2006年6月アーカイブ

新しい高校地学の教科書

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ブルーバックス『新しい高校地学の教科書』をだいぶ前に読んだ。面白かった。
読み物として良くできているし、大学受験へ向けての参考書としても上質である。最新の知見も盛り込まれており、バランスの取れた内容である。大学受験で地学が必要な高校生は、まずこの本を読破することから始めるのが良いのでは無かろうか。
約20年前、私はコツコツと『チャート式地学』で独学を行った。この本がその当時にあったなら良かったのに。こんな本で勉強できる、今の高校生は幸せだ。
そして、この本を読むと「地学」という分野が発展途上であるということも分かる。地学という学問に興味が湧くような書籍に仕上がっている。なにしろ、ベタ褒めするのである。受験生じゃなくてもオススメである。

それに対して『新しい高校化学の教科書』、地学に比べると面白くない。まだ読破していないのだが。面白くないから読破できていないという面もある。真面目な私は「読み始めたからには読破しよう」って考えている。
全体的に「独りよがりの文章」が多いように感じた。8名の共同執筆らしいが、確かに文章がモザイク状になっているような気もする。『地学』の方はそんな印象は持たないまま、一気に読破した。まあ『化学』は最後まで読んでいないので、最終的な感想ではない。しかし何しろ、現時点では『地学』の勝ちである。
まあ、受験生はこの本を読むのが良いのかも知れないが、受験生以外には勧められない気がする。

元々、化学は「暗記と計算力」がどうしても必要になる「受験科目」である。「化学を勉強するのが好き」かつ「理科を受験科目にしなければならない」ならば化学を選択すべきである。また、理系ってヤツに進学を希望するならば、絶対に勉強しておかなければならない科目であろう。
しかし、化学は勉強するには難儀な科目であることも確かである。ま、私は好きですけれど。

身近な物理学

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身近なところで「シンドラーエレベーター」ってヤツを見たこと無い私である。日本でもそれなりのシェアを持っているらしいのであるが。

今回の事故が起こる前から、私は「エレベーターって安全なのか?」って思っていた。何となくだけど、エレベーターに出入りする際は、早足を心がけたりしていたのだった。だって、エレベーターの箱(ゴンドラ)が突然落ちたりした日には、床とエレベーターの天井でギロチンにかけられるのは目に見えていますから。今までのトコロ、私は幸いにして「エレベーターでのギロチン」に遭遇していない。

そんななか、港区の住宅で事故が起こったわけだが、私は今回認識を新たにした。それは「エレベーターの箱は、放っておくと上昇する」というコトである。
確かに、ワイヤー式のエレベーターでは、エレベーターの箱と逆向きに「おもり」が移動しているのを眼にする。職場のエレベーターは油圧式だそうであり、出入り口にガラス窓があるわけでもないので「おもり」は見えない。しかし、私が現在住んでいるトコロは「ワイヤー式のエレベーター」が備え付けてある。また、その扉は「ガラス窓付き(防犯対策?)」になっているので、エレベーターのゴンドラが上に移動する時には、滑車で接続されていると思われる「おもり」が下に向かって移動するのが見える。逆も同様。
これからはエレベーターの出入りの際、ゴンドラが突然上昇しないかどうか、気をつけながら早足でコトを済ませようと思う私なのであった。ただし、ゴンドラ乗車人数が少ない場合。定員一杯に乗客がある場合、やはり重くなっているゴンドラは下がるでしょうから。

