2006年5月アーカイブ

ようこそ、いらっしゃいませ。
今後ともよろしくお願いいたします。


で、改めて自己紹介

好きな音楽:鳥肌実の演説
好きな食べ物:エタノール系全般
好きな言葉:病は気から
チャームポイント:主張のはっきりしない散文


続いて、当ページ作者略歴

1971年
東京都で生まれる。

1975年~
茨城県へ。幼少時代は泥と虫にまみれる。地域の野球チームの内野ノックで、顔面に軟球を受けトラウマに。

1980年~
東京都へ戻る。中学時代、進研ゼミに大変世話になるが、高校では部活動とゲームに没頭し、クラス内で一番早く「スーパーマリオブラザーズ2」をクリアする。大学の成績はかなり悪かった。

1994年~
現在の職場(都内私立学校)に非常勤講師として拾われる。翌年に正式採用となり、現在に至る。

2003年
痛風の発作を起こす。生まれて初めて失神しそうになる。

2005年
結婚したらしい。

2006年
サイトの引っ越し。

「ガーナ 小泉 利権」でググってみよう

なお、小泉氏がガーナに持っていった顕微鏡はオリンパス製だとか。

逆輸出と直接輸入と中国の底力

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日本では結構"Made in China"の品物を目にすることが多い。特に衣料品とか生活に関わる小物などでは。私が知る限り、配偶者が何度も中国に運んだのはソープディスペンサーであろうか。

東急ハンズで同じ製品を何度も買った。何でも彼女のお母さんが気に入ったそうで。そいつは見事に"Made in China"であった。中国で生産しているのだが、その「おしゃれっぽいソープディスペンサー」を中国(上海)で見つけることは難しいらしい。
また、今回は「私の配偶者の従姉の配偶者」にスーツを持っていった。買ったのは日本だが、こいつも"Made in China"。10年くらい前は中国製のスーツは少なかった気がするのだが、最近は縫製がしっかりしている中国製のスーツが日本に入ってきている。最近AOKIで買った私のスーツも中国製であった。

今回も、私は中国で衣料品を買った。ってか、配偶者に買わされた。いや、買ってもらった。
彼女が言うには「(私の)ファッションセンスが無い」のだそうで、日本でも衣類を買う場合は選択の主導権を配偶者に握られつつある。で、太平洋百貨にてシャツやパンツを買ったのですね。

生地も縫製も良いです。さすがに現地の大手デパートで扱っている商品だけのことはあります。綿のパンツと半袖シャツで数百元(日本円で1万円弱)でした。これはメチャメチャ高価な品であります。大体、直径約4cmの焼き小籠包4個
yaki.jpg
が1.8元(30円弱)、ソラマメ(サヤ込み)は2kgで4元(60円弱)という世界ですから。同じパンツとシャツを日本で買うと、一体いくらになるのでしょうか?よく判りません。

で、一番ビックリしたのは「裾上げを人力(手縫い)で行う」というトコロでした。「15分ほど待て」と宣った(私が聞いたわけではなく、配偶者が聞いた)店員のお姉さん、私たち以降の接客?もこなしつつ、手縫いで裾上げをしていました。「中国の底力(ソコヂカラ)を見た」と、勝手に思った私でしたとさ。

アドビとは

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Adobe
最初私は「エードーブ」って読んでました。

いつしか「アドビ」って発音するらしいことを知りました。
これは英単語で重要な a と do と be を混ぜ合わせた、しゃれた造語だと勝手に思ってました。

今日知ったのですが、Adobe 公式サイト内のpdfによれば、その社名は Adobe creek に由来するモノだそうで。

また、adobe には「日干し煉瓦」という意味もあるそうだ。「do」にアクセントが来るので、「アドウビ」って発音になるみたい。
『研究社 新英和中辞典』には

adobe
【名】【U】アドーベ[日干し]れんが.
【形】【A】アドーベれんが造りの: an ~ house アドーベれんがの家《米国南西部およびメキシコに多い;cf.pueblo》.

