ペルーのフジモリ大統領、人相が悪くなったような気がした。
自分の人相の変化はよく分からないが、一昨日、昨日と久々に実家に帰ったときに、たまたま目にした「幼い頃」の写真に比べると確実に老けている。自分のことなので『相』が悪くなったのかどうかは判別できない。悪くなっていないつもり。
2000年9月アーカイブ
「教育改革国民会議(誰それ?)」言うところの「奉仕活動」が強制されたら、その活動は「奉仕」とは言えないだろう。
と、ここまで書いたものの『岩波国語辞典』で調べたら、「奉仕:(1) 国家・社会や目上の者などのために、私心を捨てて力を尽くすこと。「勤労―」」ということらしい。今までは「奉仕=ボランティア」と漠然と思っていたが、辞書が正し(?)ければ、「奉仕」は「volunteer」ではなく、「走狗」となることであるらしい。
てなことで、「なんとか会議」の言いたいことはさらにハッキリした。
私に言わせれば、単なる戦中世代のノスタルジアに過ぎない。
チナミに、私は10年近く前に教員免許を取得したが、「ボランティア活動」が必須となる前で良かったと心底思っている。今思えば、教育実習の担当教諭にも存分に迷惑をかけたし。
本日は文化祭の初日である。時計では土曜日だが、金曜深夜に記している。文化祭てのはいいですなぁ。非日常。
前回の日記には「ましてや、ボランティア活動など・・・。」と続くところを省略している。ボランティアとは「何ぞや?」という気もするのですな。家族や友人と仲良く暮らし、職場のヒトビトや近所のヒトビトとも良好な関係を築いているヒトが、ボランティアをするなら良いような気がするのだが、現実はどうなのだろうか? とりあえず、私は身近な人と仲良く過ごしたいと思いながら日々生きている。そういった優しさが繋がっていけば、世界中幸福になるはずだ。理想論だけど。
もちろん私は「モノゴゴロ」ついてから募金をしていない。「『見知らぬ困っているヒト』を助けようと企画している見知らぬヒト」の手下たち(駅前で声を枯らしている、お疲れさま。)にお金を渡すという行為はしない。無視無視。声を枯らしている彼らには悪いが、どうしても「エネルギーの浪費」という気がする。青春だねぇ。貧困に陥っている国には何らかの原因があるはずだと思うので、ジャパンマネー(?)によってその国に暮らすヒトビトを助ける、ってのは対症療法に過ぎないと思う。例えば「ユニクロ」の服を着ることや、エビの天ぷらを食うこと自体が搾取に当たっているのかも知れないし。
国内においても「助け合い運動」とかあったりするけど、私から奪い取った税金を回せばいいだけだと思う。
てことで、夜が明ければ2日間の浪費活動が始まるのですな。
祭りが終わり、寂しい感じがするので、このページは「虚脱編」と名付けてみました。
特に意味があるかどうかは分からないのですが、32KBを目安に本文を作成しているのであります。あなたのパソコンにクラスタギャップを作らないように。ホントかいな?
と、ここまで書いて前回の「混沌編」を見てみれば32KBを越えていることに気づきました。まあ、いいか。
ソフトボール日本チーム、すごいですなぁ。来年、たくさん部員が入ったらいいなぁと思うのでした。
(「虚脱」とか「混沌」とかは、旧サイト時のページ名です:2006年4月記す)