2007年4月アーカイブ
『東京都知事選挙 選挙公報』を一通り読んでみた。
この『選挙公報』を最初に手にしたとき、某差別主義者の"reboot"ってフレーズが最初に気になっていた。ま、面白いっちゃ、面白い。
で、よくよく読んでみた。その某差別主義者の欄には
子供たちは東京の「宝」。ってあった。
「リブート」ってのは、一般的にパソコン用語として用いられるハズ。日本語では「再起動」だ。
"re"はリサイクルやリユースの「リ」である。漢字にすれば「再」だろうか。
"boot"ってのは、「(軍隊由来の紐の付いた)ブーツ」を履く作業から来たと聞いた。コツコツと靴ひもを通す作業を繰り返すことで、靴のブーツは使用可能になる。
それが転じて、パソコンなどの起動(昔は今以上にチマチマしていたらしい)を"Bootstrapping"略して"boot"となったと記憶している。英語版のウィキペディアなどにも似たようなことが書いてあった。
で、更に先ほど"boot"の意味を調べて、面白いことが分かった。
『研究社 新英和中辞典』に拠れば、動詞としての"boot"には以下の意味があるらしい。
boot
【動】【他】
1 a 〈人に〉ブーツ[長靴]をはかせる(→booted). b [~itで]歩く.
2 〔+目(+out)〕《口語》けとばす: ~ a person out 人を外へけとばす.
3 《口語》 a 〔+目(+out)〕〈人を〉追い出す,解雇する. b 〔+目+out of+【(代)名】〕〈人を〉〔...から〕追い出す,解雇する: He was ~ed out of the firm. 彼はその会社から追い出された.
4 野球 〈ゴロを〉つかみ損なう,ファンブルする: ~ a grounder ゴロをファンブルする.
どれも、あまり良い意味ではない。しかし「追い出す・解雇する」って意味があるとは知らなかった。
「お目々パチパチの差別主義者」は、この「追い出す・解雇する」って意味がある"boot"を、意図的に使っているのじゃ無かろうか。もちろん「軍靴を履かせる」って意味は「織り込み済み」で。
つまり
(軍靴を履いてくれる)子供たちは東京の「宝」。って思ってんじゃ無いか?ってコト。
まあ、他の候補者も色々ツッコミどころがある。
ってか、ヒトによっては誤字も多い。読んでるこっちが「大丈夫?」って心配するくらい。
帰宅して、シャワーを浴びて、350mlビールを1本飲んだら日付が変わった。1日で14時間超は働き過ぎである。
ま、3日ほど出勤しなかったので、仕方の無いコトなのであろう。
気が付けば「正規雇用」の教員となり、この4月で13年目に突入する。採用年度は西暦1995年(平成7年)である。職場のヒトビトを「古参」と「新人」に無理矢理二分割すると、古参の部類になってしまうのカモ。また、高校を卒業するまでの年月と、大学に入学してからの年月が同じになるようだ。それなりにキチンと「ツトメニン」になっている(なってしまった)ような気がする。
激務のクールダウンとして、日記を記している。
明日は始業式である。高校3年の担任となる。
「正規雇用」となってからは、高1副(担任)→高1副→高1(担任)→高2→高3→高1→高2→高3→高1→高2→高3→高2→高3というローテーションである。私の職場では、年度の初めに「生徒手帳」ってヤツに生徒の「氏名印」を押し、出席番号等を記入する作業がある。「担任名」として、自分の「氏名印」も押す。ま、手書きでも良いのだけど、一気に作業を行うので、ゴム印の方が楽なのだ。
上の画像は前述の「私の氏名ゴム印」である。
記憶では「高校卒業時に受け取ったもの」なのだが、違うのかも。で、ご覧の通り、その横っ腹には「379」ってナンバーが振ってある。
このゴム印を卒業時にもらったとき、「何故に"379"?」って思った。今も謎である。
