2020年1月アーカイブ

ユニクロの靴下

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謹賀新年。

職場の最寄り駅であるJR阿佐ヶ谷にも、昨年末にユニクロが入った。
そもそも、「ほぼ最寄り」であるJR(東京メトロ)荻窪にも、ユニクロはあった。が、微妙に遠いのである。

で、時々その「最寄りの」ユニクロに足を踏み入れては、靴下買うべきかなぁ...、と悩んでいたのである。そのまま年は明ける。結局、阿佐ヶ谷のユニクロでは、何も買ったことが無い。毎朝、納品が大変そうですけど。

ユニクロの「凄まじさ」については、横田増生氏の『ユニクロ潜入一年』(アマリンク)が詳しい。面白い本である。


元日、住んでいる区の最西端の確認のため、子とともに軽くサイクリングをする。
というか、特に行く当ても無かったが、子は自転車に乗りたいというので、居住区の横断を考えたのである。途中、子がチャリンコで転けたり、中里貝塚(というものの存在を、その日に知った)の近くの広場を訪れたりしていたら、予定していた時間(約1時間)を大幅に超えてしまったので、とりあえず帰宅した。


子は子供用のマウンテンバイクに、私はママチャリに乗ってサイクリングをした。
寒かろうから、私も真面目に「自転車用のグローブ」を着用した。ちゃんとパールイズミのヤツ。めっちゃ古いけど。

で、タンス、というかブラスチックの衣装ケースに手袋を戻していて、発見したのだ。表題のブツをね。
ユニクロの靴下は、まだ4足もキープされていた。買わなくて良かった。

しかし、ユニクロの靴下。
年によって、品質にぶれが出てる気がするんですよね。ま、それでも3足1000円前後のブツとしては、品質が良くて安定してると思うけど。また、長年買っているから、微かな違いが気になるだけかも知れない。そして、化繊の配合度合いは変えているのでしょうけどね。
ずっと放置していた「スーピマコットン(とは何なのか)」という謎は、こちらのサイトで解けた。
低価格ブランドがスーピマコットンTシャツを製造販売できる理由 - 南充浩 オフィシャルブログ

と、靴下に生じる穿孔のように、この文章も唐突に終わる。
本年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m

イタリア旅行記 3

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既に昨年11月末の話です。
以前のものにリンクを。
イタリア旅行記 1
イタリア旅行記 2

旅行記(の全て)はこちらにまとまっています。


イタリア修学旅行は、4泊6日でした。
ローマに投宿し、初日は終わりました。
長い一日で疲れました。修学旅行に行って毎度毎度思うのは、旅行会社の添乗員さん達のタフさ加減です。基本的には「好きでやっている仕事」であろうから、あれだけ動けるのだろうと思います。それにしても、タフです。

2日目は、終日ローマ市内観光でした。
そもそも、イタリアに行ったこと自体が、初めてでございました。ローマ市内は予想以上に地形が複雑でした。パリくらいの平坦さかと思っていたので。
ガイドさん曰く「7つの丘がある」らしかったです。
今、ググって知ったのですが、その「7つ」はそれなりに変遷があるみたいですね。「日本三大○○」みたいな、ある意味「いい加減な定義」なのでしょう。

まず向かったのは、真実の口でした。
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もっと街中にあるのかと思っていましたが、「川っぺりの辺鄙な場所」にあることを知りました。で、朝一番だったので「開場前?」でした。ま、現物を見られたからいいや。鉄格子越しだけど。

そこからコロッセオに向かいました。コロッセオは「思ったよりも小さい」という話を配偶者から聞いていました。が、「デカい」という話もある。私としては大きく感じましたね。よく、あんなものを2000年も前に作ったものだ。すごい。
基本的には石灰岩でできているようでした。が、現地ガイドの方は「大理石」というフレーズも発していました。しかし、大理石と呼ぶほど緻密には見えない。
この件も今、ググって確認しました。どうも、チボリ(ティヴォリ)で産出される石灰岩様の岩石のようで...。

