2012年2月アーカイブ

2月という名の山場

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本日、職場は中学校入試初日だった。
精神的に疲労する日が続く。

ま、数百名分の「12歳の人生の分岐点」に立ち会っているのだから、疲労するのも仕方ないと思っている。

脳を使った分、体重が減っただろうと思ったが、まだ75.1kgもあった。1月の頭には77kgを超えていたので、それに比べればマシになったけれど。

なお、基本的に私は夕食後に体重を量っている。液体や固形物を摂取した後だ。
今日は「無駄な液体」を呑んでいなかったから、74kg台になっているかと思っていたのだ。


私は、22歳の時に買ったスーツがまだ着られる。
ただ、当時は一世風靡セピアとか、チャゲ&飛鳥とかが居た時代で、「ダブルのスーツ」が流行っていたのですね。
ここ数年来、また「ダブルの時代」が来るかと思っているのだが、あまり来る気配はない。ダブルのスーツは処分してしまったものもある。

シングルかつ襟の幅が細いスーツって、体が太いと似合わないですよね。
最近のパンツはノータック、あるいはせいぜいタック1つだしなー。


関連する過去の日記
夏、たこ焼きと覆面パトカー(2011年9月)

この間、こう呟いた。

masaki
大学は「夏入試・秋入学」が良いと思う。理科教員の私が思うに、教科書は相当頭の良い学生と教員でも、規定の時間内では消化しきれない。新聞の投書には「雪やインフルエンザの影響も減る」とあった。

知人の一人からメッセージをもらった。メインの仕事は予備校講師の方です。

vivafidel1959
@ogawa_masaki 私もその方式がいいと思います。大雪と流感は大きいです(夏も台風があるんですが)。個人的には夏期講習が無くなると収入的にはおもしろくないところですが。

サングラスが似合う同僚からも賛同をいただく。

Masaaki Kitaharaさんが「いいね!」と言っています。

私は「1点を争う大学受験において、『標準単位数』の授業だけでは、理科の範囲はとてもとても終わらない」と感じている。国公立二次試験で必要とされる理科の知識は、半端無く大量なのである。
自分の高校時代、理科の授業は「実験がメイン」だった。細かい知識を教員が伝達してくれるような環境では無かった。実験をしている時は、予習が足りず、結構ちんぷんかんぷんではあった。そして、一応レポート提出。
しかし、後で「受験勉強」をする際は、その「実験の記憶」が非常に役に立った。

私の高校生時代も、私の現在の勤務先も、高3の3学期はほとんど授業がない。もともと足りない授業時間が、更に足りなくなっている。

高校の授業を3学期末まできちんと行い、卒業式を済ませ、その後に大学入試。何が悪かろう。なお、冒頭の「(読売)新聞の投書」は医師からのものだった。


私は教員養成系の大学を出たわけだが、教育実習については、季節はあまり関係ないだろうと考える。今後の検討課題と云うことで。

教員採用試験は、公立学校については初夏に出願期間があり、夏に試験等が行われる。その日程は、現在のままで良いと思われる。仕事が始まるのは当然4月から。
夏前に大学をきちんと卒業し、その上で受験すればよいだろう。ギャップタームは「大学生になる前」よりも「社会人になる前」が有効だろうと考えている。見聞を広めるも良し、自己研鑽に励むも良し。

私の大学4年次は、卒論のための実験と教育実習と教員採用試験(および、若干の入社説明会)で忙しかった。あの多忙さは避けられることになる。研究→卒業→教採(入社試験)という流れには、特に問題を感じない。
入社内定後に留年→入社できず、という「過去に繰り返されてきた忌まわしき出来事」も無くなるだろう。
例えば「明治大学法学部大量留年事件(ウィキリン)」のような。


私が最初に勤めた学校では、私と同じ「非常勤講師の同期」に、上の事件(?)にモロに引っかかった御仁が居た。
企業の内定を得ていたのだが、留年し、入社できなかったと聞いた。
彼も私も、その学校を1年で辞めちゃった。彼はどうしているのだろうか...

当時、流行っていた歌。

この曲を聴くと、「非正規雇用で不安な中、生徒を制御できず困惑し、最後はパニック症候群っぽくなった日々」を思い出すのでした。
笑えない出来事だが、だからこそ「今の私」があるのは確かです。