ちなみに私の職場では、年度毎に出席番号をゴム印に記してます。
高校のトキの身分証明書を見てみたら、「No.61726」って書いてあった。そういえば、高校のトキは、3年間「G組26番」だったっけ。チナミに現在、「身分」ってコトバは使わないコトが多いらしい。職場も「生徒証」はあるが、「身分証明書」は無い。
私は教員って仕事に就き、昨日は生徒手帳ってヤツを準備したりした。
画像のゴム印、担任の先生や事務の方が使ったんだろうと思う。高校だったら3年間の担任だったのは高橋清士先生である。約20年前に高校の先生や事務の方が手にしたであろうゴム印、昨日私が使ったのだ。何だか面白い気がする。
教育ってのは、人のココロに残るシゴトである点が面白いと思う。
はっきり言って私は高校卒業後、「高橋先生に会いに行こう」って思って高校を訪ねたコトなんて無い。ってか、最近の公立学校は異動が激しすぎるから、昨今の「公立小・中・高校の卒業生」は、私以上に恩師に会うのは大変だろう。
でも、高橋清士先生は、私の中に存在している。間違いない。
あさのしろー氏とよしだまんぞー氏の得票数を足すと、イシハラシンタローのそれを超えるっぽい。何だか残念な気がする。まあ、票が割れて慎太郎が勝つような気はしていたが、民主と共産が組んで統一候補を立てれば良かったのにと思う。
ってか、以下のサイトを見たトキ、「確かにその通り」って思ったス。
5号館のつぶやき : 東京都知事選
http://shinka3.exblog.jp/5667403/
今回の東京都知事選挙では、どうなのか良くわかりませんが、やはり石原-保守-自民と、非石原-非保守-非自民という対立の構図になるような気がします。そうすると、吉田万三さんも黒川紀章さんも浅野史郎さんもひとくくりに(小異を捨てて大同につく)なれば、かなり有利に話が進むと思うのです。それでも、石原さんが勝ってしまうということならば、それこそが都民の意志と納得もできますが、今度も票が割れて都民の意志は非石原でも、都知事は石原という結果になることが最悪のシナリオだと思います。
吉田万三君、そしてできれば黒川紀章さんも、ここはひとつ反石原ということで浅野に合流していただくわけにはいかないものでしょうか。
そうなると、首都決戦で燃えるとおもうんですけどね。
しかし(?)、私は「東京オリンピック見てみたい」って思っていたりもするのだった。祭りは楽しいじゃないスカ。
だから、私自身の投票も自分の中で「ビミョー」だった。また、選挙結果を見て思うコトは「ビミョーだなぁ…」なのだ。
ある意味「ワビ・サビ」の世界にも通じるような気がしました。全然違うってか?
2007/4/14追記
結局、慎太郎氏の得票率は50%を超えていましたね。
夢の夢を見させてもらいました。いや、勝手に見てました。
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-20-t35-1.pdf
カイパーとカウパー、どちらもマニアックな語である。
何しろ、惑星は8個になった。
右足の薬指に、"イボ"ができている。ウイルス性のものだそうだ。
「だそうだ」と伝聞形にしてみたが、「ウイルス性」であることは、ネットで検索して知っていた。
以前に別の指に同じようなものができたときは、風呂上がりに気合いで引っこ抜き続けた。いつの間にか完治していた。結構血まみれになったけど。
今回のイボには1年以上前、もしかすると2年近く前に気付いていた。「痛いわけでもないし、そのうちに医者に行こう」って思ったまま放置してしまった。直径は数mmまで成長してしまった。血まみれになると結構痛いので、キチンと治療してもらうコトにした。春休みの1日に日暮里の医院に行ってみた。
初診だったので「問診票」を書かされた。診察まで2時間待った。