コロッセオの近くに、なんだか趣深い丘があるなぁ... と、思っていました。その先がフォロ・ロマーノでした。

フォロロマーノの標高が低いあたりで撮影。
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建物が埋まったり、もっと埋まったり、掘り出されて剥き出しになったり... で、まだ埋まってもいるような... って感じの場所みたいです。インパクトがある一帯でした。ある意味カオス。
9時頃から11時過ぎまで、コロッセオとフォロ・ロマーノ付近の徒歩観光を行いました。

バスにて移動し、昼食は街中のレストランにて。4種のピザを食べました。美味しくいただきました。オーナー風の方は、めっちゃ日本人でしたね。現地ガイドさんとも、昔からの顔見知りだったみたい。約1時間の滞在でした。

またバスに戻り、スペイン広場やトレビの泉へ。スペイン広場は、私が所有していたイメージと、あまり変わりませんでした。トレビの泉は、想像していたよりもデカかった。薄っぺらかったけど。
念のため、ちゃんとコインを投げておきました。あんまり、生徒がコインを投げている姿を見なかったなぁ...。折角だから、やっておけばいいのに... って思いましたね。

泉の近くの提携店(?)にてジェラートを食し、お買い物などをしてバスへ戻ります。スペイン広場とトレビの泉で約2時間の散歩でした。天気も良くて、よかった。

泉から少し歩いたところにあるcoop(スーパー、組合員じゃなかったけど、使えた。日本でも同じか。)では、お土産のチョコレートや、自宅用のサーディンを買ってみました。
唐辛子の効いたサーディンは、フランスへの引率で会得した「お土産選択手法」を用いました。それは「きれいな陳列から、ちょっとだけ数が減っている商品を選ぶ」というものです。
「きれいに陳列されているけど、ちょっと数が減っている」ということは、「常に購入する人がいて、そこそこ捌けていく商品」である可能性が高いと考えます。

この年末年始、その際に購入したサーディンを、やっと開封しました。なかなか美味しかったです。改めてググってみたところ、ポラストリーニっていう、その筋ではちょっと有名な商品だったみたい。
日本語で紹介してるページがあった。阪急デパートのバイヤーさんの記事のようです。
イタリアフェア2014 チャオチャオ!ポラストリーニさんのオイルサーディン!! | 阪急うめだ本店・スタッフブログ

そのあとは、バチカン市国へ向かいました。
サン・ピエトロ寺院とバチカン博物館を見学しました。異常に豪華な場所だった。当たり前か。
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この像が、一番豪華だと感じました。赤い色をした石の「使いっぷり」なんかが。
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これは聖堂の正面。
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日が暮れた後も、バチカン博物館内などを見学しました。なんだかんだで4時間、徒歩で移動し続けました。最後には、システィーナ礼拝堂も入らせて貰いました。が、聖堂周囲の腰掛けに座ったまま、(一時的に)意識を天に召される生徒がちらほらと... いや、大量に。

私は『フランダースの犬』を思い出しました。

パトラッシュ、僕はもう疲れたよ...
場所が違うけど。


20:30頃に、ホテルにて夕食を摂りました。
この日も本当に長い一日だった。

イタリア旅行記 4

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4泊6日の旅行の3日目。
ローマからフィレンツェへ移動しました。ローマ出発は8時少し前でした。270kmの道のりを、3時間半ほどかけて移動しました。

私は、バスの中で寒さを覚えていました。後から分かったのですが、何かのウイルスにやられていたのでしょう。その時は「やたらに寒いなぁ...」とだけ、思っていました。バスの中にいるのに、ジャケットに加え、薄めのダウンを羽織っても、まだ寒かった。

そんななか、フィレンツェはミケランジェロ広場に到達しました。
雨の中でした。本当に寒かった。
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でも、元気な生徒は雨の中、薄着で弾けて(?)いました。若いって、素敵だなぁ...。


