笑い話 の日記群

押し毛

久々に図書館で本を借りたのだが、奇妙な現象に出くわしている。手に取ったとき、「やけに汚れた本だなー」と思ったほかは、とりたたて特徴はなかった。
通勤途上の電車の中で読み出して気づいたのだが、「何か挟まってんなー、何だろ、あれ、何も挟まってないや」という事を何度か繰り返した。その後、ふと、短い毛(2日程ヒゲを剃らなかったときに、毛抜きで引っこ抜いたくらいの)がページ番号のあたりで乾燥して「押し毛」となっているのを発見した。何気なく取り去り、「何だろ、床屋ででも読んだんかいな」と思ったが、よく観察すると、なんと、毎ページ毎ページ(ほとんど450ページ分全部)、ページ番号のあたり(本の下隅)に引っ付いているのだ、押し毛が。
いったい何なんだ。気色悪い。
ちなみにその本は杉並区の中央図書館で借りたもので、船戸与一という人の『蟹喰い猿フーガ』という本だ。
何かご存じの方、いらっしゃいましたら、メールください。(「いるわきゃねーよ」ってか?)

眉の中の傷

未だ、カウンタが稼働しない。
夏休みも折り返し地点を迎え、「夏も終わりか・・・」と思う今日、1週間前に縫った右眉内の傷の抜糸も終え、布団も干し、ワイシャツのアイロンがけも終わり、「ホームページの更新でもするか」という具合であります。結局サードマシンを買わずに、GAとCPUを交換し、ウィンドウズ98に乗り換えただけで満足している状態です。
ちなみに、右眉内の傷は以下のような状況で作成しました。

風邪を引いた生徒に代わり、サードを守っていました。相手はランナー3塁、サードランナーとバッターが目配せしたのを見て、「何かする気だな」と思いました。「たぶん、バント&ラン(スクイズ)だろう」と思い、味方の投球と共に、前へダッシュしたところ、目の前にボールが飛んできました。(その距離、約10m。ソフトボールの塁間は18.29m(野球のバッテリー間と同じ)で、通常ソフトボールのサードとファーストは、1,3塁ベースよりもホームベース寄りで守備をする。塁間が近いため、素早くバント処理をするため、やむを得ないのである。)
メガネがはじけ飛び、「いってー」と思っていると、ショートにいた生徒が「血が出てますよ」と。ボールが当たった右目の上に手を当てると、確かに血が付いてきます。結局のところ、2cmほど、眉毛の中が切れてました。外れたレンズがぶち当たり、皮膚が裂けたのです。6針ほど縫いました。骨折は体験済みですし、後は、救急車に乗るくらいでしょう。

未知との遭遇

それは1月5日朝の出来事でした。

年末に買った新しいオーディオシステム(以下「キカイ」)で、ゴンチチでも聴こうと再生したところ・・・「音が出ん」。そういえば、目覚まし代わりにセットしたはずのタイマーも作動した記憶がない(出勤日でなくて良かった)。「キカイ」は涼しい顔してトラック1の再生時間をカウントしております。
「???。」
確かに設置場所は変えたものの、ケーブルの接続には念には念を入れたはずなのに・・・。
昨日の晩はヘッドホンで聴けたのになーと思い、もう一度ヘッドホンを使おうと思い手に取る・・・
 
何と、ヘッドホンのプラグが単なる円筒になっているではありませんか!
プラグの先端がもげ、「キカイ」内部に残ってるんかい!!!
--覗いてみる--
見慣れない「楊枝の頭」的物体が御成遊ばしていらっしゃいました。うーむ、侮る無かれ「オー○ィオテクニカ」(まあ、元々ミニプラグのヘッドホンなのですが、実家に帰った際に、添付品の標準プラグへの変換アダプターを鹵獲し、初めて使ってみたのです)。引っ越し当初に買ったラジオペンチを持ち出してみるも、太り気味のため、届かず。マイナスドライバーを2本使って挟みだそうとするも、力足りず。
 
「しゃーない、学校へ行ってピンセットを取ってくるのもめんどくさいし、細身のラジオペンチを買いに行くかー。この先、パソコンでも自作するときに必要になるかも知れないし。それにうまく(?)いけば、「東京トホホ会」に投稿できるかも知れないしなー。(今思えば、パソコンネタではありませんが、そのときは結構本気で考えました)」
比較用にラジオペンチをジャンパーのポケットに忍ばせ買い物へ。(この辺は「トホホ」的ではない)105円ショップ「ダイソー」に行きました。ノーマルペンチは存在しました。毛抜きもあったのですが、ジャックに入れるには太りすぎのような気がしました。「大丸ピーコック」には、思いっきり同じ形のラジオペンチがありました。(たしか、手持ちのものは西友で買ったのです。)第一家電にはラジオペンチはあったものの、「激やせ」ではなく、手持ちペンチの8割程度の太さでした。また、2500円(ボリすぎ)だったので、2分ほど手持ちのペンチと見比べた後、買うのを止めました。「ここで購入し、そして使えなければ、間違いなく投稿できるな(文壇デビュー)」と思いましたが。青梅街道へ出て、自転車屋を探すも見あたらず、金物屋は営業しておらず、学校近くにオープンした「ラジコン屋」も思い浮かんだものの、営業しているか分からないため、足を運ぶ気にはなれず(歩くにも、帰宅してチャリンコに乗り換えるにも大変)。文房具屋や居酒屋を覗き(半分がたフィクション)、とりあえず、毛抜きでもゲットしようかなーと「ダイソー」へ向かったところ、「ピンセット(先が曲がっているタイプ)」が陳列されていたのです。
「安物っぽくて、力が加えられそうにないなー」と思いましたが、「まあ、100円だからいいか」と。
 
結果からいうと、何とか引っこ抜けました、「楊枝的物体」。
コツはなるべくピンセットの先端近くを持ち、加えた力がピンセットの弾性変形に使われないようにすることでしょう。まあ、今世紀中(あと700日強)にそんな事態(楊枝的物体)に遭遇するヒトは、世界で18人くらいだとは思いますが。

夢の不思議

今朝見た、--正確には今朝起きる間際に見ていた--夢はかなり妙な夢だった。

青梅線のとある駅から程近い宴会場だった。その会場(自宅の2階)を提供してくれたのは、大学の後輩として親しくなった松坂大輔クンだった。大学時代の同窓会を久々に開くことになり、20畳ほどの会場には、だんだんと人が集まりつつあった。
(中略)
「なんだか最近、よく見るんだよねー、大学時代の夢。(笑)」
「それも、4年のときの夢で、「この授業を落としたら、卒業できない」ていうパン教の授業が行われる朝、気が付けば8時過ぎ、どう頑張っても遅刻は免れない状況でさー、なおかつ学校へ行くための荷物がまとまらないし、どうしよう・・・・って。」
(中略)
これが新しい「ウメッシュ」かー(ごくごくごく・・・、こんなもの一気したら酔っぱらうなー)。

と、ここで目が覚めた。
「青梅線のとある駅」のルックスは「新小金井街道と中央線の立体交差上の駅」という感じだった、今思えば。駅名は未だ分からない。夢のなかで夢について語っているのが不思議だが、他の同級生が「よお、久しぶり!」という友達に、私は「この前会ったばかりだな。(笑)」と会話を交わしたのもかなり不思議だ。その友達とは、夢の世界ではちょっと(夢の世界で1ヶ月)前に再会していたのだ。実際の世界では、この数年間会っても喋ってもいないのだが。
最後に飲んだ「ウメッシュ」は、レギュラー缶とロング缶の中間の容器に入った、従来品の2倍の度数をもつ新製品だった。一気飲みした後に目が覚めたのであった。

めんばーずかーど考

ここのところ、ちょっと気がかりなコトがある。それは、「メンバーズカード」に関わる問題である。厳密に言うと、「お買いあげ毎にスタンプを押印します。ウン十個でウン百円のお買い物ができます。」という類のカードのことである。

日曜日、白衣と冬物のスーツをクリーニングに出した。通い付けのクリーニング屋発行の「5月31日まで有効」の2割引チケットを使用していないことに気づいたからだ。そして無事2割引で白衣・スーツをクリーニングに出した。それらは本日仕上がりだったのだが、私はそのことを忘れてしまった。恐らく明日回収することだろう。
今日行こうが、明日行こうが、どちらの場合でも問題になるのだが、そのクリーニング店には私にとって苦渋の選択を迫ってくる店なのだ。なぜなら、「仕上がり当日及び翌日にお引き取りくださったお客様には、カードにスタンプを押印します。」というシステムの店であるからだ。
数ヶ月前までは、「当日及び翌日にお引き取りくださったお客様には、チケットをお渡しします。」というシステムだった。チケットを何枚か集めれば、金券として使えるというものだ。これは楽だった。きちんと引き取りに行けば、勝手に向こうがチケットを押しつけてくる。そして勝手にチケットは貯まっていく。

しかし現在は前述のシステム(スタンプ制)になっているのだ。未だに私はポケットにメンバーズカードを忍ばせたまま、店員さんの「カードはお持ちですか?」の声を待ち続けている、その店で。

ゴキブリの学習とその末路

ゴキブリの学習能力についての話題です。

このあいだ、夜中というか朝方にトイレに起きて電灯をつけたところゴキブリに遭遇。その日の私は割と穏やかなココロだったので、「それで隠れているつもりかい、丸見えだよ」と見逃しました。

その日、お勤めから帰って電灯をつけたところ、またもや遭遇。見逃してやりました。

更にその後、電灯をつけたら、ゴキブリがいました。全然動じていません。隠れる素振りも見せず、放置された使用済み麦茶パックを囓っていました。
さすがに「おまえはそれでもゴキブリか?」と思い、そのゴキブリを潰しました、優れた遺伝子を残してやるためにも。

「マジカル頭脳パワー(なんちゅうネーミングだ!)」って、9年間もやってたのですね。歳もとるわけだよ。

オゾンを浴び、湯を浴びた日

この日記は学校で書いている。
今日は祝日で休業日なのだが、コンピューターの置かれた部屋の中で、高校1年の指導要録の印刷(パソコンによる打ち出し)の監視をしつつ、化学実験のレポートを添削していたのだった。かなり部屋の中はオゾン臭いはずなのだが、分からなくなっている。
とりあえず、調査書の原稿書きも終わったし、レポートの添削も終わったし、婆さんの喪中のハガキも出してあるし、年を越せそうな気がしてきた。
現在、打ち出しは1年8組の途中である。
こういった書類の作成は、異様にプリンタを占拠してしまうし、人がいない時間に行うことが多い、今日みたいな。かれこれ5時間弱印刷機が動いている。かなり電力を消費しているのであろう。新しい校舎になり、生徒用のパソコン40台と、最新型のレーザープリンタ(4台:ゲロッ速)があるので、そちらの部屋で指導要録を印刷するという手もあったのだが、プリンタが変わると、Accessの設定を微妙に変える必要があるかも知れず、混んでいるこの部屋(現在プリンタは1つだけ)を見た昨日、「明日(つまりは今日)、印刷しよー」となったのだ。
あと、2人くらいで8組の分も終了しそうである。9組の分は印刷の司令だけ出して、帰宅してしまおうかとも思ったが、とりあえず、クリーニングに出しっぱなしのスーツを取ってくることにしよう。

