉並区に勤めていながら、未だに春木屋には行ったことないし、中野の青葉を訪れたことも無いのですけどね。
「二郎という食品」は、荻窪でしか食べたことがない。ま、要するにラーメン界では素人ということです。でも、素人なりに喜多方のラーメンには衝撃を受けたのです。

大阪で宿泊したのは、大阪ガーデンパレスというところでした。私学共済の系列だから、若干安く利用できるのです。
ちょうど、甲子園に出ていた横浜高校が宿泊してました。彼らはとても礼儀正しかった。ので、突如応援を開始しました。途中で負けちゃったのが残念でしたが、そもそも県で一番強いという段階で凄すぎると思いました。

ということで、表題の「たこ焼き」です。
朝食は俗に言う「バイキング」でした。そして、そこには常にたこ焼きがあったのです。「さすが大阪だなぁ」と思い、5日間毎朝食べていました。そして、太りました。8月には77kg前後まで行きました。やはり、食べ放題の朝食×5は危険です。
今は、75kgを割るあたりまで回復(?)しました。本来は71~72kgぐらいがちょうど良いと思っています。私の身長は公称(?)177cmです。標準体重は68kg台だったかな? 経験上、そのくらいまで減ると、かなり速く走れるようになりますね。
ここ数年は、73kgあたりを行き来しています。

weight2011.png

このグラフは私の体重でして、QUPiO なるサイトに記録しているのです。

このサイト、私が希望し、使用し始めたわけではありません。花王(の子会社)が私学共済に「うまいこと取り入った」結果のようです。それとも、私学共済が花王に取り入ったのかな? ま、どっちでもいいや。
QUPiO は私の検診結果を保有しています。拒否する術もなかった。だから、積極的に使うことにしました。

使っているのは体重記録表のみです。一日の歩数とかも記録できるようですが、私はそこまで「健康マニア」ではない。職場では可能な限りエレベーターは使用しないよう心がけるくらいです。たとえ、ホームルームが5階の教室であっても。

なお、正月に体重が増えたのは、上海に行っていたからです。
旅行すると、テキメンに食べているってワケですね。


大阪旅行では、奈良・鳴門・神戸・京都などへも行きました。
アグレッシブだけど、せんべい売りのおばちゃんには従順な鹿たち。やはりデカい大仏。暑かった法隆寺。
巨大な橋と走りやすい高速道路。川よりも速く流れる海と渦潮。妙に美味な中華(上海)料理店天竺園
初めて大文字焼きを肉眼で見ました。ジモティーと観光客の喧嘩に遭遇。人波に溺れました。


で、表題のもう1件です。思いっきり、覆面パトカーに捕まりました。速度オーバーで。
後から調べたら、その「第二阪奈」は「覆面パトカーの名産地」だったみたいです。ま、速度オーバーは確かなので、反省しています。さっさと罰金も払いました。
その際、パトカーに連行される私を見て、子供がとてもビビり、泣いてしまったのでした。「パパが捕まった」って。子供には怖い思いをさせ、可哀相でもありましたが、心配してくれたことについて嬉しくも思ったのでした。

法隆寺 in Summer
horyuji.jpg

堂島ロール(軽くておいしかった)
dojima.jpg

製版と印刷の手間を考えるに

ソイインク主張しなけりゃもっとエコ

チャリンコ3題


先週、私の勤務先を退職なさった先輩の住処を訪ねた。
多分、私の日記に一番出演なさっている方だ。カメラマニアでドルトニズム(色覚特性アリ)の元生物教員宅へ。

彼は60歳を超えてから、自転車に目覚められたとのこと。
以前から、山行が好きな方ではあった。愛妻家のナチュラリストである。

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彼の愛車

最寄り駅には中央本線の特急で行った。多分、初めて乗ったハズ。

彼の(愛する)ワイフが運転する車で、先輩夫妻は駅へ来ていた。
ワイフ氏は、私のことを「パソコンが得意な後輩の理科教諭」だと聞かされていたそうだ。それはだいたい正しい形容だろう。
んなわけ?で、初対面の際には「ルックスとイメージが一致しない」って思われたそうだ。

送迎のVitzはマニュアル車だった。お宅へ行く際、数分間のドライブ中に尋ねてみた。「マニュアル車なんて、渋いですね」って。ワイフ氏は、大昔に免許を取ったため、オートマ車に乗るのが不安なのだそうだ。なお、先輩は免許なし。

先輩宅では、図版・書籍・オーディオコレクションの説明を聞き、ワイフ氏による昼食をご馳走になった。

その後、先輩とともに200m程(標高差)、自転車で移動する。目的地は「笛吹川フルーツ公園」だった。相当にへばった。還暦越えの方に負けるわけにはいかないので、自転車を降りることはしなかった。

やはり、自転車での移動は楽しいと再認識した。


今週に入ってから、ママチャリの後ろタイヤのチューブ交換を行った。
こちらのサイトを参考にした。
自転車のタイヤ交換 ママチャリ後輪編

3週間ほど前に、パンクに気づいてはいたのである。
気合いが乗らないので、放置していた。

上記ページにも書いてあるけど、自転車屋に頼むのはコストパフォーマンスが悪いのである。
(私の税引き後時給(ボーナス等込)は、2,3年前の時点で1900円だった。一度そいつを計算してからというもの、私は1時間を1900円に換算してしまうのである。ちょっとした告白。)

自転車のチューブは西友阿佐ヶ谷店で確保してあった。900円弱だったかな? ネット上で買うよりは高かったみたいだけど。

結果的には、1時間程度でチューブ交換は完了した。
私は、工具を使って「それなり」の作業を行うと、自己満足を得られる。男性はだいたいそうなのかも知れないが、詳細(各論?)は分からない。
ま、友人のブログに影響されたってコトもあるだろう。


で、実家の倉庫に放置していたロードレーサーを回収してきた。

20111012641.jpg
イメージ画像

放置してきた割に、不具合がなかったことに感心した。置き方が悪く、一時的(数年間?)にリアディレイラー(変速機)に無駄な力が加わったこともあったはずなのだが、特に変速機の異状は無かった。
ヘッドライトや反射板の電池は見事に液漏れしていたが、基板は生きていた。サイクルコンピュータに、改めてギア数等を設定しました。

この秋、ヒマなときにはチャリンコで風を楽しもうと思っているのです。


関連する過去の日記
カリフォルニアロード(2004年3月)
カリフォルニアロードです(2007年12月)

この駄文群の読者を増やした

先日、職場の学年団での宴会があった。
結婚なさる方のお祝いを兼ねていた。めでたい。

酒を飲むうちに、私周辺の席での話題が、その場にいらした「職場のセンパイ」「ブログ」となった。
わたしゃ、RSS経由にて、更新されてから1日以内には読んでいる。

「11月12日と15日の話が面白かった」という点で、私ともう一人の読者の意見は一致した。
「もう一人の読者」に「マサキちゃんは、(ブログとか)やんないのー?」と尋ねられたので、「私は13年くらい日記書いてますよぉ」ってお伝えした。検索のための語句「ありおり」を伝えた。

昨日、ご覧いただいたようである。よこそう、ariori.com へ m(_ _)m

「もう一人の読者」については、以前日記を書いた。
「ハブが壊れた」だ。

では、ごきげんよう。

クミアイについて少し

本日はこれから組合の忘年会でございます。
本年度に加入なさった4名の歓迎会も兼ねているのです。

当組合の規約では、職場の「専任職員」が加入できることになっています。
しかし、ここ10年くらい、加入しているのは教員だけなんですねぇ。私が知る範囲では、事務室にいた主事のオバサマも2名ほど在籍していました。その方々は定年になっちゃったから、組合員は教員だけになってしまった。


教員、事務職員ともに、最低年1回は「組合員募集」ってチラシを配っています。地道に一本釣りで声をかけたりしてます。一本釣りは私も、それ以外の方も、様々な場所で行っています。

なお、組合員は現在31名で、歓迎されるのは4名です。結構な増加量です、スバラシイ。4名中3名は、今年4月の夜の職員室での「はえ縄漁」で釣り上げたのです。一晩で3尾。
まあ、以前からいろんな方が「撒き餌」をしていたわけですけどね。


我が勤務先の「専任職員」は、校長・教頭・事務局長を含め、79名です。加入率は4割に欠けます。教員に限れば、69名(校長・教頭含む)なので、45%弱となりますが。

昨年度の「公立学校」に於ける「組合加入率」は41.2%らしいですので、私の勤務先は「まぁ普通」なのでしょう。
平成22年度 教職員団体への加入状況に関する調査結果について:文部科学省


私は職場に於いて、なるべく「言いたいことは言う」ようにしています。その方が精神衛生上良いです。
組合の団体交渉ならずとも、職員会議や単なる会議でも、私は是非言いたいことがあれば言い、キレるときはキレます。まあ、団交では相手にキレ返されることも多々あったわけですが...


私が組合絡みで最も嫌な気分になるのは、「自分が組合に入っていないのに、組合に何かを期待し、それを『口に出してしまう』輩」に遭遇したときです。

最悪の人物は、鮮烈に覚えています。
「オガワ先生、組合、頑張ってくださいよ」ってニコニコしながら、私に話しかけてきたヒトが居ました。何が話題だったかは忘れました。何しろ、彼に対する嫌悪感は未だに消えません。
その場では、詰問などはしなかった。とてもとても呆れたから。

それ以降、私の心の中では「あっち側のヒト」となりました。ま、それ以降も彼とは、必要があれば普通に喋りましたけどね。
彼は、その後転職しました。退職する話を初めて聞いた際には「あなたが居なくなると聞き、残念だ」とも伝えました。それは本心でした。仕事はキチンとやってくれるヒトだったから。
ま、職場環境が気に入らない場合、「転職」ってのは最もスマートな解決方法ではありますけどね。

彼の今の職場環境はどうなのだろうか... ちゃんと、自分で自分の環境を改善できるヒトになったのだろうか...


委員長(当クミアイで、最も偉いヒト)になり、もうすぐ満8年だったりするのですねぇ...
規約(2008年3月改正)から目的を紹介し、この駄文を終わります。

第3条 この組合は組合員の自主的かつ民主的団結により、労働条件を維持、改善し、社会的・経済的・文化的地位の向上を図ることを目的とする。

飲み過ぎには気をつけようと思います。

あの方にお会いする

私は6年ほど茨城県に住んでました。4歳から小4の夏まで。
常磐線沿線の神立(かんだつ)が最寄り駅でした。土浦の次の駅。

「牛久大仏」という名前は聞いたことあったのですが、一度も見たことないまま、6年間の茨城生活を終えました。
母親の実家は東京、父親の実家は同じ県内の古河(こが)なので、常磐線や国道6号線にて「牛久」は何度も通過しました。しかし、大仏を見たことはありませんでした。


私は鳥肌実が好きなのです。数年前に映画『けものがれ、俺らの猿と』をレンタルで見た際、「こいつが多分『牛久大仏』なのだろう」とは分かりました。でも、実物は見たことがないままでした。

そんなことも忘れていた先日、その大仏様に、突然お会いしました。
「あみプレミアム・アウトレット」へ向かう途中、作りかけの圏央道からでした。

アウトレットから撮影したお姿です。
daibutsu.jpg


アジアの雷管「北朝鮮」が、巨大な爆弾「中国」に火を付け、黒孩子(ググリンク)までも撒き散らさないか、それが若干不安な年末。
大仏様にも少し祈ったりします。

25年ぶりに恩師に会う

先日、職場に都内公立中学校の先生がいらっしゃった。
そのお方(♂)は、私の中学時代の恩師であった。


「恩師という程には深く関わっていないなぁ...」と、この駄文を書き出す前は思っていた。しかし、よく考えるとやはり恩師だ。
その先生は、私が在籍した豊島第十中学校で生活指導的な立場にいらっしゃった(ようだ)。その先生が居なければ、私の通った中学校全体が、更にバイオレンスに満ちたものになっていただろう。

そして、その先生は「杉並中学校剣道指導者同好会(杉中剣)」での重鎮らしい。
杉中剣という団体は、以前私の勤務先で活動していたこともある。


私の同僚、職員室内の座席が左隣の御仁(50代♂)は、剣道部顧問である。杉中剣の会員だそうだ。
私の中学時代の同級生(41歳♂)に、都内公立中学校で理科教諭をやっているヒトが居る。彼は中学時代剣道部だった。彼も杉中剣の会員だ。以前、杉並区内の私立校に勤めていた関係らしい。

なお、私も中学校時代に「恩師」の体育の授業を受けた。剣道の授業もあった。
私は「オガワ」なのだが、「剣道部の同級生」は出席番号が私の次だった。
「剣道@体育の授業」で、素人の私と剣道部の同級生はペアになっていた。チョー「やられまくった」記憶が残っている。動いても、動かなくても、面やら小手やらがバシバシ決められた。「やはり、剣道部は剣道が強いなぁ...」とアタリマエのことを思ったのだった。

文章で記すと大変なので、相関図にしてみる。
so-kan-zu.gif

「恩師」は私を覚えていてくださったらしい。
私が「豊島第十中でお世話になりましたオガワです。剣道部の○○が同級生でした」と挨拶に伺った。
「おお、○○の代の(生徒か)! 剣道やれ、剣道!」
「いや、もう剣道は結構です。体育で一番キツかったです」なんてなやりとりを行った。


「恩師」が50代なのは間違いないらしい。ローティーンだった私は、30歳前後の彼に体育を教わっていたようだ。
彼は今もバリバリに生活指導で活躍(?)なさっていらっしゃるとの話だった。

チャレンジ

「著作権についてうるさい」という某団体は、この辺境サイトにツッコミを入れてくるのだろうか?

bo_mouse.jpg
先日、私は「雰囲気」を出そうと思い、戸棚の奥にあった「リース」を発掘し、点灯してみた。
深夜、配偶者はキレた。「突然、こんなもの置くな! びっくりするわ!」と。 ...orz


本日の帰宅時、山手線内にて「眠る酔っぱらい」を見た。
新宿駅で私が乗車した時点で、彼はシートに横たわっていた。

その後、別の駅(池袋だったかな?)で、彼を起こすべく、駅員さんが2人やってきた。揺すられた彼は、全然反応しなかった様子。駅員さん諦めて退却。

私が山手線を下車する際、床に液体が流れていることに気づいた。
彼をよくよく見てみた。
座席に横たわる彼は、その状態で放尿していた。
彼の横の座席には、「使用できません」という文字が印刷された紙が置いてあった。他の乗客が、彼の小便でケツを濡らさないためだろう。

彼は12月24日に「酒に挑む」必要があったのだろうか?
ま、あったのでしょうね。合掌。

2011日記ベストテン

謹賀新年。

2011年の日記に於ける「ページビュー Best10」をお送りします。去年は46回日記を書いたみたいです。
集計期間は2011年の365日間なので、1月の日記の方が、明らかに有利(ページビューが増える)になります。

今回は公開日数を考慮した順位も作成し、末尾に添えました。しかし、そちらのリストは、逆に年末の方が有利になることは否めません。


第1位 6月30日
「石原式色覚異常検査表を丸暗記」ですと?

改めて「京都色覚研究所」なるサイトを見てみようとしたら、サイトが壊れかけてるか何かみたいで、見られなかった。
ま、いいか。

第2位 5月13日
目指せ0点

mixi に色覚関連のコミュニティがあるのだけど、そこに自分の色覚テスト結果を書き込んだら、アクセスがあったみたいです。

第3位 3月16日
原発がらみの駄文まとめ

原子力って、決して「ステキ」な発電方法ではないッスよねぇ... って、偉そうなこと言いながら、私は今も電力を消費しているのです。
しかし、昨今話題の「発電と送配電の分離」って、意味はあるのでしょうか? 少し調べてみましたが、よく分かりませんでした。

第4位 4月22日
原子力と私

第5位 11月9日
私学で良かった

第6位 4月13日
アンチ「カラーバリアフリー」例

第7位 2月28日
GkEc氏の発言から、自らの中学時代を思い出す

第8位 9月19日
『世界に一つだけの花』についての疑問

第9位 4月26日
信頼できそうな人

第10位 10月12日
チャリンコ3題


以下が中途半端に補正した順位です。
括弧内は「実ページビュー順位」になっています。
日付別の日記へのアクセスは、多分作成直後にピークを迎え、その後徐々に減衰していくでしょうから、この補正も正しくないのでしょう。

予想1位(1) 6月30日
予想2位(25) 12月24日
予想3位(22) 12月19日
予想4位(39) 12月21日
予想5位(5) 11月9日
予想6位(2) 5月13日
予想7位(14) 11月18日
予想8位(46) 12月17日
予想9位(36) 12月3日
予想10位(45) 12月12日

今後、気が向いたら補正の方法について考えるかも知れません。でも多分考えないな。


過去のランキング
2007年
2008年
2009年
2010年

「痔 悪化 冬」約 325,000 件
「痔 悪化 春」約 298,000 件
「痔 悪化 夏」約 404,000 件
「痔 悪化 秋」約 265,000 件

「痔 冬」約 972,000 件
「痔 春」約 3,360,000 件
「痔 夏」約 4,840,000 件
「痔 秋」約 2,980,000 件

私は、冬場に具合が悪くなる気がするのですね、「水戸さま」周辺が。
しかし、世の中では少数派らしいことを知り、少しびっくりしました。

夏に痔は悪化するのでしょう、全般的にはね。

ビバ、SAKE!

