師との再会

既に先週のことなのだが、高校時代に地学を教わった先生(以下、N先生)に、約30年ぶりに再会した。

私の職場には、都立高校にも勤務経験のある先生方が、何人かいらっしゃる。私は都立小石川高等学校というところを卒業した。当時(昭和末期)そこにいらしたN先生と、現在も私の勤務先にて非常勤講師として数学を担当なさっている先生(以下、I先生)は同い年であり、とある都立高校にて一緒に働いたこともあるということだった。

I先生は、私の出身校を知っていらっしゃる。やはり、都立高校の先生は、どちらかと言えば私立出身の人間よりも、都立出身の人間に親近感を覚えてくださるらしい。
で、ときどきI先生とN先生は顔を合わせることがあるそうで、その際に私の話が出たそうだ。「俺(I先生)の勤務先に、Nさんの教え子がいて、地学を教えているよ」と。

念のため記すと、私が高校の「地学と名の付く科目」を担当したのは、西暦2000年に1回(たまたま、高3に選択希望者が5名集まった)あった。しかし、本格的に「地学」を担当し始めたのは、「地学基礎」が勤務先で始まった2013年以降だったりする。つまり、地学の教授は結構「初心者」なのである。ただし、2000年代半ば以降の「理科総合B」では、それなりに地学の内容を扱ったことはある。


本年度に入り、I先生へ「N先生にお会いしたいのです」と改めてお願いしたところ、N先生は「月曜日が都合が良い」とのことだったそうだ。I先生が再会の場を設定してくださり、6月11日に中野へ向かったのだった。

N先生にお会いするに当たり、私はさらにその1週間前、高校時代の「理科Ⅰ」の授業ノートを実家にて発掘しておいた。それを再会の場へお持ちしたところ、予想以上にN先生は喜んでくださった。なんでも、N先生は「授業の年間の流れ」は考えておくものの、「授業(板書)ノート」は作成しないとのことだった。以前、別の高校での卒業生から、「授業ノートのコピー」を入手したことはあるそうだった。私の持っていた「昭和末期の授業ノート」はお持ちでなかったそうで、「それをコピーしてくれるかい?」との話になった。
今頃、N先生のお宅には、私のノートのコピーが届いていることだろう。
私の汚い字(ただし、今の私の方が、もっと字が汚い)によるノートのコピーが、何かのお役に立つならば、多少「恩返し」ともなるのかも知れない。保管しておいて、発掘できて良かった。

その際、N先生は「鉱物・粘土方面」がご専門だと初めて知った。私の大学時代指導教官のこともご存じだった。私はてっきり天文学が専門なのだと思っていた。高校時代は「天文研究会」の顧問でいらっしゃったし。後日ググってみたら、確かにN先生の名前が入った論文がいくつか見つかった。


N先生(とI先生)は、本年度で70歳になられるらしい。で、私がお会いした日の数日前、N先生は娘さんの指示に従い健康診断に行ったそうだ。内視鏡をやったら、胃の奥からアニサキスが捕獲されたそうだ。凄い話だ。
たまたま、さらにその数日前、生魚を食べていたそうだ。N先生としては珍しく、食後に吐いたりもしたそうだった。
「どうも具合が悪いなぁ、11日の会合はキャンセルした方が良いだろうか?」などと、考えつつの受診だったそうだ。タイミングが良いのか、悪いのか...。


会合が終わり、解散した19時過ぎの中野駅構内、勤務先の元教え子(決して「よい子」ではなかった)に、バッタリと遭遇した。私が高3の担任をし、約8年前に卒業した生徒だった。ちゃんと大学も卒業し、きちんと働いているとのことだった。彼女の帰宅時に私が遭遇したのだった。こちらはタイミングが良かったと言えよう。

そんなわけで、二重に貴重な日となったのでありました。


ところで、この間 Movable Type を7へアップデートした。そうしたところ、スマホ等からの更新が「劇的」に難しくなった。画面が広くないと、投稿が難しいのだ。
ま、パソコンから投稿すれば良いだけの話だけど。

ここにあるのは2018年6月18日 19:25の日記です。

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