2017年8月アーカイブ

痔について

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椅子にも座れるようになったので、痔の顛末でも記しましょう。
今は入院してるのです。3泊4日の手術。「痔瘻(ぢろう)」ということで、手術をすることになりました。

入院は30日の日曜日。手術は31日月曜日でした。切ったり縫ったりの時間は7分だったそうです。さすが、日本に名だたる名医です。そんな先生に診てもらえるようになったのは、「単なる成り行き」でしかないのですけど。なお「名医」であらせられることは、昔から知っていました。やはり成り行き上。その詳細は個人情報保護(自分の情報です)のため、記しませんけれど。

昨日、自分の日記を自分で検索して知ったのですけど、「ケツがいてーなー」ってのは、もう20年近く感じていたことだったのですね。だましダマシ騙し、ここまで来てました。基本的には「切れ痔」でしたね。時に「いぼ痔」っぽいものが出現した場合もありましたけれど。今思えば、あの「いぼ痔」も「痔瘻寸前」だったのかも知れません。たまたま、膿が皮膚まで出てこなかっただけで。
痔瘻とは何ぞや?って方は、どうぞ画像検索でもしてみてください。簡単に言うと、肛門以外の場所から、大便の一部が出てくるっていう症状です。私はどうも「1型」というのに該当したようです。痔瘻の中では一番軽いやつ。

昨日びっくりしたのは、グーグル様推奨のサイトについてでした。「痔」を(iPhone上のSafariの)グーグル様の検索窓に入れると、「サジェスト」に「19歳、女、痔瘻になりました」が提示されました。
http://blog.goo.ne.jp/dw123

すぐに終わるブログ(放置されてるブログ)なのですが、私は「そうだった、そうだった」って思いながら、読みました。私の瘻孔は小さかったので、皮膚にガーゼ等(厳密には女性用ナプキン)を当てるだけですけどね。彼女は重症だったらしく、「シートン法」の手術を受けたようですね。最終的には難病指定されてる「クローン病」が原因だったらしいです。彼女、薬が効いて、寛解状態になってると良いですねぇ...。

で、私の出術の場合は、便漏れの全ルートを切開・切除しておしまいでした。背骨の途中に注射して、下半身の麻酔をかけた状態での手術でした。

結局、私の場合は切れ痔を繰り返すことにより、肛門が引き攣れを起こしていた(部分的に狭窄していた)そうです。確かに、この2年位は、ずっと「全力での排便」はできていませんでした。全力で排便すると、肛門が切れ、場合によっては鮮血が出るから。当然、痛い。
で、この3月には、過去何度か遭遇した「いぼ痔」が出てきたのです。今までよりは大きかった。上に示した19歳女子と同じような感じです。私の場合は肛門の後ろ側、正式な穴(肛門)のすぐ近くですけど。
自宅にて、「今回のイボは、ずいぶんでけーなー」とか思いつつ、ソファーでダラダラしていました。ら、イボが暴発したのです。
ケツに違和感を感じ、手をパンツの中に突っ込んだら、膿がついてきました。結構大量でした。

ケツの疾患については結構勉強していたので「これは痔瘻だったのか?」と気づきました。
面白いことに、この痔瘻が完全開通してからは、排便時の痛みが消え去りました。プリプリ普通にうんこができました。その点は良かったです。痔瘻経由でケツ(パンツ)が汚れることは、全然良くないけど。
結局、その数日後に、いま入院している病院の外来にかかりました。職場を抜ける時間ができたから。で、前述の「名医」がちょうど外来担当だったこともあり、相談の上手術をすることになったのでした。決めたのは5月でした。仕事に穴を開けないように。って言っても、部活指導は別の先生にお願いせざるを得ないんですけどね。


