提言 の日記群

ボランティアとか募金とか

本日は文化祭の初日である。時計では土曜日だが、金曜深夜に記している。文化祭てのはいいですなぁ。非日常。

前回の日記には「ましてや、ボランティア活動など・・・。」と続くところを省略している。ボランティアとは「何ぞや?」という気もするのですな。家族や友人と仲良く暮らし、職場のヒトビトや近所のヒトビトとも良好な関係を築いているヒトが、ボランティアをするなら良いような気がするのだが、現実はどうなのだろうか? とりあえず、私は身近な人と仲良く過ごしたいと思いながら日々生きている。そういった優しさが繋がっていけば、世界中幸福になるはずだ。理想論だけど。
もちろん私は「モノゴゴロ」ついてから募金をしていない。「『見知らぬ困っているヒト』を助けようと企画している見知らぬヒト」の手下たち(駅前で声を枯らしている、お疲れさま。)にお金を渡すという行為はしない。無視無視。声を枯らしている彼らには悪いが、どうしても「エネルギーの浪費」という気がする。青春だねぇ。貧困に陥っている国には何らかの原因があるはずだと思うので、ジャパンマネー(?)によってその国に暮らすヒトビトを助ける、ってのは対症療法に過ぎないと思う。例えば「ユニクロ」の服を着ることや、エビの天ぷらを食うこと自体が搾取に当たっているのかも知れないし。
国内においても「助け合い運動」とかあったりするけど、私から奪い取った税金を回せばいいだけだと思う。

てことで、夜が明ければ2日間の浪費活動が始まるのですな。

「奉仕活動」=「曾野綾子の私見」

「女子高生コンクリート詰め殺人事件」についての映像が、ニュースステーションで流されていた。あの番組を作っているヒトの誰かは今日改正される「少年法」にぶつけたつもりなのだろうが、映像が作られすぎている。まあ、「やらせ」とマスコミ、特にテレビ業界は切っても切れない縁なのであろう。ニュースステーションも大人数で作っているだろうから、切れ味鋭い番組にすることは、これから先さらに難しくなるだろう。

最近気になっているのは、曾野綾子というヒトです。マイブーム(死語?)です。「教育改革国民会議第一分科会への提議」(誰が誰へ提議しているのかよく分からん)ってPDFファイルを首相官邸付近からゲットしたのだが、それを眼にする前は「奉仕活動」=『第一分科会』の意見という認識があった。取りあえず、複数存在するはずの「分科会」(何それ?)それぞれの『提議』は存在しておらず、その謎の御意見帳にその謎のPDFのみ放置されていたのだ。
で、結局それを見る限りは、「奉仕活動」=「曾野綾子の私見」である気がするのである。曾野綾子ってヒトは日本財団(私の認識では、限りなく戦犯に近いヒトが作った、「日本船舶振興会」の名前が変わっただけ)のトップに祭り上げられてしまったらしいし、よほどスケープゴートに使われやすい、馬鹿なヒトなのだろうなと。フジモリ大統領の件で更に感じたッス。どんな本書いているのか、買ってまで読みたいとは思わないので、図書館で借りてみようかと思うが、それも時間の無駄になりそうな気もしてまだだったりする。て、そんな感じで非常に気になるヒトなのです。ソノアヤコ。

英語を聞くと

一昨日のハナシなのだが、思い出したので記す。

私は普段(日本語を用いて)ヒトと会話するときは、言葉を聞きながらも、相手の仕草や表情も見ている気がする。まあそれは心理学者なら「あったりまえ」のことなのであろう。
視線を向けずに話を聞くってのは真面目に聞いていないことを表しているのだろう、意識的あるいは無意識的に。また、時には自分や相手がそうしていることに気づくこともあるでしょう。

で、本題である。勤務先で行われた「(英語による)スピーチ・レシテーションコンテスト」の入賞者のお披露目会@全校集会では、生徒の発表(暗記した文の暗唱)を真面目に聞こうとする私がいた。が、その際、何とかその発表を理解しようとした私は、喋っている壇上の生徒から視線を外し、脳の何らかの部分にアクセスしようとしていたのである。
これは本来のコミュニケーションではないのであろう。生徒の英語がスラッと頭に入ってくる生徒や先生もいることであろうが、私の頭には入ってこなかった。メッセージを認識しようとすると、頭のある場所を使おうとしてしまうようだ。「三つ子の魂百まで」って感じ。

ってことで、私は小学校での英語教育に賛成するかと言えば、そんなことはない。まずは母国語の習得であろう。

門外漢ですが

数週間ぶりの完全な休日、今朝新聞の1面を見て驚いた。地震があったらしい。
大きな見方をすれば、地球上で地震の起こらない日はないと言えるのだが、死者が出るような大地震が国内で起こっていたとは知らなんだ。でも、そんなニュースを知らなくても、充分この世で生きていけるのですね。
気がつけば、ミールも無事(ヒトが死んだという話を聞かない、という次元)に落っこちていたし、このページの更新も全世界の60億人が知らぬ間続いているし、核戦争も多分起こっていないし。
で、むやみに進化した経済学者の立場から言わせれば、「株安」=「悪」なのかも知れないが、賃金を「もらえている」立場の私にすれば、デフレは歓迎すべき現象である。

科学もむやみに進んだ結果、反省を始めているように思えるし、経済学者なんて、いらないんじゃない?と思う私なのだった。株安によって影響を受けるのは、世の中の風潮に流されて就業した「虚業」に携わるヒトビトであろうし。

防火管理者講習感想

中間試験問題を作らなければいけないのだが、筆が進まない。ネタとして、本日作成したメールを引用してみる。

Date: Sat, 19 May 2001 19:18:36 +0900 Subject: 防火管理者講習感想

(財)東京防災指導協会 曰く:
> 小川正樹様
>
> お便りありがとうございます。
> 具体的のどのようなことか、教えていただきたく存じます。
> よろしく、お願いいたします。
>
>
> (財)東京防災指導協会 小林

  <中略>

> ----- Original Message -----
> From: 小川正樹
> To:
> Sent: Monday, May 14, 2001 10:27 PM
>
>
> > あんたらは誰なんですか?
> >
> > そんなシゴトをしていて恥ずかしくはないのですか?
> >
> > 小川 正樹 OGAWA Masaki
>

長い引用済みません。
小川と申す者です。

私は今年2月、「甲種防火管理者講習」を受けました。
受講申し込みの際、消防署のヒトに
「講習にかかる費用はいくらですか?」と尋ねました。
私の印象では「講習は無料ですが、資料(テキストだったかも知れません)代
がかかります。」と言いづらそうに答えてもらった記憶があります。
本当に火災を無くしたいのなら、防火管理者講習で使用するテキストは
無料で配布するべきだと思うのです。
私たちが納めた税金が消防や警察に使われているのは承知しています、
そして、消防や警察の方が日々努力されていることも承知しております。
その一部を回し、法令(でしょうか?詳しくないので良く知りませんが)で定めた
「防火管理者」の育成も税金から賄うわけにはいかないのですか?
テキスト代5100円は高すぎると思います。

上記のメール(わけ分からんメールですみませんでした)に解答くださった方は
直接金銭の授受に関係されているわけでは無いでしょうけど。

防火管理者なんて、不要なのかも知れません。
講習は非常に眠たいものでした。
財団法人ってのは「お役人の再就職先」という印象がありますもので、
言いたいことは言っておくほうがいいかと思い、お便りしました。

以上です。

小川 正樹 OGAWA Masaki

ってことで、「人の振り見て我が振り直」そうと思った私がいるというコトを全世界?に無闇に発信するのだった。
電気の無駄遣いですねぇ。

防火管理者講習感想 その後

Subject: Re: 防火管理者講習感想
Date: Mon, 21 May 2001 14:26:45 +0900

小川正樹様

貴重なご意見ありがとうございました。
テキスト代の無料化については、受益者負担の原則から、当面困難です。
しかし、乙種防火管理者講習のテキストについては、本年度からスリム化し、
テキスト代も、約半額になりました。甲種についても、引き続き検討中です。
講師陣についても、より一層の充実強化に努めて参ります。
当協会は、「人と金は削減する。ただし、都民サービスは低下させない。」を
目標に、業務の改善に鋭意努力しているところでございます。
今後とも、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。


(財)東京防災指導協会 小林


「受益者」って誰のこと?私に言わせりゃあんたらでしょ!
ってメールを送っても、私と見知らぬ「小林さん」では主張の交わる点が少なそうなので、止めた。でも、なんとなく好感を持ったことも確かであります。メールの返事が返ってくるだけでもスゴイと思いますし。これからも防災指導協会の監視?を続けようと思ったのでした。

画家になる方法

「『現在の私』が嫌いなNHK」の3チャンネルを見ている。題名からクサい。『にんげん広場21いのち「働く喜びって何ですか」世代を越えた対話3時間生放送』だってさ。まあ、新聞のテレビ欄にあった「そのクサい題名」に興味を覚えてチャンネルを合わせたので、けなしていること自体が自己矛盾なのですけどね。
よく小学校時代に見たNHK教育(15分番組)の記憶「3チャンネルは何となく偉い」ってのが効いているのかも知れない。道徳とか理科ではよく見たッス。多分、担任の先生がその科目が苦手だったのだろうと気がついたのは大学の頃だ。
総合的な学習についても、NHK教育で「対応番組」をつくるらしい。そんな状況だったら止めましょうよ、「総合学習」。

テレビ東京の「美の巨人たち」とかいう番組で聞いたフレーズは、異様に私のココロに突き刺さった。確か1・2年前だ。
インタビューで「どうしたら、(有名な)画家になれるのですか?」と聞かれた画家(誰だか忘れた)は「画家になる方法はない。ただ『描き続けた』ものが画家になるのだ」というヤツだ。カッコ良すぎるけど、真実であると思う。多分どんな職業においても。

二酸化炭素削減よりも

コイズミとかいうヒトが結構遠くへ出かけて、何かを喋っているようだ。

「京都議定書」がナンボのモノか知らんが、二酸化炭素の削減を議論するよりは、兵器(もちろん「核」を含むが、「地雷」とか「銃」とか「火薬」とか「ミサイル」とか「ミサイル向けミサイル」とかそういったモノ全般)の生産縮小を真っ先に考える方が、このホシに生きる生物として重要なのではないかと思うのでありました。
結局、当たり障りのない話題なのでしょう、「二酸化炭素削減」とかは。そんなものをあえて拒否するアメリカというクニは、自己主張があって日本よりはましである気がする。もしかすると、「京都議定書」をスケープゴートにしようという、日米首脳間の密約があったりして。深読みのしすぎか?