SAKE は「酒」ではなく「鮭」です。サーモン、三文魚。
鮭って、ウマいですよね。


今でも忘れられないフレーズに、「鮭が美味いのではなく『鮭を美味いと思う』ようにヒトが進化した」ってのがあります。
20年近く前、中学校での教育実習中に、お世話になった先生がおっしゃっていたコトバです。多分、それは真実なのでしょう。

教育実習中、食物連鎖とか生物種・個体数についてのレクチャーを受けていた際のハナシです。当方、地学科ですし、生物学はその当時嫌いだった(笑)。で、私を担当してくださった先生は生物が専門だったのです。苦労しました。当方も、そして多分、先方も。

だいたい、私と同じ研究室だったヤツが、教育実習をドタキャンしたんですよね。あり得なさすぎ。
で、私は作成しておくはずの「指導案」を文書化できず、実習に乗り込んだのでした。やっぱり、あり得ない ...orz

ま、授業展開の素案はあったのです。『写真集 水俣』での「強烈な写真」は、生徒に提示すべくコピーしてあったから。

実習初日の放課後、担当の先生が一通りキレた後、私は「一応、授業案は考えたけど、書面にできませんでした」って伝えました。「なんだ、考えてあったなら、ちゃんと『指導案』にしてこい」って言われました。しかし、20年前の私には、文章力も「指導案でっち上げ能力」も欠けていたのです。前日の深夜(もしかすると、徹夜でもしたかも?)まで文書化を試みたのですが、それは叶わなかったのですなぁ...。

その当時、私はパソコンを使っていませんでしたので、その後作成したはずの「指導案」も残っていないのですね。「胎児性の水俣病患者のねじくれた前腕の白黒写真(コピー)」を見せ、「食物連鎖」を気づかせるという「単元の導入」でした。
実習中、私を指導してくれた教官は「君は字が汚いから、ワープロを使いたまえ」っておっしゃいました。ごもっともm(_ _)m
そして、今の私があります。

予想以上に長くなった(笑)。


中国(中華人民共和国)の方は、刺身とワサビが好きなようです。特に「先取的(セレブ?)」な方は。
で、その刺身は基本的にサーモンです。

私は、未だに寿司の「サーモン」はちょっと馴染めません。ま、確かにおいしいのですけどね。
ニホンでも中国でも、「生サーモン」はチリとかノルウェーから入荷されるのでしょう。だから品質は安定しているし、食中毒もない。「ビバ、鮭!」でございます。
ま、私にしてみると、サーモンの刺身や寿司は「諄すぎる」んですよね。なんか「お子ちゃま向け」って思っちゃう。また、中国の「(日式)醤油」は、化学調味料が効き過ぎなんですよね、私が知る限り。
何しろ、中国では「正式な中国料理」を食べた方が良いです。

私が今回の「年末年始上海訪問」で食べた「三文魚の刺身」、そいつはおそらく「『日本から来るオガワ』のため、刺身をメニューに入れよう」っていう親戚のおじさんの心遣いだったはずです。ありがたく頂きました。
でも、やはり味が諄かった...。


で、最後の鮭話。

昔、鮭は「寄生虫がいるから、生食は不可」って魚でした。だから「ルイベ」という北海道名物があった。「凍らせた鮭の刺身」ですね。

ルイベを死ぬ(吐く)ほど食ったのは、北海道のサロマ湖畔です。竜宮荘って名前の民宿でした。
それも、今から20年ほど前の話です。
大学時代の徒歩旅行サークル「伸歩会」、秋休み中の合宿にて北海道を訪れました。7日ほどかけて、徒歩旅行をするのです。民宿を泊まり歩きます。その合宿では、弟子屈(てしかが・現「摩周」)駅から、サロマ湖畔まで歩いたのです。

泊まる民宿の予約は、話し合いか何かで分担を決めるのです。最終日の宿は、私が担当となっていました。
「竜宮荘」は名前で決めました。その当時、1泊2食で4000円台だったはずです。その旅行で最も安かったのは、1泊3食(昼のおにぎり付き)で、3500円の宿でした。屈斜路湖畔の宿。おばあちゃんが優しかったコトを覚えています。朝の4時台に出発したような記憶があります。

竜宮荘では、ルイベとホタテが、食いきれないほど出ました。そして、私たちは飲みきれない酒を近場の酒屋で買い込み、やはり飲み食いしきれず、吐いたりしました。ごめんなさい、ホタテと鮭と酒。

んなワケ?で、私は「1泊1万円超の宿」ってのは、未だにあまり受け付けません。何となく「高いなぁ」って思っちゃう。
そして、鮭というと、竜宮荘を思い出します。


この週末、その「徒歩旅行サークル」での友人の一人が(とうとう)結婚するそうで、式と披露宴に呼ばれています。
そんなこんなで、鮭がらみの日記を作成してみた次第です。中国で「ネットから遮断されていた」トキに、この駄文の構成を思いついたのでした。

Geekな同窓会

昨晩、突発的に開催された「高校時代の部活動の同窓会@池袋」に行ってきた。
告知はメーリングリストを用いて行われた。Google様の「グループ」機能を用いている。
https://groups.google.com/
昔はメーリングリストというと、年間で数千円は出費する必要があった。良い時代になったものだ。ま、メーリングリストというシステムも、相当に古い感じですけどね。

「突発的」と表現したのは、17日火曜日の深夜に開催が告知され、19日木曜日の昼にエントリーが締め切られ、20日金曜日の夜に開催されたためである。アラフォーが8名、よく集まったものだ。

SE、研究職、ウェブデザイナー、書籍編集者、広告代理店勤務のヒト、などなど。いろんな話をした(ハズな)のだが、パソコン関係の話題が出ることも多かった。二十数年前、同じ音楽室で時を過ごした人達が、今は妙にパソコンに近い生活(あるいは、パソコンを使って飯の種を稼ぐこと)をしている。そのことを不思議に感じた。

ま、メールにて連絡が行われたから、電算機方面に詳しい面々が集合したとも言えましょうが。

その会では「イケメンシェフの『キノコのホイル焼き』プロレタリア風」というような、なかなかお目にかかれない食べ物もいただいた。
「プロレタリア風」と「なかなかお目にかかれない」という部分は冗談だけど。


過去の関連する日記
涙についての告白(2000年3月)
約20年前に答案を無くした教員(2004年3月)
盛者必衰(2004年5月)
追悼(2009年2月)
小石川高校音楽研究会讃頌(2009年4月)

2月という名の山場

本日、職場は中学校入試初日だった。
精神的に疲労する日が続く。

ま、数百名分の「12歳の人生の分岐点」に立ち会っているのだから、疲労するのも仕方ないと思っている。

脳を使った分、体重が減っただろうと思ったが、まだ75.1kgもあった。1月の頭には77kgを超えていたので、それに比べればマシになったけれど。

なお、基本的に私は夕食後に体重を量っている。液体や固形物を摂取した後だ。
今日は「無駄な液体」を呑んでいなかったから、74kg台になっているかと思っていたのだ。


私は、22歳の時に買ったスーツがまだ着られる。
ただ、当時は一世風靡セピアとか、チャゲ&飛鳥とかが居た時代で、「ダブルのスーツ」が流行っていたのですね。
ここ数年来、また「ダブルの時代」が来るかと思っているのだが、あまり来る気配はない。ダブルのスーツは処分してしまったものもある。

シングルかつ襟の幅が細いスーツって、体が太いと似合わないですよね。
最近のパンツはノータック、あるいはせいぜいタック1つだしなー。


関連する過去の日記
夏、たこ焼きと覆面パトカー(2011年9月)

私は、あんまり出身大学には愛校心がない。
とは、言いながら、こんな日記を書く。

珍しく、1日に2つも母校「東京学芸大学」についての記事を見た。
1つめは tweetbuzz 経由で知った、「キニ速」の記事。

って、リンク貼ろうと思ったら、もう「キニ速」も消えてた。ま、実際個人情報だよね。
私が「キニ速」の記事を見た時点で、「公式サイト(笑)」は無かった。

しかし、j-cast がわざわざ記事を上げてくれている。
せっかく?だから、リンクを貼る。

教育系女子大生「今まで付き合った人数→12人」 「のろけサイト」、「黒歴史になる」と炎上 : J-CASTニュース


私が東京学芸大学を卒業したのは、1993年(平成5年)のコトである。
私がその大学を選んだのは「国公立で小学校教員になれて、理科を中心に勉強する学科」があったからだ。ま、埼玉大・千葉大・横浜国大にも、同様の学科はあったけど。
偏差値(なるべく高いところ)と規模(なるべくデカいところ)を考慮し、学芸大と横国を受けた。最終的には横国を蹴った。自宅から遠いし、規模が小さいから。試験会場にチャラいヤツが多かったというのもある。その当時は「チャラい」なんて形容詞は無かったけど。というか、二次試験会場(慶応大の日吉で行われた)で「黄色い服着た目立つヤツ」がいて、嫌悪感を覚えたのだ。ま、学芸大が第一志望でしたけど、上記の理由で。


あの学校は「東京にある国立大だけど、比較的入りやすくていろんな学科がある」という特殊な環境なのですね。
実際は「教育学部」しかないのだけど、社会科学・自然科学・人文科学、結構いろんな学科がある。体育系もあるなぁ...

私が入った「A類(小学校)理科」は、100名弱の同級生が居ました。男女は半々。それが2クラスに一応分かれてた。
地方出身者が半分、自宅生が半分。現役生が半分、浪人が半分、って感じ。(あの時代は、今よりも大学が入りづらかった。...ハズ)
で、「教員志望者が半分、そうじゃないのが半分」という感じでした。最終的に同級生で教員になっているのは、同じクラス(18組)内のうち、3割程度だと思います。

で、下宿生が半分ですから、リア充(当時は、そんなコトバ無いけど)率が高かったのは確かですね。私は非リアだったけどな。
だから、校内にカポーが多かったのは確かだろう。特に地方出身者だと。
しかし、あのサイト(もう消えたみたいだけど)は、馬鹿丸出しですね。


それだけならば、日記にしようとは思わなかったのだが、もう一つ関連する記事があった。
池袋ウエストゲートパークならぬ池袋西口公園 - 東京DEEP案内

たしか、2ヶ月くらい前から、RSS を取得してました。
あの素晴らしい「東京タウンマトリックス」を作られた方のサイトのようです。
ttm-thumb-300xauto.jpg

あの、綺麗になったのに雑然としている「東京芸術劇場」、以前は確かにだだっ広い公園でした。記事を見るまで忘れてた。
あれは「豊島師範学校跡地」だったのですね。

東京学芸大学は、いくつかの「師範学校」が母体だと云うことは、何となく知ってました。そういえば「豊島」という名前もあったかも。
イニシヘの池袋西口公園は、その周囲に国際興業バスのバス停が多数ありました。小さかった私は、だだっ広い公園の横で緑色のバス「江古田二又行き」を待っていた記憶があります。地下鉄有楽町線も開通し、江古田二又は風前の灯火となっています。「池袋→要町→千川→江古田」なんて、どこでも電車で行けますものね。


ってコトを思い出したので、日記にしました。


関連する記事
理科と私(2001年)
ろぐ(2009年5月)
教員免許更新制の帰趨(2009年9月)
渡邉康弘センセイと縣秀彦センセイと私(2010年3月)
教育実習のおもひで(2010年6月)

5年ぶり3回目

この文章を作成しているのは、ノボシビルスクの北である。そして、空の上。

本日から、高校2年生の修学旅行(の引率)が始まった。
表題は「パリへの引率」についてである。やっとフライトは中間地点を超えた。12時間45分は長い。残り6時間を切った。
暇つぶしに作文をしている。この文章がサーバーに上がるのは、ホテルに着き「公式なサイト」をアップし終えてからであろう。

近年は世界中ネット接続が楽になった(ようだ。別に私は世界を股にかけているワケではないので、エラそうには言えない)。
勤務先では、この「パリ修学旅行」が開始された当初の2001年から、パリでの状況を公式ページにアップするということを続けている。ま、ブッチャケ言うと、私はそういう「オプション」の仕事ってのは「やらなくても良いじゃん?」って思っているのである。まずは、旅程の安全確保が第一であり、教員は睡眠時間を削ってまでも「公式サイトの充実」などを図らなくてもよいだろう、ってスタンスである。
というのも、もっとも初期は「モデム(!)」を持参し、公衆回線を使用してニフティ(か何か)の「アクセスポイント(死語)」に接続し、本当に睡眠時間を削ったヒトが居たからだ。私は画像が添付されたメールを受け取る側だったけどな。接続が悪く、画像を送るのに何十分単位の時間が必要だった(と、苦労した人は言っていた)。
受け取った画像は杉並区の学校でhtmlとして成形されたのち、同じ校内のWebサーバーに上げられていた。その時点で、やっとパリでの情報が保護者等に伝わったわけだ。

職場でパソコン関係をまとめていらっしゃる先輩とは、そのあたりのバランス感覚、つまり「旅行を引率した教員が、そこまで苦労すべきか否か」について議論をしたことがあったが、それは平行線のまま、結論を得られずに終わった。(議論はメールでのやり取りだった。そいつを一太郎で成形したものは、未だに職場のパソコン内に保存してある。)
結局、毎年毎年、この「旅先からの画像の送信」は行われている。教員が文書や画像を日本へ送ることもあれば、旅行の添乗員さんが日本の職場にメールで送ってくれた年もあったようだ。
私は約10年間、その過程を見て見ぬふりしてきた。

のであるが、今回はそいつに加担するコトとなってしまったのである。
CMS(こんてんつ・まねーじめんと・しすてむ)環境が発達したということもあり、前述のネット環境が充実したということもある。普通に言うと「旅先のホテルからネット接続し、ブログとしてアップすることが簡単になった」からである。

職場では、公式にtwitterのアカウントを持っており、情報を発信している。
ま、実は最初、私はtwitter導入に否定的だった。「別に、(内容が古くなりすぎてるヤツもある)公式サイトの情報を充実させれば良くね?」って。その意見は職員会議か何かでも披露したように記憶している。ま、結局のところ、アカウントは作られ、情報発信は始まった。ま、未だに「私企業(twitterやfacebook)のサーバーを用いて、公式な情報を発信する」ってコトについては、完全に納得しているわけじゃないのだけど。とはいえ、私の勤務先も「単なる私企業」ですけどね。
しかししかし、youtube上に「公式チャンネル」を作ろうと進言した(そして、作って動画をアップした)のも私ではあったりする。動画の配信は技術もサーバーの能力も必要だから、自前でやるよりは、無料でようつべのサーバーを借りたほうが早いと判断したためだ。

で、およそ1年前、巨大地震が東日本を襲った。
実は、相当にtwitterは役に立ったらしい。公式tweetを作成しているのは、職場の先輩お一人である。彼も「まんべくん」のように、殆ど「全権」を担っていると言えるのだろう。今のところ、問題が生じたことは無い。ま、その辺は私学の「ユルさ」と「先輩お一人」の素晴らしいバランス感覚によるものなのだろう。ま、良いことだ。


結局、何を記そうとしていたかというと、特に目的はないのだ。
機内で「フライト状況」を見ていると、ヘッドホンからは「日本のヒットソング」が流れてくる。もう、2周めかな?
きゃりーぱみゅぱみゅの「つけまつける」という歌を最初から最後まで聞いたのは初めてだ。

由紀さおりの『1969』ってアルバムが聞けたので、2周ほど、寝たり起きたりしながら聞いた。一緒に演奏しているっぽい「ピンク・マルティーニ」って何なんだろう? マティーニか、お酒飲みたいなぁ...

また、たむらぱんの新しいアルバムもあったので、やはり2周ほど聞いてみた。過去に「ぶたべすと」とかいうCDをTSUTAYAで借りたことがある。(でパソコンに取り込み、私的に聞いている、時々。)たむらぱんってヒトの歌を最初に聞いたのはラジオであった。『機内エンターテインメントのご案内』で初めて知ったが、youtubeからブレイクしたヒトだとか? そういえば、ラジオでそんなことを言っていたような...
あとで、チェックしてみよ。

現在、飛行機は西シベリア低地上空らしい。このパリ行きのフライトでは、一番北極に近いところを飛んでいるのかな?
Times to Paris は5時間を切った。
たむらぱんから次の曲に移った酉の刻、お八つの蒸しパンが届いた。
機体がさっきから揺れているので、とりあえず終わろ。

ロクシタン物語

先日、修学旅行の引率でパリに行ってきた。
配偶者からは「ロクシタン(L'OCCITANE)のオードトワレと練り香水を買ってこい」という指令を受けていた。

今検索するまで、"Eau de toilette"は「トイレ水」だと思っていた。ま、間違いではないけど、正確でもないみたい。
多分、10年以上前に「オードトワレって、直訳すると『トイレの水』なんだよ」って文書を読んだのだ。そいつ、私の脳に強烈に記銘されていた。

パリ入り以降ずっと、ロクシタンのショップを探した。一部生徒も同様だった様子。
スーパー「モノプリ(MONOPRIX:単一価格)」、いくつかの土産店、朝市、シャンゼリゼ通り(の一部)... どこにもロクシタンはなかった。


旅行最終日のルーブル美術館、やっとロクシタンのショップを発見。
美術館見学後、生徒(や教員)もロクシタンで買い物してた。

私もショップ内で品物を物色してたら、クラスの生徒が「まーさま、奥さんにお土産買った?」と聞かれ、「品物を指定されてる(笑)」と伝えた。
そして、奇跡的?に「指定された品物」を発見。「トイレ水」と"solid perfume(練り香水)"その他を手に取り、レジ待ち。...してたら、集合時刻寸前に。

担任の遅刻は洒落にならないので、品物を棚に戻し、買わずに移動したのだった。涙...。(及び「恐怖感」)


シャルル・ド・ゴール空港の免税店内でロクシタンを改めて探した。
「ロクシタンの幟」を発見したので、その免税店の中を徘徊していた。しかし、ロクシタンは見つからない...。

そうしたら、「ルーブルでのいきさつ」を知ってた生徒が、ロクシタン取り扱いショップを見つけてくれた。店員さんに聞いてくれたのだろう。

「私は理科(の評定)5だねっ!」と言っていたが、丁重に拒否。
一応、その生徒にペットボトルの水を奢ってあげた。手持ちのお金を使いきったらしいので。


ルーブルよりも空港免税店の方が、明らかに安かったです。
改めてありがとう、Oさんm(_ _)m

私学に勤めて

都内公立校に勤める、大学時代のサークルの「とある先輩」と酒飲むと、必ず言われる。
「転勤無いだろ。大変じゃねー?」
私自身は、転勤が無いことは有り難いと感じる。通勤時間の変動や、島(小笠原諸島とか)に飛ばされるってコトも無い。

ま、確かに人間関係が固定されがちであるということから生じる「ストレス」はあるのかも知れない。「リセット」ができないから。しかし「人間関係が良好になるようにする努力」は実を結びやすいだろう。対象(先輩)はほぼ固定されているから。

この4月、それは今の職場で18回目の4月だ。

春休みに入ると、「また座席移動だなぁ」って思う。私は結構「座席の引っ越し」は好きだ。
その程度の「変化」ですら、(私学にひたすら勤めている)私にとっては、十分な気分転換なのであります。


そういえば今日の午後、阿佐ヶ谷~職場のほぼ中間点にある「巨大なキンモクセイ」がバサバサ切られてた。建て替えか引っ越しでもするのだろう。

私の知る「一番巨大なキンモクセイ」だったのだ。残念である。
秋の楽しみが減ったのは間違いない。
ジンチョウゲはやっと今、香っている。

4月(も)バカ

恥を忍んで、襟を正して、うかがいます。
「すり切れたパンツ」いつ捨てますか?

入学式の思い出

12年経過したので、そして、今日もまた思い出したので、記しておきます。

私はこの職場、非常勤講師時代を含め、19年目に突入しました。
一番本気で「辞めてやる」と思ったのが、ちょうど12年前なのです。29歳だったのだな。


今の職場に勤務し始めたとき、「印刷所」は幅をきかせていました。「名票」「新入生の一覧表」、入学式・卒業式の「式次第」などが納品されていました。
今でもその「印刷所」にはお世話になっています。「文集」類は、お世話になることがありますね。クミアイの「規約」はそこに作って貰いました。ネット上で検索に引っかかった印刷所よりも、遙かに安かった。武蔵野タイプってところです。今は南阿佐ヶ谷駅近くにあるみたい。

私の入社?当初、教務関係の仕事は「オフコン(って言うのかな?)」上で行われていました。COBOLで動いていたみたいです。NEC製のハードウェア。OCRなんかもあり、総額「ウン千万円」だったとか? 使用したのは数年間だったらしいです。酷くバブルでしたな。モノクロのディスプレイ上で、特殊なキーボード、特殊なシステムを使っていました。私が触れたのは3,4年くらいだったのかなぁ...

そのうち、「成績処理をパソコン上でやろうよ」って話になりました。その当時、職場で「そっち方面」の方は、私を含めて4名でした。K原先生、情報科教員MT(自称)kevinと私。コンピュータ班、略称「C班」と呼ばれていました。なお、今は「情報処理部」って名称になっています。メンバーも増えました。

kevinの知り合いの業者に「異常に安く」システムを作って貰いました。高校については、受験から教務処理まで、ウィンドウズ上で処理するようになりました。なお中学の教務関係は、私の勤務開始当初からMT先生が「桐」にて運営していました。
その「異常に安かったシステム」はAccessで作られていました。そのシステムも数年間運用されていました。しかし、あまり記憶が残っていません。取りあえず、その頃に「外字」に手を染めてしまったよな気がします。

kevin無きブンスギ、新たに教務システムを外注しました。Access上のシステムは、使い勝手が今ひとつだったということがあります。しかし、システムが改良されなかったのは、私の職場が「支払いを渋りすぎた」という面もあろうかと思われます。その当時、私は会計に関係なかったから、よく分からないけど。

で、その「新しい教務システム」は「桐ベース」で行くことになりました。使いやすいから。私も、MT先生も、桐が好きです。(しかし、バージョン8と9の間でファイルの互換性が無いのは「どうなの?」って思います。)システム構築はソニックブームって会社に頼みました。

そのシステムも数年間運用されました。しかしながら最終的には、私の職場が「(注文の割に)支払いを渋りすぎた」ような印象を持っています。相手から愛想を尽かされたと思っています。あの「桐でのファイル共有」ベースでは、とても良くできたシステムだったのではないかと...


