2017年6月アーカイブ

にてググると、そこそこ引っかかってくる。
私は1999年当時、20代の後半であった。幼い頃から「恐怖の大王」に恐怖しながら生きてきた世代である。ただし、その元ネタらしき本などは、一切読んだことはないのだ。他の同世代の方々と同じく、多分ね。

で、この話は1998年頃だったっけかなぁ、って少し検索してみたら、1997年頃から出てきたらしい、「恐怖の大王=土星探査機カッシーニ」説は。というか、1997年に地球を旅立ったのですね、土星探査機カッシーニは。
「32kgを超えるプルトニウム238を積んでいる『ヤツ』こそ、『恐怖の大王』だ」という話が、囁かれ、それなりの盛り上がりを見せ、一気に収束したのだった。1999年の話ですね。

で、カッシーニが「グランドフィナーレ」なる「自死ミッション」に入ったというニュースを聞き、なんとなく、この日記の最初の一行だけは書き始めていたのだ。それは4月26日の話なのだった。


今日、驚きのニュースを目にした。こっちはプルトニウム「239」だけど。

核燃料サイクル工学研究所において、作業員全員に対し、肺モニタにより測定を行った結果、Pu-239とAm-241について、最大でそれぞれ2.2×104Bq及び2.2×102Bqが確認された。

https://www.jaea.go.jp/02/press2017/p17060701/

「肺モニタ」と「内部被ばく線量」の関係とか、致死量とかがよく分からないのだけど、かなりとんでもないことになっている気がする。

困ったときのAtomicaから引用。

<プルトニウムを摂取した例>
 米国における1974年までの経験として、最大許容身体負荷量(1500Bq)の10~50%摂取した例が1155例、同50%以上が158例あったようである。これらの中で第2次世界大戦中に、ロスアラモス国立研究所における原爆製造マンハッタンプロジェクト(1944~1945)で硝酸プルトニウム蒸気の吸入により、26人が最大許容身体負荷量の1/10~10倍の摂取があったことが知られている。被ばく後32年経過後の報告によれば、プルトニウムに由来すると考えられるガンの発生はなかったとのこと。最近の42年目の報告では、肺ガン2例と骨肉腫1例があったが、潜伏期が40~50年と長いことなどからプルトニウムを原因と断定することは難しいようである。
 また、1965年10月ロッキーフラッツ兵器工場での大規模な火災事故でプルトニウムを含む煙を吸入して、25人が肺の許容量(約600Bq)以上の吸入被ばくした例があった。24年経過後、事故被ばく者を含む(約70Bq)以上の被ばくをした人で、現在までに死んだ67名について死因を調べたところ、肺ガンは1名で正常人より低い割合に留まっているとのこと。以上のように、明らかにプルトニウム被ばくに由来すると断定された人の発ガン例はないようである。

http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=09-03-01-05

昔よりも、今の方が放射線に関する医学も進展しているのでしょう。錯体か何かにして、排出させたりするのだろか?
と、書きっぱなしでは何なので、検索してみた。やはり、そんな感じらしいですね。

超ウラン元素体内除去剤 ジトリペンタートカル静注1000mg(説明書pdfへ)

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2017/06/14追記

結局、肺にプルトニウムが入ったというのは「勘違い」だったようですね。良かった。下のpdfには、「肺モニタ」の画像もありました。
http://www.qst.go.jp/Portals/0/pdf/information/press/170606/press170612.pdf

現場の方々は、とても冷静に対応なさっていたのですね。プロなのだろうと思いました。
https://www.jaea.go.jp/02/press2017/p17061301/s01.pdf

胃で吐く

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しらばか あぞおら みかみなぜ

いばらき? いばらぎ!

