2010年3月アーカイブ

春節の上海(凄まじき花火)

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この動画を撮影したのは2010年2月19日の0時過ぎです。
旧暦の元旦は2月14日でした。その日の方が全体的には花火の量が多かったです。この動画でも、街中にしては十二分の量の花火が打ち上がっていますが...

配偶者曰く「19日(旧暦の1月5日)は『商売人』が景気づけ(?)に花火を打ち上げる日」とのこと。その日は、滞在した親戚のマンション真下から、花火が飛んできました。あまりにも近くで花火が炸裂するのが面白かった(危なかった)です。

私が中国に着いた13日(旧暦の大晦日)の夜遅く、遠く浦東の方ではヘリコプターが何十機も飛び立っていました。小さな蜂がシゴトに行くみたいで、見ていて可愛かったです。その晩は花火がうるさくて、熟睡できませんでしたとさ。

数日前に、私が報道当初から気にしていた下らない事業の結果が出た。

http://www.meti.go.jp/press/20100305003/20100305003.pdfから。

使用済み携帯電話の回収台数(昨年11月21日~本年2月28日の累計)は、全国で567,056台(速報値)
回収された携帯電話に含まれる有用金属の量(推計値)は、金22kg、銀79kg、銅5,670kg、パラジウム2kg

日経曰く「金額にすると8400万円相当」とのこと。

壮大な無駄だ。
シャワー浴びて、読みかけの本読んで、寝よ。


2010/3/11追記
『デイリーポータル Z』内の「小野法師丸氏の場合」は、1000円分のケータイを持ち込んで、3000円をゲットしたようです。
そして、この下らない事業全体では、8400万円分の地金のために、とりあえず2億3000万円が用意されていたわけです。「諸費用抜き」で。
「3倍返し」なんて、太っ腹ですね。さすが親方日の丸。
「都のオリンピック誘致費用、広告代理店がボリすぎ」ってニュースが最近ありました。この「下らない事業」も、最終的な会計報告が楽しみです\(^o^)/

盧浦大橋行ってきた

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念願だった「盧浦大橋登頂」レポートです。先月の19日に行ってきました。
馬鹿だから、高いところに登りたくなるんですね、どうしても。


地下鉄に乗って移動します。チケットは suica 風なヤツで、何度も使用されます。多分地球に優しい。
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なお私は、この登頂の帰り、電車の中で思いっきりチケットを無くしました。親戚宅の最寄り駅の駅員さんは「しゃーねーなー」って改札を通してくれました。

地下鉄路線図。
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この図には工事中の路線も描かれています。例えば2号線(東西に走る黄緑色)は2つの空港を繋ぐ予定だそうですが、まだ完成していません。
私が最初に上海に行った時は、1~4号線くらいしか無く、環状線である4号線すら完成していませんでした。

現時点では、鲁班路駅が最寄り。
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ホームにはドアが付いています。壁面の広告はケンタッキー(肯徳基)ですね。向こうの KFC は、使われている肉がジューシーでうまいです。日本と中国を比べると、マクドナルドや KFC は中国の方が美味だと思います。

交差点。
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看板に東西南北が書かれています。日本も導入すれば良いのに。鲁班路を南下すると、目指す橋です。

橋に登るためのビルが見えてきた。
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橋脚。
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やたらに細い。これは、最初に中国に行った時にビビりました。
大体、20階を超えるような高層マンションも、鉄筋コンクリートなんですよね。基本的に鉄骨を使わないようです。ま、地震がないから大丈夫なのでしょうね、多分。

登頂料は、大人38元。子供や18歳以下の学生は28元。日本で買ったガイドブックの記述(68元)と異なりました。
そして、定番の海宝くんが出迎え。欢迎光临!(歓迎光臨)
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ここを登る。
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4方向からの歩道があるのですが、現在は1箇所しか解放されていません。
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登った。
登り口のある上海市中心方向(北)を望む。
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郊外方向(南)を望む。と言っても、十分に高層な住居が林立しています。
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南側下流方向(南東)を望む。万博会場です。赤い建物は中国館。
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北側下流方向(北東)を望む。浦東のビル群も見えます。
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上流方向(西)を望む。
「地平線様の景観」を作る建物はマンションで、そのほとんどは20階超です。
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一応動画。

さよならは別れの言葉じゃなくて...