「辞めてやる」話を素通りしてました。

12年前、「名票」その他は校内で自作していました。入試のデータ処理から成績処理まで、ウィンドウズ上で行っていました。

私自身は2回目の「新入生の担任」でした。

教室で入学式の説明をしていたら、誰か(教員)が教えてくれました。
「このクラスの○○さんは○○コースだ」と。

入試関係の先生のミスでした。生徒が入れ違い、互いに別のクラスに配属されていたのでした。私も驚きましたし、生徒も驚いていたでしょう。
即座に彼女たちは「本来のクラス」に移動し、入学式は行われました。

入学式では「呼名」が行われます。その○○さん達の呼名の際、保護者席では「どよめき」が起こっていたと、後から聞きました。保護者に配布された「新入生の一覧表」とは異なっていたから。
私は緊張からか、その「どよめき」には気づきませんでした。

○○さんには、担任として陳謝したのだと思います。翌日、ちゃんと学校に来てくれるのかが心配でした。(特に問題も無く(というワケでも無い気もするが)、彼女は卒業しました。)


その入学式後、夜遅くなるまで、「名票」と「ロッカー・下足箱の名札」を作り直しました。A井先生も同じ「被害者」でした。私自身がそれらの「印刷物」を作成する係だったのは幸いだったのかな? 「生徒手帳」も作り直しました。


当時「入試関係」のトップである先生はヒマそうにしていました。職員室から離れた部屋(隠語?では15番教室)で、フリーセルばかりやっていた。入学式前も。
私は苦々しく思っていましたが、先輩だし、仕方ない。ま、ちゃんと仕事をしてくれれば、私としても文句は言えない。

ってトコロで、その「事件」が起こったのでした。


ブチ切れた私は、8日の「後始末」が終わった後に、彼が「フリーセル」をしているパソコンに「テキストファイル」を保存しました。

まだ、そんなこと行いますか?
って。

で、「スタートアップ」に、そのテキストファイルへのリンクを放り込みました。
ま、私も若かったのでしょう。


数日後、先輩から「済まなかった」って謝罪の言葉を頂きました。


その先輩、今は別の職場にいらっしゃいますが、年賀状のやりとりはしてます(笑)。

リスクマネジメント

3週間ほど前。

朝の山手線内、私の目の前には、つり革を手にした御仁(♂:多分50代後半)が居た。彼は「フランス書院」的な文庫を熟読していた。
しばらく彼について考えた。というか、考えざるを得なかった。
山手線は混雑しており、持参している朝刊を開くスペースが無かった。

改めて告白(?)するのだが、私は通勤途上、かなり「ヒトの読んでいるもの」を覗き込む。()

その20分弱の移動中、私は結論を得た。
「『タブロイド紙のエロ紙面』を『大っぴら』に見てるよりは、セクハラ度合いは少ないかもね...」と。
彼はちゃんと(?)、文庫本にカバーをかけていたし。


ってネタ、3週間前に書こうかと思ったまま、寝かせていた。
本日「facebookとかにログインしたまま、エロサイトを閲覧すると危険」ってニュースを知った。

パソコンでエロサイトを見るよりは、フランス書院の方が安全なのかも知れませぬ...

エナメルバッグに関わる流行について

私はここ2年くらい、ずっと謎に思っていたことがある。
思い出したので、記す。

エナメルバッグ(画像ググリンク)というものがある。

私がそいつを買ったのは、教員になり、ソフトボール部の顧問をするようになってからだ。野球やソフトボールなど屋外で行うスポーツは、自分のカバンも屋外に放置するしかない場合が多い。当たり前だが。
エナメルバッグ(そもそも、アイツは合成樹脂であり、真正の「エナメル」では無いが)は、汚れにくい。埃や泥がついても、拭けば取れる。若干の雨にも耐える。

で、そのエナメルバッグ、最近「ベルトを結んで短くしている輩」を見るのだ。

ベルトの長さが調節できないのなら、結んで短くするしかあるまい。しかし、アジャスター(?)が存在しているにもかかわらず、ベルトを全開バリバリに長くした上で、ベルトを結んで短くしている若人(だいたい高校生♂)を見るのだ。

あのセンスは、理解できない。ま、一種の流行なのでしょうけれどね。


関連する過去の日記
腰パンって見苦しくない?(2004年6月)
掃除ボランティア増殖中(2006年4月)

20云年ぶり2回目の「中本」

先日(正確には先月)行ったのは、高円寺の店舗です。
「初心者にお勧め」の麺でしたが、見事に辛かった。

私が最初に「中本」に行ったのは、上板橋の「元祖」です。高校時代でした。1コ上の先輩(数年前は長野で薬剤師をしていたと聞く)と一緒に行ったのは確かです。
「有名らしいから、行こうぜ」ってコトで、彼に奢って貰ったような記憶が...。4名で行ったような気がするのです。しかし、自分が何歳(何年生)だったか、他に誰が一緒だったか、それが定かでは無いのですねぇ...

初「中本」では、麻婆豆腐がのっかった麺を頼みました。我々が注文した麺を作る様子、カウンター越しに見えました。中華鍋に一味唐辛子が「注ぎ入れ」られていました。水か何かのように。
その際は「すげー量だなー」としか思いませんでした。

その麺、辛くて大変でしたが完食しました。辛いものを食べるとケツの穴も痛くなること、その翌日に知りました...。
「ケツが痛がる」ってコトは、途中の「物言わぬ腸達」も痛がっているのだと思いましたなぁ。

消化管には基本的に感覚が無いこと、良いのか悪いのか...。未だに謎に思っています。

なお、2回目の「中本」は私のケツに対して、特に影響は与えなかった様子です。
また、唐辛子というと、私は書籍の『麻雀放浪記』も思い出してしまいます。

級友をネット上で探す

先日、高校時代の部活の同窓会があった。
半年分の羊肉を食べた。

7名ほど集まった。「私と同学年だったオトコ」にずいぶん逢っていない、という話になった。
『筆まめ』の「出・受記録」を見る限り、2004年までは賀状のやりとりがあった。その後3年間は梨の礫。その後、私も賀状を送るのは止めた。

彼の笑顔に20年近く逢っていない。
逢いたいので、私が把握しているメールアドレスから、改めてネット上を検索してみた。「アカウント名」and「プロバイダ名」にて。「彼が作ったサイト」への(デッド)リンクはあった。しかし、そのサイト自体は今存在しない。

で、http://archive.org/web/web.php にて、「彼が作ったサイト」のアーカイブを探す。サラッと発掘。

なんだかんだで、彼のブログ「特小ism」を発見したのでした。
ま、元気なのは確からしいので、良かったです。

連絡を待ってますm(_ _)m

金環食のための浪費@ありおり

Kenko「マルチホルダー76」税込710円@ヨドバシカメラ新宿(5/19購入)
Kenko「アダプターリング 72mm マルチホルダー76用」税込710円@ヨドバシカメラ新宿(5/19購入)
アストロアーツ「日食観察プレート B5版」送料込600円@アストロアーツ通販(3月納品)

計2020円ナリ。

5,250円メガネ

昨日、Zoffなる店で購入した。
詳しく言うとZoffルミネエスト新宿店である。

とても良い買い物をした。店員さんもとても丁寧でした。
その店に入ったのはたまたま。帰宅途上の駅ビルで「名前を知ってる『安く眼鏡を売っている店』」を探した結果である。


一昨日、メガネをかけたまま寝てしまった。良くあるのだけど...。
で、絶対的に良くないのは分かりつつ、片手でメガネの「つる(テンプル)」を持ち、私の巨大な鉢(ドタマ)からメガネを外そうとした。そうしたら、ものの見事に蝶番が破断したのだ。ま、今回購入のメガネと同じく5250円だったから、それほどショックは無かった。
「とある店舗」での購入当初から、蝶番周辺の「ガタつき」もあったんですよね。「5250円だから、仕方ないだろう」って思って使ってました。プラスチックのフレームも、ヤスリを用いて自ら微調整したことがありました。

今回買ったメガネ、過去に出会った「壱万円以下のメガネ」とは、一線を画しています。
Zoff、お勧めしますね。

しかし、私はここ3年くらい、SWISSFLEXのメガネが欲しいとも思っているのだった。あれ、高いんですよね。
香川照之なる(私が好きな)役者が医療ドラマでかけていたメガネです。とても素敵に見えたんですよね。


過去のメガネ関連日記
あのメガネは「アリ」なのか?(2006年3月)
メガネ。(2009年12月)

理解不能な生徒の言動

高校生はまず言わない。
中学生の一部は言う。「先生、(板書を写すノートの)ページ変えた方が良いですか?」

知るか。

とは答えない。
「んー。好きにどうぞ」が基本形だろうか。
小学校では「板書を写す際の改ページ(?)」まで指示するという風習でも生まれたのだろうか? 私は、そんな先生に教わった記憶は無い。

マジで、理解できない。
「ノートを(無駄に)綺麗に保ちたい」という意識と、他人の勉強を邪魔しているコトに気づかない神経が。


「あと(続きの板書は)どれくらい書きますか」って問いには、仕方ないから素直に「○行くらい書くよー」って答える。真面目に見える生徒からの質問ならば。

ま、何にせよ、そういった質問をする生徒、板書に遅れないようにノートを取る気概があるだけ、偉いのかも知れません。
しかし、彼らが「構ってちゃん」なのは確かでしょう。

初めて障子を張り替える

ここ数年の懸案であった、自宅の障子の張り替えを完了した。若干「たるみ」があるようにも見えるので、気が向いたら霧でも吹いてやろうと思っている。

障子を破ってきたのは、主に子供(と私)である。彼女もだいぶ聞き分けがよくなってきたので、むやみに物体を破壊するようなコトは無くなった。
ここ数ヶ月、「張り替えグッズ」は確保してあったので、覚悟を決め、今朝から作業を開始した。初体験である。

と、ここまで日記を記し「そういえば、週末に試験問題を作ることも考えていたっけなぁ...」ってことを、今更ながら思い出した。ま、試験問題作成のための「元ネタ(授業プリント)」を持ち帰っていないので、今更どうしようも無いのではある。


今この駄文を作成しているパソコンは、ミドルタワーの自作機である。床に置いてある。
もう、2年ほど前だろうか。子供はこの「パソコン」の電源スイッチや、DVDドライブのイジェクトボタンに興味を示した時期があった。5インチベイ用の「小物入れ」は、見事に壊れた。きちんと閉まらなくなったが、そのまま使っている。今、彼女はこの「物入れ」には見向きもしない。以前は物入れの中身チェックを励行していたのに...。
パソコン以外でも、DVDプレーヤーのイジェクトボタンも好きだった。「トレイの出入り」の一体どこが楽しいのか、荒んだ大人には理解できなかった。


パソコンのDVDドライブのボタンを突然押されようとも、パソコンを使う上での支障は無い。しかし、電源ボタンは問題だ。かなり。
私は、彼女が寝ている間に、遠隔電源ボタンを設置したのだ。
PC-IGNITION II (画像ググリンク) とかいう製品。


その後しばらく、彼女は「電源ボタンが効かなくなった」ことに疑問を感じたようではあった。しかし、怒ったりすることも無かった。
彼女の「ボタン熱」は、数ヶ月で終わったようだった。いまも、無駄に「遠隔電源ボタン」だけは存在している。
20120624.jpg

障子の張り替え、今は亡き婆さんがやっているのを、見た記憶が残っている。

iPhone買った

とうとう、買ってしまった。NOKIA製の705NKは5年半使用したことになる。
新しいケータイは恐ろしく便利で、数万円するのも当然なのだと感じた。この駄文もiPhoneから作成している。
早起きして無駄に遊ぶのは久しぶりだ。
小学生だった頃、休日の朝に「学研の科学マンガ」を無駄(?)に読んでいたときの心境に近い。

一大転換

とうとう、私は痛風(高尿酸血症)について、投薬による治療を受けることにしました。ってか、既に受け始めて10日程経過しました。

8月の頭、同僚数名と阿佐ヶ谷の焼き鳥屋さんで盛大に暑気払いをしました。焼き鳥を食べ、あまり得意で無いレバーもきちんと摂取し、生ビールばかり飲み続けました。最近はあまりアルコール自体を摂取していませんでしたので、久しぶりの飲酒でした。
その3日後、右足首に違和感を感じたのです。特に「捻った」ワケでも無いのに、痛みが生じるのです。2012年に入ってから、度々そういうことがありました。
更に翌日には、歩行に困難を来しました。
なお、今年7月時点での尿酸値量は、8.5mg/dLでした。立派なレッドゾーンです。検診前の3週間程度の断酒では、尿酸値はそれほど下がっていなかった様子。

「大して(連続的に)酒を飲んだわけでも無いのに、痛風の発作が出るなんて、いよいよ年貢の納め時か...」というコトで、自宅近くのクリニックの門を叩いたのです。正確には自動ドアだったけど。

処方されたのは「アロシトール」という薬でした。正式な物質名は「アロプリノール」といい、尿酸の合成を阻害する薬だとか。確かに、その分子は核酸チックな形状をしています。ネット上で調べてみると、高尿酸血症の治療の際には、この薬が第一の選択肢になる様子です。
ただ、薬を処方される際に薬剤師から「尿酸が動くので、痛みが出るかも知れません」とのお言葉を頂きました。実際、薬の服用以降、四肢の様々な関節が度々鈍痛に襲われています。分かる人にしか分からないだろうけど「痛風の発作の前触れ」の軽いヤツが現れるのですヨ。数分後には痛み自体が消えてしまうので、大して苦痛ではありません。

今回、クリニックから痛風についての小冊子をもらい、改めて知ったことがあります。それは「高尿酸血症の人体には、既に『尿酸の結晶』が蓄積されている」ということ。

「アロプリノール」の服用
→尿酸生成の抑制
→血液中の尿酸量の減少
→「既存尿酸結晶」の溶解と崩壊
→結晶の移動による鈍痛
ってなコトらしいです。
この「鈍痛」が消えた時、それは「私の体内の尿酸の結晶」が溶けきったときを示しているのでしょう。

10数年間の結晶、いつになったら消えるのかしらん...
あと、今まで言い忘れてましたが、私は「痛風発作の定番」と聞く「足の親指の付け根での発症」は体験したことがありません。少なくとも5回以上の発作に襲われているのですけれど。なお、発作は初回が一番強烈でした。

痛友(への処方例)

職場には痛風友達が居る。男性ばかり、私を含めると5名である。

最も後から痛風の発作が出た同僚(今の職場に入ったのは私よりも後だが、年齢的には私より上であり、痛風持ちとしては私の方が歴史があるが、薬の服用を始めたのは私よりも早い)に、カミングアウトした。
「私も、薬を飲むことにしました」と。

私が飲んでいるのは、アロシトール100mgを朝晩に1錠ずつである。

彼の飲んでいる薬を教えてもらった。「『おくすり手帳』へ貼るシール」のコピーまで貰って。

フェブリク20mg
ポトレンド配合錠(クエン酸製剤)
これらを1日に1回服用するそうである。
私も後から参照できるよう、日記にしてしまうのだった。

なお、今日も複数回、あの「ビミョーな痛み」が私を襲ってきたこと、報告しておこう。

教育学部で受けた授業

20年前の話である。

半年間、ラジオ体操をする
半年間、毛筆でひらがなを書く
半年間、様々なものをデッサンするし、絵を描き、チーク材でペーパーナイフを作る
一年間、バイエルを弾く

「初等教育教員養成課程」であるから、そのような授業があっても不思議では無いかも知れない。また、私の脳が記憶を捏造していて、上記授業は「半期の一部」だった可能性もある。
それぞれの授業、嬉々として受けたワケでは無い。そして、あいにく私は小学校に勤めることは無かった。結局、これらの授業経験はそれほど生かされてこなかった。
しかし「書道」については、最近若干役に立っている気もするのである。

私の文字、特に「紙に書いた文字」の特殊さについては、職場内では定評がある。真似をし難いものらしい。真似をしたいヒトが居るとも聞かないが。

20120903s.jpg
なお、これらの紙には「高(中)2しんど」って書いてます。

この1年ほどの間に、我が子は平仮名を判読するようになった。彼女のための文字は、同僚や自分宛、生徒へ向けた板書よりも、丁寧に作成されている。

20120903h.jpg
とりあえず、「か」の第二画は少し長すぎる気がする。

なお、私の「板書」については「読みづらい」という評価よりも、「読みやすい」という評価が圧倒的に多いことを申し添えておく。ま、字がデカければ、基本的に読みやすくなるワケですけれど。


過去の関連する日記
パソコンに感謝(2003年5月)

不協和音

昨年、JR阿佐ヶ谷の「発車メロディー」が変わった。そのメロディは「ジャズ風『七夕』」になっている。毎年8月に行われる「七夕祭り」と10月下旬の「ジャズストリート」に由来するものらしい。

私は「JRの発車メロディーは、同時に鳴らしても『聞ける』ように作られている」と聞いていた。実際、「よくある『発車メロディー』」は、そのように作られているような感じがする。また、ネット上にて「同時再生」を再現している方もいらっしゃる。
発車メロディ同時再生シリーズ
また、同じ駅で「様々なメロディ」が「様々なタイミング」で再生されていても、別に「気持ち悪くて聞けない」というコトは無いように思う。というか、この間まではそう思っていた。

阿佐ヶ谷駅では「チョー気持ち悪い音」がすることを、約一ヶ月前に知った。以下のサイトを多重に(複数のウィンドウにて)開けば、「気持ち悪さ」が再現できるのかも知れない。そういえば、昨年7月は「録り鉄」の方を幾度かお見受けしたっけ。よくこれほど綺麗に、余計なアナウンスを突っ込まれずに、録音できるものだと思う。相当なご努力、忍耐力が必要なはず。

で、改めてそれぞれのメロディーを聞いてみた。1,2番線の2曲は親和性が高い気がする。4番線は帰宅時に聞くので、馴染みがある。3番線の曲は三連符を用いていること、改めて知った。とりあえず、それぞれのリズムだけ見ても、合わないのは明らかである。
私の素人耳で聞く限り、一番 jazzy な和音を用いているのは4番線だ。音だけ見れば、他の曲との親和性は低そうだ。

毎日阿佐ヶ谷駅を使用している身からすると、運行ダイヤの許す限り、車掌さんにはこの「オリジナル」の発車メロディーを長く鳴らしてほしい。「jazz による『聞けない』不協和音」という体験、少し面白いので。

無条件反射

その「いいね」何に対して言ってるの

髪の毛を立てる

私(40代半ば)が「寝癖」と見なすのは、「不用意に立ち上がっている髪の毛」である。俗に言う「オールバック」的な髪型(という程のものでないが)の私は、側頭部に寝癖を発見することが多い。

とある朝、アラサー男子の同僚が言った。「朝、時間がなくて、髪の毛が寝ている。恥ずかしい」と。
見事に感覚が逆である。

彼らは、高校くらいの時から「髪の毛はツンツンさせるもの」という感覚で生きてきたのだろう。普通に身支度をする時間があれば、整髪料を用い、髪の毛を立てるのが「作法」らしい。
オッサンである私は「髪の毛は寝かせるもの」と思ってる、今でも。
ま、一応家には「ヘアワックス」の類もあるのだが、数回しか使ったことはない。使って職場に行った記憶はない。フォーマル(?)では使う気がないってコトだ。

