2008年4月アーカイブ

訳者は垂水雄二という方らしい。
原題は"THE GOD DELUSION"というそうである。
直訳するなら『神という妄想』なのであろう。

リチャード・ドーキンスというヒトの名前は、前から知っていた。しかし、その著作(の日本語訳)は読んだことがなかった。昨年以来『神は妄想である』の書評を何点か眼にしており、面白そうだと思っていたので読んでみた。図書館への返却期限を2週間も過ぎてしまったが、読破した。

面白かった部分はたくさんある。しかし、含蓄に富んだ短文というと、ドーキンスによる「引用」になってしまうのだ。つまり、それらを引用すると「孫引き」になってしまう。あまり適切なコトでは無いだろう。なので、控える。

この本を読み、改めて認識した。私は多分、無神論者なのだろう。
初版の34ページから。

汎神論者(pantheist)は、超自然的な神をまったく信じないが、神という単語を、超自然的なものではない<自然>、あるいは宇宙、あるいは宇宙の仕組みを支配する法則性の同義語として扱う。

過去の日記に於いて、ワタシは上のような意味で「神」って使っていた、確かに。

とりあえず、ひとつ「へぇー」と思ったこと。
457ページから。

親類縁者を含めた一つの拡大家族全体にとって記念碑的な重要性をもちうる儀礼にしては驚くべきことに、カトリック教会は、どんな人間がどんな人間に洗礼をほどこすことも許していた(そして今でも許している)。洗礼をほどこすのは司祭でなくともいいのである。その子供も両親も、他の誰も洗礼に同意する必要がない。何一つ署名されることもない。何一つとして正式に目撃される必要がない。

その結果(?)19世紀半ばに、ユダヤ人の父母のもとに生まれた子が、知りあい(少し年上の女の子)に勝手に洗礼され、その瞬間から意図せずに「カトリック教徒」になってしまったがために、両親から引き離され(拉致され)、カトリック教徒として教育(監禁)される羽目になったのだという。
ワケが分からない。まあ、宗教による醜悪なデキゴトの極致として、この(結構有名らしい)事件が紹介されているのではあろうが。


リチャード・ドーキンスというヒトが、宗教に敵愾心を燃やすのは、以下の理由が最も大きいらしい。
451ページから。

より一般的に言えば(そして、これはイスラム教だけでなく、キリスト教にも同じようにあてはまる)、本当の意味で有害なのは、子供に信仰そのものが美徳であると教えることである。信仰は、それがいかなる正当化の根拠も必要とせず、いかなる議論も許さないという、まさにその理由によって悪なのである。子供に、疑問を抱かない絶対的な美徳であると教えることは、彼らに -手に入れることがむずかしくないいくつかのその他の要素が与えられれば- 、将来のジハードまたは十字軍のための潜在的な凶器(リーサル・ウェポン)となるべく育つ素地を与えることにほかならない。(中略)そして子供たちは、その教えを、かならずしも狂信的な過激主義者によってではなく、まっとうで穏健な、正統的な宗教指導者から教えられる。(中略)信仰とはきわめて危険なものになる可能性を秘めたものであり、罪もない子供の抵抗力のない心に、意図的にそれを植えつけるのは重大なまちがいである。

なるほどなぁ、という感じだ。
ワタシは宗教的に非常にいい加減な「現代日本」に生まれ育ったので、宗教の害というものに出会うことは少なかった。そして、特定の宗教を信奉しているわけではなく、普通に自然科学の勉強をしていったから、この本を手に取ったのだろう。

この本を読んでいる間、何度も「愛国心」教育や、「道徳」というモノについて、考えることになった。
かなりの大部であるが、面白い本である。

blu-ray

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英語 blue フランス語 bleu ドイツ語 blau

ドイツ語の「青」を忘れていたことに驚いた。ま、最初から覚えていなかったのかも知れないが。改めて大学(の第2外国語)で用いた教科書『現代ドイツ語文法読本』を見てみた。
思いっきり表紙に色の三原色の名前などが書いてあった。 orz

だいぶ古い話だが、"HD DVD"という規格がそのうち無くなるらしいと知った。ワタシの自宅でも職場でも、未だに"HD DVD"やら"blu-ray"やらを見たことがない。当然、そういった関係の機器を自宅用には買っていないわけで、特に(HD DVD が無くなる)悲しみや(blu-ray がしばらく存続することによる)安堵もなかった。

