日本語を変えた飛鳥涼

前に書いたことを改めて。

この間、子と話していて「血は争えないでありますな」ってなコトを私が言った。
「それはどういう意味なんです?」と尋ねてきた。確かに、少し難しい言い回しだ。
なお、私の「ありますな」とか、子の「なんです?」という言い回しは、『ケロロ軍曹』に由来するものである。子が幼い頃、親子して、確か"Hulu"にて、かなりしつこくケロロ軍曹のテレビシリーズを見たからだ。ケロロ軍曹は面白い。ガンダムネタが時々混じってくるのも、私には面白い。話は飛ぶが、一時流行した『妖怪ウォッチ』は、テレビで放映されたものを見ていた限り、「昔のネタ」が多すぎた。それも凋落の一因ではあったのだろう。

で、本題。
突如としてオリジナル・ラブ(どうも近年、ラヴからラブになったらしい)で、何故「あのような『引っかかる歌詞』」が出てきてしまったのか、気づいた。その歌は『It's a Wonderful World』である。四半世紀昔の曲なんですね。改めて聞いてみると、やはりなかなかかっこいい。実家の段ボールの中に、CDがあるはず。現住居には音源もデータも存在していない。

2番には「血で血を争う文字の見出し」という歌詞が出てくる。
ずーっと、「血で血を洗う」でしょうに、と思っていた。

あれは田島貴男氏の脳が「血は争えない」というニホンゴに、引っ張られてしまったのであろう。25年かけて、理解した。


似たような、部分的に意味がよく分からない歌詞に、ミスチルの『名もなき詩』がある。これは冒頭。やはり、以前に書いているのだけど。

「ちょっとぐらいの汚れ物ならば」ってあるけど、「汚れ物」は、一義的には「洗濯前の衣類」や「洗浄前の食器」だと思うんですよね。
Yahoo!知恵袋にも、質問が立っていた。
ま、あのニホンゴに「違和感」を感じる人は多いのであろう。


で、今日も改めて調べてみたのだが、やはり「掛け違えたボタン(ボタンの掛け違い)」という語句は、『僕はこの瞳で嘘をつく』以前には見当たらないような気がする。

飛鳥涼氏の作詞である。2000年代以降は、「ボタンを掛け違う」という歌詞が、散見される。演歌などにも。

私はそんなにたくさん CHAGE&ASKA の楽曲を聴いたわけではないが、安心して聞ける「詩」が多いように感じられる。

まぁ、ミスチル以降のJ-POPは、メロディに「多数の日本語の音節」が突っ込まれることが増えたので、そういう「ちょっと不思議なニホンゴ」が多くなったのかも知れないけれど。

ここにあるのは2019年6月18日 21:01の日記です。

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