教員免許の周辺 の日記群

教員採用試験の公平性

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20051205AT1G0502S05122005.html から

教員の6割、新規採用で縁故「有利」・内閣府調査

内閣府は5日、教員の採用方法に関するアンケート調査結果を発表した。教育委員会や学校関係者に身内がいる場合、新規採用が「有利に働く」と答えた教員は23.5%。「多少有利に働く」(35.4%)も含め、6割近くが有利との認識を示した。一方、市区の教育委員会は同じ質問に0.4%が「有利に働く」、5.5%が「多少有利に働く」と答えるにとどまっており、現状認識に大きな隔たりがあった。

調査は全国の都道府県や市区の教育委員会と学校法人の採用担当者を対象に、9月12日から10月21日に実施。回答率は60%。教員は東京都江東区の公立小中学校などから2835人を無作為抽出し、回収率は9.2%だった。

教員免許がなくても非常勤講師などで仮採用し、優秀なら本採用に移行する制度の拡大に関しては、教員は「賛成」が35.4%、「どちらかといえば賛成」も31.5%と積極的な回答が目立った。市区の教育委は「賛成」が7.6%、「どちらかといえば賛成」は28.2%となり、慎重な声が多かった。 (23:35)

帰りの電車の中で日経のこの記事が目にとまり、帰宅後に内閣府のページを調べて驚きましたね。

http://www.kisei-kaikaku.go.jp/publication/2005/1205/item051205_01.pdf の2ページ目から

参考:教員アンケート実施概要
・教員の採用に関する実態を教員の視点から把握する。
・東京都江東区の公立の小学校(43校)、中学校(22校)から、約半数にあたる小学校(22校)、中学校(11校)を無作為に抽出して調査票を送付し各校の全教員に配布した。各教員からは、郵送にて直接調査票を回収した。また、英語教材製作会社の会員リスト(英語教員が全国的に登録)をもとに、調査票を送付し、郵送にて回収した。

また、同じページを見てみますと、江東区の教員には合計652通送付し、回収されたのが129通。英語の教員へは同じく2183通中131通の回答。
滅茶苦茶回答少ないですね。都道府県47の教育委員会は100%の回答率だったそうです。ま、ヒマなのでしょう。


日経記事内の「教員」ってのは、何となく読めば「全国の教員」って勘違いすると思うのですね。しかし、このアンケート結果は「比較的公平さが保たれているであろう東京都江東区の話」であり、「縁故採用が活発に行われていそうな地方の話」ではないワケです。私は、東京とその他道府県においての教員採用の実態は知りません。教員採用が公平なのか、あるいは縁故が幅を利かせているのかということは、私の想像でしかありません。

では、身近な話をいたしましょう。
大学時代の友人には、学部卒業直後は自分を含めて教員採用浪人しているヤツも多かったのです。教員採用試験が今よりもずっと厳しい時代だったですし。
しかし、23区内の教育科学館のようなところでアルバイトをしていた知り合いの2名は、サクサクと教員採用試験に受かっていきました。私の記憶が正しければ、浪人1年目にI区の科学館でバイトしていたAくんは浪人生活が1年で終了しました。その後釜でバイトに入ったBくんも、やはり1年間のバイト生活の後に正式採用になりました。チナミにその間、私は同じ東京都の小学校教員採用試験に落ち続けたのですね。私の人物観によれば、Aくんと私の能力はどっこいどっこい、その下のほうにBくんが位置していたのです。
「あいつが採用されちまうのかよ...。元校長なんかが関係している場所でアルバイトしているのだから、優先的に採用されるかも知れないがなぁ...」とかなりクサり気味になった私でした。
教育の荒廃(存在するならば)は縁故採用からも来ているのだと思いますね。教員に様々な能力が要求されていくこの時代です。能力に欠けるのに縁故によって採用された教員の存在は無視できなくなっていくでしょう。だからこそ、内閣府とやらはそんなアンケートをやったのでしょうね。文部科学省じゃないのが面白いですね。