以前作成したメールを引用してみる。またも「文字数」稼ぎ。

Date: Mon, 01 Dec 1997 20:31:26 +0900
To: khccop3@mail.joho-kyoto.or.jp
Subject: 一つの提言

疑問を感じました。

それは、NHK7時のニュース「京都会議」の会場に
「南アルプスの天然水」の500mlPETボトルが
そこかしこに置いてあったからです。

「ミニPETボトルは不燃ゴミを増やすだけです、
使用をやめましょう」と言ってる人々もいるのに。

「ちょっと、おかしいんじゃないの」と思わざるを得ません。
確かに、コスト的には楽なのかも知れないませんが。
(また、意見を述べる先が違うかのかも知れませんが。)

いかりや長介さんではありませんが、
「駄目だこりゃ」って気がします。

以上、失礼いたしました。

小川 正樹 OGAWA Masaki


返事なんか期待しませんでしたが、言いたいことは言っておく方が良いと思ったので、こんなメールを送った私でした、もう4年近く前なのですね。
もちろん返事は来ませんでした。

疑問の羅列

死んだクジラって食べちゃいけないの?
指紋認識って、指先怪我したらどうなるの?
杉並区は「マイバッグ」推進してるけど、ゴミ袋にも使えるレジ袋に5円払うほうが、都指定のゴミ袋買うより楽じゃない?

文部科学省周辺の腐れ公務員様へ

文部科学省周辺の腐れ公務員様へ
まずは自分らの評価をすべきじゃないの?児童・生徒・学生に全国的なテスト(=税金消費するわなぁ)を行う以前にサ。指導要領って何だっけ?上限?最低基準?大体、あなた達は日本国憲法とか教育基本法遵守してる?朝令暮改も甚だしくて、涙すら出ないね。私自身があなた方(の先輩?)のお世話になったのは確かだろうが、君たちを尊敬はしないね。食わしてやってるんだから、働け、上から下まで。ってか上のヤツらね、特に。

それでもアナタは募金しますか?

ニュースによると、既に日本から200億円を超える税金がインド洋津波被害地域へ投入されたらしい。ふぇー。

ところで、私には行動規範がいくつか存在する。
例えば「自分自身をセンセイと呼ばない」「煙草を吸わない」「一日のお酒はビール1杯まで」とかね。例によって最後は嘘だけれど。
で、規範とは呼ばないまでも「募金を行わない」っていうコトも心がけていますね。

募金ってのは本能とかではなく自発的な行為ですから、殊更自分に厳しくしなくても「無募金」は達成できるのでありますが。で、例によって“募金 しない 税金”でググってみた。
で、発掘した情報ではホントか嘘か知らないけど、松任谷由実(ユーミン)ってヒトは「募金はしない、税金をたくさん払っているから」って発言したとか。私も同じスタンスですな、以前にもこの日記(2000/9/23)で記したことあるのだけれどね、このネタは。
アルバイター時代を含め、私はもう15年以上立派に税金払ってるんだから、既に相当量募金を行っているハズなんだよね。日本ってクニがODAとかいう名を借りて税金を日本の企業に回していようが、被災地復興のための公共事業という名を借りた「お馴染みの税金消費」をしていようが、何しろ私の働いて稼いだカネは立派に外国(発展途上国?)や国内外の被災地なんかに流れているはずなのだよ。
ま、私と同じこと考えている同志はやっぱり結構居るようではありますが、まだまだ私と同じ考えのヒトってのは少数派なんだろうな。だからこそ、この文章を作成しているとも言えるのですけれども。

パッと見「ヒトのために…」って言って募金をするという行為は美しいような気がしがちですが、それって結局自己満足じゃないですか。どうすか、そこの奥さん?今となっては一番片腹痛いのが「NHK歳末助けあい・海外助けあい」とかですね。昨年末も行われたみたいですが、それに乗っちゃってるヒトとかって、私はちょっと退いちゃうなぁ。募金なんてものは、そいつが本当に有効に使われるかどうかなんて、税金の使われかた以上に追跡することは難しいじゃないですか。ましてや、「あの」NHKですぜ、旦那。

このニッポンというクニで「自己責任」ってヤツを取る気概があるならば、偽善者として各種募金に自分のお小遣いを投入してその行く末は放置しちゃって誰かの私腹を肥やさせるよりも、権利としての参政権を行使したり職場の業務が円滑に進行するように努力したりする事の方がよっぽど勇敢な行動だと思うのですな。ま、要するに普通のことを普通にやるってコトですね、あくまでも「自分のため」って納得しながら。

「社会を明るくする運動」不要論

私がここ2・3年存在意義を疑問に思っているのが「社会を明るくする運動」ってヤツである。どれだけ税金が投入されているのか(されていないのか)知らないが、その運動に関連している公務員は本気で働いていないのではないんじゃない?って思う。もし私がその(下らない)職場にいるならば、ここ数年の「性犯罪者の情報を公開しようよ」って傾向は許せないコトとなるはずである。「私が奉職している"社会を明るくする運動"の理念に劇的に反するノダ!」って激怒しなきゃ嘘だ。しかし、全然そんな話は聞かないやねぇ。阿佐ヶ谷駅前でティッシュを配ったり、駅構内に垂れ幕を設置したり... 税金の無駄遣いですなぁ。

「たしかな野党」?

日本共産党のスローガン?「たしかな野党」ってヤツを目にしたとき、「野党で良いのかい?与党になる気は無いのかい?」って思った私である。選挙とか政治ってのは野党とか与党とか関係なく、理念とか主張とか政策がキチンとしていれば良いだけの話じゃ無いですか。やはり、ネット上でも同様の意見が散見されるのでありました。
で、このスローガンがどうも気にくわない私である。それは文部科学省だか何だかがここ数年宣っている「確かな学力」ってのにカブる感じがするからなのだ。「確かな学力」とか言い出す前に、コネとかが関係ない「確かな教員」の採用を推進したり、文部科学省が各学校へ送り出してくる「やたらと枚数や前書きばかり多い、A4版でコピーが繰り返されて印刷が見づらく、その段階で中身を見る気になれない文書」の製造を止めて、「(公務員としての)確かなシゴト」とかをやって欲しいと思うのでありますねぇ。ま、どういうシゴトが「確かなシゴト」となるのかは分かりませんけれど。

大塚製薬による虫歯の恐れ

ここ1ヶ月くらい、朝にテレビを見る度に不思議な気分になるのだった。
その原因はポカリスエットのCMである。

http://www.otsuka-adview.ne.jp/を見ると、ナレーションまで書いてありました。

「涙の縁側」篇 15秒

綾瀬:♪生まれたての僕~
桜井:寝てる間にポカリは渇きをうるおす。

お休み前にポカリスエット


で、上記サイトを見て知ったのだが、このCMは9月から放映されていたらしい。そんなに長くやっていたんだ。そして、お爺さん役は「桜井センリ」というヒトで、「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバーだったそうで。これも全然知りませんでした。そして、それは今回の告発?の本題ではない。
あのCMを見る度に「姉ちゃんや爺ちゃんが可愛いのは良いが、寝る前にポカリスエットなんか飲み続けた日には、虫歯が発生しまくって大変だろうよ…」って思っていたのでした。

「ポカリスエットに起因する齲歯の発生とカルシウム強化食品」

上記サイトに詳しいが、どう考えても「寝る前にポカリスエットを飲むのはヤバい」ハズだ。それも「軽くヤバい」どころではなく「かなりヤバい」はずである(この場合、アクセントは“な”に置きましょう)。「ポカリカリエス」という病名?までついているそうで。

『保健便り』や保健・理科の授業を通じて、きちんと教育を受けてきた「由緒正しきオトナ」ならば、寝る前に甘いものなど口にするハズが無いのである。甘いものを口にしたまま寝入るというのは、基本的に「軟派な酔っぱらい」しかやってはいけないことなのだ。何故なら「由緒正しき酔っぱらい」は基本的に甘いものを食べないから。
じゃなくて、普通の感覚を持ったオトナは気付くはずである。甘いもの、厳密に言うと「口の中の虫歯菌の食料となるような、砂糖のような甘味料」を口にしたのに歯磨きをせず、水でのうがいすらせずに寝てしまったりした場合、翌朝の口内はかなり気持ち悪い状態になっていることに。

失恋でもして涙流したような場合、甘いものを摂取するのは気分が落ち着いて良かろうが、失恋しまくってポカリスエットを飲みまくっているならば、近い将来虫歯になるでしょうね。CMのお姉ちゃん(綾瀬はるか)は可愛いから、失恋が続くことは無かろう。だから、その点は大丈夫じゃないかな?
世の中の大半の人は虫歯菌を口の中に飼っているわけですが、日本人でも稀に虫歯菌を親などから貰わずに済んでいるヒトがいるそうです。あのCMでは、桜井センリさんも綾瀬はるかさんも「類い希なる人物である」という設定なのかも知れませんね。