アドビ川はカリフォルニア州にあるらしい。Adobeは「日干し煉瓦」ってコトなのでしょうね。

教育基本法

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教育基本法ってヤツが改正されようとしているらしい。この10年以上、私は教職ってヤツに就業している。

ここ数ヶ月、いろんなサイトを見ていて、自分なりの思いをこの場で披露しようかと思ってた。しかし、どうもまとまらなかった。

そして、今日改めて気付いた。「教育基本法あるいは、その改正ってヤツについて、職場の同僚と話したことは無いな」って。職場のヒトと話さないような内容を、ここに書いても仕方ないし、書いても意味がないだろうって。

法律が改正されたとしても、基本的に私のシゴトが劇的に変わることは無い気がしてきた。勤め先は私学ってコトもある。なにしろ、以前から思っているように、「真面目にコツコツ、自分が楽しいと思うことを続ける」だけである。

「教育は人なり」って言葉がある。「人は、身近なかっこいい人の真似をしがちだ」ってコトだろう。私から見た「かっこいい人」はそこら中に存在する。
両親。お世話になった先生たち。影響を与えてくれた友人。日頃お世話になっている同僚。ネット上で知り合ったヒト。

彼らから得たモノを消化・昇華し、私というモノを高めていけたら良いと思う。

サイト移転し、やっとグーグル様やヤフー様がおいでになった様子である。
今までのトコロ、旧居経由で当サイトにいらっしゃるお客様が多かったみたい。やはり、生物としての私を知っていらしゃる方が多いのでしょうね。とりあえず、Yahoo! と Google に登録されてしまえば、日本の検索サイト大手2社には登録されたことになる。後の「検索エンジンロングテール」つまり、「検索エンジンの負け組」は無視してしまっても良いだろう。
昨日、初めてテクノラティのテレビCMを見た。まあ、ヤフーもテレビCMを打ってから、劇的に日本で普及した気がする。Google のテレビCMって見たこと無いなぁ。
これで、technorati の知名度も上がるのであろうか? ただ、テクノラティって、綴りが難しい気がするのですね。カタカナの日本語としても認識しづらい。知り合いの先生はテクノクラティって最初は認識したそうだ。確かにテクノクラティでググってみたら、1万件以上引っかかってきた。「手駆乃裸亭」とか、中国語っぽく、暴走族っぽくしたほうが、少しは認識されやすいんじゃないかしら? どうでしょうか、テクノラティさん。
一応、私の日記もテクノラティに反映されるようになっているし、徐々にそっち系統からのお客さん、一見(イチゲン)さんも増えていくのでありましょう。

不揃いのデータたち

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職場では、最近ひたすらパソコン上の作業をしている。生徒の選択科目登録をしているのだ。こいつをやらないと、中間考査後に行われる、全校的なパソコンでの得点入力作業に臨めない。

近年、私の職場もパソコンの使用が浸透してきている。そのため、何らかの集計を行う場合、紙に書いた情報を人様に提出するのではなく、予め書式を設定しておいた Excel・Access・桐 などのファイルにデータを入力する場面がある。私が依頼することもあるし、依頼されることもある。こういった場合、パソコンに慣れているヒトと、慣れていないヒトでは、入力するデータの質に、劇的に差が付いている気がする。しかし、画面上では分からなかったりする。
私が他人のパソコン習熟判定に用いる「リトマス試験紙」、それは「スペース」という文字の扱いである。

私が誰か(例えばクラス担任)にデータの入力を依頼する場合、基本的には「コード化したデータの入力」をお願いする。そして、間違ったコードを入力すると、画面には文字などが出ないようにしておくのだ。そうすると、入力されたデータが不揃いになることが基本的に回避される。

しかし、人様が作成された入力フォームなどでは、勝手な文字列を入力できる状態になっていることが多い。その結果、生徒の氏名などの後ろに「無意味なスペース群」が続いたり、何も入力されていないと思っている「セル」に「スペース」が入り込んでいたりする現象が起こる。

職場では「情報処理部」ってヤツに所属しているので、最初に書いた「選択科目登録」を行っているのだ。いろんなヒトが関わって作成されたデータを照合したり、並び替えを行ったりしていく。その途中、「スペース入りのセル」に結構出くわすワケです。
本当はムダな文字列を排除するように、関数等を用いてそいつらを除去してしまえば良いのかも知れない。でも結局、ひたすら検索&置換を行ったりするのですね。

結局、人力での「検索&置換」のほうが安全で早いような気がするのです。私が扱っている「データの量」と「不揃い加減」を勘案するに。

数日前の記事だが、めちゃめちゃ引っかかったヤツがあった。
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20060513AT2M1002G12052006.html