そして印刷は終わり、涼しい?アパートへ執筆場所は移動した。
先ほど、久々に風呂に入った。さすがに体が普段よりポカポカする。学年の忘年クリスマス会のプレゼント交換でゲットした入浴剤を使ったのだ。普段はシャワーしか使わないのだが、せっかく頂いた入浴剤なので使用してみた。
湯に入ってしばらくすると、浮遊物が現れはじめた。「さすが外国製の入浴剤だ」と思った。が、よく考えるとそれは風呂にこびりついた水垢がはがれて浮いてきただけなのだった。

塩化水素吸引事件

パンクしたチャリンコを愛情込めて治し、長らく行けなかった床屋へ行き、職場の組合の忘年会の会場を予約し、買おうと思っていたズボン(パンツ?)を買い、行ったことがなかった荻窪のバッティングセンターに行ったりした。なんて書いていても、もろに日記でつまらないので、『塩化水素吸引事件』について書こう。

前記の『卒業論文』を読んでいただければ分かるのだが、30本前後のペットボトルを収集し、それを洗浄する必要があった。どれだけがんばっても1人で1.5リットルの清涼飲料を30本は消費できないので、家族や(コーラ中毒の)親戚に手伝ってもらい、何とか容器は収集した。そして洗浄の際、その事件は起こったのであった。

塩酸(HCl水溶液)を薄めて、容器の洗浄に用いたのだが、その際ホールピペットを用いた。チナミに余談であるが、「ホール」は「whole」なのですよ、知ってました?私は数年前まで知りませんでした。「hole」つまり「穴あきピペット」だと思ってたのです。「全容ピペット」という表現を何処かで眼にして、辞書を調べて知った記憶があります。まあ、「駒込ピペット」の由来も今ひとつ不明なまま放ってあるのですけど。(駒込ピペットは駒込病院で開発されたそうです。:後日記す)
で、余談は終わるのですが、まあ大体予想はつくでしょう、それなりに理科実験をしたことのあるヒトならば。

高校時代からホールピペットに慣れ親しんでいた私は私の技を過信していました。「ホールピペット」は口で吸うのが"通"だと思いこんでおり、その日も吸ったのです、濃塩酸の原液を。
塩酸は塩化水素の溶液でありますので、吸った瞬間、「ん"っ」となりました。もし硫酸だったらそれほど問題なかったのでしょう、不揮発性だし。

口の中に気体のHClが満ちたのが分かりました。詳しく言うと、歯の裏側がクワクワなったという感じでしょうか。「これを気管や鼻に送ったらまずいっ!!! と言っても、ピペット中の液を容器のガラス瓶に逆流させてもまずい! 取りあえず、この1回は我慢だっ!!」と、口腔付近の筋肉、具体的には舌の奥と軟口蓋を使い、横隔膜や胸郭を作動させずに、取りあえずそれなりの量の濃塩酸を確保しました。一息ついた後、口をゆすぎまくりました。

それ以前に「スーパーレモンキャンディー」一袋を食べきり、気がつけば歯が溶けていたことがあったのですが、それ以上に歯が短時間で溶けたと感じました。まあかなり馬鹿でないと体験できないでしょう、どちらも。

チナミにその後安全ピペッターの操作も熟達しました、濃塩酸を扱う際に。

皮膚癌発病疑惑(1)

ヤツらは突如出現した、手のひら全面を覆うかの如く。その直径数ミリの黒い斑点に気づいたのは、初夏のある日の事だった。 

皮膚の「ホクロ」はメラニンが集まっている領域であり、気にする必要はない。しかし、手のひら、足のひらにはメラニンはできない。もし、そこにホクロができたら、そしてそれが成長し始めたら、注意しなければいけない。何故なら、それは癌かも知れないから。

そう、ヤツらは癌かも知れない。ガンかも知れない、ガンかもしれない、ガンかもシレない、ガンカモシレナイ・・・

皮膚癌発病疑惑(2)

「俺は癌を発病したのか?噂に聞いていた『自然館地下の放射能』に犯されたのだろうか?でも、地学科の教授で癌になったヒトって聞いたこと無いなぁ。やっぱり長年の飲酒がまずかったのかなぁ。タバコは吸わないのだがなぁ。」などと悶々?と過ごした日々の後、異変が現れた。
出っ張ってきていたホクロを引っ掻いたところ、その黒い斑点の最も大きなモノが剥がれ落ちたのだった。折しも、そのころ巷ではラルフローレンのボタンダウンシャツが流行っていた(私は今も昔も持っていない)。

剥がれ落ちるとかけて、ラルフローレンととく。そのココロは

「ポロっ」

皮膚癌発病疑惑(完結)

結局のトコロ、1週間にわたって鉄乳鉢(というモノがあるんです)で岩石を砕き続けていたところ、その微細な破片が皮膚にめり込んでいたようなのであります。私のカラダは「何じゃこりゃ?こんなモノいらん!即排出ナリ!」と、適当な部署?(皮膚における何らかのユニット)毎に其の破片をまとめていたらしいのですな。その黒いもの(鉱物の集合体)を見て、私は「癌?」と思ったわけであります。
癌ではないことに気づいたとき、生命は偉大だ(良くできている)と改めて思ったスヨ。

パソコン破壊未遂

私もコンピューターに詳しくなったなぁと思います。

一応『パソコン破壊未遂』なんて題名を付けてみたものの、実際には微妙に破壊していたと思うのであります。ウィンドウズではないものの、パソコンの電源をバチバチ切っていたので。

パソコンの終了って簡単じゃないですか、特に昔のパソコンは。今のパソコンはソフトウェアスイッチになっているので、数秒間押していないと電源が切れない。しかし昔のキカイは電源ボタンがへっこんでれば「ON」、へっこんでないときは「OFF」とマコトに簡単だった。
卒論作成当時、NECのPC98(もしかしたら互換機だったかも知れない)とその上で動くMSDOSをインターフェイスに用いた「原子吸光分析器」を使っていたのです。で、測定が終わったら平気で電源切ってました。測定されるデータが気に入らないときも、原子吸光のキカイのモーター(!)が動作中に容赦なくバツッと。
で、ある時それを教官に目撃されたのですね。「な、な、な、何なんだ君は!?」って感じで。かなり穏やかな化学のセンセイが、やたらと興奮しているのを見て、「あれ?何かまずいのかな?」と思った私だったとさ。

そして今があるのですね。合掌。

アニメと広告

立て続けに日記を書く。日記なのだから当たり前かも知れないが。
「アニメ」と「広告」の話題について記そう。私の記憶ではそれは2、3年前からの現象なのだ。

その発端は

医薬品(水虫の治療薬など)のテレビCMにおいて、そのCGアニメを見る限りでは、薬がすべての白癬菌の細胞膜を破壊してくれるような表現がなされているが、それは過当広告に当たるのではないか?

という新聞か何かの記事だったように記憶している。

だんだんにその思想はテレビ業界・広告業界に浸透していったようである。あたかも白癬菌のようにじわじわと。テレビCMを「その気になって」見ていれば気づくというようなレベルではあるけれども、それ以来白癬菌は「全滅せず」ニキビ跡は完全には「消えず」虫歯菌は「一掃されず」という状況、すなわち『3"ず"』となったのだ。
ほのかに笑えるではありませんか。以上、そんだけ。

家賃滞納につき?

今朝、ガスが出なかった。「おなら」ではなく「都市(13A)」のほう。
家賃を払い忘れていたからかと最初は思ったが、東京ガスに電話したところ「そういう操作はしていない」とのことだった。まあ当たり前である、東京ガスには契約通りの支払いをしているし。
結局のところ「メーターの電池が切れた」とのことだった。ホントかどうかは分からないけどね。家賃の滞納(昨日「フドーサンヤ」から電話で知らされた)という契約違反をした以上、これからはその不動産屋(杉山商事@阿佐ヶ谷)に強い態度で臨めなくなってしまったのがチョット残念。今日は奮発?して2ヶ月分振り込んでおいた。滞納したという事実は変わらないけど、謝意の表出として。

さようなら麻混のスーツ

いつかその日が来るであろうコトは予想していた。そしてその日は来た。それは昨日のこと・・・

お勤め先の学園祭の2日目の朝、オガワマサキ(30)は前日から考えていたとおり、麻の交じった生地でできたスーツを手に取った。スーツを着る回数が年々減り、入学式や卒業式、保護者会や学校説明会など、学外の人に接するときくらいしか袖を通さない昨今であった。完全に秋の気配であるここ数日、買ってからほとんど袖を通していない3ボタンスーツ。今シーズンは今日以降着る機会が無いであろうと、埃よけにかけてあったクリーニング屋のポリ袋を破ろうとしたとき、厭なものを眼にした。
カブトムシの幼虫の20分の1模型のような小さな虫と、その抜け殻らしきものがスーツの左胸のあたりに存在していたのだ。

簡単に言うと、「虫に食われた」のであります。今までは運良く、大した害を被ったことは無かったのですが、見事に侵蝕されていました。麻混のウールってのはおいしいのでしょうかね?同じ虫は紺のダッフルコートにも居たのですが、そいつは非常に厚手だったせいもあるでしょうが、被害を受けた形跡はありません。その薄手のスーツのパンツは面白いくらいに穴があいていました。ジーンズも、裾がすり切れているのは許せるのですが、ひざの抜けたジーンズは一生涯履くつもりはない私ですので、その直径数ミリの穴がポツポツ空いたパンツ、速攻処分しました。
救いだったのは、その日は感動するくらいに空が青かったことです。その前日も風が強かったから、空気中の塵が一掃されていたのでしょう。まあ、スーツを失った悲しみが私に空の青さを再認識させただけなのかも知れませんが、文化祭の天候としては申し分のない空でした。明日は体育祭であります。空の下で行う方が健康的というか、馴染みが深い気がするのですが、校庭が狭い関係上、東京体育館で行われるのですな。「暑さ寒さも彼岸まで」ってのは「病は気から」くらいに印象深いことわざ?であります。そんな秋。

ヘドジェクトX

「あほネタ」が身上<しんじょう>であるこの日記なので、披露しておきましょう。

部屋を数週間ぶりに掃除していたある日、謎の白き物体に遭遇した。フローリングの床を水拭きしていたときのコトであった(田口某風<たぐちなにがしふう>)。
長さ2mm直径1mm内外の円柱が其処彼処<そこかしこ>に存在していたのだ。
「なんじゃ、こりゃ?イモムシの糞<ふん>に似ているなぁ。」と思ったオガワだった。この第一印象がこの物語の行方を決定していたことに気づいたのは、その数ヶ月後のことであった。

ヘドジェクトエーックス(エーックス、エーックス、エーックス・・・・)