問診票には「右足薬指にウオノメ様のもの」と書いておいた。「ウイルス性のイボ」って知っていたのだが、あんまり知ったかぶりしても「可愛くない患者」に見られそうな気がしたので、意図的に「ウイルス性のイボ」を知らないフリをしておいた。
また、やはりネット上で検索して知っていた。液体窒素でイボを焼く治療が行われるらしいことを。
診察は数分だった。医師曰く「これはウオノメではなく、ウイルス性のイボですね」と。私は「はぁ」と答えた。医師は「ウイルス性ですから、あんまり触ってはいけません。他の場所に感染します」と教えてくれた。これは初耳だった。
二重の紙コップに入った液体窒素に巨大な綿棒を突っ込み、綿棒の頭に含ませた液体窒素でイボ(とウイルス)が焼かれていった。チクチクと焼かれた後、薬が塗られ、絆創膏が貼られた。
会計まで、また小一時間待った。
もう10年近くなるだろうか。いつからか、私の手の爪と皮膚の間に、黒い筋(太さ1mm以下、長さ3mm程度)が所々存在しているのだ。
診察後、帰宅して気付いた。この「爪の下の黒い筋」も「ウイルス性」かも知れないコトに。
入浴後、爪と皮膚の隙間を楊枝などでほじっては、足の指用に処方された抗菌剤を擦り込む日々を過ごした。徐々に黒い筋が目立たなくなっていった。良かった良かった。
実は、この「爪の下の黒い斑点」は、ずっと謎の存在だったのだ。
何故なら『巨人の星』で擦り込まれてしまっていたから。
「巨人の星 メラノーマ」 でググった
巨人の星の登場人物一覧 - Wikipedia ← 素敵すぎ
爪の下の黒い斑点は、悪性黒色腫ではなく、ウイルス性のものだったのだ。数年来の謎が解け、ほっと一息の私であった。
でもって、医師は「一週間くらい経ったら、また来てくださいね」と仰ったが、既に10日以上経過してしまった。仕事が立て込んでいるので、なかなか医者には行けないのであった。
全く個人的、というか、基本的に個人的な話しか書いていないが、最近思っていることを記す。
ウイスキーは"Scotch"もしくは"Japanese"が好きである。ま、たまに飲む"Bourbon"も、それはそれでうまいが。以前に「ハイボールが好きだ」って述べたこともあるのだが、この間確信したことがある。
それは「うまいウイスキーはストレートで飲むべきだ」ってコトである。
空港に行ったりすると「免税店」ってヤツがある。
昨今は安売りの酒店が増えており、空港の免税店の酒は決して安くない。
なので、舶来のウイスキーなぞは、空港では買う気がしないのだ。で、確か去年のコトなのだが「山崎」って日本のウイスキーを買ってみたのだ。
帰宅してみたら、配偶者の父親が買ったという、同じウイスキーが保管されていた(笑)。
先日、そのウイスキーを飲んでいた。何となく「水道水製の氷」を用いたロックで。
で、その後ストレートで飲んでみた。明らかにうまかった。ま、別の「まともな氷」を使えばまた違ったのかも知れないが。
小説だったか、エッセーだったか、そして誰が書いた文章だったか忘れたが、「良いウイスキーを水や氷で割るなんて、馬鹿のすることだ」みたいな文章を読んだことがあった。それを思い出した。
俗に言う"Whiskey & Chaser"が、今のところのお気に入りなのだ。
私が「作家」という存在を意識したのは、スティーブン・キングの作品を読んでからだと思います。
高校のトキ、何となく訪れた池袋の LIBRO に平積みになっていました。『クリスティーン』文庫版の上下巻が。
「文庫カバー画像」を探してみましたが、下巻しか見つかりませんでした。Amazon から頂きました。
平積みになったこの本の左には、青の背景になってる上巻が並んでいました。その車(クリスティーン)はボロボロ。