若いと言えば、同じ職場の同じ教科担当、かなり若い同僚(♂)が居ます。
で、元カノ(この表現は、あまり好きでは無いが、彼がそう言っているから使う)とは、学生時代にイタリアに旅行したことがあったそうで。写真も見せて貰ったことがあります。卒業旅行だったとか何とか?
そしてどうも、今でも未練たらたらの様子なのです。スマホに、元カノの画像を持っています。

その中の1枚には、ミケランジェロ広場で撮影したものがあるそうです。見せて貰った。
その「仲むつまじき頃」と同じ構図で、写真を撮りたがっていました。別の女性教員(既婚者)を隣に据え、撮影してましたね。
私は思うのです。
何で、同じ構図で、写真を撮りたいのかなぁ... って。

私は、こっそりとこの場所で、彼の更生を祈るのでした。
復縁でも、「新カノ」でも、どっちでも良いけどね。


バスで移動して昼食でした。
イタリアを旅したわけですが、スパゲッティ的な乾麺は、結局一度も出てきませんでしたね。
この日はボロネーゼってコトでした。ニョッキが細長くなったみたいな感じのパスタでした。太さが5mm程度、長さが5cm程度、だったような気がする。が、具合が悪くなりかけていたので、記憶が定かではありません。何しろ、そのパスタを「全然食べられなかった」記憶が残っています。食べても美味しいと感じられなかったし。
この生涯、シラフなのに「食べ物を残した」なんて、ほとんどありません。それほどまでに体調が悪かったのでしょう。何しろ、食べられなかった。今更ながら、ビビるわ。

で、体調が悪かろうが何だろうが、生徒を連れて、徒歩移動を続けなければならない。
この昼食時、折りたたみの黒い傘も無くなってしまいました。ま、西友にて1000円で買った傘なので、とても「ありがちなデザイン」ではあるのです。それにしても、持ち物が無くなるのは悲しい。傘立てなんかに預けなければ良かった。

午後はウフィツィ美術館、ドゥオーモなどを見学しました。14時から17時過ぎまで、雨のフィレンツェを巡りました。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ボッティチェッリ などなどの、超有名な作品を見ました。ということは覚えています。自分で撮影するよりも、「ネット上で見る」方が綺麗だろうから、一切美術作品の撮影はしませんでした。ま、体調も悪く、そんな余裕も無かったのですけどね。


街中は「クリスマス仕様」になってました。
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このヴェッキオ宮殿は、映画『ハンニバル』の撮影に使われたとか。映画を見た記憶はあるけど、よく覚えていない。
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『冷静と情熱のあいだ』は映画も見たし、小説も読んだ。
ドゥオーモですね。
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18時にホテルに到着。
あまりに体調が悪かったため、夕食も摂らず(摂れず)、ひたすら寝てました。生徒の管理等は、他の先生方にお願いして。
25年前後教員やってますが、宿泊行事でこれほどまでに働けなかったのは、初めてでした。

現地の医師(めっちゃ具合が悪くなった生徒が看てもらった)の見立てによると、「行きの飛行機で『何か』を貰っていたのだろう」と。最終的には同じ飛行機を使った人々から、10名前後の体調不良者が出たのです。で、その1名が私だった。

イタリア旅行記 5

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4泊6日の4日目です。
最終日みたいなもんですね。
一応、朝食にヨーグルトくらいは食べておきました。不調は続いていました。

その日はフィレンツェからローマに戻ります。途中、ピサに寄りました。
この日の見学ルートは選択制になっており、チヴィタ(チヴィタ・ディ・バーニョレージョ)とピサの二択になっていました。生徒たちは行動班(6名前後)毎に行き先を選択し、教員は適宜割り振られました。

私は心の中ではピサを希望していました。
が、特にその願いは披露するでもなく、「責任者の先生に一任」というカタチになってました。
成り行き上、その願いは叶いました。

