2023年8月アーカイブ

山下達郎教

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先日、山下達郎氏がホストを務めている、TOKYO FMの「サンデー・ソングブック」を聞いた。
基本的に「リアルタイム」で聞くことは無く、radikoで聞く場合が多い。そして聞きそびれる(聞き忘れる)ことも多々ある、緩いリスナーだ。

しかし、7月9日(日)の放送については、珍しく(radiko経由だけど)リアルタイムで聞いてみた。
「ジャニーズ事務所」やら「音楽プロデューサー氏」に関わる説明をする予定だと聞いていたので。

ぶっちゃけ、リアルタイムで山下達郎氏の喋りを聞いていた身としては、「ふんふん、なるほどねぇ...」という感じで、不信感や怒りの感情を覚えることは無かった。
氏の言っていることは理解した。「楽曲は楽曲である」と。


そんなわけで、その日以降、氏の発言に対して火の手が上がった(のかな?)ことについて、私は「へぇー、そうなんだぁ」と思ったのである。それほど「炎上案件」とは思えなかったのだ、そのときは。今でもそう思っているけど。

で、いくつかの「達郎炎上解説記事(?)」を読んでみた。というか、Feedlyで目につく限りは一通り読んだ。
それらの記事の主張も理解できた。「そう言われれば、そうかもね...」って。

ネット上には、山下達郎氏の「番組内でのコメント全文」が落ちている。
が、文章で(落ち着いて)読むのと、ヒトが喋るのを聞くのとでは、受ける印象が異なる。それは「そういうもの」だろう。
私は「リアルタイムでコメントを聞いた」ので、そのときの印象が強く残っている。特に、達郎氏のコメントは「叩かれるべきもの」では無いだろうと感じたのだ。


とは言え、ネット上で見る限り、「山下達郎擁護派」よりは、「山下達郎許すまじ派」が多いように見える。ま、メディアというものの存在意義上、そうなるのは「当然」なのだろうけれど。

とは言え(更に逆の話です、念のため)、私自身も「山下達郎教」の信者だから、「ラジオ上での氏の発言を素直に拝聴した」と言えるのかも... という点に思い至った。ええ、私は山下達郎教の信者です。
ってコトで、今回の一件から私が知ったのは「信者を、その『信仰するもの』から離脱させるということは、相当に困難を伴う」のだろうなぁ... というコトだ。
一般的に言う「宗教」について、私は特に信仰を持たない。強いて言えば、(度々お伝えしているように)私は汎神論者だ。

ホニャララ学会とか、日本ホニャララ党とか、ホニャララ教会とか、ホニャララ派その他もろもろ、「『ああいうもの』を信じ続けるヒト」を、私は「自分とは完全に異なる存在」として認識していた。しかし、その性質(信仰心あるいは盲信力)は自分の中にもあるらしいことを発見できた。宗教は怖い。

以上が、故ジャニー喜多川や山下達郎氏が、私に教えてくれたことである。どうもありがとうございました。


しかしさぁ、「ジャニー喜多川が年少男子好き」ってコト、既に昭和の終わりには明々白々だったでしょ。
平成の時代に子供をジャニーズ事務所にぶち込んじまった親、大概だと思うんだけどねぇ...(この数ヶ月間ずっと思っていたが、記していなかった。やっと記せた。で、今ググってみたら、1960年代から「ジャニー喜多川を問題視する動き」があったそうだ。初めて知った...)


過去の関連する日記
赤坂と赤西の違い(2007年11月)

文科省の方に同情する

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ご迷惑をかけたのは、私の職場の上司です。
突き詰めれば、文科省の生産性を下げたのは、私自身の、私の上司に対しての監督責任もありましょう。
この書面にてお詫び申し上げます。


その日、職場は年に1回の「停電の日」であった。ここ数年、その日に私は出勤しているのである。校内のサーバーやWi-Fi機器がきちんと復旧することを確認するため。出入りの業者さんも来てくれるので、私がやることはあまり無いが。
以前は、停電に先立ってのサーバーシャットダウンや、電源復旧後のサーバー起動なども私が行っていた。
数年前のサーバーリプレイスに伴い、シャットダウン作業は不要になった。まあ、そもそもその当時も今もUPS(Uninterruptible Power Supply:無停電電源装置)が設置されているので、本来的には「停電があろうが無かろうが放置」で良いとも言えるが。
ま、一種の保険ですね、私の待機も業者さんの訪問も。

で、その日の停電復旧後、私は年齢が一回り上の「そのヒト」に呼ばれた。
その前、しばらくずっと、電話をしていたのは知っていた。
私は私で、その日は専任教諭に貸与されてる端末の整備をしてた。さらにWi-Fiモジュールがイカれた端末が出てきたので、その(物理的な)交換をしたり、幾台かの端末についてサポートが切れるはずのOffice2016をアンインストールし、2021をインストールしたりしてた。