その内閣府のpdfはザッとしか眺めていませんが、面白かったのは13ページ目。
enquete.gif

私は小学校教諭1種免許状・中学校教諭1種免許状(教科:理科)・高等学校教諭1種免許状(教科:理科)・高等学校教諭1種免許状(教科:情報)の4枚の免許状を持っている。

免許状を確認するのに、5分くらい家の中をうろうろしてしまった。この免許状を紛失すると、お仕事を失ってしまうことになるのだろうか? よく分からないが、免許状がちゃんと手元にあって良かったと思う。この免許状、以前職場に提出したことがあった。基本的には「学校」という場所は、「免許状」を持たないと働けないトコロであるらしい。

今回免許状を確認している最中、改めて知ったことがある。それは「再交付」についてである。免許状と一緒に保管してあった紙には、以下の文言がある。

教育職員免許状は大切に保管してください。
免許状の再交付は、火災による焼失、風水害、盗難等の事実を、関係官公庁が証明(り災証明書等)する場合に限り行います。この場合、理由を明記し、返信用封筒を同封のうえ、「教育職員免許状再交付願」の用紙を請求してください。

調べたら、ネット上にも同じコト書いているページを発見した。私は東京都から免許をもらっているので、以下のサイトも東京都教育委員会内であります。

教育職員免許状の再交付について

そこにはこう書いてある。

紛失・遺失の場合は、再交付はできません。
これは知らなかった。単純に無くしてしまった場合、免許は永久に失われてしまうのだろうか。まあ、免許をなくしちゃうようなヒトには、センセイは任せられないってコトなのだろう。生山先生(参照?)は免許ちゃんと持っていたのかなぁ?
この更新制が実施された場合、ペーパーティーチャーさんの場合は、免許を更新しようとしても、免許自体を紛失しているコトも多いのじゃなかろうか? そういったヒトビトの場合、更新の講習を受けようにも、講習自体を受講させてもらえないというコトが起こる可能性が考えられる。永久に免許は喪失してしまうことになるのかも知れない。

しかし、教員免許にも期間限定バージョンがある。例えば、「特別免許状制度」でググってみると、そういった情報を得られる。


「免許更新制」は「学校という場における、免許の存在重視」に繋がるであろう。それは、昨今良く耳にする「開かれた学校」っていうフレーズとは、すこしぶつかる気がする。「社会人講師」みたいな存在は、今後もだんだん拡大されていくと思うのだが、「免許更新制」はそれに逆行していると思う。
ま、文部科学省の迷走には慣れているし、中教審ってヤツのメンバーだって、私の知らないオッサン・オバサンがほとんどだ。なお、私が知っていたのは29名中、野中ともよ・野依良治・増田明美・湯川れい子の4氏だけ。ここは一発、知り合いってか上司である「正論・毒舌オヤジ」の野原明氏にもメンバー入りを果たしてもらいたい、何となくね。

私も「免許更新制」が実施されるようになったらば、「長いものには巻かれろ」で30時間?の講習を受けるのだろう。講習を開く、免許を再交付する側の方が、絶対的に面倒なハズ。免許を交付してもらう側で良かったよ。

教育職員免許法

教員免許更新制で、一番の実害を受けるのは、「講習を受け持つ(ハズの大学の)センセ達」だと思います。
本当は、小学校から高校までのセンセイの採用自体を厳密にするべきだと思うのです。
ノーモア縁故。
ノーモアヒロシマ。ノーモアナガサキ。ノーモアオキナワ。

ノーモア二世議員。

大学の先生からの「教員免許更新制は止めようぜ」メッセージは、あんまり見たこと無いッス。自分たちの所行と素性が胡散臭いことをご存じなのでしょう。

自分が「大学の教員」であることの有り難みを自覚しているから、そして、自分たちは特に「免許」を必要とするわけでもないから、また、あんまり関係ないヤと思っているから、主張も無いのだろうと思います。

