コトに時々出くわす。数日前にも、その思いを抱いた。
それは「悪いほう」ではなく、「良いほう」に。
勤め先の中学入試が始まった。
本年度より、『Web出願』とやらを導入することとなった。私が聞いたのは「それが決まってから」であったが。何でも「紙の要項」を作成するより、総額は安く済むのだそうで。
その契約先については、いろいろと思うトコロ、というか言いたいことがある、というか、実際に言った。あそこまで「職場の同僚や家族ではない人物」にキレた記憶は無い。その『Web出願システム作成会社』にも問題はあるにはある。しかし、最もマズいのは代理店、というか、代理店にいる『人物』なのだろう。ま、その人物を雇ってしまう『代理店』にも、そこに発注してしまった『身内』にも、問題はあるのだろうけれど。
で、Web出願によって、何か楽になったのか。
校内の教職員が行う「仕事の総量」は、明らかに減ったであろう気がする。私の仕事は大して変わらない。そして、システムが変わった分だけ、今年は大変である。今日も大変だった。明日(というか今日)は多少楽になる、といいな。
来年度の仕事、新入生の持っているデータの整理は、明らかに面倒になったはずだ。例えば「住所」にしても、そこに含まれるハイフンが「-」だったり「ー」だったり、果ては「の」だったりするのだ。orz
ま、追々考えましょう。
でも、出願をする「親」も大変だと思います。ま、私が親だったら「手書き」よりも「Web出願」の方がありがたいけど。
私は悪筆なんだよね、紙の上では。黒板上の「板書」はそれほどでも無いつもりですけど。
で、やっと表題の話題に入る。
自分のこの仕事を改めて見直してみて、というか、その「コード」を見直してみたのだが、ほとんど理解できないのだ。
やっていることは分かる。私が「やろうと努力した」ことだから。しかしまぁ、よくもこれだけの「品」を完成させたなぁ、と思うのである。
同じように、自分でやった「すごい作品」としては「ソフトボール部の打撃成績を、Accessで算出できるようにしたもの」もある。「クエリー」をたくさん並べ、なんとか「思うもの」に仕上げた記憶はある。今にして思うと「ヒマだった時代」の作品だ。「副担任で、持っている授業が1種類だけ、4コマ×4クラス」だった頃。って、20年以上前になるのかなぁ...。今は「あんなもの」を作る気力は無いッスなぁ。
今、たまたま「リーナス・トーバルズ」の自伝みたいな本を読んでる。今朝は電車を乗り過ごしそうになった。私と彼はほぼ同い年であることを知りました。そして、私は「その道(?)のプロ」とは、明らかに違うなぁ、って、改めて思いつつ読んでます。
職場の性質、そしてニーズというのもあると思うのだけど、私は「エクセルや桐、あるいはワード(というか厳密には一太郎)などというアプリケーション」を使って「何か」をやって、「他の教員を多少楽にする」ってコトをしている時間が長いと思う。もちろん、勤務で一番時間を使うのは「授業とその準備」であるけれど。
で、私は「アプリケーションを使って何かをすること」は結構好きなんだけど、「アプリケーションそのもの」には、あんまり興味を持ったことが無いのですねぇ。