エレベーターで怖いコトっていうと、「ゴンドラと床の隙間に物を落とす」ってヤツがある。まあ、これは電車の乗り降りでも同様であるが。
例えば、カバンそのものはそれなりに大きいから、ゴンドラと床の隙間あるいは電車とホームの隙間にはあまり落ちないだろう。また、カバンの内容物が突然勝手に飛び出すことは無さそうだ。それに対して、ズボンなどのポケットに突っ込まれている物は、何かの拍子に落ちることがありそうだ。そして、ポケットに突っ込んでいる物っていうと、ケータイとか財布とか家の鍵とかだ。こいつらはどれも重要である。
これまた幸いにして、私はエレベーターや電車の乗り降りの際、これらの重要物を落としてしまったコトは無い。これからも落とさないように心がるつもりだ。何しろ、エレベーターについては、隙間に落とした物を拾ってもらうことの手間は計り知れない気がする。
落とし物といえば、どこかの地下鉄の駅で「エスカレーターのピットに定期券を落とさないでください」って張り紙を見たことがある。確かに、定期券みたいに薄っぺらい物ならば、エスカレーターの隙間からその下の空間(ピット)に落ちるコトも十分あり得る。その1枚の定期券を拾うために、確実に万単位のカネ(人件費や作業費用)が必要になりそうな気がする。駅職員としては「やたらに物を落とすなよ」って考えてのポスター掲示なのだろうが、定期券を落としたくて落とすヒトは居ないだろうから、張り紙に効果があるかどうかは甚だ疑問である。

なお、私が本当に怖いと思うのは遊園地である。
ジェットコースターはレールと車輪が見えているからまだ信頼できそうである。特に怖いと思うのは、単純に空を旋回するようなタイプの乗り物である。自分が乗っているゴンドラと駆動部を接合するワイヤーなりジョイントが突然破断してしまったら、ゴンドラに乗ってるヒトは落ちる。ちょっと理科チックに表現すると、重力加速度を受けながら地面へ向けて落下するってこった。また、円運動を行っている途中に放り出されたらば、まっすぐに地面に落ちる以上のダメージを食らうに違いない。そのことに気付いてしまったのは中学生の頃だっただろうか。中途半端に物理学を勉強し、世の中に怖い物が増えてしまったのであった。あれ以来、どうも遊園地の古めかしい乗り物には不安感を覚えてしまうようになった。
更に余談?だが、大人になり怖く思ったのが「自分の頭の巨大化による怪我の恐れ」である。
中学生のトキ、ディズニーランドはスペースマウンテンに乗った際には気付かなかったが、数年前に久しぶりに同じ乗り物に乗って知ったコトがある。暗闇を小さな回転半径でくるくる回り続ける「あの乗り物」は、ヒトの首に多大な負荷を要求するという事実だ。
中学生の私の写真と現在の私を比べると、確実に頭の大きさが異なっている。当然大きくなっているのだ。そして、スペースマウンテン上の中学生の私の頭と、スペースマウンテン上の現在の私の頭は、変わらず同じスピードで運動したはずではある。
そして、問題が生じる。物理学の基本法則にあるように、異なる質量の物体に同じ加速度を生じさせたい場合、加えるべき力は質量に比例させなければならない。そして、加速度運動を強いられるスペースマウンテン上の私の頸部は、昔よりも大きな力を発揮して私の頭部を支えなければならなくなった。
まあ、簡単に言うと「大人になって乗ったスペースマウンテンでは、首がモゲるかと思った」ってコトだ。あれには驚きましたわ。

「ボタンの掛け違え」と飛鳥涼

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「ボタンの掛け違え」って云う表現、結構耳に、眼にする。政治屋までもが使っている。
私は、この表現を生み出したのは「CHAGE and ASKA」の飛鳥涼氏だと観察している。

もちろん、衣類にボタンという仕組みが加わった時から、物理的な「ボタンの掛け違え」は起こっていたことだろう。また、辞書を見てみると「(ボタン等の)掛け違え」という語句もきちんと載っている。
ただ、「初期の意志の疎通がうまくいかず、その食い違いを残したままに状況が進展してしまうこと」を表す表現として「ボタンを掛け違える」という比喩を生んだのは、飛鳥涼氏であると思うのだ。そして、そのコトバが入っている歌の題名は『僕はこの瞳(め)で嘘をつく』である。私の記憶では、この歌以前に「ボタンを掛け違える」っていう風な表現を見た、聞いた気がしないのだな。
歌詞の一部を引用してみる。