ご愁傷様です。

参考文献
http://www.ariori.com/diary/2005/12/06/
http://www.ariori.com/diary/2006/07/25/

教員の総「修士化」にもの申す

昨今、学校の教員を「修士」にしよう、って言説がある。私は「教員の修士化」は意味無いと思う。


例えば、すずきかんってヒトの「マニフェスト」には、以下の文言がある。

2.公立学校の先生復活
  教員の修士化と定数増。学校理事会主導による保護者・地域住民参加の教員評価。
すずきかんの約束
  生徒一人一人の個性や学ぶ欲求に対応できる教育環境を作ります。
   ■教職大学院の設立を推進し、いじめや不登校に対応できる教師、現場で即戦力となる教師を養成します。
   ■教師の定員を増やし、生徒一人一人に合ったきめの細かい指導を可能にします。
   ■保護者、地域住民、学校関係者、専門家からなる学校理事会に不適格教師の認定申請権を与え、常に保護者の評価が現場に反映されるようにします。

> ■教師の定員を増やし、生徒一人一人に合ったきめの細かい指導を可能にします。
この部分は劇的に賛成する。

> ■教職大学院の設立を推進し、いじめや不登校に対応できる教師、現場で即戦力となる教師を養成します。
しかし、この部分はイタダケない。

「修士」ってのは、私が知る限り、大学卒業後に大学院に通わないといけない。

一昨年に公表された、内閣府によるアンケート結果の一部を再び引用する。(最初の引用は2005年12月6日の日記)
enquete.gif

「研修」に対する意見で一番多かったのは、「教員としての適性は本人の資質によるところが大きく、研修・指導等によって基本的に改善するものではない」である。私もそう思う。
確かに「研修」あるいは「大学院での学習」によって、部分的な改善はあるでしょう。しかし、人間の根幹部分ってのはほとんど変化しないものだと思うのですね。
話は飛びますが、あれだけ酷いめに遭っている(と私は思う)アベシンゾー君なんか、未だに「月800円くらい、ちょろまかしても構わない」って公言したらしいですものね。全然学習していない。
「戸塚ヨットスクール」の校長である戸塚宏氏、服役を終えたのは昨年のコトだった。出所後のコメントで「体罰は教育」だと宣わったとかナントカ。戸塚氏は自らが行う「スパルタ教育」を支持しているワケだが、「刑務所によるスパルタ教育(?)」は、戸塚氏を変えられなかったわけだ。面白き矛盾。
三つ子の魂百まで。


すずきかん氏へのツッコミに戻る。

私は、10数年間教員をやってきた。徐々に生徒を手なずけられるようになった気がする。
大学や大学院では、学問として「教育学」を学んだり、自分が専攻する分野の「最新の知見」を導入することは可能だろう。しかし、教員に不可欠な「教科教育力」というのは、高等教育をやたらにたくさん受けただけでは、身に付かないはずだ。「教科教育力」や「生徒掌握力」は日々の授業で試行錯誤を行い、経験から身につけるしかない。私はそう感じつつ、ここまで来た。

そして、「いじめや不登校」への対応。
こんなものはヒトに教わって身に付くものでもないだろう。そういったデキゴトへの対応というのは、上手になれるのだろうか。純粋な疑問だ。
私もクラス担任を務めるうち、不登校傾向の生徒に出会うことがあった。クラス担任にできることと云えば、誠意を持って、私自身の考え方を相手に伝えるくらいだ。そして、相手が納得して学校に通うように仕向ける。もちろん、学校に来られないままの生徒も居る。


だいたい、大学だけならず、大学院まで行くってコトは、それだけ「職業人として給料を貰い始める年齢」が上がると云うことである。私は大学院に行く価値というのは見いだせなかった。さっさと現場に出たかったし、給料をもらい、「一人前」になりたかったってコトもある。


話は変わるが、腐った政治家や官僚こそ、「モラル幼稚園」から通い直すべきだと思うのだ。
「大学院まで行って、モラルの修士号を取れ」なんて申しません。小卒程度で結構ですよ。