排出権、日本が最大の買い手・世銀調査
【フランクフルト=磯山友幸】世界銀行によると、日本は2005年1月から06年3月の温暖化ガス排出権の最大の買い手になった。同期間に成立したプロジェクトを通じて生まれた排出枠の38%を日本が購入したとしている。
ドイツで開催中の排出権見本市「カーボン・エキスポ」で調査結果を発表した。
世銀は同期間にクリーン開発メカニズム(CDM)と呼ばれるプロジェクトなどで新たに生み出された温暖化ガスの排出枠を4億5350万トン(二酸化炭素=CO2換算)と推計。日本は英国(15%)やイタリア(11%)、オランダ(8%)、スペイン(5%)を大きく上回る世界一の購入国だった。
一方、最大の売り手は中国で、全体の66%。次いでブラジルが10%だった。04年1年間ではインドが43%を占めて最大だったが、プロジェクトの端境期で、3%に落ち込んだ。 (23:00)

私の直感としては「二酸化炭素排出権を中国から買う」ってのは、全然ピンと来ないのだ。日本よりも中国の方が、余程二酸化炭素を排出していそうな気がするので。
何だか全然よく分からない記事であったので、元ネタが置いてありそうな世界銀行とかのページを参照してみたが、基本的に英語が使用されていたため、ちんぷんかんぷんであった。
額に汗しない、「権利の授受による金儲け」って、私は毛嫌いしていますから、もともと「理解してやろう」ってキモチに欠けてるってコトもある。

とりあえず調べて分かったことを記すと、二酸化炭素排出権は1tあたり20ユーロ(約3000円)前後らしいってコトだ。
そんなわけ(?)で、私も個人的に二酸化炭素排出権取引をしようかと考え、事業計画を立ててみた。

私は標準体重よりは若干太めであるが、決して「太りすぎ」では無いと思う。と、云うことは「食事の量も少ない」ハズである。つまり、肥満のヒトに比べると「二酸化炭素排出量」が少ないはずである。
太り気味のヒトは油ものが好きだ。とりあえず、ポテトチップス一袋を摂取したとすると、どれくらいの二酸化炭素を排出することになるのか計算してみた。

My favoriteである湖池屋ポテトチップスの「のり塩 70g」を元に、ざっと計算してみることにした。
湖池屋のサイトによれば、熱量その他は以下の通り

エネルギー385kcal たんぱく質3.2g 脂質23.7g 炭水化物39.8g ナトリウム334mg
かなり大ざっぱに計算してみたところ、このポテトチップス一袋を摂取すると、二酸化炭素は約140g排出される様子である。ポテトチップスは質量で2倍の二酸化炭素になるようだ。私が漠然と思ってたよりもだいぶ多かった。脂肪や炭水化物には酸素原子がそれほど多くないため、食べた以上の二酸化炭素が排出されるのである。
毎日一袋ずつ湖池屋「のり塩 70g」を食べ続けると、1年間365日で25550gとなる。つまり、25.550kgだ。ポテトチップスが全て二酸化炭素に変換された場合、質量でほぼ倍になる。つまり50kg超の二酸化炭素を排出することになるのだ。
二酸化炭素排出権としては50kgすなわち20分の1トン。ちょうど1ユーロってコトになる。150円弱というところか。


この「個人向け二酸化炭素排出権取引計画」、最初は職場の太り気味の先生と契約するコトを目論んだ。「私はポテトチップスを食いませんから、アナタと比べると二酸化炭素を排出する量が少ないのです。その権利をお譲りしましょうか?」って。
でも今回「ポテチ365袋分」の二酸化炭素排出権価格は、ポテチ1袋分の価格くらいしか無いことを知った。まあ、当たり前といえば当たり前である。
私の考えた事業、あまり商売になりそうもない。

してみると、現代社会の生活ってのは、相当にエネルギーを無駄遣いしているってコトになる。ヒトが生きていくために摂取するだけのエネルギーならば、大した量では無いわけですね、きっと。

エステルと恩師

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月曜日の選択化学Iの授業へ向けて、チョコチョコっと試薬を用意した。

アルコールとカルボン酸からエステルを作成する演示実験である。生徒にやらせても良いのだが、時間短縮のために、そして濃硫酸を用いるので安全のために、私がやってしまうことにした。