チヴィタは『天空の城ラピュタ』のモデルでもあるとか、ないとか?
生徒は圧倒的にチヴィタ行き希望者が多かったです。
私は昔から、その存在を知っている「ピサの斜塔」を見たかった。で、見てきました。

まずは大聖堂に入りました。
ガリレオが『振り子の等時性』を見出すきっかけとなった(という説もある)ランプ。
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その後、洗礼堂も拝観しました。
斜塔前で集合写真。
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斜塔と大聖堂。
微かに雨は降りましたが、どうにかやり過ごした感じです。
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昼食はトマト味のニョッキなどでした。
朝よりは胃腸は回復してきましたが、やはり完食はできず。
全然大した量じゃ無かったのに。

その後は、時に右手に地中海を眺めながら、ローマへ戻りました。
夜はカンツォーネの演奏を生で聴きつつの夕食でした。
その後はホテルに戻り、帰国の準備をしました。


なお、チヴィタ見学グループは、下に示したような光景を見たそうです。この画像を撮影したのは、前述の同僚理科教諭(のはず)。
絵画でも、こんなに綺麗には描けないような...。
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イタリア旅行記 6

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4泊6日の5日目以降についてです。
あとは日本に戻るだけです。

前日の晩に受け取っていた「軽食ボックス」の内容物は、十分に大量でした。胃腸の具合が徐々に改善しつつありましたが、サンドイッチなどを食べられず、ホテルの部屋に置いてきました。
フィウミチーノ空港から、再度3つの航空会社に分乗し、ヨーロッパ各地で乗り継ぎを行い、日本へ戻りました。
アムステルダムからの機内では、映画『真夏の方程式』を見たことは覚えています。面白かった。福山雅治はかっこいい。他にも何か見たような気もするのですが、忘れました。1ヶ月半前のことなので。

で、私自身は無事に日本に戻りました。また、徐々に胃腸の具合は回復していきました。が、帰りの便で、スーツケースをぶっ壊されました。

スーツケースの「キャスター」であれば、破損の責任は「自分」であることを知っています。
今回の破損は「ケース本体」に見えました。航空会社の責任だと思いました。しかし、成田空港のお兄ちゃんには「書類は出しますが、キャスターの破損のため、ご加入いただいている保険会社での対応となります」みたいなことを言われました。
航空会社の末端で働いているお兄さんと戦っても、あまり得るところは無さそうなので、というか、戦う気力も無かったので、引き下がりました。が、この破損の「させかた」は酷いでしょ。相当に酷い扱いをしなければ、こんなに割れないと思う。10cm以上、本体が割れてました。
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航空会社が選べるなら、今後「某KLM」は使わないでしょう。

スーツケースはカード会社の付帯保険に委ねました。ほぼ元通りになって、戻ってきました。広島の「第一ボデー」さん(と「りそなカード」)、ありがとう。輸送料等も不要で、3,000円ポッキリでした。(なお、厳密に言いますと「費用はカードから引き落としで3,000円だけ」と聞いています。請求はまだ来ていません。)

つーコトで、これにてイタリア旅行記を終わります。

メクソハナクソ

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NHKが簡保の「不適正契約」扱ってる。
ウケる。

正に「お前が言うか」だろう。
不適正な契約の権化が、何を偉そうに。

祝「チバニアン」

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決まったんですね。
めでてぇ。


私とチバニアン 履歴
模式地がパワースポットぉ?(2017年7月)
にっき(2018年8月)
チバニアンと地質学(2018年12月)

薄ぼんやりと理科教諭

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として生きている。

で、ゴーン氏の逃亡劇は面白いと思った。
日本国の主張(我々の司法の裁きを受けよ、凄く拘束するけどな)には、どことなく違和感を覚えていた。
橋下氏の記事を見て「だよねー」って思った。

