2024年10月アーカイブ

ビックカメラにアカウントを新規作成した。

私のスマホは、格安SIMの"BIC SIM(IIJmio:みおふぉん)"にて運用している。ビックポイントを支払いに充てられるらしい。
今まで、ずっとその「サービス」を無視してきたが、本年末にビックポイント500円分弱が失効してしまうので、そのポイントをSIM代金の支払いに使うことにした。

そもそも、このポイントはパソコンソフトを買うことによって発生したように記憶している。
約2年前に買ったのは、(使えない)DVD再生ソフトだったはず。

その「物理カード」はこちらである。
bic.jpg
自分の高校時代に作成したのであろう気がする。40年近く前ですね。ビックカメラには、100万円以上、もしかすると200万円近く貢いでいるはずだ。だいたい、PC-9821を1台とそのモニタを買うだけで、50万円以上使っている。
PC購入よりも前から少し後くらいまで、ファミコン(四角ボタン)・スーファミ・メガドライブ(2)・初代プレステ(最初期バージョン)の「新品ソフト」のほとんどは、池袋のビックカメラで買っていたはずだ。値引きが大きく、通学・通勤経路上にあったので。

このカード裏面にはバーコードと「ポイントカード番号」がある。古すぎてPIN(という機能・数字群)すら存在していない。そして、13桁の数字からなるポイントカード番号のうち、9つがゼロなのだ。私の番号が「切り番」なのか、「昔はそうだった」のか、謎である。

で、SIMカードの支払いにポイントを使うため、「店舗で作ったポイントカードを、ビックカメラ.comのポイントと合算(共通利用)」することにした。
以下がそのヘルプページ。
BicCamera_FAQ

少し足掻いたが、どうしても「合算」ができなかったので、電話で問い合わせてみた。
結局、「物理カード作成時の住所」と「現在の(今回アカウントを作成した)住所」が異なるため、共通化ができないとのことだった。サポートセンターの方が、物理カードに紐付いていた住所(実家のものだった)を電話口でチャチャッと「現住所」に変更してくれたらしい。その後、改めて私が作業を行うことにより、「共通化」は無事完了したのだった。
スマホの画面にも、「13桁のうち9桁が0の番号」が並ぶようになった。


以下の画像は日記のネタにしようとして、4年以上前に撮影したものである。
ちょうど良いので、ここに披露しておく。概ね四半世紀前に、地中の液体から固体になった原子群のはず。
ms_just.jpg
"Microsoft オフィシャルユーザーズカード"にてGoogleで画像検索してみるも、私の環境では10点弱の画像しか出てこない。
で、JUSTSYSTEMSのユーザーズカードを並べている方もいらした。
ユーザーズ・カード: 「物理実験集」管理人の近況報告ブログ
高校物理の先生らしい。私より数コ年上の方のようだ。
物理はほぼ担当しないので、このお方の作成しているらしき「ページ群」は知らなかった。後で、周辺のページをちゃんと読んでみるつもり。

なお、複数の方が言っているが、MicrosoftのカードやID等は一切使い途が無い。
JUSTSYSTEMSについては、当時のユーザーIDを継続して使っている。ま、「物理カードが存在しているだけ」ではあるのですけれどね。

通勤経路上、キンモクセイが咲き出した。
10月15日というのは、この腐れ日記上の(散発的な)記録においては一番遅い開花?であるようだ。

毎年不思議に思うが、別々の株が、申し合わせたかのように、ほぼ同時に開花する。毎年のことであるが、自然の神秘を感じる。ソメイヨシノの開花のような「人為的成分」が少ない分だけ、キンモクセイの「香り始め」は尊い感じがする。
そう言えば、今年はアメリカ合衆国において、13年ゼミと17年ゼミが、同時に地上に出てきたと聞いた。

こういった自然の精妙さを目の当たりにすると、ヒトの営みなんて大したことないような気がしてくる。いや、厳密に言えば、ヒトの営みも凄い「ところ」もあるとは思います。
私が凄いと思うのは、ほぼ「自然科学分野の探究と発展」に限定されるけど。

(職場における)合唱祭の思い出

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私の職場では、合唱祭なるイベントがある。そいつは概ね3週間後に行われる予定。
私が現在の職場に勤めだした当初は、中学(全学年)と高校1年、2部に分けて行われていた。現在は中学のみ行われている。
音楽科の先生方にとっては残念なことなのかも知れない。ただし、彼らのオシゴト的には楽になったのも確かだろう。
学校全体としては、会議を経て「高校の合唱祭は廃止」ってコトになったのだ。もう20年近く経過するのかな?
今年度は初めて中学校に所属している私なので、かなり久々に合唱祭に参加する。