「masakiさーん」と(とうとう)呼ばれたので、そのお方のところへ行ってみる。
20年くらい昔までは、私は「パソコンに不慣れな人々」に優しくしてた。でも、私はずーっと仕事を増やされ続けているし、パソコンは「普通のヒトは普通に扱えるもの」になっていった。基本的には私は冷たいヒトになった、自覚してる。

で、そこを訪れて聞かされる。
電話先は文科省の担当の方、既に小一時間格闘しているらしい。
どうも、文科省主催(?)の中学生のテスト、その管理サイトに入りたいのに入れないらしい。
私は電話先へ自分の名を名乗りつつ、そのお方のパソコン画面を確認する。

そのお方のブラウザ画面(Chromeだった)には、何故かGoogleが表示されていた。「何で、アドレスバーじゃなくて、検索してるのさ」と思うわけです、私は。
で、Googleの検索窓にあったURLをコピーし、アドレスバーに貼り付け直す。で、エンターキー。

画面はGoogleに遷移した。
???

アドレスバーにペーストした文字列は、
hppts:// (以下略)
となっていた。
orz

私はきちんと先方とやり取りをしないまま、「こちらが間違えてました、すみません」とだけ伝え、電話を「そのお方」に戻したのだった。

令和5年ですよ。
しかも、そもそも「テスト結果のリリース日」を勘違いしていて、「1日前だけど、とりあえず管理サイトに入ろう」ってコトで、文科省の役人さんの手を煩わせていたらしい。ま、リリース前で良かったかも知れません、リリース当日だったら、先方が更に忙しかったかも知れない。そのあたりはよく分からないけど。


ま、文科省に対して「いやな思い出」は多々あるし、「意味不明な施策」がむかつく場合もあるが、今回の私の職場の一件は酷かった。酷い。

BIGMOTORと私

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一度だけ、関わったことがあります。
「もらい事故」での保険会社の対応で、私の車を修理してくれた。多摩店でしたね。
事故が起きたのは文京区だったので、「なぜそんなに遠いところが...」と思ったのは確か。対応は丁寧でした。代車もきちんと用意してくれていた。

私の自動車保険は使わなかった。停車している私の車にぶつけてきたヒトの保険会社が、BIGMOTORに修理を発注したのでしょう。
ま、私が車を停めていた場所も、良くなかったのだけど... スミマセン。

かなり派手に、私の車は破壊されていた。
後ろのバンパーと、右後ろのフェンダーが破壊された。右の後ろのドアも擦れていたかなぁ...
ってコトで、普通に修理しても20~30万円になる「コース」だったのだろうと思う。そんなわけで、ゴルフを愛する人を『冒涜』することは無かったのだろう、と思っている。

自動車保険を二重に支払う(その後返金)

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そんなことをしました。
毎年、8月上旬が契約満了と契約開始(再開)の日になっています。
で、車所有当初は、父親のおすすめだった「アクサダイレクト」にて契約しました。が、「おとなの自動車保険」の方が保険料が安かったので、そちらに引っ越した。既に10年くらいは経過したはず。
着々と等級は上がり、現在は19等級らしい。また、着々と車の価値は下がっているので、着々ちゃくチャクと、保険料は下がり続けている(はず)。ま、年によって5000km超を走ることもあるので、走行距離による保険料の増減はありますけれど。

で、今までは「コンビニ払い」にしてました。「おとなの自動車保険」は、支払いが「契約開始日」を過ぎても、数十日間くらい、支払いの締切は来ないのです。他の自動車保険がどうなっているのかは、よく知らない。

で、今年はなんとなく「PayPay払い」をしてみました。そこで「しくじった」のは、「払い込み完了」というメモを、自分に残さなかったこと。

8月上旬になり、車の保険証券等を車内などに再配置しました。その際に「あれ?保険料払わなきゃ」と、誤認してしまったのです。で、気づいた翌日(契約2日目)、コンビニ払いを敢行(?)しました。
で、10日ほど経過。
たまたまPayPayの「取引履歴」画面をタラタラ眺めて確認していたら、「セゾン自動車火災保険に支払い」ってあるわけですよ。「やはり、払ってあったんだ...」と。

で、サポートセンターに電話しました。金曜日でした。
月曜日には、銀行振り込みで「過払い分」が戻ってきました。
土日を挟んでいたので、実質は「翌営業日に返金」されたことになります。仕事が早い、凄い。


で、記しながら思い出したのですが、「おとなの自動車保険」に入る前の見積もり時、「現在の契約会社」を変更すると、年間の保険金額も変わったような記憶があるのですよね。アクサダイレクト(真実の情報)と「それ以外の会社を使っている」とした場合に。記憶違いかなぁ...

