義兄弟と従兄弟、だいぶ違うでしょ。
最初読んだときは「何だよ、三国志か?」って思いましたね。「それはそれで渋いな」と。
こちらのサイト(suumo.jp内)からのキャプチャです。
このサイト自体は、痛いニュース経由で知りました。
義兄弟と従兄弟、だいぶ違うでしょ。
最初読んだときは「何だよ、三国志か?」って思いましたね。「それはそれで渋いな」と。
こちらのサイト(suumo.jp内)からのキャプチャです。
このサイト自体は、痛いニュース経由で知りました。
どなたかの旅行プラン立案の「たし」になるかとも思い、2018年8月上旬、5日間の道東旅行の行程を記します。
北海道の出入りに利用したのは「たんちょう釧路空港」で、レンタカーにて巡りました。
左下の釧路空港から、概ね「時計回り」にて道東を巡りました。
<1日目>
10時前に空港到着。レンタカーを借りる。
そのまま「釧路和商市場」へ。「勝手丼」が有名らしいので、それを食する。各自、勝手に食べる。そんなに安くはない。馬鹿高いわけでも無いけれど。勝手に選べるという雰囲気が楽しい。平日の早めの時間帯に訪れたので、ゆっくりと食事ができた。
釧路湿原の展望台へ。遊歩道もあったのだが、気温も高く、その後の訪問予定地も多かったので、遊歩道へは行かなかった。この場所で「熊鈴」を買っておくべきではあった。理由は後述。
ハッカ油(道内のそこら中で売っている)は清涼感があり、虫除けにもなるとのことだった。しかし、それを子どもの顔面に(虫除けとして?)散布してしまったグループが居たようで、薄荷の香りと子どもの泣き声(2名分)に出会った。大人でも、あれが目に入ったら洒落にならない。あの後、彼らはどうしたのだろうか...。
オンネトーへ向かう。道東の湖と言えば、摩周湖・屈斜路湖・阿寒湖がトップ3だろう。で、事前に道東の情報を集めていたところ、「オンネトー」なる場所が美しいらしいことを知る。で、行ってみた。実際に美しかった。
ただ、5日間を通じ、この場所が一番虫が多かった。虫除けを使わずに車を降りた私は、アブにも少し刺されたのだった。虫が多かったのは、気温が高めであったせいもあろう。
次に向かったのは阿寒湖。
阿寒湖畔エコミュージアムセンターを見学の後、湖畔へ。
泥の温泉が湧いていた。なかなかに面白かった。
その後、摩周湖へ。辿りついたのは17時頃だったろうか。売店が店じまいを始めていた。
私が摩周湖を訪れるのは、29年ぶりであった。大学時代の徒歩旅行サークル「伸歩会」にて訪れて以来である。(なお、北海道を訪れたのは、今回で4回目)
摩周湖は摩周湖であった。前回も今回も、霧にも出会わず、綺麗さっぱり晴れていた。濃青色の湖面やそこに屹立するカムイシュ島(中島)も、記憶とは変わっていなかった。展望台は綺麗になっていた気がする。が、30年前なので、記憶は定かではない。前回は「第3展望台」に行ったような気もする。今回は「第1展望台」から湖面を眺めた。展望台ではエゾシマリスに出会った。
動きが、
速い。
うまく写真は撮影できず。
その後、硫黄山(いおうざん)へ向かう。
火山の噴気に対して、あれほど近づける場所は、他にはよく知らない。
結果的に、駐車場への到着が18時前後だったので、駐車料金(本来は摩周湖第一展望台と硫黄山の駐車場は、駐車料金が必要とのこと。両方の駐車場が利用できて普通車は500円。)を取られることも無かった。ラッキーだったと言えよう。
この日の宿は川湯温泉に確保した。
翌朝は「雲海」を見に行くことを考えていた。3時過ぎに起床し、峠を目指すつもりだった。一応、目覚ましを設定し、起きてはみた。しかし、屈斜路湖畔である川湯温泉もバッチリ晴れており、「雲海」は発生していなさそうなので、また寝た。
<2日目>
朝食後に最初に向かったのは砂湯。湖畔を掘ると、温泉が出てくる。
硫黄山も砂湯も、29年前、タクシーの運ちゃんが連れて行ってくれたところだ。そして、非常に印象に残っていたので、再訪したのであった。配偶者や子も、この場所は楽しかったらしい。
美幌峠を通過する。
「熊笹ソフト」は、バッチリ草くさく、美味であった。
