前から思っていた。そして、同じことを仰っている方は沢山居そうだ。
少なくとも、私が敬愛するパオロ・マッツァリーノ氏は、その著作か何かで「オリンピックの目的」みたいなことを語っていた。
と思って検索してみた。約6年前のブログの記事だった。
スポーツと国歌 反社会学講座ブログ
↑私が勝手にスペースを入れてる。
改めて読んでみた。
面白い。
私の今日の駄文の主題とは、少し違っていたけど。
で、例えば野球とかサッカーとかカーリングみたいな「団体でしかできない競技」ならば、団体でメダルを争うのはやむを得ない。
しかし、スキーのジャンプ・スピードスケート・フィギュアスケート、夏季大会なら卓球・バドミントン・体操などなどの競技、わざわざ団体種目をやる必要はあるのですかねぇ...。
私が一番気持ち悪いと思うスポーツは駅伝だな。
オリンピックに無くて良かった。
ま、人類は暗黙裏(?)に「様々な『何か』を引き継ぎながら生きるしかない存在」であろうから、その一つの「完成形としてのエンターテインメント(?)」として、駅伝の類に美を見いだすヒトも居るのかもしれない。
と、言いながら、合唱部だったので合唱なんかは好きです。
団体で歌うのは楽しい。べつにスポーツじゃないけど。
野球(厳密にはソフトボール)をするのも楽しい。既に20年近くやってないけど。
サッカーも楽しいと思う。30年くらいやってないけど。
ま、各種競技団体が、視聴率奪取や競技人口の増加を狙って、「団体種目」を作っているのだろうとは思いますけどね。
そういった意味では、スキーのジャンプは意味不明ではありました。
わざわざ「団体種目」を作ったのに、強豪国の選手を軒並み失格にしたとか何とか...。
「団体」ってだけでも十分気持ち悪いのに、そこに絡んできた「審判団の意味不明な主張」。さらに気持ち悪い。
ま、世の中は広いな。