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先日、高校3年生を送り出した。5回目である。
もらった花束。
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大概、花束を生徒から貰う。
今年は家に持ち帰るのが面倒だった(子供もいるし、危険そう)ので、学校の廊下に飾ってある。例年のごとく、水切り(花瓶等の水中で、植物の茎を改めて短く切ること。花が長持ちすると言われる)をして、なるべく長く生かす。

花の種類によって、徐々にしおれてくるのである。私の記憶(というか、記録)では、かすみ草は長持ちする。
上の画像は、既にいくつかの切り花が廃棄されている。
徐々に花を処分しながら、徐々に卒業した人々の記憶を格納していく。卒業生を送り出した後の、毎回のリハビリテーションである。


思えば、この3年くらい、何だかんだで「職場全体の(酒付き)送別会」に参加できていない。ま、参加できなかったものは仕方ない。

この春も「とりあえず」お別れとなってしまう教員は複数名いらっしゃる。しかし、機会があれば、またお会いすることもあると思うのです。表題のフレーズは、私と同じくらいの年齢ならば、ご存じの歌詞でありましょう。(jasrac に金払うべきなのカナ?)


この春に、私が卒論作成などでお世話になった本間久英センセイが、東京学芸大学を退官なさると聞いた。先日、その関係で研究室の先輩(同業他社)から連絡があり「会合を開くつもりなので、分かる範囲で同期などに連絡してみてください」と言われた。とりあえず、私のケータイには同じ研究室で同じく本間先生のお世話になった、同じクラスだった人物の実家と思しき電話番号が保管してあった。親御さんが同じ場所に住んでいたようで、彼の現在の住処の電話番号を教えてもらえた。
およそ20年ぶりに会話をしたわけだが、一瞬で大学当時に戻ったような気がした。「俺、小川の連絡先知らねぇんだよな。年賀状の交換くらいしようぜ。会った時に住所を教えてくれよ」って言われた。その会合で配布するため、職場と自宅の連絡先を記した名刺を、ワード使って、改めて作成した。
同じ研究室の同期(平成5年3月学部卒)は、彼の他に少なくとも3名は居たのだが、それらのヒトビトの行き先・居場所は分からない。


つーコトで、この春お別れがあったとしても、逢えるヒトはいつか逢うのだろうと思うのでした。
さよなら。


過去の関連する日記
涙についての告白
リアル日記
追悼
「お祈り」とか「さようなら」とか、別れ際のコトバに纏わるブログを読み、ホールデン・コールフィールドを思い出した。

ボーガスニュースは素敵だ。例によって「Googleリーダー」に登録してある。
特に、3月11日の記事は秀逸だと思った。

飼育されていたトキは中国籍の親をもつ在日中国トキ2世で、超法規的により在日特権を与えられ日本国民の税金で衣食住はもとより付き合う女性まで世話してもらうという、厚遇を受けていた。テン容疑者はこれに不満をもち、
「不法滞在者は日本から排除すべき」
「在日特権が許せない」
などと犯行に及んだという。


「佐渡トキ保護センター」って、私は昔(下記参照)からあんまり快く思っていなかったのですね。
そして、この今回の失態。
「佐渡雇用保護センター」っていう風に、名称を正確なものにした方が良いのでは? 土建屋とセンター職員に「税金のなれの果て」が落ちていくだけらしいって、世の中にバレちゃったから。

公式サイトを見ても、センターの素性がよく分からない。
募金のお願いをしているクセに、会計報告が無いって、どういうコト? ...あ、ニホンの「トクベツカイケイ」と一緒か。


過去のトキに関する日記
雨の動物園に思う(2001年6月)
朱鷺の思い出と別れるトキでは?(2008年11月)

私の使っているケータイは、705NK です。NOKIA 製の端末でして、日本では softbank から2007年1月に発売。
そのうちに、NOKIA は日本から撤退してしまいました。「人口が少ない」「言語がニッチ」「シェアが低い」という三重苦だったようです。

昨年、NOKIA 用の携帯充電セット(DC-8)を、3000円超で購入してしまったため、本当に壊れるまでこのケータイを使用するつもりなのです。
で、この半年くらい、ジョイスティックが部分的に壊れていたのです。
私は一応「ほぼ思ったように操作」できたのですが、既に素人(?)には操作できないレベルになっていました。全て過去形なのは、現在は完治しているからです。

基本的に「真っ直ぐ下へのクリック(多分一番用いる操作)」と、「右側へのクリック」に際して、全然クリック感がありませんでした。気持ち悪いことこの上ない。
メールを作成する時、宛先を一番最後に入力するようにしていました。単なる「返信」とかは危険なのです。文書作成途中なのに、気が付くと送信してしまったりして。


ちょっと前、ソフトバンクショップに行って、「修理にどれくらいかかりますか?」って聞きました。「最低でも15000円はかかる」とのこと。ま、これはソフトバンクショップが決めた値段ではなく、NOKIA の決める値段らしいです。
修理について調べていく過程で「ファームウェアのアップデートが行われている」というコトを知っていたので、それだけ頼みました。
「0円」であり、「謎の再起動」が減るという噂です。

で、ハードウェアの修理依頼は止め、自分で修理することにしました。香港の通販サイトに部品を発注しました。送料込みで2500円ちょい。
専用のドライバ(T6とやら)も、池袋のビックカメラで買いました。380円だったかな?