どちらか「だけ」が「正しい」なんて、思っていない。若人も老人も、どちらも好きにすれば良いのだ。ただ、その違いが面白いと思う、ってコトです。


過去の関連する日記
若者とオジサンの境界
掃除ボランティア増殖中

香りについての刷り込み

杉並区では、昨日あたりからキンモクセイが香り始めたようだ。
10日ほど前には、北区中央公園の入り口にあった木から、同じような香りがした。花の見た目と香りとググった情報からすると、ギンモクセイだったのだろうと考えられる。
秋なのだなぁ、と感ずる。

以前にも記した気がするが、私はキンモクセイの香りが好きだ。春のジンチョウゲも。この2本の木は「実家」に存在した。モノゴゴロが発生する以前から馴染んでいた香りであるため、私の脳に深く記銘されているのだろう。

香る花と言えば、ほかにもいくつかは存在する。特に香りが強いのは、クチナシやジャスミンだろう。これらは、通勤路の途中に存在している。やはり、杉並区内の話だ。この2種類については「この香りは何だろう?」と疑問に思い、調査したことによって「木の名前」が判明したものだ。

やはり、この「香りの強さ」は選別や品種改良によるものなのだろう。植物としては「ヒトに訴えかける香り」を持っていても、その生存には大して役に立たないだろうから。
「ハンマーオーキッドと一種のハチ」は「凄く特殊な進化の例」に挙げられることが多い。「見栄えの美しい花」というのも、花卉生産業者の努力の賜物なのだろう。
キンモクセイやジンチョウゲ、地味ではあるが、確実に「ヒト」によって「栄枯盛衰」を支配されているのだろなぁ... と改めて考えた。

15mmレンチ

先日、久しぶりにママチャリの後輪のチューブ交換をした。たしか、2回目である。今回と前回は別の個体である。
2時間くらいはかかるだろうなぁ...、と考えていた。やはり、1時間半程度はかかった。本職の方ならば、もっと早くできるのだろう。しかし、そのために数千円支払うのは癪なので、暇な日の朝にやってみた。そもそも、そのママチャリ自体が3万円もしなかった。ま、ママチャリの3万円は高級品ではあるが。

結果的には、表題の工具が「過去に買ってあった」ため、一応完了できた。
今、改めてネット上を検索して気づいたが、「内装ギア(変速機)」がついて無くて良かったな...、と。前回は「変速機無し」だった。今回は「外装」の「後輪5段変速」だったのだ。
チャリンコを弄くるコト自体は、中学生くらいの頃から結構やっている。その当時の経験で、外装の変速機については特に忌避する気持ちは無い。一応、私はビアンキのロードレーサー(後輪に9段ギアのシマノ105が付いてるヤツ)も持っていたりするのだが、ほとんど乗らず(乗れず)、実家に置いたままになっている。

自転車の後輪のパンクならば、ママチャリの場合「チューブを引っ張り出して」行うのが基本である。ロードレーサーならば、簡単に後輪は外せるので、もっと簡単だ。今回のチューブ交換は「イギリス式バルブがブチ折れる」という、「チョー意味不明」な事故があったためである。普通、あの部分は破損したりしないと思うのだが、「使用者であらせられるお方」が見事に破壊してくださったのだった。2週間ほど放置してあった。
今回、チューブ代の800円程度で直せたので、私としては「仕事したなぁ...」という感覚がある。ま、壊してくれない方が良かったわけではあるが。

で、表題のレンチ、そいつは「自転車の練習の一環として、子供用の自転車のペダルを外すため」に、以前に100均で買ったものなのである。ここでまた、そのレンチが有効活用されることになるとは思わなかった。後輪の車軸くらい、モンキーレンチで外せるものだと思っていた。というか、中学生くらいの時も、前回も、車軸のナットはモンキーレンチで回せたのである。今回、後輪を外す際も、最初はモンキーレンチを使ってみた。しかし、びくともしなかったのである。モンキーレンチは、そもそも「大きな力でネジを回すため」のものではない。それは承知している。
最初、モンキーレンチを使った時「これは、全然動かないなぁ。今日の修理は諦めるしかないか...」と考えたのだった。ペダルのナット?のサイズとママチャリの後輪のナットのサイズが、たまたま同じだったのは、本当に幸いであった。家にある本格的な長さを持ったレンチ(力を込められるレンチ)は、この1本だけなのである。
さっきまで知らなかったが、ママチャリの前輪のナットのサイズは14mmらしい。前輪と後輪でナットのサイズが違っているなんて、全然知らなかった。ま、モンキーレンチを使っている限り、気づくはずも無いのだけれど。

「有効活用」という点では、JR阿佐ヶ谷駅北口の金物屋で購入した「レンチのセット5枚組」も役に立った。ママチャリのドラムブレーキ脱着の際に、10mmのレンチが居てくれて助かったのだ。同じようなものは100均でも売っているはずである。その「レンチのセット」は300円以上したような記憶がある。400円超えだったか? そいつは、何故か無駄にペンキで塗装されているのである。ペンキを付着させる分だけ、精度が落ちてしまうだろうに...、と思いながらも購入せざるを得なかったことがあったのだ。何でそれを買う必要があったのかは、忘れた。何しろ、100均というとても便利な「お店群」が存在する今、あんまり金物屋さんには行かなくなってしまった。その「高価?」なレンチも存在価値が再度発生したので良かった。

それらの勇姿を以下に。
20151213.jpg

そして、次回の「レンチ達」の出番が、なるべく先になることを願うのである...。また、「内装ギア」の自転車が我が家にやってきた日には、その仕組みを研究しておく必要があろうな...。

新年に富士を見た

謹賀新年。

最近はあんまり「初日の出」を見ていなかった。昨日も今日も明日も、皆同じ1日でしかないし。とか言いながら、一応年賀状は元日に届くように投函したりするのだった。
で、初日の出を久々に見た。成り行き上、首都高の上から。

大晦日あたりから、東京はよく晴れて暖かい日が続いている。元日の朝もほぼ快晴だった。
その日は日の出がよく見えたのだが、富士山もよく見えた。羽田空港の近くからは障害物も無く、とても間近に富士山が見えたのだった。で、「写真でも撮ろうかなぁ」と、一瞬考えたが、止めておいた。「美しい富士山の写真」なんて、世の中、と言うかネット上にはたーくさんあるだろうから。
前にも書いた気がするが、写真、特に風景写真を撮ろうかと考えた直後に「ネット上にもあるはずだな」と考え、撮影が面倒になってしまうことがある。
別の理由に、風景写真は自分の「感動」を上回る作品に仕上げるのが難しいってコトもある。多分、職業写真家か何かなら、「写真に残すこと」が最終目的だろうから、構図やらレンズの焦点距離やら、露出その他に気を配り、「ほぼ狙った通り」の図版を得るのだろう。私は素人だから、そこまでの気合が無い。ま、努力自体を放棄している面もある。手元にあったのは iPhone4s だけだったっつーコトもありますが。

で、言いたかったのは「富士山は神々しいなぁ」ってコト。「ニホンジンとしての刷り込み」だけでは無いと、改めて思いました。ほぼ単独の火山で、あれだけしっかりと立ち上がってるってのは、やはり異常だと思う。

職員室

この語は不思議だ。
通常、この語は「学校」の類でのみ用いられる。保育園・幼稚園から高等学校までだろうか。この字面を普通に解釈すれば「団体職員の働く部屋」という意味でしか無いはずだ。

世の中は、一匹狼で仕事をしていない限り、自営業であったとしても「複数名で同一の場所に籠もって働く」ということは「ごく普通」にあるはずだ。
そういった意味では、大方の企業の事務部門は「職員室」を持つことになるだろう。場合によっては、夫婦などで事務作業をすることもあろう。その場合もやはり、小規模な「職員室」が自然発生するはずだ。

しかし何故、日本語では「職員室」というと「『学校』で教員が詰めている部屋」ということになるのだろう? これは、私が教員として働き始めた頃から、ずっと疑問に思っている。「事務室・事務局」とか「用務員室」も、学校職員の詰めている部屋だ。
大学くらいになると、「職員室」という語は使わないようだ。というか、基本的には先生方は各自のオフィスを持っていた。1人部屋だと、私の語感では「職員室」という語は似つかわしくない。

結局のところ、日本に於いては、働く人が「決まった場所に詰める」ということが始まったのは、学校・藩校の類からなのかなぁ...、と。
サラッとググってみたが、「職員室 語源」では、その辺のことは分からなかった。


もっと不思議なコトもあるにはある。学校の教員は、一人称として「先生」って語を用いがちなコトだ。
以前にも記したことがあるが、私が中学のときに大きく影響を受けた先生方2名(♂)は、どちらの方も「僕」という一人称を使っていた。なお、私はこの職業(教員)に就いて以降、「私」という語を基本的に使っている。ごく稀に「俺」と言っている場合もあるかも知れない。

ま、あれも「刷り込み」なんでしょうね。私についても、他の「センセイ」についても。


過去の関連する文書
う回 鵜回?
何故に〒?

人前でピアノを弾く

先月「ピアノ発表会」とやらに参加した。演奏者として。
『ピアノ・オン・ザ・ロック』という曲だった。吾子と連弾を行った。興味がある方は、曲名にてネット上を検索なさると、様々な方の演奏する様子が見られるはずだ。さっき、改めて「少年達」の演奏を見ていたら、演奏会の時の緊張が自分の中に蘇ってきた。自分の反応に笑った。

この曲は、どう考えても、主役の「高音パート」の方が簡単である。楽譜を最初に貰った時に「どう見ても、伴奏の方が難しいだろ」と思った。高音パートならば、ほとんど練習せずとも弾ける自信があった。そして、「低音パート」については、相当に練習しないと弾けないだろうコトが瞬時に分かった。そもそも、楽譜を貰った当初は、左手と右手で別々のリズム(ロックンロール:「ずんちゃちゃずんちゃっ」の「ずん」が左手、「ちゃ」が右手だが、2つめの「ちゃ」では裏側で同時に「ずん」)を刻むことができなかったのだ。また、曲中間部の16分音符が混じる所(♪テロテッロッペッポッパッポッ)などは、到底弾けるとは思えなかった。
連弾のパートナーは、母親が務める場合が多いらしい。あるいはピアノの先生や、お姉さんとか、お兄さんとか。その演奏会に於いては、父親が弾くことはほとんど無いということだった。
配偶者と私を比較すれば、音楽関係に於いては、明らかに私に「一日の長」がある。ピアノをどこかで習ったことはない(習いごとや塾、予備校の類には一切行っていない)が、高校時代は合唱部でパートリーダーを務めたし、大学時代には「小学校教員免許取得」のためのピアノの授業もあった。そこではバイエルの一部を弾いた。

で、相当に練習した。特に演奏会前の3週間くらいは、毎日必ず10分以上は練習しただろう。ま、最終的な出来映えは「そこそこ」だったと思う。当然のことながら? 練習の方が多少うまく弾けた。しかし1年前に比べれば、私のピアノを弾く力は、遥かに上がったのは確かである。また、「プロのピアニストは上手いのだなぁ...」と思ったのだった。

加えて、高校時代の合唱部の伴奏者、「どかちゃん(あだ名)」は偉かったなぁ...、と。

合唱というのは、「大勢」で歌うから、多少はミスをしたり、息継ぎで歌うのを一瞬休んだとしても、大きな問題にはならない。しかし、ピアノなどは違う、というコトを改めて知った。

ヒマな夜、私はインナーイヤーのヘッドホンにて iPod の音楽を聴きながら寝ることがある。基本的に全曲をシャッフルして聴く。で、タイマーで止める。ヘッドホンをしたまま寝てしまうと、若干耳が痛くなる。
年末年始の休みの間、時々それをやっていた。ある晩、高校時代の「定期演奏会」の音源が再生された。妙に目が冴えてしまい、その演奏に聴き入った。
で、思い出した。「どかちゃん」のピアノもあったが、定期演奏会では「なるしま(本名)」のギター演奏もあったことに。彼らは偉かった。私は特に偉くなかった。単なる「歌い手」だ。ま、部長兼ベースのパートリーダーだから、偉いと言えば偉いのだけど。


何しろ、楽器の演奏というのは緊張するものであるコトを知った。ま、慣れてしまえば慣れてしまうのでしょうけどね。

吾子については、基本的に緊張しなかったらしい。演奏後、「パパは緊張したわ。(あなたは)どうだった?」と尋ねたら、「緊張しなかったよ」「人が聞いていると思わなければ良いんだよ」と教えて貰ったのだった。かなりウケた。

彼女はまだ、「突然自分を客観視してしまう」という類の「緊張」に出会ったことがないのだろうな、と思ったのでしたとさ。ま、良い思い出ができた。

光化学スモッグと入浴剤の共通点

この話は、記したことがなかった。また、検索したこともないが、ネット上で見た記憶もないので、記す。

私は非喫煙者だ。
最近は少なくなったが、「光化学スモッグ」の注意報が、杉並区に出ることがある。で、その空の下で、きちんと屋外の部活動を行ったこともある。大体において、この「注意報」が出る前に、私の呼吸器官は異変を察知する。息が深く吸えなくなる場合が多いのだ。光化学スモッグが発生している場合は、何故だかむせそうになる。でも、大体において、むせたり、咳込んだりすることはない。この「身体の反応」は、同じ場所にいる生徒にも出現する場合がある。また、授業中などに「光化学スモッグって、むせそうになるよね」という話をすると、「そうだそうだ」と同意する生徒も多い。
で、この「むせそう」な感覚を、全く感じないという人たちもいる。そう、喫煙者だ。
私の前にソフトボール部の顧問をしていたお方(故人)は、立派な喫煙者であり、酒飲みだった。20年くらい前、ソフト部の面倒を見てくれていた卒業生も、立派な喫煙者で酒飲みだった。彼らは、普段から煙を大量に吸っているためか、光化学スモッグを「喉で感じる」ことが無いと言っていた。というか、私が屋外での部活指導中に「何か、空気が吸いづらくないですか?」と尋ねても、「分からない」という返答が返ってくるのだった。でも、生徒たちは「息がしづらい」という。そんなことが数回繰り返されたので、「喫煙者の喉は光化学スモッグに鈍感らしい」という結論を得たのである。ウィキペディアなどを見ると、光化学スモッグの主成分?はオゾンである、みたいなことが書いてある。しかし、光化学スモッグと、コピー機の周りに漂う「生臭さ(これは高電圧によって生じるオゾンと聞く)」は、似ているとは思えない。
話は変わるのだが、最近の生徒に「コピー機をずっと回してると、生臭くなってくるでしょ」と尋ねても、明確な反応が返ってくることが少ない。それは何故なのか、やっと今年になって気づいた。それは「コピーをとる機会がない」からなのだ。何か「資料」が必要な場合、彼らが最初に行うのは「ケータイでの撮影」なのである。確かに、あれはタダだ。コピーは大体10円くらい必要になる。そりゃ、コピー機の臭いも知らないわけだ。

で、入浴剤。特に「発泡性」のやつ。あれも、むせることがある。ま、この件については、喫煙者の意見を聞いたことはない。自分(と子供)の感覚だけである。「発泡入浴剤」の草分け的存在である花王の「バブ」、あれは絶対にむせない。でも、その「類似品」には当たりはずれがある。「発生するガス」を吸っていると、むせそうになる場合が多い。あれは何なのだろうか? バブによって発生する二酸化炭素は純粋に近く、パチモンから発生するガスには微量の不純物(ガス??)が混ざっているのかもしれない。が、分析にかけたわけでもないので、よく分からない。そして、検索もしない。検索して「なるほど!」という記述に出会ってしまうと、この駄文を世に出す気力が失せるからだ。

ハワイに行ってきた

「アメリカ放題」って、ソフトバンクのサービスがある。
開始当初は「偉い人」である孫氏が無駄なことしてると思ってた。まさか「そいつ」に世話になることがあるなんて思ってもみなかった。

約3ヶ月前、修学旅行の行き先が変更になった。アメリカ合衆国はハワイに行ってきた。日本に戻っておよそ20時間ほど経過した。人生での「初ハワイ」「初USA」であった。

結局、持参した文庫本は、ほんの少し、帰りの機内で読み進められたただけだった。ま、学校行事の引率なんて、それが正しいのだろう。持って行った本は『坂の上の雲』なのだった。昨年末に四国旅行に行くことになり、11月に読み始めたのだ。4巻までは進んだ。正岡子規は、物語内では随分前に退場してる。現在は 、遼東半島の攻防中。

デルタ航空利用で、機材はボーイング767だった。特に帰りはずっと「日向」を飛行するし、読書をしようと思っていた。成田への帰りも、食事のとき以外は照明が落ちていた。読書灯の明かりが「鋭すぎる」気がしたので、使わずに終わった。あれはLEDなのだろう。特に周りの「読書をしていない人」にとっては、あの明かりは眩しすぎに思えた。

ドラクエと学力向上

ドラクエは今年で「生誕30周年」らしいですね。私は「I」から「V」までは、「攻略本」とか見ずに「自力」でクリアしました。

「I」が発売されたのは、私が高校1年生のときらしいです。夏から秋あたりに、中学時代の友達が貸してくれた記憶があります。「面白いからやれ」と。「II」から「V」は、自分で買いました。「II」を買った時の記憶は、あまり残っていません。私の中では「一番難しいドラクエ」として記憶に残っています。洞窟で、地道にマッピングしたなぁ...。

「III」は発売当日、高校をサボって池袋はビックカメラに買いに行きました。「社会現象」となった時でしたね。その当時、私は高校2年生でした。クラスメイトは50名弱でした。
発売日前、ゲーマー仲間である映研所属のT君に「O君はドラクエ買いに行く?」と質問されました。私は素直に「買いに行く」と答えたのです。質問してきたT君は「僕は(学校サボってまでは)買いに行かないかなぁ。」って、言ってました。「水泳部の〇〇君(名前忘れた)も買いにはいかないって言ってたなぁ」ってな会話をしたはずです。学校をきちんとサボってビックカメラに行くことを明言していたのは、クラスでは私1人でした。
でも、後から判明しました。T君、水泳部の彼とあと1人、計4名が学校をサボって「ドラクエIII」を買いに行っていたと。

ドラクエをとりあえずクリアしていた春先、T君が私に言ってきました。「ねぇねぇ、O君は成績上がった?」
「うん、少しだけ上がったね」と、私は素直に答えました。1年終了時はクラス内順位が42位だったのですが、2年終了時は37位(と記憶している)へと上がっていたのです。

T君は言いました。
「おお、O君も上がったのか。僕も順位が上がったし、水泳部君(卒アル見れば思い出すハズ)も上がったんだって。「あと1人」君(本当に忘れちまった)も成績が上がっていたなら、『ドラクエをやると頭が良くなる』っていう事が証明されるんだよ」と。
それを聞いて、私は嬉しく、面白く、心強く思ったのでした。しかしその後、T君からの嬉しい報告はありませんでした。「あと1人」君は成績が落ちていたのだろうと思ってます。確かめないまま、約30年が経過しました。ま、42番が37番になったって、大したことでは無いのですけどね。

なお、「ドラクエIV」は、大学の友人達と、やはり池袋に買いに行きました。前の晩、彼らと無駄に酒を飲んだ私は、朝の行列から脱落しました。気持ちが悪くなりすぎて。
そんな私の分まで、ソフトを買ってきてくれた石田君達には、今でも感謝しています。

