イタリア旅行記 4

4泊6日の旅行の3日目。
ローマからフィレンツェへ移動しました。ローマ出発は8時少し前でした。270kmの道のりを、3時間半ほどかけて移動しました。

私は、バスの中で寒さを覚えていました。後から分かったのですが、何かのウイルスにやられていたのでしょう。その時は「やたらに寒いなぁ...」とだけ、思っていました。バスの中にいるのに、ジャケットに加え、薄めのダウンを羽織っても、まだ寒かった。

そんななか、フィレンツェはミケランジェロ広場に到達しました。
雨の中でした。本当に寒かった。
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でも、元気な生徒は雨の中、薄着で弾けて(?)いました。若いって、素敵だなぁ...。


若いと言えば、同じ職場の同じ教科担当、かなり若い同僚(♂)が居ます。
で、元カノ(この表現は、あまり好きでは無いが、彼がそう言っているから使う)とは、学生時代にイタリアに旅行したことがあったそうで。写真も見せて貰ったことがあります。卒業旅行だったとか何とか?
そしてどうも、今でも未練たらたらの様子なのです。スマホに、元カノの画像を持っています。

その中の1枚には、ミケランジェロ広場で撮影したものがあるそうです。見せて貰った。
その「仲むつまじき頃」と同じ構図で、写真を撮りたがっていました。別の女性教員(既婚者)を隣に据え、撮影してましたね。
私は思うのです。
何で、同じ構図で、写真を撮りたいのかなぁ... って。

私は、こっそりとこの場所で、彼の更生を祈るのでした。
復縁でも、「新カノ」でも、どっちでも良いけどね。


バスで移動して昼食でした。
イタリアを旅したわけですが、スパゲッティ的な乾麺は、結局一度も出てきませんでしたね。
この日はボロネーゼってコトでした。ニョッキが細長くなったみたいな感じのパスタでした。太さが5mm程度、長さが5cm程度、だったような気がする。が、具合が悪くなりかけていたので、記憶が定かではありません。何しろ、そのパスタを「全然食べられなかった」記憶が残っています。食べても美味しいと感じられなかったし。
この生涯、シラフなのに「食べ物を残した」なんて、ほとんどありません。それほどまでに体調が悪かったのでしょう。何しろ、食べられなかった。今更ながら、ビビるわ。

で、体調が悪かろうが何だろうが、生徒を連れて、徒歩移動を続けなければならない。
この昼食時、折りたたみの黒い傘も無くなってしまいました。ま、西友にて1000円で買った傘なので、とても「ありがちなデザイン」ではあるのです。それにしても、持ち物が無くなるのは悲しい。傘立てなんかに預けなければ良かった。

午後はウフィツィ美術館、ドゥオーモなどを見学しました。14時から17時過ぎまで、雨のフィレンツェを巡りました。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ボッティチェッリ などなどの、超有名な作品を見ました。ということは覚えています。自分で撮影するよりも、「ネット上で見る」方が綺麗だろうから、一切美術作品の撮影はしませんでした。ま、体調も悪く、そんな余裕も無かったのですけどね。


街中は「クリスマス仕様」になってました。
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このヴェッキオ宮殿は、映画『ハンニバル』の撮影に使われたとか。映画を見た記憶はあるけど、よく覚えていない。
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『冷静と情熱のあいだ』は映画も見たし、小説も読んだ。
ドゥオーモですね。
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18時にホテルに到着。
あまりに体調が悪かったため、夕食も摂らず(摂れず)、ひたすら寝てました。生徒の管理等は、他の先生方にお願いして。
25年前後教員やってますが、宿泊行事でこれほどまでに働けなかったのは、初めてでした。

現地の医師(めっちゃ具合が悪くなった生徒が看てもらった)の見立てによると、「行きの飛行機で『何か』を貰っていたのだろう」と。最終的には同じ飛行機を使った人々から、10名前後の体調不良者が出たのです。で、その1名が私だった。

ここにあるのは2020年1月12日 12:44の日記です。

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