私はこの実験をやるたびに、都立小石川高校時代にお世話になった安楽貢先生を思い出す。私が一番好きだった先生である。
異様に舌っ足らず?な先生で「皆さん」ってコトバが「みなしゃん」になったりするのでしゅ。って、書いてましゅが、私が教わった時は定年近かったのじゃないかと勝手に思ってる。

NHK学校放送の化学講座にも出演なさったことがあったそうなのだ。なお、安楽先生の姿は現在の職場で、ビデオ映像として拝見したことがある。私の職場の理科の先生が、出張か何かだったのだ。代理で授業監督に行ったトキ、生徒に見せるビデオの中に安楽先生がいらっしゃった。例によって舌っ足らずだった。
私が高校生の時は、ひたすら実験をやらせてもらったので、NHKのテレビ番組などを見る閑は無かった。ほとんど毎時間、化学の授業は実験であったような記憶がある。その当時は「実験大変だし、レポートは一応作成するものの、意味がイマイチ分からないしなぁ…」って思っていたのだ。
しかし、高校3年となって改めて受験勉強を進めるにつれ「そうか、あの実験にはそういう意味があったのか」って思うことが多かった。やはり、実験を「やらない」よりは「やる」ほうが、圧倒的に記憶に残るのである。そして、受験勉強として化学(や物理)などを自分で勉強する際には、その「実験の記憶」が圧倒的な力に変わるのであった。
実験は重要だ。

で、あれから20年近く経過したのだが、エステルの実験をやる度、安楽しぇんしぇえに理不尽?に怒られた記憶がよみがえるのである。

エステルというのは、香料に使われる物質である。ってか、天然の香料にはエステルが含まれることが多い。大して良い香りでない「アルコール」と「カルボン酸」を脱水縮合(エステル化)させると、果物っぽい香りや花っぽい香りの「エステル」に変化するのである。
高校3年生の時だった。安楽しぇんしぇえが授業中に「これは何の香りだ?」って質問とともに、エステルを私達「昭和63年度高校3年生 安楽の化学選択者」の生徒に与えた。
与えられた物質、確かに甘いような香りがするものの、これといって「果実名」や「花の名前」が思い浮かぶような代物ではなかった。そのため、私は「んー(何と表現すればよいのだろう)」って感じの反応を続けていた。すると、安楽先生は珍しくキレかけ「これはバナナだろう!」「これはパイナップルだ!」みたいに、断言なさった。
珍しく安楽先生がキレかけたってコトで、また、ちょっと釈然としなかったデキゴトだったため、私の中では妙に印象に残っているのでしたとさ。

なお、酢酸エチルってのは化学教育界?では「パイナップルの香り」であるともいわれる。厳密には「パイナップルの香り成分に含まれている」ってコトらしい。私は毎回思うのだが、酢酸エチルの臭いに一番近いのは駄菓子屋で売っているおもちゃのポリバルーンである希ガス。私が教えている生徒達も大体そういう反応をする。なにしろ、パイナップルの香りとは思えない希ガスる。

ハードディスクが突然死

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昨日、異様に見事なまでにハードディスクが死亡した。
その直前、Windows2000はきちんと起動していた。ハードディスクが死にかける際の異音も無かった。何故かスキャンディスクができないという不具合には気づいていたのだけれど。

デスクトップ型のメインマシンが普通に起動したと思ってたので、メールを確認してみた。届いているSPAMを見ようとしたら、見るメール見るメール、みんな白紙だった。ヘッダを確認してみたが、ヘッダが表示されなかった。
「??? なんじゃ、こりゃ?」って思って、メールソフトを終了した。すると、ウィンドウ群の下からダイアログ。メールソフトからの見たこと無いエラーメッセージ。

再起動を試みたものの、Windows2000が起動しなくなっちゃった。

システムCDからブートしてみた。作ったことを忘れていた「システム修復ディスク」ってフロッピーを使用してみたものの、リカバリーはできなかった。修復セットアップなんてものも試みたがエラーメッセージで終了。まあ「修復セットアップ」ってヤツはパソコン内にゴミが残りそうだから、あんまりやる気もなかったのですけれどね。
結局のトコロ、Windows2000を再インストールするコトにしたのでした。一応6年前に購入したノートパソコンもあるので、シゴト(試験問題作成)は可能である。ただ、フルキーボードの方が圧倒的に使いやすいですわな。

昨晩、とりあえずWindows2000のインストールとチップセットのドライバなどはインストールできたのでした。

直感的にはNTFSのFATみたいなヤツ(変なコトバ)が何かの拍子にイカレてしまったんじゃないかと。機械的にハードディスクが死んでしまっているならば、買い出しに行かないとなぁ。まあ、容量あたりの価格はだいぶ下がっているみたいですから、買っても悪くはないのだ。ただ、今更 Ultra ATA を買うってのもねぇ...