で、合唱祭については、とても印象的な出来事があった。20数年前だな。
私は高1の担当だった。昔も今も、合唱祭では「職員合唱」がある。

その年は「英語の歌を歌おう」ってコトになった。どのような流れでそうなったのか、記憶には無いけど。『上を向いて歩こう』を、別の年に歌った記憶はある。それ以外の曲もあったはずだが思い出せない。

で、そのときに歌ったのは"Top of the World"。カーペンターズのヤツね。
ま、名曲ですよね。
職員合唱は、混声の斉唱だったはず。斉唱は合唱に含まれるのか、謎ではあるが。

概ね問題なく合唱祭は終わった。そして、回収された保護者アンケートにあった。
「theの発音がおかしかったです、ご注意願います」と。
がががガーン。確かに...

サビの部分、我々はこう歌っていた。
「トップ オブ ザ ワーアー ルキン ダゥノンクリエーション アン『ザ』 オンリーエクスプラネーション...」と。
『ズィ』ッスよね、確かに...
皆反省していた。ただし、1人の先生を除いて。

「教員に対して、そのような意見をするなど、けしからん!」
その先生は言い放った。彼は本気だった。
私はその(前時代的)感覚に驚いた。「間違いは間違いでしょ!」ってね。
多分、その先生以外の皆は「やっちまった...」って思っていたはずだ。
そして、だれもその「先輩先生」に「我々の間違いですね」って言わなかった。老人は労るべきだから。

そのお方は数学科の先生だった。私とは30歳くらい年齢が離れていたのかな。
東京にて、空襲を体験なさったと言っていた。その体験談(何度か聞いた)は忘れられない。自分の祖父や祖母も戦争を体験しているはずだが、直接その話を聞いたことはほとんど無いので。
そのお方は、私の先代の先代のソフトボール部顧問だった。彼から貰ったバットは職場の更衣室に今でも置いてある。木製の軟式バット。やたら重い。
女子高校生に対して、火の出るようなノックを打つ先生だった。「ただ、速いだけでしょ」って感じのライナー性のノックを(笑)。
何しろ、真っ直ぐな先生であった。

その先生も、鬼籍に入られてしばらく経過した。


過去の関連する日記
「日の丸・君が代訴訟」に思うこと(2006年9月)
小石川高校音楽研究会讃頌(2009年4月)

Windows10は「最後のWindows」になるという話だった。
そして、その約束は反故にされた。ま、予想してたけど。

概ねこの1年で、Windows10は「セキュリティ上危険なOS」に成り下がる。で、職場のパソコン群については、基本的にWindows11へのアップデートは完了した。昨日の話だ。30台弱のノートPCに対してコツコツと。
現在動作しているWindows10端末も、ハードウェア自体の更新という形で、来年の夏までには存在しなくなる予定である。枕を高くして寝よう。

翻って、自宅の話。常用しているWindows端末は3つある。自分用デスクトップ(自作機)、配偶者が主に使うデスクトップ(マウスコンピュータ製)、家族で共有しているノートPC(マウスコンピュータ製)。すべてWindows11だ。
以前、Windows2000(やWindows98)用のソフトを動かしたい、と私は言っていた。
その後、Windows11上ではかなりの確率で昔のソフトが普通に動くことを確認した。そんなわけで、一度は導入したVirtual Boxも、無事アンインストールすることになった。数ヶ月前だったかな?

「動作が確認できただけで、満足してしまい、実際にはあまりゲームを遊ばない」という行動は、レトロゲーム好きに「ありがち」だろうと思う。ま、私は収集癖が無いだけ、マシな人間なのだろうと思う。

そう言えば、レトロゲーム関連で、最近ステキなページを発見した。
https://www.youtube.com/@labohtmsworks
職場の「元?ゲーマー仲間」には、ソッコーでその存在を伝えた。上記チャンネルを発見したのは真夜中だったが、一応翌朝まで待ってから伝えた。Outlook(on the web)資源の無駄遣い。

って、ここまで書いたけど、収集したまま捨てられないものがあった。
過去に閲覧していたblog等のURLだ。ま、物理的なスペースは必要ないからこそ、捨てないでいる、ということはある。Inoreaderに課金(約20ドル/年)して、そのURL(というかFeed)を温存しているのである。

グリーン車と私

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つい先日、グリーン車に乗った。それは三度目の体験であるはず。
厳密に言うなら、今回は「グリーン車に使われる車両に乗った」ではあるが。

