2020年12月アーカイブ

以下に記す「評価に関する『昔話』」は、過去に日記にしたと思っていたが、違っていたようだ。

大学1年の前期、「鉱物学演習」という授業があった。理科生は必修の科目だった。7つの「結晶系」の木製の模型を矯めつ眇めつ(タメツスガメツ)し、様々な「軸」の数を数え上げるような授業もあったように記憶している。
で、その科目の期末試験は「岩石名を答える」というものが含まれていた(ハズ)。

地学第一実験室は、横長の机(4人掛けだったかな?)が並ぶ、主に講義を想定して設計された教室だったと記憶している。
で、教室の前から、順番に石が回覧される(回ってくる)ので、その名称を「与えられていた解答用紙」に、順に記していくのである。

はっきり言って、カンニングが行われていた。私は「見せる側」だったけど。
一応、私は地学科の岩石鉱物学研究室への所属が決まっていた。地学の大学受験勉強も、一通りこなした人間でもある。同じ試験を受ける生物科や物理科の友人達よりは、明らかに知識量は優っていた。
事前に「カンニングさせる・させない」という相談をした記憶も無いが、私は博愛の人なので、成り行き上「そうなった」のである、確か。


その「鉱物学演習」、私が貰った評価は"B"だった。
「再考査」に回った人間もいたし、そもそも再履修してる先輩達も混じっていた。
で、私が解せなかったのは、「再考査」に回った人間の中に、評価"A"を貰った者が居た(らしい)ということだ。

何故、テストを一発で通った人間が"B"で、一発で受からなかった人間が"A"になるのか、30年経った今でも、全然分からない。まあ、100年経っても、1000年経っても、その謎は解きようが無いけど。多分、その教官(岡村先生)は亡くなられたと思うし。
ただ、岩石名の解答が、席の近い数名で「似通っている」or「一致している」ことは、岡村先生にはバレていた形跡はあった。私の答案には「何らかのチェックの印」が入っていたので。

と、ここまで書いて、ググってみた。
驚愕の事実を今になって知る。
岡村三郎先生(私の建前上の指導教官だった)は、日本地学教育学会の会長をしていたらしい。

というか、石井先生と榊原先生にも教わっていた。そんなに偉い方々だったのか...。まあ、冷静に考えれば、中等教育の地学教育に関わる人間が日本で一番多いのは、東京学芸大学なんだろうけど。
石井先生は優しくて好きだった。地質学などを教わった。教わり始めて2年目、多分顔と名前を覚えてもらってから(大学3年次だったのかな?)は"A"をくれた(ハズ)。榊原先生からは理科教育学を教わったような気もするが、あんまりよく覚えてない。


めっちゃ「前段」が長くなった。

で、私はオシエゴである生徒の成績をつけるにあたっては、就職当初から「数値(化)」を基本にしてきた。ま、当たり前かも知れないが。

本年度から、私の勤務する学校では(私や他の理科教員も反対していたはずなのだが、)校内で行う模擬試験の点数を、成績通知表や調査書に記載する「評定」の算出に用いることになったのだ。

基本的に、理科の授業なんて「標準単位数」で終わらない。で、模擬試験の範囲を勉強し終わらないうちに、そいつはやってくる。当然、大した点は取れない。

私は「自然科学の楽しさ」を伝えるために仕事をしているのであり、模試で点を取らせるために仕事をしているわけでは無い。
まあ、もちろんテストの点は良い方がよいに決まっている。しかし、私が担当する生徒が「地学(基礎)」を大学の入試科目に使うことは、ほぼ無い。特に今年度からは。
それは職場の内部事情(コース設定やカリキュラムの変更)によるものではあるが。

しかし、私はとりあえず真面目に考えた。
なるべく「公平で分かりやすい」仕組みによって、生徒の評定を出す方法を。

結局、以下のようにした。

・クラスによって「教えた、まだ教えていない」という差異が出てしまう設問は、評定の算出に用いない。
・「全クラスに教えた」あるいは「全クラスに教えていない」設問については、その合計得点について、然るべき「係数」にて乗算を行った結果を「評定の元となる数値(校内定期考査の点数)」に加算する。

一応、生徒達には上記「評価算出方法」を伝達している。そのほうが30年前の私のように「悶々とする」ことは減るだろうと思って。
また、Benesseは「記述式」の模試についても、各生徒・各設問ごとの点数を「デジタルデータ」で提供してくれる。それが無かったら、私はどのようにしただろうか?
なお「然るべき『係数』」などは、生徒には伝えた。この場には記さない。企業秘密(?)なのだ。

