(職場における)合唱祭の思い出

私の職場では、合唱祭なるイベントがある。そいつは概ね3週間後に行われる予定。
私が現在の職場に勤めだした当初は、中学(全学年)と高校1年、2部に分けて行われていた。現在は中学のみ行われている。
音楽科の先生方にとっては残念なことなのかも知れない。ただし、彼らのオシゴト的には楽になったのも確かだろう。
学校全体としては、会議を経て「高校の合唱祭は廃止」ってコトになったのだ。もう20年近く経過するのかな?
今年度は初めて中学校に所属している私なので、かなり久々に合唱祭に参加する。

で、合唱祭については、とても印象的な出来事があった。20数年前だな。
私は高1の担当だった。昔も今も、合唱祭では「職員合唱」がある。

その年は「英語の歌を歌おう」ってコトになった。どのような流れでそうなったのか、記憶には無いけど。『上を向いて歩こう』を、別の年に歌った記憶はある。それ以外の曲もあったはずだが思い出せない。

で、そのときに歌ったのは"Top of the World"。カーペンターズのヤツね。
ま、名曲ですよね。
職員合唱は、混声の斉唱だったはず。斉唱は合唱に含まれるのか、謎ではあるが。

概ね問題なく合唱祭は終わった。そして、回収された保護者アンケートにあった。
「theの発音がおかしかったです、ご注意願います」と。
がががガーン。確かに...

サビの部分、我々はこう歌っていた。
「トップ オブ ザ ワーアー ルキン ダゥノンクリエーション アン『ザ』 オンリーエクスプラネーション...」と。
『ズィ』ッスよね、確かに...
皆反省していた。ただし、1人の先生を除いて。

「教員に対して、そのような意見をするなど、けしからん!」
その先生は言い放った。彼は本気だった。
私はその(前時代的)感覚に驚いた。「間違いは間違いでしょ!」ってね。
多分、その先生以外の皆は「やっちまった...」って思っていたはずだ。
そして、だれもその「先輩先生」に「我々の間違いですね」って言わなかった。老人は労るべきだから。

そのお方は数学科の先生だった。私とは30歳くらい年齢が離れていたのかな。
東京にて、空襲を体験なさったと言っていた。その体験談(何度か聞いた)は忘れられない。自分の祖父や祖母も戦争を体験しているはずだが、直接その話を聞いたことはほとんど無いので。
そのお方は、私の先代の先代のソフトボール部顧問だった。彼から貰ったバットは職場の更衣室に今でも置いてある。木製の軟式バット。やたら重い。
女子高校生に対して、火の出るようなノックを打つ先生だった。「ただ、速いだけでしょ」って感じのライナー性のノックを(笑)。
何しろ、真っ直ぐな先生であった。

その先生も、鬼籍に入られてしばらく経過した。


過去の関連する日記
「日の丸・君が代訴訟」に思うこと(2006年9月)
小石川高校音楽研究会讃頌(2009年4月)

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