で、ノートパソコンで思い出した話題を。
私は、ノートパソコンを使う場合、マウスを使ったりしない。ノートパソコンは机の上を広く使うために存在していると思っているから。タッチパッドの性能は上がっているし、マウスを使うヒトの気が知れない。また、ノートパソコン用テンキーとかを見たりすることがあるが、ノートパソコンだって NUMLOCK を掛ければ、テンキーが出現するはずである。私は大量の数値を入力する場合はそうしてる。
ノートパソコンの周辺機器で、若干使い道がありそうなのはスカイプってヤツだろうか。ただ、スカイプ端末?の本体価格は安くはないし、話す相手もいない。海外へ電話するのならば、ブラステルみたいな国際電話カードなんかの方が気楽でお安い。

何しろ、最近はパソコン関係で「欲しいなぁ」って思う機器が見あたらないのですね。有線レーザーマウスは若干気になるのだが、今のマウスも普通に使えるしねぇ。私は老化によって無駄金を使わなくなったってコトなのでしょう。良いことではあるのだろう。

ハードディスクの再フォーマットやWindows2000の再インストールをしていて気づいた。BOINC Manager が日本語化されていた。現時点でのおすすめバージョンは5.4.9だそうだ。

おかしいと思うのは、「いつの間にやら、英語版の方に慣れていた」ってコトである。新バージョンの方が高機能っぽいのだが、ルックスが変化したため、どうも取っつきづらい。

また、「Google デスクトップ」を改めてインストールした。今更なのだが「サイドバー」ってヤツが便利そうであることに気づいた。ニュースもRSSもちっちゃく表示されるし、かなりいい感じである。あんまり「Google教」に染まるのもよくない気がするが、既に私は「Microsoft教」や「Justsystem教」に入っていることだし、「まぁ、いいか」ってコトで。

では、パソコン君には「インデックス作成」に励んでもらいましょう。


本当は試験問題を作成しなければならないのに、ちょうどよい具合?にパソコンが死亡し、再インストール中。

私は結構再インストールが好きな方で、おそらく2年に1度以上はメインマシンのWindowsの再インストールを行っているハズ。パソコンは使っているうちに、ソフトをインストールするうちに、だんだん動作が重くなっていくものである。「再インストール」ってのは、「韓国式垢擦り」とか「体内環境正常化」とか「あなたの借金、まとめて返済します」とか「今こそ住宅ローンの借り換えです」みたいな、そんな「こざっぱりとするような、でも、単なる気分転換に過ぎないような」イベントみたいな気がする、みたいな。私は「再インストール」しか興味ないけれど。

で、この作業って結構時間がかかる。自分に本当に必要なソフトは何なのかって冷静に考えてみると、それほど多くないコトに気づいちゃったりするのですね。ってか、コツコツとインストール作業を継続しているのだが、数日前よりも「スタートメニュー」→「プログラム」で表示されるプログラム数が減ってる??
私は以前何をインストールしていたのだろう? 大して思い出せないのでした。

洗濯に思う

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今日、東京はかなりいい天気である。風が強い。日差しも強い。『A Perfect Day for Washing』って感じである。
昨日は冬物のスーツその他をクリーニングに出した。ドライクリーニングは機械が行うものだろうから、天気は基本的に関係ないのかも知れない。しかし、職人気質の「ドライクリーナー」さんならば、「今日は空気が湿っているから、溶媒2号の比率を少し下げ、ドラムの回転速度を2%落とし…」とかなさったりするのかしら?分からねぇッス。

