2008年6月アーカイブ

「残業代」いろいろ

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この「Googleアラート」を見て、最初はビックリした。
7100yen.gif
「7100円? 1日あたり? 1人あたり?」って。

そして記事本文の引用を読み「7100万円」の誤植だと気付いた。


教員は「教職調整額」という「ホワイトカラーエグゼンプションの先駆け」を貰っているから、残業という概念がないのだ。そして、過労によってダウンする人が後を絶たない。

しかし、こういった「無給残業」の告発は、公務員の方々が行わなければ、教員の残業にはハナシが及ばないだろうという気がする。
そしてまた、公務員ってのは、世の中から比較すると、給料は決して少なくないという自覚もあるのだろう、「残業代出せ」っていう「大きなうねり」は生まれてきていないようだ。

以前に17時過ぎの某区役所を訪れて知った。終業時刻の17:15を過ぎると、バンバン人が吐き出されてくる。うらやましいと思った。
多分、忙しい人は忙しいのだろうが、大半の人は忙しくないのだろう。あの(シゴト少なさそうな)人達の多さには驚きを感じた。


"教員の「残業代」見直す 教職調整額巡り専門家会議開く"って記事(魚拓)が、この間出ていた。教員の「ホワイトカラーエグゼンプション」はどうなっていくのでしょうか?

なお、私は以前「アクアカラーエグゼンプション」って日記を書こうかと思ったが、途中で止めたことがあった。 って、今書いてるけど。
教員って、「決まった時間、必ず拘束される」って点や、力仕事が時々紛れ込んでくるって点その他で、「ホワイトカラー」では無いと思う。かといって「ブルーカラー」でも無いわな。中間だから"aqua (blue)"かと。

信号無視に寄せて

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通勤途上に丁字路があり、朝に晩に丁の字の「横画の下側」に沿って歩く。その横画も縦画も、片側1車線であり、横画の方には路線バスが通っている。

同じ歩道をゆく人の半数以上は、交差点の信号を守らない。守らずとも特に危険は無いからだ。時には2,3台の車が行き過ぎるのをきちんと待ったのち、赤信号の横断歩道を歩くこともある。何しろほとんどの場合、「縦画」からは車はやって来ない。

ある朝、例によって信号無視をしようとした。前に自転車に乗る男子高校生が居た。
彼は横画の下側から、バス通りを横切る横断歩道(それは青信号だった)を使い、横画上側に渡った。と、思うや否や、もう一つの横断歩道で、横画の下側に戻ってきた。その間、縦画からは全く車は来なかった。
「信号を守るだけのため」に、彼はそのような進路を取ったのだ。そのことに気付いたのは、数秒後だった。
真面目というか、律儀というか。単なる馬鹿に近しい気も。

彼の行動は誉められこそすれ、貶されることは無い筈なのだろうが、何か違和感を感じずにはいられなかった。
親のしつけか、あるいは彼本人の信念だろうか。それとも何かの願掛けだろうか。その律儀さの由来を知りたいと思った。

念のため申し添えるが、私は車を運転する際、交通信号は無視しない。無視するのは徒歩や自転車の場合だ。自転車での信号無視は、あまり誉められたものでは無いだろうが。


車の信号無視で忘れられないのは、奈良県だ。20年以上前、中学の修学旅行で初めて訪れたとき、車が町の真ん中でバンバン信号無視をしていた。東京や茨城にしか住んだことが無かった14歳の私は、そのむちゃくちゃぶりに驚いた。
それ以前もそれ以降も、あれほど信号無視をするような場所に行ったことは無い。

「出会いセンター」は作るのに「子供を安心して産める病院」を潰したり、ヤクザみたいな職員を飼ってたり、超キモいキャラクターに無駄金出したりと、かなりヤバい土地なのだろう。

なにはともあれ東京

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東京メトロ副都心線の開業に伴い、都電「雑司ヶ谷」停留所が「都電雑司ヶ谷」になるらしい。

「雑司ヶ谷」という名称は地下鉄に譲るようだ。
停留所の名前を「旧雑司ヶ谷東京」にしておけば、「首都大学東京」や「新銀行東京」との整合性がとれただろうに。石原慎太郎には、そこまでの知恵は無かったようだ。

超残念東京。

サイト名

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情報A の授業で、著作権についての学習を行っている。
日本文教出版の『新・情報A』を基本に使いながら、著作権法の条文などはネット上で検索してもらっている。

私の設定した課題(設問)を披露させていただく。
これは、職場の先輩「情報科教員MT」氏が作成したものを改変している。

問1 以下の問いに答えよ。
1『著作権法の目的』とは何か。
2著作権法における『著作物』の定義を示せ。
3以下の著作物について、『著作権の保護期間』を示せ。
 ・実名の著作物
 ・無名又は変名の著作物
 ・団体名義の著作物
 ・映画の著作物
4『引用』とは何か。
5『引用の範囲・仕方』についてのルールを記せ。
6『引用物の出典の書き方』の例を記せ。
7テレビ番組を個人的に録画して楽しむ場合、各テレビ局からの許可は必要か。
8学校の授業で『テレビ番組を録画したビデオ』を見せた。この行為は合法(法に触れない)か、違法(法に触れる)か。
9文化祭の時に不特定多数を対象に、1年前の映画のビデオ放映を行った。この行為は合法か、違法か。

