進化

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爆風や爆音を「楽しむもの」として再構築した、中東の父娘の動画があると聞く。
聞いただけで見てない、例によって。

この行動は、一種の「進化」或いは「適応」と言える気がする。
そして、世の中の大半の人(多分私も含む)は、その対応を「良しとしない」ってことなのだろう。だから、その動画は世の中に拡散してる。私は見てないけどな。

私は、そのお父さんのような人が地球上に増えていき、そのような形質(?)が増えていくのは、望ましいとは思えない。
でも、その「線引き」は、単なる私の「主観」だ。

宗教とかいう「精神安定剤」と、このお父さんの行動は、地続きだと思う。また、(ガンダムの)ニュータイプなんかを思い出したりした。
何しろ、生き延びるものは生き延びて、世界を変えていく。

「電車の吊り革に触れないようにする日々」を過ごしています。
吊り革を持たずに山手線(など)に乗るためには、常に腹筋・背筋・両脚を緊張させている必要があります。少しだけ痩せられそう。また、他の要素として、「JRの運転手さんの神業的な操車技術」も必要になります。

未だかつて、ここまで感染症を気にして生活したことは無かった。

樹脂製の中ジョッキ

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先日サイゼリヤに行ったら、生ビールのジョッキが樹脂製だった。多分、ポリカーボネートだろう。「一番搾り」って印刷もしてあった。KIRIN謹製の公式ジョッキ(?)なのだろうなぁ。

最初、ジョッキを持ち上げた時、予想外にジョッキが軽く、ビールをこぼしそうになった。
そのあと2回ほど、同じことを繰り返した。
一応学習した、はず。

が、次回サイゼリヤに来たとき、その学習効果が残っているかどうか、それは微妙な気がする。
なにせ、こちとら「ガラス製の(重い)ジョッキ」を持ち上げ続けて30年である。まだ一応四十路だけど。不思議ですね。

ビールのピッチャーがポリカーボネート製になったときも、それなりに驚いた気がする。
今では慣れた。
ビールもガラスも重い。軽くて割れない方が、店にとっては都合が良い。
ま、ガラス製のグラスやピッチャーを出す店の方が、私は「信頼できる」ように感じたりもするけど。単なるノスタルジアですね、分かってます。

サイゼリヤにおいて、ワイングラスやワインのデカンタが樹脂製になったときは、これほどには違和感は感じなかった。私の場合、ビールについては強力に「刷り込み」がなされているのだろう。

改めて考えてみた。
飲み物が日本酒やウイスキーだったとしたら、樹脂製の容器はかなり嫌かな。
日本酒ならば、陶器あるいは磁器、木製の升(白木でも塗り物でも良い)が妥当だろう。冷蔵庫で冷やしたものか常温ならば、ガラス製でも良い。
ウイスキーはガラス一択だな。ストレート、ロック、ソーダ割りどれであっても。

小確幸

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この語をふと思い出した。

私の子とその母(私の配偶者)は、友人たちとの夕食のため、夕刻に家を出て行った(とのこと)。
で、自宅近くのスーパーで、イカの刺身と揚げ物、ビールなどを買って帰宅した。

洗うべき食器は洗い終わり、アイロンをかけるべきシャツは無い。洗濯物はたたんでありました。ありがとう。
掃除をすべき床はあるのかも知れないが、それは置いておく。
私は一人、ダラダラとしている。
一人暮らし時代のような時間を過ごしていると言えよう。

私は知っているのだが、この時間は2,3日で飽きてくる。
一人暮らしは気楽だが、健康を損ないがちだ。家族の存在は確実にストレスをもたらすが、確実に喜びも多くなる。


で、「小確幸」について。
イカの刺身に、ワサビとショウガが入っていた。

イカ刺しを買うとき、「ショウガおろしね、ふんふん」って思ってた。予想が裏切られた。
小さいが、確実な喜びを感じた私だった。

で、その際突然、この「小確幸」って語を思い出したのである。おろしワサビのプラスチックパックを見てね。「椎名誠のエッセイ的小説で見た」記憶が蘇った。が、とりあえず検索してみた。
どうも、村上春樹が創った言葉らしい。

ヒトの記憶は捏造されがちであることを、改めて思い知った。
調べてみてよかった。


関連する過去の日記
突然ですが...(2003年8月)

既に2020年は12分の1以上経過してしまったが、『天文年鑑2020』をネット上で購入した。そのうち届くだろう。

この「腐れ日記」読者諸氏に『天文年鑑』を改めて紹介しようと考え、"天文年鑑"で検索してみた。
タグが存在していることを知ったので、見てみた。
twitter.com/#天文年鑑

「36年」とか、「50年」とか言ってるヒトがいる。どうも、毎年買い続けていらっしゃる方も居るらしい。恐ろしい。

私は、この数年は毎年買っている。毎年「地学基礎」を担当しているから。で、夏休み前には「7月の空」と「8月の空」を印刷して生徒に配っているのである。
「学校における例外措置」に該当するだろうから、著作権的には問題ないはずである。

「夏休みの宿題ね」と言い、生徒をビビらせた上で、「気が向いたら空でも見てみな。特に流れ星を見たこと無いヒトは、『ペルセウス座流星群』がおすすめだよ」などと伝えるのである。
結果的に「全然宿題になっていない」コトに、生徒は安堵するのであった。私は「宿題が嫌いな学生」だったから、教員になった今は、なるべく宿題を出さないようにしているのである。あと「贔屓」も嫌いだった。だから、贔屓はしていないつもり。

で、この「教育活動(?)」は、高校時代の恩師「N先生」の真似だったりする。
N先生は、毎月のアタマに「n月の空」を配布なさっていた。
その当時、高校生だった私は、その印刷物が『天文年鑑』のものだとは知らずに過ごしていた。私はいつ『天文年鑑』の存在を知ったのか、既に忘れてしまった。何しろ、高校生の時は知らなかった。

私は、夏休みの前に生徒に伝える。「この元ネタは『天文年鑑』っていう、この冊子なんだよ」と言って、現物を見せる。「他の月も欲しかったら、申し出てね」とも伝える。この辺は著作権的にはグレーゾーンかも知れない。幸いにして、今までに受けた申し出は、一つあったか無かったか、だ。
幸いでもなく、単純に悲しい話か?
ま、私が生徒だったとしても、そこまで「積極的」では無いだろう(無かっただろう)という気もする。


過去の関連する日記
師との再会(2018年6月)

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