2010年2月アーカイブ

呟かず

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月初なので、無理矢理日記執筆。書かないと「月間アーカイブ」が更新されませんので。
なお、本日の表題は『依りかからず』っていうフレーズ(?)に掛けています。(過去の咆哮)

私は twitter って、触れずにいます。タンブラーだかなんだかってヤツも、スルーしてきました。多分、これからも「ミニブログ」みたいなヤツには、手を染めないんじゃないかな? この無駄な「独白サイト」の運営で満足してます、今のところ。
頻繁に呟くためには、勤務中コツコツとパソコンやケータイに向かわなければならないでしょう。そして、私が勤務中に顔を向けるべき相手は、生徒や同僚です。確か、私は職務に専念する契約で給料貰っていますし。

私のリアルな知り合いでは、ツイッターとやらをやっているヒトを知らないっつーコトもありますね。

締めとして、昨年の作品を披露します。

立春のきな粉そこここ通勤路 おがま

本年度は高校3年の担任であり、現時点で担当しているホームルームの生徒の9割は大学等の入学許可を得ている。私自身は、「推薦入試」ってシステムはあんまり好きじゃない。しかし、大学と高校生の間で需要と供給がマッチしているようだから、仕方ないことなのだろう。
しかしその一方、1年くらい前から「高大接続テスト」なんてヤツが文科省のカビ臭い俎上に上がっているようだ。
マジ、意味ねぇ。

過去、何度か記したような気がするが、入学する高校生の学力を保証したいなら、各々の大学が、必要な科目のペーパーテストなり、口頭試問を行えばよいのだ。そのほうが、大学教授のシゴトとしても楽になるだろう。ただし、口頭試問は公平性を保つのが難しいだろうから、ペーパーテストが一番無難なのであろう。古き佳きシステム。
(と、自分を棚に上げて言うのである。私の勤務先も高校での推薦入試を行っています。)

大学入試が厳格になれば、高校生も真面目に勉強せざるを得ないだろう。約20年前、私は若干の興味と多大なる義務感で、高校の授業を受けていた。
「大学全入時代」に近づけば近づくほど、学力が保証できない高校生は増えるだろう。で、話題(?)の「接続テスト」に落ちた生徒はどうするのでしょうか? 高校に残留でもさせるつもりなのかしらん?
「高校残留」だったら、高校のセンセイ方が「既に存在するシゴト」に真面目に取り組めば良いだけのことです。生徒の「原級留置」という措置です。

優秀な学生が欲しい大学は、厳密に入学選考のペーパーテストを行う。
高校の教員は、生徒が望むペーパーテスト突破力を育てる。
それだけ。

で、前にも言ったけど、義務教育段階でも「原級留置」はバンバン実施するべきだと思うんですね。初等教育(小学校まで)・中等教育(中学高校)・高等教育(大学等)それぞれが、自らの責任に於いて、学生を厳密に品質管理し、出荷すればよいのです。

結局、大学にしろ、高校にしろ、中学校にしろ、「ランク付け」は仕方ないコトなのだと思うのですね。主婦(や主夫)の日々の経済活動、例えば「スーパーでの買い物」だって、無意識にランク付けを行っています。「『辛そうで辛くない少し辛いラー油』、高いけど、美味しいのよねー」とかって。(実際、私は昨年末にこの商品をいなげやで発見してから、既に3回くらい購入しました。若干高価だけど、確かに美味です。「冷蔵庫から取り出した単なる豆腐」が「料理」になる。そりゃ売り切れるわ。)
「学校のランク付け、序列化は悪だ」みたいな論も昔から見ますが、多分そういうコトを書くヒト自体が、そこそこの大学を出ているのだろうと思います。ラー油にしろ、学校にしろ、ある程度のランク付けは、勝手に生まれてくるのだろうと思います。ブッチャケ「ヒト」のランクなんかも。
私自身も、勤務先の「受験難易度ランク」が上がるよう、いろいろな形で努力しているつもりです。一番真面目にやっているつもりなのは、楽しく分かりやすい授業を行うことです。生徒の満足度を高め、「あの学校良いよ」ってクチコミで広めてもらうために。凄く「効果が測りづらい」のは承知してます。でもまあ、教育なんて「そんなもの」でしょう。というか、私は教員の仕事は一種漠然としていて「簡単には評価できないもの」にしかなり得ないと、昔から思っています。
何しろ、受験生が集まれば、自ずと入学者の学力レベルは上昇する。