心のリズムは散らばるようなタンブリン
話の何処かできっと 掛け違えたボタンがある
君が僕を見つめている

だから君の顔 見つめたよ
だから君の顔 見つめたよ

どんなに君の瞳が僕を疑っても
僕はこの瞳で嘘をつく


この歌は1991年に発売されたアルバム『TREE』の1曲目に収録されているのである。

このアルバムは劇的に売れた作品らしく、私も持っている。2曲目の『SAY YES』を知らないヒトは居ないだろう。
『SAY YES』は場面設定が具体的だから、分かりやすい歌である。『僕はこの瞳で嘘をつく』は、恋の始まりの歌である気がするが、ちょっと浮気とか不倫みたいな雰囲気もある歌詞だ。アルバムに収録されている他の曲も、恋愛にまつわる何らかの情景を描いたモノが多い気がする。
そんな中、私が好きな歌は3曲目の『クルミを割れた日』と11曲目の『BIG TREE』である。この2曲は特に比喩が多用されているようで、様々な解釈が成り立つ気がする。特に『クルミを割れた日』は基本的に飛鳥涼というヒトの個人的な体験に基づく歌なのだろうが、そこには普遍的な何か(宗教的体験?)が語られている気がするのだ。まあ、歌詞が難解だから、その上に私の下らない解釈を垂れたところで無意味だろうからこれ以上は記さない。とりあえず印象的な曲である。

話は戻る。
「ニホンゴを作りかえた、つまり確実に歴史を塗り替えた」飛鳥涼は凄いなぁ、って尊敬しちゃう私なのだった。数年間、ずーっとそう思っている私なのだが、勘違いなのでしょうか? もっと前から「ボタンの掛け違え」って比喩は使われていたのでしょうか? ずいぶん調べてきた、そして今日も調べてみたのですが、分かりませんでした。

被授業参観

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本日、職場では中学校で「授業参観」が実施された。
本年度も昨年度までと同様、年に1日しか開かれないハズだ。そして、そのうちの午後の1時間だけ公開される。

今までは、時間割の関係で「参観」していただく機会がなかった。しかし、とうとう中学生の保護者の方々に、私の授業を見て頂く機会がやってきてしまったのだった。
やはり、それなりに緊張したのだった。生徒も普段よりは真面目であった気がする。

今日の授業披露では、別に「手に汗握る」とまでは行かなかった。私も成長したものである。
ただ、今日の放課後は妙に腹が減った気がした。普段の授業よりも余計に頭を回転させることにより、体内のブドウ糖が消費されたのだろうか? 昼食のカロリー量なども普段と大差無いハズなのだ。
逆に言うならば「普段から、腹が減りまくるほど、真面目に頭を回転させて授業をせよ」ってコトになるのだろうか。

なあんて、思った本日でありました。


なお、授業は太陽系の惑星などについて学習したのだが、数年来この範囲は盛り上がるのだ。何故なら、セーラームーンという人々(?)の活躍により、惑星の英語名が中学生女子には浸透しているからである。私が小さい頃はセーラームーンという人々は存在しなかった。その頃は天文オタクでない限り、マーキュリーだのヴィーナスだのといった惑星の名称は知らない輩がほとんどだったハズ。
ただ、今の中学生はベルクカッツェとかいうコトバを発することは無いだろうから、ドイツ語の習熟には若干の問題がある、…コトも無いな。

前世紀と今世紀のリサイクル

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職場で私が主に使用しているプリンタはNEC製である。

このNECのプリンタは MultiWriter 2650 という製品である。そのトナーユニットは PR-L2650-12 あるいは PR-L2650-11 という品番である。現在、私の職場では決して安くはない「NECの純正トナー」を購入・使用している。

このプリンタが売り出された20世紀の終わり、純正トナーは必ず新品であった記憶がある。トナー本体?である「粉そのもの」が新品であることは当然だろうが、プラスチックのケースとか、感光ドラムなんかも新品であった気がする。
そして、私の記憶が正しければ、数年前からケースなどがリユースされている様子だ。20世紀のNECは「とりあえずプラスチック系の容器は回収しないと世間がうるさいから、使い道は整っていないものの回収しておこう」って考え、行動してハズだ。そして、回収された容器は再び容器として使用されていなかった。なお、職場の情報処理部長のセンセに尋ねてみたら、「最初からトナー容器回収しているし、最初からリユースしていると思う」とのコトだった。

