相対的幸福

私がただ何となく(良く言い換えると「自身の命の存続を意識せずに」)生きてい(られ)る間にも、知り合いに子供が産まれたり、顔とナマエを知っているヒトが死んだりした、らしい。
そんなアタシゃ「自分が生きている」というコトを認識できること自体が、相当に幸福なのではないかと思ったりした。
例えば、噂に聞く「下水管内に住まう子供達」。あるいは、私が想像するところの「何となく兵器を作り続ける労働者」の存在に比較すれば。
しかし、こんな作業(この腐れ日記執筆)自体が不健康であることも疑う余地はない。

ここにあるのは2002年5月21日 21:00の日記です。

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