で、昨日スーツをクリーニング屋さんに持って行く前、例によってポケットチェックを行った。
以前のコトである。私が高校生だか大学生だったと思うのだが、ドライクリーニングから帰ってきた衣類(コートか何かだった気がする)の内ポケットに、パラソルチョコレートの棒が接着されていたことがあった。
パラソルチョコレートの棒(プラスチック製)がドライクリーニング屋さんで放り込まれたのではないはずだ。パラソルチョコレートの棒が内ポケットに入っていることに気づかず、私はそのままドライクリーニングに出してしまったのだろう。「石油系の溶媒を使っているからなのだろうねぇ。さすがドライクリーニング、プラスチックを溶かすのね」って、思った私でした。何でパラソルチョコレートの棒を上着の内ポケットに入れる必要があったのだろうか。今だに不明。

ってコトで、ドライクリーニングに衣類を出す際は、ポケットの中身をチェックすることを忘れないようにしている私である。で、昨日気づいたのだ。「スーツの上着って、そんなにポケットが必要なのか?」って。

スーツを着ていて、何が恐ろしいのかといえば、「酔っぱらっているのにスーツを着ていたとき」である。ポケットがありすぎて、大事なもの、たとえば「電車の切符」を収納した場所が分からなくなることがある。あるでしょ?
いっそのこと、スーツのポケットは皆ダミーにしてしまい、内ポケットの1つか2つだけを本当に作っておくと良いのじゃないかしら。そうすれば、酔っぱらって切符を無くしかけることも、パラソルチョコレートの棒を溶かしてしまうことも少なくなるハズ。作成の際の縫製箇所も減って、スーツの値段も下がるんじゃないかしら。

生物の授業で生徒に顕微鏡スケッチをやらせた。いや、スケッチして頂いた。
私自身も高校・大学と、顕微鏡でのスケッチを何度もやらせて頂いた。

大学時代「生物学実験」って授業があったのだが、水中の微生物のスケッチという実験(実験なのか?)があった。他には「物理学・化学・地学実験」もありました。理科のスケッチや美術のデッサンってのは、集中するとそれなりに面白いものではあるが、やる気を持たないとあまり面白いものでは無い。
私自身は、大学の授業についてはそれなりに真面目であったという自負がある。
大学時代、要領の良いヒトは先輩から譲り受けたレポートに貼ってある微生物のスケッチを見ながら、それをまたスケッチ(模写)していた。私は真面目に「万葉池」なる場所で生物の採集を行った。その池は水道水が湧き出ている、由緒正しき東京学芸大学内の名所(迷所)なのである。
顕微鏡で見えるような微生物は「ヘドロみたいな物体群」の近くに存在していることを、改めて認識した記憶がある。ワムシとかツリガネムシとかを初めて見て、その造形に感心した。静止画像よりも実物が動いているヤツの方が楽しいですね。特にツリガネムシの「口?の周りの毛」とか「バネみたいな脚みたいな部分」だとか。


話は変わり高校時代、「生物学実験」で印象に残っているデキゴトについて。

都立小石川高校1年次、生物と地学の授業があった。生物の実験のひとつに「植生の観察」という実験があったのだ。校庭の一角に実験のための区画(縦横1m)を設け、1年間に渡って植生の変化をチェックし、それを年度末にまとめるというヤツであった。
大体、その実験の設定自体に無理があるのだ。その都立高校の校庭は一応土なのだが、定時制も同居していた。そんなわけで「午後5時には部活を終えて校舎を出ろ」っていう「全日制高校」だったのだ。噂によるとその高校の組合系も強かったとか…。
で、校庭を使用する部活動は、サッカー・ラグビー・陸上・軟式野球・バレー…って感じで、とても人口密度が高い放課後の校庭だった。なお、私は合唱の「音楽研究会」に在籍していた。そして、音楽系の部活動として吹奏楽の「古典音楽研究会」、ジャズの「軽音楽研究会」、その他にもエレキバンド(表現古すぎ?)をやる「フォークソング研究会」もあったような…。どの部活動も名前と生業が一致しているとは思えない、今でも。合唱部での1年先輩だった指揮者のカタ、レベッカのコピーバンドにも所属していたなぁ。

