あたり前

間違い探しです。

新版
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旧版
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新版は、職場の「生活指導部」が、今年になって配布したものです。
旧版は、2019年度まで使われていたものです。

私は、旧版の方が良いと思います。
そう仰る方は、私の周りにも数名いらっしゃいました。

昨年の秋に亡くなられた「職場の先輩」が「生活指導部長」をなさっているとき、この「旧版」が作られたのです。
ま、私は「ゆるーい都立高校」出身だったりするので、そもそもこういう「生活指導」みたいなのは、あまり得意ではなかったりします。が、生活指導部にも、数年間所属していたことはありますけど。

で、この「旧版」の標語「あたり前のことをあたり前にしよう」というのは、なかなか深い意味があると思うのです。それに比較すると、「新版」の「あたりまえのことができるようにしよう」というのは、どうもつまらない。
とは言え、この標語の「更新」を発案したのは、生活指導部所属の国語科の先生らしくもあるため、特に異議は唱えずにおきました。が、私は旧版の方が好きなので、そいつを教室に掲示しています。


4月の話です。Zoomでホームルーム(高校2年です)を行っているとき、何となくこの「標語」について語ったりしました。そして、念のためロイロノートでも、私の思いを生徒に伝えてみました。
それを再録します。

野口英一先生の「あたり前」について
「あたり前のことをあたり前にしよう」とは、何を意味するのか。

「あたり前」とは?
→多分、自分で考える必要がある。
「あたり前」と思っていても、知っていても、時にはできないことがある。
→多分、「自分の理想」と「現実の自分」の差異を無くしていくことが、「人としての成長」なのでしょう。

亡くなった野口先生に、もうお伺いできないけど、小川はそう解釈しました。

標語の②も、微妙に違います。
私は「旧版」の方が良いように感じます。それは、野口先生を懐かしく思う気持ちがはたらいているだけ、という可能性もありますが。
何にせよ、以上のようなコトを考えたりするに、人というのは決して死なないのではないかと思うのでした。ホント「早すぎでしょ!」って思う訃報が多かったりする、この世の中ではありますが。

ここにあるのは2020年7月22日 19:36の日記です。

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