ファームウェアアップデートを依頼して3日後、ショップから電話がありました。
「ジョイスティックが壊れているので、15000円くらいかかるそうです。ファームウェアのみの更新はできないそうです」と。

NOKIA はどうしてもお金が欲しいようです。
ま、ジョイスティックを操作しないと、ファームウェアの更新ができないのかも知れませんが。
私は「そのまま返品でよいです。ファームウェアもそのままで」と答えました。ショップの店員さんは機種変更をさせたかったらしいですが、私は無駄なカネは使わないのです。部品発注済みだし。


とりあえず、ハードウェアは自力で直しました。
いつか、ほとぼりが冷めた(?)頃、ファームウェア改修を別のショップに依頼することになるのかな...? しかし、NOKIA に修理履歴が残っているのは確かでしょうし、改造云々で面倒なハナシになりそうな気もします。なので、このままでも良いかと思っているのでした。ジョイスティックが新品になり、ケータイを使う上での快適さが復活しましたから。

ま、確かに再起動が多いのは気になるのですけどね...。


参考にしたサイト
705NK(N73)バラし(ジョイスティックの交換) - さんっ、ななっ、はっち
No Mobile, No Life.: N73 カバー交換 Part1
携帯電話 ジョイスティックの修理 NOKIA N73 (Softbank 705NK): リターンライダー 25年ぶりにこんにちは カワサキZRX1200R

部品を買ったのはここ
Nokia N73 OEM keypad w/ joystick - Cellular Nationwide Network - Cellular Accessories -

上記サイトはここで知った
Tales about Apple - blog : N73キーパッド

クニの出入りについての思い出

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私が最初にパスポートを使用したのは、およそ7年前です。
30歳を過ぎるまで、ニホンってクニを出たことは無かった。もっと若いうちに、さっさと外国へ出ておくべきだったようにも思えます。

最初に行ったクニは中国でした。ニホンに帰国し、成田空港のターミナル内部を歩いていました。すると突如として「もやし炒め」の匂いを感じたのです。最後に醤油を垂らしたヤツの匂いが。
あれ以降、何度も成田空港は使用していますが、野菜炒めが饗されていそうな店舗なんて、見あたらないのですよね。そもそもイミグレーションの手前ですから、店舗自体が存在していません。しかしなにしろ、初めて日本に戻ってきた(?)とき、醤油の香りを感じたのです。

フランス・パリには2度ほど行ったコトあります。修学旅行の引率で。
初回のトキ、ターミナル内部に入った瞬間に、香水の香りを感じました。「おフランス」に来たのだと思いました。2回目のトキは、それほど香水の香りは感じませんでしたね。

その2度目の修学旅行の出発当日、私は「ゴミ出し」をしました。そのときは一時的に一人暮らしをしていたため、しばらくは家の中が無人となるのでした。
家の鍵は、旅行の準備のため、財布の中に移動しておいたような気がします。なにしろ、通常使っているキーケース(香港で買ったカルティエのヤツ)からは出していたはずです。で、マンションのゴミ捨て場へ行って気づきました。鍵を持ってこなかったコトに。
マンションはオートロックです。ゴミ捨て場の扉も開かないし、自室へも戻れない。修学旅行当日の朝です。
かーなり焦りました。

運良く、別の階のご主人が、ゴミを持って現れました。私が屋外に佇んでいたのは、1分も無かったかも知れませんし、3分くらいは経過していたのかも知れません。何しろ、5分までは経っていなかったような気がします。
何気なく「おはようございます」と挨拶をし、その方が開けたゴミ捨て場へ入りました。混乱していたから記憶が定かではないのですが、そのご主人に鍵を閉めて貰ったはずです。「鍵を忘れたので」とか、「閉めてください」とか、言ったのか、言わなかったのか、記憶にありません。
何しろ、オートロックの自動ドアを開けたご主人に続き、私も自動ドアを抜けました。
外廊下に面した自宅玄関のドアは鍵をかけなかったので、無事に家の中に戻れました。そして、無事にニホンを旅立つことができたのでした。

