​私が見た「模擬選挙」には価値を見出せなかった

この春、職場の学校では、高校3年生へ向けて「選管に協力してもらった主権者教育」が行われました。こちらが希望して行ったことです。

(私が希望したわけではないが、成り行き上)昨年度末くらいから、区の選挙管理委員会の方々と、何度か打ち合わせをしました。
先方の希望に従い、模擬選挙のチラシを、模擬投票の10日くらい前に配布しました。そして、本物の投票箱を用いて「架空の候補」への投票をしました。

そのチラシは選管の方々が「著作権」をお持ちでしょう。また「肖像権」の侵害にもなりそうなので、お示しはできません。
聞いた話では「架空の候補」の顔写真は「選管の職員」であり、「当日の模擬選挙には来られないヒト」を使うらしいです。また、チラシを元に投票するだけですので、演説を聴くわけでもないし、チラシを元に「議論しておいてくれ」というワケでもありませんでした。

向こうの方がこだわっていたのが「立会人を置く」ということと「開票作業を生徒にやってもらう」というコトでした。私は「立会人」として、投票箱の前に座ってました。
確かに、私が選挙に行き始めた20代の頃は「この座っている人たち、何なんだろう?」とは思いました。そのうち「そういうもの」なのだと認識しました。多分、法律か何かで決まっているのでしょう。ググってみたら、結構良いバイト代が貰えるコトが分かりました。

今回私が感じたのは「選管の方が重きを置く点」は私の感覚とは違うなぁ...、というコトでした。

立会人が居ることだって、投票箱がどんな形だって、選挙の本質とは関係無いと思うのですね。
「中立性」を保つ為でしょうけど、「チラシ」の内容は「毒にも薬にもならない」ような、「実在の政党や何かとは関係なさそうな」ものに仕上がってました。

一応、文科省は「模擬選挙は有効な『主権者教育』である」という風に言っていますが、私は賛同しかねます。とある「私立学校」での1回しか「模擬選挙」を見てませんけどね。
あれだったら、わざわざ「選挙管理委員会」の方々の手を煩わせる必要は無いような気がしましたね。

ここにあるのは、Masakiが2016年7月11日 17:41に書いた日記です。

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