その後、サロマ湖展望台へ向かう。ネット上で検索して知っていたが、途中の路は未舗装路となっていた。それなりの距離のダート路である。雨が降ってたら、行きたくない。
この場所は「29年前に登りたいと思ったが、登れなかった場所」なのだ。サロマ湖は日本第3位の広さの湖(汽水湖)である。「その全景を見たいなぁ」と思ったのだが、徒歩旅行の旅程上、そのときは展望台へ登ることはできなかった。
ここで、展望台にて配偶者が撮影した画像を披露する。
クリックすると、拡大される。画像情報を削除しただけで、縮小や加工はしていない。
灰色のキノコのような物体が見えることと思う。
私の予想では、iPhoneに映り込んだ「虫の類」だとは思う。しかし、"Identify"はできない。正に"UFO"である。
UFO写真を、生まれて初めて手に入れることができた。
配偶者は、この「不可思議な写真」を撮影してから、数時間「これは何だろう...」と悩んでいたそうだ。そして、私や子に「こんな写真があるのだけど...」と告白。
前後の写真には、この「未確認物体」は写っていないとのことであり、その点について、私も確認した。
謎は謎のままである。
また、この場所ではヒグマに出会いかけた。
一緒に旅行に行っていた義理の母は、展望台を先に降りて、車に向かっていた。その際、熊の後ろ姿を見たそうである。展望台側に引き返し、我々に「熊が居る」と小声で伝えてきたのだった。
結果的には、義母以外に熊を見た人物は居なかった。
しかし、その熊は我々に対して「車上荒らし」を敢行していた様子である。
こちらはテールゲート付近。
こちらは助手席側のドア。
熊に会わなくて良かった。
後に、熊鈴を買うことにしたのだった。
サロマ湖を後にした私たちが、次に向かったのは能取岬であった。
この場所は、よく映画のロケ地に使われるようである。特に『非誠勿擾(邦題「狙った恋の落とし方。」)』なる映画で有名となったらしい。この映画は、中国における「北海道観光ブーム」の火付け役となったと聞く。
草原が広がり、気持ちの良い場所であった。
その後、定番であろう「監獄歴史館」を見学した。2時間弱の滞在であった。
この日は網走湖畔のホテルに宿泊。
<3日目>
ホテルを出発し、北方民俗資料館とオホーツク流氷館を見学。
流氷館は予想していたよりも小さかったが、配偶者と子が言うには「ここの『流氷ソフトクリーム』が一番おいしかった」とのこと。私は食べなかったので、詳細?は不明。
網走には、そのほかにも博物館が存在していることは知っていたのだが、先を急ぐのであった。
今回旅行先を研究していて知った「天に続く道(画像ググリンク)」にも寄ってみた。
確かに、なかなか綺麗で面白い写真が撮影できた。
次いで、オシンコシンの滝へ。
それほど巨大では無いが、綺麗な滝であった。
この日の午後は、知床五湖のトレッキングに行った。
30分ほどのレクチャー(熊に出会わない方法と、出会ったときの対処法などなど)を受けた後、2時間弱をかけて「大ループ」という「地上遊歩道」を散歩してきた。
その日の午前中は「熊出現」があったため、昼過ぎまでは遊歩道が使用禁止だったとのことだった。
全体的に曇り~雨だったため、知床の山々を見ることはできなかったが、散歩中に徐々に霧が発生し始めたため、幻想的な風景を見ることができた。
宿は知床半島のウトロだった。
<4日目>
この日は、朝から「知床の観光船」に乗る予定だった。主にヒグマなどを見るために。
朝食も早めに終えたチェックアウト後、車に荷物を運んでいる途中、クルーズ会社からの「本日は欠航です」というメールに気づいたのだった。朝食前にメールは配信されていたのだった。不覚。
前の日に「登れたら登ろう」と考えていた、ウトロ海岸にある「オロンコ岩」に登る。
カモメがギャーギャー舞っていて、なかなか面白い場所だった。時間的な余裕もできてしまったので、のんびりと風景を楽しんだのだった。
この日は、基本的に長距離移動である。
予定していた「標津サーモン科学館」へ向け、知床を横断する。
途中の知床峠では、曇りがちではあるものの、国後島を見ることができた。
昼前には、サーモン科学館へ到着した。