「ドラクエV」については、やはり「買った際の記憶」がありません。あまり内容も記憶してないのですが、スーファミのカセットの外装は見覚えがあります。


まとめますと、難しくて苦労して楽しかったのは「II」であり、物語として楽しかったのは「III」です。「伝説となる地」に足を踏み入れたときの静かな興奮は忘れられません。

なお、「ドラクエVI」はやったことありません。「VII」は妹に借りて、しかも「攻略本」を少し見ながらやったけど、途中で放置したままです。「VIII」以降は未知の世界ですね。

野球協約180条

読売新聞で「野球協約」の存在を知った。

そもそも「賭けはダメ」って書かなきゃならないくらい、あの世界は「賭け事まみれ」なんだろうな、と思った。
で、その「協約(2015年度版?)」のほんの一部を見てみた。年々変わるものなのか、日本国憲法並みに不変なのか、その辺は分からん。ま、日本国憲法や職場の服務規程に比べたら、全然興味も関心も無いのだけどな。

「野球賭博常習者」というのも、世の中にいるのだろう。私は出会ったこと無いけど。できることなら「常習者」の定義もして欲しかった。が、あんまり詳しく書くと「自分達の首を絞める」ことになるから、テキトーにぼやかしたのかな、とも思う。

なお、私は過去に「猥褻物」と「暴力団」の定義も調べたが、そいつらも結局曖昧だった。

第180条 (賭博行為の禁止及び暴力団員等との交際禁止)


1 選手、監督、コーチ、又は球団、この組織の役職員その他この組織に属する個人が、次の行為をした場合、コミッショナーは、該当する者を1年間の失格処分、又は無期の失格処分とする。

(1)野球賭博常習者と交際し、又は行動を共にし、これらの者との間で、金品の授受、饗応、その他いっさいの利益を収受し若しくは供与し、要求し、申込み又は約束すること。

(2)所属球団が直接関与しない試合、又は出場しない試合について賭けをすること。

以下略

(東)桜島魂不屈の心

「桜島魂不屈の心」というフレーズが、私の記憶に残っていた。私が鹿児島県の桜島を訪れたのは、今から四半世紀前なのであった。
大学の徒歩旅行のサークル「伸歩会」の秋合宿にて、以下のルートを徒歩で移動した。6泊7日の徒歩旅行であった。
えびの駅(旧加久藤駅)~えびの高原~安楽温泉周辺~姶良~(鹿児島市内・フェリー乗船)~桜島古里温泉~鹿屋~南大隅町佐多~佐多岬

で、その4日目、桜島を移動している時に、表題のフレーズを見たのだった。
記憶の中では「桜島魂不屈の心」であった。「桜島は、東京なんかと違って気合いが入っているなぁ...」と感じたのだった。

そのとき、桜島は噴煙を上げていた。ま、通常運転らしい。その中を30km超、7時間前後をかけて歩いた。その間に、目には見えない火山灰が体に付着してきたようだった。その日は「股ずれ」になった。正確には「ケツの穴ずれ」である。肛門周辺が痛くなった。汗と砂でそのあたりが必要以上に擦れたらしかった。古里温泉の浴場にて、ケツを洗った記憶が残っている。

桜島では、「火山灰集積所」がそこら中にあった。ゴミ収集車ならぬ「砂収集車」が回収していくらしい。そのような環境にある小学校の校庭に、その標語があったという記憶が残っていた。

四半世紀前の記憶を確認する為、Google様の地図をスクロールさせてみた。

あった。
higashisakurajima.jpg

私が徒歩旅行の最中に見たのは「鹿児島市立東桜島小学校」だったことが分かった。

そのような「日々砂が降ってくる」ような環境では、「素直」とか「明るい」とか「元気」などという「生ぬるい目標」の下に成長しても、火山灰に耐えうる「きちんとした大人」にはなれないのだろう。
かなり印象に残っていたので、地学の授業で桜島の話をする時は、必ずこの「桜島魂不屈の心」の話をするのだった。火山灰集積所とか、股ずれの話も一緒に。

記憶の中では「東」という文字は無かった。しかし、実際にその「モットー(?)」が存在していることが確認できて良かった。また、今年の地学基礎の授業でも、この話をすることになるのだろう。

もう「ふるさと納税」なんてしない

私は「募金をしない」というコト、以前(その1その2)に記した。
もう一つ、意識的にやっているのは「『ふるさと納税』をしない」ということだ。ま、これも「意識」をしないと、「ふるさと納税は『できない』」のでありますけれど...。
表題は槇原敬之風にしてみた、なんとなく。念のため言っておくと、私は「ふるさと納税」はしたコト無い。

あの『下らない企画』は「富の再分配」という「オオヤケがやるべき仕事」に、真っ向から対立していると思うのである。
そんな「不必要なシゴト」を止め、その分の「地方公務員(常勤・非常勤とも)」の首を切り、税金を(多少なりとも)安くするのが「真っ当な『自治体』の運営手法」だろう。そもそも、都会の金は「地方交付税交付金」などで田舎に流れているはずだ。

あと「電気自動車への助成金」や「エコカー助成金」も、ほとんど意味が無いと思う。あれも全然「富の再分配」になってない。車は「欲しいヤツ」に『それなりの値段』で買わせれば良いのだ。
私は「今の世の中」では「ガソリン車」が最強だと思う。安全性が損なわれない程度(という「定義」は保留するが)に軽量で燃費が良いもの。ハイブリッド車とか、電気自動車とか、燃料電池車とか、私は買わないな。

以上、「ブルジョアに生まれ共産主義に道を誤りかけ、ゴールド免許を失った博愛主義で核兵器廃絶を願う愛国者(ただし汎神論を支持)」の告白。

片側を空けるのは、左右どちらでも良い。東京式の右でも、大阪式の左でも。
ただし、私が片側を空けるべきと考える理由は「歩く人を先に行かせるため」ではない。エスカレーターは、歩くためのものでは無いと思う。でも、通勤時などは、私もエスカレーターで歩くことがある。子供などと一緒の時は基本的に歩かない。

時々、「ドカドカ」と音を発しながら、エスカレーターを降りていく人がいる。若者でも、そうでなくても。
ああいう音をさせる人は、「エスカレーターの堅牢性を全面的に信頼していて、自分の体重ごときではエスカレーターは止まらないと考えている人」であり、かつ「足腰が弱く、体重移動をスムーズに行えない人」なのだろう。
私はエスカレーターの上を歩く時は、なるべく「音を立てないような歩き方」をする。止まったり、壊れたりしたら、怖いから。

余談は終わり、何故「片側を空けるべき」と考えるのか。
人が多めにエスカレーターに乗っている場合、足腰に不自由がなくても、エスカレーターの末端(降りるところ)では「渋滞」が発生している時がある。特に週末のデパート、下りエスカレーターなどでは。
「2列にギッチリ」で駅のエスカレーターが使用された場合、その末端で「将棋倒し」が起こる可能性は、格段に高まるだろう。
今は「片側を空ける」のが作法みたいになっているが、それでも「末端でモタついている老人など」が散見される。もし、JR東日本の言うように「2列になってエスカレーターを使う」ことが義務化?されたら、格段に怪我人が増えることだろう。
それは多分拙い。

まわるまわるよ時代はまわる

私が高校を卒業し、大学に入ったのが1989年だった。その年、昭和が平成になった。共通一次試験の最後の年だった。天安門事件が起こり、ベルリンの壁が崩された。その翌年である1990年には、東西ドイツ統一という巨大な出来事があった。

その「東西ドイツ統一」を印象深く覚えている。生中継を見たから。

「生中継」は、九州のひなびた温泉旅館で、徒歩旅行サークルの男4名で見たのである。4月8日の日記「(東)桜島魂不屈の心」を見る数日前のことだ。
温泉の名前は「安楽温泉」だったような記憶があるが、定かではない。確実に覚えているのは「木造で川沿いの温泉宿」「泊まった部屋は2階」「掛け布団が毛布1枚だけでとても寒い」「テレビがある」ということである。
酒を飲みながらだったか、酒を飲んだ後だったか忘れたが、テレビを眺めてた。思えば、男4名のうち、私だけは未成年だったのかも知れない。同学年の1名、後輩の2名とも、浪人生(多浪生含む)だったはずだから。
寒い部屋で、テレビの中の花火を眺めてた。「巨大な歴史の転換点に居るなぁ」って思いながら、テレビを眺めてた。


その後、EUというものができあがった。それは、東西ドイツ統一がなければ、できなかった「モノ」なのであろう。
それがまた、徐々に分解していくのかも知れない。まぁ、分解しないのかも知れない。何しろ、今日も「歴史の転換点」なのだろうなぁ...、って思うのだった。

歴史ってのは、ヒトが作るものである。ヒトは「しばらく経つと忘れちゃう」生き物だと思う。こうやって「行きつ戻りつ」しながら、歴史は刻まれていくのだろう。その先がどうなるかは分からないけど。

EU残留も、EU離脱も、どちらも一理あると思うんですよね。
大英帝国EU離脱のニュースは「自分が被害を受けないと思い込んでる、すごく身近に迫っている台風」を眺めているような、ちょっとしたワクワク感を覚えます、私は。

グラスを共洗い

やはり、記したつもりで記していなかった話を。
ま、これも「昔話」なのです。私は着実に「老化」しているってコトの証なのでしょう、この執筆欲も。

今し方、1杯目に飲んだ焼酎の炭酸割りから、2杯目の日本酒に移行した。同じグラスを使って。なお、ビール(や発泡酒)を飲まないのは「痛風対策」ではある、一応。ま、どうも私の場合は酒自体が「尿酸値向上」に寄与しているので、何を飲もうとあんまり関係ないのではあるが。

で「共洗い」。
これは化学系の技術・作法である。真面目に「高校化学」を修めた方なら、「中和滴定」をやっているだろう。そして、ビュレットはこの「共洗い」をすべき器具なのである。
共洗いとは「(ガラス)器具等を洗浄する方法の一つ」であり、「通常の洗浄液である『水』は用いず、『これから器具に満たす液体』で、その器具を洗い、器具に満たす液体の濃度に影響を与えないようにする」洗浄方法である。
とりあえず、ウィキペディアも見てみよ。

共洗い

共洗い(ともあらい)は化学分析時に行う準備作業の名称である。
液体を容器に採り、当該の液体に対する化学的分析を試みる場合に、液体採取に先立って行われる作業であって、もっぱら次のような手順で実施される。

1.洗浄済みの容器に、分析対象の液体を適量採る。
2.容器を十分振るなどして、容器内部を分析対象の液体を用いて洗浄する。
3.いったん容器から液体を(おおむね)除去する。
4.改めて、分析対象の液体を分析に必要な量だけ容器に採り、実際の分析を実施する。

共洗いの主たる目的は、容器内部に付着している、分析対象となる液体以外の物質を、予め除去することにある。同時に、容器洗浄に用いた水分が付着していることで、分析対象の液体の濃度に影響を与えることのないようにする目的もある。
分析対象となる液体がふんだんに採取できることが、共洗いを行うための前提条件である。

ふむふむ。
ま、百読は一実験に如かず、ですかね。

以上の文章を読んでも、分からないヒトは分からないと思います。

で、私は大学時代の先輩達を思い出しつつ、さっきも「共洗い」をしたのですね。ゴンちゃんとか、いくちゃんとか。
彼女らは、2学年上の先輩です。同じサークルの。ゆきお先輩も理科ではありますが、前述の2名よりは「飲み会参加率」が低い方でした。

多分、私が大学1年の時の「合宿(7日間前後の徒歩旅行)」にて、この「共洗い」を披露?したような記憶があります。上記先輩方にはウケた。で、東京に数多ある大学の数多あるサークル内のごく一部に於いて、この「共洗い」という作法?は市民権を得たのであります。今でも、あっきー(2学年先輩)とまつも(同学年:前々回の日記の場にも居た)は「共洗い」という作法を覚えていらっしゃるハズ。

ってだけです。
酔った勢いで、「共洗い」の必要が無い酒(同じ日本酒)を注ぎ足し、職場の組合向けの文書作成を開始しようかな。

学校の教員は、だいたいにおいて「定期考査や小テスト、授業態度」などから「何らかの計算式」を用いて、「評定」を出す場合が多いだろう。
私は「評定」の数値そのもの(学校によって、5段階の場合も、10段階の場合もあるだろう)は、「計算式」で算出することはしない。怖いから。

「評定の元となる『数値』を出すための式」は、基本的に四則演算で済む場合が多い。それらの四則演算はExcelや桐に設定する。私はAccessを成績処理では使ったことが無い。高機能すぎるし、あまり操作を理解していないので。
『評定そのもの』を計算式で出そうとした場合は、Excelならば「関数if」などが必要になってくるはずだ。多分入れ子にして。慣れていれば、その「評価表示関数」は「一目瞭然」なのかも知れない。その技を普段使わない私は「ifの入れ子」理解に時間を要する。なかなか直観的には理解できない。
また、Excelについては「簡単に数式が書き換わる」という現象も起きがちである。桐やAccessならば、そういう「不都合なこと」は、まず起こらない。Excelでは、ついうっかりと「関係ないセル」をクリックしただけで、その番地が計算式に反映されてしまうことがある。あの「自由さ」は恐ろしすぎる。

私が特に恐ろしいと思うのは、「関数を自分で記述・理解せずに、他人が作ったものをただ流用している」ような方々だ。
関数を自分で組む方なら、いくらでも複雑にしてくれて構わない。ただ、デバッグの手間を考えると、あまりにも複雑な関数は、表計算ソフトの便利さよりも、きちんと運用することの「手間」の方が大きくなることもあろう。

私の職場で使っている「教務支援ソフト」も、テストの点・平常点・小テスト...などから、関数的なものを用いて『評定』を出す仕組みはあるそうだ。でも、使っていない。授業や担当者毎にその「計算式」を設定する、あるいは「全員同じ設定にする」あるいは「何パターンか『計算式』を作っておき、どれを用いるか設定する」というような処理が可能らしい。
多分、そういう「要望」が、他の学校では存在するからなのであろう。

私は「5,4,3,2,1」という「超シビアな情報」は、数値(あるいは文字列)として、生徒毎に入力(または置換)しないと、安心できない。

Wonder

って本を読んだ。なかなか面白い。
説明はAmazonをご覧になると良いだろう。

「第62回 青少年読書感想文全国コンクール」の推薦図書になっていなければ、手に取ることは多分無かっただろう。

山中恒氏による「『青少年読書感想文全国コンクール』を糾弾する文」を見て以来、このコンクールは基本的に「白い目」で見てきた私である。でもまあ、彼の作品も「推薦図書」になったことあるんですね。良かった良かった。
このコンクールがあろうが無かろうが、「良い本は良い本」であるはずだ。また「良い本」というのは、人それぞれで違うものであるはずだろう。
しかし何はともあれ、とりあえず私は今回「青少年読書感想文全国コンクール」には感謝する次第である。別に「感想文」は書かないけど。感想文って、面倒くさいですわなぁ。でも、きっと「表彰されちゃうような名文」が、今年もきちんと「様々な大人の手」によって、仕上げられてくるのだろう。

この『Wonder』も、読み終わった時に、何か未来(というか今のこの世の中?)に期待しても良い気分になってくるような、そういう類の作品であった。確かに「予定調和的すぎる」気もする。最後の方のページを読んでてかなりそう感じたし、同じ事を書いてるAmazonのレビュアーも居た。
ま、でも何しろ、良い本であることは確かだろう。



今朝、私よりも少しだけ若そうな「大人」を見ていて、微笑ましくなったことがあった。

私は、徒歩や自転車で移動している場合、信号をきっちり守るということをしない。
もちろん、基本的には信号は守る。でも「赤信号を待っていても、目の前を通り過ぎる車両が無さそう」な時、私は赤信号を渡る。横断歩道の長さなどをきちんと確認しつつ。
例外的に、小学校就学前のような子供が赤信号で待っている場合、それに合わせることはある。その横に親が居ようが居まいが。
小学校高学年以上の人間が「青信号に変わる」のを待っていても、基本的に私は率先して赤信号を渡る。時は金なり。

で、今朝、最寄り駅に向かう私の10mくらい先に、中学生と思しき女の子が歩いていた。そして、普段私がいつも無視する赤信号で、彼女はきちんと立ち止まった。
私は「真面目だな」と思った。
そのうち、30代くらいに見えるオッサンが、横断歩道の反対からやってきた。

その横断歩道は「一方通行の出口」にあり、その「青信号」に従って進む車は、極々稀にしかやってこない。
が、その「オッサン」も信号を守り、立ち止まった。どう見ても「信号を守りそうなヒト」には見えなかったのだが、信号を守っていた。もしかすると「いつも、どんな時でも信号を守るヒト」なのかもしれない。そういう「ポリシー」を持っている人も、時々存在するようだ。でも、多分あのオッサンは「女の子が信号待っているから、俺も待っておくかな」って思い、信号を守ったのだ、多分。
偉いなー、微笑ましいなぁー。と思ったのだった。
私よりも「『守るべき子供』と認識する年齢の上限」が高いのだろう。

私がその信号にさしかかった時は、無事に色が青に変わっていた。赤のうちに私があの場に辿り着いていたら、私はどうしたのかなぁ...、って考えながら歩いていた。


ら、片側一車線の車道、右側をプラプラ歩いている兄さん、多分20代が居た。
ああいうのって、本当に邪魔なんですよね、特に車に乗っていると。「歩道があるんだから、歩道を歩けや!」って思う。

で、その兄さんを見つめながら歩いていて気づいた。歩道には、3匹の小型犬(プードルだか、テリアだか)を散歩させてる老夫婦が居たことに。

あぁ、お兄さん、犬が嫌いなのね、そんな素振りを見せていないつもりなのかも知れないけど...。って思った。
これも微笑ましく思った。


という、「まぁこの世界も捨てたもんじゃ無いかもな」って思えなくも無いような出来事(いや、特に犬嫌いの兄さんは関係無いかな)に遭遇した、のでした。
その時に『Wonder』を読んだことを思い出し、なにか繋がっているような気がしたので日記に書こうと思ったのです。

私の住まいでの怪奇現象

勘違いかも知れないし、記憶違いもあるかも知れない。しかし、あまり正確に顛末を記すのも「問題アリ」なので、まぁ適当に。

私が住んでいるマンションでは、月々500円を積み立てて、2年に1度、12,000円分で「ハウスクリーニング」が行われる。実際のところ、この価格が「安いのか高いのか」は分からない。
マンション理事会には、かなり初期の段階で「この積み立てを止めよう」とか「別の業者にお願いしては?」という意見が上がったらしい。で、理事会から「皆さんどうしますか?」というアンケートが配られたことがあった。

何故か、その「アンケート回収中」に「お住まいの住戸のクリーニングをしませんか?」というチラシがポスティングされていたのだ。私の記憶では、それ以前にはそのような「ポスティング」は無かった。
その業者が提示する「積み立てで行われるのと同じような作業の価格」は「12,000円」どころでは済まなかったのだ。結局、その「積み立て」は継続されることになった。民主主義によって。


この秋、2年ぶりに「ハウスクリーニング」が行われる。2つのメニューから1種類を選べることになっている。その1種類については「積み立て」で賄われるのだ。なお、希望して「追加で12,000円を支払う」ことを選択すれば、両方のメニューをやって貰えるのである。

つい先日、またもや珍しくも「ハウスクリーニング」のチラシがポスティングされていた。そのチラシで提示された「積み立てで行われるものと似たような作業の価格」は「12,000円」どころでは無かった。例によってね。


まぁ、ハウスクリーニングのチラシは時々入っているような気もする。しかし、この2年に1度の「積み立てによって行われるクリーニング」前後に目にするチラシは、明らかに高価格である気がするのだ。