もう少し、個人的な「痛み」について記します。多分、その辺に需要があるような気がするので。

先程も述べたように、ここ2年位は、排便時に痛みがあることが多かったです。また、排便をしているときでなくとも、ケツに20cmくらいの包丁が刺されるような痛みを感ずることがありました。(ググっても、明確に書かれているページには出会えないのだけど、切れ痔が進行する時に、この「差し込む痛み」が生じる場合もあるとか...?)この「差し込むような痛み」は、何の前触れもなく起こるのです。5秒位で収まりますが、痛いときは息を止めて凌ぐしかないのです。
で、不思議なことに、痔瘻の全面開通以降、この「差し込む痛み」が消えたのです。厳密に言いますと、「痔瘻が塞がりかかっているなぁ」ってときには、この「差し込み」は発生しました。この春以降も。ただし、その包丁は最大でも5cmくらいでした。
まとめますと、現在までのところ、痔瘻が無いときは「差し込む痛み」と「切れ痔の痛み」に怯えていたのですが、痔瘻が元気に活動しているとき?は、その他の肛門周辺の痛みは生じないのです。
ま、なんとなく理解できる気もしますけれど、できれば痛みは無い方がありがたい。

痛み、全部なくなると良いなぁ...。
そんじゃ、病室に戻って、やっと許可されたシャワーの準備でもしてきますわ。


2022/07/14追記
手術後の痛みについて、記してなかったことに気づきました。とある電気店のサイトを最近ずっと見ています。で、そちらの店主さん(ブログ主さん)の痔の記事を見ていて思い出しました。

手術後の痛みは結構強いです。
私の手術は「切ってから縫い終わるまで7分」だったので、あんまり切開していないはずだとは思います。それでも、痛み止めは欠かせませんでした。

貰った痛み止め(既に何を処方されたかは不明)の限度量は、「1日に3回、服用に際しては6時間は空けること」だったように記憶しています。で、基本的に薬を飲んで5,6時間すると、ケツの痛みが再来するのです。で、6時間の段階で痛み止めを服用してしまっては、「薬の効かない時間」が長く続くことになってしまう。
そんなわけで、きっかり8時間毎に痛み止めを服用していました。鈍い痛みに苦しんだのは、数日間だったと記憶しています。薬を飲んで6時間くらいは何とかなるのだけど、その後の2時間は痛みをこらえる。で、また鎮痛剤を服用、と。

死の糸巻き

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また、事故が起きたようだ。最初は「痛いニュース」経由で知った。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1934553.html

「ちょっと前にもあったよな」と思っていた。

家庭用電気マッサージ器の正しい使用について(注意喚起)
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/00000488

上の厚生労働省のページを見て確認したわけだが、やはり3年前にも起きていたらしい。
似たような事故には「ゴーカート マフラー 事故」にてググると、出会うことができる。

ここで、私の体験談を記す。
以下に記す話は、この腐れサイトにて披露したように思っていたが、まだだったようだ。
カテゴリを「笑い話」としていいのか、若干悩むのだが、私の「死にかけた話」は、基本的にこの場所にまとめてある気がするので、今回もそうする。主題は死んだヒトではなく、死に損ねた私の体験談と注意喚起なので。


およそ20年前のことだ。

その日は「高校2年生 鎌倉遠足」の引率に行っていた。基本的に、勤め先の「遠足」は年に1回、中間試験明けの6月頭に行われる。
時季的には「梅雨の走り」にブチ当たることもある。その年もそうだった。
「学年担任団」で「一番若い男」だった私は、「自転車での巡回」という任務を与えられ、それを遂行していた。雨なので、自前の「黄色いポンチョ」を被り、自転車に乗って鎌倉の街を巡っていた。

勘の良い方は、オチに気づく頃だろうか?

高徳院(鎌倉大仏)近くの道、オバマ元大統領も食べたという「抹茶ソフト」の店舗が並ぶあたりを走っていた。あの辺は人通りの割に歩道が狭い。私は車道を走っていた。
すると、だんだん、自分の脚の自由が利かなくなりつつあることに気づいた。自転車のスピードが落ち、コケてしまう危機に見舞われそうになったが、とりあえず何とかコケずに自転車を止めた。というか、止まらざるを得なかった。

ポンチョの裾が、劇的に絞り込まれていた。その為に、脚の自由が奪われたのだった。
そう、ポンチョの裾に入っていた「紐」をプラプラさせたまま自転車に乗っていたため、その紐が後輪車軸に巻き込まれたのだった。
後輪は糸巻きとして機能し、私の脚が縛り上げられていたのだった。
死ななくて良かった。車道側にコケたら、車に轢かれるのは間違いない場所だった。