何故かこの装丁に気を惹かれ、高校生だった私はこの文庫を買いました。上巻だけ買ったのか、上下巻セットで買ったのかは忘れましたが。以降数年間、スティーブン・キングの文庫本は一通り買いました。新刊(ただし、文庫版)が出るたびに買いました。数冊読破した頃、彼が「世界で一番売れている作家」であると知りました。
私が一番好きなのは、『バトルランナー』です。
参考文献「オガワ文庫の10冊(2003暫定版)」
で、最近読んだのは文庫版の『アトランティスのこころ』です。と言っても、1年近く前ですが。
『蠅の王』って書名は、いつからか知っていました。ウィリアム・ゴールディングというヒトの作品で、名作に該当するものらしいから。その作品と『アトランティスのこころ』が関係あるらしいことを知ったのは、『蠅の王』に対する Amazon 上の書評を読んだからです。『蠅の王』を読んだのは2年ほど前だった気がします。
で、『アトランティスのこころ(白石朗 訳)』には、とても印象的な文章がありました。
久々に遭遇した旧友と、主人公の会話です。
「まだタバコを吸ってるのか?」
「やめたよ。去年ようやくね」
スキップはうなずいた。「きっぱりタバコをやめないことには離婚してやると、女房から申しわたされてるんだ......だったら、ま、努力だけはしないとね」
「喫煙は最悪の習慣だぞ」
「お言葉だがね、生きていること自体が、最悪の習慣じゃ無いのか」
ブログとかの誤字って、ヒキますね。
内容はどうであれ、誤字(というより変換ミスの放置)を眼にすると、途端に読む気が失せます。百年の恋も冷めます。と言っても、お気に入りになっているわけだから、ザッと読むのですが。
私自身の文章にも、誤字の類はあるはずです。が、問題はその頻度だと思います。
結構な長文でありながら、そこに誤字や誤変換が高い頻度で混じっている場合、「作者は大したヒトじゃ無かろう」って、勝手に引導を渡してしまいます。徐々にそのヒトの文章を真面目に読まなくなる。また逆に、投稿が数十文字程度なのに、誤変換を放置できる方もいらっしゃいます。ある意味尊敬します。
私が本当に好きで読んでいるサイトには、基本的に誤字が無いです。
読み直しや推敲、誤字の訂正をしないで披露するんだったら、文章なんか世に出さない方がマシだと思うのです。ブログってのは「毎日更新しなけりゃならない」ってもんじゃないと思うのです。ま、ヒトそれぞれの考え方があるでしょうけれど。
「ああ、今日の更新が終わっていない。急がなきゃ」ってコトで、誤字のチェックもそこそこに(あるいは、文章を読み直しもせず)「投稿」をクリックしちゃってるのがバレバレなサイトを見ると、何だか可哀想になってしまいます。
「器用貧乏」ってコトバが頭に浮かんでくるから。
「"ゆとり教育"ってヤツは成功なのか失敗なのか?」みたいな記事の元ネタに当たってみた。
平成17年度高等学校教育課程実施状況調査
http://www.nier.go.jp/kaihatsu/katei_h17_h/
その「調査結果」は、私の勤め先にも送られてきた。その理科4分野(物理・化学・生物・地学)について、一通り目を通してみた。全般的には「毒にも薬にもならない」文言が延々と綴られていた。
この調査を行ったのは、以下の団体らしい。
国立教育政策研究所
上記サイト内には様々な文書があった。情報量こそ多いものの「使えるのかどうか?」って点では、非常に疑問を感じた。
税金の無駄遣いじゃないかって思えた。
で、前述の調査結果には「設定透過率」って語句が何度も出てきていた。聞き慣れないコトバだ。各設問ごとに「50%」とか「65%」とか、事細かに設定されていた。で、「毒にも薬にもならない"調査結果"」では、「設定透過率を上回った」とか「下回った」とか「同程度」だとか、やたらとその「設定透過率」に関しての文章が多かった。
で、その「設定透過率」とは何か?
