毛のスプレーと美容整形と人生

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多分、2週間くらい前ですね、上の文字列を「(ステキな内容の)日記のネタ」としてスマホにメモったのは。
で、9月も半ばを過ぎ、「日記を書かない気持ち悪さ」もいよいよ募ってきました。このサイトには「月間アーカイブ」がある手前、最低でも月に1つは記事を書かねばならない気がしている。ってか、そもそも全然「日記」じゃなくて「週記」か「旬記」ですけどね。

2週間前は「ステキな日記のネタを思いついた!」と思ったはずだけど、寝かせておいたら当時の風味(?)が曖昧になってきた。でも、無理やり書く。もうすぐ9月下旬だから。


その概ね2週前の通勤途上、自宅近くで「地肌にスプレーで毛髪(粉末)を盛ってて、私には違和感しか感じさせない人物」とすれ違った。
多分彼は毛髪増量の「引き際・撤退戦の進め方」が分からなくなっているのだろう。あるいは「スプレーでの毛髪増量」が「日常」になり過ぎていて、「『フェイク頭髪』からの撤退・フェイドアウト」という概念すら持ち合わせていないのかも知れない。

でも、その「悲しさのようなもの」は「傍目に感じられる」だけであり、本人は何も思っていない可能性が高い。
私も似たような愚かな行動(=ほぼ無意味な習慣)をしている可能性はあるだろうことを思った。具体的には思い当たらないけど。ま、思い当たったら、自身の行動を改善しているだろう。
なお、禁酒は微かに考えるけど、実行に至ったことは無い。


で、その「毛髪増量の悪あがき」を目にした私の脳は「芸能人の永遠に続く顔面修正」との共通点を見出したのである。

私は整形をしたことはない。する予定もない。
で、「整形で顔が変わり続ける芸能人」ってのは、毛髪を増量する彼と同様、そもそも「ゴール」を定めていないであろうことに思い至った。


人生というものに、ゴールはない、と思う。多分そもそも、生きることにほとんど意味もない。でも、人は変化あるいは改善を続けて(いるつもりで)生きているはずだ。と、私は観察している。

多分、そういった意味(?)で、芸能人の美容整形は永遠に続く・続けるしかないのだろう。
以前は「整形し続ける芸能人」を不思議に思った私だが、人生と整形はゴールがないから(本人には)面白いのかもな...


とか、2週間前の通勤途上の10秒に考えたのでしたm(_ _)m

"new era"を使うロートル

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そもそも帽子メーカーなんですね。ググって知った。
そのブランドのバックパックを背負った爺さんが、歩きタバコ(高温を発する古典的で危険なヤツ)で、23区内を歩いてた。

「新時代」ってブランドを着用して、旧時代の歩きタバコ。なかなかのセンスを感じた次第である。
「ロートル」はほぼ死語なので、意味が分からない方は検索してください。

今回のニュース(とだけ書くと、後から見たときに何のことか分からなくなる場合が多々あるけど、今回はさすがに忘れないだろう)で最も気になっていたのは、「ナイジェリアでは、既に2025年3月時点で日本へのビザが緩和されているではないか」というツイート群。
右をクリックすると、「ナイジェリア ビザ 2025年 3月」でのX上での検索結果が出る。

で、少し調べてみた。少なくとも「ナイジェリアのためだけに、日本がわざわざビザの発給場所を増やした」という感じでもない気配ではある。と、回りくどい言い方。
ま、ビザの発給とかは、本当に厳密にやってほしいとは思いますよ。歴史的な関係もあり、トルコなんかとは相互にビザが免除になっていること、それはそれで保留で良いと思う。が、不法滞在者はさっさと日本国外に放り出すべきなのは間違いない。だって「法」だぜ。
左翼やリベラル諸氏は、法を無視しがちであるとは存じておりますけどね。まあそして、自民党その他もお金関係は非常に雑ですけどね。せめて、規正法には従えや。

で、例によって私は誤字を発見してしまった。下記「日本の公式サイト」内だ。
ANNOUNCEMENT - Opening of Japan Visa Application Centres in Abuja and Lagos | Embassy of Japan in Nigeria
in_nigeria.png
誤:VF Global Services Nigeria
正:VFS Global Services Nigeria


それはさておき、上記"VFS Global Services Nigeria"という会社が「ナニモノ」なのか、少し調べてみた。

その"VFS"とやらは、世界的に「ビザの発行を大使館や総領事館等の代理で行う」という業務も行っているようだ。日本にもその支店があるらしい。知らないなぁ...
https://www.vfsglobal.com/en/general/footprint.html

下の図に示したとおり、ナイジェリア国内においては、日本を始めとして22カ国のビザ発給(など?)を請け負っているらしい。
vfs_on_nigeria.png

"VFS Global Visa Application Center in Lagos"について、Googleの口コミを少し見てみたら、「カナダのビザを取得する云々」というナイジェリア人の書き込みが多かった。つまり、その「ビザ発給拠点」は、「日本がわざわざ新設したもの」ではなく、「昔からそういうことを請け負っている企業に、今年になって外注した」ということなのだろう。
そのVFS絡みの拠点、上のリンクを適当にポチポチやると分かるが、ナイジェリア全体では5箇所前後あるようだ。そのうちの2拠点で「日本のビザ発給」をやっているらしい。


ま、以下の画像のように「何故かアフリカではナイジェリアだけでVFS社にビザ発給を依頼している」ということは、間違いないですけれどね。
vfs_footprint2025.png