「マンションが契約している業者」「前回の怪奇現象の業者」「今回のちょっとした怪奇現象の業者」、そいつらは裏で関係していそうな気がしないでも無い。
とりあえず「今回のちょっとした怪奇現象の業者のチラシ」は保管しておくことにした。
鈍意調査を継続する予定。鋭意ではない。

8月18日朝に見た夢

基本的に「他人の見た夢」というのはつまらない。オチが無いから。
で、私は再び自分の見た夢を記すのだ。


私は、デイリーポータルZに呼ばれていた。ネット上に披露した「ファミレスのハンバーグを5kg食べる」という企画が彼らの目に留まり、「真の大食いチャンピオンを決めよう」という話になっていた。ディフェンディングチャンピオンとして呼ばれたわけだ。

会場のファミレスには、開店時刻である9時の前に着いてしまった。ちょうど、店内では「ファミレス店員」と「DPZ編集者」の会議が行われていた。窓の外から私はそれを眺めていた。
ファミレスは体育会系であった。DPZは、机の上に足を投げ出している御仁も居た。
「えらい違いだなぁ...」と思った。
写真に収め、ブログに披露しようかとも思った。が、それも無粋である気がしたので、写真撮影は止めておいた。

そのイベント開始まではまだ時間があった。近くの駅まで散歩することにした。会場は鎌倉の近くであった。ヒマなので切符売り場上の路線図をボーッと眺めていたところ、20代と思しき女性が「複雑な路線図」を目の前にして「あの駅に行くには、どの線に乗るべきか」と独りごちていた。
私は、駅備え付けの時刻表を調べ始めた。近くに居た50過ぎのオッサンも、同じ行動を取っていた。
結局のところ、オッサンも私も、明確な答えは出せないまま、その女性は改札へ入っていった。
私はふと、自宅で待つ家族のために「お土産」を買うべきであろうコトに気づいた。駅の売店では、チーズケーキを売っていた。無難だ。不味いことは無かろう。私も好きだ。
ケーキの包みをプラプラぶら下げ、私は再びファミレスへ向かった。
何と、会場入りの行列が500名を超えていた。仕方ないので、私もその行列に並んだ。
やっと会場には入れたものの、一人一人の「飲食スペース」は狭かった。地べたにそれぞれ座っていた。ある参加者(大人)が背中に背負っている赤いランドセルは、通路にはみ出していてとても邪魔だった。

「ディフェンディングチャンピオン」である私なのだが、席が見当たらない。既に、地面に座っている参加者に対しては、最初の「500gのハンバーグ」が配付されていた。取りあえず、わたしも隙間を探して座るのだった。
私の隣に居たのは、30絡みの兄さんだった。何故か「ハンバーグ」に「鶏の手羽先」が混入していた。ソースはデミグラスっぽいヤツ。
「こまりますねー」とお兄さんに愛想をふりまくのだった。

「ハンバーグ来ないなぁ...」と思っていたら、私の視線の先には「宮城マリオ」氏の姿があった。私が「ディフェンディングチャンピオン」であることをご存じだったらしく、彼は私をVIP席へ呼び寄せてくれた。
私は、取りあえずハンバーグの到着を待っていた。この席も基本的に地べた。私の後ろに座り込んでいるお兄さんは、早朝からの移動のせいか、眠気を催したようであり、私の背中に頭を押しつけてきていた。正直ウザかった。でも、言えずにいる。
そんなこんな?で、食料が私の目の前にも来た。
ハンバーグを食べるのであるが、付け合わせのブロッコリー等も全て食べた。その後に気づいた、付け合わせは「最初」しか与えられないことに。後はひたすら肉を食べ続けるしかない。少し苦痛だ。野菜を残しておくべきだった...。

とりあえず、目の前の食べ物は完食した。のだが、追加のハンバーグ、待てど暮らせどやって来ない。一気に食べないと、満腹感が襲って来てしまうではないか....。場繋ぎなのか何なのか、BGMにはAM放送が流れていた。吉田照美氏によって、最近有名になりつつある若手芸能人の評価が行われていた。仕方なしに、私は聞くともなしにそのラジオに耳を傾け、暇を潰していた。
ふと気がつくと、屋内だと思っていた会場は丘の上の吹きっ晒しになっており、風雨が強まっていた。雨粒が頬に当たる。放送か何かで「会場へ戻ってください」との指示が出る。
確かに、この場所に居続けても良いことはなさそうだ。しかし、一部の生徒が会場から離れてしまったらしい。この悪天候の中、行方不明気味になってしまったわけだ。どうも、私は彼らを引率する立場だったようだ。当然、その状況に陥るまで、生徒を引率しているという意識は全く無かったのである。
丘の下は盛大に洪水になっている。仕方なく、近所の家から青竹を借り、幾人かでそれを握りしめ、水に拐われないよう気をつけながら、駅とは反対側へ下りていく。そして、やたらと澄んだ洪水の中へ足を踏み入れる。
幸いにして、水はどんどん引いていった。気がつけば、既に多少の水たまりが残る程度になっている。現地の学校、中学か高校かは分からないが、水の引いた校庭で部活動を再開している。しかし、一部の生徒は依然見つからない。大水に拐われてしまったのだろうか...。

とりあえず、現況報告をせなばなるまい。別の教員のケータイに電話をかけよう...

という場面で目が覚めた。
ここまで意味不明な夢も珍しかったので、忘れないように話の要点をケータイにメモったのだった。そして今日の清書?に至る。

書籍の記憶二件

子供ととりあえず寝たら、そのまま寝入ってしまい、変な時間に風呂に入り、変な時間に起きている。
今日は「そうでもない」が、「酒が残ったまま、早朝にシャワーを浴びる」ということをやると、必ず『レッドオクトーバーを追え』を思い出してしまうのだなぁ。トム・クランシーの小説だ。ロシア側の脇役は、常にウォッカで深酒して、朝にシャワーを浴びてた、っていう印象が残ってる。
書籍の記憶って言うと、『IT』がある。
ごく最近、「ハロウィーンにかこつけ(?)て、ピエロの装束で他人に危害を加える輩が、アメリカ合衆国あたりで増殖してる」ってニュースを見た。「怖いピエロ」と言えば、スティーブン・キングの『IT』だ。
どちらの物語も、映画化されている。が、私は見たことないはず。
トム・クランシーとスティーブン・キング、一時期ハマったが、今は全然読んでない。読めば、面白いのでしょうけどね。
炊飯器のタイマーが作動し始めた。寝よ。

煮込みと焼き鳥

これから記す件は、単なる「刷り込み」の類だと思う。

居酒屋で「(モツなどの)煮込み」や「冷奴」を注文する際、「人数分」を発注するという作法を持つ、或いは「1人ひとつ頼む?」と確認なさる方に出会う場合がある。

私は煮込みでも冷奴でも、他人がツツいた後に、自分の箸をつけるコト、それほど厭わない。ただし、箸をネブりまくるようなヒト、あるいはネブらずとも自分の箸で「共用」である器の中身をかき回しまくるようなヒトが居た場合は別だけど。
過去に一度だけ「何でこのヒトは、自分の箸で『皆の食べ物』を弄るんだ?」って、しみじみ見入ったコトがある。その方は女性の同僚だった。私よりふた回りくらい年上のはず。結局、その食べ物は、その方がほとんど食べていたように記憶してる。その食べ物が何だったかは忘れたものの、「食べたいけど、止めた」記憶が残ってる。そういった意味では、確かに「食べ物の恨みは恐ろしい」のだろう。

で、私は冷奴や煮込みは、人数分無くて構わない。自分がツマミを発注する場合、他のツマミと同様、数名に一皿の割合で頼む。ただ、誰かが「一人一皿」で発注してくれた場合は、ありがたくいただく。不味い冷奴や煮込みには、あまり出会ったこともない。この世の中、不味い煮込みは稀にあるかも知れないが、不味い冷奴は無いだろうと思う。

焼き鳥については、私は串から直接食べたいと思う。盛り合わせだったとしても、各人が早い者勝ちで、好きなヤツをひと串丸ごと食べればいいと思ってる。焼き鳥の醍醐味は「串から直接食べるコト」にあり、箸で身を外すコトは基本的にやらない。ただ、別に「ご自分のひと串」を手元でバラバラに分解するのは構わない。私はそんな「無作法」はやらないが。
焼き鳥盛り合わせが届くと、すぐさま分解してくださる方が時々いる。別に止めはしないし、頭にくるわけでもない。私は素直に「焼かれた小ぶりの鶏肉」を箸でつまむ。しかし、あれは何か味気ない。焼き鳥の「核心部分」が失われたような。

おまけに記すと、寿司を食べるのは箸でも手でもどっちでも良い。カウンターの前、客の目前で握ってくれるような店だと、なんとなく箸を使わない傾向があるかも知れない。

自殺関数

ピケティとやらの関数見たとき、「ああ、そうかもね」と思った。そして、あまりにも雑な式であることにびっくりした。
「経済学の浅さ」に感心したってことだ。

で、ここに「自殺関数」を定義する。
自殺率=k×勤務時間/自由度

医師の「働きすぎっぷり」は洒落にならない。ヒトによるとは思うけど。
身近な教員は、皆働きすぎだ。私も含め「週あたり40時間勤務」なんて、夢のまた夢だろう。

電通っていう「体育会系腐れ組織」のニュース見て、配偶者と話しながら、上の数式?を思いついた。

キンモクセイの二度咲き

という現象があるらしいとは聞いていた。「それっぽい」コトには「出会ったような、気のせいのような」という状況だった。
数日前、職場の近くで「微かに咲くキンモクセイ」を、少なくとも2本見た。「杉並がそういう『気候』だったのかな?」と解釈した。そして、確かに二度咲きはあるのだなぁ、って思った。
そうしたら、自宅の近くでも改めてキンモクセイの香りを嗅いだ。かなりキョロキョロしてみたが、匂いの発生源は見つからなかった。
都内では今年、「やたら期間を置いた二度咲き」があったことは確認した。と、記録する。
答案採点からの逃避として。

「文学史」を覚えることの不毛さ

あんまりバンバン読めるわけでは無い、というか、そんな暇も無いのだが、俗に言う「文学史」に出てくるような作品を読む時がある。今は『阿Q正伝』を読んでいる。ま、つまらなくは無いのだが、同じ本に入っている(私が読んでるのは「光文社古典新訳文庫」ってヤツ)他の短編の方が面白いなぁ、と思う。

多分、時代背景的に、この『阿Q』は重要だったのだろう。

私はあまり「歴史」が好きではない。とは言え、「歴史の大雑把な流れ」については、それなりに把握しているつもりではある。大学受験に出るような「細かいところ」は、そんなに覚えていない。日本の歴史はある程度承知しているつもりである。例外的に中国の近現代史については、多少本を読んだりしてきた。
「あの時代」だったからこそ、『阿Q』は意味があるものだったのだろう。似たような「啓蒙的な物語」としては、日本での『蟹工船』や『防雪林』など、小林多喜二の作品が思い浮かぶ。まぁ、全体の明るさが全然違うけど。小林多喜二は暗い。

上海には魯迅公園という場所がある。魯迅の作品を読んだことが無い私は、何となく負い目があり、訪問を試みたことがなかった。先日、ボーッと職場の図書館を眺めていたら、上記文庫を発見した。そして手に取る。
いつか、魯迅公園も行ってみようと思う。


で、本題である。
というか、表題で言い切ってしまってはいるのだけど。

私は、(社会科の一部である)歴史が嫌いだ。厳密に言うと「高校時代の歴史の授業は楽しくなかった」ということだ。担当してくださった教員の名前を出すのは控えておこう。あの「十数点しか取れなかったテスト」に単位をくださったわけでもあるし。高校時代に地理を教えてくれた海東先生は好きだった。授業も真面目に受けた。最後の共通一次、1989年の地理では92点を取った。海東先生が褒めてくれたことを覚えてる。私としては100点を目指していたのであるが。
歴史嫌いな私としては、国語における「文学史」なんて、やはりあまり興味が無いのである。とは言え、共通一次の国語で180点越えを成し遂げた私ではあるので、「仕方なく」ある程度の知識は蓄えたわけではあるけれど。

「文学史」というのは、国語という教科において、不要な分野では無かろうか。
蟹工船を読み、阿Q正伝を読めば、「確かに歴史的に重要でしょうな」とは思う。それらが「代表作」とされるのも、まぁ頷ける。でもそれが「テスト」に出された途端、劇的につまらなくなる。そもそも、受験生はそんなに大量の「文学作品」を読める時間を持っていない。ただ「書物名」を覚えるだけだ、多分ね。
それらの「文学史」についての知識をいくら蓄えたとしても、それをテストで再生しても、勉強としての「深み」や「得るところ」が無い、と思う。

東京都様

例によって「どうでも良いようなコト」だけど「ひっかかるコト」を。

近年、企業が他の企業を「三人称」で表現する際、『様』をつけるという風習が見られる。私が小さい時は、そんな「気配り」は無かった気がする。「桂花ラーメン」は「桂花ラーメン」、「長寿庵」は「長寿庵」、「セブンイレブン」は「セブンイレブン」と、呼び捨てにしていたはずだ。「ローソンの角を曲がって20m」とか、「交番の角を入る」とか、公共の建物でも私企業でも、基本的に「呼び捨て」にしていたと思う。

いつの頃からか、それが「セブンイレブン様の角を曲がり」とか、「ファミリーマート様を過ぎ」なんてな感じで、「無駄に丁寧」な表記や略地図などを見ることが多くなった。

この間、とうとう「東京都様」という表記を発見した。すごーく違和感を感じた。こいつだ。
20161118.jpg

この場合などは特に「東京都の依頼により」って書けばいいだろうと思うのだ。
東京都も私企業も、ギブアンドテイクだ。基本的に対等なはず。こっちは東京都の都合で、手持ちの場所を貸してやってるわけだ。まぁ、賃料はもらっているのかも知れないけど、契約がなされたのだから、それはそれで全然問題ないはず。
そもそも、東京都という団体が運営できているのは、東京都民が住民税などを支払っているからだ。東京都なんて、全然偉くない。当然、日本国も偉くない。何で自民党の憲法案は「家族」のコトを話題にしているのだろう? 憲法がまず縛るべきなのは国の暴走だと学校で教わったよ。国民個人については、国が考える義務と権利の基本的なモノを示せば良いだろう。何で「家族」というモノについて、国から指図を受けなければならないのだ? ワケ分からない。その点に於いて、私は自民党(の憲法案)を支持しない。

という話はさておき、東京都だよ東京都。「東京都様」なんて、気持ちが悪いだろ。
で、試しにググってみた。結構な数の「東京都様」が見つかるのだ。ま、国と癒着しているような広告代理店とか、巨大企業なんかが「東京都様」というフレーズを用いるのは、まぁ気持ちが分からなくも無い。巨額の税金を還流してくれているのに「呼び捨て」にするのも気が咎めるのだろう。しかし、我々?「ヒラの国民」は、国や地方自治体に対しては、「偉そう」にしていて良いんじゃ無いかな? って思ったんだよね。この看板を見て。

大学時代、サークル「伸歩会」の後輩のお家に遊びに行った。というか、お家にお邪魔し、宴会した。およそ四半世紀前。
そこは、明治通り横の文房具店だった。2階が住居。

あんまり詳しく書くと、何となくマズい気もするので、少しぼやかして書く。そこは「JR亀戸駅北口を出て、明治通りの右側を進んだ先」ってトコロだ。住んでいたのはK田くん。

暇な大学生たち、つまり私たちが彼の家でスーパードライなどを飲んでいた。そのとき、地震が来た。
「うぉ!」

勝Tくんは平然としている。
「?? 揺れたスか?」

どうも、その地震は「明治通りを通過するダンプカー」が発したものらしかった。度々その揺れは私(たち)を襲うのだった。カツタくんは本当に気づいていない様子だった。
話がそこで終われば、「勝田君は鈍感だ」でおしまいである。


その夜、たまたま本物の地震が来た。
多分震度2程度だっただろう。
私は一応地震に驚いた。それ以上に驚いたのが、カツタがその地震に「反応」したことだった。
「地震だ!」と。


ヒトの脳というのは、面白いものだと、その晩改めて感じた。
私にしてみれば、「ダンプの揺れ」も「本物の地震」も、区別がつかなかった。
しかし、勝田君の脳は違っていたわけである。

みたいな話、この「腐れ日記」に記したつもりでいた。が、記してなかったみたい。


この体験談はここ数年、「地学基礎」の地震の授業の際に話している。そしたらば、今年になり「それって、勝田先生じゃ?」という生徒が居たのである。勝田という固有名詞を口にする前だった。
世間はある程度狭い、改めて思った。

自分との闘い

何と戦うか、それは「誰に年賀状を出すか」である。

年賀状ってヤツ、旧友で「賀状でしかやり取りがない」ヒトなんかだと、とりあえず出しておく。
職場においては、「もらった方」には出すようにしてた。しかしこの2、3年くらい、こちらがクリスマス前後に投函し、きちんと「元日」に届くようにしたものの、その返信が1月4日以降だった場合、適宜「フェードアウト」するようにしてる。互いに面倒くさいのは間違いなかろうから。
そもそも、「元日に届くように、年末に投函する」という「作法」も、郵便局に騙されているという説もありますよね。

しかしまた、その「闘い」の結果、「意図的に出さなかった」方から、元日に賀状を貰ったりする。これも心苦しい。
ということで、闘いはこれからもずっと続くのだろう。
取捨選択。

ワンナイトジゴロ

という歌があった。チェッカーズの歌だ。

四半世紀ほど、ずーっと心に引っかかったまま、しかし特に誰にもそのことを(多分)言わぬまま、月日は流れてきた。
ここでちゃんと記しておこう。

この歌のサビにはこんな歌詞がある。

♪ONE NIGHT GIGOLO VodkaとMuskの香り残し

20歳前後に酒飲むようになって知ったのだが、そもそもウォッカには「香りらしき香り」なんて存在しない。ウィスキーとかブランデー、あるいはジンなどの蒸留酒ならば、「香り」があると言えるのかも。ウォッカに近いところだと、譲って「ズブロッカ」なら多少は香るのかなぁ...。
歌とは全然関係ないけど、現時点で私がどうしても受け入れられない唯一の酒がズブロッカ(ググリンク)なのである。

「酒飲み酒を選ばず」という格言(?)どおり、私も基本的にはどんな酒でも好きである。ウィスキーはバーボンよりはスコッチが好みだ。たまに飲むとバーボンもおいしいと思うけど。ジンだったら、ビフィーター、タンカレー、ギルビーなど、半アル中のときに一通り(?)はその味を確認した。それぞれ、微妙に違ってた。ウォッカもちゃんと冷凍庫に保管したヤツを何通りか飲んでみた。ウォッカの違いは分からなかった。単純に注射の消毒液の臭いだ。
香りが強い酒と言えば、中国の白酒もある。五粮液とか、茅台酒とか。好んで飲むわけではないが、たまに飲むとおいしいと思う。ただし、あんまりたくさんは飲めない感じの香りではある。
そして「ズブロッカ」。あれだけは、臭いが受け付けない。どうも飲めない。もし、世の中にズブロッカしか酒が無ければ飲むかも知れないが、他の酒があればそれを飲む。

で、つい最近「ロシアでメタノール入りの液体(入浴剤等)を飲んで人が死んだ」というニュースがあった。おそロシア。
日本の「発泡酒」とか「第3のビール」なんて、可愛らしい話だと思うのだった。日本人は真面目だなぁ。ロシアの人々は「そこまでして飲むのか」とも思ったりするが、安くて濃いアルコールが必要な人は、そういったものを飲むのでしょうね。私も最近自宅でもっぱら飲んでいるのは焼酎のソーダ割りあたりである。あまり値段は高くない。焼酎のロックだと飲み過ぎてあまり良くない。焼酎はビールよりも尿酸値が上がらないと思い込んで飲んでます。