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私は、結構最近まで「茨城」は「いばらぎ」と読むのだと思っていた。そして、そう発音していた。

父の生まれは茨城県古河市であり、父の兄弟姉妹は北関東に多く住んでいる。私自身は父の転勤に伴い、6年弱ほど茨城に住んでいた。親は「いばらぎ」って発音する。親戚も「いばらぎ」と発音していた気がする。当然のことながら、私自身も「いばらぎ」と発音していた。当時の身の回りの友人とかで「いばらき」って発音していたヒトが居た記憶はない。

んなわけで、このニュース(と呼んで良いのだろか?)を見たとき、私は違和感を感じたのである。って、2ヶ月前の話題だけどね。

「『いばらぎ』じゃなくて、『いばらき』です」 NHK「ひよっこ」セリフに茨城県民が感涙 : J-CASTニュース

公式には「いばらきけん」なのだそうで。ビックリだ。初めて知った。ってか、2ヶ月前の話だけど。

茨城県公式サイトは http://www.pref.ibaraki.jp/ だ。urlも確かに"ibaraki"だし、ページ内にはひらがなで「いばらき」って書いてる。

でも、私はこれからも「いばらぎ」って発音し続けるのだろうなぁ。なお、西の方にある茨木は「いばらき」だと認識してた、「茨城」とは違って。

という、どうでもいい話題であった。


過去の「茨城愛」日記
ノーム、濃霧、Gnome(2006年12月)
菓子「水戸の梅」は、本当に美味しいのか。(2007年8月)
旧知の仲「しもつかれ」(2009年1月)

試験問題を作成しなければならないのだが、日記を書くネタが揃ってしまったので記す。

最終的に私を後押ししたのはこのページである。
キャンペーン · 拝啓 広辞苑様、フェミニズムが「性別間の平等」を願う思想であると書いてください · Change.org
時々、Change.org からのメールが届き、時々食指が動く。で、賛同しかけたけど、止めた。

何故なら、上記ページの

すると、検索結果の1ページ目はほぼすべてフェミニストに反対する方たちのブログでした。読んでみると、多くの方が、広辞苑のフェミニストの定義を引用して、「フェミニズムは女権拡張運動。女尊男卑の思想だからよくない」と結論付けており、驚きました。
に違和感を感じたからである。

少し私も検索してみたが、「広辞苑のフェミニストの定義を引用しているページ」は、少なくとも1ページ目(最初の10件)には無かった。ってか、そもそもブログがあまり出てこないのですけどね。ま、Google様が「私向け」にアレンジしている可能性はあるけど。
また、広辞苑の記述(とされるもの)についても「そんなに酷い」とは思えないのである。

で、その「運動」を推進しているページ(Facebookのヤツ)を見てみた。バッチリ、というか何というか、民進党を褒め称えていた。ああ、気持ち悪い。「ああいう団体」が「そっち系政党」と繋がっていなければ、もっと良いと思う。そういう場面が日本には多すぎる。


最近、痴漢の冤罪の話や、逃走から死亡に至ってしまった話などもあり、電車の「女性専用車両」についての話をネット上や新聞に見る。通勤電車の運用方法については、何が良いのかはよく分かりません。とりあえず「男性専用車両も作れ」という話もあったりしますが、「男好きの男」に狙われそうで、あんまり乗りたくない気はする。また、近年話題のLGBTの方々なんか、どこに乗れば良いのよ??


私は高校生の時、痴女にケツを触られたことがあるんだよね、一度だけ。
夕刻、部活がない日、帰りの電車の中でした。そんなに混んでなかった。のに、私の背中側に妙に接近している20代半ばくらいのねーちゃん(その当時は「オバチャン」と認識した)が居た。と思ったら、どうも私のケツ周辺をさわさわ触ってくる。と、思ったら、ケツの溝をまさぐってきて「こいつは痴女なんじゃないか」って思い始めた頃、自分が降りるべき駅に着いたので、電車を降りた。それだけ。

ま、あの経験から言えるのは「最初から『痴漢でーす』って言えるのは、相当『痴漢慣れ』していて、気が強い女性なんだろな」ってコトです。

なお、私はフェミニストではなく、エガリタリアン(egalitarian 平等主義者)なんだろうと思った。今日の検索の結果ね。勉強になったよ。民進党ありがとう。


過去の関連する日記
フェミニスト様へ(2006年10月)

喫煙者の肩を持つ

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私は非喫煙者だ。生涯でも20本までは吸っていなかろう。未成年の時代から「洒落」で吸ったことはあるけど、本気で複数本を続けて吸ったことはない。

23区内は「歩きタバコ禁止」っていう条例が定められている場合が多い。歩きタバコをしているやつは、「殺したろか」と思う。特に、子供を持つようになってから。私ですら、何度かやけどをさせられそうになったことがある。そんな「危険物」を持ち歩くなよ。

が、公園などの屋外でタバコを吸うのは構わないと思うのだ。吸い殻をきちんと処理するならばね。学校の敷地内でも、病院の敷地内でも、オープンエアで間近に人家がないような所ならば、タバコを吸って良いのではないかと思う。もちろん、密室で空気清浄機が稼働している「喫煙スペース」でも良いのだけれど。

一番問題なのは「飲食店」なのだろうと思う。タバコを吸うヒトは、酒を飲むとタバコを吸いたくなるらしい。厚生労働省の案よりは、「店舗毎に『禁煙』『分煙』『喫煙可』の選択制」とするのが良いと思うのである。自民党案ってコトになるのかな?

