東京都立医療技術短期大学は、過去に存在した教育機関である。
同じ場所は、今では東京都立大学荒川キャンパスとなっている。健康福祉学部の2~4年次の学生が学んでいるとのこと。
その近くにある尾久の原公園や隅田川沿いは、たびたび訪れたことがあった。
先日、業務上、たまたま荒川キャンパスの前を通った。で、昔の記憶がよみがえった。
高校時代の部活動の同級生Sは、四半世紀前に死んだ人間である。30になる前に死んでしまった。
彼は「声が高い」「コミュニケーション能力が高い」「ボーリングが上手い」「松本伊代のファン」「ぜんそく持ち」などの特徴があった。一浪して最果ての国立医学部である旭川医科大学に入ったが、体調を崩して退学。
北区浮間にて学習塾『紫苑ゼミ』を興し、数年間にわたって生徒を輩出した。彼が死んでしまい、後に塾も閉じられた。
私が高校の時、東京都立医療短期大学に行ったことがあった。
何故そこに行ったのかを、キャンパス前で突然思い出した。
老化によるものだろうけれど、新し(くあまり興味の無)いことはなかなか覚えられない。しかしながら、昔のことを突然思い出せたりするのだ。コワ。
高校時代の部活動である合唱部は、毎年夏に合宿を行っていた。で、高1の時の場所が「岩原(いわっぱら)スキー場」だったことも、自転車に乗りながら突然思い出した。で、今ググってみたら、見覚えのある旅館の名前が出てきた。今は「ギンレイホテル」って名前らしい。当時は漢字で銀嶺(荘?)だったはずだ。ゲレンデや旅館内で歌の練習をしたっけなぁ... その合宿時に、私が部長になることが決まったはず。厳密に言えば、「私は指揮者などできない(だろう。部長ならできるかもしれないけど)」との意思表明を行った場所だ。
その後、秋から合唱部に入ったSが「合宿場所を変えよう」と言い、茨城県の北に位置する『高萩大心苑』を我々に紹介してくれた。自分が部長をやった世代から数年間は、高萩大心苑で合宿が行われたはずだ。Sは高2になり、テナーのパートリーダーとなった。私はベースのパートリーダーであり、部長でもあった。
Sが高萩大心苑を知ったきっかけは、「北区のぜんそく持ちの療養合宿」みたいなものに参加したからだったと聞いた記憶がある。そのぜんそく仲間(?)の先輩に、東京都立医療短期大学に進学なさった方(女性)が居た。なお大心苑、今は既に営業していないらしい。
高校時代の私は医療系の学校に興味は無かったが、休日にSに連れられ、東京都荒川区東尾久へ向かった。その「元ぜんそく仲間」に文化祭を案内してもらったはずだ。
それらの記憶が突如としてよみがえってきた、数日前の東尾久で。
特にオチは無いッス。
過去の「S」に関連する日記
涙についての告白(2000年3月)
追悼(2009年2月)
弔う(2019年2月)