新課程の化学ってヤツについて

本日まで3日間、冬期講習ということで高校2年生の7名を対象に化学の問題演習を行ってきた。
化学は本当に暗記すべきコトが多くて困る。私自身は高校時代、化学が一番好きな科目だったので、その暗記量の膨大さに気付かないまま無事に受験を迎えた。今回講習を受けたのは高校2年生であり、カリキュラムが大幅に変更されて2年目の世代に該当する。

現在の高3は何かと大変な学年であろう。

理科の化学を例に取ると、現在の大学1年の世代は「化学IB」+「化学II」という科目構成で高校の授業を受け、大学受験に臨んだ世代である。化学IBは4単位(週4コマ)、化学IIは2単位(週2コマ)であった。現在の高校生は「化学I」+「化学II」であり、それぞれ3単位である。
現行の「化学I」は旧課程の「化学IB」に比較すると、有機無機の「各論」の比重が高くなり、「理論」の比重が低くなった。これは受験生にとって、「暗記」の重要性が増したってコトになるのだろう。また、授業をする側から見ると、各論というのは個別の現象を並べて提示するだけになりがちであり、理科の楽しさである「へぇー、そうなんだぁ!」というコトを伝えづらい。これは困ったことである。まあ、有機や無機の実験は色々派手な実験もあるから、「楽しいといえば楽しい」ですけれど。

理系(この「理系・文系」という分類や進路指導自体がマズいという説はたくさんあるし、私もそう思う)で無い限り、「化学I」だけで化学分野の学習を終えてしまい、「化学II」を履修しない場合が多いだろう。「高校皆進学」どころか「大学皆進学」時代となった昨今である。そんなニッポンの世の中の大半をなす「文系」のヒトは、自然科学と高校時代でオサラバするコトが多かろう。そしてその「世の中の大半のヒト」は「化学というのは暗記で面白くない学問だ」という印象を持つ可能性が高い。そしてそして、化学や自然科学にクラいヒトが増え、「似非科学(似非化学)」に騙されて無駄なカネを払うヒトが増えてしまう、ハズ。
「日本の経済活動が活発になって良い」と言えるのかも知れないケレド…

そういえば「科学技術立国」とかいうフレーズを聞いた事ある気がします。小学校から高校まで、全教科の教育課程を俯瞰し、無駄な重複を省き、意図的な重複を行えるならば、このクニの教育力も上がるのだろうなぁ、って他人事のように思います。それをやるのが役人だと思うのですね。税金をばらまいて、高校生に高度な実験をさせるばかりが「科学技術立国」ってワケじゃないと思いますよ、マジで。

結構真面目に文章作ってしまいました。
で、話は戻り現高3。彼らが受ける入学試験は、先輩達が受けた試験とは内容がかなり異なるわけです。センター試験にリスニングも導入されるし、何かと大変でかわいそうな気がします。

「オキシクリーン」という漂白剤?がある。私はあの商品を実際に使ったことはない。何故なら、あのテレビショッピングの映像は信用できず、買いたいと思わないから。
「オキシクリーン」も数年前に見たチューブ入り洗剤(商品名忘れた)の場合と同じだった。汚れたシャツやレンジフードやボールの水に洗剤を使用し、「ほーら、こんなに汚れが落ちました」って映像を流す。あの映像をよく見ていると、汚れは「落ちる」というよりも「消えて」しまうように見えるのではないだろうか?そうだとしたら、あなたの目は正しい。

私が今までテレビショッピングで見たことがある汚れのほとんどが「黄色~茶褐色」あるいは「青紫~黒色」のいずれかであった。そして、その汚れはどちらも綺麗サッパリ無色透明になってしまう場合が多い。油で汚れたレンジを洗剤入りの布で拭いた場合、油汚れが布に移動するならまだしも、「汚れそのものの色が消える」というのは、どういうコトだろうか?

高校時代、化学を選択したヒトは「フェノールフタレイン」という指示薬の名前に聞き覚えがあるのではないだろうか?あの指示薬は「酸性~中性」では「無色」なのだが、「アルカリ性」では「赤紫色」になる。(参考文献:ページ中盤に画像があります)

こういうテレビショッピング、想像できる?(阿久津真矢で)

1:ボールにアルカリ性の液体(水酸化ナトリウム水溶液など)を入れておき、そこにフェノールフタレインを入れる。色は当然の事ながら「赤紫色」である。ただし、この準備段階は放映しない。
2:出演者はボールの赤紫色の水を指して言う「ここに汚れた水があります」
3:「○○○クリーン」という名のチューブから歯磨き粉みたいな洗剤をちょっと出し、それをボールの水に溶かす。(なお「○○○クリーン」には、硫酸が入っている。)
4:出演者は言う「ほーら、汚れが消えてしまいました」(当然、ボールの水は中性や酸性になるから、フェノールフタレインの赤紫色は消え、無色透明の水が出現?する。)

「オキシクリーン」テレビショッピングでの汚れの色は、「黄色~茶褐色」あるいは「青紫~黒色」が多い。油汚れにしろ、シャツのシミにしろ、ボールの水の汚れにしろ、ほとんどが上記の色に当てはまるのでは無かろうか?私の想像だが、「黄色~茶褐色」の汚れは「ヨウ素(あるいは臭素?)」であり、「青紫~黒色」の汚れは「ヨウ素デンプン反応:ヨウ素とデンプンを混ぜたもの」では無いかと思われる。

「ヨウ素」という物質は、「還元剤」に触れた場合、無色の「ヨウ化物イオン」に変化するのだ。また、「ヨウ素デンプン反応」の起こっているデンプンに「還元剤」が触れると、「ヨウ素」は「ヨウ化物イオン」になり、ヨウ素デンプン反応の紫色は消えてしまう。そして「オキシクリーン」には「還元剤」としても作用する「過酸化水素(厳密には過炭酸ナトリウム)」が入っているのだ。

何を言いたいのかというと、「オキシクリーンのテレビショッピングの映像では、最初から消えるような汚れを使っている」というコト。あの映像は単なる「酸化還元反応」つまり「色が変わる化学実験」でしか無いのだ。
私があの映像を監修しているなら、念のために還元剤を多めに入れておくであろう。ヨウ素の色が良く消えるように。

「そんなの分かって買っているのよ!フンッ!!」ってコトでしたら、スイマセンでした。


2009/12/15追記
参考画像アップしました。
日独合作ペテンショー「イージークリーン ウォッシュパワー」

ごまめの歯ぎしり

昨今は「性犯罪者の情報公開」を求めるような動きが存在しています。
そんな中、「社会を明るくする運動」は有効に機能しているのでしょうか。決まった時期になると「社会を明るくする運動」という語句が印刷されたポスターや垂れ幕が貼られたり、ティッシュが街頭で配られたりしています。しかし、これらのポスターや垂れ幕には、この運動の目的が明確に記されていないのでは無いでしょうか。
また、「社会を明るくする運動」の精神に従うならば、「性犯罪者の情報公開」は許されないことなのではないでしょうか。私自身は「性犯罪者の情報公開」を行うべきか、行わないべきかについて、判断を保留しています。しかし「社会を明るくする運動」に関わっていらっしゃる方は多いはずなのに、「性犯罪者の情報公開に反対する」という主張を聞いたことはありません。不思議なことです。
恐らく、惰性で続けているお役所仕事は「社会を明るくする運動」だけでは無いはずです。全面的な業務の見直しをお願いします。

って、「国の行政機関の定員の純減に向けて」http://www.gyoukaku.go.jp/soujinkenhi/に書き込んでみた、一応。
ごまめの歯ぎしり?

小学校での英語教育に思う

日経新聞(電子版)http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20060327AT1G2600727032006.htmlを読み、「ふーん」と思った。

英語、小学校で必修に・中教審専門部会が提言
国際的なコミュニケーション能力の育成が課題となっているなか、中央教育審議会の外国語専門部会(主査・中嶋嶺雄国際教養大学長)は27日、小学校から英語を必修にすべきだとする報告をまとめた。これを受け文部科学省は2006年度中にも行う学習指導要領改訂で、小学校のカリキュラムに英語を導入する方針。全国一律に小学校から英語教育が行われることになり、戦後日本の学校英語教育は大きな転換点を迎える。
英語教育の開始学年と授業時間数について、報告は「中学との円滑な接続を図る観点から高学年において必要性が高い」などとして、5年生または6年生から平均週1回程度、必修化する方向性を示唆した。 (16:01)

恐らく、日本のそこら中で繰り返し述べられていることであるが、私も一応思うところを記しておこう。それは「外国語の前に、まずは日本語じゃないの?」ってコトである。一般的な話をしても面白くないので、個人的な体験を話そう。

これは毎年のことなのだ。業者に頼む高校生向け学力テストの結果データが帰ってきて、かなりビビる。それは「マークシート用紙に、自分の名前をローマ字でマークできない生徒の率が増えている」というコトである。
私の勤め先は偏差値的には「中堅」といえる場所に位置していると思う。受験産業に関わる業者の設定する「ランク表」を見る限り、入ってくる生徒の学力レベルは、毎年同レベルを死守?しているか、若干上昇傾向にあると言って差し支えないハズだ。
しかしながら、年々、「マークミス」あるいは「ローマ字ができない生徒」が増えているようで、業者から帰ってくる生データには、日本人としてあり得ない名前の生徒の混入率が上昇している。

