先日、山下達郎氏がホストを務めている、TOKYO FMの「サンデー・ソングブック」を聞いた。
基本的に「リアルタイム」で聞くことは無く、radikoで聞く場合が多い。そして聞きそびれる(聞き忘れる)ことも多々ある、緩いリスナーだ。
しかし、7月9日(日)の放送については、珍しく(radiko経由だけど)リアルタイムで聞いてみた。
「ジャニーズ事務所」やら「音楽プロデューサー氏」に関わる説明をする予定だと聞いていたので。
ぶっちゃけ、リアルタイムで山下達郎氏の喋りを聞いていた身としては、「ふんふん、なるほどねぇ...」という感じで、不信感や怒りの感情を覚えることは無かった。
氏の言っていることは理解した。「楽曲は楽曲である」と。
そんなわけで、その日以降、氏の発言に対して火の手が上がった(のかな?)ことについて、私は「へぇー、そうなんだぁ」と思ったのである。それほど「炎上案件」とは思えなかったのだ、そのときは。今でもそう思っているけど。
で、いくつかの「達郎炎上解説記事(?)」を読んでみた。というか、Feedlyで目につく限りは一通り読んだ。
それらの記事の主張も理解できた。「そう言われれば、そうかもね...」って。
ネット上には、山下達郎氏の「番組内でのコメント全文」が落ちている。
が、文章で(落ち着いて)読むのと、ヒトが喋るのを聞くのとでは、受ける印象が異なる。それは「そういうもの」だろう。
私は「リアルタイムでコメントを聞いた」ので、そのときの印象が強く残っている。特に、達郎氏のコメントは「叩かれるべきもの」では無いだろうと感じたのだ。
とは言え、ネット上で見る限り、「山下達郎擁護派」よりは、「山下達郎許すまじ派」が多いように見える。ま、メディアというものの存在意義上、そうなるのは「当然」なのだろうけれど。
とは言え(更に逆の話です、念のため)、私自身も「山下達郎教」の信者だから、「ラジオ上での氏の発言を素直に拝聴した」と言えるのかも... という点に思い至った。ええ、私は山下達郎教の信者です。
ってコトで、今回の一件から私が知ったのは「信者を、その『信仰するもの』から離脱させるということは、相当に困難を伴う」のだろうなぁ... というコトだ。
一般的に言う「宗教」について、私は特に信仰を持たない。強いて言えば、(度々お伝えしているように)私は汎神論者だ。
ホニャララ学会とか、日本ホニャララ党とか、ホニャララ教会とか、ホニャララ派その他もろもろ、「『ああいうもの』を信じ続けるヒト」を、私は「自分とは完全に異なる存在」として認識していた。しかし、その性質(信仰心あるいは盲信力)は自分の中にもあるらしいことを発見できた。宗教は怖い。
以上が、故ジャニー喜多川や山下達郎氏が、私に教えてくれたことである。どうもありがとうございました。
しかしさぁ、「ジャニー喜多川が年少男子好き」ってコト、既に昭和の終わりには明々白々だったでしょ。
平成の時代に子供をジャニーズ事務所にぶち込んじまった親、大概だと思うんだけどねぇ...(この数ヶ月間ずっと思っていたが、記していなかった。やっと記せた。で、今ググってみたら、1960年代から「ジャニー喜多川を問題視する動き」があったそうだ。初めて知った...)
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