ヘドジェクトX 続き

「♪ハゼの中のメバルー、フナの中の金魚ょー」

その物体は部屋の隅に多かった。そりゃそうだ。ゴミも埃も部屋の隅にたまる、掃除を怠っていりゃぁ。
調査を続けていたある日のこと、部屋の隅に中途半端にたたまれた状態で佇む敷布団と、さらにその下敷きに使っていて同じく中途半端に丸めてある封筒型の寝袋の付近に、その「白き円柱」が存在しがちなコトにオガワは気づいた。「糞の主は布団に棲んでいるのか?」
オガワは指示を出した、「徹底的な調査をせよ」と。後にオガワ氏は語った。「最初の頃、ヒトは彼をバカにしました。『円柱形の糞をするような、そして布団に棲むような虫が存在するのか?大体、布団には穴があいていないじゃないか!』と。しかし、彼にはそれくらいしかできなかったのです。     いや・・・、正確に言うと、ただ思いつかなかっただけなのかも知れません・・・・・。」

ヘドジェクトエーックス(エーックス、エーックス、エーックス・・・・)

注:何だか、登場人物が多くなっている気がするかも知れませんが、登場人物は私オガワ一人だったりします。

ヘドジェクトX 続きの2

オガワはとりあえず布団を干した、以前よりはまめに。しかし、気にすれば気にするほど円柱が眼に付くのだった。
「こうなれば『お国』のために死ぬしかない。」とオガワは思わなかった。『プロジェクト某』ではないので。(打ち消し多すぎ)
しかし、謎の節足動物が棲むかも知れない布団の上に寝ているという思いこみは、オガワを確実に蝕んでいった。
オガワ氏は宣う。「あの頃の彼の姿は正視に耐えませんでした。鏡を用いてその姿を確認するのが精々でした。スミマセン、オガワさん・・・・・」

ヘドジェクトエーックス(エーックス、エーックス、エーックス・・・・)

ヘドジェクトX 続きの3

オガワは気づいた。布団の上の寝袋の上と、その近くの床の上に円柱が存在していることを。
寝袋は化学繊維で作られているので、虫がつくはずがない。化学(有機高分子)と、生物(代謝の仕組み・進化の速度)の知識があれば、アッタリ前なのである。円柱を虫の糞と認識していたことが間違いの元凶だったのだ。やっぱりオガワはバカだった。
その円柱の実体は何なのか?我々(誰?)は更に衝撃的な事実に遭遇する。

ヘドジェクトエーックス(エーックス、エーックス、エーックス・・・・)

(BGM ハゼの中の・・・)次回のヘドジェクトエックスは「僕は死にましぇん、クニのためには~後編~」をお送りします。謎の円柱の正体とその奇跡的な成因について、オガワ氏は気づきました・・・・。
どうぞお楽しみに。

ヘドジェクトX 最終回

「♪反吐かい?ゲロかい? わしは、まだ、飲み足ーりなーぃ」

大分連載に飽きてきたので、一気にカタをつけます。
信じられないかも知れませんが、その謎の円柱は自動洗濯機用合成洗剤の一部だったようです。具体的な商品名を挙げても良いのですが、新聞屋さんからの貰い物でもある手前、それだけは私の胸に納めておきましょう。
何なんでしょうか?数年前に貰った洗剤でもありますので、空気中の酸素とか二酸化炭素と反応して、予想外の物質が生じたのかも知れません。実は、最初から研磨剤?として混ぜられていたのかしら?笑っちゃうのは、綿ゴミ収集ネットの中にバッチリ集まっていたことです。当然のコトながら、水には溶けない。部屋に落ちていた「元糞」を濡れた手で潰そうと試みるも、相手は動じるところを見せず、指先に堂々と存在し続けました。

ふと思ったのですが、今日の日記は怪しい趣味を持った方が間違って訪れてしまいそうな単語が並びましたね。俗に「スカト○」って呼ばれる世界ですな。試験の採点も終わり(ほぼ予想通りのできぐあい)、調子に乗りすぎました。以後気をつけます。

自意識過剰

阿佐ヶ谷の東急ストアにしろ、西友にしろ、大丸ピーコックにしろ、ミョーに買い物袋をくれると思っていたのです。「そんなにサービスしてくれなくても良いのに。そんなにサービスしたくなるほど、私は男前なのか?ふふ、儂も罪作りな男よ。」なんて。
今日、閉店間際の東急ストア(何故東急ストアを使う頻度が高いのかといえば、大学時代に大変に世話になったヨッパライの先輩が東急百貨店に勤めているからなのである)でこう聞かれた。「袋は二重にしますか?」と。
別に私が男前だからポリ袋を余計に貰えたのではなく、持ち運びの袋を二重にしたいという要望を持つ客が多かったから、それらのスーパーは袋を多めに配布していたらしいことを知った。そういえば、他の人が貰っているポリ袋も基本的に多めだったような気もする。
たまには多少笑える話を書かねばと思い、記してみた。

型落ちの週刊誌

くだらなすぎるような、でもそれなりに笑えるようなハナシ、こんなページを訪れてくれるあなたに贈るッスよ。

午後7時過ぎ、普段よりは早めに職場を退出した。作りかけの試験問題と教科書・ノートその他を持って。
世の常・人の常でありましょうか?やらなければいけないコト(試験問題作成)をさておき、CD屋と書店を巡ったのでした。
買ってきたCD(3枚中の1枚)を再生しつつ、飲酒しつつ、買ってきた『週刊アスキー』を読んでいた。

最初のページから真面目に読み進み、「福田有宵先生の誕生月占い」にたどり着いた。
そのページには5/7→13と書いてあった。
???今日は5月16日???なのに。

何故に型落ちの週刊誌が書店に置いてあったのだろうか?
私の見る限り、『週刊アスキー』はこの1冊しか見あたらなかったノダ。

私が『週刊アスキー』を買う理由の1つは『カオスだもんね!』を読むためであったりする。その型落ちの雑誌が扱ってた「大谷石採掘跡地見学」、私の幼かりし頃の記憶を蘇らせてくれた。あの空間に気が向いたら行ってみようかと思わないことも無いが、多分行かないだろうね。ただ、小学生の私が夏休み恒例だった父方の親戚旅行で「大谷石採掘跡地」を訪れたときの印象は未だに私の中に残っている。「大谷石」ってのを卒論で扱ったのも、その時の強烈な印象が(実験材料である石の選定に)影響を及ぼしているのであろうと思います。

ハネモノ

パチンコって、ハマる気持ちは分かります。近年、私はほっとんどやらないけど。
私が結構パチンコに傾倒したのは、大学を卒業して1年目か2年目あたりの頃、何しろ非常勤講師時代のコトである。
大学時代に同じクラスだった、3浪して大学に入ったという、料理人バイターでバイク野郎で、確かその当時も産休補助教員の「こにP」というヒト(現一児の父親)から誘われ、調布のパチンコ屋に行ったのでした。「オガワちゃーん、調布のパチンコ屋、出るんだよー。来なぃー」と。その時、私は始めて真面目にパチンコ台に向かったのでした。
結論から言うと、その日は8000円くらい突っ込んだ時点で当たり始め、最後は2箱くらい飲み込まれたものの、差し引き9万円くらい儲けさせていただきました。10箱以上出たわけですよね、結構大きな「ドル箱」の店だった。その当時における私の月給の半分以上を数時間で得たのでした。結局、その後数ヶ月パチンコ台に向かうものの、転落の一途。「多分9万円以上つぎ込んだな」と思った時(実際はもっとつぎ込んでいたと思います)、パチンコ・パチスロからは撤退しました。ま、勝ち続けるわけは無いですね。パチスロもビギナーズラックで当たったのでした、池袋での単独行動で。その時は大当たりしているのが分からなかったので、当たった分全部飲まれちゃったのでした。

で、何でそんなハナシかというと、spitzの新曲が『ハネモノ』って題名だからだったりする。パチンコ中毒後期、ハネモノに凝りましたね、江古田とか池袋とか、東長崎とかで。見ていて当たりが分かるから面白いのでした。今でも有るのでしょうかねぇ「ハネモノ」?

で、何でそんなハナシかというと、HMVってレコード屋(表現古すぎ?)有るじゃないスか、新宿南口に。その店に行ったんですよね、本日の講習の帰りに。欲しいCDは結構昔のものだったので、それくらいデカい店じゃないと置いてないと思ったから。
で、spitzの新曲『ハネモノ』のハズなんだけど、その店の曲紹介の印刷物、ぜーんぶ『ハネモネ』って書いてあったんですよね、そこかしこに。んー恥ずかしいでしょう、HMVの関係者のアナタ(そんなヒト、このページに来るんかい!)。アネモネって花は有るらしいけどね。

草野マサムネってヒトは「パチンコまにあ」なのかなぁ?以上、徒然なるままに記させて頂きました。

そう、一昨日はこれから記すネタを書くつもりだったのでした。私の人生における、最低最悪の日について。

(おとといの)学校説明会、夜の7時から始まるのでした。私の勤め先、そんなにわかりにくい場所じゃない、ってか、相当分かりやすい場所にあるのですね。しかしながら、何だかんだ言って、初めて来ていただく方には案内も必要でしょう。私はJR阿佐ヶ谷駅近くの交差点(って程広い道じゃないけど)に道案内役として立っていたのです、18時から19時頃まで。
ただ道端に「突っ立って」いても、意味が無いですわな。同じ場所に朝方立っていて、道行く生徒が私の顔を知ってりゃ「登校指導の教師」と認識するでしょうけれど。
「サンドイッチマン」、雇用機会均等法的には「サンドイッチパーソン(googleでも3件しか引っかからなかった、なんか嬉しい)」?として、中央線の高架下に佇んでいたのですよ、小一時間程。

ヒトって、興味があるものはとりあえず見ますよね。聴覚・嗅覚・味覚・触覚よりも、まずは視覚でしょう。
私もそうです。気になるものがあると、知らないうちに凝視してたりする。
阿佐ヶ谷駅近くの「サンドイッチマン」、確かに私も見たこと無いわ、よく考えてみれば。そんなわけで突如現れた「オープンサンドイッチマン(背中側には看板をかけていないオガワマサキ)」、かーなり視線を感じましたね。私も暇だったんで、道行く人を観察してたし。チナミに、説明会自体は40組弱の方々が訪れてくださったようでした。間違えました、4万組でした。
私自身は十数組が私の前を通過したと認識していました。オツトメサキに来てくれそうなヒトは、何となく分かりましたね。で、面白かったのは道行く通行人とのデキゴトであります。
私と眼が合うと、ほぼ全てのヒトは目を逸らしましたね。ま、そうかもね。思えば「サンドイッチパーソン」ってうつむき加減の人が多いですわな。新宿でも、上野でも、池袋でも。晴れがましいのはボクシング等のリング上の「ラウンドパーソン(googleで0件!)」?くらいでしょうな。

目を逸らされながら思いました。「この感覚、懐かしいなぁ」って。
「最低の日」は一昨日ではありません。それは1990年の冬のコト、変に(いや、その場に於いては「当然のこと」として)目を逸らされてる私が存在したのです。

最低最悪の日 第1回

武蔵小金井は「養老の瀧」、歩いて旅するサークル「伸歩会」の宴会が終わった。飲み足りない酔っぱらい数名は大学敷地内の部室へ戻ることを決めた。夜通しで飲む覚悟を決めたのだった。12月の寒い晩のことだった。
およそ30分後、部室に着いた。
部室には陶器の湯飲みがあった。酒も買ってあった。私はバイクの運転を友人から教わっていた。湯飲みは埃を被っていた。部室近くには水道がなかった。
私は湯飲みを水道で濯ぐために、バイクを借りて外出するのだった。無免許・酒酔いでの大学構内ツーリングなのだった。