具体的に言うと、学校側で把握している生徒の情報(漢字の氏名やふりがななど)に、業者から届いた生のデータを結合させる際、学校側のデータと業者からのデータに不整合が生じる割合が年々増加している気がするのだ。
例えば「山田太郎」という名前をローマ字にすると「yamada taro」となるハズだが、業者から届くデータには「yamada taro」が存在せず、「yanaga taro」さんが居たりするワケだ。子音のアルファベットを間違えているくらいならまだ可愛いのである。マークミスや勘違いの可能性もあろうから。しかし、本当にビビってしまうのは、母音のアルファベットを間違えたり、子音も母音も間違えている場合である。

そのような生徒は、中学で「わざわざ3年間も勉強したはずの英語」以前に、ローマ字が身に付いていないのでは無いかと考える。ローマ字というのは小学校4年生で学習するべきものだそうだ。これは現行の学習指導要領にも記してある。

で、私は「小学校4年生の段階で徹底的にローマ字を学習させるべきだ!」って主張をするのかと言うと、そういうわけでもない。劇的にローマ字が書けない生徒ってのは、ローマ字の前段階となるはずの「五十音表」すら書けずに小学校を卒業してしまっている可能性が高いと思われる。

「幼稚園や保育園で文字の読み書きを修行すべきか否か」という問題は難しい。しかし、義務教育である小学校1年生の段階では、「五十音表がソラで全部書けなければ、家へ帰してもらえない」くらいのスパルタ的な厳しさが必要なのではないかと思うのである。
小学校の時点で「五十音表」と「ローマ字」を完璧に覚え込ませ、その上で英語教育を展開する意志があるならば、「小学校の英語教育」を許すよ、私は。それができないなら、小学校ではひたすら「読み書き算盤」ですね。私はソロバン使えないケド。

なお、高校生に理科、特に化学を教えていて思うのは「四則演算ができない生徒が居て困る」ということである。
まあ、実際の化学実験をやれば知るのだが、「有効数字3桁」というような厳密な実験は、そうそう実際に行えるものではない。しかし、それだとしても、「受験へ向けての修行」として化学の計算問題などに取り組む際には、きちんと間違いなくかけ算や割り算をやって欲しいと思う私である。また、問題文に書かれている日本語にも慣れて欲しいとも思う。問題演習を繰り返せば、理科の試験問題における文法?も、だんだんに身に付くものなのですから。

洗濯に思う

今日、東京はかなりいい天気である。風が強い。日差しも強い。『A Perfect Day for Washing』って感じである。
昨日は冬物のスーツその他をクリーニングに出した。ドライクリーニングは機械が行うものだろうから、天気は基本的に関係ないのかも知れない。しかし、職人気質の「ドライクリーナー」さんならば、「今日は空気が湿っているから、溶媒2号の比率を少し下げ、ドラムの回転速度を2%落とし…」とかなさったりするのかしら?分からねぇッス。

で、昨日スーツをクリーニング屋さんに持って行く前、例によってポケットチェックを行った。
以前のコトである。私が高校生だか大学生だったと思うのだが、ドライクリーニングから帰ってきた衣類(コートか何かだった気がする)の内ポケットに、パラソルチョコレートの棒が接着されていたことがあった。
パラソルチョコレートの棒(プラスチック製)がドライクリーニング屋さんで放り込まれたのではないはずだ。パラソルチョコレートの棒が内ポケットに入っていることに気づかず、私はそのままドライクリーニングに出してしまったのだろう。「石油系の溶媒を使っているからなのだろうねぇ。さすがドライクリーニング、プラスチックを溶かすのね」って、思った私でした。何でパラソルチョコレートの棒を上着の内ポケットに入れる必要があったのだろうか。今だに不明。

ってコトで、ドライクリーニングに衣類を出す際は、ポケットの中身をチェックすることを忘れないようにしている私である。で、昨日気づいたのだ。「スーツの上着って、そんなにポケットが必要なのか?」って。

スーツを着ていて、何が恐ろしいのかといえば、「酔っぱらっているのにスーツを着ていたとき」である。ポケットがありすぎて、大事なもの、たとえば「電車の切符」を収納した場所が分からなくなることがある。あるでしょ?
いっそのこと、スーツのポケットは皆ダミーにしてしまい、内ポケットの1つか2つだけを本当に作っておくと良いのじゃないかしら。そうすれば、酔っぱらって切符を無くしかけることも、パラソルチョコレートの棒を溶かしてしまうことも少なくなるハズ。作成の際の縫製箇所も減って、スーツの値段も下がるんじゃないかしら。

TSAロック

私が存在を信じられない、ってか、購入するヒトが居ることを信じられないものに、"TSAロック付きのスーツケース"ってヤツがある。
"TSA"とは"アメリカ運輸保安局(ググリンク)"のコトらしいッス。

今思いついたのだけど、「用語についてググった結果のページ(Google内ページ)をリンクさせるコト」を、今後「ググリンク」と表記することにしました。ヒトの日記やブログのキャッシュが多いYahoo!で「ググリンク」をヤフってみましたが、3件しか引っかからなかったから、割と新しいコトバってコトになるのかしら?

話を本題に戻します。
"TSAロック"をご存じなかった方も、上のリンクを辿れば、それが何なのか分かったコトと思います。
私に言わせれば、"TSA南京錠"や"TSAダイヤルロック"みたいなヤツはオッケーなのです。試しに買ってみたッス。以下の画像がそれです。
tsa_1.jpg

tsa_2.jpg

アメリカ旅行をし、その上でスーツケースにロックをかけたまま飛行機会社に預けたいのなら、確かにTSAロックってヤツは必要なのでしょうね。まあ、スーツケースが壊されるのがイヤなヒトは、単純に鍵をかけなければ、スーツケースは壊されないで済むのです。それで話はおしまいって言えばおしまいである。普通のスーツケースを持っているヒトは、アメリカ合衆国方面に旅行する際、鍵をかけなければ良いだけのこと。

で、今はしきりに"TSAロック付きのスーツケース"が売られている。私は、これを買う人の神経が知れない。
アメリカ合衆国方面にだけ旅行するヒトは、まあ買っても良いでしょう。しかし、普通の旅行者はヨーロッパ方面なり、中国や韓国などへも旅行するものだと思う。で、そういった際にもその購入した"TSAロック付きのスーツケース"を使用するんじゃないかな? まさか、アメリカ合衆国方面向けスーツケースと、その他方面向けスーツケースを別に所有するヒトは少なかろう。

そのスーツケースを買っちゃったヒト達、TSAロックを解除できるマスターキーを持っている盗賊が、ヨーロッパ方面やその他の国の空港内部に潜んでいるかも知れないと云うコト、考えつかないのかしら?

まあ大体、スーツケースだって、その気になりさえすれば、破壊は簡単そうである。私は試していないが、昨今流行っているポリカーボネート製のスーツケース、あいつの横っ腹はファスナーになっているものが多い。私が持っているRIMOWAのスーツケースもそうなのだけどね。あのファスナー部分を強力なカッターなりハサミでちょん切っちゃえば、簡単にスーツケースを開けられそうだ。それを思えば、ファスナー式スーツケースの鍵なんて、あってもなくても同じなのかも知れない。

逆に、昔ながらの頑丈そうなスーツケースもあったりします。それなりの工具を使わなければ破壊できそうにないヤツがね。そういった場合、"TSAロック付き"ってコトは、頑丈さも意味をなさなくなるワケです。もし盗賊がTSAのマスターキーを持っていたならば、彼はその頑丈なスーツケースを、楽々と開けてしまうことでしょう。

上記画像をよく見て頂くと、"TSA002"っていう刻印があります。恐らく、マスターキーの規格なんじゃないかな? "TSAロック"の製品によっては"TSA003"ってタイプもありました。"003"は鍵穴の形も違っていて、少し穴自体が小さめでした。恐らくは"TSA001"ってモデルもあるのだろうけれど、東急ハンズ新宿店をちょろっと眺めた範囲では見つからなかった。数字が3桁有るってコトは、盗賊集団にマスターキーが流出した際に、どんどん新しいマスターキーを作成する用意があるというコトなのかも知れないなぁ… なんて勘ぐった私なのであった。


私が「こじ開けられにくいスーツケース」を買うならば、本体が重くてヒンジや鍵が頑丈なタイプを選び、"TSAロック"が付いていないものを選びますね。そして、アメリカ合衆国方面に旅行する際は、"TSAロック付きのスーツケース用ベルト"などでガチガチに固めてしまうのが最良かと。

今回、何故私は"TSAダイヤル式ロック"を買ったのかというと、ポリカーボネート製の軽いスーツケースしか持っていないからです。もし、アメリカ合衆国方面に旅行するコトになった場合、"TSAロック"が必要になるだろうから。特にそっち方面へ旅行する予定はないけれど。
また、"TSAロック"のマスターキーを作成するというのも理由の1つです。それが完成したら、密かに売り出して儲ける予定なのです。

必修単位未履修

恐らく、今後もバンバン発覚するでしょう。必修科目の単位未修得問題。

この現象には、少なくとも3つの原因があると思われます。

1.大学側が、入試問題のレベルを下げない。
2.高校側が、難関といわれる大学へ生徒を放り込もうとしている。
3.生徒は、学業に熱心ではなくなっている。

予め断ります。以下の文章は「自慢」と「回顧」を含みます。


まず、大学について。
大学教授は、傾向の新しい問題を作りたがるものだと思います。そうでなかったら困りますけどね。先進の気概が無いヒトが、教育に携わっているのは拙いだろうから。特に、入学試験ってのは真面目に作成されるものだろうと思います。私の職場も、入学試験は一番気合いを入れて作られています。
しかし、それがうまく叶わない場合、単なる知識を要求する問題が作成されてしまうこともあるでしょう。重箱の隅をつつくような、マニアックな暗記問題などが作成されるってコトもあるでしょう。