そもそも何で「大学生学力低下論」が起こったのか。それは「文科省が大学を増やしすぎた」っていう、簡単な理由に行き着きます。そりゃ、学生の質は落ちますよ。「高大接続テスト」とやらで高校にボトルネックを作っても、日本の学生の学力が上がる(というか、大学のセンセーが楽になる)ワケなんて無い。チョー無意味だ。税金の浪費、はんたぁーい!


と、中学入試が一段落し、授業を担当していた高3は学校へ来なくなり、お仕事のエアポケットに落ちた私は、つらつらと思うところを述べさせていただきましたm(_ _)m

最後に繰り返しておきます。
「高大接続テスト」、意味ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!


過去の関連する日記
大学全入時代に寄せて
日本の小学校に留年を
必修単位未履修


2017/07/20追記
未来(?)の関連する日記
「高校生のための学びの基礎診断」スか。笑えるわ。(2017年7月)

教員の資質

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私も、しみじみ考えてみました。3つにまとめました。

「向上心」「柔軟性」「信念」
まとめる過程で「これは、別に教員に限らないよなぁ...」って思いました。ま、当たり前です。「教員」ってのは数多ある職業の一つに過ぎない。
「教員の資質」とは何かってコトを問うただけでも、文科省は進歩したのだと思います。(参考)

で、様々なサイトで取り上げられた、こちらの方々。

中でも、興味深かったのは、高校で各人に、コンピューター(1台)と覚えにくいパスワード(2つ)が配布され、その管理がすごくうるさく、置き方まで指定され、
この人達は、私の挙げた資質のうち、「向上心」と「柔軟性」が無い。致命的に拙いと思います。 富士通や NEC が変に優遇されているのは確かかも知れません。しかしパソコンの導入は、突き詰めれば「有権者の意思」の結晶なワケです。使いづらかったら、それはそれで上申してください。


私は前回の日記に「大学減らせ」みたいなコト書きました。
大学からはみ出したセンセイは、中等教育や初等教育へ流れるのも良いと思うのですね。教育産業(?)に於いて「人材の流動化」が促されるのは、決して悪いことでは無いと思います。


なるほどなぁと思ったサイト
教師の資質 - 学校教育を考える

GReeeeN とやらの『キセキ』って曲を修行する必要が出てきました。

この歌は、いつだったか、同僚がカラオケで歌うのを聞いたことがあり「なかなか良い歌だなぁ...」って思ったことはありました。しかし、酔っぱらって聞いていたので、「聞いた」という記憶しか残っていませんでした。

PV を最初に見たトキは「何で曲が始まるまで、1分間もドラマを見ねばならないのだ?」って疑問に思いました。さっさと曲を始めてくれ、って思いました。
本日、他のクラスのセンセイが作成した調査書原稿(保管用)のチェックに際して、上記 PV を片耳で聞きながら、ダラダラとシゴトしてました。歌詞カードを机に置いて。

よく読んでみると、とても良い歌詞です。

その後、PV の裏に流れるドラマが泣けることを知りました。真面目に見入ったら、微妙に涙ぐんでしまった。ホント、最近はカラダのソコカシコに「締まり」が無くなりつつあります。困りますね。


それだけならば、日記にすることは無いのですが、どーしても言いたいことが一つだけある。
kiseki.jpg
流れ星は、上の画像みたいな感じでは流れないってコトです。ま、あのドラマの設定のように「夕刻に劇的に流星群が見える」ってコトも、あまり無いでしょう。それはとりあえず保留ってことで。