以下次号。

最低最悪の日 第2回

「やべ。」ガラスの割れる音、二灯式のヘッドライトも消える。「ゴメン、伊藤。」彼の新車はホンダAX-1だった。

酒酔い・無免許、加えて視力不全の私は転けていた。記憶では3速全開からフルブレーキ。シケイン(クランクカーブ?)を回避する為にハンドルを切りながら。そりゃ、転けますわな。

こんな文章記す暇あったら、試験問題作成しろという内なる声。

最低最悪の日 -休憩-

中学2年生用の理科試験問題、残り30点分ほど作成する必要があるのだけれど、家に帰ってしまうと飲酒の道を突き進んでしまい、恐らくろくに試験問題が作成されないだろうから、職場に残って試験問題の作成を続けているのだった。緑茶をがぶ飲みしながら。
とか言いながら、こんな風に「日記作成」という逃避に走っている私なのだった。

およそ12年前のバイク破損。親に修理代を立て替えてもらったのでした。十数万かかったっけなぁ。伊藤(本名)がそのバイクに乗っている間、私は気が気では無かった、「あのバイクで彼が事故ったら、私に相当責任があるなぁ」って。幸いなことに、彼は事故る前にそのバイクを売っぱらった。ヤマハのserowに乗り換えたような記憶があります。

事故車って、圧倒的に扱いづらくなりますよね。私の実家には以前180SXなる日産の車があったのです。シルビアのクーペ版ね、知らないヒトはとことん知らないでしょうし、知ってるヒトは「ワンエイティ」については解説要りませんな、恐らく。ちなみに排気量1800cc版の古いタイプでした。古いタイプの方がフロントがかっこいいと思いますね、私的には。で、その180SXはもう既に実家には無いのですが、アクセルを床まで踏み込めば平気で180km/hに達しましたね。そしてリミッターがかかるのでした、ただし妹がその車で事故るまでは。

ある時(妹の事故後)に乗ってビビリましたね、140km/hくらいのスピードを出すのが怖いのです。ハンドル近辺が変な振動を起こすのでした。事故以前は高速道路上なら普通に140km/hで巡航できたはずだったのに。ってこれも法律違反ネタですね。ま、現在の私はあまりにも車に乗らないから「ゴールド免許」になってますし、時効ですね、時効。

目を逸らされた話はいつ頃出てくるのでしょうか?
試験問題の作成を再開しましょうかね。そんな19時17分。

最低最悪の日 第3回

「PIXUS」ステキー、速くて綺麗。はっきり言って過去最高の賀状ですね、私が作成した中では。coming soon. 刮目し、待たれい!

で、目ぇ逸らされた話ですか。

私の記憶に次に現れるのは、右目の前にある地面ですね。ま、バイクでコケりゃ、地面に顔面を

最低最悪の日 第4回

ぶっつけることもありましょう、転けたわけだし。
立とう!と思って両手を地面に当てた瞬間!

最低最悪の日 最終回

「くるーん」地面が回った。

実は自分が回ったのだった。
転倒の際に紐がすり切れたスニーカーが吹っ飛ぶ。闇に弧を描きつつ跳び去るコンバースのローカット。

 <中略>

血まみれで始発電車に乗る私だった。目を逸らされながら思いました。「そりゃ、血まみれのヒトとは目を合わせたがらないだろうなぁ」って。

3ヶ月間、自分の足では走れませんでした。以上で「目ェ逸らされバナシ」終わります。

賀正

最低最悪の日 後日談

あと6時間後には職場のガッコに居るのだろう、私は。

無免許・酒酔い・視力不全でバイク運転・転倒して、キチンと教員として生きていられる私みたいなヒトも結構珍しかろうな。そしてこれほどの文才。えっ、気のせい?
そのバイクの持ち主は今週末に結婚式を挙げるそうな、めでてー。
そんな彼も僕も、国立大生だったから大学の学費を税金で立て替えて貰ってたワケでもある。ま、全ての大学教授・高等学校教諭・中学校教諭・小学校教諭・幼稚園教諭・保育士・その他議員や公務員を始めとした公僕、現在の私が養ってやっているわけであるけどさ。持ちつ持たれつ?自己努力?
翻って大学時代、バブル期にあやかってバイトした金で飲んだくれていた頃は、そんなこと考えなかった、気づかなかった。自分の親からは「学費がかからないように、学校は公立に行ってくれ」って小さい頃から言われてたから従ったまでのハナシなのだったりして。自慢、いやらしすぎ?

職場の先輩であり、私立大学出身のセンセ(鈴木ヒロコ)に、この「バイク転倒話」を披露したとき「学費払ってあげてたんだから、ちゃんと勉強して欲しかったわ(プンプン)」って言われて気づきましたねぇ、この根深き問題。

最低最悪の日 詳細

バイク転倒話、もう少し詳しく記しましょう。

はっきり言って、死んじゃってもおかしくない状況だったと思いますね。
転倒時、シャツ両胸のポケットには陶製の湯飲みが2つずつ入ってたのですが、転倒時に砕け散ったようでした。しかしながら、幸運なことにその破片、特にどこにも刺さったりした気配はありませんでしたね。で、転倒後しばらくぶっ倒れて天を仰いでいました。空を覆う松の木を眺めていたのは何秒間なのか、あるいは何分間だったのか、何を考えていたのか、何も考えていなかったのか...。今となっては分かりません。
で、夜空を見上げるのを止め、立ち上がろうとしました。が、うまく立てませんでした。右足に力がうまく入らないのですわ。膝を相当痛めてしまったみたい。

今だからこそ笑って記せ?ますけど、その時は相当動転していたわけです。足を引きずりながら、とりあえずその湯飲みの破片を回収しました「他の車がパンクしちゃいけない」って。謎な行動ですな。ま、現在でも私は「あやしい」らしいから、結局のトコロ「普通」の行動だったのかもしれない。意味不明。
で、次に吹っ飛んだ靴を回収しました。コンバースのオールスター、その紐がことごとくすり切れていました。とりあえず、それを足先につっかけましたね。履いていた黒のリーバイス501の右ひざは抜けており、そのウォッチポケットも剥がれ落ちかけていました。コーデュロイのシャツとその下に着ていた綿製ハイネックは肘の部分まですり切れていましたね。
出血部位はどれも擦過傷の様子でした、よく骨折しなかったものだ。これは部室に帰ってから確認したのですが、右目の横と右肘下2箇所、右手首、右膝2箇所から流血してましたね。さらに後から思ったのですが、膝の靱帯は何本かぶっちぎれたのでしょう。

で、借りたバイクを確認しました。エンジンはストップしていました。バイクを立たせ、またビビリましたね。前タイヤの方向とハンドルの方向が違っちゃってるんだもの。相当本気で転んだことに気づきましたね。1万円札に羽が生えて飛んでく姿を見たのはこの時が最初で最後であります、現在のところ。
くどいですけど「飲酒」してましたから、どの程度の転倒だったのか、そのトキはいまいち把握できていなかったのですな。鉄が歪むくらいの衝撃があったこと、その時にやっと気づいたのだった。
ギアが入ったままだとバイクを転がせないのでニュートラルに入れ直し、痛む足を引きずりながら学芸大構内でバイクを押して歩いたのですね。少なくとも30分くらいは時間が掛かったはずです。そう、あれは1990年12月。

「あいつ、遅せえなぁ」ってコトで私の探索に赴こうと、寝込んでしまった酔っぱらい1人を置き去りにして部室の扉を開けた酔っぱらい2人は、バイクを押す血みどろの酔っぱらい(私)に出会ったのでした。向こうも相当ビビッたそうです。


日本もイラクへの戦争協力を拒否するコトは無いのだろうか?ドイツやフランスのように。
まさに今この瞬間(私の文章作成・あなたの閲覧時)にも地雷の製造をしてるヒトがいることが不思議。「労働」って何なんザンショ?

燃え上がれ

私って、もろに『機動戦士ガンダム』世代なのですね。しかしながら、その続編であるらしい『Zガンダム』とかには興味はないのだ。あくまでも単なる『機動戦士ガンダム』なのですな。ま、機会があったらその続編やサイドストーリーなぞをレンタルで借りて来ようとも思ってはいるが、そんな暇は今のところ無いのだな。今、改めてWeb上で探索してみたら、私が本気で見てたのは、東京での再々放送だったことが分かった。小学校5年の時だったのですねぇ。最終話は3学期だったように記憶していたけど、それで正しかったみたい。
その最終回、「カツ・レツ・キッカ(子供3人組)」が「ア・バオア・クー(宇宙要塞)」を脱出しようとする「アムロ」に対して、テレパシー(ニュータイプの特権?)で指示を出すじゃないですか。「右だよ右」とか「そこで曲がって」とか。最終的には子供3人組が「3・2・1、やったー!」って言うと同時に、ブッ壊れかけた「コアファイター」に乗ってアムロが脱出するのですな。結構泣けそうになりますね、思い出すと。そして、メチャメチャ思い出し笑いをしそうになる。ってか、今も笑いを堪えながらこの文章を記してる。

今は製薬会社で研究職をしている彼、前日の放映の真似をしてたのですな。そう、小学校5年生の3学期、給食の時間のコトであります。
「3・2・1、やったー!」って万歳したら、指を盆に引っかけてたみたいで、その日の給食をアルミ製のお盆ごとぶちまけてしまったのです。ムチャクチャ悲しく、そして笑える。

給食を食っているときに、牛乳飲んでるヤツを笑わせるって遊び?は必ずありますよね。あれは牛乳が白いから面白いってのもありますね、鼻から白い筋が流れるってのは視覚的に面白い。鼻血の赤も間抜けで笑えますよね。で、更に悲しくも笑えるコト、それは牛乳を吸収させた「布きれ」の臭さ。
今でこそ雑巾を濯いだり絞ったりってコトは簡単にできるけど、小学生は掃除も嫌いなら握力・腕力も足りないだろうしねぇ。

で、『機動戦士ガンダム』、画期的でしたよね。その当時は私も夢多き小学生だったから、自分が爺さんになる頃には「スペースコロニー」とかが空(ってか宇宙)にボコボコ浮かんでいるもんだと思ってた。ホントはこれから本題に入る予定だったんだけど、文章作成するのに疲れたからこの辺で止めておく。

はい、例によって下らない話ね。キーワードは「中央線・嘔吐・制覇」。

私、現在は阿佐ヶ谷に住んでいるのですね。職場も同じ町内なので職住隣接ナリ。たとえ飲み過ぎて下痢気味の朝を迎えても、おのこどもが居並ぶ、駅の男子トイレ(個室)に世話になること無し。この上なき幸せ哉。
で、実家は豊島区長崎、大学は小金井市内にあったのでした。東大よりも学があり、芸大よりも芸があるって大学。そんな学校あるわけ無いスカ?
連載モードに突入します。