教員免許更新制について

だいぶ前の新聞記事だが、引っかかったので魚拓を取ってあるのだ。

asahi.com から
教員免許の更新講習は「双方向評価」 文科省が方針
2007年08月12日20時48分

文科省の方針は、(1)大学側は、受講予定者の意見を事前に聴いたうえで講習の内容を決める(2)受講者には事後評価をさせ、その結果を公表する(3)2年目以降の受講対象者は、前年までの事後評価をもとに、どの大学で受講するのかを決められるようにする――といった内容。担当する教職員課は「混乱があるかもしれないが、講習を透明にすることが必要だ。面倒見のよさや、受講者と一緒に考える姿勢が大事で、講習の質を正面から確保する手段と考えている」としている。

本当に下らないと思う。
何のための講習なのだろう。
ニホンってクニは、「ハコだけ作って丸投げ」が本当に好きなんだなぁって思った。


世の中のほとんどの教員は、大学へ通い、所定の科目を取得し、免許を取得したハズだ。
大学の授業内容は、その教員によって千差万別だろう。でも、結果として免許はみんな持ってる。数百万人でしたっけ?

もし「適性に欠ける」教員が居るならば、免許持たせたまま解雇すればよいのですよ。そういう仕組みがあっても良いハズだ。ただし、ヒトの評価というのは相当に厳密になされるべきでしょう。
教育委員会や校長・教頭が「問題教員」を解雇できないのなら、その仕事を大学のセンセにやらせるのは酷だ。

ま、教員よりも「社会保険事務所勤務でカネをガメた輩」を排除するのが先でしょう。
それが完全に終了したら、教員の評価ってヤツを開始しても良いと思います。


何しろ、こういう下らない施策により、大学教員も、初等中等学校の教員も疲弊する。
加えて、無駄な文部科学省の役人が必要になる。


元々、教員免許自体が「いい加減な講義」を受講することで発行されているのだ。
東京学芸大学の岡崎恵視(おかざきめぐみ)は、細胞の構造についての講座(半期)の最後、「試験料だ」って言って学生から1人あたり100円ずつせしめたのだ。
1990年のことだ。
あれは何だったのだろうか?


<過去の関連する日記>

教員採用試験の公平性
http://www.ariori.com/diary/2005/12/06/

「教員免許更新制」vs「開かれた学校」
http://www.ariori.com/diary/2006/07/25/

教育職員免許法
http://www.ariori.com/diary/2007/06/22/

卒業式と国歌「君が代」

また、卒業式の季節が巡ってきた。
「君が代論争」が白熱してくるのだろう。

私の見解は、以下に記してある。
サイト内、「君が代」にて検索した結果

改めて自分の文章を読み直してみた。特に間違っていないと思う。
今回、以前から知っていた 根津公子さんのページ ってヤツの中にある、根津氏の文書『処分に思う そして、 心ある教員の皆さんへ』他数点(Web上なのに".doc"!)を読んでみた。
普通のヒトは、好んでワードのファイルなんか、開かないっつーの。その段階で、サイト作成に失敗している。サイトを管理しているのは、根津さん本人ではなく、沖電気を解雇されたヒト(♂)らしい。彼は、根津さんの主張を他人に伝えたいのだろうか? 単なるオナニーじゃねぇの? このサイトと同様にさ(自嘲w)。

で、根津氏の文を読んだ感想。「そういう思想もあるだろうが、私は否定も賛同もしない。自分の思いを、授業で展開するのは良いんじゃない?」ってトコロ。

クビまであと1年か・・頭をよぎる(根津公子)
http://www.labornetjp.org/news/2007/1174360574406staff01

には、

治安維持法下では、生命の危険に晒されましたが、今はまだ生命の危険はないですし、56歳の私には養育義務もありませんから、懲戒免職になっても何とか生きてはいけます。だから、大して迷うことなく、この決断ができたのだと思います。
とあるから、お子さんがありそうだ。
彼女はどういう結婚式を挙げたのか、あるいは挙げなかったのか、それが気になる。