以下、現時点で見られるテキストを引用します。元ネタの最初のページは以下の場所。
橋下徹「ゴーン氏への日本の反論はアンフェア」 自国の正義を論じるだけではダメ | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

ゴーン氏に対する日本政府の主張に満足する者は中国を批判できない


レバノンに逃亡したカルロス・ゴーン被告は、1月8日レバノンで会見を開き、徹底して日本の刑事司法制度を批判した。現在もその勢いはとどまるところを知らない。
(略)
今の時代は国や論者の立場により、多種多様な主張が入り乱れているが、そのときに重要なのは「どの主張が絶対的に正しいか」という思考ではなく、その主張はフェア=公正かという思考である。
(略)
ゴーン氏による日本の刑事司法制度批判に対して、日本政府(法務省・検察)は、「ゴーン氏の主張によって逃亡は正当化されない。日本の刑事司法制度には何の問題もない。容疑者・被告人の権利は十分に保障されている」と主張するが、逆に言えば、その主張だけだった。
この日本政府の主張に満足する者は、フェアの思考からすると、今、香港市民が民主主義を守るために戦っている状況において、中国を批判する資格はない。
(略)
そもそも2019年3月より始まった香港のデモは、中国の刑事司法制度に対する香港市民による批判がきっかけだった。
2019年に香港で逃亡犯引渡条例が改正される運びとなった。この条例改正が実現すると、中国に犯罪容疑をかけられた香港市民が、中国に引き渡される可能性が高くなる。
(略)
そこで香港市民は「中国当局は犯罪をでっちあげることなど簡単にやってくる。中国当局にとって気に食わない香港市民に犯罪容疑をでっちあげ、中国本土への引き渡しを求めてくる。そして中国本土で思うように裁くだろう。中国は香港を意のままに統治したいところだが、香港の民主主義を死守しようと中国を強く批判する民主派、独立派の香港市民が邪魔だ。だからそのような人物に容疑をでっちあげ、中国の裁判所で裁き、刑務所に放り込むだろう」と考え、香港の民主主義を守るために、この逃亡犯引渡条例改正に反対の声を上げた。
実際に中国は、香港に対する締め付けを厳しくしている。
香港において中国を批判し、民主主義を強く唱える者が突如拘束されたり(銅鑼湾書店店主)、香港の立法院の議員選挙に民主派の人物が立候補できないようにしたりと、あの手この手で中国を批判する者を抑え込もうとしている。
(略)
僕も中国の刑事司法制度はまったく信用していない。だから中国当局に拘束されて中国の裁判所で裁かれるなんて、考えただけでゾッとする。このように感じる日本人は非常に多いはずだ。これは日本人が、中国の刑事司法制度を野蛮だと考えていることによる。
このように、香港のデモは中国本土の刑事司法制度は野蛮だ、信用できないというところから始まったものである。だから、ここで香港市民側の味方につくということは、それは中国本土の刑事司法制度は野蛮だ、信用できないという主張をしていることと同じだ。
対して中国は、「中国には中国なりの刑事司法制度がある。中国の刑事司法制度には何の問題もない。容疑者、被告人の権利も十分に保障されている」という主張だ。
なぜ中国の主張に反発するのに日本政府の同様の主張は受け入れるのか?
この中国の言い分には、香港市民だけでなく、多くの日本人も怒るはずだ。
「何言ってんだ! 中国は民主化されていないし、三権分立もきっちり確立してない。中国共産党の一党独裁の国で、立法、行政、司法の上に共産党が君臨している国じゃないか。裁判だって中国共産党の思いのままになるはずだ。容疑者、被告人の権利も保障されていないし、弁護士だって国に楯突く者は簡単に拘束されるじゃないか(ノーベル平和賞受賞の故劉暁波氏など)。中国の刑事司法制度には問題が大ありだ!」と。
では、今回の日本政府の主張をもう一度振り返って欲しい。
(略)
中国の主張とまったく同じである。そうであれば、日本政府の主張に疑問を持たずにそれに満足する者は、中国の主張にも怒れないはずだ。
逆に中国の言い分に怒る人は、それと同じ日本の言い分になぜ怒らないのか。それはおそらく日本は正しく、中国は正しくないという決めつけがあるからだろうが、これはフェアの思考じゃない。
日本が正しいか、中国が正しいかは、いくら議論しても日中間では結論は出ないだろう。お互いに自分のほうに正義があるからだ。そしてお互いに正義をぶつけ合っている限りは、何の着地点も見出せない。
このときに役に立つのがフェアの思考だ。
お互いの価値観の相違によってお互いに正義があり、どちらの主張が絶対的に正しいか結論が出ない場合でも、それぞれの主張がフェアかどうかは判断できる。フェアか否かは、価値観に左右されない。立場の違い、価値観の違い、それこそ正義の違いがあったとしても、それを乗り越えて評価できるものが「フェア」というものである。
中国の刑事司法制度が正しいのか、日本の刑事司法制度が正しいのかは別として、フェアの思考からすると、今回の日本政府の主張に怒らないのであれば、中国の同じ主張にも怒ってはならない。すなわち香港のデモに味方することはダメだ。
逆に、中国の主張に怒り、香港のデモに味方するなら、フェアの思考からすると、今回の日本政府の主張にも怒らなければならない。僕はこの立場だ。
日本は正義、中国は不正義とういう前提から物事を考えるからおかしくなる。中国においては、中国は正義、日本が不正義という前提になっているのであるから、着地点を見出せなくなる。
このような前提から考えてしまうと、日本と中国の主張が同じであっても、日本の主張は正しく中国の主張は正しくない、あるいは逆に日本の主張は正しくなく中国の主張は正しいという結論になってしまう。
今、メディアを通じてコメントをしているインテリたちの多くはこの立場だ。どちらが正しいのかを論じ合ってしまっている。
フェアの思考では、同じ主張なら、同じ評価をしなければならない。中身が同じ主張について、日本の主張がOKなら、中国の主張もOKと評価しなければならない。逆に中国の主張がダメなら、日本の主張もダメだと評価しなければならない。
(略)
(ここまでリード文を除き約2500字、メールマガジン全文は約1万700字です)

