沈丁花薫り 春感ず
2002年3月アーカイブ
パソコンって何時の間にやら調子が悪くなりますよね。そんなわけで昨日はルータのファームウェアのアップデートを行ったのです。ネット接続の調子が戻りました。
本日のソフトボールでは3打数1安打、レフトの守備でのエラーもなかった。まずまずの結果であります。ま、唯一の安打は相手一塁手のエラーと言えなくもないのですが、足元への鋭い当たりだったので安打ってコトにしておきましょう。あんな方角へ自分の打球が飛んだのは初めてだったので、自分でもビビッタ。恐らく芯で捉えていたのでしょう、気がつけば一塁手の足元を抜いてましたので。
私が野球をやってる上での強みは、特に実績・自信がないということなのですな。中学・高校時代に野球をしていたわけではないので、現在ソフトボールをしていても「何だオレは!こんなにも動けなくなったのか!」っていうふうに落胆することが無いのです。齢参拾を超えても徐々に進歩しているような気がするので楽しいのでアリマス。
定期試験の問題作成は面倒くさい。
私が問題作成にアタマを悩ます、その瞬間にも愛国心?のため命を捨てるヒト、そしてそのとばっちりを受けるヒトがイスラエル近辺ではいるようである。
また、この瞬間にも「発展途上国」ならずとも餓死するヒトもいるはずである。世界は広い。日本のマスコミの報道を見てその全てを把握している気になってはいけない。とりあえず、身の回りのヒトビトと仲良く暮らしたいと思う私なのであった。
同時多発テロから半年経ったらしい。「アメ公(あえて記す)」の一部が自社商品(兵器)の消費拡大を喜んでいるだけだ。と「ジャップ」である私は見ている。
ま、このクニ日本でも、フランスでも、イギリスでも、私が名前を聞いたこと無いクニでも、そういった消費拡大の喜びを感じているヒトはいるのであろう。「やったー、私が作っている兵器が使われてるョ。これから忙しそうだ。給料も上がるカモ、うふふ。」ってなヒトが。結局、「世の中はカネ」なのでしょうか?「愛」は何処?
もしかして「ヒトの殺し合い」=「地球への愛」?
阿佐ヶ谷の東急ストアにしろ、西友にしろ、大丸ピーコックにしろ、ミョーに買い物袋をくれると思っていたのです。「そんなにサービスしてくれなくても良いのに。そんなにサービスしたくなるほど、私は男前なのか?ふふ、儂も罪作りな男よ。」なんて。
今日、閉店間際の東急ストア(何故東急ストアを使う頻度が高いのかといえば、大学時代に大変に世話になったヨッパライの先輩が東急百貨店に勤めているからなのである)でこう聞かれた。「袋は二重にしますか?」と。
別に私が男前だからポリ袋を余計に貰えたのではなく、持ち運びの袋を二重にしたいという要望を持つ客が多かったから、それらのスーパーは袋を多めに配布していたらしいことを知った。そういえば、他の人が貰っているポリ袋も基本的に多めだったような気もする。
たまには多少笑える話を書かねばと思い、記してみた。
苦節4年半、とうとう解放された。新聞屋さんから貰った洗濯用洗剤から。
この地へ越して最初の数ヶ月、とりあえず新聞を色々替えてみた。大体3ヶ月ごとに朝日・読売・毎日あたりを購読した。日経はそんなに勧誘に来なかったし、産経についてはあんまり良い印象も持ってなかったから、購読したいとは思わなかった。豊島区の実家?では東京新聞が de facto standard だった。何で、『東京新聞』だったんだろうか?今までも何度か謎には思ったが、その理由をとことん突き詰めて訊ねたことはなかったですねぇ。ま、安いですけどね。
その新聞放浪旅の結果、貢ぎ物としての洗剤を多量に頂いてしまい、一時期は布団を敷いたり食事をするスペースにも難儀した時代もありました。なんて嘘。
で、ここ2年と4ヶ月は、意図的にアサヒシンブンを購読しているのですな。あの「変なニイさん達」がやってくる新規の契約?もしないから、洗剤も収集できない。んな訳で、やっと前回の洗濯でそれらの洗剤を使い切りました。
本日の洗濯では、自らの意志で購入した洗剤を初めて使うことができたのです。洗剤(石鹸)も、買うとなると色々悩みますね。阿佐ヶ谷は「パールセンター」のマツキヨで、5分くらいかけて選んだ洗剤を使用し始めました。
で、最近気になるのは、新聞会社・新聞販売店の収支についてです。3000円チョイで毎日読み物が届けられるってのは、読者のこちらとしてはありがたいのですが、配達している「マジメな兄さん姉さん達」は過労状態ではないのか?とか。この新聞購読も「搾取」なのかしら?ま、どんな場面(ワタシの生業?も含む)であれ、金銭の授受が存在する時点で何らかの搾取が生じているのだろうねぇ、なんて最近の私は考えるのだった。
春分の日(Vernal Equinox Day) を過ぎた。地学(天文学)的には「太陽が春分点を通過した日を過ぎた」というトコロか。今年の春は暖かい。
「暑さ寒さも彼岸まで」という諺があるが、その英訳を今日知った。Neither heat nor cold lasts beyond the equinox. だってさ。このコトワザは誰が言い出したのかと疑問に思い、少しネット上を漁ってみたが、分からなかった。日本(京都か江戸?)あたりで使用され始めたのだとしたら、そんな例文が『研究社英和中辞典』に載っている時点で、日本における英語って学問の閉塞状況を示しているのではないかと思った。このクニの英語教育が「無闇矢鱈に英語化したニホンゴを覚えさせようとする机上の学問」であることを示す好材料となろうて。
じゃ、何で equinox なんて単語を知っているのかといえば、それは今は亡きL⇔Rの歌の題名にあったからだったする。で、暦の上でも新年を迎えたわけだし、焼酎を「お湯割り」から「ロック」にしよっかな、と冷凍庫を覗いたところ、数ヶ月放っておいた氷が昇華し、見事な自形の結晶が冷凍庫内の氷ストッカー近辺で形成されていた。結晶って美しいですよね、少なくとも「Neither heat nor …」って文字列よりは格段に。
花曇りというのだろうか、寒い日が続いている。ま、「クソ寒い」と感ずることはこの冬などはあまり無かったのですけど。阿佐ヶ谷の地でヒートポンプを用いた冷暖房(俗にいうエアコン)とは訣別している私でもあるし。
そんな私は、野口建とかいうヒトの行動は理解できるものの、そんなあほらしいコト(あさひこむ曰く「(エベレストの)標高5300~8300メートル間に残されたボンベやテント、残飯などの回収」)なんて、金輪際やろうとは思わないスね。
恐らく、人類が滅亡してもそれらのゴミは人類に影響を与えることなく存在し続けるのですよ、核や地雷や遺伝子組み替え食品や抗生物質や・・・・・(以下略)等とは違って。「違いの分かる男」というよりは「妙なこだわりを持つ男」と表現すべきだったのだ、ネスカフェ(現ネスレ)はね。
教員に「自ら学び、自ら考える」児童・生徒を育たせようとする前に、バリバリの公僕である政治家全てが「自ら学び・自ら考える」ようになって欲しいと思う。先達(先輩議員)の痴衣(自分らが作ったハズの法を犯しているような下らない知恵)の数々を借りなくて済むように。