2025年9月アーカイブ

毛のスプレーと美容整形と人生

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多分、2週間くらい前ですね、上の文字列を「(ステキな内容の)日記のネタ」としてスマホにメモったのは。
で、9月も半ばを過ぎ、「日記を書かない気持ち悪さ」もいよいよ募ってきました。このサイトには「月間アーカイブ」がある手前、最低でも月に1つは記事を書かねばならない気がしている。ってか、そもそも全然「日記」じゃなくて「週記」か「旬記」ですけどね。

2週間前は「ステキな日記のネタを思いついた!」と思ったはずだけど、寝かせておいたら当時の風味(?)が曖昧になってきた。でも、無理やり書く。もうすぐ9月下旬だから。


その概ね2週前の通勤途上、自宅近くで「地肌にスプレーで毛髪(粉末)を盛ってて、私には違和感しか感じさせない人物」とすれ違った。
多分彼は毛髪増量の「引き際・撤退戦の進め方」が分からなくなっているのだろう。あるいは「スプレーでの毛髪増量」が「日常」になり過ぎていて、「『フェイク頭髪』からの撤退・フェイドアウト」という概念すら持ち合わせていないのかも知れない。

でも、その「悲しさのようなもの」は「傍目に感じられる」だけであり、本人は何も思っていない可能性が高い。
私も似たような愚かな行動(=ほぼ無意味な習慣)をしている可能性はあるだろうことを思った。具体的には思い当たらないけど。ま、思い当たったら、自身の行動を改善しているだろう。
なお、禁酒は微かに考えるけど、実行に至ったことは無い。


で、その「毛髪増量の悪あがき」を目にした私の脳は「芸能人の永遠に続く顔面修正」との共通点を見出したのである。

私は整形をしたことはない。する予定もない。
で、「整形で顔が変わり続ける芸能人」ってのは、毛髪を増量する彼と同様、そもそも「ゴール」を定めていないであろうことに思い至った。


人生というものに、ゴールはない、と思う。多分そもそも、生きることにほとんど意味もない。でも、人は変化あるいは改善を続けて(いるつもりで)生きているはずだ。と、私は観察している。

多分、そういった意味(?)で、芸能人の美容整形は永遠に続く・続けるしかないのだろう。
以前は「整形し続ける芸能人」を不思議に思った私だが、人生と整形はゴールがないから(本人には)面白いのかもな...


とか、2週間前の通勤途上の10秒に考えたのでしたm(_ _)m

山下達郎『僕の中の少年』

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28日の日曜日、家事をしている際、radikoのタイムフリーで「最も意図的に聴取しているラジオ番組」である、 TOKYO FM の『サンデー・ソングブック』をタイムシフトで聞く。ま、「意図的に聴取」と言っても、月に2回程度しか聞いていない気もするけど...
で、達郎氏は「先週は『僕の中の少年』のアナログ盤再発に当たり云々...」と仰っていた。「ベタリク(ベタな曲リクエスト特集)」よりも、そちらを聞かねばならない。私が一番好きなアルバムであるから。

ギリギリ聞ける状況だった。
radikoで2周半聞いたら、期限が切れてしまいました。radikoで同じ番組をここまで聴いたことは無いな。課金すれば一ヶ月前まで聴取可能らしいけど、そこまでは不要かな...

聞いて面白かった・良かったと思ったこと。

"GET BACK IN LOVE"はキーが「Gフラット」なので、イントロのピアノがめちゃめちゃ難し(いらし)く(プロでも?)弾けない人もいる。(達郎氏に身近な)坂本(龍一)君や難波(弘之)君は弾けてしまうけど。
"新(ネオ)・東京ラプソディー"作成に際して、(曲中でも一部引用されている)"東京ラプソディー"の使用料を(作曲者の故)古賀政男財団(?)へ払おうとしたら、吹っ掛けられた。でもうまく値切った。
"蒼氓"を愛する方が多いようで嬉しい。作った甲斐があった。

今ググっていて知ったのですが、Wikipediaを見る限り"東京ラプソディ"にも、その「元ネタ?」となった曲があるのですね。面白い。

また、おたより投稿者(女性)の息子(当時中学生)さんが、「蒼氓はいいな」「『僕の中の少年』のジャケットが一番良い」と当時言っていたと。私も同意しますm(_ _)m


私が達郎氏のアルバムで最初に買ったのは(当時の最新作であった)『ARTISAN』だ。"さよなら夏の日"のカラオケ歌唱を聴いたので、達郎氏のアルバムを買おうと思ったのである。
そこから時間を遡って『僕の中の少年』を買ったはずだ。

カテゴリ「山下達郎」作った。

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