「色覚異常」か「色盲」か、はたまた「ドルトニズム」か?呼び名ねぇ。難しいですねぇ。
ぶっちゃけ言いますと、私自身は「色盲じゃない、色弱だ」と自己紹介していたこともあります。「色盲」って言うとモロに「ブラインド」ってイメージがあるような気がしたから、そのときは。
そう、それは被差別意識と差別意識から来るものでした。「自分の色覚は正常ではないらしいものの、そんなに酷くもない」っていう。
自分の感覚と他人の感覚が共通であるなんて絵空事、ヒトは勝手に考えがちなのは何ででしょうね?
ま、私も過去の歴史があるからそう言えるのですけれど。先天的に目が見えないヒトは、映像付きの夢を見ることは無いって聞いたとき、最初は不思議に感じたくらいですから、私でさえ。一応念のため補足しますと、目が見えないヒトより目が見えるヒトの方が幸福だなんて思いませんよ。大体、幸福の定義自体が未だに私は判らない。ただ、ヒトってヤツに運悪く生まれちゃった場合、目が見える方が不便を感じるコトは少ないでしょうね。それはほぼ確かだろうと思います。
私が理科の教員をしていて驚いたコトの1つ。それは、自分が「PTC味盲」だと知ると、「どうして? どうして、みんなは苦みを感じてるらしいのに私は感じないの?」と、不安がる生徒の存在。
まあ「PTC味盲」という表現もあまり良くないかも知れない。私なりにそいつ(PTC味盲)を厳密に記述するならば「舌に於けるPTCという物質への感受性が低い」というコトだけだから。そしてPTCを感じなくても大した問題は無いのです、PTCは人工の物質だから。
「PTC味盲」という存在を知った生徒達、自分の味覚と他人の味覚が異なる場合もあるらしいことを知って面白がります、大体の場合。しかし、「PTC味盲」という「少数派」に自分が属することを知った場合、自分の舌の感覚と横にいるヒトの舌の感覚が違うことを知って混乱する生徒がいることも事実です。
わたしゃ「PTCの存在を舌で感じるヒトと感じないヒトが居るのはごく単純な例だが、それと同様に、ものの見方や感じ方というものには「絶対」とか「正常」というものは存在しない。だからこそ「個性」というものが存在するのだし、私達はその個性を互いに尊重しなければならない。」とハナシを締めるのですけれど。
で、ハナシは戻りまして「ドルトニズム」とは何ぞ?と。
私も「ドルトニズム」っていう表現は約1年前に知ったのでした。「ドルトニズム」は知りませんでしたが、「ドルトン」は知ってましたね。高校で化学を履修したヒトなら聞き覚えはあるんじゃないでしょうか?「mol」で化学と訣別してしまったヒトでも。
そう、「ドルトン」は「原子説」を唱え始めた非常に偉大な人物なのであります。
そして、「石原忍」っていうヒトの名前も約1年前に知った私です。このヒトも偉大な人物であると思いますね、私は。「石原忍」は「石原色覚異常検査表」を作成したお方です。
チナミに、こいつ(石原色覚異常検査表)をスキャンして見本(何の?)にするなんてコトはしません。「著作権」の侵害にあたるでしょうが、それ以上に重要なのは「色の再現性が低いから」なのです。
「ドルトン」も「石原忍」も、ここでゴチャゴチャ解説しなくとも、ネット上には日本語で書かれた書類が腐るほど存在するでしょうから、気になる方はお調べください。この文章は「個人的」であることに眼目があるのではないかと考えていますので、とことん私的な見解で突き進みます。
で、魔の?「石原式」で「正常」に分類されるヒトにとっては「私は正常だ」で安心してしまい、その「非常に曖昧な境界」のこちらに来てしまう私のようなヒトは、現在この世の中では何らかの不便を被ることが多いのは事実です。
約1年前、私はこう記しました。
"自分自身について、科学的に確認されるハンディキャップを負っている場合、それをさっさと知っておいた方が良い結果をもたらすと思います。"と。しかし、ネット上でいろいろ調べ物をしましたところ、「石原色覚異常検査表」はあんまり科学的とは言えない代物らしいことが分かりました。
また、ついつい最近知ったのですが、ヒトの(3色型)色覚というのはヒトの網膜に於ける錐体細胞に依存しており、「石原式」はその錐体細胞の感受性の違いを「何となく経験から」カテゴライズするに過ぎないものであるということも。
あ、チナミに「錐体細胞」って名前を私が知ったのは10年前、生物IBを生徒に教え始めてからだったりします。
で、「石原式」ね。あの冊子、相当厳密に作っていて欲しい気がしますし、おそらく相当厳密に作っているのだろうと思います。けれども、インクの配合なんか、非常に難しいでしょうねぇ。どうやってテストしているのでしょうか?厳密に考えれば、紙質によってインクの乗りも違うでしょうし、顔料の成分がSPring-8で同定されたワケでも無いでしょうし。
じゃあ、色を1677万色(赤256階調x緑256階調x青256階調)出せるパソコンの方が厳密かといえば、そんなこともないのですよ。ディスプレイの色味なんて、ディスプレイの数だけ存在するようなものでしょう、恐らくは。
このハナシ、当初は「正常でない色覚を持つヒト」の名称について記していたツモリでした。
ま、色覚についても「正常」の定義自体ができないこと、この1年で私は知りました。それなりに成長したわけね。「狂気」と「正気」の境界が無さそうなことは数年前から気づいていたのだけれど。
いっそのこと石原式に引っかかってしまうヒトを「シノビズム」って呼ぶのはどうだろう?石原忍を称えて。
私もとりあえず「ドルトニズム」で良いのかしら?
でも、「僕は“ドルトニズム”なんです」とは言わないよなぁ…。
科学、いや、無益な弁別能の蓄積ってのは面白いですよね。錐体細胞の吸収極大波長から、進化について考察できるそうですから。
♪とぉりーぃびあー