それは「デビュー戦」と呼ばれていた。
いたいけな大学1年生のオガワマサキ。期待と期待に包まれながら、初めてのサークル活動に参加するのだった。上級生は言う「今日はオガワくんのデビュー戦だ」と。
1989年、東京学芸大学「伸歩会」においてのコトだった。18歳のオガワマサキは自負していた。「俺はそこそこ酒に強いノダ。」

突然最終回になるのです。

気持ちが悪くなっちゃってトイレ以外の場所で嘔吐したことは多々あります。たしか、最初の「恥ずべきゲロ」は高田馬場の連絡橋の上でしたね。トイレを探したけど、酔っ払っているから見つけられず、結果的に駅の「屋根付き連絡橋」の中で吐いたのでした。凄く申し訳ないと思った、今でも思っています。スイマセン、見知らぬ駅員さん。
で、私はその後何度も酒を飲み過ぎ、中央線での帰宅途中に電車を降りてはトイレでゲロ吐いてましたね。さすがに高田馬場の一件以降は最悪でも「ホームから線路上へ」吐いていました。最後までトイレを制覇できなかったのは、大久保と西荻窪だった記憶があります。たしか、大学2年か3年の時にそれらの駅(のトイレ)も制覇した気がしますね。

で、冷静に考えてみたのだけれど、この物語は非常に自分勝手というか判りづらいですよね。私が大学時代に通過・使用した駅名を、学校に近い順から記しますね。
国分寺・武蔵小金井・東小金井・武蔵境・三鷹・吉祥寺・西荻窪・荻窪・阿佐ヶ谷・高円寺・中野・東中野・大久保・新宿(以上JR中央線)・新大久保・高田馬場・目白・池袋(以上JR山手線)・椎名町・東長崎(以上西武池袋線)
先日の「企業等派遣研修」で茨城県は勝田まで行ってみた際に改めて思ったのですが、東京は駅の間隔が狭いですよね。上記の駅の間はみんな2~3分くらいなものなのです。非常に無駄なエネルギーを金銭・時間・体力的に使ったような気もしますが、その浪費の末に今の私があるのです。

T先生語録

あーづがれだ。

現在は職場で試験問題を作成しているのでした。真面目に作業をしていると、反動として駄文を作成したくなる私なのです。
ってぇコトで、つれづれなるままに。

某国某T都の某T市に某T高校という学校があり、そこに某T先生というソフトボール顧問がいるのです。ここまで書くと、東京都で高校ソフトボール部の顧問を何年かやっているお方は、「あぁ、T先生ね」ってコトになるんじゃないかしら?
で、そのT先生語録でも記そう。

その1:「肉体の健康は精神の不健康」

これは、彼が酒を飲み、タバコを吸いながらよく口にする格言である。
私も「心身共に健康なヒト」ってのは何か信じられないのですね。「酒もタバコも飲まず、スポーツジムなんかに通って汗を流すのが趣味で、週末は手料理を作る男性」とか居たら、私はあんまり近寄りたくない。ま、向こうも私やTセンセみたいな人間には近づこうとしないだろうけれどもさ。
張りつめた世界で生きている現代人には「ある程度のいい加減さ」が必要であり、それが「豊かな人間性」に繋がっていくのである!というコトを表現しているのだが、単純にTセンセがヘビースモーカーで大酒飲みの自分自身を弁護しているだけだとも云えよう。

その2:酔っぱらいの教員とその生徒の会話

<Tセンセは前日に飲み過ぎている。そして、授業が始まり…>
Tセンセ(以下T) 「おう、おめぇら。今日俺は二日酔いなんだ。」
生徒(以下生) 「えー、センセー、大丈夫ぅー?」
T 「うるせー、大声出すな。頭に響くだろ。」
生 「ひどーい」
T 「おめーら、今日は寝ろ。」
生 「えー?」
T 「俺は頭が痛いんだ、つべこべ言ってないでサッサと寝ろって言ってるんだよ。」

生 「センセー、眠れませーん。」
T 「うるせーぞ、おめーら静かに寝ろ。俺が寝れねえだろ!」


生 「センセー、授業してくださーい。そうしないと寝れませーん。」

これは実話らしい。
もう10回以上聞いたコトあるけれど、何度聞いても笑える。
この素晴らしい「会話のキャッチボール」が何回あったのかは知らない。

好評につき

(多分)好評だ(ろう)から、『T先生語録』続編をお送りしましょう。
3日前に久しぶりにT先生にお会いし、その際に収集した新ネタです。

その3:授業中酒臭いのは当然

<Tセンセは例によって前日に飲み過ぎている。そして、授業が始まり…>
生徒(以下生) 「センセー、お酒くさーぁい。」
Tセンセ(以下T) 「何だよ、文句あるか?」
生 「センセー、昨日また飲んだんでしょ。」
T 「おう、酒臭いのは当たり前だろ。」
  「昨日酒飲んでいないのに今日酒臭かったら、その方がよっぽど問題じゃねぇか!」

さすがだ。

変な団結

今週は仕事を休んだりする事が無くて良かった。

職場からの帰宅途上で思い出したコトを記す。
職場(学校)で同じ学年を担当しているセンセ方の会議は、毎週月曜放課後に行われている。今週は月曜日が体育の日だったため、その会議は火曜日放課後に開かれた。その際、みんなでお菓子を食べたのだ。それもただの菓子ではなく、賞味期限を大幅に超えた菓子を。
そいつは、賞味期限を2週間過ぎていた。恐らく購入されたのは9月23日前後であり、その数日後が賞味期限となっていたはずなのだ。別にせんべいとかクッキーなどの焼き菓子ならあまり問題ないのだろうが、コトもあろうにそれは「乳製品の含まれるクリーム入りのケーキ」だったのだ。しかも、全員で仲良く食べた。ヒトによっては3個も食べた。「お腹いたくなったら、タンパク質も含まれてることだし、ひどい事になるだろうなぁ」と思いながら、私もバッチリ食べた。味は特におかしいところはなかったが、それでも不安は不安である。しかし、食べた。

結果的にはみんな元気に翌日出勤した。誰も何も起こらなかったようだ。パッケージ内の「脱酸素剤」が良い仕事をしてくれたのかも知れない。ある先生は「みんなで食べましたものねぇ。高3の団結ぶりには感心しました、誰も「私は食べない」って言わなかったし」とか言ってた。
それって、団結なのか?ただの食い意地だけの気も…

私の職場には国語科のN先生という、滅茶苦茶ハナシが面白い先生がいる。彼は卓球界では知る人ぞ知る存在なのだそうだ。
その彼は犬を飼っている。

彼は老化も著しく、昨今はやたらと早起きになったそうだ。真っ暗な時刻に彼は起床するそうで、今日もいつものように暗い中で犬を散歩させ、犬と一緒に走った。

そして思ったそうだ。「顔がデカいせいか、寒風が顔面にコタえるなぁ」って。
確かに今朝は寒かった。そして、確かに彼の顔は小さくはない。今朝は阿佐ヶ谷などでも相当寒かったのだが、彼が住まうのは東京の奥地である。


私はその話を聞き、笑いつつ指摘した。「顔は大きい方が冷えないのですよ」と。

理論上、顔(というか頭)が小さければ小さいほど、芯?まで冷えてしまう可能性が高い。ベルクマンの法則というヤツである。それを簡単に説明した。
すると、別の先生が「じゃあ、I先生とかS先生なんかも冷えにくいんだねぇ」と。

私は更に指摘した「S先生の場合は、顔が細長いので冷えやすいハズです」と。

まあ、更に本当のコトを言えば、顔面がデカく面の皮が薄いほど、早朝の寒風はコタえるはずです、多分。細かい計算はできませんけれど。


私も頭がデカい方(外周約63cm:普通に売っている帽子は全然合わない)なので、他のヒトより寒さに強いハズだなぁ... って改めて思い至った。

以前から様々な笑い話を書いているつもりだが、まだ書いていなかったネタがあるので披露。
小学生だったか、中学生だったか忘れた。何しろ20年以上前のコトであることは確かだ。

都会の公園は狭い。かの有名な「シロナガス猫」の額20個分を超える区立公園なぞ、東京23区内にはほとんど無いだろう。
公園はことごとく小規模なので、安全のためにネットやフェンスで囲われた「球技場」みたいなのが付属している場合が多い。
私の記憶によれば、笑い話となるデキゴトが起こった球技場の広さは数メートル×10数メートルで、周囲は「金網デスマッチ」風になっている。さすがに電流は流れていない。球技場の上にはボール等が飛び出さないようにネットが張ってある。ネットの高さも数メートルだったと思われる。

20数年前の私は、友人達とその球技場で遊んでいた。確か野球風の遊びだった。球宴もタケナワとなったそのトキ、そのボールがネットの穴を抜けてしまった。そのボールは球技場のネットの上に転がった。ハンモックにゆられるような状態となり、ネットの上に留まってしまったのだ。
当然の事ながら、私たちはそのボールを手元に戻して球宴を再開すべく、球技場との格闘を開始した。周囲のネットに上っても無意味であるようだ。手近なところに竹竿のようなものは見あたらない。
最終的に、地面に落ちている石を拾っては、ボールへ向けて投げつけ始めた私たちだった。ボールあるいはその周辺のネットに石をぶつけ、ボールをうまく移動させ、通り抜けたネットの穴から取り返そうと考えたのだ。

ボールを落とせなかった石は、重力に引かれて地上へ落下する。石は大きなものから小さなものまであったように記憶している。投げては拾い、投げては拾い、ボールを落とそうと試み続けた。なかなかボールは戻ってこなかった。
石を投げるのに疲れた私は、友人の投げた石を眺めていた。ボーっと眺めていたのだろう。

私の額は、ネコのそれよりは広かったようである。
重力は相変わらず作用し続けていた…

(以下続く)

「コッ!」
ちょっと痛かった。
数秒の後、右の額に冷たいものを感じた。手をやってみた。
額を離れた私の右手は赤く染まっていた。

都会で適当に石ころを拾った場合、結構な割合でコンクリートが破砕されたものに出会う。私のアタマに当たったのも、そんな石ころの一つだった。長径は数cmだったろうか。それほど巨大な石ころでは無かったのだが、コンクリートが付着しているため、部分的に尖っていたようだ。ちょうど、そのコンクリート部分が生え際に当たったのだった。

鼻血もそうなのだろうが、頭部は小さな傷でも豪快に出血することが多い。私の額もそうだった。
出血部分を直接見ることができないため、傷の状態が分からないのだ。これは不安だ。とりあえず、ティッシュペーパーを傷に当て、家へ向けて走り出した私だった。

しかし、私はまた驚愕の事実に遭遇した。
走り出すと心拍数が上がり、血圧も上昇する。当然の事ながら、走れば走るほど、血は吹き出してくるのだった。かといって、のんびりと歩いていては失血死の恐れもある。
走るわけにも、歩くわけにも行かないことを悟った私だった。そんなワケで小走りで家まで戻ったのだった。これは非常にもどかしい時間だった。きちんと西武池袋線の踏切にも捕まったような記憶があるが、定かではない。