それ以降、飛行機に乗る日の朝は、そのデキゴトを思い出すのでした。


おまけとして、春節の上海の画像を。

龙华寺(龍華寺) エチゼンクラゲが蔓延
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「数年前」に職場の誰かから聞き、河合塾で数学科の講師をなさっている渡邉康弘先生は、私と大学が同窓(地学科出身)であることを知った。渡邉先生は、ここ数年、私の職場でも短期の講習などを担当なさっている。

渡邉先生は、衛星中継の講座も担当なさるような、河合塾の看板講師であらせられる。
「数年前」のさらにすこし前、校内研修と云うことで、数学科の教員と一緒に、彼の授業を受けさせてもらった。講談のような授業であった。スゴイと思うが、私は真似をできない。私は私で精進するのみであると思った、コトを思い出す。

で、本日やっと「同窓」関係のお話をお伺いできた。
部分的に個人情報になっちゃうので、どこまで書いたものか悩むのだが、問題があったら適宜対処します。


渡邉先生は天文学研究室の出身とのこと。
で、後輩に縣秀彦氏がいらっしゃるとのこと。

縣秀彦という方は、テレビの『NHK高校講座』とかにも出ている、国立天文台の准教授であらせられる。
妙にヒトの良さそうなオッサンだなぁ...って思っていたら、縣さんは高校のセンセイもなさっていたとのこと。凄く喋りがうまいと思っていたら、「元プロ」なのだった。確かに公式サイト(?)にも、そういった記述がある。


渡邉先生がおっしゃるには、天文学の普及のため、縣先生に白羽の矢が立った結果、今の(オガワマサキの知る、テレビの)彼が存在しているとのことであった。
高校の教員だった縣氏に対して、同じ研究室の先輩(渡邉先生よりも数年先輩)から「箔(学位)を付けて国立天文台へ乗り込み、天文学の普及に努めよ」との指令が出たとか出ないとか。凄いハナシである。私は、昔から縣センセイは「バリバリの研究者」なのだと、勝手に思っていた。

よくよく考えると、私の学部卒業と、縣センセイの修士修了は同時(1993年)なのである。
4年間、かなり物理的に近い場所に存在していたはずなのだ。岩石鉱物学研究室と、天文学研究室だから、直線距離で数十mってトコロだろう。きっと何度かすれ違ってもいるはずだ。しかし、全然面識がない。


縣センセイや国立天文台に関連する過去の日記
太陽が地球を回ってる(2005年)
"矮惑星"で何がいけない?(2007年)
反応があった(2007年)
燃え上がり、立ち消えた物欲(2007年)
"POWERS OF TEN"は"Mitaka"に影響を与えたのだろうと思う。(2008年)

さらば情報、いざや理科

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2008,2009年度は、情報科ばかりを担当した。
2010年度は全面的に理科に復帰する。

数年ぶりに『理科年表』と『天文年鑑』を購入した。
『理科年表』は授業に持参しておかないと、生徒からの質問に対してきちんと答えられない場合がある。稀に『天文年鑑』が必要になる場合もある。
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私は、情報科よりは理科の授業を担当する方が好きだ。
来年度からは情報科を担当しないので、中国行きの前の晩の生タカギを見られる『プ会』や、急ぐシゴトも部活もない平日の『都高情研研究大会』は、参加を見送りました。
高木浩光氏ならば、ネット上に改めて資料を提示してくださるだろうと思ったこともあります。それは見事に的中しました。今度情報科を担当するときは、上にリンクした記事を参考にさせていただくコトを誓います。
また、研究大会では「都内某大学付属某私立高校教師」さんのご尊顔を拝見したかったのですが、自分の子供と遊ぶことを優先しました。この方のブログは、少なくとも2年弱くらいは拝読しているハズなのです。つい最近の日本文教出版の冊子『ICT・Education』の記事内容とブログ記事がカブッているコトに気づき、勤務先と正式なお名前が分かったのです。
発表も好評だったようなので、参加しなかったことが少し悔やまれます。

今、杉並区の図書館から借りて読んでいるのは、『"不機嫌な"太陽』という本です。(アマリンク)
借りられたのが昨日なので、まだ冒頭しか読めていませんが、なかなか面白いです。この本を知ったのは『極東ブログ』の記事からなのですが、弁当爺さんの閑さ加減には敬服します。どれだけ本を読んでいるのだろう、彼は。

と、云うことで精進しましょ、自然科学に。


2010年5月6日追記
やっと『"不機嫌な"太陽』読み終えました。(書評)

ここにあるのは2010年3月に書かれた日記です。

前のアーカイブは2010年2月です。

次のアーカイブは2010年4月です。

最近の日記はこちらで見られます。過去に書かれたものはアーカイブで見られます。