話は戻り、ワンナイトジゴロ。
「ウォッカの香り残し」って、どんだけおしゃれなアル中野郎なんだよ...って思ってしまうわけです。作詞者でありボーカルでもある藤井フミヤ氏、あんまり酒を飲まないのでしょうね。納税者としては半人前だけど、健康には良いでしょうな。

昔話「死ぬかと思った」

倒れてきたサッカーゴールやハンドボールゴールに挟まれて、亡くなってしまう児童や生徒、昔からずっと居る。
私自身も、中学生の時にハンドボールのゴールに潰されそうになったことがある。

何の時間か忘れたが、体育の授業中ではなかった気がする。放課後だったような記憶が。
校庭の端の方に置かれたゴールのそばに、私は立っていた。で、友人の誰かがハンドボールのゴールと戯れていたような記憶がある。倒れてきたゴールは、私の肘をかすめた。痣になったような記憶がある。
記憶としてはそれだけだ。

親に話した記憶もないし、教員に連絡した記憶もない。
私も、ローティーンの時代に、致命的な怪我をしてしまう、あるいは死んでしまったかもしれないのだ。「昨日は我が身」ってヤツだ。そんな言葉はないか。
亡くなってしまった彼らと私の違いは何かあるのか? 私は違いを見いだせない。私はたまたま死なずに済んだだけだ。運命とは何なのだろうか。


職場で「お試し使用」させてもらっているchromebook、漢字変換が微妙にやりづらい。
ので、今Atok式の入力に変更した。やはり、慣れている入力方式だと、明らかに効率が良い。


生徒会の役員に依頼され、卒業生が入っていそうな画像ファイルの「リサイズ」をずっと行っている。終わらない。
PSP(Paint Shop Pro)の「バッチ処理」を行っているのだが、私の使っているノートパソコンが非力なのだろう(6年前から使用)、作業が一向に捗らないのであった。

屋嘉銘茶とラフロイグ

昨年末、2度目の沖縄旅行に行ってきました。義理の父母などと共に、総勢6名の旅行でした。
シーズンが始まったばかりの「ホエールウォッチング」に行くも、季節が早く、クジラには逢えず。そして、私はクルーザーの揺れに酔い、かなり気分が悪くなったりしました。凄く久しぶりに「乗り物酔い」になったのですが、気分が悪くなってくるとテキメンに「視野が狭く」なっていきました。景色は流れるものの、脳の「記憶領域」に全然入らない、そんな感じ。そんな自分を客観的に眺めたりして、何とか吐き気はやり過ごしたのでしたとさ。

で、旅の途中で「沖縄 金武町 屋嘉の緑茶」を購入したのです。
職場で飲む「日本茶」を切らしていたことを思い出し、夕刻の暴風雨で人も少ない万座毛の売店にて500円で買いました。日本茶としては安いですね。で、その封を開けて飲んだのは、1月になってからです。

最初にその緑茶を口にした時、思い出したのが表題に書いた「ラフロイグ(laphroaig)」なのです。今はサントリーの扱いになっているのですねぇ。で、ボウモアもサントリー傘下なのか。何となく違和感がありますなぁ。

「海の匂い」がする緑茶というのは、初めて飲みました。日本茶としては、豪快な見かけです。500円という価格もありましょうが、テキトーな選別で、茶葉がデカいです。味については、なかなかおいしいです。高級な緑茶とは異なる方向性ではありますが、屋嘉銘茶はおいしいです。日本茶と中国(緑)茶の中間的な味わい、そこに加わる海の香り。

私が(数年の時を経て)口にした順番が「ラフロイグ→屋嘉銘茶」だったからこそ、私の脳はお茶を飲んでスコッチウイスキーを思い出せたのでしょう。ラフロイグは強烈な個性があります。私が買ったことがあるボトルは10年物です。高いからあんまり買えないし、飲み屋にてグラスで飲んでも高いです。
もし私が「屋嘉銘茶→ラフロイグ」という順番で出会っていたら、ラフロイグを飲んだとしても、私の脳は屋嘉銘茶を思い出さないのではないかと思います。それくらい、お茶にある「海の匂い」は微かではあります。しかし、私の脳はアイラ島と沖縄(金武町)を結びつけたようです。

面白い体験でした。
屋嘉銘茶で検索してみるも、その(海の)香りについての記述は無かったので、日記にしてみました。

最初から本気を出せ

と、家電製品について感じることがある。とりあえず、昔話から。

ポータブルオーディオシステムでは、今も昔も「バスブースト(bass boost)」という機能が存在する場合がある。私が所持していたことがある製品として、カセットテープレコーダー(「ウォークマン」的なもの)と、ポータブルCDプレーヤー(「CDウォークマン」的なもの)がある。たまたま、どちらもPanasonic製であった。だから、SONYの"WALKMAN"ではない。

もう、どっちも捨ててしまったが、そいつらには「低音増強」機能が存在した。"bass boost"ね。
だいたいにおいて、その機能は「使用したとき」の方が、「ノーマル状態(バスブーストoff)」よりも「聴き応え」が出てくるのである。で、毎度毎度毎度思っていたことがある。それは、「ノーマル」については「低音を削っている」んじゃないか、ってこと。

バスブースト機能はある程度「効果が出ている」のかも知れないけど、その効果を私(達)により感じさせたいがために、「ノーマル」の状態で低音を削る、ってコト、やってそうな気がする(した)のですねぇ。調べようがないけど。
ユーザー側には音質補正の「実際」なんて調べようがなかろうから、メーカーは意図的にそういうことをしているのではないかと。

で、現在の話に。

自宅の炊飯器は日立製である。購入当時の最新機種。米を炊いても、ほとんど蒸気が出ない。なかなか良い。RZ-SV100Kって型番。バイクみたい。
別に、この製品については、現状では不満は無い。ただし、最初の何回かは、ご飯がプラスチック臭かったような記憶がある。今は感じない。
で、本題はその「機能」についてである。炊き方の区分として「ふつう」「極上」「極上新米」「快速」「炊込み」「おかゆ」がある。また、場合によっては「少量」という指示を出すこともできる。なにか炊き方が違うらしい。マニュアルは詳しく読んでないから、よく分からないけど。結局、私が炊飯器を設定する場合は、「極上」の「少量」一択である。なお、必要時には「快速」を使うこともある。このメニューで炊きあげた米は、「即座に食す」場合は問題が無いが、時間が経過するとβ化していく(パサついていく)速度が速い気がする。冷蔵してしまったりすると、電子レンジで再加熱しようとも、かなり不味くなる。
なお、「米の種類」も選択可能であり、「白米」「無洗米」「五穀米」「発芽玄米」「玄米」という選択肢もある。私は無洗米も必ず研ぐので、「無洗米」を選択することは無い。

で、その炊飯器、使い始めてしばらくしてから、「メニュー『極上』をお使いください」ってな「小さな紙」が入っていたことに気づいたのである。一番最初の炊飯は、フツーに「ふつう」を選んでいた。で、確かに「極上」を選んだ方が、ご飯はおいしく炊けたのである。

だったら、最初から「極上」をデフォルトにしろよ!と思ったのである。というか、「ふつう」は要らないでしょ。わざわざ「マニュアル」の上に「小さなペラの紙」を入れるくらいなら。今、改めて日立製作所(父親の勤務先だったので、少し贔屓に思う気持ちがある)の「後継機種」を見てみました。が、「ふつう」があるという「メニュー構成」は変わっていない様子ですね。

その「ふつう」必要なんですか?

っつー話を聞いた際、私が思ったのは「アカウント削除して久しいのだけど...」ってコトだった。
自分の日記(このサイト)を確認してみた。私がSNSから足を洗ったのは、2012年9月前後のことらしい。既にFacebookやtwitterを抜けて4年半経過したようだ。当時、フルネーム(姓とアンダーバーと名)で取得できていたtwitterのアカウントも、きちんと誰かが引き継いでくれていた。関係ないけど、Gmailは結構早くからアカウントを取得していたので、私のGmailアカウントは「名.姓@gmail.com」になってる。で、世の中には同名の医師が居るらしく「医学雑誌に投稿しませんか?」っていう、SPAMみたいなメールが時々飛び込んでくる。あと「電子タバコ」と「ハーレーダビッドソン」の広告メールも飛んでくる。アカウント名は絶対違うはずだけど、私と同姓同名の医師を狙っての「意図的な配信」を行う輩(出版社)があるようだ。タバコとバイクについては、私と同姓同名の方が「誤入力」なさったような気がしないでもない。あと何か、別の1社からもメール来てた気もするけど、忘れた。みんな「迷惑メール」としてGmailに報告してる。
また、関係ない話(でも、書きたかったこと)が長くなった。で、辛うじて残存している、というか、都合上アカウントの再作成を回避できなかったサービスに"Google+"がある。久しぶりに覗いてみたら、数分経過してた。だから、SNSは辞めたんだっつーの。いくら時間があっても、足りなくなる。というか「やらねばいけないこと」を後回しにしてしまう。

私が最も優先すべきことは、「ネット上での旧友(稀に同僚)」とのやりとりではなく、「家族」とか「職場で直接接触する人々」とのやりとりである。特にFacebookについては、時間を浪費し、自分の仕事の質を下げるだけであると感じることが増えていった。

当時(2015年)のFacebookには、ボタンについては「いいね!」しかなかった。今は違うと聞くが、よく知らない。で、その当時『顔本』上で知人の書き込みを見た時に「なかなか難しい問題だなぁ」とか私が唸るような記事?に出会うこともあった。そんな記事に対しても、フツーに「いいね!」が付いていたりした。私が「全然良くない」と思う話題に「いいね!」が付いているというアホらしさについては、川柳という形に昇華?させた。その作品を再掲する。数年間暖めた素材を結晶化させたものだ。

その「いいね」何に対して言ってるの (初出は2015年8月)

また、私の中学高校教諭という職業上、タイムラインには元教え子(卒業生)がどんどん増えていった。その結果「目玉がデカいプリクラ風の画像」が大量に流れてきたりした。
で、こんな狂歌も作ったのだった。しばらく「非公開」にしてた(少し後から冷静に考えて、相当な侮辱だと思ったため)けど、そろそろ私も本格的にFacebook界からは忘れられていると思うので、作品を再度披露する。

プリクラのデカい目玉は興醒めだなんて書きたいFacebookに (2012年9月作成)

今後数年間、アメリカ合衆国に行く可能性は、それなりにあるんですよね。修学旅行の引率として。1年ちょい前にESTAを取得した際には、SNSのアカウントを書く欄なんて無かった。今はあるらしいッスな。とは言っても、「行くか分からないアメリカ合衆国」のために、SNSへの書き込みという「時間の浪費」をする気にはならないのである。アタリマエか。
またこれからしばらくの間、思い出しては悩むことにしよう。
ま、SNSをやめたことによって、私の仕事の質が上がったのかどうか、チェックのしようも無いのですけどね...。

しかし、TSAって、結構新しい機関なんですね。Wikipediaで知りました。同時多発テロに起源があるとは今日まで知りませんでした。


過去の関連する日記(最後のパラグラフはジャパニーズジョークです、とTSAに予防線を)
TSAロック(2006年7月)

ヤフー(承前)

もう1年以上前だ、私より若い同僚が言っていたのだ。
「〇〇のホームページ、ヤフーだと見れないんですよ」
凄い脱力感。彼は30代、私より若い。

若干の説教(?)の後、彼のスマホを見てみた。そして、彼の発言には正しい部分もあることを知った。

彼の使うケータイはAndroidであり、使っているブラウザは「Yahoo!ブラウザ」なるシロモノだったのだ。何でAndroidなのにChrome使わないんだよ! ま、SoftBankのスマホなのでしょうけど。

私はOSとブラウザとウェブサイトについて軽く講義を行ったが、彼は理解していない、というか「理解しなくていい」と思っているようだった。


ちなみに、先日の「このパソコンにヤフーは入っているのか?」と尋ねてきたのは、60代の同僚である。
一応「Yahoo!は『検索エンジン』と呼ばれるウェブサイトの一つだ」って説明したんだけど、分かってないだろうと思う。
なにせ、何度説明し、依頼をしても、「皆が共有し、編集するファイル」を一太郎で作ってくることを止めない彼だ。そして、それらのファイルの拡張子被りは朝飯前。

迷走文科省

まずは引用する。

http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2012/10/04/1325048_3.pdf
から

【アクティブ・ラーニング】(p3、4、9)
教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。

学修すか。
文科省の役人は、学修よりも学習を心がけた方が良いと思うんですよね。まずは「習う、倣う」ことをした方がいいと思うのです。

山積している「問題」、とりあえずは「部活による教員の過労」とか、「縁故採用の残存」とか。それらの解決をしているとは思えない輩が宣う『問題解決』なんて、片腹痛きことこの上ない。
資質を自問自答してほしいですね。

で、本題。
文科省は「遠隔授業」を推進したいんですか?
否定しないのは、ITベンダーからの献金や要請の結果すか?


ま、普通に考えれば「アクティブラーニング」と「遠隔授業」は、相反する「やり方」だ。
正反対に見える文書の存在は、「私たちはポリシーがありませんよ」っていう自己表現にしか見えない。

ま、「みんなで一つの方向を向く」ってのは、気持ち悪い。
でも、「国や自治体運営の『あれ』」に比較すれば、「教育のありかたの『これ』」の方が、「策定」は簡単だと思うのです。

「能動的な学修(笑)」を求めながら「受動しかなさそうな遠隔授業」を否定するわけではない。
そりゃ誰も聞く耳持たないでしょうな。

税金返せ。文部官僚とその下っ端、お前らは要らない。そんな「下らない文章群」作って、「自己満足」に浸るなよ。
存在意義なし。


過去の関連する日記
教員免許更新制について(2007年9月)
「殺すな、盗むな、うそを言うな」とさ。(2007年12月)
改めて文科省を貶す(2009年11月)
「学習指導要領案」は総花的で先送りだらけ。問題解決しようとしてないだろ、お前ら。(2016年8月)

胃で吐く

しらばか あぞおら みかみなぜ

いばらき? いばらぎ!

私は、結構最近まで「茨城」は「いばらぎ」と読むのだと思っていた。そして、そう発音していた。

父の生まれは茨城県古河市であり、父の兄弟姉妹は北関東に多く住んでいる。私自身は父の転勤に伴い、6年弱ほど茨城に住んでいた。親は「いばらぎ」って発音する。親戚も「いばらぎ」と発音していた気がする。当然のことながら、私自身も「いばらぎ」と発音していた。当時の身の回りの友人とかで「いばらき」って発音していたヒトが居た記憶はない。

んなわけで、このニュース(と呼んで良いのだろか?)を見たとき、私は違和感を感じたのである。って、2ヶ月前の話題だけどね。

「『いばらぎ』じゃなくて、『いばらき』です」 NHK「ひよっこ」セリフに茨城県民が感涙 : J-CASTニュース

公式には「いばらきけん」なのだそうで。ビックリだ。初めて知った。ってか、2ヶ月前の話だけど。

茨城県公式サイトは http://www.pref.ibaraki.jp/ だ。urlも確かに"ibaraki"だし、ページ内にはひらがなで「いばらき」って書いてる。

でも、私はこれからも「いばらぎ」って発音し続けるのだろうなぁ。なお、西の方にある茨木は「いばらき」だと認識してた、「茨城」とは違って。

という、どうでもいい話題であった。


過去の「茨城愛」日記
ノーム、濃霧、Gnome(2006年12月)
菓子「水戸の梅」は、本当に美味しいのか。(2007年8月)
旧知の仲「しもつかれ」(2009年1月)

フェミニズムとか、フェミニストとか

試験問題を作成しなければならないのだが、日記を書くネタが揃ってしまったので記す。

最終的に私を後押ししたのはこのページである。
キャンペーン · 拝啓 広辞苑様、フェミニズムが「性別間の平等」を願う思想であると書いてください · Change.org
時々、Change.org からのメールが届き、時々食指が動く。で、賛同しかけたけど、止めた。

何故なら、上記ページの

すると、検索結果の1ページ目はほぼすべてフェミニストに反対する方たちのブログでした。読んでみると、多くの方が、広辞苑のフェミニストの定義を引用して、「フェミニズムは女権拡張運動。女尊男卑の思想だからよくない」と結論付けており、驚きました。
に違和感を感じたからである。

少し私も検索してみたが、「広辞苑のフェミニストの定義を引用しているページ」は、少なくとも1ページ目(最初の10件)には無かった。ってか、そもそもブログがあまり出てこないのですけどね。ま、Google様が「私向け」にアレンジしている可能性はあるけど。
また、広辞苑の記述(とされるもの)についても「そんなに酷い」とは思えないのである。

で、その「運動」を推進しているページ(Facebookのヤツ)を見てみた。バッチリ、というか何というか、民進党を褒め称えていた。ああ、気持ち悪い。「ああいう団体」が「そっち系政党」と繋がっていなければ、もっと良いと思う。そういう場面が日本には多すぎる。


最近、痴漢の冤罪の話や、逃走から死亡に至ってしまった話などもあり、電車の「女性専用車両」についての話をネット上や新聞に見る。通勤電車の運用方法については、何が良いのかはよく分かりません。とりあえず「男性専用車両も作れ」という話もあったりしますが、「男好きの男」に狙われそうで、あんまり乗りたくない気はする。また、近年話題のLGBTの方々なんか、どこに乗れば良いのよ??


私は高校生の時、痴女にケツを触られたことがあるんだよね、一度だけ。
夕刻、部活がない日、帰りの電車の中でした。そんなに混んでなかった。のに、私の背中側に妙に接近している20代半ばくらいのねーちゃん(その当時は「オバチャン」と認識した)が居た。と思ったら、どうも私のケツ周辺をさわさわ触ってくる。と、思ったら、ケツの溝をまさぐってきて「こいつは痴女なんじゃないか」って思い始めた頃、自分が降りるべき駅に着いたので、電車を降りた。それだけ。

ま、あの経験から言えるのは「最初から『痴漢でーす』って言えるのは、相当『痴漢慣れ』していて、気が強い女性なんだろな」ってコトです。

なお、私はフェミニストではなく、エガリタリアニスト(egalitarianist 平等主義者)なんだろうと思った。今日の検索の結果ね。勉強になったよ。民進党ありがとう。


過去の関連する日記
フェミニスト様へ(2006年10月)

喫煙者の肩を持つ

私は非喫煙者だ。生涯でも20本までは吸っていなかろう。未成年の時代から「洒落」で吸ったことはあるけど、本気で複数本を続けて吸ったことはない。

23区内は「歩きタバコ禁止」っていう条例が定められている場合が多い。歩きタバコをしているやつは、「殺したろか」と思う。特に、子供を持つようになってから。私ですら、何度かやけどをさせられそうになったことがある。そんな「危険物」を持ち歩くなよ。

が、公園などの屋外でタバコを吸うのは構わないと思うのだ。吸い殻をきちんと処理するならばね。学校の敷地内でも、病院の敷地内でも、オープンエアで間近に人家がないような所ならば、タバコを吸って良いのではないかと思う。もちろん、密室で空気清浄機が稼働している「喫煙スペース」でも良いのだけれど。

一番問題なのは「飲食店」なのだろうと思う。タバコを吸うヒトは、酒を飲むとタバコを吸いたくなるらしい。厚生労働省の案よりは、「店舗毎に『禁煙』『分煙』『喫煙可』の選択制」とするのが良いと思うのである。自民党案ってコトになるのかな?