「ドクターフィッシュ体験」「えさやり」「チョウザメ『指パク』」など、なかなか面白い水族館・科学館であった。
展望台から、改めて国後島を撮影。
当初は、ここから釧路を目指す予定だった。しかし、観光船がキャンセルになったため、厚岸へ向かうことに。配偶者は無類の「生牡蠣好き」なので、その希望に応えることにしたのである。
北海道的な道を進む。同乗者は皆眠っていたので、私の眠気覚ましに写真を撮ったのだ。
予め調査してあった「エーウロコ」なる漁協の直売店へ向かった。
私も生牡蠣を食べた。2個だったかな? 電子レンジも設置してあり、「蒸し牡蠣」も食べられるとのこと。
牡蠣1つが100円前後から購入できるのだ。値段の詳細は忘れたが、劇的に安いのは確かだ。その時は3種類の牡蠣が販売されており、サイズも幾通りか存在していた。大きいほど値段は高い。と言っても、せいぜい200円前後だった気がするが。
自分で牡蠣をさばく?のはなかなか楽しい体験であった。その方法も、きちんとイートイン?のテーブルに記してあるので、私たちのような初心者が行っても、特に問題は無いだろう。
私はせっかくだからホヤも食べた。グラム売り(画像はそのレシート)であり、刺身への加工賃は別途50円也。
甘くてちょっぴり苦い、新鮮なホヤだった。そして、劇的に安価。
外にいた「ゆるキャラ」のルックスと設定に衝撃を受け、厚岸を後にした。
今後は、ゆるキャラ界での彼をチェックすることにした。
途中、セキネップなる場所に行った。すさまじい断崖だった。
この日は、釧路市内に宿泊。
「炉ばた」なる炉端焼きの店にも行った。高価であったが、美味であった。特にニシンとシイタケは、今まで食べたことが無いような代物であった。「価格表」が無いという点で、かなり敷居は高いのですけどね。
一応、まだ食べていなかった「ザンギ」も、「釧路 港の屋台」なる場所で食べたし、概ね「食」についての目的は達成したのであった。
<5日目>
この日は、午後のフライトで東京へ戻る。
釧路市動物園にて、まったりと過ごしたのであった。
はしゃぎ回る元気なペンギンを見たり、レッサーパンダ他への「えさやり」を体験したりした。
またいつか、知床を訪れることができたなら、是非クルーズに再挑戦したい。
言い忘れてましたが、キタキツネとエゾシカには、きちんと遭遇しました。やはりヒグマも見ておきたかった。
前回の日記に続き、2015年の夏に行った、4泊5日の北海道旅行の行程を紹介します。
あまりにも有名なところについては、説明を端折ってます。
やはり、レンタカーを使用しています。
旭川から入り、函館へ。移動距離は結構あります。初日はずっと旭川市内。最終日は函館市内です。
<1日目>
旭川空港→旭山動物園(午後ずっと)→ジンギスカン(大黒屋)
旭川市内に宿泊すると、「おもてなし券」なるチケットが購入できる。チケット購入日の午後と、翌日午前中に「旭山動物園」に入場できるのである。この券を使用した。
「オオカミの森」の看板が、童話『あらしのよるに』の「ガブ」にやたら似ていると思ったら、本当に作者の方が描いた看板だったことを知った。子と一緒に興奮したのだった。あの「お話」は面白い。
ジンギスカンは「大黒屋」という店に行った。とてもおいしかった。やはり、本場は違うと感じたのだった。
<2日目>
旭山動物園→美瑛の青い池→美瑛周辺→ファーム富田→旭川ラーメン→蛍鑑賞
午前中は動物園へ。その後、Macの壁紙の池へ。
昼過ぎから美瑛の「アトリエジョバンニ」を訪問し、ステンドグラス作成の体験を行った。これは、子の「夏休みの宿題」となったのである。ステンドグラス作成は、私も初めてだったので、なかなか面白かった。店主の方(女性)もとても親切だった。
ファーム富田は有名なので説明は割愛する。
旭川ラーメンは、某老舗を訪れたのだが、特においしくなかった。というか、むしろ不味かった。詳細は控える。
蛍は「ほたるの里」なる場所へ出向いた。私は楽しかったが、配偶者などは暗くて怖かったと言っていた。
<3日目>
ひまわりの里→増毛でサクランボ購入→六花亭の喫茶室(百合が原店)→札幌市内観光(旧道庁・時計台・大通公園)→ジンギスカン(だるま)→大通公園ビアガーデン