で、ハナシは生物の授業へ戻る。真面目な高校1年生の私達、先生に言われるままに4月頃、校庭に植生調査の区画を設けるのだ。
しかし、その区画は運動部や体育の授業で踏まれまくってしまうのである。自分たちの設定した区画がどこに行っちゃったのか、ほんの数日で分からなくなったような記憶がある。
で、数ヶ月が経過する。
年度末も差し迫った頃、まじめな私は「作成していないレポート」の存在に気づく。そして、その時持てる植物学の知識を駆使し、校庭に見受けられる(見受けられた気がした)植物とその年間の流行廃りを後から予測した。
まあ、私は6年弱茨城で生活していたので、ある程度は植物の1年間の栄枯盛衰を知っているつもりであった。で、そのデータ(オオバコペンペングサなどを頑張らせていたような気が…)を班員に分け与えたのである。そのデータを用い、班員は各々レポートを作成した(ハズ)。

それだけなら大したコト無い。
そして年度の終わりの終わり、私は驚愕した。
クラスのほとんどすべての班のデータが、私達の班のデータと非常に似ていたから。
私の想像する小石川高校校庭における植生の遷移と、現実の植生の遷移が一致したわけではない。私の捏造したデータが子引き孫引きされたらしく、G組における植生調査では、ミョーに似通っているデータが並んでいたのですね。


つまるところ、私は思いっきり「実験データを偽造」したのである。そしてそれは流通した。

多分『Nature』や『Science』などに提出する論文でのデータ捏造は問題なのだろう。
私はここにデータ捏造を告白する。まあ、それらのレポート群がどこか公的?な機関へ提出されたわけではなく、高校の授業で生物を担当してくれた八重樫先生の前を流れて、私(達)の手元に戻ってきただけだろうけれども。

アジサイに思う

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この数日で、だいぶアジサイの蕾がほころんできた。
アジサイは「長日植物」であるらしく、日が長くなると花を咲かせにかかる植物であるようだ。

最近、雨が多かった東京である。そんな中で彼らは日々コツコツと、短くなっていく夜を確認していたのだろう。「そろそろ蕾をつくらなきゃねぇ...」ってコトで一念発起し、このアジサイ開花の季節がやってきたのだ。

日本で見られるアジサイって植物は、毎年花を咲かせる。しかし花を咲かせても、なかなか種子はできない(多分)。ネット上では「他家受粉をさせると種子ができやすい」みたいな記述も見られるが、実際のトコロはどうなのだろうか。アジサイ(ガクアジサイじゃ無いヤツ)の雄しべとか雌しべって見たこと無い。また、仮に種子ができたとしても、それが採取されて別の場所に播かれて子孫を残すってコトはほとんど無いのだろう。更に、私が見たアジサイの周囲はアスファルトだったので、種をばら播いたとしてもそれが根付く可能性はかなり低い。
日本在住のアジサイにとっては、花を付けようが付けなかろうが、子孫を残すことにはほとんど繋がらない。そんなワケで、彼らが花を咲かせるコトってのは、無駄な努力というか、報われない作業であるのだろう、生物学的には。

しかし、現在東京の町中などでも見られるアジサイってのは、ある意味「選ばれし存在」とも言える。
彼らの祖先は、美しい花を咲かせることによって、ヒトに見初められた。そして、挿し木等で増殖させてもらい、場合によっては交配させてもらえたのだろう。そして今の彼らがあるのだ。こういったアジサイみたいな生物は、ヒトの存在が無ければこれほど都会でハビコることは無かったのだろう。そういった意味では「一時的な生物学的勝者」であるとも言えよう。


アジサイで思い出されるのは、青森県は津軽半島先端の竜飛崎である。大学1年のトキ、徒歩旅行のサークルで訪れたのだ。
『津軽海峡冬景色』の2番の歌詞にある「♪ごらんあれが竜飛岬、北のはずれと~」と歌われる岬だ。確か8月に訪れたのだが、その岬の灯台近くでは季節はずれ?のアジサイが咲いていた。その近くでは、ヒマワリとコスモスも一緒に咲いていたのだった。
妙に豪華な、そして寂しげな風景の岬だと思った。風が妙に強かった。そして、私達は有名な階段国道を下って宿に向かった。

今は、竜飛岬には風力発電の風車も立っているみたいである。とんだ徒花(アダバナ)が咲いたものである。

ここにあるのは2006年5月に書かれた日記です。

前のアーカイブは2006年4月です。

次のアーカイブは2006年6月です。

最近の日記はこちらで見られます。過去に書かれたものはアーカイブで見られます。