帰宅できた私は親の勧めに従い、近くの医者に行ったのだった。
迫り来る失血死の恐怖におびえながら、近くの医院にたどり着いた。

お医者さん曰く「もう血も止まってますし、縫う必要もないでしょう。」
折角だから、一針くらい縫って欲しいと思った私がいた。


今でも、そのハゲはばっちり残っている。ほんの数ミリ四方のハゲであるが。
ただ、そのハゲについて、ひとつ恐ろしい事実がある。

ハゲができた当初、そいつは額の生え際から奥深くに存在していたハズだ。その怪我から20年以上経過した現在、そのハゲはだいぶ額と同化しつつある。
当然の事ながら、ハゲは移動していない。生え際が移動していったのだ。
これほど恐ろしいことは無かろう。

歳はとりたくないものである。

T先生語録 その4

一昨日、ソフトボールの試合があり、久しぶりに様々な先生にお会いした。
雨がちな天気だったのだが、何とか予定通り試合は行うことができた。会場校の生徒や先生の、幹事をやってくださった先生たちのおかげであろう。
例によって、試合後は打ち上げを行った。会場は立川駅北口の丸山餃子会館であった。例によって餃子はうまかった。「焼き」しか食べなかった。その店には水餃子もあるが、私は焼きの方が好きなのだ。

そこで以下の実話を聞いた。

<Tセンセの授業中、手鏡を覗き込んでいる生徒が居る。Tセンセは注意するのだった…>

Tセンセ(以下T) 「おう、おめぇ気分悪くならねぇか?」
生徒(以下生) 「 …? 」
T 「よくそんな顔見てて気持ち悪くならねぇなあ。」
生 「センセー、ひどーぉい。」
T 「バカ野郎。ひどいのは俺じゃねぇ、おめぇの顔だろ。」

選ばれしヒト達

昨日、職場のセンセ方に披露した笑い話?を。
この腐れ日記に記したつもりで記していなかった。

前々回の日記に記したカネコ氏、彼は生物学的にテンパ(天然パーマ)をしみじみ考察したそうだ。彼は思いっきりテンパであり、私もテンパである。

世の中に無理矢理「境界線」を引くならば、北緯38度とか、オッサンベルトとか、いろいろ考えられる。
そして、人の頭髪について言えば、「テンパ」か「直毛」かって境界線が引ける気がする。しかし「境界線の掟」に漏れることなく、この境界線を厳密に引きたいならば、その定義はかなり困難を極めるだろう。
しかし、私もカネコ氏も、100人のヒトに「私は(天然)パーマかかってる?」って尋ねたら、その全てが「そうだね」って答えそうな、そんな「バリバリにテンパ」な頭髪の持ち主である。

詳しく調べたわけでは無いが、頭髪が直毛にカテゴライズされる方でも、脇の下の毛や股間の毛はパーマなのが普通だと思う。彼、カネコ氏もそう思っているそうだった。
で、彼曰く「オガワちゃん、直毛のヒトでも陰毛はテンパじゃん」「陰毛ってのは"大事な部分を守るため"にテンパになってるんだよね」「オレは気づいたのだけど、テンパのヒトは"選ばれしヒト"なんだと思うよ」「カミサマが"コイツは守らなきゃいけない"ってヒトの頭をテンパにしてるんだよ」と。

「なるほどー」と、同意した私だった。
約15年前、そんな下らない話をした私も彼も、今では教職ってヤツに就いてるらしい。彼は多分、今も小学校勤務のハズだ、ここ10年くらい連絡取ってないケド。
小学生相手だと、この笑い話はあんまり披露する機会が無いだろう、可哀想に。

酔っぱらいの季節

この年末は、ちょうど3日ごとに宴会が予定されている。

一昨日は都生研の研修に参加し、その後の懇親会にも参加した。
その3日前には、職場で中学の授業を持っているヒトを中心に開催された。

明日には、職場で高校2年生を担当している先生方で忘年会。
さらにその3日後には、職場の理科担当の先生方で忘年会。


自宅から駅へ向かう途中、普段よりもゲロの跡が多くなってきた気がする。そこら中で飲み過ぎのヒトが多発しているのだろう。

酒は恐ろしい。私が改めて書くまでもないが。
後から思うに「よくやったもんだよなぁ...」って行動がいくつかある。

とりあえず、そのうちの1つを。


大学2年の夏休み、大学時代の徒歩旅行サークル「伸歩会」で、能登半島を歩いて縦断した。ゴール地点は禄剛崎(ろくごうさき)であった。(画像ググリンク)

そのサークルは別名?「あるこうる会」とも呼ばれていた。参考?までに、3つ上の先輩の作っているサイト「歩き旅.com http://www.arukitabi.com/」を紹介しましょう。先輩には最近お会いしていませんねぇ。
で、「あるこうる会」。学内の酒豪が勝手に集まるのか、サークル活動をしていくうちに酒豪になるのかは分からない。7日程度かけて徒歩旅行を行うのだが、宿舎としては民宿を利用することが多かった。
最終日の夜は、大体において夜が明けるまで酒を飲むのだった。10代後半から20代の若人達である。何しろ元気であった。

で、酔っぱらっていた数名は、酔い覚ましに夜の散歩に出かけたのだった。確かビールを持参してたと思うけど。
って、よく考えたら、いや、考えなくても、その当時私は未成年だったわけだ。

さすがに能登半島の先端だけあり、天の川も良く見えた。流れ星を見たりした。

で、酔っぱらった私は、禄剛崎灯台の横にあった鉄塔に登ったのであった。
上に示した禄剛崎の画像でも、その鉄塔を確認できるハズ。

足を滑らせなくて良かったよ。間違いなく死ねる高さですからね。

滅茶苦茶に笑った。

学期末の職員会議の場で、勤務先に於ける『同窓会だより』が配布された。
誤字がいくつかあった。大学名の「立教」が「陸橋」になってたり。それは、担当の先生もご存じのようだった。

そんな中、私は隣の先生が読んでいた『たより』を横から覗いていて、強烈な誤字を発見してしまったのだ。私は誤字を見つける才能があると思う。新聞の誤字も発見したことあるし。

正式に書くならば、そこは以下のような記述があるはずだった。

映画研究同好会
ルーブ・ゴールドバーグ マシンコンテスト ムービー部門 グランプリ

初めて、このコンテストを知った。恐らく、学校宛のメールを同好会顧問に転送したのは私なのであるが。
で、その『たより』では、以下のように記されていた。

ルーブゴールドバーグマンコテスト

隣のヤクザみたいな先生にも教えてあげた。更に2人の先生もコンテストの餌食になった。
4名の教員(♂)は、10分間近く笑いをこらえ続けた。笑いをこらえ続けていると、体から汗が噴き出ることを知った。アドレナリンの効果だろう。

しかし、笑ってしまうのは、上記ページでも誤記がある(らしい)ことだ。そのページのタイトルは「コンテスト」なのに。

からくり多摩テ箱
ルーブ・ゴールドバーグ マシンコンテンスト ホームページ

7月19日現在でした。

トコジラミ 100日戦争

既に笑い話になったので、書きます。

私が現在住んでいる場所はマンションです。
10年くらいの間隔で行うらしき大規模な修繕の際、何故か手足に発疹が現れ始めました。蚊でもなく、ダニでもなく。
遭遇したことのないルックスの発疹は、遭遇したことのない痒さでした。

しばらくそれが続いた後、配偶者が隣人に相談しました。
「その痕は南京虫じゃないの?」

南京虫の正式名称はトコジラミです。(ウィキリン)

ネット上で調べたところ、"エヤローチA"という製品が良いらしいことが分かりました。
通り道になりそうなところに、定期的に散布するのだそうです。
その当時は子供が生まれてくる前だったので、何とか子供が生まれるまでには退治しておく必要がありました。かなり必死でした。子供には殺虫剤を吸わせたくないし。
ってか、まず痒い。
私は比較的痒みなどには強いようなのです。何に比較するかというと、私の配偶者。彼女はかなり痒みに弱い人間なのですね。私は蚊に刺されても、だいたいそのまま放置します。そのうちに痒みなどは引っ込んでしまうから。彼女は、体質的なものなのか、痒み止めは必須なのだそうです。そうしないと、掻きむしったりしてしまうから。蚊でもそんな状態ですから、南京虫は洒落にならない。私でも十分に痒く、薬を塗るくらいですから。

で、およそ3日おきに、部屋の隅など奴ら(南京虫)が深夜徘徊しそうな場所に散布しました。
また、時々は布団の上などで発見し、プチプチと潰していきました。潰した数は10匹は下らないでしょう。大きめのヤツから、生まれたてみたいなヤツまで。

南京虫が通る場所には、ウンコをするのか何なのか、黒っぽいシミ(排泄された血?)が付着します。部屋のそこここに見ました。そこに重点的に殺虫剤をスプレーしました。
で、徐々に襲撃は収束していったのです。殺虫剤の効果もあったのでしょう。また、進入経路だったと思われるエアコン配管用の換気口?も封鎖しました。しかし、まだ私だけは刺され続けていました。


ある日、カーテンを見ていて気づきました。謎のシミがあることを。
それは、カーテンのフックを設置する、「くしゅっ」と縫われた場所近くでした。

親玉(母親?)が居ました。かなり大きなヤツが。
ブチッと潰しました。過去最高の血が出ました。私のヤツでしょう。
last_boss.jpg

その後、定期的に殺虫剤を散布しておきましたが、被害は出なくなりました。徐々に散布の間隔を開けていき、戦争は終結しましたとさ。


結局、"エヤローチA"は3本買いました。2度に分けて。使ったのは1本半分でした。
1本未使用が余っていますので、ご希望の方が居たら、送料そちら持ちでお譲りしますよ。
air_roach_a.jpg

容赦ない攻撃

prince.gif

技術の進展はすばらしいと思います。

そして「マジバカは叩かれる」ってコトが改めて分かりました。検索し、これらの情報を集めた方々は凄いと思います。ま、王子が馬鹿だったのが原因ですが。
若くして叩かれた「王子」、良かったですね。まだ多分更正の余地がある。


<過去の関連してる(気もする)日記>

非常に適切だったweb広告
https://ariori.com/diary/2007/07/21

『おくりびと』は良い。

『おくりびと』が「第81回アカデミー賞最優秀外国語映画賞候補」となったと聞いた。

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『おくりびと』は同僚のセンセイや、他の学校の情報科の先生もブログに書いていた。それらの記事はネタバレを含むので、リンクしません。

私は映画館にはまず行かない。最近映画館で見たのは『ハウルの動く城』で、その前は1985年公開の『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』だったりする。その前は1981年公開『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』のハズ。
昨年末、上海へ向かう際、機内で見られる映画に『おくりびと』があった。上記先生方が褒めていたことを思い出し、何となく見始めた。で、見始めたのは良かったのだが、見ている途中(映画の残り10数分?)で、飛行機は着陸態勢に入った。上映打ち切り。大体、見始めたのが遅すぎたのだ。
後ろ髪を引かれながら、浦東空港に降り立ったのだった。その時点での最大の心配事となったのは「1月に日本に帰るトキ、『おくりびと』は放映リストにあるか?」だった。