次に、生徒について。
私は1971年1月の生まれです。第2次ベビーブームの「はしり」だと思われます。
確か中学校のときだったと思うのですが、「君たちの世代は、恐らく大学入試が最も激戦になる世代だ」って文書を見ました。確かに言われてみれば、私の世代は人数が多いし、下の世代はもっと多い。
下手に浪人でもしてしまった場合、受験生の数はどんどん増えますから、大学に入りにくくなる。中学から高校にかけては、本気で勉強しておかないと、大学に入ることができないというハナシも、説得力がありました。
私自身、受験勉強は「自分で問題集を解いて」進めていくものと認識していました。分からない問題があったら、分かるまで参考書を読むか、問題が解けるように暗記事項を脳みそに押し込みました。基本的に、(ペーパテストで計測される)学力は自力で何とかしました。
今は「大学全入時代」とも言われています。高校入試も大学入試も、推薦入試が花盛りです。生徒を何とかして確保しないと、学校は潰れちゃいますから。大してペーパーテストへ向けた受験勉強をしなくても、高校や大学へ潜り込めてしまうことがあります。必然的に、学業に対する執着心も薄れるでしょう。


最後に、高校について。
高校の教員(あるいは、予備校の講師)は、そういった重箱の隅をつつくような入試問題に対応しなければなりません。そして、その入試を受けるのは、学業に対する執着心の薄い生徒達です。
必然的に、授業は昔よりも親切なものとなっているはずです。親切な、つまり「分かりやすい」授業の為には、授業時間数の確保も必要でしょう。
また、高校を管理する「教育委員会」からは、「高校の存在意義」も求められるでしょう。「進学校」ならば、受験科目とならない授業に、限られた生徒達の時間を割くのは「無駄」という思いも生じることでしょう。


以上のような状況があるから、現在世間を賑わせているような、「指導要領から逸脱したカリキュラム」が実行されてしまうのですね。


この問題は、高校だけを責めてもダメです。

変化すべきは大学でもあります。また、指導要領自体の正当性も、もっともっと議論されるべきでしょう。生徒や児童に「勉強は楽しい」と思わせるよう、初等教育も重要であるはずです。


今回のニュースで、とーっても不思議なのは、「何故、このタイミングで発覚したのか」というコトです。

もしかすると、推薦入試の為に提出された、「(間違って)本当の修得単位数を記した調査書」が、大学側に送られ、そこからニュースとして発展したのかなぁ… なんて思うのです。


って、この文章記している最中にも、「未履修情報」が増加してますね。
うん、最新のネタを扱ったぞ。ブログっぽいね、フフフ。

老人が食いつぶす、このクニ

「"ゆとり教育"ってヤツは成功なのか失敗なのか?」みたいな記事の元ネタに当たってみた。

平成17年度高等学校教育課程実施状況調査
http://www.nier.go.jp/kaihatsu/katei_h17_h/

その「調査結果」は、私の勤め先にも送られてきた。その理科4分野(物理・化学・生物・地学)について、一通り目を通してみた。全般的には「毒にも薬にもならない」文言が延々と綴られていた。

この調査を行ったのは、以下の団体らしい。
国立教育政策研究所

上記サイト内には様々な文書があった。情報量こそ多いものの「使えるのかどうか?」って点では、非常に疑問を感じた。
税金の無駄遣いじゃないかって思えた。

で、前述の調査結果には「設定透過率」って語句が何度も出てきていた。聞き慣れないコトバだ。各設問ごとに「50%」とか「65%」とか、事細かに設定されていた。で、「毒にも薬にもならない"調査結果"」では、「設定透過率を上回った」とか「下回った」とか「同程度」だとか、やたらとその「設定透過率」に関しての文章が多かった。

で、その「設定透過率」とは何か?
http://www.nier.go.jp/kaihatsu/katei_h17_h/h17_h/05001000040007001.pdf
から引用。

[設定通過率]
学習指導要領に示された内容について,標準的な時間をかけ,学習指導要領作成時に想定された学習活動が行われた場合,個々の問題ごとに正答,準正答の割合の合計である通過率がどの程度になるかを示した数値。

そんなの、単なる問題作成者の「これくらいは当ててくれるだろう」って「勘」に過ぎないじゃん。その「勘の検証」を延々延々…(以下繰り返し) 行った文章が作成され、その一部が私の職場に送られてきたわけだ。やはりあの報告書は、単なる「壮大な無駄」以外のナニモノでもないのだ。


国家公務員I種の志願者が減ったとかいう新聞記事を見た。
本当に私が不思議に思うコト、いくつかある。
「みんな、定年まで勤めればいいじゃん」
「採用時から人数を絞れば良いじゃん」
「天下りに依存したシステムはやめちゃえばいいじゃん」

で、浮いたお金を教育や医療に回せばよいのだ。教師や医師の労働条件の悪さは改善すべきだ。ってか、残業という概念が無いのだもの。

別に私の給料を多くしろというわけではない。教育従事者や、医療従事者を増やし、長時間労働の改善をして欲しい。
身代わりに、ワケの分からない「財団法人」をバンバン潰せばよいのだ。良く新聞に出てくる「第三者機関(の創設)」なんて、単なる「役人の天下り先確保」だろ! そんな存在、いらねーっつーの!(怒)

教員の総「修士化」にもの申す

昨今、学校の教員を「修士」にしよう、って言説がある。私は「教員の修士化」は意味無いと思う。


例えば、すずきかんってヒトの「マニフェスト」には、以下の文言がある。

2.公立学校の先生復活
  教員の修士化と定数増。学校理事会主導による保護者・地域住民参加の教員評価。
すずきかんの約束
  生徒一人一人の個性や学ぶ欲求に対応できる教育環境を作ります。
   ■教職大学院の設立を推進し、いじめや不登校に対応できる教師、現場で即戦力となる教師を養成します。
   ■教師の定員を増やし、生徒一人一人に合ったきめの細かい指導を可能にします。
   ■保護者、地域住民、学校関係者、専門家からなる学校理事会に不適格教師の認定申請権を与え、常に保護者の評価が現場に反映されるようにします。

> ■教師の定員を増やし、生徒一人一人に合ったきめの細かい指導を可能にします。
この部分は劇的に賛成する。

> ■教職大学院の設立を推進し、いじめや不登校に対応できる教師、現場で即戦力となる教師を養成します。
しかし、この部分はイタダケない。

「修士」ってのは、私が知る限り、大学卒業後に大学院に通わないといけない。

一昨年に公表された、内閣府によるアンケート結果の一部を再び引用する。(最初の引用は2005年12月6日の日記)
enquete.gif

「研修」に対する意見で一番多かったのは、「教員としての適性は本人の資質によるところが大きく、研修・指導等によって基本的に改善するものではない」である。私もそう思う。
確かに「研修」あるいは「大学院での学習」によって、部分的な改善はあるでしょう。しかし、人間の根幹部分ってのはほとんど変化しないものだと思うのですね。
話は飛びますが、あれだけ酷いめに遭っている(と私は思う)アベシンゾー君なんか、未だに「月800円くらい、ちょろまかしても構わない」って公言したらしいですものね。全然学習していない。
「戸塚ヨットスクール」の校長である戸塚宏氏、服役を終えたのは昨年のコトだった。出所後のコメントで「体罰は教育」だと宣わったとかナントカ。戸塚氏は自らが行う「スパルタ教育」を支持しているワケだが、「刑務所によるスパルタ教育(?)」は、戸塚氏を変えられなかったわけだ。面白き矛盾。
三つ子の魂百まで。


すずきかん氏へのツッコミに戻る。

私は、10数年間教員をやってきた。徐々に生徒を手なずけられるようになった気がする。
大学や大学院では、学問として「教育学」を学んだり、自分が専攻する分野の「最新の知見」を導入することは可能だろう。しかし、教員に不可欠な「教科教育力」というのは、高等教育をやたらにたくさん受けただけでは、身に付かないはずだ。「教科教育力」や「生徒掌握力」は日々の授業で試行錯誤を行い、経験から身につけるしかない。私はそう感じつつ、ここまで来た。

そして、「いじめや不登校」への対応。
こんなものはヒトに教わって身に付くものでもないだろう。そういったデキゴトへの対応というのは、上手になれるのだろうか。純粋な疑問だ。
私もクラス担任を務めるうち、不登校傾向の生徒に出会うことがあった。クラス担任にできることと云えば、誠意を持って、私自身の考え方を相手に伝えるくらいだ。そして、相手が納得して学校に通うように仕向ける。もちろん、学校に来られないままの生徒も居る。


だいたい、大学だけならず、大学院まで行くってコトは、それだけ「職業人として給料を貰い始める年齢」が上がると云うことである。私は大学院に行く価値というのは見いだせなかった。さっさと現場に出たかったし、給料をもらい、「一人前」になりたかったってコトもある。


話は変わるが、腐った政治家や官僚こそ、「モラル幼稚園」から通い直すべきだと思うのだ。
「大学院まで行って、モラルの修士号を取れ」なんて申しません。小卒程度で結構ですよ。

「総合的な学習の時間」は廃止だ

私は「総合的な学習の時間」の廃止を訴えてきた。かなり細々と。

画家になる方法
http://www.ariori.com/diary/2001/06/16/

高校での学習活動、どれが好きですか? と 咆哮予告
http://www.ariori.com/diary/2007/03/28/

消えゆく教科「情報」
http://www.ariori.com/diary/2007/07/11/


改めて並べてみると、日記の表題自体に「総合的な学習」という文字列がない。「細々」に過ぎた。

ここ数年間の「教員による"総合的な学習の時間"に対する努力」は無駄になることはないだろう。自分の専門分野を教授する際の「肥やし」になるはずだ。自分を振り返ってみて、強くそう思う。

