今日は凄まじく良い日だった。昨年末からの目標としてきた「文大杉並高校ソフトボール部都大会出場」が達成されたので。ソフト部顧問となってから、今日が一番嬉しかった。自分の高校時代における合唱部の活動に匹敵するくらいの喜びが得られた。
試合後はもう一人の顧問のセンセと祝杯をあげた。帰路のバスに乗っても喜びを反芻していた。電車に乗ったトキ、ふと思った。私は何を思ったのか?
非常に教員臭いというか、胡散臭い話?になるのであるが、「私や部員達がソフトボールという競技をしている間に、世の中ではどれくらいのヒトが餓死したのだろうなぁ?」なんて思ったのであります、嘘じゃないすよ。スポーツをできるということ自体、非常に幸福なのでしょう。それを忘れてはならないのだなぁ、とか思ったりした。そんな喜ばしい今日のこの日。
2002年5月アーカイブ
昨日に続き、ソフトボール部絡みのネタ?を記す。
過去の卒業生のカタガタの名誉のために補足しておきますと、勤め先のソフトボール部の都大会出場ってのは大して珍しいことでは無いのです。過去数度、都でベスト16くらいまでは上ったことがあるのです、ただしそれは監督が私ではなかった頃のハナシ。
私が日野在住の50過ぎのヨッパライ(名誉毀損?いいえ、単なる事実)から監督業を引き継いで以来、この2年くらいは都大会へすら進出できなかったのですな。
昨年秋、多摩地区のとある学校のソフトボール部顧問である、やはり50過ぎの(知る人ぞ知る?)ヨッパライのTセンセなるヒトから、「オガワちゃん、しっかりやれよ。最近弱えーぞ。目標持ってやってんのか?」と言われたのです、練習試合後の飲酒時。確かにそれまでは明確な目標を持ってブカツの指導に臨んでいなかった気がします、「(それぞれの生徒がそれなりの)全力を尽くせれば良いだろう」くらいな感じで。
「都大会に出るのだ」と生徒に言い放ち、目標にしてきたこの数ヶ月でありました。
そんなワケなのです。うーん、モロに日記だ。
くだらなすぎるような、でもそれなりに笑えるようなハナシ、こんなページを訪れてくれるあなたに贈るッスよ。
午後7時過ぎ、普段よりは早めに職場を退出した。作りかけの試験問題と教科書・ノートその他を持って。
世の常・人の常でありましょうか?やらなければいけないコト(試験問題作成)をさておき、CD屋と書店を巡ったのでした。
買ってきたCD(3枚中の1枚)を再生しつつ、飲酒しつつ、買ってきた『週刊アスキー』を読んでいた。
最初のページから真面目に読み進み、「福田有宵先生の誕生月占い」にたどり着いた。
そのページには5/7→13と書いてあった。
???今日は5月16日???なのに。
何故に型落ちの週刊誌が書店に置いてあったのだろうか?
私の見る限り、『週刊アスキー』はこの1冊しか見あたらなかったノダ。
私が『週刊アスキー』を買う理由の1つは『カオスだもんね!』を読むためであったりする。その型落ちの雑誌が扱ってた「大谷石採掘跡地見学」、私の幼かりし頃の記憶を蘇らせてくれた。あの空間に気が向いたら行ってみようかと思わないことも無いが、多分行かないだろうね。ただ、小学生の私が夏休み恒例だった父方の親戚旅行で「大谷石採掘跡地」を訪れたときの印象は未だに私の中に残っている。「大谷石」ってのを卒論で扱ったのも、その時の強烈な印象が(実験材料である石の選定に)影響を及ぼしているのであろうと思います。
私がただ何となく(良く言い換えると「自身の命の存続を意識せずに」)生きてい(られ)る間にも、知り合いに子供が産まれたり、顔とナマエを知っているヒトが死んだりした、らしい。
そんなアタシゃ「自分が生きている」というコトを認識できること自体が、相当に幸福なのではないかと思ったりした。
例えば、噂に聞く「下水管内に住まう子供達」。あるいは、私が想像するところの「何となく兵器を作り続ける労働者」の存在に比較すれば。
しかし、こんな作業(この腐れ日記執筆)自体が不健康であることも疑う余地はない。