ひまわりの里は、まだシーズンには早かったようだが、それなりに楽しめた。
その後は、ひたすら札幌へ向けて移動した。日本海の海岸(オロロンライン)をドライブした。7月下旬だったが、増毛町の国道沿いには、農園の直売所があり、サクランボを安価に売っていた。
大嶋農園なる看板が上がっていた。
私はこの日ほど、大量のサクランボを食べたことは無い。札幌へ向けてのドライブ中、ほぼずっと食べていた。
六花亭のカフェは東京には無いので、行ってみた。良かった。限定商品のお菓子も食べることができた。
ジンギスカン「だるま」もおいしかった。
ビアガーデンは雨天だったこともあり、少し寒かった。が、楽しんだ。
<4日目>
大倉山ジャンプ競技場→小樽市内散策→(余市→ニセコ→黒松内ICから道央自動車道)→函館市内→海鮮(海光房)→函館山夜景
大倉山にリフトで登り、札幌の街を眺め、ソフトクリームを食べた。
小樽へ移動し、買い物などを楽しむ。
アル中の私としては、余市のニッカウヰスキー工場を見学したかったのだが、運転があるから酒も飲めないし、先を急ぐので通過した。その日は天気が悪く、車内からはあまり風景を楽しむことができなかった。
夕食は適当に選んだ「海光房」なる店で食した。ここで食した「羅臼産根ホッケ」は劇的においしかった。高かったけど。私の生涯に於いて、一番美味だったホッケは函館のこのホッケだ。今年、羅臼で食べれば良かったのかなぁ...?
<5日目>
市内観光(旧函館区公会堂・教会群・函館山)→五稜郭→函館空港
今にして思うのは「ラッキーピエロ」に行くべきだったということだ。
以上、ざっと旅行ルートの紹介をしました。札幌から函館にかけては、もっとゆっくり回った方が良いのかも知れません。
さらに引き続き、2015年の冬に行った、3泊4日の四国旅行の行程を紹介します。
やはり、レンタカーを使用しています。出入りは高松空港。
<1日目>
高松空港→がもううどん→こんぴらさん→愛媛県総合科学博物館→道後温泉散策
午前9時過ぎに高松空港へ到着する便を利用した。そのまま、有名店である「がもううどん」へ。
本当に「生活の中」にうどんが存在していることを思い知らされた。普段着のヒトから、私たちのような観光客や、スーツを着たオッサンや。そしてそこは、ものの見事に「農地のなか」でもあった。
このような場所にある。
印象的な旅のスタートとなった。
次に、こんぴらさんに向かう。石段を登った。達成感があった。
お守りをいくつか購入した。今も大事に家に置いてある。
次に、松山への移動途上にあった愛媛県総合科学博物館に立ち寄る。子どもと一緒に楽しんだ。科学館の類の訪問は、私にとっては飽きることは無い。
道後温泉の有名な建物にほど近い宿に宿泊する。
到着が少し遅れたのであるが、有名である「蛇口からみかんジュース」を体験することができた。わざわざ、私たちのためにジュースを補充してもらえたためである。また、動物好きの我が子は、ゆるキャラの「みきゃん」がいたく気に入った様子であった。
<2日目>
松山城→とべ動物園→竜串散策→足摺岬の宿
宿を出て、松山城を見学する。配偶者が「中村修二氏を見た」と言っていた。私は確認できなかった。
当時(3年前)は、我が子も小さかったため、意図的に動物園などを旅行の見学地に入れていた。四国は「とべ動物園」が良いということだったので、見学してきた。
その後は、ひたすらに南へ向かって移動した。
足摺岬に着いたのは、暗くなってからだった。
<3日目>
足摺岬散策→四万十川(沈下橋)→道の駅虹の森公園まつの→四国カルスト→高知市内散策
足摺岬周辺を散策した後、四万十川河口から上流へ向かって進む。
我々が訪れたのは12月末だったため、基本的に渋滞とは無縁であった。国道441号線などは、場合によっては相当に混むらしい。確かに、道幅が1車線と少ししか無いような場所が多数存在してはいた。天気も良く、のんびりと川沿いのドライブを楽しむことができた。
当初は予定していなかったのだが、目に入った「道の駅」に入る。その「虹の森公園まつの」は、予想以上に充実した施設だった。