文部科学省の役人は、勇気を持って「総合的な学習の時間」を廃止すべきなのだ。誰にでも間違いはある。「総合的な学習の時間」導入は失敗だったと認めればよいのだ。なまっちょろく「削減」なんて言わず、「廃止」だ。

私は、中教審が行うであろう「意見募集」に意見するつもりだ。「総合的な学習の時間」は廃止せよ、と。
で、早速準備を始め、以下のページを発見した。

パブリックコメント(意見募集中案件一覧)
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public


ここまで書き、私は気付いてしまった。文科省の役人は「総合的な学習の時間」廃止を考えているのだ。
ただ、自分じゃ「総合的な学習の時間、止めます」って言いづらい。プライドも高かろうから。

既に教員に対するアンケートは実施済みだ。
後は「総合的な学習の時間は廃止せよ」っていうパブリックコメントの集積を待つだけなのだ。

「総合的な学習の時間」は廃止だ
http://www.ariori.com/diary/2007/11/02/
の続き。


中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会「教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ」に対する意見募集について
が発表された。

意見募集要領は html 版もある。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/19/11/07110704/001.htm

「意見募集期間」は「平成19年11月8日(木曜日)~平成19年12月7日(金曜日)必着」だそうだ。
「意見提出様式」等には指定がある。そいつには確実に従った方が良いのだろう。そうでなくても、主権者の意見は無視されがちだ。

早速、以下のメールを送った。
この場への披露に当たり、一部伏せ字にしました。

From: ******@******.ed.jp (小川正樹)
Date: Thu, 08 Nov 2007 13:39:50 +0900
To: kyokyo@mext.go.jp
Subject: 審議のまとめへの意見

文部科学省初等中等教育局教育課程課教育課程企画室 御中

氏名 小川正樹
性別 男
年齢 36
職業 私立学校教員
住所 ******************
電話番号 03-*******

以下は意見


私の意見の主題は「総合的な学習の時間」の廃止です。

高等学校における「総合的な学習の時間」のねらいを引用します。

第4款 総合的な学習の時間
2 総合的な学習の時間においては,次のようなねらいをもって指導を行うものとする。
(1) 自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。
(2) 学び方やものの考え方を身に付け,問題の解決や探究活動に主体的,創造的に取り組む態度を育て,自己の在り方生き方を考えることができるようにすること。
(3) 各教科・科目及び特別活動で身に付けた知識や技能等を相互に関連付け,学習や生活において生かし,それらが総合的に働くようにすること。

昨今、高等教育機関である大学では「リベラルアーツ」の重要性が叫ばれつつあるようです。私が勤務する中等教育学校も、同じであると思っております。
教育機関では、様々な専門能力を有した教員による、発達段階に応じた「古典的な教科の授業」が用意されているはずです。
児童・生徒・学生は、それらの精選された授業・講義を受けることによって、また、その専門能力を有した教員の考えや個性、体験談に触発されることによって、それぞれの学問領域の神髄に近づいていくのでしょう。
そのような10年以上にわたる学習活動の中で、個人内に於ける価値観や人生観というのは徐々に醸成されていくのだと思います。

今回、小~高等学校で「総合的な学習の時間」の削減が行われるようです。それは歓迎すべきことです。
私自身は「総合的な学習の時間」など行わなくとも、「この世の中を少しでも良くしたい」と思う「熱意ある教員」が授業を行うならば、「旧来の教科学習」を行うだけでも、上に引用した「ねらい」は達成できると考えております。
「総合的な学習の時間」について、NHK教育では「対応番組」が存在するようです。
学習指導要領とNHKの活動は、直接関係は無いのかも知れません。しかし、そのような「総合的な学習の時間で、テレビを見ざるを得ない」ような学校が存在するのならば、初等教育機関を含め、「総合的な学習の時間」を全廃すべきだと考えます。そして、その時間を「基礎・基本」育成のさらなる充実に割くべきです。

以上のような理由から、私は初等・中等教育機関での「総合的な学習の時間」の廃止を訴えます。


意見は以上です。


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小川正樹
OGAWA Masaki

日本の小学校に留年を

おもしろきことも無き世におもしろく
この句、いい大人は何となく実感することができるのであろう。世の中できちんと生きていくことは、それなりに大変である。 もちろん、子供は子供なりに、いろいろと複雑な事情を持っていた気もする。だいぶ忘れてしまったが。

私は基本的に高校生に理科などを教えて生計を立てている。私が彼らの力を認めてやることにより、彼らは中等教育を修了する要件の一部を満たすことになる。
私は生徒に学力を付けさせるために学校に雇われているのであり、生徒の進級・卒業の生殺与奪を楽しむために存在しているわけではない。理科ができない生徒に対しては、放課後の補習や試験前の質問、追試前の指導など、可能な限り支援を行っているつもりだ。
そして、向こうも真面目に取り組んでいるならば、最終的に多少ぺーパーテストの点が悪かったとしても、単位を与えてしまおうという心理状態になってくる。そのことが良いのか悪いのか、未だに分からない。

高校には様々なレベルのものがある。日本全国、同じ科目名であっても、単位を与える基準は高校ごとにまちまちになっている。だからこそ、ヒト(の親)は、良い(と言われる)高校、あるいは大学を目指すのだろう。
全般的には、良い大学を出た方が、それなりのカイシャに勤められるようになる可能性が高かろう。そして、それなりのカイシャはそれなりの給与を支払ってくれる。それは、そのカイシャがそれなりに働く(難しいことをこなすことができる)人達から成っているからこそ、収益を上げられるためだろう。

数年前に「小学校でも留年(原級留置)の検討を」みたいなニュースがあったが、そのハナシは最近あんまり聞かない。
勉強は基本的には難しいものだ。そして、その難易度は進級するにつれ、どんどん上がってくる。だからこそ、私は小学校段階での留年を導入すべきだと思うのだ。五十音表が書けなかったり、掛け算九九が言えないって子は、そのまま大きくなってしまうと「普通の大人」として生活することが難しいだろうという気がする。小学校の段階で学校の授業について行けない子は、原級留置にした方が本人のためになると思うのだ。

(今の制度のまま)力の足りない生徒が無理に進級し、「理解できないがために苦痛を覚える授業」に慣れてしまうことは、大変に非効率だ。無理に横並びで全員進級させるよりも、勉強が苦手な生徒に対しては、物事を理解して自分のものにしていくことの苦労を憶えさせる方が、彼らのその後の人生にとって有意義であろうと思われる。
小学生自身が「留年したくない」と思うならば、せっせと勉強を頑張るだろう。そういう子は多いはずだ。
また、可能な生徒には飛び級も認めるべきだ。小学校の勉強なんて、ヒトによっては苦痛でしかないだろう。少なくとも、小学生時代の私は、授業中暇だった記憶がある。文章を読む力も、数学の考え方も、自然科学の歴史も、自学自習で身につけることは可能だと思われる。
もちろん、学級という集団でしか身に付かないもの、学級という集団だから効率的に身に付くものもあるはずだ。

山崎パンの求人サイトが「すごい」らしいと、痛いニュース(ノ∀`)経由で知った。そこにあった(取り上げられていた)書き込みは、非常に適切な指摘であると思う。

497 名前: オムル・ハング(大阪府)[] 投稿日:2008/06/22(日) 19:17:16.22 ID:plriz6pN0
学歴ってのは将来のために無駄なことにどれだけ努力できるかわかりやすくする基準であって、努力もしないで誰でも入れる世の中になったら、基準の役目を果たさないだろ。

この間読んだ本『誰が学校を殺したか』の中で、夏木智氏も同じようなことを言っていた。私も概ね同意する。

このことを小学生に伝えるには、このように言うと良いのではなかろうか。
「オトナになって、好きなだけゲームが買いたかったら、将来そのお金を稼げるように、今勉強しておきなさい」って。

私は非喫煙者だ。
歩き煙草は止めて欲しい。ハッキリ言って危ない。
吸い殻のポイ捨ても止めろ。

で、指定された場所での喫煙は仕方ないと思うのである。図らずもニコチン中毒になっちまった、可哀想な人達なのだ。
なお、タバコ税を上げていくというのも良いと思う。私はタバコが1000円になろうとも、全然構わないッス。

20080721.jpg
この画像は、とある病院の入り口に貼ってあったものだ。数ヶ月前から「敷地全面禁煙にします」というアナウンスはあったのだが、とうとう本当に実施してしまったようだ。喫煙者、可哀想。

とある足立区の中学校で「校門を出た場所での喫煙はご遠慮ください。近隣からの苦情が来ています」って掲示物を見たことがある。まあ、確かに未成年が密集している室内などでの喫煙は拙かろう。私が小学生のトキ、担任の先生は教室でバリバリ吸ってたケドね。
何しろ、オープンエアだったら喫煙も構わないのではないかと思うのだな。ケチケチせずに、校庭の隅っことかに喫煙場所を設定し、業者でも教員でも、好きなだけタバコを吸わせてやればよいと思うのだ。吹きっさらしの場所でタバコを燃やしたとしても、煙はすぐに拡散してしまい、その有害物質は存在しないに等しくなると思うから。

屋内ならば、煙草の煙は気になる。分煙となっている飲食店では、きちんと分煙して欲しい。
しかし、繰り返すが「数百度の物体が存在しても問題ない野外」ならば、つまり、燃える物もなく、駆け回る小さい子供などがいない場所ならば、不幸なニコチン中毒者には喫煙させてやるべきだと思うのである。
「学校だから」とか「病院だから」って喫煙を禁止しても、吸うヤツは吸うのである。敷地が余っているならば、吸わせてやって欲しい。落ちついてタバコを吸わせてやった方が、全体として安全であると思うのだ。何しろ歩き煙草が減る。