まあ、エコロジー的観点だけから言うならば、容器をリユースするのは素晴らしいことである。しかし、この「NECによるプラスチック容器のリユース」が行われるようになってから、明らかに印刷品質が低下したのだ。
やはり20世紀の頃、数ヶ月ほどNEC以外のカイシャが販売していた「リサイクルトナー」を使用した時期があった。こいつは確実に品質が悪かった。それに比べれば、現在のNECが売っている「純正(容器リユース)トナー」の方が品質は良いだろう。ただし、以前NECが売っていた「完全新品でワンススルーの純正トナー」の方が、品質のバラツキが無かった。非常に当たり前のハナシであるが。

また、NECがトナーの容器をリサイクルするようになって、そのトナーの価格が上がったのか下がったのかも前述の先生に確認してみた。「価格は変わっていないだろう」とのコトであった。私もそう認識している。
どのような製品であれ、そいつをリサイクルするようになったならば、価格は上がるか下がるかしても良さそうなモノである。この「トナー価格が変わっていない」という現象は何故なのだろう? NECの企業努力なのか、利潤の追求なのか。あるいは、石油価格や原材料費の変動なのか、為替の影響なのか。分からない。当たり前だけれど。


NECのトナーの品質について、少なくとも複数回 Google と Yahoo! で調べてみた。また、テクノラティでもちょっと調べてみた。しかし、私の記憶にある「以前NECのトナー(容器)はワンススルーだった」というコトは発見できなかった。
この文章が何かを生み出す可能性は、今までと同じく低そうであるが、私の中ではかなり「謎なデキゴト」なので、今回披露してみました。Google でも Yahoo! でも引っかからないってコト自体も謎なのですねぇ。

キシレンに思う

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「オルト・メタ・パラ」ってコトバ、ご存じか?
知らない方は読み飛ばすか、これを機会にお勉強お願いします。

上記のコトバたちは、それぞれ o- m- p- って表記される。
xylene.gif
上の図は、左から o-キシレン m-キシレン p-キシレン であります。これを知らないことには、化学受験をしようとは考えない方が良いのでしょう。

で、o- m- p- は、それぞれ "ortho-" "meta-" "para-" って綴るのですね。

2006年6月17日現在の化学接頭辞・接尾辞一覧 - Wikipediaから引用します。

オルト(ortho)は'正規の'という意味のギリシア語に由来し、ベンゼン等の六員環の化合物において、1位と2位に置換基が結合していることを示すために用いる。

メタ(meta)はベンゼン等の六員環の化合物において、1位と3位に置換基が結合していることを示すために用いる。

パラ(para)は'反対の'という意味のギリシア語に由来し、ベンゼン等の六員環の化合物において、1位と4位に置換基が結合していることを示すために用いる。


ウィキペディアは「メタ」の説明を何故か避けている。

ネット上で他のサイトを見てみても、「オルト」と「パラ」は同じ様な説明がなされていることが多いし、多分その説明で良いのだと思う。オーソドックスorthodox とか、パラドックスparadox なんてコトバはニホンゴとしても使われていることだし。

私が気になるのは「メタ」の語源である。
こいつを「次の」とか「後の」って説明しているサイトを見かける。
「メタ(meta)」には小学館の『ランダムハウス英和大辞典第2版』を見る限り、「間の」って意味もあるようだ。化学で用いる「メタ」はこの「間の」を使っているのではないかの思うのだな。


ま、語源なんて調べ出すと切りがありませんから、とりあえずここまで。

昨日の続き。
前述の「meta」の語源は数年間謎のまま放置していたので、その語源について、もうちょっと調べてみた。

試しに、「ortho meta para meaning」でググッてみた。パソコンは便利である。
その筆頭にあげられたページ Ortho,meta,para. Text - Physics Forums Library に依れば、

meta is easy - coming from Greek meaning 'among' or in between (as in metastable), is the state in between ortho- and para-.
とのコトであった。私の類推?と同じである。

ただ、他のページには

The prefix“meta-”comes from the Greek meta,meaning“following or after”.
ってな記述もあったりして、これは旧来?の説と同じなのであった。

以上でぇす。

大体、何でこんなコトを調べだしたのかというと、高校2年の選択化学の授業で扱う範囲だったりするからなのであります。ま、長年放置してきた疑問が少なからず解決し、ちょっと賢くなった気分である。