毎度気になる(橋下氏のメルマガ要約は時々見る)のは、残りの文字列(今回は8200文字)に「何が書かれているか」なのだったりする。
私は、上にある要約で「お腹いっぱい」だったりします。

で、橋下氏の言説は概ね「だよねー」って思う。
彼の過去の言動はさておき、ね。


過去の関連する日記
「東京の中心でチベットの自治を叫ぶ」ヒトの揚げ足を取る(2008年5月)

ア・バオア・クー

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気づけば、JR新宿駅にコンクリ剥き出しの通路が新設されていた。
今日まで知らなかった。
また、「ガンダムスタンプラリー」新宿駅スタンプは、ジオングだった。
で、私は「ここは、ア・バオア・クーっぽいな」と思ったのでした。

CSS化完了(多分)

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とりあえず、ariori.com 以下のページ群について、CSS(Cascading Style Sheets)を導入した、はず。

約11年前から目論んでいたことではあった、ようだ。

しかし、必然性が無いから、進めていなかった。「文章が読め、好みの色遣いになってりゃ良いだろう」って思っていた。

では、何故今さら、CSSを導入したのか。
ま、特に理由は無いですね。単なる自己満足。
実質の作業時間は、数時間だった。


およそ23年前から、コツコツコツコツ、駄文を作成してきた。
トップページのカウンタは、そろそろ10万を超えるみたいだ。

Webページ作成に際して、私も最初は「マニュアル」を買って読んだ。その当時買った、某「○○システム」が刊行していた『初心者用html本』には、「"br"タグも"p"タグも大した違いは無い。"p"タグの方が、改行幅が増えるくらいだな」って意味の文章が書いてあった。マジです。