と、最後は表題と関係ない話で終了。

私は、あんまり出身大学には愛校心がない。
とは、言いながら、こんな日記を書く。

珍しく、1日に2つも母校「東京学芸大学」についての記事を見た。
1つめは tweetbuzz 経由で知った、「キニ速」の記事。

って、リンク貼ろうと思ったら、もう「キニ速」も消えてた。ま、実際個人情報だよね。
私が「キニ速」の記事を見た時点で、「公式サイト(笑)」は無かった。

しかし、j-cast がわざわざ記事を上げてくれている。
せっかく?だから、リンクを貼る。

教育系女子大生「今まで付き合った人数→12人」 「のろけサイト」、「黒歴史になる」と炎上 : J-CASTニュース


私が東京学芸大学を卒業したのは、1993年(平成5年)のコトである。
私がその大学を選んだのは「国公立で小学校教員になれて、理科を中心に勉強する学科」があったからだ。ま、埼玉大・千葉大・横浜国大にも、同様の学科はあったけど。
偏差値(なるべく高いところ)と規模(なるべくデカいところ)を考慮し、学芸大と横国を受けた。最終的には横国を蹴った。自宅から遠いし、規模が小さいから。試験会場にチャラいヤツが多かったというのもある。その当時は「チャラい」なんて形容詞は無かったけど。というか、二次試験会場(慶応大の日吉で行われた)で「黄色い服着た目立つヤツ」がいて、嫌悪感を覚えたのだ。ま、学芸大が第一志望でしたけど、上記の理由で。


あの学校は「東京にある国立大だけど、比較的入りやすくていろんな学科がある」という特殊な環境なのですね。
実際は「教育学部」しかないのだけど、社会科学・自然科学・人文科学、結構いろんな学科がある。体育系もあるなぁ...

私が入った「A類(小学校)理科」は、100名弱の同級生が居ました。男女は半々。それが2クラスに一応分かれてた。
地方出身者が半分、自宅生が半分。現役生が半分、浪人が半分、って感じ。(あの時代は、今よりも大学が入りづらかった。...ハズ)
で、「教員志望者が半分、そうじゃないのが半分」という感じでした。最終的に同級生で教員になっているのは、同じクラス(18組)内のうち、3割程度だと思います。

で、下宿生が半分ですから、リア充(当時は、そんなコトバ無いけど)率が高かったのは確かですね。私は非リアだったけどな。
だから、校内にカポーが多かったのは確かだろう。特に地方出身者だと。
しかし、あのサイト(もう消えたみたいだけど)は、馬鹿丸出しですね。


それだけならば、日記にしようとは思わなかったのだが、もう一つ関連する記事があった。
池袋ウエストゲートパークならぬ池袋西口公園 - 東京DEEP案内

たしか、2ヶ月くらい前から、RSS を取得してました。
あの素晴らしい「東京タウンマトリックス」を作られた方のサイトのようです。
ttm-thumb-300xauto.jpg

あの、綺麗になったのに雑然としている「東京芸術劇場」、以前は確かにだだっ広い公園でした。記事を見るまで忘れてた。
あれは「豊島師範学校跡地」だったのですね。

東京学芸大学は、いくつかの「師範学校」が母体だと云うことは、何となく知ってました。そういえば「豊島」という名前もあったかも。
イニシヘの池袋西口公園は、その周囲に国際興業バスのバス停が多数ありました。小さかった私は、だだっ広い公園の横で緑色のバス「江古田二又行き」を待っていた記憶があります。地下鉄有楽町線も開通し、江古田二又は風前の灯火となっています。「池袋→要町→千川→江古田」なんて、どこでも電車で行けますものね。


ってコトを思い出したので、日記にしました。


関連する記事
理科と私(2001年)
ろぐ(2009年5月)
教員免許更新制の帰趨(2009年9月)
渡邉康弘センセイと縣秀彦センセイと私(2010年3月)
教育実習のおもひで(2010年6月)

基本的に喧嘩ですけど

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こんなメールを「大学トウキョク」に送りました。
https://ariori.com/khroma/20120209.html

本年度、私の得点は以下の通りでした。見直しを含め、60分以内(帰宅の電車内など、細切れだった)に解いたはずです。括弧内は「受験生の平均点」です。

生物 97(64.00)
化学 100(65.13)
地学 90(69.48)

久しぶりに100点を取れて嬉しい。ま、理科の3科目を見る限り、あまり捻った問題もありませんでしたけど。
で、「地学Ⅰ」については、10点の失点のうち、7点が岩石がらみだった。「岩石鉱物学研究室」出身なのに...orz
生物は海水産硬骨魚の尿の濃さについて間違えた。そして、OKWaveの過去ログで復習(笑)。

やっと、「やらねばいけないと思っていたこと」の一つを消した。
なお、物理に手を付けないのは「全然自信がない」から...。

5年ぶり3回目

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この文章を作成しているのは、ノボシビルスクの北である。そして、空の上。

本日から、高校2年生の修学旅行(の引率)が始まった。
表題は「パリへの引率」についてである。やっとフライトは中間地点を超えた。12時間45分は長い。残り6時間を切った。
暇つぶしに作文をしている。この文章がサーバーに上がるのは、ホテルに着き「公式なサイト」をアップし終えてからであろう。