停電に伴う「恐怖体験」を回避

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本日は、職場のパソコン室で、2学期の教材作成を行っていた。
私が嫌いな情報科の指導案作成のために。理科の方が、好きだし、ずっと楽。

で、本日開催のウェビナーがあったので、教員機にZoomを(一時的に)インストールして、そのウェビナーを「流し見」することにした。
ら、音を出そうと思っていた「教室のスピーカー」から、音が出ないことに気づいた。原因はすぐ分かった。8月頭の停電だ。


パソコン教室のアンプ群、常時「電源オン」にしている。
一応、「どういう設定にしておけば良いか」については、近くに手書きのメモも置いてあるし、そのメモをスマホに保存してある。2023年度の頭までは、そのメモが無かったのだ。多分、後述の「テプラ」は一応貼ってあったのだろう。けれども、(私とは別の先生が)「音声が出ない」って言って、職場出入りの業者さんを呼びつけたこともあったのだ。(スミマセン...)

ってコトで、停電に伴い、アンプの電源が落ちたままになっていたのだ。
さらに、ある意味「初期化」されていたようだ。アンプはヤマハ製のヤツだ。多分高いヤツなのだろう。
設定を、ここにも書いておくことにする。備忘録として。アンプ本体にも「要点」が記されたテプラ類は貼ってあるけど。

・スピーカー⇒A(左下のボタン)
・INPUT(左の小さいトグル)⇒"CD AUTO"選択
・PURE DIRECT(その隣の青く光るボタン)⇒ON(で良い)

2学期最初にこの教室を使うのは、私では無いのである。一緒に、同じ情報科の授業を組んでいる先生。
今日、この「アンプの電源が落ち、初期化されている」ことに気づいて良かった。もし、このことに気づかないまま新学期を迎えていたら、私とその先生の時間、そして(動画の音が出るのを待つ)生徒達の時間が、全部無駄になったことだろう。

不真面目に「ながらウェビナー受講」をすることにして、良かった。まさに怪我の功名であった。
「予定していた教材が提示できない」ってのは、私にとっては「恐怖」でしかありません。

「トヨタモビリティ東京 上板橋店(GoogleMapへ)」の前、街路樹が消えたのは事実。
私は「不正」は嫌いだ。「弱いものいじめ」も嫌いだ。
以下、画像クリックで、オリジナルのサイズへ。


2017年10月
201710toyota.jpg

2022年3月
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2022年3月拡大図
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2023年3月
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熊本の「クスノキに害虫」ってのも、かなりウケますけどね。
クスノキは、古典的な防虫剤である「樟脳(しょうのう)」の原料にもなる巨木ですよ。

同僚にキレる(昔話)

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私が職場において、組合の団体交渉「以外」で他人に本気でキレたことを覚えているのは、3回だ。
初回の対象は、多分故人になってしまっているだろうから、とりあえず置いておく。部外者にキレたことについては、こちらに少し書いた。

何故、こんなことを書いているのかというと、一昨日の「教材を提示できない件」に関わって、同僚に劇的にキレたことがあるからだ。それを思い出してしまった。
同じ理科の後輩で同窓(東京学芸大学)出身だと聞いた。もう10年くらい経過したから、時効ということで日記にする。

その状況を箇条書きで書いてみる。
・中学生への電気の学習、静電気のセットを準備して、事前に理科室にまとめて置いておく。「使用中」ときちんと表示して。
・実際の授業直前の休み時間、器具の乗ったカートを理科室から教室へ移動する。
・理科室内、ニヤついた生徒(♀:私は面識無し)と目が合う。
・その教室、教卓横には「後輩氏」も居た。彼とも目が合った。
・中学生の授業を開始したら、「エボナイト棒と毛皮(だったはず)」が無いことに気づく。
・理科室に戻り、「器具が足りないのだが」と伝える。と共に、ニヤニヤしている生徒が用具を持っていることに気づく。(思い出したら、またムカムカしてきた)
・用具を奪い返し、「ふざけるな!他人の時間を奪うな!!」と生徒・同僚を罵倒。
・授業後、改めて同僚に注意する。

以上が、私が「同僚に対して最もキレた案件」でしたとさ。
控えめに言って最低ですよね?

ここにあるのは2023年8月に書かれた日記です。

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次のアーカイブは2023年9月です。

最近の日記はこちらで見られます。過去に書かれたものはアーカイブで見られます。