ま、そんな本でも、私は十分に世話になったッス。

その後、Movabletypeの本と「ちゃんとした」HTMLの本も買ったっけなぁ。それらは捨てたような気がする。幾度かの引っ越しに際して。

今度は、HTMLとCSSを「最新版」にせねばならないかな...。
また、Movabletypeで生成している、この「腐れ日記」の構造なども、綺麗にした方が良いとは思ってる。ま、やはり「見栄え」には、さして関係ないのだけど。

終わりなき旅。

FKB8724を再び洗う

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"FKB8724"はキーボードの型番である。
このキーボードを買ったのは、2000年12月30日だったようだ。前世紀末イブですね。

パソコンの自作は、その2000年末に始めた。今どきは流行らない趣味ですね。パソコンも「出来合い」を買った方が安い場合が多々ある。また、Mac miniなんかも気にはなります。
が、「遺産管理」を考えると、やはりメインのパソコンはWindowsにせざるを得ない気がします。SATAのHDDを「抜き差し」できる方が、いろいろと都合が良いし。

で、一昨日だったかな?
この「腐れページ群」のソースをシコシコと修正してました。
で、サクラエディタでコピペをしようとして、Ctrlキーを押すと、文字列全体が反転(選択)されるのでした。
「そんな設定あったかな? そういう設定のショートカットキーを押してしまった?」とか、少し悩みました。で、だんだん動作がおかしくなっていく。

結局、キーボードの"A"のキーが「押下された状態」になっていたようでした。
エディタの画面上で"aaaaaaaaaaaaaaaaaaaa"って文字が出てきたので分かりました。


「とうとう寿命かなぁ」とも思いました。
が、キーボード全面が汚れていることも気になっていました。
とりあえず、電子部品以外を水洗いすることにしてみました。

ということで「再び洗う」なのです。
前回、キーボードを掃除したのは、12年前だったようです。

キートップとその下の軸、キーボード外装と内部のフィルムを中性洗剤で洗いました。で、放置して乾燥させる。
念のためフィルムの接点側については、アルコール入りのウエットティシューで拭いておいた。


いま、キーボードの動作チェックも兼ねて、文章を作成しています。
不具合は解消しました。
ま、接点が「なぜ効き続けた」のか、謎ではあります。通電性のゴミが入ったのか?
でも、"A"のキーは、私が一番使うキーではある気がします。相当キートップがテカってる。自分の名前(ローマ字表記)にも多い文字だし。

次にキーボードの調子が悪くなったら、それは寿命なのだろうなぁ...、って思っています。
ま、20年も使えば、既に十分ですけどね。


このキーボード、「マレーシア製」である証拠として、キーボード裏面の情報をお示しします。
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ちなみに、キーボード内、接点が印刷されたプラスチックのシートの間には、絶縁のための「何も印刷されていない、穴が開いただけのシート」が挟まっていました。"3層構造"ということですね。
この段落?はかなりマニアックな情報を記しました。以下のページを読んでいたので、記してみました。
OEM大好き!な富士通コンポーネントが放つMade in Japanの産業遺産級KBを紹介しようと思う件について(*分解画像あり/Rev.C) - ELECOM / 富士通コンポーネント ひねりキートップキーボード TK-P2109JPTW (N860-8754-T501) 日本語配列 109key PS/2接続 メンブレン方式 FKB8754-501のレビュー | ジグソー | レビューメディア

上のページを拝読したのは、今日で二度目ですね。
キーボード愛に溢れすぎている。


ところで、私の買ったキーボード、だいぶ黄変しました。
パッと見、キーが重そうに見える。軽いのだけど。

ここにあるのは2020年1月に書かれた日記です。

前のアーカイブは2019年12月です。

次のアーカイブは2020年2月です。

最近の日記はこちらで見られます。過去に書かれたものはアーカイブで見られます。