ま、タバコなんて吸わない方が良いのだろうし、それは本人たちも十分承知しているだろう。けれど、既にニコチン中毒になっちまっているのだから、ある程度仕方ないと思うのだ。


過去の関連する日記
何故未成年の喫煙は勧められないのか(2004年9月)
タクシーランキング(格付け)って、意味あるのか?(2007年9月)
無理な「敷地内禁煙」は廃止したらいかが?(2008年7月)

梅棹忠夫をいまさら読む

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このお方が亡くなられたとき、私が読んでたブログ界隈はザワついていた。情報科の先生が多かったのであるが。
そして、今は情報科の先生で「ブログ」という形態で情報発信なさっている方は少ない。更新を止めたくらいなら良いが、サイトを消してしまった方も多々いらっしゃるようだ。残念なことである。

で、私はその時まで、この「梅棹忠夫という方」を全然知らずに生きてきていた。しかし、あまりにもいろいろな方が言及なさっているので、本くらいは読もうかな、って思った。で、やっと最近読んだ。2冊ほど。で、さらに1冊を図書館に予約した。

最初に読んだのは『知的生産の技術』なる本だ。この本はさすがに古すぎた。参考になる部分はある。しかし、「紙のカードでデータベースを作る」なんてのは、「今どき」行っても、全然意味が無いだろうと思うのである。Excelとかに記録する方が良い。とりあえずEvernoteとかでも良いだろうし。

で、最近(正確には上記書籍を読む前)家の中を掃除していたら、この写真のような「メモ用紙」が発掘された。
20170630_1.jpeg

20170630_2.jpeg
これはまさに「京大カード」ってヤツなのだろう。義父の買ったもののようだ。その当時は、梅棹氏は相当「伸していた」のだろうなぁ...、って思った。

さっき読み終えたのは『情報の文明学』って本だ。私の生まれる前に、「現代」を予測なさっていたのですね。この本を読み、「凄い方だったのだなぁ」って思った。すさまじい先見性である。特にインターネットが発達して以降の現代を、的確に予言なさっている気がした。

『情報産業論再説』の「うつりゆく重点」から引用

したがって、農業から工業へ、工業から情報産業へと産業がおきかわっていくわけではありません。そうではなくて、併存しながら重点がうつっていくということなのです。しかも相対的なウエートの変化がじつは問題なので、農業自体をとってみれば、農業の時代よりも工業の時代にいっそう発展している。しかし社会全体の相対的なウエートからいうと、農業の重要性がへって、工業が中心的な産業になっていったとおなじように、つぎの時代は、工業が副次的なものになって、情報産業が最大のウエートをしめる時代になるだろう、ということなのであります。

ってなコトを、1962年の段階(厳密にはこの「再説」は1968年の講演を文章化したもの)で仰っているのである。凄い。

教育についての考えは、私と似ていらっしゃると思った。
『放送人の誕生と成長』の「聖職の産業化」から引用

わたしは、従来の職業のなかで放送人にいちばんよくにているのは、学校の先生だとおもう。学校の先生は、教育という仕事にひじょうな創造的エネルギーをそそぎこむわけだが、しかし、その社会的効果というものは検証がはなはだ困難である。かれがつくっているのはものではない。ひとである。しかし、りっぱな人間ができたからといって、特定の教師の、特定の教育的努力の効果であるかどうかは、はなはだはっきりしない。効果はしばしば、上級学校入学率のようなものでかんがえられることになるが、それはテレビの視聴率みたいなもので、効果の内容についてはなにごとをもおしえない。教師の社会的存立をささえている論理の回路を完結せしむるものは、やはり教育内容の文化性に対する確信以外にはないのである。

とりあえず、以上ッス。

ここにあるのは2017年6月に書かれた日記です。

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