あれ以降、自転車は心して乗るようにしてる。
マフラーをヒラヒラさせたネーチャンとか、「荷物をくくるゴムバンド」を無造作に垂らしているオバちゃんを見ると、「気をつけなよ」とは思うのだが、口頭で注意喚起したことはない。
ま、私ほど「アホなこと」に遭遇するヒトも、そうそういないとは思うけどね。

手術後5日経過

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概ね、順調に推移しているようです。
ウォシュレットの「中」に、数ヶ月ぶりに復帰しました。思えば、今年のまだ寒い頃に、ウォシュレット「弱」のお世話になる日々が始まったのです。

昔、頑強な肛門を持っていた時代は、「なんでウォシュレットに『弱』なんかがあるのだろう。誰が使うんだ?」とか、考えていました。基本的に「最強」オンリーの時代は長く続きました。若かった〜あの頃ぉ〜♪

ま、浸出液はあるのですが、おおよそ1か月程度で治るらしいです。色がだんだんに薄くなっていくそうで。

浸出液対策のため、おパンツには女性用ナプキン(基本的に配偶者に買ってもらっている)を装着した上で、おケツにはトイレットペーパーなどを挟んでいます。「など」と記しましたのは、手術完了当初は「不織布のガーゼ」を使っていたからです。ガーゼは病院にもらいました。
退院当初、ドラッグストアか何かでガーゼを購入しようかとも思ったのですが、「コストコの高いトイレットペーパー(ただし、数ヶ月前に「日本国内製造」になり、少し値下げされた)」を使う限りは、それほど「邪魔となる繊維」が脱落しないので、そいつをケツに挟んでいます。どうせ、繊維が落ちたところで、おケツは水洗いしますしね。

そういえば、ウォシュレット。
あれって、基本的に私は自宅か勤務先でしか使いません。
駅のトイレには、基本的に設置されていないでしょうが、「不特定多数」が使うようなトイレ、例えばショッピングモールやデパート等のトイレにおいては、ウォシュレットは使いませんねぇ、なんとなく。
本当は職場のウォシュレットもあんまり使いたくない気もするのだけど、それは「リスクとリターン」を考え、使ってます。

教職員研修をし、夏期講習を担当し、痔の手術をし、職場のサーバー更新に関わっていたら、もう立秋ですか。そして、夏休みももうすぐ中間地点。ある意味有意義な日々だったようにも思えるが、長期の休みが減っていくのは悲しい。

残暑お見舞い申し上げますm(_ _)m

夏休み、みじけぇなぁ。って、毎年思う。
で、以前どこかで読んで「なるほどなぁ」と思った事があった。で、ググってみて知った。「ジャネーの法則」って言うらしい。(ウィキリン)
"L'évolution de la mémoire et de la notion du temps"って論文?があるらしい。

「主観的な時間の長さは、年齢に反比例する」っつーコトですね。
小学校4年生の時の夏休みに比較すると、現在の私の夏休みは5分の1の長さしかないわけだ。そりゃ短いわ。


さっき、職場に居た同僚(私より何歳か若い)と喋っていて、何故かゲームの話になった。彼はドラクエXIを(なんとなく)買ったそうで。「買いましたか?」と尋ねられ、「私は買ってないっすねー」と答えた。
彼もドラクエで一番印象深いのはIIIだそうで、I→II→IIIとやった世代なのだそうだ。私と同じだ。以前(その1,その2)にもそのことは書いたけど。

今日の彼の話で一番ウケたのは、「ドラクエで家庭崩壊しそうになった」という所だった。
なんでも、「冒険の書」を妹に消された事があったのだそうで。故意なのか、事故なのかは聞かなかった。彼の生涯で、最も妹と険悪になったのは、その時なのだそうだ。ま、分かると言えば分かる。
私は3人きょうだい(妹が二人)だったけど、ドラクエIIIはどうしてたのかなぁ...。「書」を一つずつ使っていたような記憶も無い。