http://www.nier.go.jp/kaihatsu/katei_h17_h/h17_h/05001000040007001.pdf
から引用。
[設定通過率]
学習指導要領に示された内容について,標準的な時間をかけ,学習指導要領作成時に想定された学習活動が行われた場合,個々の問題ごとに正答,準正答の割合の合計である通過率がどの程度になるかを示した数値。
そんなの、単なる問題作成者の「これくらいは当ててくれるだろう」って「勘」に過ぎないじゃん。その「勘の検証」を延々延々…(以下繰り返し) 行った文章が作成され、その一部が私の職場に送られてきたわけだ。やはりあの報告書は、単なる「壮大な無駄」以外のナニモノでもないのだ。
国家公務員I種の志願者が減ったとかいう新聞記事を見た。
本当に私が不思議に思うコト、いくつかある。
「みんな、定年まで勤めればいいじゃん」
「採用時から人数を絞れば良いじゃん」
「天下りに依存したシステムはやめちゃえばいいじゃん」
で、浮いたお金を教育や医療に回せばよいのだ。教師や医師の労働条件の悪さは改善すべきだ。ってか、残業という概念が無いのだもの。
別に私の給料を多くしろというわけではない。教育従事者や、医療従事者を増やし、長時間労働の改善をして欲しい。
身代わりに、ワケの分からない「財団法人」をバンバン潰せばよいのだ。良く新聞に出てくる「第三者機関(の創設)」なんて、単なる「役人の天下り先確保」だろ! そんな存在、いらねーっつーの!(怒)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070426ia25.htmから
道徳教育、教科で教えるべきでない…中教審会長が発言中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の山崎正和会長は26日、東京・内幸町の日本記者クラブで記者会見し、教育再生会議が検討している道徳の正式教科化について、「道徳は教科で教えるべきではなく、教師や親も含めた大人が身をもって教えるべきだ。科目として点数をつけ、教科書を使う教科とすることは無理があると思う」と述べ、否定的な見解を示した。
山崎氏は「中教審会長としては、委員の議論に耳を傾け、多数意見を文科相に伝達するだけだ。議論をリードする気はない。あくまで個人的な意見だ」と断った上で発言した。
さらに、山崎氏は「現在の道徳教育もいらないと思う。現在の学校教育で『内面的な価値』である倫理の教育を行うのは無理だ。国の決まりはこうなっているという客観的な順法精神を教えるべきだ」と持論を展開した。
(2007年4月26日23時33分 読売新聞)
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20070426AT1G2603426042007.htmlから
山崎中教審会長「道徳・歴史教育は不要」
中央教育審議会の山崎正和会長は26日の日本記者クラブ主催の会見で、個人的な意見と断った上で「価値観が多様化する中、倫理的問題は学校になじまない。道徳を学校で教える必要はないと思う」と述べ、道徳教育は不要との考えを示した。歴史教育についても「我が国の歴史はこうだったと国家が決めるのは間違い」と強調した。
政府の教育再生会議は小中学校で道徳を「徳育」として正式教科にすることを検討している。中教審の審議は学校教育のあり方に深くかかわるだけに、発言が波紋を投ずる可能性もある。
山崎会長は「社会の価値観が多様化する中、決着のつかないことが多い倫理的問題は学校になじまない」と指摘。妊娠中絶や、勝者と敗者を生む競争社会など是非をめぐって意見が割れる問題を例に挙げ「点数を付けられるものでもなく、学校で簡単に教えられない。代わりに民法や刑法などの順法精神を教えればいい」と持論を述べた。(23:00)
遙か昔の大学生の頃、小学校の教育実習に行った際、指導教諭としてお世話になった中村享史先生はおっしゃった。
「道徳は、悩ませるためにあるのです」って。
真面目な実習生だった(ホントかよ?)私、授業というものは、全ての教科に於いて「予定調和」だと思ってた、それまでは。
内容は忘れたが、授業で扱われたのは「妊娠中絶」でも「競争社会」でも無かったことは確かだ。何しろ小学生向けの内容だった。でも「最適な答えが見つかりづらいような状況」について、生徒に意見交換させる授業だった。「国立大学附属小学校に来る優秀な生徒達」が討論してました。答えは出ませんでした。
なお、中村先生は数学が専門で、「等分除」と「包含除」の違いを教えて頂きました。あれは勉強になりました。
この文章を作成してて思ったのですが、なんだかんだ言って、「教える」ってコトに集中していたのでしょうね、自分自身が。
私は結構真面目な学生だったのかも…
教育再生会議っていう「胡散臭い会合」が、「道徳を"数値化しよう(評定を出そう)"ってノタマッたコト」に疑問を感じていた私です。
「ポッと出」の「教育再生会議」よりも、「法に則った存在」である「中央教育審議会」の方が、「役者も意識も数段上」というコトなのでしょう。別に「中教審」を手放しで褒めるわけでは無いが、何しろ面白い新聞記事であった。
「山崎正和」ってヒト、今後もチェックしていこうと思った。
私は新聞記事に釣られたのか?
私は「和民って居酒屋」に客としては行く。が、従業員にはなりたくない。
また「和民高校」には従業員としても、生徒としても行きたくない。