先日、久々に乗り過ごした。
荻窪駅から中央線快速上りに乗り、気がついたら荻窪に着いていた。
座席に座った瞬間から寝たわけでは無いだろうが、40分くらいは寝ながら移動したのだろう。厳密に言えば、無賃乗車なのかも。
改めて、上りの快速に乗って帰宅した。
私が自分で自分に感心した乗り過ごしは、バスでの乗り過ごしだ。
当時は実家(生家)に住んでおり、中野駅から江古田駅行きの関東バスに乗ったのだった。お酒を飲んだ帰り道、新宿・池袋と電車を乗り換えるのがだるいと思ったので。
で、中野駅でバスに乗ったのだが、気がついたら中野駅にいた。びっくりして飛び降り、その晩はタクシーで帰宅したのだった。バスの運転手さんも気づかないほど、きちん(?)と寝ていたのだろう。
山手線は1周以上したことが複数回ある。当時は西武池袋線ユーザーだった。深夜の山手線は池袋止まりが多い。大崎行きもあるけど。山手線が池袋までは行ってくれるというのは、ありがたい仕組みだった。最悪、小一時間歩けば実家にはたどり着けた。最近は「池袋止まり」に乗る機会が減ったが。と言うか、乗らない方が良いに決まっている。
西武池袋線だと、最大で小手指まで行ってしまったことがある。これが私の「乗り過ごし最長不倒記録」だろう。確か、タクシーに乗って帰宅したはず。
その出来事もあり、職場の近くの狭小アパートに住むことにしたのだった。四半世紀以上前の話だ。
「伝説的な乗り過ごし」として想起されるのは、大学のサークル時代、先輩方の武勇伝だ。
私の2学年上の方は、それほど遅い時刻でも無いのに、電車の車庫まで行ってしまったそうだ。鉄道会社の方がその先輩を発見した際、「こんなに早い時間に...」と驚いたとか何とか。その先輩(♂)は、あまりお酒に強い方では無かったのは確かだ。
同じく、私の2学年上の方。当時も今でも、かなりお世話になっている方(♂)だ。
その方は、中央線で大月まで行ってしまったことがあるそうで。
大学があったのが武蔵小金井。彼の自宅は東京の東の方。どこで乗り継いでしまったか分からないそうだが、何しろ目を覚ましたときには、大月だったそうだ。びっくりしたそうだ。そりゃそうだ。
結果的には、前述の酒に弱い先輩(東京の西の方に住んでいた)に連絡(公衆電話から家の電話へ)し、車で迎えに来てもらったそうだ。日産のマキシマだったかな?(違うかも)
深夜の(当時の)大月は、珍走団的な集団も居たりして、かなり大変だったそうだ。寒い中をずいぶん待ち、マキシマが見えたときには、非常にホッとしたと言っていた。ケータイなんて、ほぼ存在しなかった時代だ。その逸話、何度聞いても笑える。
で、その先輩の凄まじいのはその先だ。
(私の記憶では)その壮絶な乗り過ごしは、就職試験の面接前日(というか当日)に発生したとのこと。(私の記憶に間違いが無ければ)その先輩は今でもその会社にお勤めである。