2016年5月アーカイブ

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舛添と電通の無い世界に行ってみたい気もするが、その世界が今より良いかどうかは分からない。
毎度毎度、選挙権を行使するだけである。「あの時」は、舛添が「まだマシ」と思ったんですよね。

自分の日記で、電通(的なもの)を貶してたこと、思い出した。
「電通」なんて企業、どうやって知るのだろう。なんで「就職したい」って思うのだろう。

原理主義者として
「本当の情報」は何処にも存在しない
「たんすケータイあつめタイ\(^o^)/」とか ...一度氏ね (追記あり)
予想通り「たんすケータイあつめ」て赤字(追記あり)

trump king deadzone

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にてググってみた。

やはり、彼のクニ(アメリカ合衆国)でも、同じ感覚を持つ方はいらっしゃるようで。グレグ・スティルソン(Greg Stilson)だったわ、大統領候補はね。

スティーブン・キングの作品で一番面白いと思うのは『バトルランナー(邦題)』である。彼の作品は『ニードフル・シングス』までは、ほぼ全て読んだ。その後に読んだのは『ローズ・マダー』『グリーンマイル』『アトランティスのこころ』くらいか。

「10年くらい、読んでないな」と思いながら、この駄文を記し始めてた。本当に10年読んでなかったみたい。最近はあまり「小説」を読んでない。
10年くらい読んでないのはムラカミハルキも同様だ。多分、最後に読んだのは『アフターダーク』だ。
オウムについてのノンフィクションはその後に読んだけど。
もっと昔は椎名誠の本もかなりしつこく読んだけど、既に20年近く読んでない。

今私がコツコツ読んでるのは、『坂の上の雲』である。やっと七巻に突入した。奉天の会戦が始まろうとしている。
大連や旅順(の近く)に行く前に、この本を読んでおけば良かったと思うことしきりである。この本を読み始めたのは、前にも記したが「四国旅行に行くから」なのであった。司馬遼太郎の作品は『竜馬がゆく』しか読んだ記憶がない。その物語、多分3回くらいは読み返した。そういえば、四国の山中に「竜馬脱藩の道」も見た。愛媛と高知の境目で。
特に写真も撮らなかったが、その場は少し人だかりがあった。

で、本題に戻るが、トランプ氏。

彼が人気を得るのも分からなくはない。
『デッド・ゾーン』でのグレグ・スティルソンは、「アメリカ大統領選挙の、もっと初期の段階」で主人公の教員と刺し違えていたが、トランプ氏は着々と大統領の座に近づいている気がする。ま、私はヒラリー氏の方が「マシ」な気がするが、アメリカのことは合衆国市民に託すしかない。

ニュース見て思った。「アフガニスタンやイラクへの介入」と「ベトナムへの武器輸出」、本質的には同じ「単なるアメリカのお節介」なのではないだろうか。ま、中国もかなり酷いやりかたではある。しかし、オバマは何故ニコニコと武器を送れるのだろうか?

世の中は謎だらけだ。アフガニスタン介入が過ちだったなら、ベトナムへの接近は、昔も今も過ちだと思うのだ。
そんな「ダブルスタンダード」をやっちまうから、白髪も増えるのだろう、オバマ氏は。

もう「ふるさと納税」なんてしない

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私は「募金をしない」というコト、以前(その1その2)に記した。
もう一つ、意識的にやっているのは「『ふるさと納税』をしない」ということだ。ま、これも「意識」をしないと、「ふるさと納税は『できない』」のでありますけれど...。
表題は槇原敬之風にしてみた、なんとなく。念のため言っておくと、私は「ふるさと納税」はしたコト無い。

あの『下らない企画』は「富の再分配」という「オオヤケがやるべき仕事」に、真っ向から対立していると思うのである。
そんな「不必要なシゴト」を止め、その分の「地方公務員(常勤・非常勤とも)」の首を切り、税金を(多少なりとも)安くするのが「真っ当な『自治体』の運営手法」だろう。そもそも、都会の金は「地方交付税交付金」などで田舎に流れているはずだ。

あと「電気自動車への助成金」や「エコカー助成金」も、ほとんど意味が無いと思う。あれも全然「富の再分配」になってない。車は「欲しいヤツ」に『それなりの値段』で買わせれば良いのだ。
私は「今の世の中」では「ガソリン車」が最強だと思う。安全性が損なわれない程度(という「定義」は保留するが)に軽量で燃費が良いもの。ハイブリッド車とか、電気自動車とか、燃料電池車とか、私は買わないな。

以上、「ブルジョアに生まれ共産主義に道を誤りかけ、ゴールド免許を失った博愛主義で核兵器廃絶を願う愛国者(ただし汎神論を支持)」の告白。

片側を空けるのは、左右どちらでも良い。東京式の右でも、大阪式の左でも。
ただし、私が片側を空けるべきと考える理由は「歩く人を先に行かせるため」ではない。エスカレーターは、歩くためのものでは無いと思う。でも、通勤時などは、私もエスカレーターで歩くことがある。子供などと一緒の時は基本的に歩かない。

時々、「ドカドカ」と音を発しながら、エスカレーターを降りていく人がいる。若者でも、そうでなくても。
ああいう音をさせる人は、「エスカレーターの堅牢性を全面的に信頼していて、自分の体重ごときではエスカレーターは止まらないと考えている人」であり、かつ「足腰が弱く、体重移動をスムーズに行えない人」なのだろう。
私はエスカレーターの上を歩く時は、なるべく「音を立てないような歩き方」をする。止まったり、壊れたりしたら、怖いから。

余談は終わり、何故「片側を空けるべき」と考えるのか。
人が多めにエスカレーターに乗っている場合、足腰に不自由がなくても、エスカレーターの末端(降りるところ)では「渋滞」が発生している時がある。特に週末のデパート、下りエスカレーターなどでは。
「2列にギッチリ」で駅のエスカレーターが使用された場合、その末端で「将棋倒し」が起こる可能性は、格段に高まるだろう。
今は「片側を空ける」のが作法みたいになっているが、それでも「末端でモタついている老人など」が散見される。もし、JR東日本の言うように「2列になってエスカレーターを使う」ことが義務化?されたら、格段に怪我人が増えることだろう。
それは多分拙い。

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