バイク転倒話、もう少し詳しく記しましょう。
はっきり言って、死んじゃってもおかしくない状況だったと思いますね。
転倒時、シャツ両胸のポケットには陶製の湯飲みが2つずつ入ってたのですが、転倒時に砕け散ったようでした。しかしながら、幸運なことにその破片、特にどこにも刺さったりした気配はありませんでしたね。で、転倒後しばらくぶっ倒れて天を仰いでいました。空を覆う松の木を眺めていたのは何秒間なのか、あるいは何分間だったのか、何を考えていたのか、何も考えていなかったのか...。今となっては分かりません。
で、夜空を見上げるのを止め、立ち上がろうとしました。が、うまく立てませんでした。右足に力がうまく入らないのですわ。膝を相当痛めてしまったみたい。
今だからこそ笑って記せ?ますけど、その時は相当動転していたわけです。足を引きずりながら、とりあえずその湯飲みの破片を回収しました「他の車がパンクしちゃいけない」って。謎な行動ですな。ま、現在でも私は「あやしい」らしいから、結局のトコロ「普通」の行動だったのかもしれない。意味不明。
で、次に吹っ飛んだ靴を回収しました。コンバースのオールスター、その紐がことごとくすり切れていました。とりあえず、それを足先につっかけましたね。履いていた黒のリーバイス501の右ひざは抜けており、そのウォッチポケットも剥がれ落ちかけていました。コーデュロイのシャツとその下に着ていた綿製ハイネックは肘の部分まですり切れていましたね。
出血部位はどれも擦過傷の様子でした、よく骨折しなかったものだ。これは部室に帰ってから確認したのですが、右目の横と右肘下2箇所、右手首、右膝2箇所から流血してましたね。さらに後から思ったのですが、膝の靱帯は何本かぶっちぎれたのでしょう。
で、借りたバイクを確認しました。エンジンはストップしていました。バイクを立たせ、またビビリましたね。前タイヤの方向とハンドルの方向が違っちゃってるんだもの。相当本気で転んだことに気づきましたね。1万円札に羽が生えて飛んでく姿を見たのはこの時が最初で最後であります、現在のところ。
くどいですけど「飲酒」してましたから、どの程度の転倒だったのか、そのトキはいまいち把握できていなかったのですな。鉄が歪むくらいの衝撃があったこと、その時にやっと気づいたのだった。
ギアが入ったままだとバイクを転がせないのでニュートラルに入れ直し、痛む足を引きずりながら学芸大構内でバイクを押して歩いたのですね。少なくとも30分くらいは時間が掛かったはずです。そう、あれは1990年12月。
「あいつ、遅せえなぁ」ってコトで私の探索に赴こうと、寝込んでしまった酔っぱらい1人を置き去りにして部室の扉を開けた酔っぱらい2人は、バイクを押す血みどろの酔っぱらい(私)に出会ったのでした。向こうも相当ビビッたそうです。
日本もイラクへの戦争協力を拒否するコトは無いのだろうか?ドイツやフランスのように。
まさに今この瞬間(私の文章作成・あなたの閲覧時)にも地雷の製造をしてるヒトがいることが不思議。「労働」って何なんザンショ?