複眼的視点

てなコトバを聞くことがある。私は使わない。「意識高い系」臭がするから。

つい先日、職場の同僚と雑談してて気づいたのだ。
「本当の(昆虫などの)複眼は、物体を多角的に見ることには適していない」ことに。

複眼で思い出されるのは、トンボとかハエだ。彼らは立派な複眼を持っている。
その機構はよく分かっていない(というか、ヒトの視覚すら未だ謎だらけらしい)ようだ。
とりあえず分かってるのは「複眼を構成する一つひとつの感光体(個眼)」が1個だけあったとしても、それだけではほとんど使い物にならないらしい、ということ、らしい。

たくさんの個眼は、それぞれ「目の前」だけを注視してる。馬鹿の一つ覚えのように。
その馬鹿どもの情報が多数脳に集まることにより、結果的にかなり高度な「視覚」が生じると考えられているようだ。

複眼というのは「自分を取り巻く世界」をあくまでも「一人称的に認識」するために発達した仕組みである。その仕組みはハエやトンボに発達しており、彼らを捕まえたり、叩き落としたりするのは、かなり難しい。
ま、茨城にて幼少期の数年間を過ごした私にとっては、素手で休憩中のトンボを捕まえるのは、さほど難しい事ではないが。


そんなわけで「複眼的視点」なんてコトバ、私は今後も使うことはないだろう。
「多角的な見方」なら、使うかも知れないけど。

と、「複眼的視点」という語について、多角的(自然科学的)に考察してみた。

ここにあるのは2019年8月12日 17:36の日記です。

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