問2 指定されたフォルダにある、次の2つのファイルを参照し、以下の問いに答えよ。
ファイル1 福島中央テレビ [アナウンス室] 日記.gif
ファイル2 ぐっちーさんの金持ちまっしぐら.mht

1どちらの人物が法を犯した側か。また、その根拠を述べよ。
2どういった点が法に触れているのか、具体的に説明せよ。

私として面白がっている(生徒にとって面白いかどうかは知らないが)課題は、最後の部分である。
福島中央テレビのブログは魚拓しか残っていないので、それをキャプチャしたものをつなぎ合わせてgif画像とした。また、職場の生徒用アカウントでは、ブログの類は基本的にフィルタリングのブラックリストに入っている。そのため、ぐっちーさんのブログを直接見ることはできない。ブログを「Web アーカイブ、単一のファイル」という形式で保存させていただき、サーバーの参照用フォルダにコピーしておいた。

で、生徒たちの課題をやらせたところ、面白い現象を発見した。

2つの文章の内容が酷似していることは、皆すぐ気づくらしい。
しかし、「どちらの人物が法を犯した側か」という設問に対しては、多くの生徒は直感的に「ぐっちーさん」を悪者と見なすようだ。ブログなどを書いているような生徒は、記事の投稿日の違いに気づくようだ。しかし、そこまでパソコンに染まっていない生徒は、名前あるいはサイト名の印象から「アナウンサー」の方がマトモであり、「ぐっちーさん」の方が悪者だと思ってしまいがちなようだ。
ま、確かに「金持ちまっしぐら」はあまりよい印象は持たれないかも(笑)


ってコトだと、私のサイト名ってのも、なかなかイカしていると思うのですが、いかがなのでしょう?
高校まで出て、古文を習った人ならば、かなり印象的な語句なハズだから。
最近、この腐れ日記を知った方もいらっしゃるでしょうから、改めてサイト名「ありおり」の由来を。

「ariori」の由来
http://www.ariori.com/diary/2000/02/13/

本を読み、老化を知る。

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先日、テレビで『地下鉄(メトロ)に乗って』を放映していた。映像を見るのは初めてだが、原作は読んだことがある。浅田次郎という方の作品だ。
私が浅田次郎というヒトの作品で読んだことがあるのは、この『地下鉄に乗って』と短編集『鉄道員(ぽっぽや)』しかない。『地下鉄に乗って』は文庫1冊に長編1本が収まっている。

私は『鉄道員』の方を先に読んだ。私はほとんど映画を見ないが、それに比較すれば「映画の原作」に触れることは多い。特に目的の本が無く、本屋をだらだらと流しているときに「映画の原作」はちょうど良いのだ。『鉄道員』は自分で買ったが、『地下鉄に乗って』は配偶者から貸してもらった。

『地下鉄に乗って』を読み終えての感想は、以下の2点だった。
・『鉄道員』に似ている
・おもしろいものの、今ひとつ洗練されていない

文庫巻末の解説を読み、「メトロ」が「ぽっぽ」よりも先に発表された作品であることを知った。私の感覚はある程度正しかったようだ。私は作品を読むだけだから、何とでも言える。作品代を払ったし。もちろん「書け」と言われても、浅田次郎氏のようには書けないだろう。

この間、実家に帰った際に、古い文庫本を何冊か持ち帰った。「学級文庫」に置こうと思って。
気になっていた村上春樹の『回転木馬のデッドヒート』を、まずは読んでみた。何となくだが、高校1年生のクラスに放置するのは憚られる気がした。

で、次に太宰治の『津軽』を読んでみた。最初に読んだのは、高校の頃なのだろうか。あるいは大学に入ってすぐかも知れない。
津軽半島へは大学1年のトキに、徒歩旅行のサークル(東京学芸大学伸歩会)で訪れたのである。

青森市から津軽半島の日本海側に位置する金木に抜ける際、途中に水場が無く、部員全体が超脱水状況に陥ったりした。その際、ヨシイクゾーの白い宮殿も見た。
そのサークルに入って最初の本格的な合宿であったし、有名な観光地を巡ったこともあり、非常に印象に残っている。十和田湖の南から・奥入瀬・酸ヶ湯・八甲田山・青森・金木・小泊・竜飛と、7日かけて200km超を歩き通した。
歩いたからこそ、地理的関係が頭に入っているのだ。今回再読した太宰治の『津軽』という小説(紀行文?)の印象が、それほど頭に残っていなかったのは、私が津軽を訪れる前にこの本を読破したからだと思われる。
知っていれば、金木や小泊で、太宰治に関わる旧跡(?)を訪れたのだろうと思う。