「教育員制度」解説

どうして教育員制度を導入するのですか。


 これまでの日本の学校教育は、教員や事務員、教育委員会という教育の専門家が中心となって行われてきました。丁寧で慎重な教育がされ、またその結果優秀な人材が輩出されることによって高い評価を受けてきたと思っています。
 しかしながら、「学校は旧態依然としていて、もはや死んでいる」という「云われ無き評価」や、「教員は神聖な職業である。ただひたすら、勤務時間も関係なく働けばよいのだ」という見方があったりして、今の学校教育と、それを司る教員は「許し難い存在である」という印象操作が行われてきた面もあったと考えられます。
 そこで、先般から続いている「教育改革」の中で、国民全員による教育参加の制度の導入が検討され、国民全員が教育員として、それぞれの知識経験を生かしつつ一緒に「子どもの教育」を行うことにより、より国民の納得できる「学校教育及び生涯教育」を実現することができるとの考えのもとに教育員制度が提案されたのです。

ま、ブッチャケ言うと、「タバコのポイ捨て」とか「やたらに臭う化粧は止めろ」と。
あるいは、「政治家だからと云って、身内に便宜を図ったりするなよ、この腐れ外道!」ってコト。
きちんと教育を受けたならば、漢字はちゃんと読みたいし、金にもキレイでありたい。

以上、法律の趣旨を踏まえ、ご協力よろしくメカドック。


元ネタはこちら

「裁判員制度」の導入、私は全然同意できません、未だに。
てめぇのケツは、てめぇで拭いて欲しい。裁判官は、皆、志願して法曹界に入ったのだろうから。
自己の鍛錬で「わかりやすい裁判所」を目指して欲しいよ、全く。

数年前の法曹人口を増やそうという動き、私は全然理解できませんでした。「(聞くトコロのアメリカのような)訴訟社会」、全然魅力的でない。日本は「和」でしょ、とりあえず。で、最近は「やっぱり減らそうか」とか言ってる。グダグダ過ぎ。

止めようよ、裁判員。
「昔のDNA鑑定が誤っていたかも」ってニュースがあるが、裁判員は検察などが集めた物証等を元に判断を迫られるわけだ。高知白バイ事件(ウィキリン)などもあった。
そんな砂上の楼閣での「戯れ」なんて、さらさらゴメンだ。時間の無駄だ。

ただし、政治家とかの贈収賄に関わる裁判には、是非とも参加したいなぁ。被告にケツを向け、両手で鉄砲つくって「死刑 !」って言いたい。何で「裁判員の関わる裁判は限定されている」のかしら、超フシギ。


過去の関連する日記

主権の行使

「本当の情報」は何処にも存在しない

死刑制度と冤罪と

政治家の世襲は、まだ「マシ」だろう

政治家は、「主権」を有する「国民」が直接的に選択できる。
票数がきちんと集計されているってコト、私は信じたい。

教員を含む公務員とか、独立行政法人職員とか、社団法人職員なんかは、トップの趣味で採用されちゃうんじゃないかな? そいつらの給料は、マゴウカタナキ税金でしょう。
政治家の世襲よりも、「その辺にポコポコ存在している役人(と半役人)」に「使えない人材」をもたらす「コネ」の方が、よほど日本を悪くしていると思います。「お役所シゴト」のコストパフォーマンスが低下し、必要な税金が増える。

関連する過去の日記
教員採用試験の公平性
書評『誰が学校を殺したか』
ノーモア縁故

今回改めて疑問に思っているのが「選挙に於ける税金の浪費」である。

山手線に「顔の輪郭が人間離れした芸能人」のポスターを貼るらしい。どうせ「巨大広告代理店」も一枚噛んでいるのだろう。また、新聞を見て知ったが、とある区の選管は、わざわざ「新成人」にハガキを送るそうだ。芸能人の起用とか、変なキャラクター作成とか、オプションのハガキとか、そんなのって全然必要無いんじゃないかと思うのである。

選管の数とシゴトを減らして、政治にかかる費用を、少しでも減らしたまへよ。二酸化炭素削減効果も、もれなく付いてくる。

前にも日記に書いたのだが、選挙公報は各家庭にきちんと配布すべきだと思いますね。「新聞の折り込み」だけでは、全有権者の家庭へ行き渡らないのは明らかだ。「投票所入場券」にきちんと同封すべきだと思うのだ。多少文字が小さくても構わないはず。真面目な有権者は老眼鏡なり何なりを使って、きちんと読むだろうよ。

本年度は高校3年の担任であり、現時点で担当しているホームルームの生徒の9割は大学等の入学許可を得ている。私自身は、「推薦入試」ってシステムはあんまり好きじゃない。しかし、大学と高校生の間で需要と供給がマッチしているようだから、仕方ないことなのだろう。
しかしその一方、1年くらい前から「高大接続テスト」なんてヤツが文科省のカビ臭い俎上に上がっているようだ。
マジ、意味ねぇ。

過去、何度か記したような気がするが、入学する高校生の学力を保証したいなら、各々の大学が、必要な科目のペーパーテストなり、口頭試問を行えばよいのだ。そのほうが、大学教授のシゴトとしても楽になるだろう。ただし、口頭試問は公平性を保つのが難しいだろうから、ペーパーテストが一番無難なのであろう。古き佳きシステム。
(と、自分を棚に上げて言うのである。私の勤務先も高校での推薦入試を行っています。)

大学入試が厳格になれば、高校生も真面目に勉強せざるを得ないだろう。約20年前、私は若干の興味と多大なる義務感で、高校の授業を受けていた。
「大学全入時代」に近づけば近づくほど、学力が保証できない高校生は増えるだろう。で、話題(?)の「接続テスト」に落ちた生徒はどうするのでしょうか? 高校に残留でもさせるつもりなのかしらん?
「高校残留」だったら、高校のセンセイ方が「既に存在するシゴト」に真面目に取り組めば良いだけのことです。生徒の「原級留置」という措置です。

優秀な学生が欲しい大学は、厳密に入学選考のペーパーテストを行う。
高校の教員は、生徒が望むペーパーテスト突破力を育てる。
それだけ。

で、前にも言ったけど、義務教育段階でも「原級留置」はバンバン実施するべきだと思うんですね。初等教育(小学校まで)・中等教育(中学高校)・高等教育(大学等)それぞれが、自らの責任に於いて、学生を厳密に品質管理し、出荷すればよいのです。

結局、大学にしろ、高校にしろ、中学校にしろ、「ランク付け」は仕方ないコトなのだと思うのですね。主婦(や主夫)の日々の経済活動、例えば「スーパーでの買い物」だって、無意識にランク付けを行っています。「『辛そうで辛くない少し辛いラー油』、高いけど、美味しいのよねー」とかって。(実際、私は昨年末にこの商品をいなげやで発見してから、既に3回くらい購入しました。若干高価だけど、確かに美味です。「冷蔵庫から取り出した単なる豆腐」が「料理」になる。そりゃ売り切れるわ。)
「学校のランク付け、序列化は悪だ」みたいな論も昔から見ますが、多分そういうコトを書くヒト自体が、そこそこの大学を出ているのだろうと思います。ラー油にしろ、学校にしろ、ある程度のランク付けは、勝手に生まれてくるのだろうと思います。ブッチャケ「ヒト」のランクなんかも。
私自身も、勤務先の「受験難易度ランク」が上がるよう、いろいろな形で努力しているつもりです。一番真面目にやっているつもりなのは、楽しく分かりやすい授業を行うことです。生徒の満足度を高め、「あの学校良いよ」ってクチコミで広めてもらうために。凄く「効果が測りづらい」のは承知してます。でもまあ、教育なんて「そんなもの」でしょう。というか、私は教員の仕事は一種漠然としていて「簡単には評価できないもの」にしかなり得ないと、昔から思っています。
何しろ、受験生が集まれば、自ずと入学者の学力レベルは上昇する。

そもそも何で「大学生学力低下論」が起こったのか。それは「文科省が大学を増やしすぎた」っていう、簡単な理由に行き着きます。そりゃ、学生の質は落ちますよ。「高大接続テスト」とやらで高校にボトルネックを作っても、日本の学生の学力が上がる(というか、大学のセンセーが楽になる)ワケなんて無い。チョー無意味だ。税金の浪費、はんたぁーい!


と、中学入試が一段落し、授業を担当していた高3は学校へ来なくなり、お仕事のエアポケットに落ちた私は、つらつらと思うところを述べさせていただきましたm(_ _)m

最後に繰り返しておきます。
「高大接続テスト」、意味ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!