「やられる」という尊敬語

カテゴリ:

あいつを聞くと私はムズムズする。
ラジオとかテレビとかで「〇〇さんは、△△をやられてますよね?」とか。
何故に「なさる(なさっている)」という表現を用いないのだろうか?  まぁ、知らないから使わない、使えないのだろうけど。

日本語と外国語

カテゴリ:

有名(だと思っている)な鈴木孝夫氏の著作、岩波新書の書名と同じにしてみた。

私は、基本的に日本語を使う。
英語と中国語(上海語)は、部分的に"reading"と"listening"はできる。が、"writing"と"speaking"は、ほぼできない。
職場の同僚だったり知人だったりする、上記言語を使う方々は、そこそこ日本語ができる場合が多い。どうしても「甘え」が出てしまい、私の口からは日本語が出てしまう。というか、別の言語が口から出てこない。
また、特に職場においては、「メールだけでやりとりをする」という場合は、ほとんど無い。大体、いつかは「面と向かって喋る」ことになる。英語混じりの日本語とジェスチャーなどで、綱渡りを続けている。

しかし、時々「英語の文面でのやりとり」が生じる場合がある。今回もまた、生じている。

職場では、Zoomを契約している。2020年当初からの「成り行き」で、アカウント管理やらユーザー管理やらを行っているのだ。私が職場で別に行っていることとして、Windows上のActiveDirectory上のユーザー管理(及びOffice365のユーザー管理)や、教員貸与のノートパソコンの管理、教職員が共用しているデスクトップパソコンの管理、成績処理全般の管理やメンテナンス、などがある。現在、たまたま私の隣席となっている先生も、様々な管理をやらされている。生徒が購入した端末の管理(物理的な修理・ソフトウェア的な各種制限等)や、BenesseのサービスであるClassiのユーザー管理、ロイロノートスクール上でのユーザー管理など...。とりあえず微妙に分担して仕事をこなす日常である。下手すると、公立学校の先生などは、これらの仕事を「お一方」がこなしている場合もあるのだろうなぁ...、なんて思ったりする。そして、それは非常に拙いことだろう。死にかけるか、死んでしまうと思う。

話が逸れた。
Zoomのアカウント数の増減に際して、ネット上では完結しないため、(多分アメリカ本国にいるのであろう)Zoomのサポートとやりとりをする羽目になった。日本国内の営業さんの指示を仰ぎつつ。

で、基本的にやりとりがメチャクチャだ。「日本語希望」と書けば、日本語で返事が来るらしかったのだが、最初は英語だった。「そういったときは、改めて『日本語希望』と送り返せ」と、日本国内Zoomの営業氏からもらった「マニュアル」には書いてあった。で、そのようなメールを送る。
本文に

日本語希望
Japanese Please.
とだけ記して。

そうしたら、めっちゃ機械翻訳の日本語のメールが来た。
とりあえず、こちらから英語で送ることにした。「(英語にて)送る→もらう→送る」というところで、やりとりが停止している。多分、こちらの「意図・遭遇しているトラブル」が、やっと向こうに伝わったのだろう。
(13:22追記 先ほど、さらに数回のメールやりとりがあり、当方のトラブルは無事に解消しました。)


で、英語でのやりとりは、基本的に頭にくることが無いことに気づいた。
こちらの英語力が拙すぎるため、「伝わらなくても仕方ない」と思っているのだろう、私が。
過去にも職場にて、必要があって英語のメールを送ったことは何度かある。また、個人的にも英語でのチャットをしたことがある(下にリンク貼りました)。
でも別に、頭にくることは無いんですよね。「こっちが悪いのだろう」と諦められる。

で、日本語のやりとりだと、ときどきメチャクチャ頭にくることがある。そいつも下にリンクを貼っておく。日本語ネイティブ同士ならば、伝わって良いはずだと思っているし、私の伝えたいことは明確なはずなので。


関連する日記
価格が分からない"PaintShopPro"(2019年2月)
改めて「あばよSoftBank」(2019年2月)

ここにあるのは2020年12月に書かれた日記です。

前のアーカイブは2020年11月です。

次のアーカイブは2021年1月です。

最近の日記はこちらで見られます。過去に書かれたものはアーカイブで見られます。