何となくだけど、ディスク表面から0.1mmの深さにデータが収まるというのは恐ろしい。引っ掻くことにより、データを失ってしまいそうで怖い。

結局 SONY 陣営は「名前で勝利」したのだろうと思うのである。冒頭に掲げたように、英語でも、フランス語でも、ドイツ語でも通じそうな名称だ。カッコよさげである。

chaos と cosmos

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20080403176.jpg
3月28日に作業(?)しました。混沌の極みです。
10年くらい前、職場に走るパイプに適当に巻き付けた LAN ケーブルを、未だに流用しているのでした。

musashino_u.jpg
4月1日の撮影です。
武蔵野大学構内のサクラであります。ここのサクラはかなり美しいと思うのです。

-----5.25 インチ FD があらわれた!-----

cap0037.gif

何ですか、"5.25 インチ FD"って。

USB メモリの"ドライブレター"を意図的に空いている"B:"に指定した結果だったりします。
ちょっと和みました。


-----あなたは のろわれてしまった。-----

floppy2.gif

このアイコン「上書き保存」は、一種の「呪い」とも言えるのでは無かろうか。
私は最近、作成した文書をフロッピーに保存したことなんか無いぞ。いつまで、この亡霊は存在し続けるのだろうか。エクセルなんかは、公式に「フロッピー非推奨」ってコトだし。

死刑制度と冤罪と

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光市の母子殺害犯に死刑判決が下ったらしい。

私は、死刑廃止と存続、どちらを選ぶかと問われたら、存続を選ぶ。
そして、被害者親族による私刑での死刑導入も提案しちゃう。

ただしヒトがヒトを裁く場合、死刑になるような凶悪な犯罪に限らず、必ず「冤罪」の危険性がある。つい最近も「痴漢の加害者に仕立て上げられたオッサン」が居た。
公僕である裁判官によって、冤罪の可能性が限りなく0に近いと見なされるならば、凶悪犯の「処遇・処分」は被害者の関係者に任せても良いのじゃないかと思う。
ただし、私の貧弱な想像力に拠るならば、例えどれだけ憎い存在であっても、ヒトを殺すというのは後味の悪いものにはなりそうだ。


この間の水曜日の夜、TOKYO FM で不思議な番組をやっていた。結構聞き入ってしまった。
ゲストの男性曰く、日本に税金を収めているヒトは、その金がアメリカに渡り、「軍事費」として浪費されていることを、もっと問題視すべきだと言っていた。日本で税金を支払っているヒトは、アメリカ軍の人殺しに間接的に荷担しているのだと。その通りだと思った。
この間、きっこ氏は「米軍を駐留させている日本は、チベットをないがしろにする中国を非難する資格は無い」と言っていた。確かに。

で、ハナシはラジオに戻る。その番組は男女ペアが司会のようだった。ゲスト氏の話が徐々に脱線していったのは彼ら司会陣のせいでもあるのだろう。番組の最後には、痴漢で有罪になりつつあるらしい「ミラーマン」植草一秀氏の話になっていた。ゲスト氏に言わせると、植草氏は国家権力に睨まれたから、冤罪によって検挙・起訴されたとか。

その番組、途中までは良かったのだが、何だかなぁ… と思った。
番組の最後にゲスト氏が誰なのかが判明した。ベンジャミンフルフォードというヒトだった。そのお名前は存じ上げていた。切込隊長ブログにて、以前取り上げられていた人物である。その方のサイトは、未だに見たこと無い。
多分、そのベンジャミン氏は基本的に真面目な方なのだろう。しかし、そのラジオでの喋りは妄想成分過多である気がした。


話は戻るが、今回は多分冤罪でもないだろうし、死刑OKでしょ。
私自身もマスコミの報道に流されているのでしょうけど。

花を愛するロクデナシ

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数日前の夕刻、不思議なオサーンを見た。
彼(50歳前後?)が行ったことを、時系列で。

1.まさに開花した街路樹のハナミズキを、20cm 程、手折る。
2.手に持っていた壊れたビニール傘を、彼とは関係なさそうなマンションのゴミ捨て場に投げ捨てる。
3.彼の住居であるらしい、少し離れたマンションへ。

何故にハナミズキを手折ったのだろうか? 部屋に飾る? 奥さんか誰か、あるいは年老いた親にでもに見せる?
芸術系のシゴトをしており、そのモチーフとして?