「きっこの日記」で知りました

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最近、電車内や新聞の広告で気になるものがある。
それは、自衛隊への入隊を誘う広告だ。

ってのは嘘だ。

「パソコンやケータイで、○×△□で検索!」みたいなヤツである。それは、マンションだったり、学校だったり、電気製品だったり。
航空自衛隊バグダッド周辺勤務パイロット募集も見たような、見ないような。

しつこい。


数年前までのように、妙に長大な url を新聞に載せられるよりは、短い語句を検索にかける方が楽である。また、電車内の広告ならば、暇な乗客にケータイで検索してもらえるかも知れない。そういった広告の例をなかなか思い出せなかったのだが、1つ思い出したので先ほどググってみた。確かに Google の検索結果1件目に、その大学(近年、やたらと大がかりにJRの車両外装などに広告を出している)が表示されたのだった。
あれは、どう考えても Google 様や Yahoo! 様への年貢が必要になるのではあるまいか? あるいは、噂に聞く「宗教ネットワーク」を使用しているのかも知れない。忍び込ませてある信者の工作員に指令を出し、Google や Yahoo! のランキングを操作したり、検索結果からライバルを排除しているのかも。

で、疑問が生じるのだ。マスコミを用いた広告ほど、対費用効果の計測しにくいモノは無いのでは無かろうか。更に、「マスコミ+パソコン起動で検索させる広告」ってのは、どの程度有効なのだろう? 私のように酔狂なニンゲンじゃないと、こういった作業って行わないんじゃないかな? そして、私は受験生では無かったりするし。
何しろ、マンションはさておき、電気製品や学校などは商品やサービスをひたすら向上させるのが、最も効果のある広告となるだろう。

私は、前述の大学の広告を目にする度に「宣伝頑張ってるなぁ。本業の授業内容や、卒業生の質の確保は大丈夫なのかなぁ」って思っちゃうのでしたとさ。

石および医師との遭遇 その1

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以前から様々な笑い話を書いているつもりだが、まだ書いていなかったネタがあるので披露。
小学生だったか、中学生だったか忘れた。何しろ20年以上前のコトであることは確かだ。

都会の公園は狭い。かの有名な「シロナガス猫」の額20個分を超える区立公園なぞ、東京23区内にはほとんど無いだろう。
公園はことごとく小規模なので、安全のためにネットやフェンスで囲われた「球技場」みたいなのが付属している場合が多い。
私の記憶によれば、笑い話となるデキゴトが起こった球技場の広さは数メートル×10数メートルで、周囲は「金網デスマッチ」風になっている。さすがに電流は流れていない。球技場の上にはボール等が飛び出さないようにネットが張ってある。ネットの高さも数メートルだったと思われる。

20数年前の私は、友人達とその球技場で遊んでいた。確か野球風の遊びだった。球宴もタケナワとなったそのトキ、そのボールがネットの穴を抜けてしまった。そのボールは球技場のネットの上に転がった。ハンモックにゆられるような状態となり、ネットの上に留まってしまったのだ。
当然の事ながら、私たちはそのボールを手元に戻して球宴を再開すべく、球技場との格闘を開始した。周囲のネットに上っても無意味であるようだ。手近なところに竹竿のようなものは見あたらない。
最終的に、地面に落ちている石を拾っては、ボールへ向けて投げつけ始めた私たちだった。ボールあるいはその周辺のネットに石をぶつけ、ボールをうまく移動させ、通り抜けたネットの穴から取り返そうと考えたのだ。

ボールを落とせなかった石は、重力に引かれて地上へ落下する。石は大きなものから小さなものまであったように記憶している。投げては拾い、投げては拾い、ボールを落とそうと試み続けた。なかなかボールは戻ってこなかった。
石を投げるのに疲れた私は、友人の投げた石を眺めていた。ボーっと眺めていたのだろう。

私の額は、ネコのそれよりは広かったようである。
重力は相変わらず作用し続けていた…

(以下続く)

石および医師との遭遇 その2

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「コッ!」
ちょっと痛かった。
数秒の後、右の額に冷たいものを感じた。手をやってみた。
額を離れた私の右手は赤く染まっていた。

