初等中等教育段階での「探究的な学び」を否定する

「ひやっしー」という装置があるらしい。
大雑把に言えば「エネルギーを無駄に使ってCO₂を排出しながら、排出した量『以下』のCO₂を化学的に回収できる装置」である。何で、ああいう「似非科学」や「似非科学を用いて売名を試みる輩」を評価してしまう政治家や官僚がいるのか。それは「理系の知識が無いから」であろう。
って話は、前から記そうと思っていた。でも、あまり「(ひやっしー考案者だという)個人の攻撃」は良くない気もするので控えていた。
彼関連の情報は下らなすぎるから、リンクは控えておく。『水からの伝言』みたいに、理系に疎い人間が触れてしまうと、カブれてしまう可能性もあると思うので。

で、つい先日も脱力した。似たような話で。だから日記にしてるんだけど。
「泉大津市長が似非科学を駆使する嘘つき企業に欺された」というヤツだ。「空気から燃料を生む」だかなんだか... やれやれ。
ああいうことは「おかしな、あり得ない話なんですよ」と「きちんと説明」したとしても、その説明自体が長くて難解になりがちである。実際、ネット上には「胡散臭い企業」に質問状を送っている、立派な行動をなさっている方々の記事もある。
化学は一朝一夕には理解・会得できない分野だ。で、泉大津市長はそっち方面の知識が無かったのだろう。バッチリ欺されてしまった、と。

ま、やはり数年前に「プラスチックの原料って石油なんですよね」とわざわざ言った小泉進次郎も相当ヤバいと思ったけど。


表題の件。
自然科学というのは、高等教育つまり大学あたりまで行かないと、「探究的な学び」という「お題目」には到達できないと思っている。理科を結構学んだ身としては。
私は「知識至上主義者」である。そして自分が主に担当する中学高校の地学については、探究しようにも難しいという面もあるにはある。
そんな私は生徒たちに対して「探究している気分にさせるような講義」を行い、宇宙が存在することの不思議さやその研究の歴史的流れを紹介したり、プレートテクトニクス・プルームテクトニクスという理論がどうやって発展してきたかという過程などを(かみ砕いて)伝えたりすることの方が、「無闇矢鱈に探究させる」よりも良いだろうと思って授業を行っている。

って、私はずっと同じようなことを考えて生きているわけではありますけれど。
例えば以下の腐れ日記とかね。既に20年近く前なんですねぇ...
「総合的な学習の時間」は廃止だ(その2)
https://ariori.com/diary/2007/11/08/

ここにあるのは2025年7月15日 17:29の日記です。

ひとつ前の日記は「ジェネリックきぬた歯科」です。

最近の日記はこちらで見られます。過去に書かれたものはアーカイブで見られます。