現在、JR東日本の中央線快速は、二階建て車両が接続されている場合がある。数ヶ月後の「グリーン車として正式運用」が始まるまでは、その車両に乗っても追加費用は発生しない。そのことは、二階建て車両が実際に登場する前から知っていた。
で、乗り物ニュースの記事を見た直後、その12両編成の車両がやってきた。帰宅時だった。

(未来の)グリーン座席は、皆埋まっていた。通路部分には人は居なかった。一階の階段付近で邪魔になりづらいように立つ。座席が1つ空いたので、そこに数分間だけ座った。


最初にグリーン車に乗ったのは大学卒業の数ヶ月後、都内の今とは異なる学校に非常勤講師として勤めていた際のことだ。その学校には、1年しか勤めなかった。その学校での宴会帰宅時だったはず。理科の先生方と、東海道線のグリーン車に一瞬だけ乗ったのだ。普通車が混んでたから。

都内の学校であったが、神奈川県へ遠征しての宴会だったのだ。
個人情報保護について、あまりうるさくない時代であったはずだが、個人情報の保護と「生徒や保護者の目を避けるため」でもあったと思われる。とても賢明な学校であると言える。ずっとその「遠征」スタイルなのかどうか、その学校には1年しか所属しなかったので、学校全体および教科での「宴会ポリシー」は不明なままである。

で確か、横浜から東京まで、グリーン車に乗った。当時の東海道線は東京が終点である。
何しろ過去の話なので、「ごく短距離だけ、理科の先生とグリーン車に乗ったこと」しか覚えていない。


二度目にグリーン車に乗ったのは、同僚の結婚式と祖母の葬式が行われた日だ。
青山あたりで同僚理科教諭の結婚式があった。で、その足とその黒い服で宇都宮線のグリーン車に乗って、茨城県の古河まで行ったのだ。結婚式参加は当初から予定されていたが、祖母が亡くなったのは突然だった。結婚式の二次会にも参加させていただくはずだったが、そちらはキャンセルして北関東へ向かったのだ。
結婚式ではお酒を飲み過ぎていたこと、式場を出てから気づき始めた(バカだ)。指定席にきちんと座って休息を取らないと、葬式は体調的に無理だろうと考えた。で、グリーン車に乗ることにした。かなり気持ち悪くなりながら、葬式に参列した。二次会に行けなくて良かったとも言える。

あまりにも気持ちが悪いので、ビールを飲めなかった記憶がある。祖母宅から東京へ戻る際は、親の運転する車に乗せてもらったように記憶している。
ほぼ一日中酔っ払っていたわけだ。


ということで今回の三度目。
なお、最初のグリーン車は、別に二階建てでは無かった。車両のつなぎ目辺りに陣取ったはずだが、夜の上り電車はガラガラだった。宇都宮線のグリーン車は二階建てだった。休日午後の下り電車はそこそこ混んでいたが、空席もあった。

ってなコトを、満席の中央線のグリーン車(的なもの)に乗り、思い出した。書いた。

東京都立医療技術短期大学

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東京都立医療技術短期大学は、過去に存在した教育機関である。
同じ場所は、今では東京都立大学荒川キャンパスとなっている。健康福祉学部の2~4年次の学生が学んでいるとのこと。

その近くにある尾久の原公園や隅田川沿いは、たびたび訪れたことがあった。
先日、業務上、たまたま荒川キャンパスの前を通った。で、昔の記憶がよみがえった。

高校時代の部活動の同級生Sは、四半世紀前に死んだ人間である。30になる前に死んでしまった。
彼は「声が高い」「コミュニケーション能力が高い」「ボーリングが上手い」「松本伊代のファン」「ぜんそく持ち」などの特徴があった。一浪して最果ての国立医学部である旭川医科大学に入ったが、体調を崩して退学。
北区浮間にて学習塾『紫苑ゼミ』を興し、数年間にわたって生徒を輩出した。彼が死んでしまい、後に塾も閉じられた。


私が高校の時、東京都立医療短期大学に行ったことがあった。
何故そこに行ったのかを、キャンパス前で突然思い出した。
老化によるものだろうけれど、新し(くあまり興味の無)いことはなかなか覚えられない。しかしながら、昔のことを突然思い出せたりするのだ。コワ。


高校時代の部活動である合唱部は、毎年夏に合宿を行っていた。で、高1の時の場所が「岩原(いわっぱら)スキー場」だったことも、自転車に乗りながら突然思い出した。で、今ググってみたら、見覚えのある旅館の名前が出てきた。今は「ギンレイホテル」って名前らしい。当時は漢字で銀嶺(荘?)だったはずだ。ゲレンデや旅館内で歌の練習をしたっけなぁ... その合宿時に、私が部長になることが決まったはず。厳密に言えば、「私は指揮者などできない(だろう。部長ならできるかもしれないけど)」との意思表明を行った場所だ。
その後、秋から合唱部に入ったSが「合宿場所を変えよう」と言い、茨城県の北に位置する『高萩大心苑』を我々に紹介してくれた。自分が部長をやった世代から数年間は、高萩大心苑で合宿が行われたはずだ。Sは高2になり、テナーのパートリーダーとなった。私はベースのパートリーダーであり、部長でもあった。