私の主張を念のため繰り返す。自分の信念に従い、授業は授業で好きにやれば良いだろう。どうせ「管理職」は、すべての授業をチェックできないから。

卒業式には必ず管理職が参列する。
式典で「君が代」が歌われるとき、起立くらいしたって良いだろう。歌いたくなければ、口パクで良いと思うのだ。口を結んでいても良いだろう。ヒトのココロを他人が支配することは、決して誰もできないのだから。
教員であるならば、もっと「生徒のため」と思えることに、力を注ぐ方が良かろう。ま、彼女が最も大切に思うことが「不起立」ならば、それはそれで良い。
そして、処罰も仕方なかろう。給料をクニから貰っているんだから。

書評『誰が学校を殺したか』

『誰が学校を殺したか』は、1992年9月10日に初版が発行されているらしい。最近手に取り、読んでみた。著者の夏木智氏は茨城県の公立高校教師であるそうだ。

この本は16年前の発行だが、その内容は現在も新鮮さを失っていない。いくつかの話題が扱われているが、特に、文部科学省が関わる「教員の資質向上」論の空虚さは、この20年近くずっと変わっていないということになるのだろう。

初版から何か所か引用する。

22ページ
もし本気でこの問題に取り組もうと思うものがいるなら、当然、まず、「望ましい教員の資質とは何か」という問題を議論するところから始めるにちがいない。(中略) そのことに関してはろくな議論もしないうちに、「どうすれば資質が向上するか」という具体的方策に関する議論にばかり熱中しているのだ。

40ページ
(初任者研修制度で)新規採用者を「指導」するのは、今の学校のあり方をつくってきた人々である。(中略) 彼らは人に指導できるくらいだから、今までもずっと教育にたずさわってきたにちがいない。とすると、彼らが教育にたずさわってきたこれまでというのは、きっとすばらしい教育ができていたにちがいない。なるほど、今までのすばらしい教育の水準を保つために、大金をかけて初任者研修制度を導入したというわけなのか。

44ページ
私が唖然とさせられたことがある。それは、多くの学校で初任者研修を実施するために新規採用者およびその指導教員が受け持つ授業時間数を減らし、そのぶんを大学を卒業したばかりの時間講師が穴埋めしているということだ!(中略) 新規採用者が立派な教師になるために研修を受けている間、時間講師に授業を担当される生徒はどうなるのだ。それとも授業など、誰でもできる重要性の低い仕事にすぎないとでも言いたいのか。そもそも、こうしたことをまったく気にとめる様子さえもない初任者研修制度とはいったい何だったのか。

現在、徐々に「教員免許更新制」のための講習というものが、その姿を見せてきている。
「押しつけられる研修の不毛さ」ということについて、既にこれだけ論点のはっきりした「現場からの論評」があったわけだ。にもかかわらず、官製研修はどんどん増えている。と、言っても私の勤務先は私学であり、噂を聞く限り、公立よりはマシであるようだ。
しかしまた、世の中の学校の大半は公立学校だ。他人事として傍観するのも忍びない。ので、日記に書いている私がいる。

私は「教員免許更新制」よりも「不適格教員の排除」をきちんと行うべきだと考えている。これは以前にも当サイト上で表明したことだ。

また、夏木氏は理路整然と「コネの重視によってもたらされる、教員の質の低下」について述べている。

36ページ
多くの論者は、今の教員採用試験が、教員志望者にペーパーテストを課し、その成績にもとづいて採用者を決めるというやり方を、「ペーパーテスト偏重で、テストではいい点を取れるが、人間味のない教員が採用される結果になっている」といった言い方で非難している。(中略) 実際の教員採用試験の方法が手直しされ、ペーパーテストの比重が下がり、たとえば「面接の重視」というようなことが実施されたとしよう。起こることは何か。一番、楽観的に考えて、面接官の好みにかなった人間の採用である。(中略) もし、教員を選ぶ側の主観だけにもとづいて選んでいいとすれば、間違いなく「コネ」が横行することになるだろう(中略) そうなれば、確かなことは、教員としての資質とはまったく別のところで教員の採用がなされるわけだから、結果としてむしろますます教員の資質が低下するということだ。