私の妹、上の方は、何故かディスクシステムの「メトロイド」を繰り返しプレイしていた。ま、面白いゲームだったけど、「そこまで繰り返すか?」って、ゲーマーの私が思ってた。ま、クリア時間が短いと、エンディングでのサムス・アラン(ソラで頭の中から主人公の名前が蘇ってきた。恐ろしや)の姿が変わるんですけどね。一種の脱衣とも言えようか。ググっても、思ったほど脱いでなくて落胆するから、若い男性はググらなくてよろしい。ま、ヘルメットを取ると「金髪の長髪」が出てくるのでビビるんですけどね。それまで、主人公は男と思い込んでるから。なんたって「サムス」だもの。

下の妹は、何やってたっけなぁ...。あんまり思い出せない。


ゲーム話(ゲーム語り?ゲームつづり?)で思い出したのだけど、難解だったアクションゲームというと「プリンス・オブ・ペルシャ(スーファミ版)」なんかも思い出されます。一番難解だった(時間を費やした)のは「キャッスルエクセレント」じゃないかな? 私はFM-7版をやったのだけど。

基本的に私が旬のゲーマーだった頃、パソコンゲームってのは、88(ハチハチ:PC-8801mkIISR)あたりが、一番ソフトが充実してました。富士通のFM-7は、有名どころのソフトが出てこなかったり、移植されるにしても、かなり遅れてからだったりしたのです。
そんな中で、私の主観ですが、出色の出来だった「FM-7用ゲーム」の一つが「ザ・キャッスル」であります。「キャッスルエクセレント」は、その「超難解版」ですね。「ザ・キャッスル」はアスキーのコンテストの入賞作品でした。「エクセレント」はアスキー?のゲーム部門の人がチューニングして、チョー難しくなっているバージョンです。私は100部屋を、地道に手書きでマッピングしましたっけ。「やった人」としか、あの苦労は分かち合えない気がしますね。

で、思い出したのですけど「ブルーフォックス」も、かなりやりこみました。独特なフォントが、チョーかっこよかった。で、動画を上げてらっしゃる方が居た。凄い...

ってか、「キャッスルエクセレント」もあるではないか、エクセレント...

もっと別のページ見てみよ...

手術後4週間

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経過しました。
手術終了直後に「1ヶ月くらい、浸出液がありますよ」と言われてました。
「嘘だろう」と思いました。思ったけど、言いませんでした。しかし、それは本当の話でした。

「赤い血混じり」から色が薄くなっていくと言われてました。確かに、そのような経過を辿りました。
私は何故「嘘だろう」と思ったのか。
そもそも、表皮なんかを怪我した場合、よほど「おかしなこと」が無ければ、カサブタは24時間内外で完成し、浸出液は止まりますよね。「おケツ」も同じ経過を辿るのだろうと思ってました。せいぜい浸出液が出るのも数日間であろうと。まあまあ若いし。

本当に、浸出液は出続けます。
職場の同僚の理科教諭などには私の感じた「人体の不思議」を伝えました。改めてここに記します。

通常の擦過傷などでは、カサブタができれば、浸出液は「体内」に回収する方向で「修復作業」は進みますよね?直腸の粘膜については、その方向性は「逆」だということです。浸出液を「体外へ、体外へ」と排出し続けます。修復に伴う「浸出液」の「ベクトル」が逆になってます。その点に私はとても感心しました。
浸出液が止まるときは、完治したときなのでしょう。
約1週間前に「名医」の診察を受けました。退院後の初診察。「順調ですね」と言われ、バッチリ「肛門鏡」も使って、私のケツの穴はチェックされました。ま、慣れたっちゃ慣れたけどね...。肛門鏡、必要ならば、画像検索してみてください。先生の指で「グリグリ」された後、金属片で「カパカパ」されるのです。グリグリカパカパ、2,3回めくらいで「羞恥心」はなくなりました、私の場合は。

似たような「人体の不思議」を以下にお示ししておきます。

数日前より、ナプキンもティッシュも使わず、ボクサーパンツ(浸出液がある間は必須)からも解放され、トランクスを履けるようになりました。ま、別に私は「金冷派」ってわけでもないけども。


過去の関連する日記
皮膚癌発病疑惑(2000年12月)

ここにあるのは2017年8月に書かれた日記です。

前のアーカイブは2017年7月です。

次のアーカイブは2017年9月です。

最近の日記はこちらで見られます。過去に書かれたものはアーカイブで見られます。