都会で適当に石ころを拾った場合、結構な割合でコンクリートが破砕されたものに出会う。私のアタマに当たったのも、そんな石ころの一つだった。長径は数cmだったろうか。それほど巨大な石ころでは無かったのだが、コンクリートが付着しているため、部分的に尖っていたようだ。ちょうど、そのコンクリート部分が生え際に当たったのだった。

鼻血もそうなのだろうが、頭部は小さな傷でも豪快に出血することが多い。私の額もそうだった。
出血部分を直接見ることができないため、傷の状態が分からないのだ。これは不安だ。とりあえず、ティッシュペーパーを傷に当て、家へ向けて走り出した私だった。

しかし、私はまた驚愕の事実に遭遇した。
走り出すと心拍数が上がり、血圧も上昇する。当然の事ながら、走れば走るほど、血は吹き出してくるのだった。かといって、のんびりと歩いていては失血死の恐れもある。
走るわけにも、歩くわけにも行かないことを悟った私だった。そんなワケで小走りで家まで戻ったのだった。これは非常にもどかしい時間だった。きちんと西武池袋線の踏切にも捕まったような記憶があるが、定かではない。


帰宅できた私は親の勧めに従い、近くの医者に行ったのだった。
迫り来る失血死の恐怖におびえながら、近くの医院にたどり着いた。

お医者さん曰く「もう血も止まってますし、縫う必要もないでしょう。」
折角だから、一針くらい縫って欲しいと思った私がいた。


今でも、そのハゲはばっちり残っている。ほんの数ミリ四方のハゲであるが。
ただ、そのハゲについて、ひとつ恐ろしい事実がある。

ハゲができた当初、そいつは額の生え際から奥深くに存在していたハズだ。その怪我から20年以上経過した現在、そのハゲはだいぶ額と同化しつつある。
当然の事ながら、ハゲは移動していない。生え際が移動していったのだ。
これほど恐ろしいことは無かろう。

歳はとりたくないものである。

日記以外を更新しました。

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久々に日記以外のページを更新しました。

八つ子妊娠に関する生徒の意見 2006年6月版

職場では「スクールヨミダス」ってヤツに契約しているので、「八つ子」でヨミってみた。
読売新聞でも、1996年イギリスでの「八つ子妊娠」のニュースを扱っていたことを知った。

実は私、今日初めてこのシステムの恩恵にあずかった気がするのだ。安くないシステムであるし、もっと使い倒していこうと思ったのでした。なお、このシステムを使う際には、「固定グローバルIPアドレス」や「検索画面にアクセスするためのID、パスワード」が必要なのだそうだ。職場でこの「スクールヨミダス」を使用するために、パソ通の先生が自動的にログオンするページを作ってくれてある。そのため、IDやパスワードの存在は意識せずに使える。

私はハッカーではなく、ハッカーになろうという意志もないので、このシステムは普通に職場内で使っていこうと思うのだった。

Einstein@homeで"Client error"頻発

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ここ数ヶ月、私の使用しているパソコンには BOINC Manager (現在は Version 5.4.9)を常駐させており、スクリーンセーバーとしても作動させていました。しかしながら、このバージョンに上げてからだと思うのですが、Einstein@home のワークユニットを計算中のスクリーンセーバーを抜ける際、エラーが頻発するようになったのです。
どうにかならないかと、ここ数週間くらい色々と文献を漁ってみたのであります。一応英語でも試みてみました。
しかしながら、英語力が不確かなせいもあり、私の欲する「スクリーンセーバーとして boinc を使用していると、Einstein@home がやたらとエラーを発生し、"Work unit"が"Client error"扱いになってしまう」というコトに関する情報はありませんでした。

結局のトコロ、解決策は単純でした。「作業過程を表示するスクリーンセーバーを使用しない」というコトです。ただ、これはちょっとつまらないのですね。天球儀がクルクル回っているのを見るのは楽しかったのですが、それが見られなくなった。
まあ、やたらにエネルギーを浪費するなと云う、神のお達しだと思うことにしましたトサ。

と、ここまで書いて更に調べたら、directX のバージョンが低いとエラーが出るらしいことを知りました。
BOINC の公式ニュースとして6月7日の段階でアナウンスされていました。Einstein@Home と SETI@home のニュースは一応講読していたのですが、BOINC のニュースは講読していなかったのですね。ちょっとした言い訳で、この日記を終わります。


