入学する中学や高校は、難関校であるほど望ましい

すでに1ヶ月前だが、なかなか興味深い記事を読んだ。
「これからの時代に必要な教育環境」についての対談だそうで。
孫泰蔵「将来のため勉強せよと教えるのは問題」 学校教育で才能を育てられない時代にできる事 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン

私はこの記事を読み、「表題の思い」に改めて至った。それほど長い記事では無いが、その記事群の末尾を引用する。

孫:僕の関心は、「学校」という狭い枠ではなく、「クリエイティビティを発揮させる<環境デザイン>はどんなものなんだ!?」って方向に向かっていくんです。

私は、この記事(の引用した記述)を読んで「頭のよい子が集まる難関校こそ、より『クリエイティビティを発揮』できる、子供たちにとって望ましい『環境』だろうよ」と、考えたわけだ。


私の記憶では、高校時代は中学時代や大学時代よりも様々な人が居て、刺激的であった。
ただし、それは私の出身高校に限る話では無いのかも知れない。
15歳までの中学校と異なり、高校時代は「自己主張と他者の尊重」を可能とする年ごろであり、どこの高校・高専等へ進学しても、個性を発露し、幸福で刺激的な学校生活を送れるという可能性はある。
ただ、もう一つ言えるのは、私の通った中学(普通の都内公立なので、いろいろな学力層の生徒がいた)や大学に比べると、通った高校は「在学生の学力レベルが高かった」ということだ。

現代の「ありふれた日本人」は、高校あるいは大学までは通うだろう。加えて大学院に通う場合も多々あろう。中卒という選択肢もあるが、かなり少数派であるはず。
なにしろ「どうせ、中学や高校に行く必要がある」のである。で、あるならば、良い環境に身を置く方が何かと良いはずだ。

で、上記東洋経済オンラインの記事を読むと「能力の高い者どうしが高め合った世界」の話が出てくる。スペインにおける「料理界のエリート環境」についての話題だけど。その話は初耳であり、面白かった。なお、辛子明太子の製法が公共財?となった話は、以前にどこかで読んだ。
人々による「切磋琢磨」が起きるのは、料理人の世界よりも学業・学習活動の世界、つまりは学校において、より顕著であろうと思われる。

「入ることが難しい学校」に進んだ方が、より知的レベルの高い学友を得られるはずだ。そして、それは確実に自分の糧になるはず。比較となるような「対照実験」や「対照人生」は実施不可能だが。


私の高校時代の知り合いで、浪人してから有名大学に入り、有名企業に勤めた人間がいる。彼は3ヶ月で辞めちゃったらしいけど。
その友人曰く、有名企業人事部は、彼に「高校名で採用した」と伝えたそうである。その企業は入社を希望する学生の出身地や大学はあまり重視せず、「地域の公立トップ高校出身」の人材を優先的に入社させ続けているのだそうだ。又聞きであり、加えて約30年前の話だけど。
その企業の「戦略」がベストなのかどうかは分からないが、特に倒産するとか業績が悪いという話も聞かない。戦略は成功している(いた?)のだろう。一種の『見識』と言えるのかもしれない。

ここにあるのは2024年2月 1日 22:06の日記です。

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