日本へ帰る際、映画・音楽等の紹介パンフレットではリスト下位に移動してはいたものの、『おくりびと』は見ることができた。わざわざレンタルする手間が省けた。うれしかった。
で、飛行が落ちついたところで、続きを見た。泣いた。
最後の10分を見られて良かった。というか、最後の10分を見ないと、あの映画を見たことにはならないだろう。

絶対、端から見たら変人だ。齢四十を間近に迎えたオッサンがボロボロ泣いてる。飛行機が飛び立ってから間もないので、映画などを見たとしても、全然佳境に入っていない時間帯だ。
キャビンアテンダント、旧称スッチーも大変な職業だ。私だったら、そんな乗客には絶対関わりたくない。


飛行機は、かなり空いていたので、離陸後すぐに窓際へ移動してあった。
私は地図マニアだから、日本の上ならば、海岸線を見れば大体どの辺を飛んでいるのか分かる。飛行機は、可能な限り窓際に座りたいクチである。配偶者などには「子供のようだ」と言われる。言われても窓際に座る。

今回、久々に日本上空で分からない地形があった。その後、ハウステンボスの特徴的な地形が見えてきた。機内の地図で確認したところ、分からなかったのは五島列島と判明した。不覚である。
大阪湾の関空や、特徴的なカタチの知多半島なども、雲の隙間から見えた。富士山はてっぺんだけを雲の上に出していた。上空からの場合も、晴れている方が、富士の山容は見応えがある。

答 「ただしイケメンに限る」

私は"2ちゃん"はあまり見ないが、"痛いニュース(ノ∀`)"は愛読している。


で、以下の記事
痛いニュース(ノ∀`):「ひょっとして俺のこと好きなのかな?」と思ってしまう時ランキング 1位「一緒に帰ろっ」と言われる
に引用されているコメントが秀逸だった。

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中坊 → チュウボウ → 厨房 とか、
奴 → ヤツ → ヤシ → 香具師 など、独自の言語文化を育んできた"2ちゃんねる"であるが、「※」に意味を持たせるようになっているなんて、感動した。言語は日々進化するものであると、改めて感じた。


証拠物件
痛いニュース(ノ∀`):「小太りのオトコが好き」という独身女性が増えている 「ぽこっと出たお腹がかわいい」「癒される」

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鶏について 2009

マクドナルドの「黒辛チキン」は、中国のファストフードの味がする。日本ではほとんど使われない(と思う)スパイスが入っている様子。
そのスパイスの名称が分からない。上海の屋台の串焼き肉に、良く使われているスパイスだ。

鳥とスパイスは似ている。
鳥は「姿」「声」「名前」の3つを一致させるのが難しい。
スパイスも「姿」「香り」「名前」がなかなか一致しない。

コストコの「ロティサリーチキン」はうまい。
塩分が足りないと思われる場合は、クレイジーソルトをかけると良いだろう。

さっき検索し、「黒辛チキン」は販売が終了したことを知った。残念である。二度しか口にできなかった。パン付きと、現物と。
「ロティサリーチキン」はいつも販売されている。ただし、コストコというテーマパーク自体にあまり行かない。


「チキン」で忘れられないのが、ノースウエスト航空だ。
機内食が配給される際、"beef? or chicken?"って尋ねられた。私は「チキン」って言った。伝わらなかった。
その後、どんなやりとりをしたか忘れたが、何しろ数秒後、スッチーのネーちゃんが"Oh! chicken!"と。

"chicken"は「チキン」じゃなくて「チェキェン」であることを知ったッス orz

最近知ったコトいくつか

「お盆」は純粋仏教(?)に由来するものではない。
 参照 ハロウィーンの起源・由来について調べてみた[絵文録ことのは]

住み処で使用している洗濯機は、「中水位」ならば電源投入後30分過ぎが「柔軟剤」の入れドキ。
 参照 特になし
 関連商品(良い香り♪)

自分は確実に老化しているようで、同じコトを繰り返し言ってる。
 参照 「読書感想文全国コンクール」 @ ariori.com

私が最初にパスポートを使用したのは、およそ7年前です。
30歳を過ぎるまで、ニホンってクニを出たことは無かった。もっと若いうちに、さっさと外国へ出ておくべきだったようにも思えます。

最初に行ったクニは中国でした。ニホンに帰国し、成田空港のターミナル内部を歩いていました。すると突如として「もやし炒め」の匂いを感じたのです。最後に醤油を垂らしたヤツの匂いが。
あれ以降、何度も成田空港は使用していますが、野菜炒めが饗されていそうな店舗なんて、見あたらないのですよね。そもそもイミグレーションの手前ですから、店舗自体が存在していません。しかしなにしろ、初めて日本に戻ってきた(?)とき、醤油の香りを感じたのです。

フランス・パリには2度ほど行ったコトあります。修学旅行の引率で。
初回のトキ、ターミナル内部に入った瞬間に、香水の香りを感じました。「おフランス」に来たのだと思いました。2回目のトキは、それほど香水の香りは感じませんでしたね。

その2度目の修学旅行の出発当日、私は「ゴミ出し」をしました。そのときは一時的に一人暮らしをしていたため、しばらくは家の中が無人となるのでした。
家の鍵は、旅行の準備のため、財布の中に移動しておいたような気がします。なにしろ、通常使っているキーケース(香港で買ったカルティエのヤツ)からは出していたはずです。で、マンションのゴミ捨て場へ行って気づきました。鍵を持ってこなかったコトに。
マンションはオートロックです。ゴミ捨て場の扉も開かないし、自室へも戻れない。修学旅行当日の朝です。
かーなり焦りました。

運良く、別の階のご主人が、ゴミを持って現れました。私が屋外に佇んでいたのは、1分も無かったかも知れませんし、3分くらいは経過していたのかも知れません。何しろ、5分までは経っていなかったような気がします。
何気なく「おはようございます」と挨拶をし、その方が開けたゴミ捨て場へ入りました。混乱していたから記憶が定かではないのですが、そのご主人に鍵を閉めて貰ったはずです。「鍵を忘れたので」とか、「閉めてください」とか、言ったのか、言わなかったのか、記憶にありません。
何しろ、オートロックの自動ドアを開けたご主人に続き、私も自動ドアを抜けました。
外廊下に面した自宅玄関のドアは鍵をかけなかったので、無事に家の中に戻れました。そして、無事にニホンを旅立つことができたのでした。

それ以降、飛行機に乗る日の朝は、そのデキゴトを思い出すのでした。


おまけとして、春節の上海の画像を。

龙华寺(龍華寺) エチゼンクラゲが蔓延
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サンダルについて2件

およそ2ヶ月間ほど、BIRKENSTOCK のサンダルを探していた。俗に言う「ビルケンサン」ですね。ビルケンシュトックはドイツの会社だから、ビルケンストックではなく、ビルケンシュトックが正しい読み方なのである。
昨年夏に、2代目のビルケンサンを買ったはずなのだが、いつの間にか見あたらなくなっていたのである。

私はアディダスなどの運動靴だと 28cm を買う。リーガルなどの革靴ならば 27cm じゃなきゃ、足が入らない。「馬鹿の大足」ってヤツなのであろう。なお、身長は 177cm 弱で、加齢により絶賛漸減中である。

暑さが増す日々、地道にサンダルを探し続けた。現在の住居を、実家の靴箱を。
しかし、サンダルは見あたらなかった。

そして、思い出した。親戚のおじさんにあげてしまったことを(-_-;)

おじさんも体が結構デカいので、ちょうど良いサンダルが無かったようだ。昨年の秋、サンダルを貸したら気に入ったみたいだったので、そのままプレゼントしてしまったのだった。
すっかり忘れていたが、数日前にすっかり思い出した。さっぱりした。

で、新しいサンダルを買ってきた。

ビーチサンダル型のヤツ。下にあるのは右足「鼻緒」の裏側の画像。
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非常に残念な感じのするシールだ。
「防水型」サンダルなんてあるのだろうか...。

普通の革靴と共通だって云うことは分かってはおります。「貼らない」って選択や、「別のシールを作る」あるいは、「シールの下半分を切り落として貼る」って選択は無かったのだろうか...。

Suica から徒然なるままに

Suica のチャージ残額が今朝 8,888円になった。意図したものでは無い。過去、777円になったことはあった気がする。

せっかくだから、その自動改札上の「ゾロ目」を帰宅途上にケータイで撮影しようかと考えた。電車内ではケータイの「接写モード」を確認したりしたのだが、手に持っていた荷物が多く、改札周辺が空いていたわけではなかったので、本日の撮影は断念した。

8888は世の中で好まれる数字であるようだ。香港の富豪邸宅のカーポートに8888のナンバープレートを見たことがある。日本でも8888は「カタギの者は持たないナンバー」として認知されていると思う。


職場に、「超ステキ」な語呂合わせの携帯番号をお持ちの先輩がいらっしゃる。本当にステキであり、その「語呂?」を記してしまうと、もろに携帯番号になる。したがって、ここには記せない。残念である。
その先輩は漢なので、ケータイメールも初期設定の「番号@ドコモ」のままなのである。


語呂と言えば「語呂いい」というメルアドを持っていた友人がいる。ってか、今改めて検索してみたら、放置?されたサイトを発見した。
「語呂いい」なんて、すげーセンスだと思った。「無限ループ・循環小数」的な世界だ。


で、語呂とはあんまり関係無いのだけど、日記に記したかったコトがある。
この間お知らせしたとおり、私は車を買ったのである。手頃な駐車場もたまたま発見され、嬉しく思っていた。空いている場所の最寄りが白のベンツだってことは分かっていた。

後日、車庫登録のため、その駐車場をよくよく観察してみた。
白ベンツには「なにわ」という見慣れない文字列が存在していた。

そんな冗談みたいな展開は、「ちびまる子ちゃん」の中だけだと思っていた。

死の糸巻き

また、事故が起きたようだ。最初は「痛いニュース」経由で知った。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1934553.html

「ちょっと前にもあったよな」と思っていた。

家庭用電気マッサージ器の正しい使用について(注意喚起)
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/00000488

上の厚生労働省のページを見て確認したわけだが、やはり3年前にも起きていたらしい。
似たような事故には「ゴーカート マフラー 事故」にてググると、出会うことができる。

ここで、私の体験談を記す。
以下に記す話は、この腐れサイトにて披露したように思っていたが、まだだったようだ。
カテゴリを「笑い話」としていいのか、若干悩むのだが、私の「死にかけた話」は、基本的にこの場所にまとめてある気がするので、今回もそうする。主題は死んだヒトではなく、死に損ねた私の体験談と注意喚起なので。


およそ20年前のことだ。

その日は「高校2年生 鎌倉遠足」の引率に行っていた。基本的に、勤め先の「遠足」は年に1回、中間試験明けの6月頭に行われる。
時季的には「梅雨の走り」にブチ当たることもある。その年もそうだった。
「学年担任団」で「一番若い男」だった私は、「自転車での巡回」という任務を与えられ、それを遂行していた。雨なので、自前の「黄色いポンチョ」を被り、自転車に乗って鎌倉の街を巡っていた。

勘の良い方は、オチに気づく頃だろうか?