56ページ
不思議なことに、人々はこうした(コネという)問題にあまり関心がないように見える。教員の資質向上を論じながら、一方でこうした議論にあまり乗り気でないというのはどういうわけなのか、私には理解できない。もし教員の資質向上を本当に望むなら、この問題こそまっさきに論じなければならない問題ではあるまいか。

57ページ
コネを使ってでも教師になろうと思うのは、彼が提供できるサービスよりも多くの報酬を得られるからにほかならない。つまりコネで教師になった人が日曜日にも出勤するのは、彼がたとえそうしてもその給料に見合ったサービスを提供できないからにほかならないのである。コネを使って教師になる側にも選択の自由があることを忘れてはならない。コネによる採用は間違いなく資質を下げるのである。

文部科学省の官僚や、教員の生殺与奪の権を握る地方自治体教育行政の「お偉いさん」などは、この本を読むべきであろう。さらなる「殺し」を行い、結果として自分の首を絞めないために。
また、日本というクニを少しでもマシなものにしていくために。そう、若い頃の理想を思い出すのだ。


この本を読み、検索して知った。作者の夏木智氏は『誰が教育を殺したか?』という作品を一昨年に出しているようだ。そちらもいつか読んでみようと思う。
(2015/07/15 追記)読んだよ。

怪しい教員小川が怪しい教員達を観察

根津公子氏(ググリンク)の著作『希望は生徒』を読んでみた。

読んでみたが、「学校という場に於ける国旗・国歌」に関する私の見解には、特段の変化はない。根津氏にとっては残念なことであろう。根津氏の意見は意見として尊重するが、公務員としてはフテキセツな人物なのではないかと思う。
私は、「国旗・国歌」に「敬意を払う」のは、地球上に棲むヒトの基本だと思うのですねぇ。もちろん、日本のヤツに限らず。

その自伝?の中では、唐突にお子さんが生まれていた。(恋愛や)結婚式についての記述は全く無い。
17~18ページから引用。

一九七一年、二〇歳の時、私は東京都江東区立大島中学校に赴任しました。
(中略)
家庭科の授業だけでなく、一年目は一年生の学級担任もさせてもらいました。
(中略)
家庭科の授業は、家庭科教育者連盟の学習会や合宿に出かけたり、半田たつ子さん編集の雑誌『家庭科教育』を読んだり、また生徒の要求を聞いたりして、試行錯誤をしながらつくっていきました。「男女の平等」については、日常の言動を折に触れて取り上げ、意識的に問い返しをしていきました。
一九四七年(原文のまま:この本は図書館で借りたのだが、誰かがきちんと「七四年」に校正していた。笑える)四月、第一子を出産。

彼女、「国旗・国歌」(への盲従)は嫌いなようです。
しかし彼女、私が思うに十中八九、神前式で結婚式を行っていますね、時代が時代だろうし。彼女は「日本古来の神」か何かに誓ったハズ。その事実を葬り去りたいからこそ、この自伝では自身の「結婚」について、何も触れていないのだろう。
無神論者の私は、彼女の行動を疑問に思います。