私は基本的に花を手折るようなことはしない。
花は花として、生きている状態を見るのが好きである。花束になっちまったモノを入手した場合は、可能な限り長生きさせてやる。

あの街路樹は私の払った税金だって投入されているはずだ。所有権のごく一部は私にある。しかしまあ、花を家に持ち帰るのは許してやるとしよう。

不要になった壊れたビニール傘を、自宅間近の関係ないマンションに、それもゴミ収集日を無視して放置するなんて、真っ当なオトナのすることでは無い。全然褒められた行為ではない。

碌なオサーンじゃねぇ。そのオッサンを見て不愉快になった私だった。
なので、日記に書いて少し精神を解放。

『プリオン説はほんとうか?』(アマゾンの書評へ)は、2週間くらい前に読みました。記憶に残るよう、2度読んでみました。面白かったです。
著者は福岡伸一という方です。

なお、この本の存在は発売当初から知っていたのですが、購入する機会が無かったのです。新聞か何かの書評を見て「面白そうだなぁ」と思い、「購入予定の本リスト」にはずーっと置いてあったのです。しかし、他の本を読むのに忙しかったのです。
この本を買う少し前に『生物と無生物のあいだ』という本を入手しました。そいつが面白かったから『プリオン説はほんとうか?』を買ったのですね。

「吉野家の牛丼に「脊柱付近の肉」が混ざっているかも知れない」というニュースを受け、タイムリーな気がするので日記に書いてみます。


今回のニュースの中には「境界線」が複数存在しています。それをいくつか挙げてみます。
・アメリカ合衆国の食肉加工処理業者の「安全な会社」と「いい加減な会社」の境界線
・肉牛からできた食肉の「危険部位」と「非危険部位」の境界線
・肉牛の「健康な牛」と「BSE を発症している牛」の境界線
・「BSE の主犯」の領域に入る「プリオン」と、領域外にある(らしい)「未発見のウイルス様物質」

『プリオン説はほんとうか?』を読んだ私なので、上記4つの境界線について「境界は曖昧とならざるを得ないし、線引き自体が無意味かも知れない」と思うのです。


この本を読み、初めて知ったのですが、スクレイピー(羊の海綿状脳症)には、複数の「株」があることがかなり以前から知られていたそうです。また、「BSE に感染した牛の肉骨粉」を摂取したことによるスクレイピーである「sheep BSE」は、それら過去に存在したスクレイピーとも異なる症状・病変を示すそうです。
つまり「海綿状脳症の原因はウイルス様のナニモノカであり、そのために可変性を持つ」との解釈もあり得るとのこと。

第6刷の180ページあたりから引用します。

病原体が可変的である、言葉を換えていうならば、新しい宿主や環境を求めて進化しうるのであれば、(中略) 病畜の臓器や部位を安全部位と危険部位に分ける考え方にも、より一層の慎重さが求められよう。なぜなら、これまで安全とされていた部位でも、増殖可能な変異体が出現する可能性はいくらでもあるからだ。現に、牛では特定危険部位とされていない脾臓は、羊スクレイピー病ではもっとも感染性(病原性)の高い部位の一つであり、マウスやハムスターでも同様である(この病原体がリンパ組織を初期の増殖の場としていることから考えれば、主要なリンパ集積臓器である脾臓がターゲットとなるのは当然である)。WHO が勧告するとおり、病畜はその個体全体を廃棄・焼却処分して、再び食物連鎖に入り込まないようにすることが安全対策上重要なのである。

なお、この本の中では「BSE の病原体は熱に強い」というのは、言い過ぎ(あるいは虚構プラス伝説)である旨の記述もあります。詳しくは実際に本を読まれると良いでしょう。


この本を読み、牛肉に対する私の認識は以下のようになりました。
「なるべく安全そうな牛肉をしっかり加熱して食う」ならば、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病に罹ってしまうことは無いだろう、と。

で、当然のコトながら、私は好んで牛丼は食わないッスね。特に嗜好は変わっていませんケド。

今回のニュースを見聞きし、やはりヒトの営みすべては「線引き」でしかないと、改めて思ったのでした。


過去の関連する日記

ヒトの生きる理由
https://ariori.com/diary/2002/02/04/

ここにあるのは2008年4月に書かれた日記です。

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