って文章は昨日書いたのです。で、昨日、directX をアップデートしてみました。しかし本日、以前と同じエラーが出てしまいました。
やはり、BOINC をスクリーンセーバーとして設定することは控えることにしました。

http://www.asahi.com/business/update/0630/136.html から

仕事同じならパート賃金社員並みに 厚労省が法制化検討
2006年06月30日15時24分

 厚生労働省は30日、パート社員と正社員との賃金格差などを是正するためパート労働法を改正して処遇改善に取り組むことを決めた。正社員と同じような仕事をしているパート社員には同じだけの賃金を払うことなどを法律に明記し、企業へ指導を強める方針だ。同省の労働政策審議会雇用均等分科会で議論し、来年の通常国会への改正案提出を目指す。

 93年にできたパート労働法は、企業にパート社員の雇用管理の改善を求めたが、具体的な基準がなかった。03年の「パート労働指針」には、▽仕事の内容や責任が実質的に正社員と同じなら、同じ賃金表や査定方法を使う▽正社員と異なる場合も、一律いくらではなく、能力や経験に応じて評価する「均衡処遇」をとる▽正社員への転換制度の創設――などが盛り込まれたが、強制力がなく行政指導が出来なかった。

 同省では、これらの措置を法律に明記して、企業への指導を強めたい考え。また、処遇の改善だけでなく、能力開発など「機会の均等」についても、盛り込むことを検討している。

 週の労働時間が35時間未満のパート社員は、05年で約1266万人で、雇用者の4人に1人を占める。店長など基幹的な役割を担う「戦力化」も進み、女性だけでなく、男性もこの10年で120万人増えている。

 一方で正社員との賃金格差は、女性で正社員の71%、男性で63%(05年)と開いたままで、昨年、同省の外郭団体が実施した調査でも「正社員的パート」なのに、賃金は正社員の7割以下しか払っていないという企業が、全体の28%に上っていた。


上のニュースは良い知らせであると思う。
私自身は「正社員」というか「教諭」として私立学校に奉職している。
私の友人には私立学校に「常勤講師」とか「専任講師」という名の職に就いている・いたヒトが複数存在する。

つい先日、東京私立学校教職員組合連合(東京私教連)から「常勤(専任)講師の賃金・労働条件」って調査結果をまとめたヤツが届いた。この「常勤講師」ってヤツ、幸いにして私の職場には存在しない。なお「非常勤講師」は私の職場に存在するし、私も過去2年間、その職として勤務していたことがある。
「常勤講師」という職業、学校法人によって仕事内容や待遇に違いがあるらしい。私が聞いてビビるのは「"常勤講師"という名称で、クラス担任や部活顧問もやらされているのに、ほとんど同じシゴトをしている"教諭"より給料が安いヒトが居る」という現実だ。

こういう現象・役職(?)は、学校に限らず、企業でもあるのでしょうね。いろんな名称があるのでしょうが、俗に言う「非正規雇用者」ってヤツですね。正社員と同じシゴトをやらされているのに、給料や保障が制限されているというのは良いことではないハズです。
社員を育てるという意味では、ちょっとばかし能力が足りないと思われるようなヒトでも、正式に雇用するのが良いのではないかと思うのです。多分、私も昔は職場の先輩からそう見られていただろうから言います。別に今が完璧だなんてコトも言いません。
社員を増やす場合、ケツの青そうな兄ちゃん姉ちゃんだとしても、雇うならば先輩たちと同じように、きちんと給料を払う方が良いと思うのです。そうして一緒に汗して働いていけば、その会社も発展していくのではないかと思うのです。
また、特に学校などでは、ほとんど同じシゴトをしているのに立場が異なるってのは、変な軋轢が生まれそうですし、教育効果にも悪い影響が出るのではないかと思うのですね。

繰り返しますが、私の職場には「常勤講師(≒教諭)」という職が無くて良かったと思うワケですわ。

ここにあるのは2006年6月に書かれた日記です。

前のアーカイブは2006年5月です。

次のアーカイブは2006年7月です。

最近の日記はこちらで見られます。過去に書かれたものはアーカイブで見られます。