大概の読書家にもそういう時期があるだろうと想像するのだが、私は「古典」と呼ばれる作品をひたすら数だけこなしていった時期がある。本棚が埋まるのが楽しいのだ。作品が終盤になると、半ば義務感からページを繰るようになっていたのだろう。『津軽』の終幕はほとんど記憶に残っていなかった。

今回改めて「本棚に入りっぱなしだった本」を読んでみると、自分が老化したせいもあろうが、作品について認識を新たにすることが度々あった。『津軽』を最初に読んだのは18歳前後だろうし、『回転木馬のデッドヒート』は20代になりたての頃のハズ。
どちらの作品も、その頃の私よりは、現在の37歳の私に似つかわしい気がした。


私は貧乏症なのだろうが、単行本を買うことはほとんど無い。文庫は軽いし安いし、ある程度評価された作品なわけだし。そして「解説」が付いている点も好きである。解説者と作品を共有できるような感覚が得られる。解説のない単行本の潔さも良いが、文庫の方が様々な点で好きだ。

本日、『人間失格』を読み終えた。この作品を読むのは数度目である。
かなりナルシシズムが鼻についたが、高校生のトキはそんなに気付かなかった。


『津軽』と『人間失格』は一応学級文庫に置くことにした。

日本の小学校に留年を

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おもしろきことも無き世におもしろく
この句、いい大人は何となく実感することができるのであろう。世の中できちんと生きていくことは、それなりに大変である。 もちろん、子供は子供なりに、いろいろと複雑な事情を持っていた気もする。だいぶ忘れてしまったが。

私は基本的に高校生に理科などを教えて生計を立てている。私が彼らの力を認めてやることにより、彼らは中等教育を修了する要件の一部を満たすことになる。
私は生徒に学力を付けさせるために学校に雇われているのであり、生徒の進級・卒業の生殺与奪を楽しむために存在しているわけではない。理科ができない生徒に対しては、放課後の補習や試験前の質問、追試前の指導など、可能な限り支援を行っているつもりだ。
そして、向こうも真面目に取り組んでいるならば、最終的に多少ぺーパーテストの点が悪かったとしても、単位を与えてしまおうという心理状態になってくる。そのことが良いのか悪いのか、未だに分からない。

高校には様々なレベルのものがある。日本全国、同じ科目名であっても、単位を与える基準は高校ごとにまちまちになっている。だからこそ、ヒト(の親)は、良い(と言われる)高校、あるいは大学を目指すのだろう。
全般的には、良い大学を出た方が、それなりのカイシャに勤められるようになる可能性が高かろう。そして、それなりのカイシャはそれなりの給与を支払ってくれる。それは、そのカイシャがそれなりに働く(難しいことをこなすことができる)人達から成っているからこそ、収益を上げられるためだろう。

数年前に「小学校でも留年(原級留置)の検討を」みたいなニュースがあったが、そのハナシは最近あんまり聞かない。
勉強は基本的には難しいものだ。そして、その難易度は進級するにつれ、どんどん上がってくる。だからこそ、私は小学校段階での留年を導入すべきだと思うのだ。五十音表が書けなかったり、掛け算九九が言えないって子は、そのまま大きくなってしまうと「普通の大人」として生活することが難しいだろうという気がする。小学校の段階で学校の授業について行けない子は、原級留置にした方が本人のためになると思うのだ。

(今の制度のまま)力の足りない生徒が無理に進級し、「理解できないがために苦痛を覚える授業」に慣れてしまうことは、大変に非効率だ。無理に横並びで全員進級させるよりも、勉強が苦手な生徒に対しては、物事を理解して自分のものにしていくことの苦労を憶えさせる方が、彼らのその後の人生にとって有意義であろうと思われる。
小学生自身が「留年したくない」と思うならば、せっせと勉強を頑張るだろう。そういう子は多いはずだ。
また、可能な生徒には飛び級も認めるべきだ。小学校の勉強なんて、ヒトによっては苦痛でしかないだろう。少なくとも、小学生時代の私は、授業中暇だった記憶がある。文章を読む力も、数学の考え方も、自然科学の歴史も、自学自習で身につけることは可能だと思われる。
もちろん、学級という集団でしか身に付かないもの、学級という集団だから効率的に身に付くものもあるはずだ。

山崎パンの求人サイトが「すごい」らしいと、痛いニュース(ノ∀`)経由で知った。そこにあった(取り上げられていた)書き込みは、非常に適切な指摘であると思う。

497 名前: オムル・ハング(大阪府)[] 投稿日:2008/06/22(日) 19:17:16.22 ID:plriz6pN0
学歴ってのは将来のために無駄なことにどれだけ努力できるかわかりやすくする基準であって、努力もしないで誰でも入れる世の中になったら、基準の役目を果たさないだろ。

この間読んだ本『誰が学校を殺したか』の中で、夏木智氏も同じようなことを言っていた。私も概ね同意する。

このことを小学生に伝えるには、このように言うと良いのではなかろうか。
「オトナになって、好きなだけゲームが買いたかったら、将来そのお金を稼げるように、今勉強しておきなさい」って。

ここにあるのは2008年6月に書かれた日記です。

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