ま、タバコなんて吸わない方が良いのだろうし、それは本人たちも十分承知しているだろう。けれど、既にニコチン中毒になっちまっているのだから、ある程度仕方ないと思うのだ。


過去の関連する日記
何故未成年の喫煙は勧められないのか(2004年9月)
タクシーランキング(格付け)って、意味あるのか?(2007年9月)
無理な「敷地内禁煙」は廃止したらいかが?(2008年7月)

55で57577(1000円也)

カツ2つエビ玉ウィンナー遂に食う7月某日カレー記念日

参考
http://www.gogocurry.com/menu/005.html

まさに本日

痔を手術 脂身薫る電気メス

過去の多少関連する日記
不健康自慢(2000年12月)
痔について、Google様にお伺いを立ててみた。(2012年1月)

痔について

椅子にも座れるようになったので、痔の顛末でも記しましょう。
今は入院してるのです。3泊4日の手術。「痔瘻(ぢろう)」ということで、手術をすることになりました。

入院は30日の日曜日。手術は31日月曜日でした。切ったり縫ったりの時間は7分だったそうです。さすが、日本に名だたる名医です。そんな先生に診てもらえるようになったのは、「単なる成り行き」でしかないのですけど。なお「名医」であらせられることは、昔から知っていました。やはり成り行き上。その詳細は個人情報保護(自分の情報です)のため、記しませんけれど。

昨日、自分の日記を自分で検索して知ったのですけど、「ケツがいてーなー」ってのは、もう20年近く感じていたことだったのですね。だましダマシ騙し、ここまで来てました。基本的には「切れ痔」でしたね。時に「いぼ痔」っぽいものが出現した場合もありましたけれど。今思えば、あの「いぼ痔」も「痔瘻寸前」だったのかも知れません。たまたま、膿が皮膚まで出てこなかっただけで。
痔瘻とは何ぞや?って方は、どうぞ画像検索でもしてみてください。簡単に言うと、肛門以外の場所から、大便の一部が出てくるっていう症状です。私はどうも「1型」というのに該当したようです。痔瘻の中では一番軽いやつ。

昨日びっくりしたのは、グーグル様推奨のサイトについてでした。「痔」を(iPhone上のSafariの)グーグル様の検索窓に入れると、「サジェスト」に「19歳、女、痔瘻になりました」が提示されました。
http://blog.goo.ne.jp/dw123

すぐに終わるブログ(放置されてるブログ)なのですが、私は「そうだった、そうだった」って思いながら、読みました。私の瘻孔は小さかったので、皮膚にガーゼ等(厳密には女性用ナプキン)を当てるだけですけどね。彼女は重症だったらしく、「シートン法」の手術を受けたようですね。最終的には難病指定されてる「クローン病」が原因だったらしいです。彼女、薬が効いて、寛解状態になってると良いですねぇ...。

で、私の出術の場合は、便漏れの全ルートを切開・切除しておしまいでした。背骨の途中に注射して、下半身の麻酔をかけた状態での手術でした。

結局、私の場合は切れ痔を繰り返すことにより、肛門が引き攣れを起こしていた(部分的に狭窄していた)そうです。確かに、この2年位は、ずっと「全力での排便」はできていませんでした。全力で排便すると、肛門が切れ、場合によっては鮮血が出るから。当然、痛い。
で、この3月には、過去何度か遭遇した「いぼ痔」が出てきたのです。今までよりは大きかった。上に示した19歳女子と同じような感じです。私の場合は肛門の後ろ側、正式な穴(肛門)のすぐ近くですけど。
自宅にて、「今回のイボは、ずいぶんでけーなー」とか思いつつ、ソファーでダラダラしていました。ら、イボが暴発したのです。
ケツに違和感を感じ、手をパンツの中に突っ込んだら、膿がついてきました。結構大量でした。

ケツの疾患については結構勉強していたので「これは痔瘻だったのか?」と気づきました。
面白いことに、この痔瘻が完全開通してからは、排便時の痛みが消え去りました。プリプリ普通にうんこができました。その点は良かったです。痔瘻経由でケツ(パンツ)が汚れることは、全然良くないけど。
結局、その数日後に、いま入院している病院の外来にかかりました。職場を抜ける時間ができたから。で、前述の「名医」がちょうど外来担当だったこともあり、相談の上手術をすることになったのでした。決めたのは5月でした。仕事に穴を開けないように。って言っても、部活指導は別の先生にお願いせざるを得ないんですけどね。


もう少し、個人的な「痛み」について記します。多分、その辺に需要があるような気がするので。

先程も述べたように、ここ2年位は、排便時に痛みがあることが多かったです。また、排便をしているときでなくとも、ケツに20cmくらいの包丁が刺されるような痛みを感ずることがありました。(ググっても、明確に書かれているページには出会えないのだけど、切れ痔が進行する時に、この「差し込む痛み」が生じる場合もあるとか...?)この「差し込むような痛み」は、何の前触れもなく起こるのです。5秒位で収まりますが、痛いときは息を止めて凌ぐしかないのです。
で、不思議なことに、痔瘻の全面開通以降、この「差し込む痛み」が消えたのです。厳密に言いますと、「痔瘻が塞がりかかっているなぁ」ってときには、この「差し込み」は発生しました。この春以降も。ただし、その包丁は最大でも5cmくらいでした。
まとめますと、現在までのところ、痔瘻が無いときは「差し込む痛み」と「切れ痔の痛み」に怯えていたのですが、痔瘻が元気に活動しているとき?は、その他の肛門周辺の痛みは生じないのです。
ま、なんとなく理解できる気もしますけれど、できれば痛みは無い方がありがたい。

痛み、全部なくなると良いなぁ...。
そんじゃ、病室に戻って、やっと許可されたシャワーの準備でもしてきますわ。

手術後5日経過

概ね、順調に推移しているようです。
ウォシュレットの「中」に、数ヶ月ぶりに復帰しました。思えば、今年のまだ寒い頃に、ウォシュレット「弱」のお世話になる日々が始まったのです。

昔、頑強な肛門を持っていた時代は、「なんでウォシュレットに『弱』なんかがあるのだろう。誰が使うんだ?」とか、考えていました。基本的に「最強」オンリーの時代は長く続きました。若かった〜あの頃ぉ〜♪

ま、浸出液はあるのですが、おおよそ1か月程度で治るらしいです。色がだんだんに薄くなっていくそうで。

浸出液対策のため、おパンツには女性用ナプキン(基本的に配偶者に買ってもらっている)を装着した上で、おケツにはトイレットペーパーなどを挟んでいます。「など」と記しましたのは、手術完了当初は「不織布のガーゼ」を使っていたからです。ガーゼは病院にもらいました。
退院当初、ドラッグストアか何かでガーゼを購入しようかとも思ったのですが、「コストコの高いトイレットペーパー(ただし、数ヶ月前に「日本国内製造」になり、少し値下げされた)」を使う限りは、それほど「邪魔となる繊維」が脱落しないので、そいつをケツに挟んでいます。どうせ、繊維が落ちたところで、おケツは水洗いしますしね。

そういえば、ウォシュレット。
あれって、基本的に私は自宅か勤務先でしか使いません。
駅のトイレには、基本的に設置されていないでしょうが、「不特定多数」が使うようなトイレ、例えばショッピングモールやデパート等のトイレにおいては、ウォシュレットは使いませんねぇ、なんとなく。
本当は職場のウォシュレットもあんまり使いたくない気もするのだけど、それは「リスクとリターン」を考え、使ってます。

つれづれなるままに(いつもだけど)

教職員研修をし、夏期講習を担当し、痔の手術をし、職場のサーバー更新に関わっていたら、もう立秋ですか。そして、夏休みももうすぐ中間地点。ある意味有意義な日々だったようにも思えるが、長期の休みが減っていくのは悲しい。

残暑お見舞い申し上げますm(_ _)m

夏休み、みじけぇなぁ。って、毎年思う。
で、以前どこかで読んで「なるほどなぁ」と思った事があった。で、ググってみて知った。「ジャネーの法則」って言うらしい。(ウィキリン)
"L'évolution de la mémoire et de la notion du temps"って論文?があるらしい。

「主観的な時間の長さは、年齢に反比例する」っつーコトですね。
小学校4年生の時の夏休みに比較すると、現在の私の夏休みは5分の1の長さしかないわけだ。そりゃ短いわ。


さっき、職場に居た同僚(私より何歳か若い)と喋っていて、何故かゲームの話になった。彼はドラクエXIを(なんとなく)買ったそうで。「買いましたか?」と尋ねられ、「私は買ってないっすねー」と答えた。
彼もドラクエで一番印象深いのはIIIだそうで、I→II→IIIとやった世代なのだそうだ。私と同じだ。以前(その1,その2)にもそのことは書いたけど。

今日の彼の話で一番ウケたのは、「ドラクエで家庭崩壊しそうになった」という所だった。
なんでも、「冒険の書」を妹に消された事があったのだそうで。故意なのか、事故なのかは聞かなかった。彼の生涯で、最も妹と険悪になったのは、その時なのだそうだ。ま、分かると言えば分かる。
私は3人きょうだい(妹が二人)だったけど、ドラクエIIIはどうしてたのかなぁ...。「書」を一つずつ使っていたような記憶も無い。

私の妹、上の方は、何故かディスクシステムの「メトロイド」を繰り返しプレイしていた。ま、面白いゲームだったけど、「そこまで繰り返すか?」って、ゲーマーの私が思ってた。ま、クリア時間が短いと、エンディングでのサムス・アラン(ソラで頭の中から主人公の名前が蘇ってきた。恐ろしや)の姿が変わるんですけどね。一種の脱衣とも言えようか。ググっても、思ったほど脱いでなくて落胆するから、若い男性はググらなくてよろしい。ま、ヘルメットを取ると「金髪の長髪」が出てくるのでビビるんですけどね。それまで、主人公は男と思い込んでるから。なんたって「サムス」だもの。

下の妹は、何やってたっけなぁ...。あんまり思い出せない。


ゲーム話(ゲーム語り?ゲームつづり?)で思い出したのだけど、難解だったアクションゲームというと「プリンス・オブ・ペルシャ(スーファミ版)」なんかも思い出されます。一番難解だった(時間を費やした)のは「キャッスルエクセレント」じゃないかな? 私はFM-7版をやったのだけど。

基本的に私が旬のゲーマーだった頃、パソコンゲームってのは、88(ハチハチ:PC-8801mkIISR)あたりが、一番ソフトが充実してました。富士通のFM-7は、有名どころのソフトが出てこなかったり、移植されるにしても、かなり遅れてからだったりしたのです。
そんな中で、私の主観ですが、出色の出来だった「FM-7用ゲーム」の一つが「ザ・キャッスル」であります。「キャッスルエクセレント」は、その「超難解版」ですね。「ザ・キャッスル」はアスキーのコンテストの入賞作品でした。「エクセレント」はアスキー?のゲーム部門の人がチューニングして、チョー難しくなっているバージョンです。私は100部屋を、地道に手書きでマッピングしましたっけ。「やった人」としか、あの苦労は分かち合えない気がしますね。

で、思い出したのですけど「ブルーフォックス」も、かなりやりこみました。独特なフォントが、チョーかっこよかった。で、動画を上げてらっしゃる方が居た。凄い...

ってか、「キャッスルエクセレント」もあるではないか、エクセレント...

もっと別のページ見てみよ...

手術後4週間

経過しました。
手術終了直後に「1ヶ月くらい、浸出液がありますよ」と言われてました。
「嘘だろう」と思いました。思ったけど、言いませんでした。しかし、それは本当の話でした。

「赤い血混じり」から色が薄くなっていくと言われてました。確かに、そのような経過を辿りました。
私は何故「嘘だろう」と思ったのか。
そもそも、表皮なんかを怪我した場合、よほど「おかしなこと」が無ければ、カサブタは24時間内外で完成し、浸出液は止まりますよね。「おケツ」も同じ経過を辿るのだろうと思ってました。せいぜい浸出液が出るのも数日間であろうと。まあまあ若いし。

本当に、浸出液は出続けます。
職場の同僚の理科教諭などには私の感じた「人体の不思議」を伝えました。改めてここに記します。

通常の擦過傷などでは、カサブタができれば、浸出液は「体内」に回収する方向で「修復作業」は進みますよね?直腸の粘膜については、その方向性は「逆」だということです。浸出液を「体外へ、体外へ」と排出し続けます。修復に伴う「浸出液」の「ベクトル」が逆になってます。その点に私はとても感心しました。
浸出液が止まるときは、完治したときなのでしょう。
約1週間前に「名医」の診察を受けました。退院後の初診察。「順調ですね」と言われ、バッチリ「肛門鏡」も使って、私のケツの穴はチェックされました。ま、慣れたっちゃ慣れたけどね...。肛門鏡、必要ならば、画像検索してみてください。先生の指で「グリグリ」された後、金属片で「カパカパ」されるのです。グリグリカパカパ、2,3回めくらいで「羞恥心」はなくなりました、私の場合は。

似たような「人体の不思議」を以下にお示ししておきます。

数日前より、ナプキンもティッシュも使わず、ボクサーパンツ(浸出液がある間は必須)からも解放され、トランクスを履けるようになりました。ま、別に私は「金冷派」ってわけでもないけども。


過去の関連する日記
皮膚癌発病疑惑(2000年12月)

世の中には、翼など無い

昨日、街中にて中学生の歌声が聞こえてきた。『翼をください』だった。私も、小学生の時によく歌った(歌わされた)曲だ。

当時から思っていたのは「現実逃避が過ぎるのではないか」ということだ。小学生にそう思わせるのだから、そうとう「逝っちゃってる」ように思う。で、改めて歌詞を見てみた。ま、今でもソラで歌えるけどね。

で、しみじみ思った。やはり、お花畑だ。

近年?の「自分探し」に通ずるものがあるように思う。そんな「他力本願」で得られる「パラダイス」なんて、存在するわけないんだって。

似たような歌に『気球に乗ってどこまでも』がある。私の中では、2曲は「同じ括り」にあった。と言うか、ヒステリックな音楽科専科の先生(多分、当時20代の女性)に歌わされた、小学4年の時に。

ま、一応言っとくと、その当時教わった曲は、みな私の血肉になっているとも言える。みな、懐かしい。例えば、オブラディオブラダとか、グリーングリーンとか、アマリリスとか、エーデルワイスとか。
でも、その中でも「胡散臭いなぁ」と思ったのは、「翼」と「気球」の2曲なのである。

で、ググって知ったのだが、『気球に乗ってどこまでも』は、そもそも「合唱曲」なのだと。
知らなかった...。

特にオチはない。
MacBook Airのアップデート待ちでした。

実録山手線

私はその前の晩、酒を飲み過ぎてしまったようだ。下痢気味だった。新宿や池袋などのターミナル駅は、トイレの個室が混んでいることが多い。そこで、私はとりあえずの目的地を「新大久保」に設定した。
新大久保の男子トイレは、予想通り、それほど混んでいなかった。個室待ちの人間は、私しか居なかった。そもそも、個室の数もさして多くはないが。
排泄が切迫している場合、どうにかして「気を紛らわす」必要がある。経験上、なるべくうんこのことは考えないようにした方が、その後の展開が楽になるように思える。しかし、その日は殊更に「考え事」をする必要もなかった。個室内から咳をする音が聞こえてきていた。
その咳は、あまり聞き慣れないような咳だった。風邪による痰が絡むから、というわけでもなさそうな音だった。
じきに、個室が開いた。ダークスーツを着た細身のお兄さんが、伏し目がちに個室から出てきた。まあ「待ち人」を睨み付けながら個室を出るような人物には出会うこともないし、私も排泄後に「ガンをつける」必要を感じたこともないのだが。
「やれやれ、何とかうんこを漏らさずに済んだようだ」と、私は排泄に取りかかる。が、その個室内が「おかしな状況」になっていることに、すぐに気づいた。個室内のそこかしこに、「血をティッシュペーパーで拭ったような跡」が残っていたのだ。
どうも、私の直前に居た「お兄さん」は、喀血をしていたようだ。しかし、このトイレを使わないという選択はない。私のスーツが下痢便で汚れてしまう。
私は普段以上に、トイレ内の個室の壁などに触れないように気をつけながら、コトを済ませたのであった。手もなるべくきちんと洗った。
結局、その後、私は結核を罹患するようなことはなかった。が、数ヶ月くらいは不穏な日々を過ごす羽目になったのも確かだった。

この話は数年前の出来事である。
今でも、新大久保を通過するときなど、時々あの「細身のお兄さん」を思い出してしまうのだった。彼は今、きちんと日々を過ごせているのだろうか。

80.0MHz

TOKYO FM の周波数である。会社名は「エフエム東京」らしい。
大体、私が車に乗っているときは、ここにラジオを合わせてる。日曜日に車に乗ることが多い。14時台はなるべく欠かさずに山下達郎氏の「サンデー・ソングブック」を聞いている。
というか、この番組を聴くことが多いから、TOKYO FM を聞くことが多くなったとも言える。

悲しいのは、福山雅治氏の番組が、日曜日から土曜日に移動したことだ。それ以来、ほとんど聞かなくなった。というか、聞けなくなった。

で、本題である。
ラジオ局は、テレビなどに比較すると「ジングル」ってヤツがよく流れる。
TOKYO FM では、宇多田ヒカル氏、野宮真貴氏、chara氏あたりが歌っているように思えるのだが、違うのかも知れない。他の歌手はよく分からない。で、きゃりーぱみゅぱみゅ氏も歌っていると思う。

きゃりーぱみゅぱみゅ氏、彼女の「ジングル」は数ヶ月前(だと思う)に、変更された。
以前は「東京FM 東京FM えいてぃぽいん『と』らーぶ」って歌っていた。
あるときから「東京FM 東京FM eighty point love」に変わった。

これは「新しいバージョン」だと思う。

以前は「日本語読み英語」で「ポイント」って明確に発音してた。「ト」の「母音」である「オ」が入ってた。
現在のバージョンは「point」である。「t」のあとには、母音は入っていない。

私は前バージョンの時、「『ポイント』って発音はねぇだろよ」って思ってた。しかしまた、「きゃりーぱみゅぱみゅだからこそ『アリ』なのかもなー」とも思ってた。ら、いつの間にかバージョンが変わった。

やはり、あの発音は「ナシ」だったのだろう。

メルアド11ケ

改めて数えてみたところ、私はメールアドレス11個を使っているらしいことが分かった。

ここ10年以上、私用の捨てアド(?)に届くメールは、Hotmailに転送していた。「捨てアド」は、各種Webサービスとか、ユーザー登録に使っていた。
ここ数ヶ月、それらのメールの一部が「転送されず、迷惑メールフォルダにすら入ってこない」という事態に陥っていた。
ま、その「私用アドレス」は「Webメール」も使える。本当に「届かないメールが分かっていた」場合は、そちらを参照していた。自宅で「古典的なメーラー(メールクライアントソフト)」を使うと、それら行方不明のメールもきちんと受信できていた。

しかし、使い勝手の悪いWebメールを使うのは面倒だった。
不具合に気づいてからは、ずっと「Outlook メール 消える」などという語句で調べてきたのだが、一向に私の欲しい情報は出てこなかった。
で、つい先日、転送先をHotmailから、Gmailに換えたのである。行方不明のメールはなくなったように見える。

つい先ほど、何故かHotmailで受け取り続けてきた「杉並区犯罪発生情報配信サービス」の受診先を、Gmailに変更した。

ストレスが一つ減った。
そのうち「ラベル」をきちんと設定することにしよう、と思う。

ここにあるのは、過去に書かれた日記のうちで駄文2カテゴリに属しているものです。

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