Sが高萩大心苑を知ったきっかけは、「北区のぜんそく持ちの療養合宿」みたいなものに参加したからだったと聞いた記憶がある。そのぜんそく仲間(?)の先輩に、東京都立医療短期大学に進学なさった方(女性)が居た。なお大心苑、今は既に営業していないらしい。

高校時代の私は医療系の学校に興味は無かったが、休日にSに連れられ、東京都荒川区東尾久へ向かった。その「元ぜんそく仲間」に文化祭を案内してもらったはずだ。

それらの記憶が突如としてよみがえってきた、数日前の東尾久で。
特にオチは無いッス。


過去の「S」に関連する日記
涙についての告白(2000年3月)
追悼(2009年2月)
弔う(2019年2月)

先日電池交換を行った。
ついでに、第4世代 iPod touch をリサイクルに出した。こちらの日記に書いた iPod である。なお、下取りに出しそびれた iPhone 5 は、義理の母が一応使っている。

電池交換は Apple 新宿にて行った。iPhone上の公式アプリから予約をして。その予約時刻は平日14時だった。
14時少し前に店舗へ到着。入り口近くの店員に予約してある旨を伝える。予約してあることが確認され、椅子に案内される。多分、10分くらい経過した頃に、別の店員による「お待ちください」とのアナウンス。
結局、14:30頃にヒアリング的なものが開始された。店員さんに悪意は無いのは分かっている。でも、「今はこのサイズが売られていないが、お仕事上このサイズが便利なのでしょうか?」というような雑談(?)があった。その雑談、私には不要だ。さっさと電池交換してよ。
で、さらに退いた(=興ざめだった)のが、「16:30頃に再度ご来店ください」と言われたこと。

え?


ま、従うしか無い。「30分くらい前、16時に終わっている可能性もある」とも言っていた。
自宅で用事があったので、一度帰宅することにした。

以前、iPhone 6s の電池交換は、表参道店で行った。1時間ちょっと待たされたように記憶している。
今回も、その程度は覚悟していた。
次回の(オフィシャルショップに委ねる)電池交換があるならば、3時間を見込んでおこう。


その後「電池交換の際の担当者の評価をしてね」っていう連絡があった、Appleから。
「担当者は問題ないが、時間がかかりすぎだ」って回答しておいた。ダメ押しでこの日記を披露しておく。


その日、自宅に一度帰る際、定期券が無いことに気づいた。iPhoneに吸収されてるから。
無駄な移動時間に加え、数百円無駄に使ったとさ...

このような看板を見た。
rikkyo1.jpg

拡大する。
rikkyo2.jpg
立教通りです。

いつの間にか、立教通りの池袋寄りが一方通行になっていた。
ま、その方が安全でしょうね。

で、さっきの看板は、この場所にある。
rikkyo3.jpg
正面は結婚式場ですね。割と昔からあるなぁ...

このコインパーキングは、池袋駅方向へ向かう「新しく設定された一方通行」の途中、右側にあります。
その駐車場を使う時点で、その場所が一通にあること、分からないはずは無いんですよね。普通に考えたら、看板は不要でしょ。余程ラリッていれば別かも知れないけど。

看板が余っていたのかな?
あるいは、警察が杓子定規だからこそ?


立教大学は、実家から歩いて30分ちょいだ。
実家と池袋を結ぶ最短経路は立教通り経由となる。

私が中学生の時、池袋への主な移動手段は自転車だった。土曜日の午後にゲーセンに行ったりして。立教通りの先、山手通りの外側は郊外方向(実家側)への一方通行になるが、自転車ならば逆走しても許される。

私の実家、相当昔は風呂無しアパートを併設していた。四畳半だか六畳だかが数部屋あった。
立教の学生が多かったと聞いた。立教大学(の学生課?)に広告を出していたとかなんとか? しみじみ考えると、日芸(日大芸術学部)や武蔵野音大の方が近いのだけど。
一度、夜中に麻雀の音がうるさくて、困ったことがあったはず。父親がたしなめに行ったのだったかなぁ...


自分の職場には、パラパラと立教大学出身者がいる。
愛校心強めである気がする。いいね。

ここにあるのは2024年10月に書かれた日記です。

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次のアーカイブは2024年11月です。

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