高徳院(鎌倉大仏)近くの道、オバマ元大統領も食べたという「抹茶ソフト」の店舗が並ぶあたりを走っていた。あの辺は人通りの割に歩道が狭い。私は車道を走っていた。
すると、だんだん、自分の脚の自由が利かなくなりつつあることに気づいた。自転車のスピードが落ち、コケてしまう危機に見舞われそうになったが、とりあえず何とかコケずに自転車を止めた。というか、止まらざるを得なかった。

ポンチョの裾が、劇的に絞り込まれていた。その為に、脚の自由が奪われたのだった。
そう、ポンチョの裾に入っていた「紐」をプラプラさせたまま自転車に乗っていたため、その紐が後輪車軸に巻き込まれたのだった。
後輪は糸巻きとして機能し、私の脚が縛り上げられていたのだった。
死ななくて良かった。車道側にコケたら、車に轢かれるのは間違いない場所だった。

あれ以降、自転車は心して乗るようにしてる。
マフラーをヒラヒラさせたネーチャンとか、「荷物をくくるゴムバンド」を無造作に垂らしているオバちゃんを見ると、「気をつけなよ」とは思うのだが、口頭で注意喚起したことはない。
ま、私ほど「アホなこと」に遭遇するヒトも、そうそういないとは思うけどね。

フレッドペリー

あのブランド、今は高すぎる。
20~30年前の話であるが、当時はポロシャツが5000円もしなかった。England製のヤツが、3000円前後で買えたような気がする。タローズハウスで何度か買ったような記憶が...。

タローズハウスはジーンズ屋なのだが、絶滅危惧種だ。
まとめて(?)あるサイトがあった。
皆、通った!!U.S.VAN・VAN・摩耶・TARO`S HOUSEって覚えているかな~? - Middle Edge(ミドルエッジ)

上記サイトを見ていて、記憶が蘇ってきた。"U.S.VAN・VAN"って店も、どこかで見たことあるなぁ、確かに。"摩耶"はテレビCMで知ってたけど、実店舗は知らない。


私の実家は豊島区なのだ。東長崎駅近く(南長崎5丁目)に残っている店舗は、タローズハウスの本部か何かだったような気がするのである。何度も行ったことがある。
更に何故か、一時期ジーンズメイトの本社も豊島区長崎5丁目にあった、はず。今、検索して「営業本部」であったらしいことを知る。
沿革 | JEANS MATE

平成4年1月
東京都豊島区に営業本部を移転
(途中略)
平成11年1月
東京証券取引所市場第二部に上場
東京都渋谷区神宮前に本店及び営業本部を移転


で、本題のフレッドペリーについての思い出を2つ。

前述のように、昔はそれほどバカ高いブランドでは無かった。
白のポロシャツで、ロゴが紺色のものが一番よく見られた気がする。私もそいつを持っていた。2度くらい買ったような気がする。
そして、私の同僚の2名も、同じポロシャツを着ていたのを見たことがある。私は「ソフトボール部顧問」だったことがあるのだが、前顧問(前監督)と前々顧問(前々監督)も、「白地・紺のロゴのフレッドペリーのポロシャツ」を持っていたのだ。襟に模様が無いバージョン、多分安いヤツ。
お二人とも、既に鬼籍に入られてしまったのであるが。
同じ立場だった人間3人が、同じシャツを持っていたのは、なかなか面白い。まぁ、ただそれだけの話で、特にオチも無いのだけど。


もう一つの方は、もう少し悲しめの話である。
小学生の時、放課後に一緒に遊ぶのは、概ね「近所に住む年齢が近い面々」だった。年上も居れば、年下も居た。女の子が混じることもあった。
で、その面々では一番年上だった男子が、あるときにピンク色のヘッドバンドをしてきたのである。我々は彼に対してこう言った。
「吉野家バンド」

ま、そもそも吉野家はヘッドバンドなんて出していない。ロゴもよく見れば、全然違う。フレッドペリーのロゴの中心に牛は居ない。フレッドペリーは月桂樹の葉らしい。それは後から知ったことだ。対して、吉野家は「しめ縄」ぽい。全然違うじゃん。
今、ついでに検索して知った。吉野家のしめ縄は「横綱級のおいしさ」を表現しているそうな。

しかし、小学生だった我々は、先輩の「おしゃれ」に対して「吉野家バンド」という名を付けたのであった。
「せっかくのおしゃれ、悪いことをしたかなぁ...」って、フレッドペリーを知るようになってから、ちょっと思った私だったのでしたとさ。

この間、スーツを1着新調した。配偶者もスーツを買ったが、袖丈などを直していた。
私はズボン(?)の丈詰めだけで済んだ。

私がスーツを買う場合は、大体吊し売りで間に合う。"A6体"か"A7体"で、袖丈などの直しは不要。
オーダースーツは買ったことが無い、買う必要が無い。

ユニクロで言えば、上半身に着用するシャツや上着、肌着(ヒートテックとか)などは"L"で問題ない。
GAPなどの場合だと、少し袖丈が長い場合が多い。まぁ、そのまま着てしまうけれど。

靴ならば、概ね「一般的に売られているサイズの中で一番大きいもの」がちょうど良い。
運動靴の類は"28cm"あるいはUSサイズの"10"、革靴であれば"27cm"。このサイズの靴などは、よく安売りされている。「微妙にバカでかい」から、売れ残ることが多いのだろう。私にとってはちょうど良い話である。

って、ここまで「普通のLサイズ」であることを自慢してきたのだが、思い出した。
鉢周り、つまり頭囲が異常にデカいのだ。確か、自転車用のヘルメットは"XXL"だったはず。


中学校時代、制服は学ランだった。
帽子は良くあるタイプ。
そして、その最大サイズが62cmだったのだが、私の頭はその62cmの帽子には嵌まらなかった。
それ以上のサイズは「特注品」となり、価格が1万円を超えてしまうという話だった。定価1000円ちょいの「単なる帽子」に1万円も払う気は無いので、とりあえず62cmを頭に「載せ」て3年間を過ごした私だった。
基本的に帽子は買ったことが無い。合うサイズがほぼ無いから...。

過ぎたるは及ばざるがごとし

最近、ヨドバシカメラの通販で「何度も買っている」のは、電源の延長ケーブルである。
家電関係が増加するたびに、必要に迫られて買っている。

家庭用電源のコンセントが、「新しく買った家電そのもの」や「家電のアダプター」で占拠・妨害されてしまうことがある。で、必要になった(と思った)ので、10cmの延長ケーブルを購入したのだ。

これね。
エレコム ELECOM
T-ADR1WHX3 [電源延長コード 0.1m 3本パック ホワイト]

で、実物を見てビビった。定規は概ね15cm程度です。
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10cmのケーブルを「束ねて使う」ってコトは、まず無いでしょ。
束ねて使い、熱がこもって危険そうなのは、最低でも1mくらいからかなぁ...。

「延長ケーブル 束ねる 発火」で画像検索でもしていただければ、その危険性もおわかりになるだろう。
が、私が買ったのは、10cmですぜ。
ま、良いんですけどね。剥がして使うから。
というか、2mの延長ケーブルを買っても、私は「警告のシール」を剥がしちゃうけど、邪魔だから。


20年以上前、私は「電源コードリール」を融かしたことがあるのだ。下手をすると火事を起こすところだった。
部活動の校内合宿で、ホットプレートを使っていたのだ。コードリールのコードを「ある程度」巻いたままで。

食事中に異臭に気づき、コードリールをお釈迦にしたコトを知る。
部費で新しいコードリールを買い、「視聴覚担当」の先生に詫びて返却したっけ...。
私は悔い改めた。

それ以降は、例えLEDを用いたプロジェクターを使う場合であっても、コードリールのケーブルは、基本的に「全量引きずり出し」て使用している。
ま、昔の「ランプ系」のプロジェクターじゃなければ、それほど電力も消費しないのですけどね。

若かった、馬鹿だった、あの頃...。
今は、ホットプレートの類やアイロン・オイルヒーター等を使うときは、相当に気をつけて電源を確保しています。


過去の似たような日記
過ぎたるは...(2007年6月)
サンダルについて2件(2010年7月)

乗り過ごしの旅

先日、久々に乗り過ごした。
荻窪駅から中央線快速上りに乗り、気がついたら荻窪に着いていた。
座席に座った瞬間から寝たわけでは無いだろうが、40分くらいは寝ながら移動したのだろう。厳密に言えば、無賃乗車なのかも。
改めて、上りの快速に乗って帰宅した。

私が自分で自分に感心した乗り過ごしは、バスでの乗り過ごしだ。
当時は実家(生家)に住んでおり、中野駅から江古田駅行きの関東バスに乗ったのだった。お酒を飲んだ帰り道、新宿・池袋と電車を乗り換えるのがだるいと思ったので。
で、中野駅でバスに乗ったのだが、気がついたら中野駅にいた。びっくりして飛び降り、その晩はタクシーで帰宅したのだった。バスの運転手さんも気づかないほど、きちん(?)と寝ていたのだろう。

山手線は1周以上したことが複数回ある。当時は西武池袋線ユーザーだった。深夜の山手線は池袋止まりが多い。大崎行きもあるけど。山手線が池袋までは行ってくれるというのは、ありがたい仕組みだった。最悪、小一時間歩けば実家にはたどり着けた。最近は「池袋止まり」に乗る機会が減ったが。と言うか、乗らない方が良いに決まっている。

西武池袋線だと、最大で小手指まで行ってしまったことがある。これが私の「乗り過ごし最長不倒記録」だろう。確か、タクシーに乗って帰宅したはず。
その出来事もあり、職場の近くの狭小アパートに住むことにしたのだった。四半世紀以上前の話だ。


「伝説的な乗り過ごし」として想起されるのは、大学のサークル時代、先輩方の武勇伝だ。

私の2学年上の方は、それほど遅い時刻でも無いのに、電車の車庫まで行ってしまったそうだ。鉄道会社の方がその先輩を発見した際、「こんなに早い時間に...」と驚いたとか何とか。その先輩(♂)は、あまりお酒に強い方では無かったのは確かだ。

同じく、私の2学年上の方。当時も今でも、かなりお世話になっている方(♂)だ。
その方は、中央線で大月まで行ってしまったことがあるそうで。
大学があったのが武蔵小金井。彼の自宅は東京の東の方。どこで乗り継いでしまったか分からないそうだが、何しろ目を覚ましたときには、大月だったそうだ。びっくりしたそうだ。そりゃそうだ。
結果的には、前述の酒に弱い先輩(東京の西の方に住んでいた)に連絡(公衆電話から家の電話へ)し、車で迎えに来てもらったそうだ。日産のマキシマだったかな?(違うかも)
深夜の(当時の)大月は、珍走団的な集団も居たりして、かなり大変だったそうだ。寒い中をずいぶん待ち、マキシマが見えたときには、非常にホッとしたと言っていた。ケータイなんて、ほぼ存在しなかった時代だ。その逸話、何度聞いても笑える。

で、その先輩の凄まじいのはその先だ。
(私の記憶では)その壮絶な乗り過ごしは、就職試験の面接前日(というか当日)に発生したとのこと。(私の記憶に間違いが無ければ)その先輩は今でもその会社にお勤めである。

ここにあるのは、過去に書かれた日記のうちで笑い話カテゴリに属しているものです。

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