で、それが「ホームタウン化(?)」を見越してやっていたのか、あるいは無関係なのか、その点は全く不明ではある。

自分の職場(都内私立中高)においては、既に20年くらい「授業アンケート」をやっている。「生徒による授業評価」と言った方が伝わるだろうか。業者に依頼した時期もあったが、昨年度からは「内製」にて実施されている。私は幸いにしてそちらには関わっていない。ただ評価されるだけ。
個人的には教員になった当初からアンケートは行っていた。「職場(ほぼ)全体」で行われるようになったのが、約20年前ということである。
で、今年になって職場のまとめ役の方が、生成AIも用いて分析なさったようだ。だいぶ苦労なさったはず。

評価項目自体の相関などは、面白いと感じた。見やすかった。
でも、日本語による「総括的な解説」が劇的に淡泊でつまらない。でもまあ、分析なさった方(=大量のデータをAIに突っ込んだ方)の見解が入ってしまうと、それはそれで「よろしくない文書」になってしまうのかもしれない。難しいところである。

AIと「やりとり」をするのはそれなりに面白い。しかし、文章を書かせるとつまらない、あるいは支離滅裂(それは数ヶ月前だったからかな...)なものになる、気がする。

と、その事象(?)について、もっとわかりやすく解説(?)なさっている方を発見した。ずっと昔、多分「はてなダイアリー」だった頃から拝読している。何で読み始めたのか忘れたけど。そもそも、相当昔に「コンピューターの技術的な『何か(それも忘れた)』」を調査している過程で遭遇した気がする。ご本人も仰っているが、以前、このお方が記すものは技術的な文章が多かった。今は割と違う。最近の投稿も興味深く読んでいます。面白いです。

AIの文章がつまらない理由 - elm200 の日記

曰く「いまここにいる人間である自分」こそが重要であろう、と。
同意します。
この腐れサイトのドメイン名が重要ってことだな。

近年は(自分だけ別途実施することになっちまうので)面倒だからやっていないのだけれど、授業の感想は「自由記述」の方が重要だと思っています。記名でも無記名でも良い。そちらの方が「数値」よりも「励み」になるし、「反省の材料」にもなる。ま、厳密には記名の方がより良いのではあるけれど。
ありおりはべり。私もあなたも。


過去の「授業アンケート」に関わる日記群
今、あなたの後ろを...(2005年11月)
教育の効果?(2006年12月)
生徒間の相互評価へ向けて、"REAS"試してみました(2008年7月)
(教員が、)他人に家族の話をしても「利」は多分無い・画像は自主規制(2018年11月)
生徒に褒められる(2019年12月)
授業アンケートを「マイニング」してみる(2020年11月)

2019年の日記に関連して余談(?)です。
YouTubeプレミアムは入りましたね、数年前に。ストレスは減りました。私用アカウントと動画教材提示用アカウントを分けるためにファミリープランを使っているので、月々2000円以上かかるけど。

戦後70年談話

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死んでしまった安倍晋三氏が発したとされる談話、今更だけど読んでみた。
特に違和感は感じないし、抑制された真面目な文章であると思う。

10年前に「特に」話題とされたのは、以下の部分だろう。

日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

「その部分」だけ見れば、確かに「リベラル系・左翼系・親中親朝鮮系」がムカつくであろうコトは想像に難くない。でも、本当に「恣意的な切り取り」ですよね。その前後の文面も含めれば、談話全体としては全然おかしなことを言っていないと思う。10年前の安倍叩きは不適切な報道(ふてほど:既に無事に死語)だったと言えるだろう。

この夏、石破氏が余計なことを言わなくて良かったと思う。「戦後の談話」は、2015年のもので最終確定で良いだろう。


私自身は(以前にも書いたけど)以前よりもナショナリストになったと思っている。右傾化だ。
未だに中国(というか中国共産党幹部の考える世界観)に追随しようとしている政治屋が、日本に居やがるのが良く分からない。日本を滅ぼしかねないリベラル諸氏(主権者含む)は、さらにどんどん日本から減っていってほしい。

この夏の参院選挙でも「自分(の好きな人物や党)に投票しない人間を否定する発言」を行う『馬鹿』が居たようだ。筆頭は前川喜平だろうか。そんな輩が日本の教育行政を(ほぼ)仕切っていたなんて、単なる悪夢以外のナニモノでも無い。
ま、老化によってボケて「言いたいことを言うようになってしまった」という面もあろうかとは思うが。リベラル神輿に乗ったまま、死んでいくが良い。ちゃんと新宿にも通っておけよ、行けるうちに。


安倍晋三氏、存命当時はそれほど好きではなかった。特に第一次内閣時は酷かった(と思う)。当時行われちまった教育基本法改正は、確実に「改悪」だったと思っている、私は。
でも、彼は全体としてみると偉大な人物・政治家だったとも感じている。病との戦いが彼を変えさせたのかもしれないとも思う。私がこの「腐れ日記群」で一番多く記した政治家の名前が「安倍晋三」であるのは間違いない。お暇であれば、このページ最下部の検索窓に「安倍」とか「アベ」を入れてもらえば、それらの日記が出てくるはずだ。
ま、彼が亡くなる前も後も、その配偶者の言動とかにはいろいろ疑問があったりする。また、彼(やそれ以外の政治家)が統一教会などと関わっていたのも確かであり、それは決して褒められることではないだろう。

そして、私の見立ては単なる「歴史の美化」かも知れないけどな。

最近の日記はこちらで見られます。過去に書かれたものはアーカイブで見られます。