過去の関連する日記
大学全入時代に寄せて
日本の小学校に留年を
必修単位未履修


2017/07/20追記
未来(?)の関連する日記
「高校生のための学びの基礎診断」スか。笑えるわ。(2017年7月)

この間、こう呟いた。

masaki
大学は「夏入試・秋入学」が良いと思う。理科教員の私が思うに、教科書は相当頭の良い学生と教員でも、規定の時間内では消化しきれない。新聞の投書には「雪やインフルエンザの影響も減る」とあった。

知人の一人からメッセージをもらった。メインの仕事は予備校講師の方です。

vivafidel1959
@ogawa_masaki 私もその方式がいいと思います。大雪と流感は大きいです(夏も台風があるんですが)。個人的には夏期講習が無くなると収入的にはおもしろくないところですが。

サングラスが似合う同僚からも賛同をいただく。

Masaaki Kitaharaさんが「いいね!」と言っています。

私は「1点を争う大学受験において、『標準単位数』の授業だけでは、理科の範囲はとてもとても終わらない」と感じている。国公立二次試験で必要とされる理科の知識は、半端無く大量なのである。
自分の高校時代、理科の授業は「実験がメイン」だった。細かい知識を教員が伝達してくれるような環境では無かった。実験をしている時は、予習が足りず、結構ちんぷんかんぷんではあった。そして、一応レポート提出。
しかし、後で「受験勉強」をする際は、その「実験の記憶」が非常に役に立った。

私の高校生時代も、私の現在の勤務先も、高3の3学期はほとんど授業がない。もともと足りない授業時間が、更に足りなくなっている。

高校の授業を3学期末まできちんと行い、卒業式を済ませ、その後に大学入試。何が悪かろう。なお、冒頭の「(読売)新聞の投書」は医師からのものだった。


私は教員養成系の大学を出たわけだが、教育実習については、季節はあまり関係ないだろうと考える。今後の検討課題と云うことで。

教員採用試験は、公立学校については初夏に出願期間があり、夏に試験等が行われる。その日程は、現在のままで良いと思われる。仕事が始まるのは当然4月から。
夏前に大学をきちんと卒業し、その上で受験すればよいだろう。ギャップタームは「大学生になる前」よりも「社会人になる前」が有効だろうと考えている。見聞を広めるも良し、自己研鑽に励むも良し。

私の大学4年次は、卒論のための実験と教育実習と教員採用試験(および、若干の入社説明会)で忙しかった。あの多忙さは避けられることになる。研究→卒業→教採(入社試験)という流れには、特に問題を感じない。
入社内定後に留年→入社できず、という「過去に繰り返されてきた忌まわしき出来事」も無くなるだろう。
例えば「明治大学法学部大量留年事件(ウィキリン)」のような。


私が最初に勤めた学校では、私と同じ「非常勤講師の同期」に、上の事件(?)にモロに引っかかった御仁が居た。
企業の内定を得ていたのだが、留年し、入社できなかったと聞いた。
彼も私も、その学校を1年で辞めちゃった。彼はどうしているのだろうか...

当時、流行っていた歌。

この曲を聴くと、「非正規雇用で不安な中、生徒を制御できず困惑し、最後はパニック症候群っぽくなった日々」を思い出すのでした。
笑えない出来事だが、だからこそ「今の私」があるのは確かです。

と、最後は表題と関係ない話で終了。

「主権者教育」不要論

表題で、言いたいことはおしまいではあるが、一応。
そもそも、ほとんどの成人は「主権者教育」なんて、受けてないだろう。私は受けた記憶がない。20歳で選挙権を得たが、その前後に「何か」を教わったなんてコトはない。だから高校では「追加の仕事」なんていらないでしょ。忙しい教員を更に疲弊させる必要はない、絶対。
って話は、職場で隣の席の地歴公民科の先生にも話してみた。特に同意も不同意もなかった。ま、そりゃそうかもね、立場上。

片側を空けるのは、左右どちらでも良い。東京式の右でも、大阪式の左でも。
ただし、私が片側を空けるべきと考える理由は「歩く人を先に行かせるため」ではない。エスカレーターは、歩くためのものでは無いと思う。でも、通勤時などは、私もエスカレーターで歩くことがある。子供などと一緒の時は基本的に歩かない。

時々、「ドカドカ」と音を発しながら、エスカレーターを降りていく人がいる。若者でも、そうでなくても。
ああいう音をさせる人は、「エスカレーターの堅牢性を全面的に信頼していて、自分の体重ごときではエスカレーターは止まらないと考えている人」であり、かつ「足腰が弱く、体重移動をスムーズに行えない人」なのだろう。
私はエスカレーターの上を歩く時は、なるべく「音を立てないような歩き方」をする。止まったり、壊れたりしたら、怖いから。

余談は終わり、何故「片側を空けるべき」と考えるのか。
人が多めにエスカレーターに乗っている場合、足腰に不自由がなくても、エスカレーターの末端(降りるところ)では「渋滞」が発生している時がある。特に週末のデパート、下りエスカレーターなどでは。
「2列にギッチリ」で駅のエスカレーターが使用された場合、その末端で「将棋倒し」が起こる可能性は、格段に高まるだろう。
今は「片側を空ける」のが作法みたいになっているが、それでも「末端でモタついている老人など」が散見される。もし、JR東日本の言うように「2列になってエスカレーターを使う」ことが義務化?されたら、格段に怪我人が増えることだろう。
それは多分拙い。

結局のところ、当初は「高大接続テスト」とも呼ばれていた「高等学校基礎学力テスト(仮称)」は、表題の「高校生のための学びの基礎診断」ってモノになるらしい。

「高校生のための学びの基礎診断」実施方針 (PDF:788KB)
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/29/07/__icsFiles/afieldfile/2017/07/14/1388089_001_1.pdf

その5ページしかないpdfを要約すると、「文科省が『教育産業』の実施する『模試』にお墨付きを与えますよ」ってコトのようだ。意味ねー。
すさまじきトーンダウン。朝令暮改。竜頭蛇尾。

でもまぁ、私の当初の思い(このページ右(スマホの場合は一番下)にある、「自薦エントリ」の「『高大接続テスト』とやらについて、一席」に記してある)は部分的に果たされた。その点は良かったと言えよう。

しかしねぇ、この「高校生のための学びの基礎診断」、不要っしょ。
文科省のお墨付きを貰おうが、貰うまいが、これからもベネッセ・河合塾・駿台予備校などは、模試を実施していくことだろう。文科省に於いては、「高校生のための学びの基礎診断」の担当部署なんて、作らずにおいた方が良いんじゃないの? そんな部署・部門を作っても、税金の無駄でしか無いでしょ。
やめとけ、やめとけ。マジで止めとけ。ホントに。ほんとぉぉぉぉぉぉぉお、に。


そういえば、全然この話題とは関係ないけど、義家弘介ってヒト、すんげー人相が悪くなってて笑った。改めて「ヤンキー化」してる気がする。小沢一郎とか、森喜朗方面に。
ま、私は、彼が有名になった当初から嫌いだったけど。


過去の関連する日記
大学全入時代に寄せて(2005年10月)
日本の小学校に留年を(2008年6月)
必修単位未履修(2006年10月)
「高大接続テスト」とやらについて、一席(2010年2月)

主権者教育は義務教育でやれ

私は現行の学習指導要領にない「主権者教育」なんて、基本的に不要だと思っている。新しく作る学習指導要領にしたって、義務教育段階に主権者教育をきちんと組み込めば良いだろう。小学校や中学校の社会科、公民分野とかを中心として。

で、糞みたいなニュースをクリップしてあったのを、ここに披露する。あまりにも下らなかったので、とりあえず文面を保管しておいたのだ。気づいたら17ヶ月も寝かせてあったようだ。寝かせた糞はやはりクソだった。

​高校の「主権者教育」 実践的な授業は3割未満

6月14日 4時01分

選挙権年齢が18歳以上になるのを前に、文部科学省が、高校で始まっている「主権者教育」について調べたところ、模擬選挙の実施が3割に満たないなど、実践的な授業が十分行われていないことが分かりました。
来月の参議院選挙から選挙権年齢が18歳以上になるのを前に、文部科学省は、新たに有権者となる高校生の政治や選挙への意識を高める「主権者教育」がどのくらい行われたか、全国およそ6000のすべての高校で調査しました。 その結果、ことし3月に卒業を迎えた生徒に対し「主権者教育を実施した」と回答した高校は全体の94.4%に上りました。その指導内容について複数回答で聞くと、最も多かったのが「公職選挙法や選挙の仕組み」を講義形式で学ぶ授業で89.4%でした。一方で、「模擬選挙などの学習活動」は29%、「現実の政治的事象についての話し合い」は20.9%といずれも3割に満たないなど、実践的な授業が十分行われていないことが分かりました。 文部科学省は、主権者教育として生徒たちが現実にある課題や争点を主体的に考えて判断する実践的な授業の実施を求めています。文部科学省は「政治的な中立性の維持を徹底したうえで、平和と安全や教育格差の問題などについて各政党の公約を比べ、自分はどう考えるのか、積極的に議論する授業を行ってほしい」と話しています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160614/k10010555441000.html

archive.is にて、保管してくださった方がいらっしゃったようで、そいつを今日発見した。
https://archive.is/ggIyb

私が文科省に感心するのは、「政治的な中立性の維持を徹底したうえで」という部分である。

本当に「そんなこと」ができると思っていらっしゃるのでしょうか?
「できる」と思っていらっしゃるなら、おめでたい方々です。
「できない」と思っていらっしゃるのだけど、「とりあえず」建前を仰っているのなら、本当に糞であらせられます。
そういう「事なかれ主義」に毒された「無駄な調査報告」が自らの存在を貶め、学校教育の質を下げることになるのに。

ま、これはNHKによる報道でしかないから、本当に文科省がそのような「話」をしたのかどうかは不明だ。記者の名前も、文科省の「中の人」も分からないしな。

ま、今日記したことは、以前にも主張したのだが、改めて箇条書きにしておく。
・必要な主権者教育は「義務教育段階」できちんと行え。
・高等学校段階での主権者教育は不要だ。ましてや新科目「公共」なぞ要らぬ。
・政治的な話題に「政治的な中立」なぞ求めるな。


関連する過去の日記
「主権者教育」不要論(2015年12月)
​私が見た「模擬選挙」には価値を見出せなかった(2016年7月)

ここにあるのは、過去に書かれた日記のうちで提言カテゴリに属しているものです。

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