今朝方、というよりも昨晩に起こった新宿歌舞伎町の火災、九分九厘「防火管理者講習」用のテキストのネタになりますね。チナミに「防火管理者」ってのは「すんごくアヤシイ」資格なのです、私も以前に日記に書いたように今年の2月頃取得したのですけど。
私は財団法人ってヤツで、「これは素晴らしい!」ってのは知らない。基本的に役人の天下り先だろうから基本的に見下している。恐らくその財団でも真面目にやっているヒトもいるだろう。場末の飲み屋で「うちの法人って、意味があるのかなぁ?俺タチゃこれだけシゴトがあるのに、あの××理事は暇そうだ!いったい何なの?でも働かないと給料もらえないしね・・・・・、もう一軒行こっ!」ってなオッサンが。
しかし、悲惨な事故でしたね。総合防災訓練が霞んでしまった。自衛隊との合同訓練はどうなったのだろうか?石原慎太郎は「何でうちの訓練を取り上げてくれないのだ!」と怒っているのか、「しめしめ、みんなが知らぬ間に自衛隊と訓練しちゃったもんねー」と思っているのか?私は前者であると思う。東京近辺のカメラは新宿に集合してしまったため、横田基地とかのカメラ密度は当初の予定より低下したはずだ。
2001年9月アーカイブ
リンクの色使いを変更し、ページを多少見やすくしてみた。そんな私はプロジェクトXが嫌いなの「だった」。その理由は前述(今年6月5日)の通りなの「だった」。
何で外務省のヒトビト(ま、一部であるのでしょう、と祈ります)はあれだけ税金を無駄に使えるのだろうか、と考えてみた。あいつらは、ヒトにペコペコされることはあるものの、ヒトに感謝され、その微笑みに触れる機会が少ない人生を送ってしまったのではないかと思ったりした。だから、どんどん荒んでいった。落ちるところまで落ちていったのであろう。「罪を罪と認識できて良かったんじゃない?」と祝辞を送る。
ヒトは「『人の役に立った』と自己満足したい」が為に生きているのではないかと思っている。そんな私は、リアルタイムにその感覚が味わえそうな職業として「教師」を選んだわけだ。
常時接続になって、暇つぶしに見ているのが「ネットニュース」である。ご存じない方に一応説明すると、ネットニュース=「全世界的な掲示板(BBS)みたいなもの」ですな。
この世には、数千あるいは数万?ものありとあらゆる怪しいニュースグループが存在するらしいのだが、私がストレスなしに使えるのは日本語とその亜種(酔っぱらい語)なので、日本語での利用になってしまうのだった。もっぱらリードオンリーですけどね。
科学系のニュースグループ(fj.sci.*)とかは結構楽しい。私が使っているソフトは悪名高き?Outlook Expressなのだが、他のニュースリーダーを使ったことがないので、このソフトが使いやすいのかどうかはよく分からない。
時間差をおいて同じビルに飛行機で突っ込むなんて、すごいセンスであると思う。常人である(つもりの)私にはとても考えつかない。チャレンジャー号の爆発・菊間アナウンサーの転落を何故か生中継で目撃した私であるが、今回のNHKの映像も衝撃的であった。たまたま合わせたNHK総合でビルが燃えているので見ていたんだけど。
オウムの地下鉄サリン事件(霞ヶ関に同じ時間に到着する地下鉄を狙ったと聞く)も思いだした。
明日の朝にはもう少し何かが判明しているのであろう。
そして、今もNHKを見ているのだが、ニューヨーク証券取引所が中継されている。「ダウ平均?」株価は下がりつつあるようだ。「ビンラディン氏が(テロを見越して)再保険会社の株を売った」という情報もあるらしいが、それは「アウトサイダー取引」と言うのだろうか?賢いヒトだ。テロ活動を画策するような情熱は、よほど虐げられなければ生じないのではないだろうか、と思う。本当にビンラディンというヒトがテロの首謀者なのかどうかは分からない。今回のテロの被害を被ったアメリカ合衆国という国が暫定的に設けた首謀者が「ビンラディン」であるだけであり、今回のこの騒動は突き詰めればこの宇宙の起源に端を発するものであるのかも知れない。
