複眼的視点

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てなコトバを聞くことがある。私は使わない。「意識高い系」臭がするから。

つい先日、職場の同僚と雑談してて気づいたのだ。
「本当の(昆虫などの)複眼は、物体を多角的に見ることには適していない」ことに。

複眼で思い出されるのは、トンボとかハエだ。彼らは立派な複眼を持っている。
その機構はよく分かっていない(というか、ヒトの視覚すら未だ謎だらけらしい)ようだ。
とりあえず分かってるのは「複眼を構成する一つひとつの感光体(個眼)」が1個だけあったとしても、それだけではほとんど使い物にならないらしい、ということ、らしい。

たくさんの個眼は、それぞれ「目の前」だけを注視してる。馬鹿の一つ覚えのように。
その馬鹿どもの情報が多数脳に集まることにより、結果的にかなり高度な「視覚」が生じると考えられているようだ。

複眼というのは「自分を取り巻く世界」をあくまでも「一人称的に認識」するために発達した仕組みである。その仕組みはハエやトンボに発達しており、彼らを捕まえたり、叩き落としたりするのは、かなり難しい。
ま、茨城にて幼少期の数年間を過ごした私にとっては、素手で休憩中のトンボを捕まえるのは、さほど難しい事ではないが。


そんなわけで「複眼的視点」なんてコトバ、私は今後も使うことはないだろう。
「多角的な見方」なら、使うかも知れないけど。

と、「複眼的視点」という語について、多角的(自然科学的)に考察してみた。

燃えた浴衣

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もう、15年くらい前の話である。

「足立の花火」を河川敷で見た。地べたにレジャーシートを広げて。
私の前にはカップルが居た。ま、私もカップルの片割れとして、花火を見上げてたのだけど。

で、前の女の子は浴衣を着てた。

花火大会の終わり近く、花火の破片などが落ちてきた。灰が降ることはままある。風向きの関係もあるのだろう。
で、その日は「火が消えていない破片」が落ちてきた。運良く、いや運悪く、何故かその破片は地面でバウンドし、女の子の浴衣の袖(袖口、って言うのか?)に入り込んだのである。記憶の中ではワンバウンド。ダイレクトでも、ツーバウンドでも無かった。綺麗に入ってた。

で、微かに浴衣が焦げた。と言うか、軽く火の手が上がった。袖には穴が開いたはずである、間違いなく。
見ていた私も動揺した。


あれ以降、浴衣の女の子達を見ると、その光景を思い出してしまうのである。そして、浴衣が燃えないことを微かに祈るのである。

今日は神宮外苑の花火大会らしい。
行ったことない。


遊園地の花火大会を除くと、至近距離で花火を見たのは、土浦(以前は茨城に住んでた)、隅田川(大学の同級生に地元民が居た)、そして十数年前の足立(荒川河川敷)だなあ。

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