梅棹忠夫をいまさら読む

このお方が亡くなられたとき、私が読んでたブログ界隈はザワついていた。情報科の先生が多かったのであるが。
そして、今は情報科の先生で「ブログ」という形態で情報発信なさっている方は少ない。更新を止めたくらいなら良いが、サイトを消してしまった方も多々いらっしゃるようだ。残念なことである。

で、私はその時まで、この「梅棹忠夫という方」を全然知らずに生きてきていた。しかし、あまりにもいろいろな方が言及なさっているので、本くらいは読もうかな、って思った。で、やっと最近読んだ。2冊ほど。で、さらに1冊を図書館に予約した。

最初に読んだのは『知的生産の技術』なる本だ。この本はさすがに古すぎた。参考になる部分はある。しかし、「紙のカードでデータベースを作る」なんてのは、「今どき」行っても、全然意味が無いだろうと思うのである。Excelとかに記録する方が良い。とりあえずEvernoteとかでも良いだろうし。

で、最近(正確には上記書籍を読む前)家の中を掃除していたら、この写真のような「メモ用紙」が発掘された。
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これはまさに「京大カード」ってヤツなのだろう。義父の買ったもののようだ。その当時は、梅棹氏は相当「伸していた」のだろうなぁ...、って思った。

さっき読み終えたのは『情報の文明学』って本だ。私の生まれる前に、「現代」を予測なさっていたのですね。この本を読み、「凄い方だったのだなぁ」って思った。すさまじい先見性である。特にインターネットが発達して以降の現代を、的確に予言なさっている気がした。

『情報産業論再説』の「うつりゆく重点」から引用

したがって、農業から工業へ、工業から情報産業へと産業がおきかわっていくわけではありません。そうではなくて、併存しながら重点がうつっていくということなのです。しかも相対的なウエートの変化がじつは問題なので、農業自体をとってみれば、農業の時代よりも工業の時代にいっそう発展している。しかし社会全体の相対的なウエートからいうと、農業の重要性がへって、工業が中心的な産業になっていったとおなじように、つぎの時代は、工業が副次的なものになって、情報産業が最大のウエートをしめる時代になるだろう、ということなのであります。

ってなコトを、1962年の段階(厳密にはこの「再説」は1968年の講演を文章化したもの)で仰っているのである。凄い。

教育についての考えは、私と似ていらっしゃると思った。
『放送人の誕生と成長』の「聖職の産業化」から引用

わたしは、従来の職業のなかで放送人にいちばんよくにているのは、学校の先生だとおもう。学校の先生は、教育という仕事にひじょうな創造的エネルギーをそそぎこむわけだが、しかし、その社会的効果というものは検証がはなはだ困難である。かれがつくっているのはものではない。ひとである。しかし、りっぱな人間ができたからといって、特定の教師の、特定の教育的努力の効果であるかどうかは、はなはだはっきりしない。効果はしばしば、上級学校入学率のようなものでかんがえられることになるが、それはテレビの視聴率みたいなもので、効果の内容についてはなにごとをもおしえない。教師の社会的存立をささえている論理の回路を完結せしむるものは、やはり教育内容の文化性に対する確信以外にはないのである。

とりあえず、以上ッス。

ここにあるのは2017年6月30日 20:24の日記です。

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