証券市場情報を「マーケット情報」などと日本放送協会が宣いだした日(かなり昔ではあるけど)には、違和感を覚えた。「株価情報」って言うならまだ許せるのだが、今でも私は違和感を覚えている。
大体、「市場」という存在自体がアヤしいものなのだ、多分。市場(いちば)は搾取の元凶であろう。かといって、私自身は「自給自足生活」を試みるほど先進的?でもなく、結局この世界という巨大な市場で働くのであった。虐げられているという感覚をさほど持たずに済みながら。
いつかその日が来るであろうコトは予想していた。そしてその日は来た。それは昨日のこと・・・
お勤め先の学園祭の2日目の朝、オガワマサキ(30)は前日から考えていたとおり、麻の交じった生地でできたスーツを手に取った。スーツを着る回数が年々減り、入学式や卒業式、保護者会や学校説明会など、学外の人に接するときくらいしか袖を通さない昨今であった。完全に秋の気配であるここ数日、買ってからほとんど袖を通していない3ボタンスーツ。今シーズンは今日以降着る機会が無いであろうと、埃よけにかけてあったクリーニング屋のポリ袋を破ろうとしたとき、厭なものを眼にした。
カブトムシの幼虫の20分の1模型のような小さな虫と、その抜け殻らしきものがスーツの左胸のあたりに存在していたのだ。
簡単に言うと、「虫に食われた」のであります。今までは運良く、大した害を被ったことは無かったのですが、見事に侵蝕されていました。麻混のウールってのはおいしいのでしょうかね?同じ虫は紺のダッフルコートにも居たのですが、そいつは非常に厚手だったせいもあるでしょうが、被害を受けた形跡はありません。その薄手のスーツのパンツは面白いくらいに穴があいていました。ジーンズも、裾がすり切れているのは許せるのですが、ひざの抜けたジーンズは一生涯履くつもりはない私ですので、その直径数ミリの穴がポツポツ空いたパンツ、速攻処分しました。
救いだったのは、その日は感動するくらいに空が青かったことです。その前日も風が強かったから、空気中の塵が一掃されていたのでしょう。まあ、スーツを失った悲しみが私に空の青さを再認識させただけなのかも知れませんが、文化祭の天候としては申し分のない空でした。明日は体育祭であります。空の下で行う方が健康的というか、馴染みが深い気がするのですが、校庭が狭い関係上、東京体育館で行われるのですな。「暑さ寒さも彼岸まで」ってのは「病は気から」くらいに印象深いことわざ?であります。そんな秋。
「情けは人のためならず」というコトワザがある。「情け」なんて恩着せがましい気がする。「愛は人のためならず」だったらすこしは妥当な表現である気がする。
「アメリカは銃(武器)によって発展した国だから、その繁栄の結果としてテロを誘発する」のではないかと最近思う。戦い続けたツケがここへ来て反動(テロ)として現れているのであろう。「日本はメチャメチャ素晴らしい国である」という認識は無いが、私が生まれた国であり、仕方なく此処に生きている。かといって、別の場所で生きようと思ったりしたこともない。
アメリカのヒトの多くがテロリストに対して「戦おう」と思うことは仕方ないのかも知れないが、それの軍隊を支援すると公言する日本という国はどうなっていくのだろう?この国がイスラム原理主義者のテロルの標的になることは間違いないであろう。では、憲法九条に従って・・・と言っても、警察予備隊を作ろうかどうしようか?という現場にいたわけでもないですし。私は知らぬ間に米軍基地のある国に生まれたわけだし、問題は複雑で目を逸らしたくなってしまう。
「(日本の)若者は刹那主義的に過ぎる」という近年の指摘もあるが、あれは私に言わせれば「片腹痛い」。日本と云うクニについては政治家自ら刹那主義(国債・支援の乱発)に走っているではないか。「とりあえず」私は存在する。