流星群は、「一点から出現するように見える」ことが多いです。その点を「放射点」と呼びます。分かりやすいように、図解してみます。
meteor.gif

流星の元の「砂や小石」は、基本的に平行に飛んできます。というか、どちらかというと「地球が塵の中に突っ込む」のですけどね。ごく小さな存在である観測者から見ると、それらの「ごくごく小さな塵」は、ある一点から飛んでくるように見えるワケです。一点透視の動画みたいなもんですね。「ペルセウス座流星群」の場合ならば、矢印の「根元」の延長上に「ペルセウス座」が見えるっつーコトです。

あの『キセキ』の PV みたいに「一つの方向へ『向かって』流れる星」というのは、あり得ません。
地表と平行に流れ星が流れているか、地球から塵が飛び立っているなら、ああ見えるでしょう。でもそんなコトって、「流星」の性質上あり得ない。流れ星は地球に飛び込む一瞬だけ光り輝くのです。


なお、私は流れ星の「美しさ」を否定するわけではありません。
数回しか見たこと無いけど、あれは何か美しい。
「流れ星が流れる間に、3回願い事をすると叶う」ってのも、何となく信じたい。

なお、「彼女が欲しいッス」とか、「来て来て王子様ぁ」なんてフレーズを、3回繰り返すようなヒマはありません。流れ星の寿命は「およそ1秒間」だから。
「メスメスメス」とか「オスオスオス」とか「カネカネカネ」ってフレーズを日々修行しておけば、もしかすると「言い切れる」かも知れません。
流れ星を見たら、そんな下世話なフレーズなんて、思考回路に浮かび上がらないとも思いますが。


流れ星に関する日記
酔っぱらいの季節

まいうー上海

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2月13日から21日まで、またもや上海に行ってきたのです、実は。

上海の食べ物で、以前から美味しいと思っていたのは、青菜です。今回、いくつか写真を撮ってきました。
青梗菜(チンゲンサイ)は、日本のものよりずっと小さいです。大きくなる前に収穫するようです。大きさが分かるような画像を撮影したつもりです。
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後ろにあるのは 550mL の PET ボトル。
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家庭での調理(油炒め)後。
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奥から時計回りに、チンゲンサイ・クローバーみたいなマメ科の菜っ葉・セロリです。
日本みたいに生長したセロリも売っていますが、小さいものの方が歯ごたえが適度で香りもあって美味しいです。クローバー風の菜っ葉は、日本では見たことがありません。歯ごたえがあって美味しい。

今回は撮影していませんが、「妙に赤い色素(アントシアン?)が出る葉」や「ホウレンソウ(これも小さい)」や「春菊(やはり小さい)」も私は好きです。
セリ、ニラ、ニンニクの芽及び葉、ナズナ、ダイコンに似た葉...などなど、上海は青菜の種類が豊富であり、それぞれ香りが高くて美味です。


この冬に初めて食べ、とてもハマッたのは「トウガラシと山椒の実で煮たカエル」です。かなり辛いです、でも美味い。
一応画像を撮影しました。色温度が変だったり、食べた後で汚かったりしますが、まあ載せます。
撮影したのは「和記小菜」ってチェーン店でして、上海では人気になりつつある店だそうです。私は龍華店と徐匯店に行ったことになります。いずれも配偶者の親戚との会食でした。

frog1.jpg
赤や緑の果実はトウガラシ、丸い緑の粒が山椒。少し食べた後なので、あんまりカエルが見えない。

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骨は皿などに吐き出します。汚いように見えますが、中国の作法です。
カエルの肩甲骨や大腿骨、脊椎が見て取れます。カエルの身は鶏と魚の中間みたいで、軟らかく美味です。ま、両生類は鳥類と魚類の狭間にある生物群ですから、当たり前といえば当たり前かも知れません。


上海に行ったのは、一度「春節の花火」を見たかったからです。数年間機会を伺っていました。今年を逃すと、またしばらくは機会も無さそうなので、職場に迷惑をかけつつ、行ってきました。
凄まじい花火その他については、また別に記事を作成する予定です。

ここにあるのは2010年2月に書かれた日記です。

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