以下に記す「評価に関する『昔話』」は、過去に日記にしたと思っていたが、違っていたようだ。
大学1年の前期、「鉱物学演習」という授業があった。理科生は必修の科目だった。7つの「結晶系」の木製の模型を矯めつ眇めつ(タメツスガメツ)し、様々な「軸」の数を数え上げるような授業もあったように記憶している。
で、その科目の期末試験は「岩石名を答える」というものが含まれていた(ハズ)。
地学第一実験室は、横長の机(4人掛けだったかな?)が並ぶ、主に講義を想定して設計された教室だったと記憶している。
で、教室の前から、順番に石が回覧される(回ってくる)ので、その名称を「与えられていた解答用紙」に、順に記していくのである。
はっきり言って、カンニングが行われていた。私は「見せる側」だったけど。
一応、私は地学科の岩石鉱物学研究室への所属が決まっていた。地学の大学受験勉強も、一通りこなした人間でもある。同じ試験を受ける生物科や物理科の友人達よりは、明らかに知識量は優っていた。
事前に「カンニングさせる・させない」という相談をした記憶も無いが、私は博愛の人なので、成り行き上「そうなった」のである、確か。
その「鉱物学演習」、私が貰った評価は"B"だった。
「再考査」に回った人間もいたし、そもそも再履修してる先輩達も混じっていた。
で、私が解せなかったのは、「再考査」に回った人間の中に、評価"A"を貰った者が居た(らしい)ということだ。
何故、テストを一発で通った人間が"B"で、一発で受からなかった人間が"A"になるのか、30年経った今でも、全然分からない。まあ、100年経っても、1000年経っても、その謎は解きようが無いけど。多分、その教官(岡村先生)は亡くなられたと思うし。
ただ、岩石名の解答が、席の近い数名で「似通っている」or「一致している」ことは、岡村先生にはバレていた形跡はあった。私の答案には「何らかのチェックの印」が入っていたので。
と、ここまで書いて、ググってみた。
驚愕の事実を今になって知る。
岡村三郎先生(私の建前上の指導教官だった)は、日本地学教育学会の会長をしていたらしい。
というか、石井先生と榊原先生にも教わっていた。そんなに偉い方々だったのか...。まあ、冷静に考えれば、中等教育の地学教育に関わる人間が日本で一番多いのは、東京学芸大学なんだろうけど。
石井先生は優しくて好きだった。地質学などを教わった。教わり始めて2年目、多分顔と名前を覚えてもらってから(大学3年次だったのかな?)は"A"をくれた(ハズ)。榊原先生からは理科教育学を教わったような気もするが、あんまりよく覚えてない。
めっちゃ「前段」が長くなった。
で、私はオシエゴである生徒の成績をつけるにあたっては、就職当初から「数値(化)」を基本にしてきた。ま、当たり前かも知れないが。
本年度から、私の勤務する学校では(私や他の理科教員も反対していたはずなのだが、)校内で行う模擬試験の点数を、成績通知表や調査書に記載する「評定」の算出に用いることになったのだ。
基本的に、理科の授業なんて「標準単位数」で終わらない。で、模擬試験の範囲を勉強し終わらないうちに、そいつはやってくる。当然、大した点は取れない。
私は「自然科学の楽しさ」を伝えるために仕事をしているのであり、模試で点を取らせるために仕事をしているわけでは無い。
まあ、もちろんテストの点は良い方がよいに決まっている。しかし、私が担当する生徒が「地学(基礎)」を大学の入試科目に使うことは、ほぼ無い。特に今年度からは。
それは職場の内部事情(コース設定やカリキュラムの変更)によるものではあるが。
しかし、私はとりあえず真面目に考えた。
なるべく「公平で分かりやすい」仕組みによって、生徒の評定を出す方法を。
結局、以下のようにした。
・クラスによって「教えた、まだ教えていない」という差異が出てしまう設問は、評定の算出に用いない。
・「全クラスに教えた」あるいは「全クラスに教えていない」設問については、その合計得点について、然るべき「係数」にて乗算を行った結果を「評定の元となる数値(校内定期考査の点数)」に加算する。
一応、生徒達には上記「評価算出方法」を伝達している。そのほうが30年前の私のように「悶々とする」ことは減るだろうと思って。
また、Benesseは「記述式」の模試についても、各生徒・各設問ごとの点数を「デジタルデータ」で提供してくれる。それが無かったら、私はどのようにしただろうか?
なお「然るべき『係数』」などは、生徒には伝えた。この場には記さない。企業秘密(?)なのだ。