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10年間の教員生活をふりかえって考えること

校内研修へ向けて

 

 「もう10年も経つのかぁ」それが正直な感想です。
 確かに指折り数えてみれば、講師時代を含め、この文大杉並でまる10年勤務したことになります。生徒を手なずける術を徐々に身に付けてきた自覚はありますし、様々な教務関係の知識も増加しました。また、ソフトボール部顧問としての活動によって校外の知り合いが増えましたし、世の中の出来事に注意を払うことによって、自然科学を中心とした知識量も増加した気がします。では、日々の業務は楽にこなせるようになったかと言えば、そんなことはありません。単純に仕事量は増加していますし、大小様々な問題が常に発生してきます。また、世の中では自然科学の知見もどんどんと増加してきています。しかし、それは仕方のないことなのでしょう。もともと私が教員という仕事を選択したのは「終わりがないだろうから」という見通しと期待があったからなのです。日々努力しつづける必要があると思われたから、この職業を選択したのです。
 突き詰めてしまえば、この世の中に意味は無いのだと思います。そして、ほとんどの大人はそのことに意識的、あるいは無意識的に気づいているのではないでしょうか。そしてこう考えているはずです。「この世に生を受けた以上、生きていくしかないのかな?」と。自分の親やきょうだい、周囲の様々な人たち、あるいは身近な出来事や歴史・環境から様々な影響を受け、今の自分が存在している。それらの存在に改めて気づき、感謝することによって、生きていかざるを得ないことに気づくのでしょう。そして生きていくにあたり、人生の価値を自分なりに設定するのだと思います。例えば「富」や「名声」といったような。しかし、どんな職業に就こうが、どれだけ財産を築こうが、どれだけ他人から褒められようが、その事実を「あの世」に持っていくことはできません。どんなヒトであれ、死んでしまえば名刺や財産とは無縁の存在となってしまいます。そのように考える私だから、恐らく教育という道を選んだのです。
 職業というのは小学生・中学生から見ても多種多様です。私は優秀な生徒だったのかもしれませんが、学校で勉強することに喜びを感じることが多々ありました。知らないことを教えてくれる先生・学校という存在が好きだったのです。また、書物というのもヒトの知的好奇心を満足させてくれる大切な存在だと思います。特に理科については、「なるほどなぁ」と納得させられる授業や書物が多く存在し、私の知的好奇心を一番刺激してくれる存在となりました。好きな理科の勉強をずっと継続していきたいと考えたこともありましたが、小学生の私にはどうすれば研究職に就けるのかが判りませんでした。結局は当然の流れと言えるのでしょう、身近な存在である先生を間近に見ることによって、「教員になりたい」という思いが徐々に私の中で大きくなっていったのです。
 教育というのは奥が深い仕事だと思います。教育基本法前文にもあるように、「民主的で文化的な国家」は「世界の平和と人類の福祉に貢献」すべきものだと思いますし、「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべき」だということに全面的に同意します。日本国憲法・教育基本法によって育てられた世代であるはずの人間として、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間」でありながら、「普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造」に寄与したいと思います。具体的に言うならば、教員にとって最も身近な存在である生徒たちに、「魅力的な授業を展開する『頼もしい職業人』」として見てもらえるよう、これからも日々の授業を第一に考えて教員生活を送っていきます。そして、それらの授業が円滑に進むよう、職場の先輩・同期・後輩と共に、更なる「終わり無き努力」を続けます。

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