獅子の星座の旗の下、醜聞流す我が母校

私は、あんまり出身大学には愛校心がない。
とは、言いながら、こんな日記を書く。

珍しく、1日に2つも母校「東京学芸大学」についての記事を見た。
1つめは tweetbuzz 経由で知った、「キニ速」の記事。

って、リンク貼ろうと思ったら、もう「キニ速」も消えてた。ま、実際個人情報だよね。
私が「キニ速」の記事を見た時点で、「公式サイト(笑)」は無かった。

しかし、j-cast がわざわざ記事を上げてくれている。
せっかく?だから、リンクを貼る。

教育系女子大生「今まで付き合った人数→12人」 「のろけサイト」、「黒歴史になる」と炎上 : J-CASTニュース


私が東京学芸大学を卒業したのは、1993年(平成5年)のコトである。
私がその大学を選んだのは「国公立で小学校教員になれて、理科を中心に勉強する学科」があったからだ。ま、埼玉大・千葉大・横浜国大にも、同様の学科はあったけど。
偏差値(なるべく高いところ)と規模(なるべくデカいところ)を考慮し、学芸大と横国を受けた。最終的には横国を蹴った。自宅から遠いし、規模が小さいから。試験会場にチャラいヤツが多かったというのもある。その当時は「チャラい」なんて形容詞は無かったけど。というか、二次試験会場(慶応大の日吉で行われた)で「黄色い服着た目立つヤツ」がいて、嫌悪感を覚えたのだ。ま、学芸大が第一志望でしたけど、上記の理由で。


あの学校は「東京にある国立大だけど、比較的入りやすくていろんな学科がある」という特殊な環境なのですね。
実際は「教育学部」しかないのだけど、社会科学・自然科学・人文科学、結構いろんな学科がある。体育系もあるなぁ...

私が入った「A類(小学校)理科」は、100名弱の同級生が居ました。男女は半々。それが2クラスに一応分かれてた。
地方出身者が半分、自宅生が半分。現役生が半分、浪人が半分、って感じ。(あの時代は、今よりも大学が入りづらかった。...ハズ)
で、「教員志望者が半分、そうじゃないのが半分」という感じでした。最終的に同級生で教員になっているのは、同じクラス(18組)内のうち、3割程度だと思います。

で、下宿生が半分ですから、リア充(当時は、そんなコトバ無いけど)率が高かったのは確かですね。私は非リアだったけどな。
だから、校内にカポーが多かったのは確かだろう。特に地方出身者だと。
しかし、あのサイト(もう消えたみたいだけど)は、馬鹿丸出しですね。


それだけならば、日記にしようとは思わなかったのだが、もう一つ関連する記事があった。
池袋ウエストゲートパークならぬ池袋西口公園 - 東京DEEP案内

たしか、2ヶ月くらい前から、RSS を取得してました。
あの素晴らしい「東京タウンマトリックス」を作られた方のサイトのようです。
ttm-thumb-300xauto.jpg

あの、綺麗になったのに雑然としている「東京芸術劇場」、以前は確かにだだっ広い公園でした。記事を見るまで忘れてた。
あれは「豊島師範学校跡地」だったのですね。

東京学芸大学は、いくつかの「師範学校」が母体だと云うことは、何となく知ってました。そういえば「豊島」という名前もあったかも。
イニシヘの池袋西口公園は、その周囲に国際興業バスのバス停が多数ありました。小さかった私は、だだっ広い公園の横で緑色のバス「江古田二又行き」を待っていた記憶があります。地下鉄有楽町線も開通し、江古田二又は風前の灯火となっています。「池袋→要町→千川→江古田」なんて、どこでも電車で行けますものね。


ってコトを思い出したので、日記にしました。


関連する記事
理科と私(2001年)
ろぐ(2009年5月)
教員免許更新制の帰趨(2009年9月)
渡邉康弘センセイと縣秀彦センセイと私(2010年3月)
教育実習のおもひで(2010年6月)

ここにあるのは、Masakiが2012年2月 7日 22:25に書いた日記です。

ひとつ前の日記は「大学の秋入学について、自分の分かる範囲で。」です。

次の日記は「基本的に喧嘩ですけど」です。

最近の日記はこちらで見られます。過去に書かれたものはアーカイブで見られます。