27,28日の天津は快晴だった。
その前の2日間は、ほとんど朝から晩まで霧の世界だった。
やはり、霧よりは晴れているほうが気分が良いのである。
霧は本当に洒落になってなかった。日本の基準ならば、1km先が見通せなければ「霧」だったように記憶している。って、いい加減にしておく理由もないから、ちゃんと調べてみた。気象庁のページより引用。
http://www.kishou.go.jp/know/yougo_hp/kori.html
霧 微小な浮遊水滴により視程が1km未満の状態。
濃霧 視程が陸上でおよそ100m、海上で500m以下の霧。
25日の夜、天津市内をタクシーで移動した。一番霧の濃い場所では、前を行く車のテールランプもぼやけていた。「視程」は20mも無かったのではないかと思われる。完全なる「濃霧」であろう。
ところで、私が「濃霧」という言葉を知ったのは、耳からだった。ラジオの天気予報から。
私が小学生になったかならないかの頃だと思われる。住んでいたのは茨城県千代田村。両親の実家は東京都豊島区と茨城県古河市だった。週末は両親の実家に車で移動することも多かった。
日曜夜、自宅へ戻る車の中では、よくラジオが流れていた。そして、天気予報がよく流れる。
「茨城県南部には、"ノームチュウイホウ"が出ています」というフレーズをよく聞いた記憶がある。湖や川も多く、霧が出やすい地形だったのだろう。
小学生の私は「チュウイホウ」は何となく理解できるのだが、どうしても「ノーム」の意味が分からなかった。また、何となく「ノーム」という響きが北欧を想起させるのであった。「ノーム」が「濃い霧」であることを知ったのは、確か数年後のことである。
って、またまたネットで改めて調べてみた。
私は、百科事典で「ノーム」を調べたらしいことに、約30年ぶりに気づいた。
多分、私は「濃霧」ではなく、「Gnome」の項を見てしまったのだろう。
Gnomeの説明文と、「ノームチュウイホウ」の「ノーム」が一致しないらしいことに、幼い私は納得がいかなかったのだろう。
頭の中には、妖精を生み出した北欧のイメージだけが、澱として残ったのだろう。
そして今日、この文章として結晶したわけだ。
つまらない結晶ですけど。