近年は世界中ネット接続が楽になった(ようだ。別に私は世界を股にかけているワケではないので、エラそうには言えない)。
勤務先では、この「パリ修学旅行」が開始された当初の2001年から、パリでの状況を公式ページにアップするということを続けている。ま、ブッチャケ言うと、私はそういう「オプション」の仕事ってのは「やらなくても良いじゃん?」って思っているのである。まずは、旅程の安全確保が第一であり、教員は睡眠時間を削ってまでも「公式サイトの充実」などを図らなくてもよいだろう、ってスタンスである。
というのも、もっとも初期は「モデム(!)」を持参し、公衆回線を使用してニフティ(か何か)の「アクセスポイント(死語)」に接続し、本当に睡眠時間を削ったヒトが居たからだ。私は画像が添付されたメールを受け取る側だったけどな。接続が悪く、画像を送るのに何十分単位の時間が必要だった(と、苦労した人は言っていた)。
受け取った画像は杉並区の学校でhtmlとして成形されたのち、同じ校内のWebサーバーに上げられていた。その時点で、やっとパリでの情報が保護者等に伝わったわけだ。

職場でパソコン関係をまとめていらっしゃる先輩とは、そのあたりのバランス感覚、つまり「旅行を引率した教員が、そこまで苦労すべきか否か」について議論をしたことがあったが、それは平行線のまま、結論を得られずに終わった。(議論はメールでのやり取りだった。そいつを一太郎で成形したものは、未だに職場のパソコン内に保存してある。)
結局、毎年毎年、この「旅先からの画像の送信」は行われている。教員が文書や画像を日本へ送ることもあれば、旅行の添乗員さんが日本の職場にメールで送ってくれた年もあったようだ。
私は約10年間、その過程を見て見ぬふりしてきた。

のであるが、今回はそいつに加担するコトとなってしまったのである。
CMS(こんてんつ・まねーじめんと・しすてむ)環境が発達したということもあり、前述のネット環境が充実したということもある。普通に言うと「旅先のホテルからネット接続し、ブログとしてアップすることが簡単になった」からである。

職場では、公式にtwitterのアカウントを持っており、情報を発信している。
ま、実は最初、私はtwitter導入に否定的だった。「別に、(内容が古くなりすぎてるヤツもある)公式サイトの情報を充実させれば良くね?」って。その意見は職員会議か何かでも披露したように記憶している。ま、結局のところ、アカウントは作られ、情報発信は始まった。ま、未だに「私企業(twitterやfacebook)のサーバーを用いて、公式な情報を発信する」ってコトについては、完全に納得しているわけじゃないのだけど。とはいえ、私の勤務先も「単なる私企業」ですけどね。
しかししかし、youtube上に「公式チャンネル」を作ろうと進言した(そして、作って動画をアップした)のも私ではあったりする。動画の配信は技術もサーバーの能力も必要だから、自前でやるよりは、無料でようつべのサーバーを借りたほうが早いと判断したためだ。

で、およそ1年前、巨大地震が東日本を襲った。
実は、相当にtwitterは役に立ったらしい。公式tweetを作成しているのは、職場の先輩お一人である。彼も「まんべくん」のように、殆ど「全権」を担っていると言えるのだろう。今のところ、問題が生じたことは無い。ま、その辺は私学の「ユルさ」と「先輩お一人」の素晴らしいバランス感覚によるものなのだろう。ま、良いことだ。


結局、何を記そうとしていたかというと、特に目的はないのだ。
機内で「フライト状況」を見ていると、ヘッドホンからは「日本のヒットソング」が流れてくる。もう、2周めかな?
きゃりーぱみゅぱみゅの「つけまつける」という歌を最初から最後まで聞いたのは初めてだ。

由紀さおりの『1969』ってアルバムが聞けたので、2周ほど、寝たり起きたりしながら聞いた。一緒に演奏しているっぽい「ピンク・マルティーニ」って何なんだろう? マティーニか、お酒飲みたいなぁ...

また、たむらぱんの新しいアルバムもあったので、やはり2周ほど聞いてみた。過去に「ぶたべすと」とかいうCDをTSUTAYAで借りたことがある。(でパソコンに取り込み、私的に聞いている、時々。)たむらぱんってヒトの歌を最初に聞いたのはラジオであった。『機内エンターテインメントのご案内』で初めて知ったが、youtubeからブレイクしたヒトだとか? そういえば、ラジオでそんなことを言っていたような...
あとで、チェックしてみよ。

現在、飛行機は西シベリア低地上空らしい。このパリ行きのフライトでは、一番北極に近いところを飛んでいるのかな?
Times to Paris は5時間を切った。
たむらぱんから次の曲に移った酉の刻、お八つの蒸しパンが届いた。
機体がさっきから揺れているので、とりあえず終わろ。

ここにあるのは2012年2月に書かれた日記です。

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