そして、結構面白い記述を見つけた。
ちょっと長くなるが、51ページから引用。

石川中へ移動した一九九〇年四月は、学習指導要領の「日の丸・君が代」条項の先取り実施の年でした。勤務二日目の職員会議での議題の一つに「入学式について」がありました。すでに決定されていた「日の丸・君が代」の取り扱いについてなぜ実施することになったかを質すと、返ってきた答えは、「校長が『実施する』と言うから」でした。誰も責任を感じないこうした運びは往々にしてあることですが、私はこれに黙っていることはできませんでした。「校長が、ではなく、みんなで話し合い、責任を持って決定しようではないですか」と訴えました。すると流れが変わり、決定した議題が差し戻され、論議がされました。そうして採決した結果、「君が代」斉唱はしない、「日の丸」は掲揚するとなりました。そして、その年度の卒業式には「日の丸」も「君が代」も実施しないと決定しました。一九九〇年度から学習指導要領が先取り実施されるなかで、石川中では、それまで実施してきた「日の丸・君が代」を取りやめていったのです。

「それまで実施してきた」のだったら、そのまま実施しておけば良かったと思うんですよ。何かが彼女を突き動かしてしまったのでしょう。転任早々会議で出しゃばれるなんて、スゴいと思います。
それ以降、根津氏などがいろいろと頑張ることにより、東京都教育委員会による学校の締め付けも強化されていったのだと思うのです。無理に波風を立ててしまったことにより、結果的に自分たち(東京都公立学校教員)の首を絞めてしまった気がしてなりません。


「怪しい教員」というと、大阪の方で「新任だけど免職されそうだ」ってなニュースを見た記憶がありました。
Birth of Blues 経由で、そのヒトが井沢絵梨子というお名前だと知りました。「大阪市新任教員免職撤回裁判」というページ群を見たのですが、その中のページの一部は思いっきり".doc"で放置してありました。
少しそのドキュメントを眺めてみましたが、あまり面白いものでもありませんでした。リンクは貼りません。

"労組系"の方々がネット上で活動する場合、「ワードファイルでの主張がデフォルト」なのでしょうか。根津氏の場合もそうでした。大変に不思議です。職場で「零細クミアイのイインチョー」をやってる私も真似してみようかな。

根津にしろ、井沢にしろ、教員なのだったら、「自分の言いたいことを伝える」という作業に、もっと真剣であって欲しい気がします。「ワード放置」じゃ、普通のヒトには多分伝わりませんね、何か言いたいことがあったとしてもさ。

教員免許更新制の帰趨

2005/12/06 教員採用試験の公平性

2006/07/25 「教員免許更新制」vs「開かれた学校」

2007/06/22 教育職員免許法

2007/07/13 教員の総「修士化」にもの申す

2007/09/26 教員免許更新制について

2008/02/23 卒業式と国歌「君が代」

2008/05/27 書評『誰が学校を殺したか』

2008/09/03 怪しい教員小川が怪しい教員達を観察

上に示した教員免許や採用システムについての意見を、新設カテゴリ「教員免許の周辺」に、放り込むつもりです。


私の経験から言うと、教員のシゴトってのは、系統立てて学べるものでは無いと思います。就業前に「教員のシゴト」について学ぼうとも、あんまり意味はないと思います。
教員生活17年目に突入している私にとって、役に立ったと思える大学時代の勉強は、「理科教育学(指導要領に基づき、授業案を考える授業)」と「教育実習(教育実地研究だったかな?)」と「卒業研究」です。「児童心理学」や「青年心理学」なども、履修した記憶がありますが、それとオシゴトは関係ない気がします。


今日はとりあえず、早晩無くなるという噂の「教員免許更新」研修の無意味さについて記します。

2.教員免許更新制の目的:文部科学省 にはこうあります。

教員免許更新制は、その時々で教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指すものです。

「定期的に最新の知識技能を身に付けること」が目的ならば、「10年間の最後の2年、まとめて合計30時間の講習」なんて、意味が無いです。
『本来の目的』通り、きっぱりと「ダメ教員はクビだよ」ってシステム構築に力を注ぐべきでしたね。


私は多分毎年、最低でも合計10時間は研修に参加しているはずです。命令で行かされたこともあれば、自ら志願して行ったこともあります。役に立ったこともあれば、直接シゴトの役には立たなさそうな研修や、行ったことも忘れてしまった研修もあります。いくつかは当サイト上にも記録を残してあります。多分、理科というのは、研修が多めに必要な教科だとも思います。
何しろ、それらの合計は、10年間あたりで優に100時間を超えるはずです。