子が「ガラス細工がやりたい」と言い出したので、急遽「ガラス工房」にて「サンドブラスト」を体験することとなった。
「みきゃん」の絵や、自分の名前を入れ、なかなか素敵なグラスが完成したのであったが、そのグラスは数ヶ月のうちに、不注意から破損してしまった。残念ではあったが、それはそれで仕方のないことだろう。
次に向かったのは、四国カルストであった。私が是非とも行きたいと思っていた場所だ。国道197号線を東進し、高研山のトンネルをくぐって愛媛県から改めて高知県へ。
この場所で国道を離れ、林道へと向かった。
結論から言うと、国道440号線以東は「通行止」であり、四国カルストの中心部分にはたどり着くことはできなかった。国道440号以西も、カルスト地形の片鱗は見られたものの、消化不良に終わっている。是非、ここはもう一度訪ねたい場所である。国道440号を南下し、高知市内へ向かった。
はりまや橋などを「とりあえず」見学する。坂本龍馬もこの辺を歩いたのかなぁ...とか想像しながら。そして、鰹のたたきを食べに行く。
「わら焼き鰹たたき 明神丸」なる店に入る。記憶が正しければ、入ったのは「帯屋町店」なる店舗。
はっきり言っておいしかった。今までに私が食べたことのある「鰹のたたき」とは、一線を画していた。我が子もカツオのたたきを気に入ったようだった。一生懸命食べていた。それまでは、それほど青魚が好きでは無かった配偶者と子は、ここのカツオを食べたことにより、青魚が「苦手ではなくなった」ようである。
<4日目>
桂浜→うどん食べ納め→高松空港
市内のホテルを出て、桂浜に行く。そのアクセスは、予想以上に高低差があった。また、その「浜」は想像よりもこぢんまりとした浜であった。
しかし、何はともあれ「桂浜」に行けたのは、何となく嬉しかった。坂本龍馬の銅像も見ることができた。
子は土佐犬の小さいぬいぐるみを購入した。ぬいぐるみは可愛いが、本物はそうでも無いのだろう。
あとは、一路高松空港へ。
途中の山地は高知自動車道で一気に抜けたが、かなり山深かった。
フライトまで、少し余裕があったので、チェーン店である「こがね製麺所」にてうどんを食べた。やはり、東京で食べるよりもおいしいうどんであった。
そして、東京へ戻った。
「少し理科に詳しいモノ」として、『君の名は。』についてのツッコミをまとめました。
pdfへ(585KB)
(2018/09/28追記:都合、3.5回程度見直し、最終版をアップロードしました。)
(2020/02/28追記:誤字等を修正しました。)
高校3年の地学基礎の授業にて、成り行き上「DVDを見ようよ」という話になってます。明日の話。
普段は1時間の授業が、2時間連続になることが分かったので。また、確かに「センター過去問」を2時間延々と解き続けるのは、私でも大変だろうと思ったからです。いや、必要ならばやりますけどね、私は。
現在担当している高3の生徒7名には、数ヶ月前(地上波放映後)に「私は『君の名は。』のここが許せない!」ということを、語ったことがありました。そのことを、彼らは覚えていたようです。
ただDVDを見るだけではつまらない(というか、授業としていかがなものか、と、さすがの自分も感じたりする)ので、私のツッコミを1枚の紙にまとめました。それが上に置いたpdf。この印刷物を配布し、生徒とDVD鑑賞をする予定です。
なお、『君の名は。』については、東京の地理に詳しい人とか、鉄分の多い人からは、それぞれ視点の違うツッコミがあるようです。ご参考まで。
私自身は、地理的なことについては、「あー、新宿から代々木、千駄ヶ谷、四ツ谷あたりの場面が多いよね」で済ませています。
なお、「と学会」の山本弘氏などがツッコむ前は、もっと酷い「彗星の軌道」だったようです。このあたりに詳しく書いてあります。
【朗報】『君の名は。』、SFオタからツッコまれまくった致命的な彗星描写ミスがBD・DVDで無事修正される! : オレ的ゲーム速報@刃
が、山本氏は「と学会」を抜けていたのですね。今知りました。
過去の関連する日記
「君の名は。」見て(2018年1月)