コレクション否定主義

私は「コレクション」を持たない、ようにしている。

世の中では「コレクションを捨てる事件」は後を絶たないようだ。コレクションを持つ気持ちも分かるし、捨てる(売る)気持ちも分かる。
私が考える「自分がコレクションをしなくなった」理由ははっきりしている。それは「ビッグワンガム(ググリンク)のプラモ群」や「チョロQコレクション」を捨てた経験からだ。「家の建て替えに伴う引っ越し」などに際して、自らゴッソリ廃棄したのだ。少し後ろ髪を引かれながら。
頭髪は刈り上げだけど、昔も今も。

100円もしくは150円のプラモ、あるいは350円のチョロQではあるが、結構大事にしていた。そもそも月々の小遣いが数百円しかない時からの持ち物である。しかし、そのオモチャをずっと持っていても、何も生み出さないし、埃が積もるスペースが増えるだけであることに気づき、若かりし頃(記憶ではローティーン)の私は、それら石油の成れの果てを処分したのである。

ある意味、書籍(文庫本が結構大量、漫画本も少々)はコレクションしたまま実家に置いてあるようなものだが、売ってもらって良いと伝えてある。CDについては100枚ちょいだけ、厳選して残してある。今は住処のダンボールの中だけど。
さすがにアルバムの類は捨てたりはしていないが、ネガはやはり「とある時」に一気に捨てた。この歌(リンク先はYouTube)の影響はあるだろう。

という話を書こうと、少し前から思い続けていたのである。「ダークサイドに落ちた彼」云々のニュースを見たときから。
が、昨日シャワーを浴びていて、私は「捨てるに捨てられないもの」を持っていたことを思い出した。それは「自分の授業に使った『板書用ノート』」である。

こいつはpdf化した方が良いだろうと気づいたのだ。B5の大学ノートが30冊以上、捨てられずに貯まっている。いつか、長期休業の日直か何かの時に、やっつけるつもりでおこう。
ToDo一つ追加なり。

ここにあるのは2017年5月12日 23:08の日記です。

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