10年間で「たった30時間」では、「資質向上」は望めないでしょう。意味がないシステムだけが残ったわけです。消えても差し支えないですね。
なお、私自身が研修によって、教員としての資質が向上したかどうかってコト、それは分かりません。キッパリ。



文科省は「自ら学び自ら考える」子どもを育成するつもりだそうです。異論はありません。私も自ら学び自ら考えるヒトでありたい。
現行の「教員向け講習」、基本的に教員が講座を選べるようです。しかし、そもそも「教員」は自ら学び自ら考える存在でなければならないハズです。言われなくたって研修に参加するようじゃなきゃダメでしょう。


公立学校では、公正な採用と人材の流動化(首切り基準の明確化)を進めるべきだと思うのですね。「校長にその権利を与えろ」って方などもいらっしゃいますが、公立学校の校長がスバラシイヒトである保証は無いです。

勤務時間内に政治活動するとか、ワケ分かりません。北海道とか山梨とか、そういった方面で有名な地域もあるようですが。


公立学校では次から次へと、お上から無理難題が降ってくるようです。最近決まったことでは「小学校での英語教育」とかね。現在の「上意下達」的な公立学校に奉職なさる「コマ」を育てるためならば、下手に「何か」を教え込まない方が良いのでは無いでしょうか? 政権交代も頻繁に起こるでしょうし、あんまり教育を施すと、柔軟性・従順さが減りそうな気がします。


そんなこんなで、教員免許取得のための修行期間は、大学の4年間で十分だと思います。
さっさと現場に入って、揉まれた方が良い。
免許更新は教育委員会の事務作業が膨大になり、無駄な役人・無駄金が必要です。


2009/10/26追記
私が「もっともだ」と思った、愛読しているサイトの記事を紹介します。

ネットで教科「情報」日記 : ここからが本当の始まり

免許は4年で取れないと - 情報科blog

教員養成6年制は愚策である - 学校教育を考える

教員の資質

私も、しみじみ考えてみました。3つにまとめました。

「向上心」「柔軟性」「信念」
まとめる過程で「これは、別に教員に限らないよなぁ...」って思いました。ま、当たり前です。「教員」ってのは数多ある職業の一つに過ぎない。
「教員の資質」とは何かってコトを問うただけでも、文科省は進歩したのだと思います。(参考)

で、様々なサイトで取り上げられた、こちらの方々。

中でも、興味深かったのは、高校で各人に、コンピューター(1台)と覚えにくいパスワード(2つ)が配布され、その管理がすごくうるさく、置き方まで指定され、
この人達は、私の挙げた資質のうち、「向上心」と「柔軟性」が無い。致命的に拙いと思います。 富士通や NEC が変に優遇されているのは確かかも知れません。しかしパソコンの導入は、突き詰めれば「有権者の意思」の結晶なワケです。使いづらかったら、それはそれで上申してください。


私は前回の日記に「大学減らせ」みたいなコト書きました。
大学からはみ出したセンセイは、中等教育や初等教育へ流れるのも良いと思うのですね。教育産業(?)に於いて「人材の流動化」が促されるのは、決して悪いことでは無いと思います。


なるほどなぁと思ったサイト
教師の資質 - 学校教育を考える

update

昨年夏、教員免許の更新をしてきた。小学校・中学校理科・高校理科・高校情報科。
「3万円/30時間」が講習の費用だった。別途、東京都にも手数料?を払ったが、詳細は忘れた。数千円だったはず。

講習では、中学校時代の友人に遭遇した。2度ほど食事(軽い飲み会)に行った。予想したよりは、大学時代の友人には会えなかったのが残念であった。所属していた研究室に、缶ビール1ケースを差し入れしてきた。

右(あるいは下)にある「自薦エントリ」も更新してみた。

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